灰の虎とガラスの獅子

【決着のB/灰にするだけ】

「茨の道? 種族を超えた恋愛は、悲劇しか生まない? 上等じゃないですか。……私、障害を破壊するのって大好きなんです。ですから……灰猫さん。一緒に、戦わせて下さいませんか?」
 にぃ、と。とてもじゃないが、「正義の味方」には見えない笑みを浮かべ、彩塔さんは俺の目を見つめてそう言った。
 ……ああ。本当に。この人はどうして、俺の予想の斜め上を行くような行動を取るんだろう。
 純粋なだけの女なら、きっとすぐに釣り合わないと諦めていた。
 強いだけの女なら、きっと可愛げがないと言って見もしなかった。
 だけど、この人は……純粋なくせに善人からは程遠くて、強いくせに抜けていて。
 ……守りたい、守られたい、隣にいたい、隣にいて欲しい。いつの間にか、そんな風に思える「たった一人」に変わっていた。
 だからこそ……俺は、彼女と同じような、決して善人には見えない笑みを返し……
「ホント、あんたって人は。あまり俺を信用するな。……無用心だ」
 最初に彼女に正体を見せた際に放った言葉を紡ぐと同時に、幾度目かの引鉄を引いた。
 その瞬間、連中は姿を再び「ヒト」から「そうでない物」に変えると、左右へ展開して銃弾から逃れようと飛び退る。だが、その辺は今までの経験上予測済みだ。銃弾は俺の意思に応えるように、宙でくいと方向を変え、左へ逃げたレオの両腕、両足の計四箇所を貫いた。
 ちっ、二発外した。
「!! What!?」
 当たった事を不思議に思ったらしい。レオの驚愕の声が耳に届く。
「The association with you is long. I know immediately where you escape (お前とは長い付き合いだからな。どこへ逃げようとするか、すぐ分る)」
「You're an annoying man」
 こいつに忌々しい、と言われるのは何度目だろう。だが、それはこちらの台詞だ。
 そんな俺の隣では、ヒトの姿のままの彩塔さんが、いつの間にかこちらに迫っていた聖守の横っ面に、右手で力の限りの平手打ちをかましていた。
 平手打ち……のはずなのに、聞こえた音はちょっとした破裂音。おまけに叩かれた方の体は、傾ぐとかそういうのを通り越して少し離れた場所に吹き飛び、固い地面に叩きつけられた。
 今まで、拳やら棍棒やらで彼女が「殴る」姿はよく見かけたが、今回のように「叩く」のははじめて見るかもしれない。って言うか平手打ちで人間の体ってあんなに吹っ飛ぶものなのか……?
「聖守。あなたとの因縁もここまでです」
 会心の笑みを浮かせて、彩塔さんは聖守に向って言い放つ。
 左手で右手をさすっているのは、多分打った手が痛むからだろう。
――あれで痛まなかったら、俺結構ビックリするんだけど――
 ああ、うん。それは同意する。
 そして打たれた聖守は、ブルブルと体を震わせながらゆっくりと起き上がる。震えているのは、彼女への腹立たしさからなのか、それともビンタ一つで吹き飛ばす彼女への恐怖か……レオに銃口を向けつつも、そんな風に考えた、次の瞬間。
「ふ、ふふふふふふ。面白いっ! 肉体の頑強さに加え、精神の強靭さも併せ持つか。……その精神が微塵に砕け、我が道具へと堕ちる様、見てみたくなったぞ!」
 高らかな笑い声と共に、狂喜に満ちた声で聖守はそう宣言する。
 体の震えは、怒りでも恐怖でもなく、歓喜から来るものだったらしい。
――うぅわぁ。あの男、イタすぎるわぁ――
「……とことんまで変態ですね」
「それも、同意」
 空笑い混じりのアッシュの声と、半ば引き攣った顔で呟く彩塔さんに言葉を返し、俺は聖守へ冷たい視線を送る。
 未だフルフルと体を震わせ、黒い体の中で形作られているモザイクの一つ一つに、聖守の恍惚の表情が浮かんでいるのを見ると、怖気が走る。
