灰の虎とガラスの獅子
【紡がれるJ/拘束を破れ】
六月半ば、世間や彩塔さんが、皆既月食が云々と言っていたまさにその日。まだ日も明けぬ早朝、人の気配も疎らな時間に、俺は自宅の扉越しで必死の攻防を繰り広げていた。
「…………忙しいんじゃなかったのか何でここにいるんだ帰れ」
ぐぎぎぎぎぎぎぎ。
扉がこれ以上開かないように全身全霊で引きつつ、俺は向こう側にいる人達に向って一息に告げる。
多分今の俺は、壮絶なまでに嫌そうな顔をしているに違いない。それもそうだ、俺の睡眠時間はまだ一時間と取れていない。だが、相手はこちらの眠気を吹っ飛ばすには充分すぎる連中だった。
彼らを入れまいと、力の限りドアノブを引いているせいか、マンスリーマンションの安い扉は軋んだような悲鳴を上げ、俺と外をギリギリの位置で遮断してくれている。
とは言ってもだ。……それも、いつまで保つのやら。先日「物質強化」だか何だかを施されたらしいその扉が悲鳴を上げているのは、ひとえに外にいる連中の力のせいだろう。
……と言うか、強化してなかったら今頃この扉、また悲惨な状況になっていたんじゃなかろーか。
「かんらかんらかんらっ! そう言わずに開けて下さいよぉ先生ぇ」
「そうよぉ。何も取って食おうって訳じゃないんだから」
「その通りだ『灰燼』。少し解剖するだけだから、何も心配はいらんだろう」
ぎゃぎゃぎゅぎぎぎぃ。
扉の蝶番が、奇怪 な生き物であるかのように鳴き声を上げる。おまけに扉の外にいる連中は、さらりと恐ろしい事を言い放つ。
って言うか、それで俺が開けると思ってるのかこの人達!? 解剖されると分っていて開ける奴がどこにいる!? 何であの人俺の事「灰燼」って呼ぶ!? そもそもこの音、完全にご近所さんへの騒音だよな!?
薄く開く隙間から見えるのは三つの人影。見慣れた男と、女にしか見えない男と、医者風の男という奇妙な取合せだ。
見知った顔だが、当然家に上げるつもりはこれっぽっちもない。
……何しろ相手は、彩塔さんの三人の兄。一人でも充分な脅威なのに、三人揃えば威力は三倍……いや、きっと相乗効果で三乗くらいには跳ね上がるだろう。救いは織戸さんがいない事くらいか。
――お前も大変だなぁ、弓――
のんびり高みの見物決め込みやがってこの野郎。俺が解剖されたら、お前だって困るだろうが!
――いや別に? オレも地球 に還るだけだし――
頭の中で響く、緊張感の欠片もないアッシュの声に抗議しつつも、俺はもう一度薄く開いている扉から外の様子を確認する。
戸をこじ開けようとしているのは斉藤と物磁さんの二人で、斗李さんは………………
「何でそっちの姿晒して鎌振り上げてるんですか!?」
黄色の強い体色を持った蟷螂だが鷹だか鴉だかよく分らないファンガイアに、俺は思わず扉を開け放ってツッコミを入れた。
扉を開放する結果にはなったが、ここで突っ込まないと色々と問題がありそうな気がする。って言うか今扉壊す気満々だったよなこの人!?
黄色が強いとは言え、大振りの鎌を持っているせいか、やけに死神のように見えるのは何故だろう。
「ウフフ。こうすれば開けてもらえると思って」
「フン。『刃』の愚弟の目論見通りだな」
「ちょいとお邪魔しますよぉ、先生」
俺が開けたのを良い事に、斗李さんは姿をいつもの「バーのママ」の格好へ戻し、語尾に八分音符やらハートやらが付きそうなトーンで言うと、当然のように玄関へと入り込む。
それに倣うように、物磁さんと斉藤も玄関へ上がる訳だが……どう言う訳か、彼らは揃いも揃って玄関で立ち往生するだけ。靴を脱ごうとする気配もない。
勝手に上がりこんで寛ぐつもりなのか、とか思っていただけに、これ以上動かない彼らの存在は極めて不審だ。そこに居座られると俺が中に入れないんだが。
……本当に何しに来やがったこの人達は? 大体、グランドクロスが始まる近辺は忙しいから出版社の仕事休む、とか言ってただろ、なぁおい斉藤さんよ。
「もう一回言いますけど……この時期、忙しいんじゃなかったのか」
扉を閉めれば、それでなくとも狭い玄関に男が四人いる状態。窮屈さすら感じながらも、俺は朝も早くからやってきた、「彩塔家の兄三人衆」に向って問う。
勿論、上がらせてもらえる状態ではないので、玄関先……しかも扉の前で。
すると三人を代表するように、斉藤がかんらかんらといつも通りの……しかしどこか疲弊の色の混じった笑い声を上げると、いきなり俺の両肩をがしりと掴んだ。
……あ、目が据わってら。
口元は笑みを湛えているが、目は笑っていない。それどころかうっすらと下には隈が浮き、疲労の色を滲ませている。
付き合いはそう短くはないので、分る。
……斉藤帝虎は今、物凄く追いつめられている。俺が原稿を落とすか落とさないか、その瀬戸際にいる時と同じ顔だ。いや、今回はあの時よりも、もっと酷いかもしれない。
――お前、期限くらい守れよ――
やかましい。お前には分らないだろうがな、アッシュ。文章は湧き出る時は滾々と湧き出るが、一旦止まると本当にどこまでも出てこないんだよっ!
