灰の虎とガラスの獅子

【Gが始まる/三人の獅子】

 グランドクロス。占星術で言う所の、黄道十二宮の中に、四つ以上の「惑星」が配置されて十字を形成する現象。この際、少し前に準惑星に設定されてしまった冥王星と、どういう訳か衛星であるはずの月も、「惑星」に含まれる。
 細かい事は省略させてもらうが、今年のグランドクロスは五つの「惑星」によって形成され、七月初旬に綺麗な十字を描く。
 その前哨戦とも言える、期間中の月食。これが起こるのは六月二十六日。恐らく、この日までの間に、聖守なりレオなりがまた霧雨さんを狙って襲ってくるのだろうが…………
「何だか、平和ですねぇ……」
 怒涛の日々がまるで嘘のように、ここ数週間程はあまりにも平穏な時間を過ごしていた。
 博物館への「デート」以降、灰猫さんと会う機会が減ってしまったのも、「平穏」と言える要因の一つかもしれない。偶にベランダで会うには会うが、挨拶と近況を伝える程度の会話だけ。以前のように互いの部屋を行き来するような事はなくなっていた。
 互いに仕事が忙しいというのもあるだろうが、それ以上にお互いがお互いを避けている印象の方が強い。
 ……正直に言えば、寂しい。それも、凄く。物凄く寂しい。
 自分から避けておいて、何を言い出すのか。冷静な自分はそう思っているのに、愚かな自分は会いたくて仕方がない。
 だけど……会ったらきっと、私はもっと駄目になる。何もかも……誇りも、掟も、一族すらも忘れ、彼の人の事しか頭に残らなくなる。良い所を見せたくて失敗し、ボロボロになる。そして結果、私は自己嫌悪に陥ってまた大きな失敗をしでかす。
 恋愛は成就するまでは負の無限ループだと誰かが言っていた気がするが、まさにその通りだ。
 ふぅ、と深い溜息を吐き出しながら、私はカレンダーを眺める。
 六月も半ば、月食まであと三日。なのに、こうして幼稚園に行っていた霧雨さんを迎え、呑気に帰路についていると言うのも、緊張感に欠けている気がする。
 襲って来いとは言わないが、聖守やレオ、更には彼らの背後にいると言う組織は何を考えているのか。それ程「グランドクロスの大災害」に拘っていないのか、それとも「いつでも奪える」と高を括っているのかは分らないが。
「ねーねー、しょこちゃん」
「はい、何でしょう?」
「弓にーちゃとけんかしたの? なかよくしなきゃ、めっ」
 子供は、時に痛い程ストレートに物を言う。様子から察するに、彼女から見て今の状況はあまり好ましくないのだろう。
 よそよそしく、他人行儀になってしまう「今の私達」を見て、「喧嘩をしている」と思うのは当然だ。
「……喧嘩をした訳ではありませんから、ご安心下さい。ただちょっと……顔を合わせ辛いと言うだけで」
「じゃ、きらいになったの?」
「それもないです。嫌いになるなんて事は……多分、一生、絶対に来ないと思います」
「ふぅん」
 納得行かないのか、霧雨さんは唇を尖らせて疑わしげに私を見上げた。
 嫌えるはず、ない。だけど、怖い。嫌われる事も怖ければ、この想いを告げる事が出来ぬまま死ぬのも怖い。何よりも、いつか灰猫さんの記憶から消えてしまう日が来るかもしれない事が一番怖い。だから、付かず離れずの距離を取る。
 ……「クイーン」が私を処罰の対象と認識しないように離れ、そして灰猫さんが忘れたりしないように付いて。
 分っている。我儘だ。それでも、私は……あの人に忘れられたくない。いつか、私ではない別のひとを見ても、ふとした瞬間に思い出すくらいには……覚えていて欲しい。
 声には出さず、心の中でのみそう呟いた瞬間。見上げていた霧雨さんが、軽く口の端を上げて、さらりと言葉を紡いだ。
「何だか、始まる前から終わりを待ってるみたいに見えるね。あるいは処刑を待つ罪人みたいだ」
