灰の虎とガラスの獅子
【Kに会ったら/独りきりの舞踏会】
――かなり病んでんな、あのおっさん――
去っていくここの館長……琉兵衛さんの背中を見送る俺に、アッシュが小ばかにしたように囁いた。
病んでいると言う表現が適切なのかどうかは分らないが、少なくとも、以前は悪人めいた表情を表に出すような人じゃなかった事は確かだ。裏ではどうだったのかまでは知らないが。
人生経験上、裏表のない人間なんていない事は重々承知している。だから、一見人の良さそうな琉兵衛さんも、何かしらの裏があるに違いない。ひょっとして、その「裏」が表に出始めているって事なのか?
……園咲琉兵衛。風都屈指の大富豪。その財の大半は、彼の所有する土地から出土した博物館の「展示品」がもたらした物と噂されている。元々が富豪だっただけに、更なる勢力拡大はしやすかっただろう。
以前、地方紙のインタビューか何かで、出土品を展示した理由を聞かれていた時、「かつての文化と、歴史を振り返る機会を、愛する風都の住人達と共有したい」と答えていたのを覚えている。
実際、この風都博物館には絶滅した種の化石や剥製が多く展示されている。他にもどことなく、「滅び」や「死」、「崩壊」を連想させる展示物が多い気がする。
……まるで、琉兵衛さん自身が、「崩壊」を恐れているように。
と、俺が思った所でどうにか出来る物でもない。そう言うのは、自分自身、もしくは自分に近しい存在が解決する物だ。
そんな事を思っている間に、特別展の前まで来ていたらしい。遙か昔、教育番組で見たような埴輪のきぐるみと、何故か分らんがこの街のマスコットであるふうとくんがツーショットで客寄せをしていた。
「……何と言うか、あれってちょっと、はにま……」
「駄目! 彩塔さんそこは駄目! 馬の埴輪のきぐるみがいないし、版権の問題あるから言っちゃ駄目! 俺もチラッと似てるとは思ったけど!」
純粋に似ていると言いたかったのだろうが、いかんせんNではじまりKで終わるテレビ局の番組キャラの名前。そう易々と口に出して、後日「受信料の集金でーす」とかやって来られても困る。そもそも俺の家にテレビは存在しない。情報源は携帯電話とラジオだけだ。
あそこで客寄せしているのは、おそらく本家の埴輪王子ではないのだろうが、埴輪の顔はデフォルメすると、どれも同じような顔にしかならない。どう頑張っても、「はにゃ?」が口癖の埴輪王子に見えてしまうのが恐ろしい。
特別展とは言え、ここも順路だ。立ち止まっているのも難なので、俺は彩塔さんの手を引いてそのまま先に進む。
「土偶や埴輪、兵馬俑と言った土人形は、王侯貴族を埋葬する際、その付き人として一緒に生き埋めにした者達の代わりとして作られた、か」
入ってすぐのところにあるパネルを読みつつ、俺は飾られている人形達に目を向ける。
長年墓に埋められていたそれらは、崩れ、欠片になった物を再度組み上げられた物らしく、所々真新しい色で補完されている。
人の代わりに埋められ、土に還る事も許されなかった人形達は、千年以上の時を経て掘り起こされ、こうして飾られる。
それはそれで哀れかもしれない。元の場所で殉ずる事も許されず、ただ人々の見世物として扱われる。身代わりだと言うのなら、本来あるべき場所で、静かに眠っていたかっただろうに。
……死ぬ事も許されず、生き返ってしまった俺が、居場所を見つけられなかった時のように。
「身代わりと言う意味だけではなく、墓の周囲に置く事で結界にしていたと言う考えもあります」
「結界?」
「はい。この時代の人間には、まだ魔力や魔族と言った概念が強く残っていたのでしょう。他種族に比べて腕力や魔力に劣っているヒトという種は、己を、そして己の死後を守る為に、こう言った土人形を作り、並べた」
言うと同時に、彼女は目の前にあるショーケースをこつこつと叩き、中の埴輪を指し示す。そこには、奇妙な模様の彫られた埴輪が並んでおり、顔はどこか遠くを睨んでいるようにも見える。
「あれは結界刻印です。一部が欠けてしまっているので、今はもう作用していません。作用していたら、私はこのショーケースに触れられなかったでしょう」
苦笑気味に言いながらも、彼女はその埴輪を見つめる。正確には、それに刻まれた模様を。
言われれば、何かの模様に見えなくもない。線の入り具合では所々五芒星が出来ているし、それを正五角形が囲んでいるのも見える。
他にも何かしらの模様があるようだが、俺の貧相な知識では五芒星と五角形を見つけるだけで精一杯だし、仮に他の模様が刻まれていたとしても俺にはきっと理解出来ないだろう。と言うか、今の時代にそれを理解出来る人間がどれだけいるかって話もある。
それにしても、彩塔さんがショーケースにも触れられないくらいの結界って……たかが土人形と侮ってはいけないと言う事か。成程、勉強になる。
「それに、土偶などは人柱の代理と言うより、豊穣の神を模した物ではないかと言われています」
「……あんな顔した神様は嫌なんだけど、俺」
「価値観は時代によって変化する物ですよ? 中世ヨーロッパでは、脂肪を蓄えている者が美しいとされていましたし、平安美人だって現代で美人として通用するかどうか……」
まあ、確かに。絵の問題もあるのだろうが、平安時代や江戸時代の美人画を見ても、正直美人だとは思い難い。
そう考えると、土偶を作った当時は、アレが神様なんだと、本気で思っていたのかもしれない。いや、でもやっぱり怖いよあの顔。
「それに、灰猫さんが仰っているのは遮光器土偶の事ですよね? 実は、土偶には板状の物もあるんです」
「それ、土偶って言って良いのか?」
「土偶の定義は、ヒトもしくは精霊を模した、縄文時代に見つかった土製品ですから。『土の偶像』と書いて、土偶です」
成程、土の偶像と書いて土偶、ね。何と言うか、俺よりも表現力と説得力があって、ちょっと凹むんだけど。俺、一応職業作家だぜ?