 俺ですらそうなのだ。その狂気を向けられている彩塔さんの感じるそれは、俺の比ではないだろう。
「あの鬼畜は、私が息の根を止めます。ですから灰猫さんは、ご自身の因縁を断ち切って下さい」
「……ああ、わかった」
 彩塔さんに言われるまでもない。
 俺もいい加減、レオとの決着をつけるべきだ。
 今なら分る。こいつを放置してしまった事で起こった悲劇が。こいつは、きっと幾人もの「人」を殺してきたに違いない。……オルフェノクという種を増やし、自分が……自分達が、生き残る方策を見つける為に。
 勿論、それが悪い事だとは思わないし、言えるはずもない。俺だって死ぬのは怖い。生き残る方法を探すレオの気持ちも充分すぎる程に分る。俺達は一度死んでるんだ。それをもう一度経験するなんてのは……俺としては御免被りたい。
 だが、「死ぬのが怖い」のは普通の人間でも同じだ。ましてそれが、理不尽な方法、身勝手な理由からだとすれば……死んでも死に切れない。
 レオは、そんな「死」を生み出した。それを今まで取り逃がしていたのは、俺の罪だ。だから……
「It will be made to finish. Connection with you (終わらせよう。お前との因縁を)」
「It's the words here. You are wrong as an Orpenoch」
 オルフェノクの体から伸びる、ヒトの形をした影は、忌々しげに顔を顰めてそう言い放つと、トン、と軽い足音を立てて俺に向かって駆けて来る。
 それを確認し……俺はまたしても引鉄を引く。狙いはレオの両足に一発ずつ、残りの四発は全て奴の眼球を狙って。
 その狙いに気付いたのか、レオは慌てて自身の目を右腕で覆い、眼球への直撃を免れる。
 レオの最大の武器は、動きの早さじゃあない。動体視力の高さだ。
 だが、目の代わりに銃弾の犠牲になった右腕からは、どくどくと血が流れ、それは地に着く前にざらりとした灰になって宙を舞う。その度に、俺の中に居座るアッシュの存在が濃くなっていくのは……恐らく、生まれ出た「灰」が、「灰燼の記憶」であるアッシュの一部として蓄積されていくからだろう。
「……確かに『オルフェノク』としては、俺の考えは間違ってるかも知れない」
 言って、もう一度引鉄を引く。今度は六発全てを相手の右腕に向けて。
 それも、ただ撃ち込んだ訳じゃない。今まで俺がバレットで付けた傷痕と、全く同じ位置めがけてだ。我ながらこの攻撃はエグい。
「!!」
 やはりオルフェノクの力とガイアメモリの力は、根本的な部分で合わないらしい。普通ならとうに治っているはずの怪我をもう一度銃弾で抉られ、レオは声にならない悲鳴を上げて仰け反った。
 右腕程度で仰け反るなど、いつものレオならありえない。やはり、バレットの力が有効に働いているって事だろう。
「認めてやるよ。オルフェノクとしては間違ってるって。だがな、俺は『元人間』だ。……人間を、捨てられないんだよ」
「……You are disqualification as comrades after all. In the necessity of applying tender feeling to man, there are no we anywhere」
「人間に情けをかける必要はない、か。……何でお前がそう思うのかは知らないが、残念ながら俺はそうは思えない。情けをかけるとかじゃなくて、対等だと思ってるからな」
「Equivalent? Don't make it laugh」
 銃撃を受けすぎて上がらなくなった右腕を抱えながら、それでもレオはきつく俺を睨みつけると、こちらに向かって駆け寄り、渾身の蹴りを繰り出した。
 だが、元々レオはパワーファイターじゃない。まして右腕を襲う痛みは生半可の物じゃないはずだ。集中力の途切れた蹴りは、あっさりと俺の腕に止められた。