「え?」
 その言葉に、妙な違和感を覚える。いつものような子供らしさの欠片もない物言い。
 慌てて覗き込んだ彼女の顔には、普段の彼女からは想像もつかないくらい大人びた……いや、「達観した」とでも言うべき表情が浮かんでいる。
 見てみれば、彼女の左の掌にはうっすらとクイーンの紋章が浮かんでいる。
 それを見た瞬間、畏怖と敬意が同時に沸き起こり、その場に思わず膝をつく。……だが、次の瞬間にはそれを上回る恐怖が、私を支配した。
 きっと、私が掟を破ったから、処罰されるのだ。
 そんな、絶望にも似た思いを抱きながら、私は彼女の小さな掌がこちらに向けられるのをただじっと見つめるだけ。そしてそれが、私の頭上に置かれた瞬間、図らずも体がビクリと震えた。
「怯えなくても良いよ。何もしない。……今はね」
 ゆっくりと。私の頭を撫でるように掌を行き来させながら、「彼女」はたおやかに笑う。
 表情こそ違うが、「彼女」が纏っている雰囲気は……以前レオが襲ってきた時、彼女が力を発動させた時と同じ物。
 ならば今の彼女は「吾妻霧雨」ではなく「クイーン」……正確に言えば、「クイーンの力そのもの」だろうか。
「人間に恋をしたファンガイアを処分する。それは確かにクイーンの役目ではあるけれど、『私』の意志じゃない。そもそも力は意思を持たない事は、君も知っているだろう? 少しだけ『私』に呑まれかけてはいるが、これも霧雨の意識のカケラ。彼女が無意識の内に感じ取った、君が抱いている恋心に反応したに過ぎないよ」
「反応したのは……やはり、掟を破っている事が許せないからですか?」
「違う、その逆だよ。霧雨は君と彼の恋を応援している。だって霧雨に言わせれば、『おきて? 何ソレ?』って感じだもの」
 ……確かに、霧雨さんなら本気でそう言いそうだ。と言うか、四つの子供が「掟」と言う単語を知っているとは思えない。
 それでも、いつかは「掟」と言う単語を、そしてその単語の持つ意味の重さを知る日が来る。そうなった時、彼女が取る行動は……
 思考が再び暗い方へと進みかけた瞬間、私の頭にかかっていた手がゆっくりと降り、その掌に浮かんでいた紋章も消える。
 それは即ち、「クイーン」から「吾妻霧雨」へと戻った事を意味し……
「う? しょこちゃん、どしたの? とにかく、弓にーちゃとなかよくしなきゃ、めっだからね? あと、お膝よごれるよ?」
「……ええ、そうですね。仲良くしないといけませんね」
 先程まで、自分の口がどんな言葉を紡いでいたのかなど、全く記憶にないらしい。いつも通りの、純粋なお子様らしい表情を浮かべ、ペシペシと私の額を叩いて言った。多分、眉間に皺でも寄っていたのだろう。彼女はあまりそう言った表情を良しとしない節がある。
 私の方も苦笑混じりに答えた後、膝に付いた砂を軽く払って、ゆっくりと立ち上がり、霧雨さんに手を差し出す。手をつないで帰ろうと言う意思表示だ。いつもなら霧雨さんもこの意思表示に反応して手を伸ばしてくれるのだが……今日は、違った。
 差し出した手ではなく、足元……ジーンズの腿の辺りを、ぎゅぅっと握り締めてきた。
 その理由は、私にもすぐに理解できた。目の前に現れた、二人の男性の姿を認識した事で。
「Hi. Do you remember me?」
 一方は黒のタンクトップにストーンウォッシュのジーンズ姿。軽く左手を挙げて「覚えてるかい?」などと声をかけて来る辺り、図々しいとしか言いようがない。
 忘れてなどいない。と言うか、いつか来るだろうと思っていた相手の一人。
 ……ライオンオルフェノクの、レオだ。
 しかし……左手? いや、ちょっと待って。確かこの男、前回来た時、霧雨さんがクイーンの力を発動させ、左腕は失ったはずでは? え、義手? そうは見えないけど?
