灰の虎とガラスの獅子
【鎧技師からPを/想いは急に止まらない】
「ふむ、こんな物かの」
ドアの修理を終えた彩塔さんの父……織戸さんは満足気に頷きながら、そんな言葉を放つ。
見ていて思ったのだが……何と言うか、織戸さんも物磁さんも斉藤も、本当に手際が良い。修理開始から終了まで五分とかかっていない。
ぶっ壊したのも織戸さんなのだが、修理されたドアは壊れる前よりも綺麗になっている気がする。
「……凄いな。こんなに早く修理って出来る物なのか……」
「そうでしょうか? あの三人が手がけた割には、妙に時間がかかったと思うのですが」
斉藤曰く「家業に関してはからっきし」の彩塔さんは、明らかに頭痛を堪えたような苦々しい表情で、一仕事終えた三人に視線を送りつつ俺の言葉に返してくれた。
あれで「時間がかかった」って……あ、いやでも、霧雨のペンダントの製作時間も結構短かったよな……
流石「王室技巧匠」と呼ばれる存在。ドア程度はお手の物と言う事か。……俺、初めて斉藤を尊敬したかもしれない。
そんな風に感動する俺の心に水を差すように、いつの間にか隣に来ていた彩塔さんがますます渋い顔でとんでもない言葉を放った。
「……まさかとは思いますが、扉に変な小細工とかしていないでしょうね?」
「何をいきなり言い出すかと思えば」
「当然、しているに決まっているだろう」
彩塔さんの問いに、近くにいた物磁さんは事もなげに答える。
……してるのか。ってか何をした!?
――開ける度に爆発する仕掛けとかだったら面白いと思わねぇ?――
面白い訳あるか! そんなビックリ扉は正直お断りだ!
クックと笑うアッシュに心の底からツッコミを入れつつ、俺は無言で斉藤を見やる。曲がりなりにも俺の担当。俺の視線の意味を汲み取ったらしく、彼はにこやかな……しかし悪戯を思いついたようにも見える笑顔を浮かべ……
「安心して下さい先生! 単なるおまじない程度の護符を刻んだだけですから!」
「おまじない……って、何したんです?」
嫌な予感がする。嫌な予感がしすぎて、斉藤の言った「おまじない程度」と言う言葉が脳内の漢字変換で「お呪い程度」に変換されてしまうくらいだ。
――普通に字面見たら、「おのろい程度」と読みかねないな――
だろう? それくらい今、妙な予感がしてるんだよ。
「悪意を持ってドアノブ触ると、軽ぅく感電死できる程度の電撃が流れるだけですよぉ。かんらかんらかんらっ!」
「それは『おまじない』のレベルじゃねぇぇぇぇぇぇ!!」
――凄ぇ! 「開ける度に爆発」と大差ねぇ!――
「感電死できる程度」って言うのは、全く軽くない。第一その定義だと、霧雨を狙う奴……レオとか聖守とか言う連中は勿論の事、出来心で空き巣に入ろうとした奴にも適用されると言う事だ。
何だその過剰防衛。警察に捕まる事請け合いだろ!
完全にそれは「まじない」ではない。「のろい」と呼んで良いはずだ。
彩塔さんじゃないが、思わず害虫……もとい斉藤に向かって殺意の篭った視線を送りかけたその時、軽く首を横に振りながら、彩塔さんが言葉を紡いだ。
「…………本気で取らないで下さい、灰猫さん。あの呪印は単純に物質硬化……扉の耐久性を上げただけです」
……え?