 止められた瞬間に咄嗟に俺との距離を取ったのは、おそらく俺が持つ銃を警戒しての事だろう。チッ、ついでに銃弾撃ち込んでやろうと思ったのに。
 物騒な事を考えながらも、レオの様子をじっと見つめる。
 サラサラ、ザラザラと、血だけでなく右腕その物が灰化し始めており、よく見ればそれが全身に伝播しかかっているのが見て取れた。その一瞬後には青い炎がチラチラと上がり始め、奴の「二度目の死」が近い事を俺に伝えてくる。
 今になって俺の銃撃が効いたってのがあるのだろう。
 ただそれが、純粋な物理的ダメージによる結果なのか、それともガイアメモリの力と反発した故の結果なのかは分らない。今までの無理とか、積りに積もった何かもあるんだろう。
 レオも、自身の死を悟ったのだろう。ライオンオルフェノクとしての姿をやめ、苦笑いで青い炎をあげながら、静かに口を開いた。
「What did man do to us? Man fears and persecutes us and, at the end, tries to kill. I thought that you understood」
 人間はオルフェノクを恐れ、迫害し、そして最後には殺そうとする。人間が「してくれる」事なんて何もない。
 ……レオの言いたい事は分る。俺の場合は肉親がそうだった。だから、人間に絶望して、恨んだ事もある。
 だが……だからと言って、それが無関係な人間を巻き込み、霧雨を利用し、そして彩塔さんを人形扱いする理由にはならない。
「分るからこそ、お前を許せないんだろうが。同じように『死にたくない』と願う人間を、お前が殺したんだから」
「……I hate you after all」
 ひょいと肩をすくめながら、レオははっきりと俺を嫌いだと言った。その体から上がる炎は、徐々に勢いを増している。
 もう、レオには時間がない。やったのは間違いなく俺なんだが、やはり「死」を目の当たりにするのはあまり気持ちの良い物じゃない。
 そんな俺の横では、彩塔さんが聖守をしばき倒している音が聞こえる。
 時折何かが割れて砕けるような音が聞こえるのは、聖守の体が彩塔さんによって砕かれているからだろうか。
 ちらりと一瞬だけそちらに目を向ければ、思った通りボロボロになっている黒ライオンの姿と、その鼻頭に向け、今まさに膝をめり込ませ、更にそのまま足を伸ばして相手の頬を蹴り抜いた彩塔さんの姿が。
 …………うわぁ、痛そう……
 同情すべき相手ではないと分ってはいるんだが、今のは流石にちょっと……
 とか思っていると、彩塔さんに蹴り飛ばされた聖守の体が、炎を上げているレオの足元に転がった。
 流石にこの状況では楽しめないのか、聖守の口から漏れる呻きは、どことなく苛立ちを含んでいるように聞こえる。
 そして、逆に。それまでどこか諦めたような表情を浮かべていたはずのレオの顔に……満面の笑みが浮かんだ。
「Do you think that you die without my doing anything?」
「何……?」
 死に際に、何もしないと思ったのか?
 そう言ったレオに声を返したのは、俺だったのか、それともレオに見下ろされている聖守だったのか。
 より一層高く燃え上がる青い炎に巻かれながら、レオは高らかに笑うと、ほとんど灰と化した右の手を足元に転がる聖守に向け……
「It's useless resistance of …… my last …… moment!!」
 ざらりと、レオが崩れ去ったのと。
 ひび割れ、砕けかけた聖守の心臓に、彼の「触手」が突き立ったのは、ほとんど同時だった。いや、恐らく触手が突き立った方が一瞬だけ早かったらしい。聖守の体が、びくりと大きく跳ねた。
「がっ!?」
 俺の耳に、聖守の心臓がドクンと高鳴ったのが聞こえる。その直後、奴の体が目に見えて変質していった。
