灰の虎とガラスの獅子

【Yの手前/静寂と喧騒】

 夏真っ盛り。元気有り余る霧雨の相手をしていたところ、俺の家からも彩塔さんの家からも食料が完全に底を突き。
 仕方なく彩塔さんが買い物に、そして俺は霧雨と共に公園へ向かっていた。店が寒いのは嫌だから、外で待つとかどんな感覚なんだ、霧雨よ。ああ、くそ。太陽が眩しい。溶ける。
 恨めしい気持ちで空を見上げた、その刹那。ごっす、という鈍い音と共に、俺の額に、何かが直撃した。
「おおおおおお……いってぇ……」
「弓にーちゃ、だいじょぶ?」
 一瞬目の前に星が散った気がするが、隣に立つ霧雨に当たらなかった事は幸いか。優しい事に彼女は、痛さのあまりしゃがみこんだ俺の額を撫でてくれている。
「ああ、痛いっちゃあ痛いが、俺は平気だ。……にしても、一体何が?」
 足元に落ちている「ぶつかったもの」に目を落とし……俺は思わず絶句した。
 ガイアメモリ。それも、黄色の「L」と青の「T」。デザイン的には、翔太郎とフィリップが使っていた物に似ている。俺が以前、クークとかいう変人から渡された「バレット」もこんな感じのデザインだ。少なくとも、俺が知る「市場に出回っているメモリ」……ミュージアム製の物ではない。
「こいつは……ミュージアムのメモリじゃないな」
「ん。これ、きれいだもんね。みゅじあむのメモリって、石みたいできれいくないよね」
「まあ確かに、ミュージアム連中の捌いているメモリってクリアカラーじゃないからなぁ」
 メモリを拾い上げつつ、霧雨の言葉にそう返し…………ん?
「……って待て。霧雨、お前何で連中のメモリの事知ってるんだ!?」
「おともだちに、みしてもらったことあるもん。あとねー、しょこちゃんが『くいーん』もってるのも、みたことある」
 クイーン?
 ああ、以前、彩塔さんもクークからメモリを押し付けられてたっけ。って事は、それを霧雨が見たって事か。
 ……壊してなかったのか、彩塔さん。そもそも子供の視界に入る場所にメモリを置いておくのは、色々な観点から言ってもまずいだろうに。ってかそもそも「お友達」に見せてもらった? そしてそれは胸張って言える事じゃないぞ、霧雨よ。
「霧雨。見せてもらったのは、幼稚園の友達に、か?」
「うー……ん。でもね、くーちゃ、みしてくれるけど、さわらしてくれないの。だから弓にーちゃ、それちょーだい」
 俺の質問に、霧雨は少し考えた後、頷く。
 「幼稚園の友達」であることは確かなようだが、それが同じ「園児」であるとは限らないって事か? だが、霧雨は先生の事はきちんと「先生」と呼ぶ。少なくとも「誰ちゃん」とか、そんな呼び方はしない。「くーちゃん」が何者なのかは分からないが、仮にそれが園児だとしたら……売った奴、出て来い。とりあえずぶん殴るから。
 そして霧雨。お前は何でそんな当たり前のように手を差し出しているんだ。「だから」って何だ、「だから」って。
「ダメに決まってるだろ」
「けち」
「……霧雨。お前最近可愛くないぞ」
「ぷーい」
 こちらが即答すれば、霧雨は手をつないだまま、空いた手で「あっかんべー」をしたあと、声に出した通りぷいとそっぽを向いてしまった。
 最近の霧雨は、反抗期なのか何なのか、ちょくちょくこうやって俺達を困らせるようなことを言う。
 養子に出された子は、どこまで養父母が自分の我儘を聞いてくれるか、どこまで愛情を注いでくれるかを図る為、時折こういった反抗的な態度をとる事があると聞いた事があるが、それだろうか。
 まあ、何にせよ。幼稚園児に、メモリみたいな危険なモノを渡せるかって話な訳で。
「拗ねようが暴れようが駄々捏ねようが、メモリはやらん。お前にはまだ早いし、危険すぎる」