と、アッシュに突っ込むがそんな事はどうでも良い。よく見れば、斗李さんの化粧のノリもそれほど良くはないし、物磁さんもしきりに眼鏡をあげている所を見ると、各々相当に疲弊しているのが分る。
「ええ、ええ。忙しいですよぉ。忙しいですとも。………………忙しすぎて材料が底を尽きるくらい」
「はぁ?」
最後の一言だけ、やたらと殺気の篭った低い声で放たれ、俺は思わず頓狂な声をあげてしまう。
材料が足りないって……だってこの間織戸さんが家に来た時は、やたら大きな袋いっぱいに、件の材料と思しき物達が詰まってたよな?
それが、足りなくなった?
「まさか、今年のグランドクロスで、前回を軽く上回る量の依頼が来るとは思わなかったのよ」
「火急的速やかに対処せねばならん物に関しては既に終了している。後は今夜の月食に合わせ、魔力並びに魔皇力の補充を行なうだけだ。だが、他の細かい物に関して、あからさまな材料不足が起こっている」
俺には想像もつかないが、恐らく彼らの実家には今、かなりの量の鎧やら武器やらが山となって存在しているのだろう。その中でも、優先順位の高い物は、後は仕上げるだけ……と言うのも分った。そして、優先順位が低い物に関して、どうやら原材料が足りていないと言う事も。
しかし、だ。それならこんな所に来ていないで、材料集めに行けと言いたい。ここで油売ってる時間は、彼らにはないはずだ。それでもここに来た、と言う事は…………
「えーっと……まさか、とは思うんですけど……俺にその原材料集めを手伝え、と?」
恐る恐る聞いた俺の言葉に、三人が同時に、ひどく真剣な表情で首を縦に振った。
……誰か、悪い冗談だと言ってくれ。俺にそんな体力がない事は、斉藤なら充分理解しているはずだ。大体……
「そういう手伝いなら、彩塔さんに手伝ってもらえば良いんじゃないんですか? 彼女の方が、ぶっちゃけてしまえば俺よりも体力がありますし、何より『彩塔家』の一員なんでしょ?」
『それは絶対にダメ』
うわ三人綺麗にハモった。
――おい、何かこいつらの顔引き攣ってるぞ? 何した、硝子の奴――
不器用だ、と言うような話は聞いているが、それがどれ程の物なのか、俺はよく知らない。少なくとも料理の類の腕はごく普通だと思うし、言う程不器用でもないと思うんだが……
「あの、彩塔さんがそんなに不器用には思えないんですが?」
「あのね、弓君。硝子ちゃんは、不器用とかそうじゃないとか、それ以前の問題なの。あの子はね、工房に関係する全ての事象に関わっちゃダメなのよっ!」
やや青褪めた顔で、斗李さんはきっぱりと、しかも俺を説得するかのような口調で言い放つ。
見れば、普段は胡散臭さ全開な斉藤の顔がヒクヒクと引き攣っているし、クールと言うかつっけんどんと言うか、あまり表情を変えない物磁さんすらも虚ろな目をして微かに震えているのは何故なのか。
「硝子ちゃんはですねぇ、日常生活に関しては問題ないんです。しかしどうしてなのか、工房関係……と言うか『魔力関係』になると、一気に天然危険物へと化すんですよぉ」
「『矛盾』の愚妹が愚妹たる所以 だ。修繕中の鎧を『生きた鎧 』に変え、逃がしてしまうなど日常茶飯事」
は? 「生きた鎧」?
「余り物で超強力な小型爆弾が出来上がっちゃった時は、もう本当にどうしようかと思いましたよ」
え? 「超強力な小型爆弾」!? しかも余り物!?
「まあ、その程度はまだ可愛い方よね」
「可愛いのか!? それで!?」
反射的にツッコミを入れてしまったが、俺としては流石にそれを可愛いとは言えない。
「生きた鎧」なんてのは、俺の中では物語の中のアイテムだし、余り物で「超強力な小型爆弾」って……いや、どの程度を以って「超強力」かつ「小型」と定義しているのかは分らないが、ファンガイア……しかもその中でも恐らくぶっ飛んでいる部類に含まれるであろうこの人達が「超強力」とか言ってしまう時点で、半径一キロは灰と化す物だと考えてまあ間違いないだろう。
……それを、「可愛い」?
――マジで硝子の奴、何やらかしたんだ……?――
不思議に思う俺達に気付いているのか、斗李さんはついと俺から目を反らすと、焦点の合っていない瞳で口を開いた。
「ふ。可愛いわよ。いつだったかなんてあの子、偶発的に拘束専用の人工モンスターを生み出しちゃって。処分に困ったから某宇宙センターのロケットに乗せて月に捨てようとしたのよねぇ。…………結局途中でロケットも事故を起こしたから月には捨てられなかったみたいだけど」
……はい? こぉそくせんよぉのじんこぉもんすたぁ?
いかん、脳が今変換を拒否しかけた。つまり、何かを捕まえる為の人工生命体を、彩塔さんは予期せず作り出してしまったと?
「かんらかんらかんら。あの時は本気で死ぬかと。色々ありましてねぇ……」
「破壊しようにもやたら頑強で破壊など出来ず、捕えようにも逆にこちらが封印鎖 で拘束される。仕方なしに誘導しながら、無理矢理ロケットに乗せてな。……忘れもしない、一九七〇年、現地で四月十一日の話だ」
をい待て。
その日付で、ロケットで、月に捨てようとした挙句、事故……?