それにしても、よく知っている。博物館の説明パネルに書かれている以外の事も、何気に詳しい。
……彩塔家の基礎知識なのか、それとも……今更だし、非常に失礼なのだが……年の功と言う奴なのか。忘れがちだが、彼女俺より遥かに年上だし。つまり、彼女からすれば俺はお子様って事だ。
……うん。やっぱりないな。俺が彼女の恋愛対象になるなんて事は。きっと今、手をつないでくれているのだって母性本能の延長か何かだろう。俺が彼女に好きになってもらえる要素はどこにもない。
――お前、本当に根暗だな――
あのな、大学時代に誰かに階段から突き落とされた挙句、生き返って親族郎党から化物扱いされりゃあ根暗にもなる。
オルフェノクになってからの俺の座右の銘を教えてやろうか? 「信じられるのは自分だけ」だぞ。
――その自分すらも信じてねーくせに――
フン、と鼻で笑うように言うと、アッシュの気配が遠のく。リンクは切れないとか言っていたから、多分俺の潜在意識下に引っ込んだだけだろう。それでも、声が聞こえなくなるのは現状ではありがたい。
あっちにその気がなくても、俺にとってはデートみたいな物だ。余計な邪魔は入ってほしくない。
「……指輪、着けていらっしゃるんですね」
「え? ああ。折角の貰い物だし、結構デザインも凝ってるし」
左手の中指に嵌めた白っぽい色の指輪に気付いたらしく、彼女はどこか嬉しそうだ。
勿論これは、昨日貰った物。実際、結構この虎のデザインは気に入っているし、色合いもシルバーアクセサリーみたいで悪くない。おまけにサイズも、まるで測ったかのようにぴったり。
それに……これは気のせいかも知れないが……いつもよりも体が軽い。普段は、軽い倦怠感が常に付きまとっているのだが今日は、と言うか指輪を着けてからはその倦怠感が消えている。
体力値を上げる指輪と言う触れ込みは、まるっきり嘘と言う訳でもなさそうだ。
「良かったです、気に入って頂けて」
「ああ。でも……本当に、良かったのかな? 俺が貰って」
「と言うより、灰猫さん以外の存在が手にしても、何の意味もないかと。基本的に、オーダーメイドなんですよ、あの二人が作るアクセサリーは」
俺の素朴な疑問に、彼女はにこりと笑って答える。その笑顔は、子供をあやす母親のような印象を抱かせ……やはり俺は、彼女にとって「弟分」みたいな存在なのだと思わされた。
好意を抱いてはくれている……と思う。そうでなければ、自分の正体など明かさないだろうし、そもそも俺を博物館への案内役に選んだりしない。案内が欲しければ、交番なり何なりに聞けば良い。そうしなかったのは、間違いなく好意の表れだろう。そこまでの自惚れは許されていいと思う。
だが……きっと彼女の好意の形は、俺が望む好意の形ではない。
それとも俺が、好意の形が違うからと思い込んでいるが為に、そう見えているだけなのか。第三者から見れば、今の彼女の笑顔は、恋人に向けるような物だったのか。
……どちらにしろ、決定的な事実がない以上、断定は出来ない。そして断定できない事を良い方向に取るなど、俺には出来ない。
思い込んで、裏切られて、泣きを見るのはもう沢山だ。泣きを見る羽目に遭うのなら、もう少し……もう少しだけ、現状のままが良い。
「……もうすぐ、出口だな」
「…………そう、ですね」
人の数もいつの間にかまばらになり、少し離れた扉からは、入る前より少しだけ暗い陽の光が射し込んでいる。
家は隣同士で、今すぐ別れると言う訳でもないのに、どちらからと言う訳でもなく歩みが徐々に遅くなる。
……出たくない、もう少しこのままでいたい。ここを出たら、手をつなぐ大義名分を失う。もう少しだけ、この人の体温を感じていたい。少なくとも、俺はそう思っている。ひょっとしたら、独占欲もあるのかもしれない。
外に出たら、彼女は霧雨に奪われてしまう。彼女の最優先事項は「ファンガイアのキングとクイーンの守護」であり、「俺との付き合い」ではない。むしろ俺と言う存在が、守護と言う仕事の邪魔をしている節もある。
それを考えれば、早く出た方が良い。こんな風に、ゆっくり歩いているのは彼女にとって迷惑だ。
でも、出たくない。少しでも長く、彼女と一緒にいたい。軽く握っていた手に少しだけ力を込めると、一瞬だけ彼女が戸惑ったように目を見開き……だが、すぐに彼女も今までより、ほんの少しだけ強く握り返してくれた。
「…………人、多いな」
「……そう、ですね。はぐれてしまいそうです」
言う程人は多くない。はぐれる様な事は、もう起こらないだろう。
分り易い嘘だ。なのにそれに付き合ってくれる。
……彼女は、優しいから。
分っているのに離せないのは、やはり俺の我儘だ。だけど、せめて、この空間の中でくらいは。