「な、あ……? 何故っ!? 何故、奴は、俺を……同志であるはずのこの俺をォォっ!?」
 オルフェノクの毒に侵され、叫ぶ聖守。
 正直、何故と言われても俺に分る訳がない。道連れにする気だったのか、それとも別の目的があったのか。
「……強制的に、オルフェノクの力を持ったファンガイアを作り出そうとした……?」
 俺の横で、彩塔さんが小さく呟く。
 成程。確かに奴は、彩塔さんに自分の「子供」を産ませる事で、オルフェノクとファンガイアの混血を生み出そうと画策していた。だが、燃えて散り逝く中、そんな事は不可能と悟り……偶々足元に転がってきた聖守を、奴の言う所の「新種のキング」にでも仕立て上げようとしたって事か。確かに、そういう考えもある。
 ……既に、本心を確認する術はない訳だが。
『お、おおあ……あ、おぉぉぉぉっ』
 心臓を中心に始まった変質は喉にまで達したらしい。聖守の声がくぐもった物になり、顔の左半分がレオに似た灰色のライオンに、右半分は今まで通り……だが、色は更に黒味を増したように見える。
 ジタバタとその場でもがき苦しんでは、口からは言葉にならない、ただの声を漏らすだけ。その目からは、既に理性の色は消えている。
『おあ、ああお、おおあぁぁぁお、おあぁぁぁぁっ!』
「……お、オルフェノクと言うのは……こんなに苦しんで変化するものなんですか……?」
「いいや。大体は一瞬で決まる。こんな風になるのを見るのは……俺も初めてだ」
 たじろぐ彩塔さんの言葉に、俺も掠れた声で返す。
 これは……暴走、とでも言うべきか。オルフェノクがガイアメモリの力と反発するように、ファンガイアはオルフェノクの力と反発している。少なくとも、俺にはそう見える。
「弓にーちゃ、しょこちゃん……かいぶつがいるよぉ……こわいよぉ……」
 周囲に響くような獣の咆哮に、流石に霧雨も恐怖を感じたらしい。「それ」を視界に入れたくないのか、彩塔さんの後ろに回りこんで、きつく目を瞑り彼女の体にしがみつく。
 怪物。言いえて妙だ。今のあいつはもう聖守でもレオでも……そしてオルフェノクでもファンガイアでもない。
 二つの力に苛まれ、苦しむ怪物と言えるだろう。
 だが、それまで声高に上がっていた咆哮が……ぴたりと止んだ。そして、次の瞬間。今まで床にもんどりうって転がっていた「それ」は、唐突に跳ね起きたかと思うと、こちらを一瞥し……
『おおあぁぁぁぁああおあおおあおあおっ!』
 意味の成さない声を上げたかと思うと、即座に俺達との距離を詰め、黒と灰の混ざった、形容し難い色の右腕を無造作に振るった。
「っ!?」
 俺も彩塔さんも、慌てて屈んでそれを避けたが、「それ」は振った右腕を強引に方向転換させ、拳を握ってそれをこちらの脳天めがけて打ち下ろす。
 同時に、相手の右腕からバキリと嫌な音が聞こえたが、労わってやろうという気は起きないし、避けるのに必死でそれどころではない、ってのが本音だ。
 慌てて回避はした物の、俺の頭の代わりに「あれ」の拳を受けたアスファルトは、ぼっこりと陥没し、「あれ」の右腕の半分近くが地に埋まる。
「ちょっとコレ……まずくないか?」
「まずい、と言うレベルをとうに超えてしまっているくらい、危険な生物と化しています。見て下さい、折れたはずの右腕が再生しています」
 彼女の言葉に弾かれたように「あれ」を見やれば、確かに先程嫌な音をしていた右腕が、パキパキと微かな音を立てて治っていくのが見える。
 って事は生半可な攻撃では意味を成さないってか。
『おおあぁぁ、あお、おお……ああああああああっ』
 幸いな事に、腕が地に埋まっているせいで今は動けないらしい。攻撃するなら、今しかない。流石にこんな危険生物を放って置く事は出来ない。放置すれば、この街は更なる混乱に陥るだろう。それは俺のプライドが傷付く。
 とは言え、何か有効な攻撃なんか……
――手、貸してやろうか?――
 アッシュ?