「それは映画でも有名な『ア』で始まるロケットの十三号の話じゃねぇかっ!」
「いやぁ、暴れちゃったんでしょうねぇ……船内で。それさえなければ、無事に十三号も本来の任務を果たせたでしょうに」
乗組員全員の命に別状がなかったのは幸いかもしれないが、もしもそれが事故の「本当の原因」なら……それ、結構な国際問題じゃないか?
「まあ、『アレ』が地球に帰って来なかったんで、結果オーライですけどねっ」
「いやいや、全然オーライじゃないです。しかも下手すりゃ人の命に関わってますから」
「まあ、そんな感じのお話が腐る程ありまして。以来、硝子ちゃんは工房に纏わる事を一切禁じられているんですよぉ。当然、出禁です」
腐る程とまで!? しかも家族なのに出入り禁止!? いや、話を聞いていれば「相当」なのは分るけど。
「『矛盾』の愚妹に手伝わせれば余計な仕事が増える。そこで、俺達の事情を知っている貴様を駆り出す訳だ、『灰燼』」
ちらりと冷たい視線を俺に投げ、物磁さんはがっしりと俺の腕を掴んで言うと、そのまま俺をずるずると部屋の外に引きずり出した。
しまった。彩塔さんの「トンデモ行動」とやらに驚きすぎたせいで、いつの間にかなし崩し的に外に!? あ、しかも更にいつの間にか彼らが乗ってきたであろうライトバンに押し込まれてる!?
「……端から見たら誘拐か拉致ですよ……」
「かんらかんらっ! そうでしょうねぇ。だから人気のない早朝を選んだんじゃないですかぁ! 最初っから実力行使のつもりでしたからねぇ。かんらかんらかんら!」
「故意犯か!?」
ツッコミを入れても何のその。
彩塔家三兄弟は、しれっとした顔でそのままライトバンを走らせ、人気の少ない場所へ向っていく。恐らくは彼らの言う「材料の採掘場」に向っているのだろう。願わくはこの風都からそう遠くない場所である事を祈る。
はあ、と諦めの溜息を吐き出して……俺はふと、思い出したように口を開いた。
「そう言えば、物磁さん」
「何だ『灰燼』。異論反論の類なら認めんし、聞かん」
「そこは車に乗せられた時点で諦めてます。この状況で逃げられるとは思ってませんよ。そうじゃなくて。その『灰燼』って、何ですか?」
そう。何故かは知らないが、物磁さんは先程から俺の事を「灰燼」と呼んでいる。俺の中にいるアッシュを指しているのかとも思ったが、どちらかと言えば俺自身……つまり、「灰猫弓」の事を「灰燼」と呼んでいる節がある。
だが、そう呼ばれる理由が分らない。確かに俺は「『灰』猫」という苗字ではあるが、あだ名として「灰燼」に変化するとは思えない。
不思議に思って首を軽く傾げていると、運転席にいる物磁さんはバックミラー越しに俺を見やり……
「仮に掟が変わり、そして仮に貴様が彩塔家の入り婿になるのなら。血筋はないとは言え俺達の一族に連なるのだ。真名を考えてみた結果、貴様に『脆弱ながらも頑健、葛藤 だらけの灰燼』という名を送る事にした」
……どこから突っ込めというのだろうか。
確かに俺は、彩塔さんが好きだよ。何だかんだでこの間勢い余って「愛している」とか何とか、こっ恥ずかしい事を口走ったともさ。だけどな。アレは正式な告白ではないし、彼女の意見 だってまだ聞いていない。
当人達がそんな状態なのに、どうして既に彩塔家では結婚する事が前提になってるんだ? いや、別に婿養子に入るとかは良いんだけど……そもそも俺、戸籍上死んだ事になってるし。つまり、その……仮に彩塔さんと俺が、その、あー……
――相思相愛、結婚を約束する間柄になったとして、戸籍の問題があるから公的な夫婦にはなれないってか? アホか、お前――
「一緒に子育てまでしてるって話なんだし、もう既に夫婦みたいなものじゃない。何を今更躊躇っているのやら」
アッシュと、助手席に座る斗李さんの呆れたような声が聞こえる。俺の考えが分るアッシュはともかく、斗李さんは俺の沈黙を躊躇していると受け止めたらしい。
簡単に言うが、結婚というのは本人達にとってはかなり重大な決断だ。そこは周囲がどうこう言って解決するような話じゃない。
……いや、まあ確かに霧雨の事は子育てって言えなくもないだろうけれども……
うう、と唸りながら悶々と考えていると、どうやら「発掘場」に到着したらしい。車に乗っていた時間から察するに、然程風都からは離れていないようだが……物磁さん達につられるようにして降り立ったそこは、全く見た事のない景色が広がっていた。
ほの白く光る岩肌の奥に、薄い桃色の光が見える。かと思えば、そのすぐ脇には玉虫色に光る巨岩やら、植物のように見える鉱石やらが「群生」している。
心なしか空気が甘いように感じるのは気のせいか。
「……これは……?」
「彩塔家 が所有する、鉱物の採掘場ですよぉ。あ、そこに生えているのはキャンディーの結晶です」
「『絶望』の女王にでも持って帰ってやれ」
先程俺が「植物のように見える鉱石」と表現した「それ」の「枝」を折りながら、斉藤と物磁さんはそう言ってその「枝」を俺に手渡した。
……キャンディーの、結晶? 何だそれ本当にここは地球上にある世界なのか?