なんて思っている内に、俺達は博物館の外へと足を踏み出し……そして、ゆっくりと手を離す。それで終わり。いつもの……普段の「ちょっと変わったお隣さん」の関係に戻ってしまう。
「……今日は、ありがとうございました、灰猫さん」
「いや。困った事があったら、いつでも言ってくれ。って言っても、締め切り直前は斉藤……いや、帝虎さんがピリッピリしてるから難しいだろうけどさ」
「ああ見えてあの害虫は真面目さんですからね」
普段しそうな会話を交わし、「共通の知人」である斉藤帝虎をダシにして話に花を咲かせる。
……これが、現実。さっきまでの甘いような空気は幻だ。そう自分に言い聞かせ、出来る限りいつも通りの表情を作って話を……
――Masquerade――
……唐突に。それこそ、人の「堪えよう」という意思を打ち砕くようなタイミングで。ガイアメモリを起動させた時に聞こえる音声……ガイアウィスパーとか言う奴が、俺の鼓膜を叩いた。
これが聞こえたと言う事は、すぐ近くにドーパントがいると言う事。しかも、メモリは「マスカレイド」。
――ああ、量産可能な「仮面」の連中か――
ガイアウィスパーに反応したのか、今まで引っ込んでいたアッシュの気配が再び浮上する。
こいつ自身が「地球の記憶の一部」である為なのか、ドーパントに関して、少なくとも俺よりは詳しい。「量産可能」と言う表現をしたと言う事は、下手をすると同じ様なドーパントが多数現れる可能性もある。
俺と彩塔さんが警戒心を顕わにしたのと、そいつが物陰から現れたのはほぼ同時。黒タキシードに身を包み、顔は多足類の足、もしくは肋骨を連想させるような白い模様が施されたフルフェイスの仮面。
そいつが軽やかなステップを踏みつつ、こちらに向かって近付いてきた。
「ドーパント!」
「チッ、こんな時に……!」
警戒し、いつ戦闘に入っても良いよう、俺も彩塔さんもぐっと拳を固めた瞬間。
相手は軽やかなステップを踏んだまま、ブンブンと手を横に振り……
『いやいやいやいや、そんな睨まないでよ~、こっちだって仕事なんだからさ。それに、戦うつもりはこれっぽっちもないんだよぉ』
……何と言うか、物凄く聞き慣れたようなノリで、そんな事をのたまった。
このノリ、斉藤に近しい物を感じるんだが、気のせいか? 声は全然違うし、仕草もこれまた違うんだが……ドーパントに関しては、声は変幻自在だから違うとも言い切れないし……
同じ事を彩塔さんも思っているのか、ぽかんとした表情を浮かべつつも、嫌悪混じりの視線をマスカレイドに送っている。しかし相手はこちらの困惑など気にした様子も見せず、くるくる回って俺達との距離を縮め……
『はい、これあげる。こっちはシャッチョさんからで~、こっちはボクのボスから』
俺達の前で止まると同時に、何かを差し出す。彩塔さんの前には「Q」と描かれた一本のガイアメモリ、そして俺の前には赤い拳銃っぽい物と「B」と描かれた鈍色のクリアカラーのガイアメモリ。
「これ……ガイアメモリですよね?」
「……何を考えてやがる、マスカレイド!」
差し出されたガイアメモリを払い飛ばそうとした物の、マスカレイドはひょいとそれをかわし、くるりとその場でターン。
その仕草は、マスカレイドの名に恥じぬような……踊っているような仕草だ。そう言えばこいつ、俺達の前に現れてからと言う物、一回も歩いていない。常にステップを踏んでいる。
『えー、マスカレイドって言うメモリの名前で呼ばれるの嫌いなんだよね。ボクの事を呼ぶ時は、クークって呼んで』
「クーク……?」
『そ。スペルはK・O・O・K! 変人、狂人って意味だねっ! ちなみに、ボスからのプレゼントのメモリは、人体に挿すものじゃなくて、こっちの銃に挿す用だから、安心してよ。シャッチョさんからのは人体用だけど』
クークと名乗ったマスカレイドドーパントは、そう言うと手に持っていた「プレゼント」を俺達に向かって放り投げる。投げられた物達は、綺麗な放物線を描いて俺達の手に収まる。
赤い銃はどことなく翔太郎のベルトに似たデザインをしており、カートリッジ代わりらしいメモリには六発の弾丸らしき物で「B」と描かれている。
――へえ。広範囲型の「ボム」じゃなくて、一点集中型の「バレット」か――
バレット……弾丸。成程、確かにそれなら拳銃型の武器が良いだろう。
それにしても、俺の武器は遠距離、一点集中系ばかりだな。もう少し近距離もカバーしたい所なんだが?
――いや、お前戦い方が遠距離で慣れてるから無理だろ。今更剣とか斧とか、扱えるか?――
……すまん無理。悔しいけど。
――まあ、それよりもだ。オレとしちゃあ、硝子に渡った「クイーン」の方が気になるね――
クイーンって……え!? それって霧雨の事じゃないのか!? と言うか、どんなドーパントになるんだよそれ。辣腕ふるって男共をひれ伏せさせるようなドーパントか!? あるいは外装を脱ぐと物凄く早く動けるとか!?