――言ったろ? 「お前自身が、アッシュメモリの役割を果たしている」ってさ――
 ああ、確かに。
 ……待てよ? それなら……
――「灰燼の記憶」と「弾丸の記憶」を重ね合わせた銃弾が撃てる。少なくとも、理論上はな――
 現に翔太郎とフィリップは同時に三種……「サイクロン」、「ジョーカー」、そして「エクストリーム」の力を重ね合わせていた。
 それは多分、そういうツールだからってのもあるだろうが……それなら俺が持っているこの銃だって同じような物のはずだ。全く同じって訳ではないが、条件としてそれ程劣っているとも思えない。
 ある意味、無茶な案だが……それ以外に方法はない、か。
――手ェ貸してやる。オレがいるんだ、地球ほしへの「利用申告」は……分るよな?――
 ……ああ。
 諦めにも似た感情を噛み締めながら、俺は視線を「あれ」に向け、言葉は力を内包する地球その物に向け、そして左手には「弾丸の記憶」を構えて。
 ……その力を借りる為の申告が、口から自然に漏れた。
「……Ash」
――Bullet――
『Maximum Drive』
 マキシマムドライブ。メモリの中の力を、最大限に引き出す「必殺技」を行なうという宣告。だが同時に、その宣告は地球そのものに「少々の負担をかけます」って利用申告でもある。
 ……ってな事を、どうもアッシュの記憶からも引っ張り出せているらしい。少なくとも、俺自身の知識じゃあない。だが、そんなことはどうでもいい。使えるモノはなんだって使うさ。
 力貸せ、アッシュ。奴を灰燼に帰す弾丸を放つために。
――……りょーかい。その代わり、近いうちに対価を支払ってもらうぜ?――
 事後承諾だが……まあ良いさ。「あれ」をぶちのめせるなら。
 楽しそうなアッシュの声に心の中で返し、異なる二つの力を、意に副わない形で与えられた目の前の獣に銃口を向けた。
 瞬間、相手の右腕が地面から抜け、唸り声を上げてこちらに駆け寄る。
「灰猫さん!」
 彩塔さんの警告に似た声が飛ぶ。だが……「奴」の腕が抜けるのは、一瞬だけ遅かった。
 自分の口元に不敵な笑みが浮くのが分るが、それを止めるような事はせず、俺はそのまま出来上がった攻撃の名を宣言した。
灰燼宣弾かいじんせんだん
 「灰燼に帰す事を宣言する弾丸」は、引鉄を引いたと同時に何の反動もなく放たれた。
 形ある物全てを灰に変えるその弾丸は、眼前にまで迫った「それ」の首から下を完全に灰へと変え、力の余波が周囲を巻き込むような形で抉ったような跡を残す。
 残っているのは大量の灰と、首だけになった「聖守だったもの」が少し離れた場所に転がっていた。
「ふぅ。これで終わっ……」
『あ、あお、ああおおう、あぁ……』
「ひっ!」
「っ! 首だけだって言うのに……まだ意識が!?」
 終わったと、思ったのに。半分が灰色、そして半分が黒い、歪なライオンの頭。その口からは、怨嗟にも苦悶にも取れる呻きが、先程よりもいっそう強く漏れ出しているのが聞こえる。
 だが、断末魔の呻きじゃない。何しろ弱まる気配が一向にないんだから。
 足元に隠れるようにしている霧雨は、その異様な光景にガタガタと震えて俺にしがみつき、普段は気の強い彩塔さんも、これは流石に不気味に映るのか小さな悲鳴をあげて口元を押さえて「それ」を凝視する。
 首から下を完全に灰燼に帰してなお、「それ」は俺達をじっと見つめ、あおあおと呻いている。
 ……意識はあるだろうし、ひょっとすると痛覚もあるのかも知れない。だが、断じて「生きて」はいない。あんな状態で生きているなどと、言えるはずがない。
 だが、「あれ」を放置しておく訳には行かないだろう。そんな事をしよう物なら、即座にこの辺は風都の心霊スポットに認定される。「呻く獅子の生首」とか何とか言って。
 とは言え、拾いにいくのも憚られるし、もう一回マキシマムドライブを使うには、地球への負担がかかりすぎるし……
 そう悩んでいたのも束の間。ひゅうと生温かい風が吹きぬけたかと思ったのとほぼ同時。
 ……俺達の視界に「それ」の首を抱え、目に涙を湛えた一人の男が映った。
 格好は……まあ、ごく普通に見かける「英国淑女」のような格好だ。すすり泣く声がハスキーな分、似合ってはいる。ただし、顔は彩塔さんの兄の一人である斗李さんとは異なり、立派な男性にしか見えないので、まあ普通に引くのだが。
 いや、そんな事より、いつの間にこいつ、この場に現れやがった?