 と、疑問に思うが、実際そこに腕があるのは事実。信じたくはないが、事実は受け止めねばならない。
「久しいな、白城の獅子」
 そして、レオだけでも厄介だと言うのに、もう一方の男……二丁の拳銃を腰にぶら下げた勘違いカウボーイも、ついとテンガロンハットの鍔を上げ、こちらに一瞥をくれる。
 いつか来るだろうと思っていたもう一人の相手。個人的にも恨みを抱かずにはいられない存在。
 ……闇色をしたライオンファンガイア、聖守。
 何人か存在する「ライオンファンガイア」の中でも、「漆黒の獅子」の二つ名を持ち、それに倣ってなのか人の事を「白城の獅子」などと呼ぶこの男。
 今までも幾度か厄介な、と思ってきたが、今回は本気で厄介だ。思わず奥歯を噛み締め、殺意の篭った視線で二人を睨みつけてしまう程に。
「……本当にお久し振りですね、聖守。噂には聞いていましたが、相変わらず壊滅的なセンスで街中を闊歩しているようで」
「会うのは四十五年振りだったか。今回は母親の仇とやらは取れそうか?」
 淡々と、聖守は人の神経を逆撫でするような言葉を放つ。
 ……五十八年前のある冬の日。この男は、私の母を殺した。それも、酷く残酷な方法で。
 その方法は覚えている。だが、その後……聖守が去り、私が父や兄達に見つけて貰うまでの時間に関しての記憶は曖昧だ。残ったのは、白い雪の上に散らばった色取り取りの残骸と、聖守への憎しみと怒り、そして己の無力への嘆きと言った物だけ。
「……何故あんな事を、などと聞くつもりはありません。今更ですので」
 聖守が何の目的で私の母を殺し、そして私を見逃したのか。そんな物を知ったところで死者は帰って来ないし、私の憎しみが消える訳でもない。それこそ、今更だ。
 だから……私は今を見る。今、聖守とレオが目の前にいて、明らかに霧雨さんを狙っているであろうこの状況を。
「ですから、黙って今すぐ死んで下さい。あなたの……いいえ、あなた方の存在その物が非常に迷惑です」
 こんな、放っておいたら害悪にしかならないような連中を生かしておく事など私には出来ない。
 こちらの、敵意を通り越した殺意に気付いたのか、レオは軽く眉を顰めるとその隣にいる聖守に向かって気だるそうに問いかけた。
「Hey Seth. May she kill?」
「Capture her alive if it is possible」
「……It's troublesome」
 面倒だと言いながらも、レオはヒトの姿のままこちらに向かって距離を縮め、左拳を固める。一方の聖守もヒトの姿のまま腰から提げた銃を引き抜き、こちらにその銃口を合わせている。
 霧雨さんを捕えるためには、まずは邪魔な私を始末しようと言う魂胆なのか。
 慌てて聖守の射線軸上から身を反らし、振り下されたレオの拳を両手で受け止める。
 瞬間、レオの手の感触に思わず顔を顰め、霧雨さんの側まで跳ぶ。それを訝しんだのか、それとも彼らの存在に本能的な恐怖を覚えているのか。霧雨さんは小刻みに震える手で、私の服の裾を引っ張った。
「しょこちゃん?」
「……大丈夫です。ちょっと驚いただけですから」
 そう、驚いたのだ。レオの……再生した左手の冷たさに。それも、金属のような冷たさではない。屍肉に触れた時のような感触。
 オルフェノクは一度死んだ人間が蘇った者だという事は知っているが、少なくとも体温はあった。それは先日この男と戦った時にも確認済みだし、博物館でつないだ灰猫さんの手も温かかった。ならば、今の感触は「オルフェノク特有の物」ではない事になる。
 ……やはり義手か? いや、それはない。レオがタンクトップを着ているのは、恐らく「肩から先に触れた物を灰化してしまうから」だ。袖がある服を「着ない」のではなく、「着られない」と考えるのが正しいだろう。つまり、義手を着けようにも、オルフェノクという身体的特徴が邪魔をして義手を灰にしてしまうはずだ。
 勿論、仮説に過ぎないので絶対にないとは言い難いが……今までの事から判断するに、可能性はかなり高い。では、あの冷たい腕は一体?