「えー、硝子ちゃん、ネタバレは駄目でしょう?」
「魔力認識のない方に、そんな悪質な嘘を吐く方が大問題です」
――何だ、単なる強化か。つまんねーなぁ――
単なる強化で充分だ。俺はドアに爆発とか電撃とか、そんな奇抜さは求めていない。
しかし……見た目はいつもと同じドアだ。彩塔さんが言うような「呪印」と言うのは見当たらない。彩塔さんの言っていた「魔力認識」と言う単語から察するに、彼女達の言う「魔力」がある存在でなければ見えない物なのかも知れない。
だとしたら俺は致命的だ。絶対に見えない。魔力と言う概念が理解できないんだから。
そんな事を思っている内に、いつの間にか織戸さん達は、奥でまたしてもごそごそと何やらやらかし始めた。
織戸さんは持ってきていた袋の中から色々な物を取り出しては首を捻り、また何かを取り出しては首を捻るを繰り返し……やがて、何かを納得したように頷くと、二種類の何か……白っぽい物を手にとって、物磁さんと斉藤に一つずつ手渡した。
「では愚息達よ! 婿殿へ贈答品の用意を!」
「……そいつに作ってやると言うのは非常に不愉快この上ないのだが。形状はどうする、暴走蜥蜴?」
「指輪が良いかのう。何しろ婿殿なのだから!」
ふははははは、と豪快に笑いながら、織戸さんはさも当然とばかりに言い切った。しかもそれを聞いて、斉藤も物磁さんも、物凄く渋い顔をしているにも関わらず、大人しくどこからか取り出した工具で指輪の形を整え始めた。
土台部分は物磁さんが、そして石のカッティングは斉藤が担当らしい。見る間に彼らの手の中にあった石と金属は、綺麗に形を整えられていく。
いや。いやいやいや。何を大人しく指輪を作ってるんだ。と言うか……
「……何で俺、さっきから織戸さんに『婿殿』とか呼ばれてるんですか?」
そう。織戸さんは出会ってすぐ……一言二言言葉を交わしただけで、俺を「貴殿」から「婿殿」と呼ぶようになった。
正直、その理由が分らない。
斉藤もそこは全力で否定していたし、俺自身も否定した。だが、織戸さんは他人である俺の話は勿論の事、実子である斉藤の話すらも聞かなかった。
俺、片想いの段階であって、彩塔さんにとってはただの隣人でしかないんだが。と言うか、そもそもファンガイアじゃないんだが?
彩塔さん曰く、同族は何となくわかるのだと言う。と言う事は、織戸さんだって俺がファンガイアではない事くらい理解できているはずだ。なのに、「婿殿」などと呼ぶ。
ファンガイアが異種間の婚姻に大らかな種ではない事は、何となく理解出来る。人間だっておおらかとは言い難い。人間同士ですら生活習慣や価値観の違いで上手く行かない事が多々あると言うのに、異種間の婚姻はそこに更に「種族の違い」という超えられない壁まで存在する。
そもそも婚姻なんて物は、「種を存続させる」と言う本能から来るのが基本だ。と言う事は、異種間の婚姻はその本能を否定するような行為に他ならない。似たような遺伝子を持っているなら子孫を生む事は出来るだろうが、それは純粋な「種」ではない。雑種、もしくは新種だ。
オルフェノクのような絶対数の少ない種族が、異種間の婚姻で子を為すのは「種の存続」に関わる大問題だ。下手をすれば、死活問題と言っても良いだろう。
……ファンガイアって種が、どれだけいるのかは分らないが、それでも「ヒト」に比べれば少ないだろう。
と、まあ理屈を述べた所で、俺が彩塔さんに好意を抱いている以上、種の存続だの本能だの言っても説得力の欠片もないんだけどな。
「しかし婿殿、我輩から見れば互いに想い合っておるのは一目瞭然。我輩は恋路を邪魔して馬に蹴られたくはありませんぞ」
…………
「はいぃぃっ!?」
「にゃっ!? にゃにを……」
織戸さんの衝撃発言から少しの間を要し。俺の頓狂な声と、彩塔さんの上擦った声が上がったのはほぼ同時だった。
待て。ちょっと待て。俺、そんなにわかりやすく彩塔さんへの好意が顔に出ていたか!? そう言えば斉藤には最初から「好きでしょう?」なんて言われていたが、アレはまだ自覚とかそんな物なかった時期だし。
いや、そもそも今「想い合っている」って言った!? え? え? それってつまり、彼女も俺に好意を抱いてくれていると? 少なくとも織戸さんにはそう見えていると?