「この辺りの土地には、天然の糖が多量に含まれているのよね。それがこの辺の地下水で滲み出して、鍾乳石のようにジワジワとその『枝』を作ったって訳。って言っても、キャンディーの結晶なんてそんなに珍しくもないでしょう?」
「……いや、そんなサラッと言われても。俺の貧困な人生経験上、こんなのは初めて見ますよ」
苦笑しながら斗李さんの言葉に返すが、三人にとっては「当たり前に存在する物」らしい。然程興味もなさそうに「枝」を避けると、そのまま更に奥へ向ってすたすたと歩き出した。
多分、目的の「材料」はこの奥にあるらしい。ついて歩くと、それまでの白い岩肌から一転して漆黒の岩に囲まれた場所に出た。
「必要な材料はここに埋まっている『共鳴石』と『召喚石』の二種だ。運がよければ『牙石』も見つけておけ」
冷たく物磁さんがそう言い放つと、物磁さんと斗李さんの二人はさっさと近くの岩肌を捜索し始めた。
……とは言え、俺は物磁さんの言う「キョーメーセキ」や「ショーカンセキ」、「キバイシ」などという物は見た事も聞いた事もない。どんなものかも分らない物を「見つけろ」と言われても……呆けるしかない。
だが、斉藤はそうなる事が予測済みだったらしい。俺の目の前に回りこむと、にこやかな笑顔で俺の手の中に小さな蒼い「石」を押し込めた。
「それが『共鳴石』です。先生には、そちらをお渡ししておきますから、それと同じ物を探して下さい」
「同じ物って……」
「近くに同じ物があると光りますから、すぐに分りますよぉ。かんらかんらかんらっ!」
……紫外線を当てると光る石があるのは知ってるが、同じ物が近くにあると光る石って……
不思議に思いながらも、目安があるのはありがたい。黒い岩壁にその石を近付けつつ、俺はそっとその石の変化を見る。
とは言え、そう簡単に見つかるものではないのだろう。石は変化せず、ただほんのりと蒼い色を湛えている。俺がそんな風にのんびりと探している間にも、彩塔家の三人組は次々と目的の物を見つけているのか、かんかんと岩肌をノミのような物で叩いている。
その表情は、真剣そのものだ。多分、彼らにとってこの仕事はひどく大切なのだろう。戦っている時の彩塔さんと表情が被る。流石に兄妹だと、感心する程に。
……兄弟と言えば……あの歌宿って奴と聖守の野郎も兄弟なんだよな。その割には似てなかったし……それに、歌宿は聖守を「サンプル」、「いつかは倒すべき相手」として認識していたようだ。
彩塔さん自身は歌宿と会うのはあの時が初めてだったらしいが、物磁さん達とは関わりがあるみたいな言い方してたな。
「そう言えばこの前、彩塔さん……硝子さんと一緒にいる際、歌宿っていう変な奴と遭ったんですが」
「死ね」
「クズが」
「欠片も残さず失せろ」
俺が言った瞬間、斉藤、斗李さん、物磁さんの順に、間髪入れず答えが返って来た。
しかも、思いきり顔を顰め、殺意の篭った声で。
斗李さんですら、「ああ、この人やっぱり男だ」と納得する程の声の低さだ。
「ああ、勿論今の、弓君に言ったんじゃないのよ? あの……返す返すも憎たらしいジャガーさんに言っただけだから」
「ミスター変態の歌宿にだけは会わせないようにと、必死で食い止めていたんですけど……そうですかぁ。とうとうあの鬼畜女装趣味変態男が硝子ちゃんの前に……」
俺をここに引っ張り出した時よりも、更に据わった目で。斗李さんと斉藤は手の中にあるノミの柄をバキリと握り砕きながら、いつもの口調で……しかし相変わらず低い声のままで言葉を紡いだ。
……この人達と歌宿の間に何があったのかは知らないが、相当に苛立つ事があったのは確かだろう。彼らの様子は、俺がレオを前にした時とよく似ている。
「何か、因縁の相手なんですか?」
「ええ、まあね」
「聖守が硝子の母親である瑠璃さんの仇ならば、歌宿……『高速の拘束、戦慄の旋律』は俺達の母親の仇に当たる」
言葉を濁した斗李さんとは対照的に、物磁さんは何ともないような声で答えを返した。
だが、声だけだ。実際はかなりの憎しみを抱いているんだろう。物磁さんからは痛い程の殺気が伝わってきた。
「奴は純粋に『女を殺す事』に快を見出し、手当たり次第殺している」
「つまりね、快楽殺人者なのよ。あのジャガー」
「しかも、性質の悪い事に……ファンガイア専門なんです。自身がキングになろうとしている本当の理由も……キングの名の下なら、好きなだけ同族の女性を殺せると思っているからなんですよ」
…………成程、そりゃあ確かに性質が悪い。権力を手に入れるのは、自分の悪逆非道な行いを諌める者を排除する為って事か。
そして、斉藤達が歌宿を彩塔さんに会わせようとしなかった理由も理解した。
きっと、恐れたんだ。
腹違いとは言え、妹までもが、母親を殺したのと同じ男に殺される事を。それでなくとも、彼らの母親を殺した者と血の連なる者が、義理の母を殺している。その上妹まで殺されるような事となれば……彼らも、そしてここにはいない織戸さんも、ひどく後悔する事になる。
……ようやく納得した。この人達が、妙に彩塔さんを可愛がっている事に対して。
「だから……先生、気をつけて下さい。歌宿という変態さんにかかれば、硝子ちゃんも、そしてリトル・クイーンまでも、快楽の対象になります」
「要注意しておく事だな、『灰燼』。奴は、機会さえあれば『矛盾』の愚妹や『絶望』の女王を襲うだろう」
言われ、改めてぞくりと背筋に冷たい物が走る。
……あの時、あいつは聖守を回収する事が目的だった。だから、俺達には何も起こらなかった。
だが……俺は奴の気配に気付かなかった。彩塔さんも、恐らくは同じだ。もしも、奴の殺意が彩塔さんや霧雨に向けられた時、俺は……彼女達を守れるのか?