「My cell still becomes familiar with the body. Express gratitude to the foundation」
 自身の手を握ったり開いたりしながら、レオは心底嬉しそうに言う。
 ……自分の細胞は馴染む? 財団?
 聞こえて来た単語をつなぎ、そして今までの知識、記憶を元にある仮説を立てる。
 ……レオと聖守が属すのは、「財団」と呼ばれている「ミュージアムよりも大規模な組織」であり、そこがレオの細胞を増殖するかして、彼の左腕を再生したのだろう、と。
 それならレオの左腕が灰になっていない理由になる。やたらと冷たい理由にはならないが、血が通っていないせいかも知れない。少なくとも、現段階ではあの左腕は「生きていない」。付け入るならそこか。
 咄嗟に判断しつつ、今度はこちらから距離を詰める。レオに、ではない。聖守に向かって。
 何しろ相手は銃を持っている上に、いつまでも人にその銃口を向けているのだ。いくら私がファンガイアだと言っても、撃たれれば痛いし怪我もする。当然死に到る事だってある。大体、持ち主はあの聖守だ。ただの銃であるはずがない。
「ほう、こちらに来たか」
 淡々とした口調で言いながら、乾いた破裂音が二回。一瞬後、銃口からは二発の銃弾。しかもご丁寧にも頭の部分に十字の切れ込みが入っている。体内に入ると欠片が四散するようにと言う、痛々しい配慮だろう。
 忘れていた。聖守は涼しい顔して他人をいたぶるのが大好きな、真性のサディストだった!
 瞬時に判断し、慌てて足元の石畳を一枚剥がすと、それを盾にして銃弾を防ぐ。だが、これは私に大きな隙を生ませた。無防備になった背に、レオのハイキックがクリーンヒット。一瞬、視界が暗転する。
 だが、ここで膝を付く訳には行かない。安定しない視線を無理矢理レオに固定し、蹴った直後で体勢を立て直すレオの足を払い、大きく体勢を崩した所で力の限りその胸板を蹴り抜く。
「……Ha!?」
 肺腑を蹴り飛ばされた事で、その中の空気が押し出されたらしい。レオは苦しげに大きく目を見開き、後方へと吹き飛んでいく。
 吹き飛びながらも体勢を整え直す辺りは流石と誉めておくべきか。
 それにしても……何故、レオも聖守も「ヒトの姿のまま」で戦っているのか。聖守に関して言うならば、拳銃を使うよりもファンガイアとしての姿をとって戦う方が確実に強いはず。レオだって、前回出会った時の事を踏まえれば、オルフェノクとしての姿の時の方がスピードも腕力もあった。
 他人の事をいえた義理ではないが、何故わざわざ色々な面で劣る「ヒトの姿」で戦っているのか。霧雨さんを拉致し、私を殺すつもりならば、最初から本気で来れば良い筈だ。
 不審に思いながらも、私は再び霧雨さんの前に立ち、二人の男の様子を見やる。
「……ふ、流石ルークとなっただけある。冷静に状況を判断し、クイーンを守るその気概は感嘆に値する」
「You are still strong. When the opponent is you, it's very happy」
「あなた方に誉められても、ちっとも嬉しくありません。Even if it is praised by you, I'm not glad at all」
 「感嘆する」だの「戦っていて楽しい」だのと言われて喜ぶほど、私は単純なつくりはしていないし、そこまで戦闘馬鹿でもない。
 何度も言っているが、出来る事ならひっそりと、せせこましく、穏やかに生きていたいのだ。
「だが、やはり無傷で捕獲、とは行かんか」
「It's unquestionable even when living even if she doesn't have hands and feet」
「な……っ!? そんな事、させません。絶対に!」
 手足がなくても、生きていれば良い!? 冗談ではない。聖守がそういう事を平然としでかす存在だとは理解していたが、そんな惨い事を霧雨さんにさせるものか。
 カッと頭に血が上り、思わず聖守に向かって殴りかかりそうになる衝動を押さえ込みつつ、私はゆっくりと相手から距離を取る。