「いじわるーけちー」
「何とでも言え」
 ニヤリと、彩塔さんいわく「悪人めいた笑み」とやらを浮かべて言ってやれば、霧雨は思い切り頬を膨らませ……しかし、こちらの言い分を聞き入れる気になったのか、それ以上は何も言わなかった。
 ……まあ、あからさまに不機嫌オーラは垂れ流しているが、ここで甘やかしてはダメだ。聞いていい我儘と、聞いちゃいけない我儘があって、これは明らかに聞いちゃいけない部類の我儘だ。
 霧雨には、キラキラした綺麗な玩具程度の認識なんだろうが、その「玩具」は危険すぎる物だって事を分かっていない。だからこそ、渡せない。ここにいるのが彩塔さんだったとしても、同じだろう。
 頬を膨らませ、それでも俺とつないだ手を離さない霧雨を見下ろしつつ、公園へ向かう為の曲がり角を折れたその先に。
 俺達の行く手を遮るようにして立つ、一人の男の姿があった。
 格闘技を嗜んでいるのか、ガタイが良い。立っているだけだが、隙がない。
 夏場のくそ暑い中、何故か革製の黒いジャケットを着ている。ジャケットの襟周りに付けられたスパンコールがキラキラと陽の光を反射している。そして腰には鞭。馬上鞭ではなく、普通の鞭。
 ……いやいや。何故、鞭? サーカスの調教師か? 猛獣でも調教してんのか?
「あらやだ、イケメン!」
 そんでもってこの人、オカマさんか!? 筋肉質な体躯に似合わないくらいに声高めに作ってんなオイ。
 パチパチと数回瞬きしながら、俺をやや上目使いに見る相手に、思わずぞぞっと寒気が走った。
 ……だが、そんなふざけた態度とは裏腹に、この男からは殺気めいたものが感じられる。そりゃあもうビッシビシに。
――スゲェな。ここまで殺気と色気を同時に出せる奴なんて、そうそういねえぞ――
 変な所で感心するな、アッシュ。どう考えても厄介事に巻き込まれたとしか考えられんわ。
 うんざりしている俺とは対照的に、アッシュは心底楽し気だ。そして、さっきまで不機嫌オーラ垂れ流していた霧雨はと言えば。
「弓にーちゃ、変なひと! くねくね!」
 子供特有の遠慮のなさで相手をびしっと指さし、握っていた俺の手を引いて見てみろと言わんばかりに俺の顔を見上げている。
 そんな霧雨に向かって、俺は真剣な表情を作り……
「目ェ合わすなよ、霧雨。目を見たら最後、喰われるか刻まれるぞ。下手すると石にされるかも知れないからな。絶対に目を見るんじゃないぞ」
「ん」
「ちょっと! 失礼な事言わないで頂戴っ! 誰がゴーゴンよっ!?」
「似たような物だろ」
 俺の言葉を信じてギュッと目を瞑る霧雨と、腰に提げていた鞭を手に取り苛立つ相手。
 だが、苛立っているのもフリだけだ。嫌がっているのは事実だろうが、隙はなく、冷静そのもの。敵意も全く変わっていない。
 ……問題は、何故こいつが俺達に向かって敵意を放っているのかだ。
「で? 何の用だ?」
「あなたには用はないけど、あなたがさっき拾ったメモリには用があるの」
「何?」
「克己ちゃんの為にね、どうしても必要なのよ」
 相手が、そう言葉にした瞬間。今まで以上の殺気が、俺に突き刺さる。その殺気から守るように、半ば反射的に霧雨を自分の背後に回し、そして先程拾った、黄と青のメモリをきつく握る。
 「カツミちゃん」ってのが何者なのか知らないが、本能が告げている。こいつにメモリを渡せば、面倒な事になると。
「……断ったらどうする?」
「あら、振られちゃった。それなら……」
「ゲーム、スタート」
 男がくすりと笑った瞬間、唐突に耳元で別の男の声が聞こえた。
 後ろに仲間が!? っつか、いつから俺の背後にいた!? 何も物音しなかったぞ!?