――弓、この地球上、一体何人の女王がいたと思ってるんだよ。って言うか何だそのイメージ。チェスか。そもそも「クイーン」が司るのは攻撃じゃなくて「絶対防御」だ――
絶対防御って……あまりクイーンってイメージじゃなくないか?
――バァカ。女王ってのは最後の砦だ。王不在の時は城を守り、王がいる場合は王を守る。「絶対防御」ってのは、物理的にも精神的にも守護する事を指すんだよ――
……守護する、か。成程、確かにそれなら彩塔さんにぴったりだ。何せ彼女は「守る事」が仕事なんだから。
「受け取れません。こんな……恐ろしい物」
『良いけど、持って帰っても別の人にあげる事になるし、それはシャッチョさんも君も望まないでショ? 使わなきゃ良いだけの話だし、受け取ってくれると嬉しいな』
おっと、アッシュとの会話に気を取られている間に、クークと彩塔さんの間でメモリを受け取る、受け取らないの口論が。
実際、ガイアメモリを挿すのは恐ろしい。俺みたいに自分の中に記憶が住み着く事は稀だとしても、心の底の悪意は確実に暴走する。どんなに取り澄ましていても、心のどこかでは暗い思いがある物だ。仮に彩塔さんのそれが暴走したら…………少なくとも、後で彼女が後悔する様な事が起こるのは目に見えている。
「ならば、今ここで壊すべきです」
『壊しても良いけど、ボクがいなくなってからにしてね。流石に目の前で壊されるとかは阻止しなきゃいけない立場だからサ。……とにかく今はソレ、しまってくれる?』
「……わかりました」
後で壊すって事で話は付いたらしく、彩塔さんは渋々と言った風にそれをズボンのポケットにしまう。綺麗な顔が顰められているところを見ると、クークが消えたら即壊すつもりらしい。
一方のクークは、しまわれたのを見て実に満足気に首を縦に振っている。ドーパントであるが故に表情は分らないが、もしも斉藤と同類だとしたら、きっと今、物凄く嘘臭い笑顔をしている事だろう。
だがすぐに、何かを思い出したのかぽんと手を叩き……
『あ、そぉだっ! 君達気を付けた方が良いよっ! 君達が引き取っているお嬢ちゃんを狙っているのは、実はとある組織でさぁ。君達二人、その組織に邪魔者認定されてるんだよね~』
「それは、ガイアメモリを売っている組織……ミュージアムの事ですか?」
ミュージアム。昔、荘吉さんから聞いた事がある。それがガイアメモリを売り捌いている組織であり、荘吉さんが生涯かけて潰すと誓った組織らしい。しかし、その組織の事を、どうして彩塔さんが知ってるんだ?
と言うか、そもそも霧雨を狙っているのが組織だと言うのなら、レオ達もそのミュージアムに属している事になる。しかしそれならガイアメモリを売り捌く意味がわからない。
そんな事を考える俺に気付いているのかクークは無意味にその場で後方宙返りを一つすると、着地と同時に腕を大きくクロスさせ……
『ブッブー。は~ずれ~。ミュージアムみたいな、そんな小規模な組織じゃないよぉ~。もっと大規模なトコ』
ガイアメモリを売り捌く組織は小規模とは言わないと思うんだが。って言うかそのポーズ何かムカつく。無条件で殴りたい。
彩塔さんも同じ事を考えているのか、口元にのみ笑みを湛えつつ、ぎゅりっと言う変な音が聞こえるくらい、拳をきつく握り締めている。
だが、こっちの苛立ちに関してはスルーらしい。クークはスタタンスタタンと軽やかにフラメンコっぽいステップを踏みつつ、息一つ乱さず言葉を紡ぐ。
『君達の敵は、もそっとワールドワイドなんだよね~。あ、ボクのボスの殲滅対象はミュージアムだけど』
……こいつのボスって、どんな奴なんだ。こんな、「自称変人」を部下に従えているなんて……こいつと同じ変人の類か、あるいは余程懐が広くて温和な奴かのどちらかだろ。
『まあとにかくさ。グランドクロス直前くらいが一番忙しくなるかもだから。それまでのんびりしてると良いと思うよ。ラ~ブラ~ブ』
胸の前でハートマークを作りつつ、クークは語尾に八分音符でも付きそうな声で言う。おまけに、言い終わると同時にひらひらと手を振り……大きく後方へ飛び退ったかと思うと、そのまま物陰へと姿を消した。
……あいつ、犯罪者にカテゴライズするなら、絶対に愉快犯だ。
ドーパントなんだからきっと何かしらの事はやっているに違いない。
……ああ、何でだろ。無駄に腹立つ上に、どっと疲れた。
「……これ以上変なのと係わり合いにならない為にも、さっさと帰らないか?」
「……ええ、そうですね」
ぐったりと疲れきったような表情で、彩塔さんは俺の言葉に同意する。
それにしても……「グランドクロス直前くらいが一番忙しくなるかもだから」って? そうだと分っていて、のんびり出来るか。何しろ相手はあのレオと黒ライオン……聖守だぞ。
……何と言うか、愛だの恋だのにうつつを抜かしている場合ではないと、今更のように突きつけられた気がするのは……気のせいじゃないんだろうなぁ、多分……
――かなり病んでんな、あのおっさん――
去っていくここの館長……琉兵衛さんの背中を見送る俺に、アッシュが小ばかにしたように囁いた。
病んでいると言う表現が適切なのかどうかは分らないが、少なくとも、以前は悪人めいた表情を表に出すような人じゃなかった事は確かだ。裏ではどうだったのかまでは知らないが。
人生経験上、裏表のない人間なんていない事は重々承知している。だから、一見人の良さそうな琉兵衛さんも、何かしらの裏があるに違いない。ひょっとして、その「裏」が表に出始めているって事なのか?