――オレから見てもそう見えるんだけどな――
呆れたようなアッシュの声を聞き流し、俺は彩塔さんの顔を見つめる。……いや、単純にそっぽを向いたつもりだったのだが、向いた方向に偶々彩塔さんの顔があった訳で。
その顔は、まあ何と言うか……動揺か羞恥かあるいはその両方からなのか、茹蛸のように真っ赤に染まっており、何とも表現し難い視線をこちらに向けていた。
箱に入れられ潤んだ瞳でこちらを見上げながら鳴いている子猫のようにも見えるし、逆に自分の仇を見つけた復讐者のようにも見える。
近付いて慈しんであげたいと言う感覚と、距離を取らないと殺されると言う感覚。二つの相反する感覚に苛まれ、こっちは身動きが取れない。ただ、彼女の赤く染まった顔を見つめるだけだ。
「いやはや。硝子は昔から、思いやりはあるのに粗暴かつ平等主義でしたからのぅ。『誰か一人』に執着するなどなかった故に、婚姻は半ば諦めておったのじゃが……」
「ななにゃ、何気に失礼な事言わにゃいで下さい!」
「しょこちゃん、さっきからニャンコさんみたい」
余程動揺しているのか、彼女はさっきから噛み噛みだ。霧雨の言う通り、ちょっと猫っぽい。ここに斗李さんがいたら、「今こそネコミミ娘のコスプレよぉぉぉっ!」とか言って暴走しそうだ。
いや、何を冷静に考えてる、俺。今の織戸さんの言葉が正しければ、俺、この人に執着されているって事か?
……ヤバイ。彩塔さんには悪いが、ちょっと嬉しいかも知れない。例えそれが「恋愛感情」でなくても、彼女は多少なりとも俺に興味を示してくれている訳だ。
まあ……「同病、相憐れむ」と言う状況である可能性がかなり高いが、それでも彼女の心の中に俺と言う存在がそれなりに住んでいるらしいと言うのは、結構嬉しい。
「執着……私が、灰猫さんに……?」
「何じゃ? 自身で気付いておらなんだか? しかし、よもやこれが初恋などと言う事はあるまい?」
「……いやー、硝子ちゃんの場合、それがあり得るから恐ろしい」
やれやれと言いたげに肩を竦めながら、斉藤はかんらかんらと笑う。その声が半ば自棄になっているように聞こえるのは、やはり俺と彩塔さんの間柄を面白く思っていないからだろう。
話に上がっている張本人は、自身の胸元を抑えながらブツブツと何かを呟いているし、この話を立ち上げた方はいつの間にか霧雨と戯れている。残る「モグリの医者」は俺を睨みつけた後、心底忌々しそうに舌打ちをして……
「その話はここまでにしろ。それでなくとも愚かな妹が、更に愚かしい顔になっている。……それから、貴様の分が出来た。さっさと受け取れ」
言うと同時に、物磁さんは俺に向かって出来上がった物をぽんと俺の手の上に置いた。
不機嫌そうな顔ではあるが、やはり自分の作った物はぞんざいに扱えないらしい。放り投げるとか、そう言う事をしない辺り、やはり職人と言うべきだろう。
手渡された物は、織戸さんが指定していた通り指輪。
プラチナよりもなお白みの強い金属光沢を放つ土台には、細かく虎の横顔が彫られている。その目に当たる部分は、斉藤がカッティングを施したらしい石。こちらはダイヤモンドに似た七色の輝きを放っているが、安っぽくは見えない。
石も、土台も、はじめて見る素材だ。少なくともプラチナとかダイヤモンドなどでは無さそうだが……
「あの、これは……?」
「実は今度の鎧の作成に使うべく、我輩ここ数年は『人間でも扱える鎧の新規材料』を集めておりましての。これはその中の二つから成っておるのです」
言うが早いか、織戸さんは指輪の材料となったらしい石と金属板を袋から取り出し、俺に見せる。
金属板の方はともかく、石の方は加工前であるためか、ダイヤモンドと言うよりは大理石のような色に見える。
「こちらは新種の石で灰剛石 と呼んでおる物。そして土台に使っておるのは同じく新規の金属。その色合いから、架空の金属名であるミスリルと仮称しておりましてな。どちらも魔力や魔力抵抗は皆無じゃが……生命力、ライフエナジーと言った物が多分に含まれておりますのじゃ。どう言う理屈かは不明ですがの」
未知の……と言うか新種の石と金属で作られた、と言うのはわかる。だが後半部分は今ひとつ理解し難い。
石や金属に生命力が宿っている? どういう事だ? 石とか金属が生きているとか、そう言う意味だろうか?