 慌てて振り返れば、眼前には黒い穴。それが銃口だと気付いたと同時に、反射的に仰け反って弾道から逃れる。しかし、無理に取った体勢のせいでバランスは崩れ、俺の体はごろごろと地面を転がり……
 ……待て。今、「俺だけが」転がってるよな? って事は……
「霧雨!」
 慌てて体勢を立て直し、後ろにいた男の方に視線を向ければ、その男に抱っこの体勢で抱えられ、ジタバタと暴れる霧雨の姿があった。
 しまった! 俺に向けていた銃口がフェイクだったのか、それともマジで撃ち殺す気だったのかは分からないが、あの野郎、端から霧雨を人質にする気でいやがったな!?
 霧雨を抱えている男も、前にいるオカマさんと同じデザインのジャケットを着ている。って事はつまり、奴もオカマさんの仲間であり、さっきのメモリを欲しがっている、と。
 ……油断した。相手が一人だけだと、何で思い込んでたんだ、俺は。
 自分の迂闊さを呪いながら、俺は霧雨を抱えている男とオカマさん、両方を交互に睨み付ける。
 一方で捕まっている霧雨は、やはりジタバタと手足を動かす、我が家内では「ビチビチマグロ状態」と呼ぶ仕草で相手の腕から逃れようとしている。
 幼稚園児とはいえ、加減を一切しないで暴れているせいか、相手の男の顔にうんざりしたような色が浮かんでいる。
「……大人しくしていろ」
「ヤ。んー……うっ!」
 溜息混じりに吐き出された男の言葉を即座に拒絶したかと思うと、霧雨は少しだけ顔を引き……
 ごがんっ!
「がっ!?」
「賢!?」
 ……あろう事か霧雨は、相手に向かって頭突きを食らわせた。容赦一切なしの一撃だった為か、霧雨を抱えていた男の頭が仰け反り、その手が緩む。
――……おい、弓。今、凄ぇ音したぞ――
 はっ! あまりの事に呆然としたが、そんな場合じゃないだろ、俺!
 慌てて霧雨の方へ駆け寄り、緩んでいた相手の腕からその体をひったくる。ついでにその胸元に、一発の蹴りもお見舞いして。
「うー、いたいー」
「そりゃあアレだけ派手な音させて、痛くなかったら驚きだ。無茶するな馬鹿。あと、加減ってものを覚えろ」
「ヤ」
「ヤ、じゃねえよ。加減覚えなかったら、お前が痛い目に合うんだっつーの」
 自分も相当痛かったのだろう。うっすらと涙目になりながら額をさする霧雨に、思わず苦言を呈してしまう。
 そしてこの期に及んでまだ反抗期か。
 そんな、世のお父さん達が経験してきているであろう疲れを感じていたのも束の間、オカマさんが鞭で地面をビッシィと叩き、怒声をあげた。
 いつの間に移動したのか、霧雨に頭突きをかまされた男……オカマさん曰く、「賢」というらしい彼はオカマさんの隣で、頭突きの影響を散らそうとしているのか、軽く頭を振っている。
「ちょっとそこのお子様!! 何うちの賢ちゃんにしれっと頭突きかましてくれてるのよっ!!」
「うー、だって、しょこちゃんが、『あやしいひとをみたら、とりあえず頭突き。もしくは『みぎすとれーと』をくらわせてさしあげなさい』って、この間ゆってたんだもん。……ねえ弓にーちゃ、『みぎすとれーと』ってなに?」
 ……彩塔さぁぁぁぁぁぁんっ!!
――奴の教育方針、色々とおかしくねえ?――
 心の中の全力のツッコミに乗せるように、アッシュの呆れ返った声が響く。
 今回ばかりはアッシュに同意する。何でそんなやりすぎ護身術を霧雨に教えてるんだあの人は! それとも何か? それがファンガイアって種族ではデフォなのか?