……園咲琉兵衛。風都屈指の大富豪。その財の大半は、彼の所有する土地から出土した博物館の「展示品」がもたらした物と噂されている。元々が富豪だっただけに、更なる勢力拡大はしやすかっただろう。
以前、地方紙のインタビューか何かで、出土品を展示した理由を聞かれていた時、「かつての文化と、歴史を振り返る機会を、愛する風都の住人達と共有したい」と答えていたのを覚えている。
実際、この風都博物館には絶滅した種の化石や剥製が多く展示されている。他にもどことなく、「滅び」や「死」、「崩壊」を連想させる展示物が多い気がする。
……まるで、琉兵衛さん自身が、「崩壊」を恐れているように。
と、俺が思った所でどうにか出来る物でもない。そう言うのは、自分自身、もしくは自分に近しい存在が解決する物だ。
そんな事を思っている間に、特別展の前まで来ていたらしい。遙か昔、教育番組で見たような埴輪のきぐるみと、何故か分らんがこの街のマスコットであるふうとくんがツーショットで客寄せをしていた。
「……何と言うか、あれってちょっと、はにま……」
「駄目! 彩塔さんそこは駄目! 馬の埴輪のきぐるみがいないし、版権の問題あるから言っちゃ駄目! 俺もチラッと似てるとは思ったけど!」
純粋に似ていると言いたかったのだろうが、いかんせんNではじまりKで終わるテレビ局の番組キャラの名前。そう易々と口に出して、後日「受信料の集金でーす」とかやって来られても困る。そもそも俺の家にテレビは存在しない。情報源は携帯電話とラジオだけだ。
あそこで客寄せしているのは、おそらく本家の埴輪王子ではないのだろうが、埴輪の顔はデフォルメすると、どれも同じような顔にしかならない。どう頑張っても、「はにゃ?」が口癖の埴輪王子に見えてしまうのが恐ろしい。
特別展とは言え、ここも順路だ。立ち止まっているのも難なので、俺は彩塔さんの手を引いてそのまま先に進む。
「土偶や埴輪、兵馬俑と言った土人形は、王侯貴族を埋葬する際、その付き人として一緒に生き埋めにした者達の代わりとして作られた、か」
入ってすぐのところにあるパネルを読みつつ、俺は飾られている人形達に目を向ける。
長年墓に埋められていたそれらは、崩れ、欠片になった物を再度組み上げられた物らしく、所々真新しい色で補完されている。
人の代わりに埋められ、土に還る事も許されなかった人形達は、千年以上の時を経て掘り起こされ、こうして飾られる。
それはそれで哀れかもしれない。元の場所で殉ずる事も許されず、ただ人々の見世物として扱われる。身代わりだと言うのなら、本来あるべき場所で、静かに眠っていたかっただろうに。
……死ぬ事も許されず、生き返ってしまった俺が、居場所を見つけられなかった時のように。
「身代わりと言う意味だけではなく、墓の周囲に置く事で結界にしていたと言う考えもあります」
「結界?」
「はい。この時代の人間には、まだ魔力や魔族と言った概念が強く残っていたのでしょう。他種族に比べて腕力や魔力に劣っているヒトという種は、己を、そして己の死後を守る為に、こう言った土人形を作り、並べた」
言うと同時に、彼女は目の前にあるショーケースをこつこつと叩き、中の埴輪を指し示す。そこには、奇妙な模様の彫られた埴輪が並んでおり、顔はどこか遠くを睨んでいるようにも見える。
「あれは結界刻印です。一部が欠けてしまっているので、今はもう作用していません。作用していたら、私はこのショーケースに触れられなかったでしょう」
苦笑気味に言いながらも、彼女はその埴輪を見つめる。正確には、それに刻まれた模様を。
言われれば、何かの模様に見えなくもない。線の入り具合では所々五芒星が出来ているし、それを正五角形が囲んでいるのも見える。
他にも何かしらの模様があるようだが、俺の貧相な知識では五芒星と五角形を見つけるだけで精一杯だし、仮に他の模様が刻まれていたとしても俺にはきっと理解出来ないだろう。と言うか、今の時代にそれを理解出来る人間がどれだけいるかって話もある。
それにしても、彩塔さんがショーケースにも触れられないくらいの結界って……たかが土人形と侮ってはいけないと言う事か。成程、勉強になる。
「それに、土偶などは人柱の代理と言うより、豊穣の神を模した物ではないかと言われています」
「……あんな顔した神様は嫌なんだけど、俺」
「価値観は時代によって変化する物ですよ? 中世ヨーロッパでは、脂肪を蓄えている者が美しいとされていましたし、平安美人だって現代で美人として通用するかどうか……」
まあ、確かに。絵の問題もあるのだろうが、平安時代や江戸時代の美人画を見ても、正直美人だとは思い難い。
そう考えると、土偶を作った当時は、アレが神様なんだと、本気で思っていたのかもしれない。いや、でもやっぱり怖いよあの顔。
「それに、灰猫さんが仰っているのは遮光器土偶の事ですよね? 実は、土偶には板状の物もあるんです」
「それ、土偶って言って良いのか?」
「土偶の定義は、ヒトもしくは精霊を模した、縄文時代に見つかった土製品ですから。『土の偶像』と書いて、土偶です」
成程、土の偶像と書いて土偶、ね。何と言うか、俺よりも表現力と説得力があって、ちょっと凹むんだけど。俺、一応職業作家だぜ?