「ああ、ああ。可哀想に、可哀想にねぇ聖守。お前はどこで間違った、間違ったんだろうねぇ? うぅうぅ。可愛い弟が砕けた、砕けてしまった。私は悲しい、悲しいねぇ」
 「それ」の頭を聖守と呼び、そしてはらはらと涙を流しながら、その男は愛おしそうに呻く生首を撫で回す。
 鬱陶しく感じる程に特徴的すぎる喋り方に気を取られがちだが、今の言葉はちょっと聞き捨てならない。こいつは今、「聖守」を「弟」と呼んだ。って事は、まさかこの男……
「まさか……あなた……」
「聖守を弟って呼んでる時点で、何となく察しはつく。……あんた、歌宿カインって奴だな?」
「ああそうだ、そうだとも。私は歌宿と名乗っている、名乗っているねぇ」
「今は亡き阿鐘と聖守は幾度か会った事がありました。ですが、この男は……初めてです」
「初めて、初めてだねぇ、君に会うのは。君の兄達、兄達には何度か会っているのだけどねぇ……主に敵、敵として」
 彩塔さんも彼に会うのは初めてなのだろう。きつく相手を睨み付け、警戒心を顕わにしている。
 一方で相手はふわりと「たおやか」と言う表現が一番しっくり来そうな表情をこちらに向けるだけだ。だからと言って、斉藤や物磁さん、斗李さんの敵だと言いきる奴を信用できる訳がない。
「……あんたも、聖守やレオと同じように、霧雨を連れ去ろうとでもしてるってのか?」
「いいや、いいや違うねぇ。私は弟を連れ帰る、連れ帰る為に来たんだよねぇ。私は無力、無力でねぇ。君達と戦うような真似は出来ない、出来ないんだよ」
 ああおお、と呻く生首を再度するりと撫で回すと、歌宿はふふ、と笑った。
 ……顔が男そのものでなければ、一介の「淑女」に見えたかもしれない。あるいは、何も知らなければ、女装趣味の変な人程度で済んだかも知れない。
 だが、無力と言う言葉には同意しかねる。こいつは俺に、気配も動きも悟らせなかったのだから。
「それにグランドクロスの大災害とやらに興味、興味がなくてねぇ。そう言う訳、訳だからねえ。聖守は連れて帰る、連れて帰るよ」
 優しげな声で、歌宿がそう言った瞬間。生首が呻きながら、びくりとその身を震わせたように見えたのは気のせいだろうか。
 勿論、首だけで震えるとか、そんな無理難題が可能とは思えない。
 だが……明らかに、先程まで正気を失っていたはずの生首の目は、歌宿の存在に対して恐怖を抱いている。本能的なものなのか、それとも、聖守の中にある記憶が、反射的に歌宿を恐れさせているのか。
 歌宿も、首が向けている「恐れ」に気付いたのか。一瞬だけきょとんと不思議そうな表情をとった後……その顔が、ニヤリと醜く歪んだ。
「…………この子は貴重なサンプル、サンプルだからねぇ」
「サンプル?」
「ファンガイアにオルフェノクの力を足したら、足したらどうなるか。『彼ら』の研究にはもってこい、もってこいだ」
「……まさか、自身の弟を研究の材料にする気ですか!?」
「勿論、勿論だよ。肉親や血の繋がりなんて無意味、無意味さ。だって玉座、玉座は一つだからねぇ。野心家の弟なんて邪魔、邪魔なだけさぁ」
 ニタァと笑いながら言ったその表情に聖守の顔が重なって見える。だが、あの時よりも生理的な嫌悪感の面では、圧倒的に歌宿の方が上と言えるだろう。
 それは彩塔さんも同じなのか、小さくうっと呻いて顔を顰める。多分、俺も今、思いきり顰め面をしているだろう。
 そんな俺らの表情を、歌宿は満足そうに見つめ……
「弟を始末、始末してくれてありがとう。私はここで失礼、失礼するよ」
 顔に見合わない程「淑女然」とした一礼を俺達に送ったかと思うと……次の瞬間には、歌宿の姿は「生首」と共に消えていた。
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