頭にクエスチョンマークを大量に浮かべつつも、俺は渡された指輪をじっと見やる。
別に、指輪その物が喋りだすとか、妙に温かいとか、そんな感じはしないが……
「リトル・クイーンにお渡しした物とは異なり、差し上げた指輪は先生の回復力と体力値を上げる物……と思って頂ければ」
こちらのボケた考えでも悟ったのか、斉藤は俺にも何となく分かるような説明をしてくれる。
オルフェノクと言う種全体がそうなのか、はたまた俺個人がそうなのかは分らないが、俺はヒトよりも怪我の回復が早い。だが同時に疲労が来るのも早い。休んでは動き、動いては休むの繰り返しだ。
斉藤は付き合いが長い分、俺のこの「体質」を知っている。だからこその言葉なのだろう。
とは言え、すっきり理解した訳ではない。俺の貧困な人生では、石や金属から元気を貰う等と言った所謂スピリチュアルな経験は皆無だ。
「……ところで硝子ちゃん、いつまで呆けているのかな~?」
「…………あ、いえ、私、その……っ」
斉藤に言われ、ようやくこっちの世界に戻ってきたらしい。それまでどこか遠くを見つめながら、俺ですら聞き取れないような声で何事か呟いていた彩塔さんは、困ったように俺の顔を見やった。
だが、それも一瞬の事。俺と目が合うと、彼女は大袈裟にも思える態度で目を反らすと、近くにいた霧雨を抱きかかえ、そそくさと玄関まで後退。そして勢い良く頭を下げ……
「し、失礼しましたっ!」
とだけ言い残し、慌てたように俺の部屋から出て行ってしまった。
……頭を下げたままだったので、別れ際の彼女の表情は見えなかったが……少なくとも、声は震えていたように思う。それに、いつもならもう少し言葉が多い。大体は「また明日」と言う再会の挨拶が付いてくる。
余程織戸さんの「俺に執着している」発言に困惑しているのか、扉越しにだが、ゴン、ガンと何か硬い物にぶつかっているような音が響く。
『しょこちゃん、へーき?』
『兵器です。いえ、平気です』
『……おうち、ぎゃく。こっち』
『え? ああ、そうでしたっけ?』
……ちょっとマジで大丈夫か彼女!? 部屋は隣、距離にして三メートルと離れてないだろ!?
え、そんなに織戸さんの発言がショックだったのか!? これで一気に関係が悪化したら、俺しばらくの間立ち直れないぞ!?
思うに、彼女は俺に恋愛感情など抱いていない。いや、抱いてくれていたら嬉しいが、今までの彼女の言動から察するに、多分それはない……と思う。とにかく、彼女の俺への感情は愛だの恋だの、そんな物ではないはずだ。
強いて言うなら彼女の場合、良くて友情、あるいは同情。あるいは仲間意識かもしれない。気の合う隣人と言うのが関の山だろう。
「ぬ? 何じゃ、折角『後は若い者達で』とやろうと思っておったのに」
「……いや、彩塔さんは俺の事なんてただの隣人程度にしか思ってませんよ」
心底残念そうに言う織戸さんに、俺は思っている事をそのまま口に出す。
それを聞いた彩塔家の三人衆はと言うと……三人共、まるで信じられない物でも見るかのような視線を俺に送ってきた。
え、何? 俺何か間違った事言ったか?