それにしても、よく知っている。博物館の説明パネルに書かれている以外の事も、何気に詳しい。
……彩塔家の基礎知識なのか、それとも……今更だし、非常に失礼なのだが……年の功と言う奴なのか。忘れがちだが、彼女俺より遥かに年上だし。つまり、彼女からすれば俺はお子様って事だ。
……うん。やっぱりないな。俺が彼女の恋愛対象になるなんて事は。きっと今、手をつないでくれているのだって母性本能の延長か何かだろう。俺が彼女に好きになってもらえる要素はどこにもない。
――お前、本当に根暗だな――
あのな、大学時代に誰かに階段から突き落とされた挙句、生き返って親族郎党から化物扱いされりゃあ根暗にもなる。
オルフェノクになってからの俺の座右の銘を教えてやろうか? 「信じられるのは自分だけ」だぞ。
――その自分すらも信じてねーくせに――
フン、と鼻で笑うように言うと、アッシュの気配が遠のく。リンクは切れないとか言っていたから、多分俺の潜在意識下に引っ込んだだけだろう。それでも、声が聞こえなくなるのは現状ではありがたい。
あっちにその気がなくても、俺にとってはデートみたいな物だ。余計な邪魔は入ってほしくない。
「……指輪、着けていらっしゃるんですね」
「え? ああ。折角の貰い物だし、結構デザインも凝ってるし」
左手の中指に嵌めた白っぽい色の指輪に気付いたらしく、彼女はどこか嬉しそうだ。
勿論これは、昨日貰った物。実際、結構この虎のデザインは気に入っているし、色合いもシルバーアクセサリーみたいで悪くない。おまけにサイズも、まるで測ったかのようにぴったり。
それに……これは気のせいかも知れないが……いつもよりも体が軽い。普段は、軽い倦怠感が常に付きまとっているのだが今日は、と言うか指輪を着けてからはその倦怠感が消えている。
体力値を上げる指輪と言う触れ込みは、まるっきり嘘と言う訳でもなさそうだ。
「良かったです、気に入って頂けて」
「ああ。でも……本当に、良かったのかな? 俺が貰って」
「と言うより、灰猫さん以外の存在が手にしても、何の意味もないかと。基本的に、オーダーメイドなんですよ、あの二人が作るアクセサリーは」
俺の素朴な疑問に、彼女はにこりと笑って答える。その笑顔は、子供をあやす母親のような印象を抱かせ……やはり俺は、彼女にとって「弟分」みたいな存在なのだと思わされた。
好意を抱いてはくれている……と思う。そうでなければ、自分の正体など明かさないだろうし、そもそも俺を博物館への案内役に選んだりしない。案内が欲しければ、交番なり何なりに聞けば良い。そうしなかったのは、間違いなく好意の表れだろう。そこまでの自惚れは許されていいと思う。
だが……きっと彼女の好意の形は、俺が望む好意の形ではない。
それとも俺が、好意の形が違うからと思い込んでいるが為に、そう見えているだけなのか。第三者から見れば、今の彼女の笑顔は、恋人に向けるような物だったのか。
……どちらにしろ、決定的な事実がない以上、断定は出来ない。そして断定できない事を良い方向に取るなど、俺には出来ない。
思い込んで、裏切られて、泣きを見るのはもう沢山だ。泣きを見る羽目に遭うのなら、もう少し……もう少しだけ、現状のままが良い。
「……もうすぐ、出口だな」
「…………そう、ですね」
人の数もいつの間にかまばらになり、少し離れた扉からは、入る前より少しだけ暗い陽の光が射し込んでいる。
家は隣同士で、今すぐ別れると言う訳でもないのに、どちらからと言う訳でもなく歩みが徐々に遅くなる。
……出たくない、もう少しこのままでいたい。ここを出たら、手をつなぐ大義名分を失う。もう少しだけ、この人の体温を感じていたい。少なくとも、俺はそう思っている。ひょっとしたら、独占欲もあるのかもしれない。
外に出たら、彼女は霧雨に奪われてしまう。彼女の最優先事項は「ファンガイアのキングとクイーンの守護」であり、「俺との付き合い」ではない。むしろ俺と言う存在が、守護と言う仕事の邪魔をしている節もある。
それを考えれば、早く出た方が良い。こんな風に、ゆっくり歩いているのは彼女にとって迷惑だ。
でも、出たくない。少しでも長く、彼女と一緒にいたい。軽く握っていた手に少しだけ力を込めると、一瞬だけ彼女が戸惑ったように目を見開き……だが、すぐに彼女も今までより、ほんの少しだけ強く握り返してくれた。
「…………人、多いな」
「……そう、ですね。はぐれてしまいそうです」
言う程人は多くない。はぐれる様な事は、もう起こらないだろう。
分り易い嘘だ。なのにそれに付き合ってくれる。
……彼女は、優しいから。
分っているのに離せないのは、やはり俺の我儘だ。だけど、せめて、この空間の中でくらいは。