 とりあえず今度彩塔さんに会ったら小一時間問い詰めたいところではあるが、それをする為にも、この場から離れなきゃならない。
 しかしだ。目の前の二人組が、そう簡単に俺達をこの場から解放してくれるとは思えない。
 メモリを渡せば手っ取り早いんだろうが、こいつらにメモリを渡してもロクな事にならないのは目に見えている。何しろいきなり銃口向けるような奴もいる事だし。
「あったまきた! 何が何でもメモリは渡してもらうんだからっ!」
「ヤ」
「アンタには聞いてないわよ、お子様!」
「弓にーちゃのかわりにゆってるんだもん。ヤ」
 言って、霧雨は黒ジャケットの二人組に向かって「あっかんべー」をする。ひょっとすると、それが今の霧雨のマイブームなのかもしれない。出来れば早いこと過ぎ去って欲しいブームではあるが。
 一方で言われた側の態度は。オカマさんの方は霧雨の態度が気に入らないのか、鞭をハンカチのように噛み締めでギリギリと歯を軋ませ、賢の方はほんの少しだけ、どこか懐かしむような微笑を浮かべていた。
「きぃぃっ! 可愛くないわっ!」
「あのくらいの子供なら、あんなモノだ」
――そんなもんなのか?――
 俺に聞くな。
「ん。そんなものだって、くーちゃもゆってた」
 そして霧雨。お前も返すな。っつか本当に何者だ、「くーちゃん」ってのは! ウチの娘に捻じ曲がった情報与えるなっつーに。
 軽く痛むこめかみを押さえつつ、半歩だけ連中から距離をとる。が、それを見過ごすほど甘い連中ではないらしい。それまでのおちゃらけた雰囲気が一転、銃口と共に刺すような殺気を向けられた。
「何でそんなに、このメモリが欲しいかね? あんたら、今のままでも充分強そうじゃねえか」
「言ったでしょ。克己ちゃんの為よ。ま、アタシ達に合うようなら、使うつもりでもいるけど」
「お前こそ、何故そのメモリを渡さない? 俺と京水が本気だってことくらい、分かっているだろう?」
 オカマさんの方は、京水というらしい。さして表情を変えぬまま、そして銃口を全くぶれさせることがないまま、賢がこちらに問いを返した。
 理由は簡単だ。さっきも思った事だが、こいつらに渡すと面倒な事になりそうな予感がする。そして、その予感は多分当たる。だから渡さない、それだけだ。
 音もなく俺の背後に忍び寄った手腕や、今もぴたりと俺の心臓に狙いをつけている辺りから察するに、相当な手練れ。それは、先程から鞭を弄んでいる京水にも言える事だ。奴はずっと、ふざけているが隙がない。
 京水、賢共に、武器は中から遠距離系のもの。俺と同じように、遠くから地道に削りつつ、隙が出来たところを一発、ってタイプだろう。俺と異なるところと言えば、恐らくは腕力にも自信があるらしい部分か。
 いや、俺だって腕力に自信がない訳ではないけどさ。最近ホラ、彩塔さんという超パワーファイターと一緒にいる事が多いせいか、あまり自分が「腕力あります!」って気になれないんだよな。
――比較対象が悪すぎんだろ――
「まあ、な」
 アッシュと目の前の二人、両方に返すように答えつつ、俺は霧雨の体を抱え直す。
 逃げるにしても、霧雨に銃弾や鞭が当たらないようにしなければならないし、もう一度人質に取られるような間抜けな事はしたくない。
 次に人質に取られた場合、今度こそ霧雨を取り返す算段が付かないだろう。さっきのは予期せず霧雨が頭突きをかましたから奪還出来たような物だ。
「…………分かった。こっちも自分の身が可愛いんでな。メモリにこだわりはしない」
「あら、案外あっさりね。まあ、その方がアタシ達も楽でいいけど。それじゃ、メモリを渡して頂戴」