答えの出ない問いを自身に投げながら、俺はここにはいない「エセ淑女」の顔を睨みつけるのだった。
六月半ば、世間や彩塔さんが、皆既月食が云々と言っていたまさにその日。まだ日も明けぬ早朝、人の気配も疎らな時間に、俺は自宅の扉越しで必死の攻防を繰り広げていた。
「…………忙しいんじゃなかったのか何でここにいるんだ帰れ」
ぐぎぎぎぎぎぎぎ。
扉がこれ以上開かないように全身全霊で引きつつ、俺は向こう側にいる人達に向って一息に告げる。
多分今の俺は、壮絶なまでに嫌そうな顔をしているに違いない。それもそうだ、俺の睡眠時間はまだ一時間と取れていない。だが、相手はこちらの眠気を吹っ飛ばすには充分すぎる連中だった。
彼らを入れまいと、力の限りドアノブを引いているせいか、マンスリーマンションの安い扉は軋んだような悲鳴を上げ、俺と外をギリギリの位置で遮断してくれている。
とは言ってもだ。……それも、いつまで保つのやら。先日「物質強化」だか何だかを施されたらしいその扉が悲鳴を上げているのは、ひとえに外にいる連中の力のせいだろう。
……と言うか、強化してなかったら今頃この扉、また悲惨な状況になっていたんじゃなかろーか。
「かんらかんらかんらっ! そう言わずに開けて下さいよぉ先生ぇ」
「そうよぉ。何も取って食おうって訳じゃないんだから」
「その通りだ『灰燼』。少し解剖するだけだから、何も心配はいらんだろう」
ぎゃぎゃぎゅぎぎぎぃ。
扉の蝶番が、
って言うか、それで俺が開けると思ってるのかこの人達!? 解剖されると分っていて開ける奴がどこにいる!? 何であの人俺の事「灰燼」って呼ぶ!? そもそもこの音、完全にご近所さんへの騒音だよな!?
薄く開く隙間から見えるのは三つの人影。見慣れた男と、女にしか見えない男と、医者風の男という奇妙な取合せだ。
見知った顔だが、当然家に上げるつもりはこれっぽっちもない。
……何しろ相手は、彩塔さんの三人の兄。一人でも充分な脅威なのに、三人揃えば威力は三倍……いや、きっと相乗効果で三乗くらいには跳ね上がるだろう。救いは織戸さんがいない事くらいか。
――お前も大変だなぁ、弓――
のんびり高みの見物決め込みやがってこの野郎。俺が解剖されたら、お前だって困るだろうが!
――いや別に? オレも
頭の中で響く、緊張感の欠片もないアッシュの声に抗議しつつも、俺はもう一度薄く開いている扉から外の様子を確認する。
戸をこじ開けようとしているのは斉藤と物磁さんの二人で、斗李さんは………………
「何でそっちの姿晒して鎌振り上げてるんですか!?」
黄色の強い体色を持った蟷螂だが鷹だか鴉だかよく分らないファンガイアに、俺は思わず扉を開け放ってツッコミを入れた。
扉を開放する結果にはなったが、ここで突っ込まないと色々と問題がありそうな気がする。って言うか今扉壊す気満々だったよなこの人!?
黄色が強いとは言え、大振りの鎌を持っているせいか、やけに死神のように見えるのは何故だろう。
「ウフフ。こうすれば開けてもらえると思って」
「フン。『刃』の愚弟の目論見通りだな」
「ちょいとお邪魔しますよぉ、先生」
俺が開けたのを良い事に、斗李さんは姿をいつもの「バーのママ」の格好へ戻し、語尾に八分音符やらハートやらが付きそうなトーンで言うと、当然のように玄関へと入り込む。
それに倣うように、物磁さんと斉藤も玄関へ上がる訳だが……どう言う訳か、彼らは揃いも揃って玄関で立ち往生するだけ。靴を脱ごうとする気配もない。
勝手に上がりこんで寛ぐつもりなのか、とか思っていただけに、これ以上動かない彼らの存在は極めて不審だ。そこに居座られると俺が中に入れないんだが。
……本当に何しに来やがったこの人達は? 大体、グランドクロスが始まる近辺は忙しいから出版社の仕事休む、とか言ってただろ、なぁおい斉藤さんよ。
「もう一回言いますけど……この時期、忙しいんじゃなかったのか」
扉を閉めれば、それでなくとも狭い玄関に男が四人いる状態。窮屈さすら感じながらも、俺は朝も早くからやってきた、「彩塔家の兄三人衆」に向って問う。
勿論、上がらせてもらえる状態ではないので、玄関先……しかも扉の前で。
すると三人を代表するように、斉藤がかんらかんらといつも通りの……しかしどこか疲弊の色の混じった笑い声を上げると、いきなり俺の両肩をがしりと掴んだ。
……あ、目が据わってら。
口元は笑みを湛えているが、目は笑っていない。それどころかうっすらと下には隈が浮き、疲労の色を滲ませている。
付き合いはそう短くはないので、分る。
……斉藤帝虎は今、物凄く追いつめられている。俺が原稿を落とすか落とさないか、その瀬戸際にいる時と同じ顔だ。いや、今回はあの時よりも、もっと酷いかもしれない。
――お前、期限くらい守れよ――
やかましい。お前には分らないだろうがな、アッシュ。文章は湧き出る時は滾々と湧き出るが、一旦止まると本当にどこまでも出てこないんだよっ!