なんて思っている内に、俺達は博物館の外へと足を踏み出し……そして、ゆっくりと手を離す。それで終わり。いつもの……普段の「ちょっと変わったお隣さん」の関係に戻ってしまう。
「……今日は、ありがとうございました、灰猫さん」
「いや。困った事があったら、いつでも言ってくれ。って言っても、締め切り直前は斉藤……いや、帝虎さんがピリッピリしてるから難しいだろうけどさ」
「ああ見えてあの害虫は真面目さんですからね」
普段しそうな会話を交わし、「共通の知人」である斉藤帝虎をダシにして話に花を咲かせる。
……これが、現実。さっきまでの甘いような空気は幻だ。そう自分に言い聞かせ、出来る限りいつも通りの表情を作って話を……
――Masquerade――
……唐突に。それこそ、人の「堪えよう」という意思を打ち砕くようなタイミングで。ガイアメモリを起動させた時に聞こえる音声……ガイアウィスパーとか言う奴が、俺の鼓膜を叩いた。
これが聞こえたと言う事は、すぐ近くにドーパントがいると言う事。しかも、メモリは「マスカレイド」。
――ああ、量産可能な「仮面」の連中か――
ガイアウィスパーに反応したのか、今まで引っ込んでいたアッシュの気配が再び浮上する。
こいつ自身が「地球の記憶の一部」である為なのか、ドーパントに関して、少なくとも俺よりは詳しい。「量産可能」と言う表現をしたと言う事は、下手をすると同じ様なドーパントが多数現れる可能性もある。
俺と彩塔さんが警戒心を顕わにしたのと、そいつが物陰から現れたのはほぼ同時。黒タキシードに身を包み、顔は多足類の足、もしくは肋骨を連想させるような白い模様が施されたフルフェイスの仮面。
そいつが軽やかなステップを踏みつつ、こちらに向かって近付いてきた。
「ドーパント!」
「チッ、こんな時に……!」
警戒し、いつ戦闘に入っても良いよう、俺も彩塔さんもぐっと拳を固めた瞬間。
相手は軽やかなステップを踏んだまま、ブンブンと手を横に振り……
『いやいやいやいや、そんな睨まないでよ~、こっちだって仕事なんだからさ。それに、戦うつもりはこれっぽっちもないんだよぉ』
……何と言うか、物凄く聞き慣れたようなノリで、そんな事をのたまった。
このノリ、斉藤に近しい物を感じるんだが、気のせいか? 声は全然違うし、仕草もこれまた違うんだが……ドーパントに関しては、声は変幻自在だから違うとも言い切れないし……
同じ事を彩塔さんも思っているのか、ぽかんとした表情を浮かべつつも、嫌悪混じりの視線をマスカレイドに送っている。しかし相手はこちらの困惑など気にした様子も見せず、くるくる回って俺達との距離を縮め……
『はい、これあげる。こっちはシャッチョさんからで~、こっちはボクのボスから』
俺達の前で止まると同時に、何かを差し出す。彩塔さんの前には「Q」と描かれた一本のガイアメモリ、そして俺の前には赤い拳銃っぽい物と「B」と描かれた鈍色のクリアカラーのガイアメモリ。
「これ……ガイアメモリですよね?」
「……何を考えてやがる、マスカレイド!」
差し出されたガイアメモリを払い飛ばそうとした物の、マスカレイドはひょいとそれをかわし、くるりとその場でターン。
その仕草は、マスカレイドの名に恥じぬような……踊っているような仕草だ。そう言えばこいつ、俺達の前に現れてからと言う物、一回も歩いていない。常にステップを踏んでいる。
『えー、マスカレイドって言うメモリの名前で呼ばれるの嫌いなんだよね。ボクの事を呼ぶ時は、クークって呼んで』
「クーク……?」
『そ。スペルはK・O・O・K! 変人、狂人って意味だねっ! ちなみに、ボスからのプレゼントのメモリは、人体に挿すものじゃなくて、こっちの銃に挿す用だから、安心してよ。シャッチョさんからのは人体用だけど』
クークと名乗ったマスカレイドドーパントは、そう言うと手に持っていた「プレゼント」を俺達に向かって放り投げる。投げられた物達は、綺麗な放物線を描いて俺達の手に収まる。
赤い銃はどことなく翔太郎のベルトに似たデザインをしており、カートリッジ代わりらしいメモリには六発の弾丸らしき物で「B」と描かれている。
――へえ。広範囲型の「ボム」じゃなくて、一点集中型の「バレット」か――
バレット……弾丸。成程、確かにそれなら拳銃型の武器が良いだろう。
それにしても、俺の武器は遠距離、一点集中系ばかりだな。もう少し近距離もカバーしたい所なんだが?
――いや、お前戦い方が遠距離で慣れてるから無理だろ。今更剣とか斧とか、扱えるか?――
……すまん無理。悔しいけど。
――まあ、それよりもだ。オレとしちゃあ、硝子に渡った「クイーン」の方が気になるね――
クイーンって……え!? それって霧雨の事じゃないのか!? と言うか、どんなドーパントになるんだよそれ。辣腕ふるって男共をひれ伏せさせるようなドーパントか!? あるいは外装を脱ぐと物凄く早く動けるとか!?