 溜息混じりに吐き出した言葉に、京水がゆっくりと近付きながら手を伸ばす。
 それを見やり、俺は拾ったメモリを右手の中へ握り、こちらもゆっくりとした歩調で京水に近寄る。賢の銃口は相変わらず俺の心臓を狙っているので、変な素振りを見せようものなら即お陀仏。腕の中の霧雨はこの上なく不服そうに頬を膨らませて俺を見上げている。
 そして、ようやく京水との距離があと数歩のところまで来た時。俺は、思い出したような表情を作って霧雨を見た。
「そういや、霧雨」
「う? なに」
「ンな不機嫌その物って声上げるなよ。お前さっき、『右ストレート』を知らないっつったよな?」
「ん」
 俺が「メモリを渡す」といった事が相当嫌なのだろう。俺の顔は一切見ようとせず、霧雨は投げやりな態度で頷きを返す。
 一方で京水は、俺の言わんとしている事を理解したのだろう。はっとしたような表情を浮かべ、慌てて距離をとろうとしたようだが……遅い。
 何の為にこの距離まで待ったと思ってんだ。手が届く範囲だって事と、それから……賢の弾道が、京水によって塞がれるためだ。いくらなんでも仲間ごと撃ったりはしないだろう。
 ってな訳で。
「霧雨、右ストレートってのは……こういう奴だ!」
 言いながら、メモリを右手に握ったままで、離れようとしている京水の顔を思い切り殴りつけた。瞬間、京水の首辺りがら、ごきゃりと音がしてその巨躯が賢めがけて飛んでいく。それでも俺の拳の中からメモリを奪っていったのは、京水の並々ならぬ執念の結果だろうか。
 物を持った状態で殴りつけるのと、何も持たずに殴りつけるのとならば、物を握った時の方が威力が上がる。これは、物を握る事で、拳の中の空気……つまりクッションが減り、拳が硬くなる事に起因する。
 彩塔さん程の破壊力がある訳ではないが、俺だって曲がりなりにもオルフェノクだ。一般的な人間と比較すれば、パンチ力はあるし、まして今のようにわざわざ威力を上げるための小狡い工作もした。右ストレートで相手をぶっ飛ばすには、充分な威力はあっただろう。
 ……って、しまったやりすぎた!? 今なんか凄く鈍い音がしたよな!? こうなるって分かってたはずなのに、何で今全力で殴った、俺!?
 メモリを奪われたのは痛いが仕方ない。これ幸いと逃げれば良いものを、どうにも俺は小心者らしい。聞こえた音の鈍さに、思わず吹き飛んだ京水と、それを受け流す賢の両方を見てしまう。
 京水の首は、どう考えてもあり得ない方向に曲がっている。それなのに、奴の顔には笑みが浮いていた。それに、賢。あいつの様子もおかしい。仲間がぶん殴られ、そしてどう考えても死んでるようにしか見えないにもかかわらず、驚きも心配もない。それどころか、冷静に銃口をこちらに向け、引き金を引いている。
 慌てて体を左に捻ってその銃弾を回避しつつ後退れば、その位置めがけてまた銃弾が放たれる。
 それを数回繰り返し……気が付けば、いつの間にか賢の横に京水が立っていた。首を、あり得ない方向に曲げたままで。
「あなた、強いのね。強くて格好良い……嫌いじゃないわっ!」
「嬉しくねぇっ! ってか今の確実に死ぬ一撃だったよな!? むしろ今死んでたよな!? 首があり得ない方向に曲がってたよな!? っつか心音止まって…………」
 と、精一杯のツッコミを入れて、はたと気付く。
 こいつら、心音がない。それも、最初から。
 つまり……こいつらは「生きていない」。
「っ!?」
 息をのみ、全力で距離をとるように飛び退る。今まで全く気付かなかった自分の迂闊さに反吐が出る。最近何もなさ過ぎて平和ボケしてたか? あるいは暑さでやられてたか!?