と、アッシュに突っ込むがそんな事はどうでも良い。よく見れば、斗李さんの化粧のノリもそれほど良くはないし、物磁さんもしきりに眼鏡をあげている所を見ると、各々相当に疲弊しているのが分る。
「ええ、ええ。忙しいですよぉ。忙しいですとも。………………忙しすぎて材料が底を尽きるくらい」
「はぁ?」
最後の一言だけ、やたらと殺気の篭った低い声で放たれ、俺は思わず頓狂な声をあげてしまう。
材料が足りないって……だってこの間織戸さんが家に来た時は、やたら大きな袋いっぱいに、件の材料と思しき物達が詰まってたよな?
それが、足りなくなった?
「まさか、今年のグランドクロスで、前回を軽く上回る量の依頼が来るとは思わなかったのよ」
「火急的速やかに対処せねばならん物に関しては既に終了している。後は今夜の月食に合わせ、魔力並びに魔皇力の補充を行なうだけだ。だが、他の細かい物に関して、あからさまな材料不足が起こっている」
俺には想像もつかないが、恐らく彼らの実家には今、かなりの量の鎧やら武器やらが山となって存在しているのだろう。その中でも、優先順位の高い物は、後は仕上げるだけ……と言うのも分った。そして、優先順位が低い物に関して、どうやら原材料が足りていないと言う事も。
しかし、だ。それならこんな所に来ていないで、材料集めに行けと言いたい。ここで油売ってる時間は、彼らにはないはずだ。それでもここに来た、と言う事は…………
「えーっと……まさか、とは思うんですけど……俺にその原材料集めを手伝え、と?」
恐る恐る聞いた俺の言葉に、三人が同時に、ひどく真剣な表情で首を縦に振った。
……誰か、悪い冗談だと言ってくれ。俺にそんな体力がない事は、斉藤なら充分理解しているはずだ。大体……
「そういう手伝いなら、彩塔さんに手伝ってもらえば良いんじゃないんですか? 彼女の方が、ぶっちゃけてしまえば俺よりも体力がありますし、何より『彩塔家』の一員なんでしょ?」
『それは絶対にダメ』
うわ三人綺麗にハモった。
――おい、何かこいつらの顔引き攣ってるぞ? 何した、硝子の奴――
不器用だ、と言うような話は聞いているが、それがどれ程の物なのか、俺はよく知らない。少なくとも料理の類の腕はごく普通だと思うし、言う程不器用でもないと思うんだが……
「あの、彩塔さんがそんなに不器用には思えないんですが?」
「あのね、弓君。硝子ちゃんは、不器用とかそうじゃないとか、それ以前の問題なの。あの子はね、工房に関係する全ての事象に関わっちゃダメなのよっ!」
やや青褪めた顔で、斗李さんはきっぱりと、しかも俺を説得するかのような口調で言い放つ。
見れば、普段は胡散臭さ全開な斉藤の顔がヒクヒクと引き攣っているし、クールと言うかつっけんどんと言うか、あまり表情を変えない物磁さんすらも虚ろな目をして微かに震えているのは何故なのか。
「硝子ちゃんはですねぇ、日常生活に関しては問題ないんです。しかしどうしてなのか、工房関係……と言うか『魔力関係』になると、一気に天然危険物へと化すんですよぉ」
「『矛盾』の愚妹が愚妹たる
は? 「生きた鎧」?
「余り物で超強力な小型爆弾が出来上がっちゃった時は、もう本当にどうしようかと思いましたよ」
え? 「超強力な小型爆弾」!? しかも余り物!?
「まあ、その程度はまだ可愛い方よね」
「可愛いのか!? それで!?」
反射的にツッコミを入れてしまったが、俺としては流石にそれを可愛いとは言えない。
「生きた鎧」なんてのは、俺の中では物語の中のアイテムだし、余り物で「超強力な小型爆弾」って……いや、どの程度を以って「超強力」かつ「小型」と定義しているのかは分らないが、ファンガイア……しかもその中でも恐らくぶっ飛んでいる部類に含まれるであろうこの人達が「超強力」とか言ってしまう時点で、半径一キロは灰と化す物だと考えてまあ間違いないだろう。
……それを、「可愛い」?
――マジで硝子の奴、何やらかしたんだ……?――
不思議に思う俺達に気付いているのか、斗李さんはついと俺から目を反らすと、焦点の合っていない瞳で口を開いた。
「ふ。可愛いわよ。いつだったかなんてあの子、偶発的に拘束専用の人工モンスターを生み出しちゃって。処分に困ったから某宇宙センターのロケットに乗せて月に捨てようとしたのよねぇ。…………結局途中でロケットも事故を起こしたから月には捨てられなかったみたいだけど」
……はい? こぉそくせんよぉのじんこぉもんすたぁ?
いかん、脳が今変換を拒否しかけた。つまり、何かを捕まえる為の人工生命体を、彩塔さんは予期せず作り出してしまったと?
「かんらかんらかんら。あの時は本気で死ぬかと。色々ありましてねぇ……」
「破壊しようにもやたら頑強で破壊など出来ず、捕えようにも逆にこちらが
をい待て。
その日付で、ロケットで、月に捨てようとした挙句、事故……?
「それは映画でも有名な『ア』で始まるロケットの十三号の話じゃねぇかっ!」
「いやぁ、暴れちゃったんでしょうねぇ……船内で。それさえなければ、無事に十三号も本来の任務を果たせたでしょうに」
乗組員全員の命に別状がなかったのは幸いかもしれないが、もしもそれが事故の「本当の原因」なら……それ、結構な国際問題じゃないか?