――弓、この地球上、一体何人の女王がいたと思ってるんだよ。って言うか何だそのイメージ。チェスか。そもそも「クイーン」が司るのは攻撃じゃなくて「絶対防御」だ――
絶対防御って……あまりクイーンってイメージじゃなくないか?
――バァカ。女王ってのは最後の砦だ。王不在の時は城を守り、王がいる場合は王を守る。「絶対防御」ってのは、物理的にも精神的にも守護する事を指すんだよ――
……守護する、か。成程、確かにそれなら彩塔さんにぴったりだ。何せ彼女は「守る事」が仕事なんだから。
「受け取れません。こんな……恐ろしい物」
『良いけど、持って帰っても別の人にあげる事になるし、それはシャッチョさんも君も望まないでショ? 使わなきゃ良いだけの話だし、受け取ってくれると嬉しいな』
おっと、アッシュとの会話に気を取られている間に、クークと彩塔さんの間でメモリを受け取る、受け取らないの口論が。
実際、ガイアメモリを挿すのは恐ろしい。俺みたいに自分の中に記憶が住み着く事は稀だとしても、心の底の悪意は確実に暴走する。どんなに取り澄ましていても、心のどこかでは暗い思いがある物だ。仮に彩塔さんのそれが暴走したら…………少なくとも、後で彼女が後悔する様な事が起こるのは目に見えている。
「ならば、今ここで壊すべきです」
『壊しても良いけど、ボクがいなくなってからにしてね。流石に目の前で壊されるとかは阻止しなきゃいけない立場だからサ。……とにかく今はソレ、しまってくれる?』
「……わかりました」
後で壊すって事で話は付いたらしく、彩塔さんは渋々と言った風にそれをズボンのポケットにしまう。綺麗な顔が顰められているところを見ると、クークが消えたら即壊すつもりらしい。
一方のクークは、しまわれたのを見て実に満足気に首を縦に振っている。ドーパントであるが故に表情は分らないが、もしも斉藤と同類だとしたら、きっと今、物凄く嘘臭い笑顔をしている事だろう。
だがすぐに、何かを思い出したのかぽんと手を叩き……
『あ、そぉだっ! 君達気を付けた方が良いよっ! 君達が引き取っているお嬢ちゃんを狙っているのは、実はとある組織でさぁ。君達二人、その組織に邪魔者認定されてるんだよね~』
「それは、ガイアメモリを売っている組織……ミュージアムの事ですか?」
ミュージアム。昔、荘吉さんから聞いた事がある。それがガイアメモリを売り捌いている組織であり、荘吉さんが生涯かけて潰すと誓った組織らしい。しかし、その組織の事を、どうして彩塔さんが知ってるんだ?
と言うか、そもそも霧雨を狙っているのが組織だと言うのなら、レオ達もそのミュージアムに属している事になる。しかしそれならガイアメモリを売り捌く意味がわからない。
そんな事を考える俺に気付いているのかクークは無意味にその場で後方宙返りを一つすると、着地と同時に腕を大きくクロスさせ……
『ブッブー。は~ずれ~。ミュージアムみたいな、そんな小規模な組織じゃないよぉ~。もっと大規模なトコ』
ガイアメモリを売り捌く組織は小規模とは言わないと思うんだが。って言うかそのポーズ何かムカつく。無条件で殴りたい。
彩塔さんも同じ事を考えているのか、口元にのみ笑みを湛えつつ、ぎゅりっと言う変な音が聞こえるくらい、拳をきつく握り締めている。
だが、こっちの苛立ちに関してはスルーらしい。クークはスタタンスタタンと軽やかにフラメンコっぽいステップを踏みつつ、息一つ乱さず言葉を紡ぐ。
『君達の敵は、もそっとワールドワイドなんだよね~。あ、ボクのボスの殲滅対象はミュージアムだけど』
……こいつのボスって、どんな奴なんだ。こんな、「自称変人」を部下に従えているなんて……こいつと同じ変人の類か、あるいは余程懐が広くて温和な奴かのどちらかだろ。
『まあとにかくさ。グランドクロス直前くらいが一番忙しくなるかもだから。それまでのんびりしてると良いと思うよ。ラ~ブラ~ブ』
胸の前でハートマークを作りつつ、クークは語尾に八分音符でも付きそうな声で言う。おまけに、言い終わると同時にひらひらと手を振り……大きく後方へ飛び退ったかと思うと、そのまま物陰へと姿を消した。
……あいつ、犯罪者にカテゴライズするなら、絶対に愉快犯だ。
ドーパントなんだからきっと何かしらの事はやっているに違いない。
……ああ、何でだろ。無駄に腹立つ上に、どっと疲れた。
「……これ以上変なのと係わり合いにならない為にも、さっさと帰らないか?」
「……ええ、そうですね」
ぐったりと疲れきったような表情で、彩塔さんは俺の言葉に同意する。
それにしても……「グランドクロス直前くらいが一番忙しくなるかもだから」って? そうだと分っていて、のんびり出来るか。何しろ相手はあのレオと黒ライオン……聖守だぞ。
……何と言うか、愛だの恋だのにうつつを抜かしている場合ではないと、今更のように突きつけられた気がするのは……気のせいじゃないんだろうなぁ、多分……