「……俺とご同類って訳じゃあなさそうだな」
 直感だが、分かる。目の前のこいつらは、俺と同じ「生きていない者」でありながら、根本的な部分で異なる。
 そんな奴らにメモリが渡った。どう考えたって、いい方向に転がる訳がない。
 だが何故だろう。取り返すという選択肢が浮かばない。あのメモリは、あの場所に納まっているのが正しい姿なのだと思えてしまう。
 背筋を小さな虫が這いまわるような感覚を覚えつつ、俺は首を本来の角度に戻す京水と、手の中で青いメモリを弄ぶ賢の両方に目を向ける。奴らもそのメモリが「自分の物である」と確信しているように見える。
 そして、次の瞬間。
――Luna――
――Trigger――
 京水と賢、二人が同時にメモリのスイッチを押し、ガイアウィスパーが中に内包された記憶の名を告げた。
 ……今の、翔太郎達が持っていたのと同じ奴、だよな? 量産でもされたか? あるいは別系統で、同じ記憶をモチーフにメモリを作ったか。どちらにせよ、その記憶が厄介なのは知っている。
 スロット処置もしていないはずなのに、京水は眉間に黄色を、賢は右掌に青をそれぞれ挿す。そこにコネクタが現れたのは、あのメモリの特性か何かなのか。完全に、ミュージアムの物とも、そして翔太郎達が使っている物とも異なる。
――「幻想ルナ」と「銃撃手トリガー」か。相手すんのは面倒臭ェなあ――
 何でそんなやる気出してるんだよお前は。逃げるに決まってるだろ。
――Bullet――
 連中の変身を見届ける事はせず、俺はすかさずバレットを発動。連中と俺達の中間点を撃って、申し訳程度の煙幕を張る。
 煙幕の向こうではずんぐりした体形の何者かが、その場に佇んだまま腕を振って煙幕を払っている影が映っている。ちらりと黄色が見えたので、恐らくは京水……が変じたルナドーパントだろう。その隣では、きっちりとこちらに狙いを定めるトリガードーパントこと、賢の影も映っている。
「三十六計逃げるにしかず! ってな訳で逃げるぞ、霧雨! ガチで全力疾走するから、しっかり掴まってろよ!」
「おー!」
 俺の声に返すように、パンパンと発砲音が聞こえたが……遅い。既に俺は自分の姿をタイガーオルフェノクへと変えており、全力で飛び退って距離をとり、そのままの速度で反転、建物と建物の間を縫うようにして駆け抜ける。
 場から離れる直前、俺のこの姿でも見たのか、小さく驚くような声が聞こえた気がしたが、そこで立ち止まっては意味がない。霧雨を抱えている為、全力とはいえある程度の加減はしている。俺が怪我をさせてしまっては、元も子もない。
 そして幾度目かの角を曲がり、人の気配もなくなった頃。
「弓にーちゃ、すとっぷ」
「んあ!?」
「メモリ、落ちてる」
 冗談抜きでキイィッという音を立てつつ立ち止まり、姿を普段の物に戻して霧雨が指し示した箇所に視線を落とせば、そこには半ば地面にめり込むようにして存在する一本のメモリがあった。
 京水達に奪われたのと同じ、青色の端子。埋まった部分が圧迫されてスイッチが押しっぱなし状態なのか、ずっと「ユニコーン」というウィスパーが聞こえている。
「何だこれ? こんなモンまであるのか?」
 反射的に拾い上げると、腕の中にいた霧雨がずいと手を伸ばす。……よこせと、言いたげに。
「むーが見つけたのー。だから弓にーちゃ、それちょーだい」
「ダメだっつってるだろ」
「けち。けちーけちけちー。弓にーちゃのおふぇのるくー」
「ケチじゃねえ。断じてケチじゃねえ。あと、『オルフェノク』な。それは、別に悪口じゃないから」
 拾い上げたメモリをポケットの中にしまいこみながら、ボキャブラリーに乏しいブーイングをかます霧雨に反論しつつ、考える。
 メモリが埋まっていた……降ってきた理由。そして、京水達。これらがこれから、何を引き起こすのかを。
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