「まあ、『アレ』が地球に帰って来なかったんで、結果オーライですけどねっ」
「いやいや、全然オーライじゃないです。しかも下手すりゃ人の命に関わってますから」
「まあ、そんな感じのお話が腐る程ありまして。以来、硝子ちゃんは工房に纏わる事を一切禁じられているんですよぉ。当然、出禁です」
腐る程とまで!? しかも家族なのに出入り禁止!? いや、話を聞いていれば「相当」なのは分るけど。
「『矛盾』の愚妹に手伝わせれば余計な仕事が増える。そこで、俺達の事情を知っている貴様を駆り出す訳だ、『灰燼』」
ちらりと冷たい視線を俺に投げ、物磁さんはがっしりと俺の腕を掴んで言うと、そのまま俺をずるずると部屋の外に引きずり出した。
しまった。彩塔さんの「トンデモ行動」とやらに驚きすぎたせいで、いつの間にかなし崩し的に外に!? あ、しかも更にいつの間にか彼らが乗ってきたであろうライトバンに押し込まれてる!?
「……端から見たら誘拐か拉致ですよ……」
「かんらかんらっ! そうでしょうねぇ。だから人気のない早朝を選んだんじゃないですかぁ! 最初っから実力行使のつもりでしたからねぇ。かんらかんらかんら!」
「故意犯か!?」
ツッコミを入れても何のその。
彩塔家三兄弟は、しれっとした顔でそのままライトバンを走らせ、人気の少ない場所へ向っていく。恐らくは彼らの言う「材料の採掘場」に向っているのだろう。願わくはこの風都からそう遠くない場所である事を祈る。
はあ、と諦めの溜息を吐き出して……俺はふと、思い出したように口を開いた。
「そう言えば、物磁さん」
「何だ『灰燼』。異論反論の類なら認めんし、聞かん」
「そこは車に乗せられた時点で諦めてます。この状況で逃げられるとは思ってませんよ。そうじゃなくて。その『灰燼』って、何ですか?」
そう。何故かは知らないが、物磁さんは先程から俺の事を「灰燼」と呼んでいる。俺の中にいるアッシュを指しているのかとも思ったが、どちらかと言えば俺自身……つまり、「灰猫弓」の事を「灰燼」と呼んでいる節がある。
だが、そう呼ばれる理由が分らない。確かに俺は「『灰』猫」という苗字ではあるが、あだ名として「灰燼」に変化するとは思えない。
不思議に思って首を軽く傾げていると、運転席にいる物磁さんはバックミラー越しに俺を見やり……
「仮に掟が変わり、そして仮に貴様が彩塔家の入り婿になるのなら。血筋はないとは言え俺達の一族に連なるのだ。真名を考えてみた結果、貴様に『脆弱ながらも頑健、
……どこから突っ込めというのだろうか。
確かに俺は、彩塔さんが好きだよ。何だかんだでこの間勢い余って「愛している」とか何とか、こっ恥ずかしい事を口走ったともさ。だけどな。アレは正式な告白ではないし、彼女の
当人達がそんな状態なのに、どうして既に彩塔家では結婚する事が前提になってるんだ? いや、別に婿養子に入るとかは良いんだけど……そもそも俺、戸籍上死んだ事になってるし。つまり、その……仮に彩塔さんと俺が、その、あー……
――相思相愛、結婚を約束する間柄になったとして、戸籍の問題があるから公的な夫婦にはなれないってか? アホか、お前――
「一緒に子育てまでしてるって話なんだし、もう既に夫婦みたいなものじゃない。何を今更躊躇っているのやら」
アッシュと、助手席に座る斗李さんの呆れたような声が聞こえる。俺の考えが分るアッシュはともかく、斗李さんは俺の沈黙を躊躇していると受け止めたらしい。
簡単に言うが、結婚というのは本人達にとってはかなり重大な決断だ。そこは周囲がどうこう言って解決するような話じゃない。
……いや、まあ確かに霧雨の事は子育てって言えなくもないだろうけれども……
うう、と唸りながら悶々と考えていると、どうやら「発掘場」に到着したらしい。車に乗っていた時間から察するに、然程風都からは離れていないようだが……物磁さん達につられるようにして降り立ったそこは、全く見た事のない景色が広がっていた。
ほの白く光る岩肌の奥に、薄い桃色の光が見える。かと思えば、そのすぐ脇には玉虫色に光る巨岩やら、植物のように見える鉱石やらが「群生」している。
心なしか空気が甘いように感じるのは気のせいか。
「……これは……?」
「
「『絶望』の女王にでも持って帰ってやれ」
先程俺が「植物のように見える鉱石」と表現した「それ」の「枝」を折りながら、斉藤と物磁さんはそう言ってその「枝」を俺に手渡した。
……キャンディーの、結晶? 何だそれ本当にここは地球上にある世界なのか?