 ルークと言う肩書きがある身の上とは言え、この二人を同時に相手取るのは少々至難の業。しかも一方はこちらがやりにくいスピードタイプであり、もう一方は存在その物を否定したくなるような男。
 冷静な判断が出来そうにない状態で、なおかつ苦手な相手と戦うとなると……霧雨さんがいる現状では、いつも以上に消耗するのが目に見えている。ここは一度、霧雨さんを安全な場所に隠して……
 そう思った刹那、聖守の銃口が再び火を吹き、私の足元に着弾する。
 それが威嚇である事は分っている。怯むような物ではない。
 しかし……私はそうだと分っていても、私の後ろに居た霧雨さんにはそう映らなかったらしい。小さく悲鳴をあげ、ガタガタと震える体で私の足にしがみついた。
 まあ、それはそうだろう。ある意味今の威嚇は霧雨さんの目の前を弾が通り過ぎたような物だし、何より聖守は彼女にとってご両親の仇だ。大泣きして、その場に座り込まないだけで充分気丈と言える。
「逃がさん。それに……捕獲の対象はクイーンだけではない。貴様もだ、白城の獅子」
「は?」
 言われた意味が分らず、思わずきょとんと目を開く。何でそこで私が出てくるのか。一瞬、自分の力も「グランドクロスの大災害」とやらに使う気なのかとも思ったが、すぐに否定の言葉が出てくる。それはない。何故なら、先日、レオが私を殺そうとしたからだ。使う気ならば最初から殺そうとはしないはずだろう。では、何故?
 不審に思う暇もあらばこそ。言葉と同時に、今度は威嚇ではなく本当にこちらの足を狙った聖守の銃弾が飛び、こちらは霧雨さんを抱きかかえると、慌ててその銃弾を避ける為に再び後ろへと飛び退る。しかし、着地の寸前にレオの右手の五指がひゅるりと伸び、地に着いたばかりの軸足に絡みついたかと思うと、勢い良く人の足を引いた。
 当然、私はバランスを崩し、後ろに倒れる訳で。霧雨さんを離す訳にもいかないので受身も取れず。
 ……ズガゴンっ、と言う鈍い音が頭蓋に響き、その一瞬後に痛みが襲ってくる。無意識の内に痛いと口走っていたかも知れない。……と、呑気に思っている場合でもなく。未だ足に絡みついたままになっているレオの指が、ずるずると私の体を引き摺り、彼らの側へと引き寄せられている。
 慌ててその指を蹴り飛ばすが、レオは楽しげに低く笑うだけ。こうなったらこの指を斬ると言う手段にでるべきなのだが、生憎と私には「斬る」為の武器はない。
 ……このままでは、霧雨さんごと捕まってしまう。それは目の前の連中にとって、鴨が葱背負ってくるような物だろう。しかしここで彼女だけを逃がそうとしても、聖守が黙って逃がすはずもない。霧雨さんのペンダントに施された結界刻印は、彼女に傷を付けない物であって、拉致から護る物ではない。
 痛む頭で考えを巡らせるが、焦りと痛みのせいで上手い考えも出てこない。とりあえず引き寄せられる速度を落とす為に、足掻く事は忘れない。それでも距離は徐々に縮まっているのが分る。
 何か、何か最悪の状況を回避できる方法……ってそんな上手く浮かんだら苦労しません!
 と自分自身にツッコミを入れた瞬間。
――Bullet――
 ガイアメモリの機動音の直後、ほぼ間を置ない六発の銃声。レオ、聖守の両肩に一発ずつ、そしてレオの右手に二発で、六発全弾命中している。
 その弾丸に驚いたのか、レオの指が私の足から離れ、私は自由を取り戻す。
 今の攻撃は……私を、助けた? でも誰が?
 解放されたのを機に、慌てて聖守達から距離を取りつつ、私は音がした方を見る。私とも、聖守達とも少し距離のある場所。そこには赤い銃のような物を構え、少し驚いたような表情をしている灰猫さんの姿があった。
 ……このタイミングで登場とか、あなたどこの白馬の王子様ですか、灰猫さん。また私アホな思考に飛びますよ!? と言うか今のもかなりアホな思考です。
 灰猫さんと言う救世主の登場に、安堵と別の意味の動悸を覚えながら。私は彼の人の姿に、じっと見入ってしまっていた。

 ……月食まで、あと八十時間。
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