「この辺りの土地には、天然の糖が多量に含まれているのよね。それがこの辺の地下水で滲み出して、鍾乳石のようにジワジワとその『枝』を作ったって訳。って言っても、キャンディーの結晶なんてそんなに珍しくもないでしょう?」
「……いや、そんなサラッと言われても。俺の貧困な人生経験上、こんなのは初めて見ますよ」
苦笑しながら斗李さんの言葉に返すが、三人にとっては「当たり前に存在する物」らしい。然程興味もなさそうに「枝」を避けると、そのまま更に奥へ向ってすたすたと歩き出した。
多分、目的の「材料」はこの奥にあるらしい。ついて歩くと、それまでの白い岩肌から一転して漆黒の岩に囲まれた場所に出た。
「必要な材料はここに埋まっている『共鳴石』と『召喚石』の二種だ。運がよければ『牙石』も見つけておけ」
冷たく物磁さんがそう言い放つと、物磁さんと斗李さんの二人はさっさと近くの岩肌を捜索し始めた。
……とは言え、俺は物磁さんの言う「キョーメーセキ」や「ショーカンセキ」、「キバイシ」などという物は見た事も聞いた事もない。どんなものかも分らない物を「見つけろ」と言われても……呆けるしかない。
だが、斉藤はそうなる事が予測済みだったらしい。俺の目の前に回りこむと、にこやかな笑顔で俺の手の中に小さな蒼い「石」を押し込めた。
「それが『共鳴石』です。先生には、そちらをお渡ししておきますから、それと同じ物を探して下さい」
「同じ物って……」
「近くに同じ物があると光りますから、すぐに分りますよぉ。かんらかんらかんらっ!」
……紫外線を当てると光る石があるのは知ってるが、同じ物が近くにあると光る石って……
不思議に思いながらも、目安があるのはありがたい。黒い岩壁にその石を近付けつつ、俺はそっとその石の変化を見る。
とは言え、そう簡単に見つかるものではないのだろう。石は変化せず、ただほんのりと蒼い色を湛えている。俺がそんな風にのんびりと探している間にも、彩塔家の三人組は次々と目的の物を見つけているのか、かんかんと岩肌をノミのような物で叩いている。
その表情は、真剣そのものだ。多分、彼らにとってこの仕事はひどく大切なのだろう。戦っている時の彩塔さんと表情が被る。流石に兄妹だと、感心する程に。
……兄弟と言えば……あの歌宿って奴と聖守の野郎も兄弟なんだよな。その割には似てなかったし……それに、歌宿は聖守を「サンプル」、「いつかは倒すべき相手」として認識していたようだ。
彩塔さん自身は歌宿と会うのはあの時が初めてだったらしいが、物磁さん達とは関わりがあるみたいな言い方してたな。
「そう言えばこの前、彩塔さん……硝子さんと一緒にいる際、歌宿っていう変な奴と遭ったんですが」
「死ね」
「クズが」
「欠片も残さず失せろ」
俺が言った瞬間、斉藤、斗李さん、物磁さんの順に、間髪入れず答えが返って来た。
しかも、思いきり顔を顰め、殺意の篭った声で。
斗李さんですら、「ああ、この人やっぱり男だ」と納得する程の声の低さだ。
「ああ、勿論今の、弓君に言ったんじゃないのよ? あの……返す返すも憎たらしいジャガーさんに言っただけだから」
「ミスター変態の歌宿にだけは会わせないようにと、必死で食い止めていたんですけど……そうですかぁ。とうとうあの鬼畜女装趣味変態男が硝子ちゃんの前に……」
俺をここに引っ張り出した時よりも、更に据わった目で。斗李さんと斉藤は手の中にあるノミの柄をバキリと握り砕きながら、いつもの口調で……しかし相変わらず低い声のままで言葉を紡いだ。
……この人達と歌宿の間に何があったのかは知らないが、相当に苛立つ事があったのは確かだろう。彼らの様子は、俺がレオを前にした時とよく似ている。
「何か、因縁の相手なんですか?」
「ええ、まあね」
「聖守が硝子の母親である瑠璃さんの仇ならば、歌宿……『高速の拘束、戦慄の旋律』は俺達の母親の仇に当たる」
言葉を濁した斗李さんとは対照的に、物磁さんは何ともないような声で答えを返した。
だが、声だけだ。実際はかなりの憎しみを抱いているんだろう。物磁さんからは痛い程の殺気が伝わってきた。
「奴は純粋に『女を殺す事』に快を見出し、手当たり次第殺している」
「つまりね、快楽殺人者なのよ。あのジャガー」
「しかも、性質の悪い事に……ファンガイア専門なんです。自身がキングになろうとしている本当の理由も……キングの名の下なら、好きなだけ同族の女性を殺せると思っているからなんですよ」
…………成程、そりゃあ確かに性質が悪い。権力を手に入れるのは、自分の悪逆非道な行いを諌める者を排除する為って事か。
そして、斉藤達が歌宿を彩塔さんに会わせようとしなかった理由も理解した。
きっと、恐れたんだ。
腹違いとは言え、妹までもが、母親を殺したのと同じ男に殺される事を。それでなくとも、彼らの母親を殺した者と血の連なる者が、義理の母を殺している。その上妹まで殺されるような事となれば……彼らも、そしてここにはいない織戸さんも、ひどく後悔する事になる。
……ようやく納得した。この人達が、妙に彩塔さんを可愛がっている事に対して。
「だから……先生、気をつけて下さい。歌宿という変態さんにかかれば、硝子ちゃんも、そしてリトル・クイーンまでも、快楽の対象になります」
「要注意しておく事だな、『灰燼』。奴は、機会さえあれば『矛盾』の愚妹や『絶望』の女王を襲うだろう」
言われ、改めてぞくりと背筋に冷たい物が走る。
……あの時、あいつは聖守を回収する事が目的だった。だから、俺達には何も起こらなかった。
だが……俺は奴の気配に気付かなかった。彩塔さんも、恐らくは同じだ。もしも、奴の殺意が彩塔さんや霧雨に向けられた時、俺は……彼女達を守れるのか?
答えの出ない問いを自身に投げながら、俺はここにはいない「エセ淑女」の顔を睨みつけるのだった。