――…………弓、お前って本っっっっっっっ当に……――
「何と。よもや婿殿までその様な……」
「貴様と愚妹が付き合う事になっても不愉快だが、この状況もなかなかに不愉快な物だな」
「色恋に疎いのは硝子ちゃんだけで充分ですよ、先生ぇぇぇぇぇっ!」
今まで聞いた中で最大級に呆れ返った声を出すアッシュ、天を仰ぎながら右手で自分の顔を覆う織戸さん、不機嫌その物の表情でメスを構える物磁さんに、終いにはがっくりと膝を折って落ち込む斉藤。
……この人達には、本当にどう見えてるんだ、彩塔さんの事。
少なくとも俺の見ている彼女とは違うように見えているらしい。彼らからすれば、彩塔硝子と言う人物は、俺に対して想いを秘めた「恋する乙女」らしい。しかも本人無自覚。そして俺は、そんな彼女の想いを気付いていない朴念仁と言ったところか。
……ないない。そんなフィクションの世界に有るような、面白い話がある訳がない。確かに恋愛事に鈍いのは認めるが、彼女に想われているなどと巨大な自惚れに浸れる要素はこれっぽっちもない。
そんな風に、諦め混じりの思考に陥る俺をよそに、三人プラスアルファは更なる熱弁を奮っている。
やれ、こっちからリードしなければならないだの、彼女の気持ちが汲み取れないなら、せめて自分の想いだけでもぶつけろだの、でもやっぱり俺達が付き合うのは絶対反対だの、いっそ俺を殺 した方が良いんじゃないかだの、婿入り大歓迎だのと。
……結局彼らが俺を解放したのは夜が明けてからで。
「とにかく婿殿! マイ・ドーターを頼みましたぞ!」
「愚かで不器用でその上頑固な妹だが、泣かせてみろ。その時は容赦なく貴様を解剖してやる」
「右に同じく。あ、それと原稿忘れないで下さいねー、かんらかんらかんら」
一睡もしていない割には随分と元気に手を振りながら、彩塔家の男三人はようやく俺の視界から消え去る。
……寝不足で、頭がぼんやりしている中。どうしても俺は彼らに物申したい。
「恋愛って……簡単にはいかない物だろーが……」
他人に言われて、自分の気持ちに気付いて、そしてラブラブ? そんなに簡単に行ったら、ラブロマンスはいらないっつの。
でもまぁ、もしもこれが物語の一部だとしたら。
――きっかけくらいには、なるだろうなぁ――
そう、「物語」ならば。現実は厳しくて理不尽なものだ。……そんな簡単に、上手く行くはずない。
「……アッシュ、俺もう寝るから。……起こすなよ?」
それだけ言うと、俺は押入れから掛け布団を引っ張り出し、そいつに包まって夢の世界へと落ちていく。
だけど、完全に落ちる直前。もそもそと、アッシュの呆れた声が聞こえたような気がした。
――何でお前、そこまでネガティブなのかねぇ?――
……そう言っていたように思うのは……多分、気のせいだ……
「ふむ、こんな物かの」
ドアの修理を終えた彩塔さんの父……織戸さんは満足気に頷きながら、そんな言葉を放つ。
見ていて思ったのだが……何と言うか、織戸さんも物磁さんも斉藤も、本当に手際が良い。修理開始から終了まで五分とかかっていない。
ぶっ壊したのも織戸さんなのだが、修理されたドアは壊れる前よりも綺麗になっている気がする。
「……凄いな。こんなに早く修理って出来る物なのか……」
「そうでしょうか? あの三人が手がけた割には、妙に時間がかかったと思うのですが」
斉藤曰く「家業に関してはからっきし」の彩塔さんは、明らかに頭痛を堪えたような苦々しい表情で、一仕事終えた三人に視線を送りつつ俺の言葉に返してくれた。
あれで「時間がかかった」って……あ、いやでも、霧雨のペンダントの製作時間も結構短かったよな……
流石「王室技巧匠」と呼ばれる存在。ドア程度はお手の物と言う事か。……俺、初めて斉藤を尊敬したかもしれない。
そんな風に感動する俺の心に水を差すように、いつの間にか隣に来ていた彩塔さんがますます渋い顔でとんでもない言葉を放った。
「……まさかとは思いますが、扉に変な小細工とかしていないでしょうね?」
「何をいきなり言い出すかと思えば」
「当然、しているに決まっているだろう」
彩塔さんの問いに、近くにいた物磁さんは事もなげに答える。
……してるのか。ってか何をした!?
――開ける度に爆発する仕掛けとかだったら面白いと思わねぇ?――
面白い訳あるか! そんなビックリ扉は正直お断りだ!
クックと笑うアッシュに心の底からツッコミを入れつつ、俺は無言で斉藤を見やる。曲がりなりにも俺の担当。俺の視線の意味を汲み取ったらしく、彼はにこやかな……しかし悪戯を思いついたようにも見える笑顔を浮かべ……
「安心して下さい先生! 単なるおまじない程度の護符を刻んだだけですから!」
「おまじない……って、何したんです?」
嫌な予感がする。嫌な予感がしすぎて、斉藤の言った「おまじない程度」と言う言葉が脳内の漢字変換で「お呪い程度」に変換されてしまうくらいだ。
――普通に字面見たら、「おのろい程度」と読みかねないな――
だろう? それくらい今、妙な予感がしてるんだよ。
「悪意を持ってドアノブ触ると、軽ぅく感電死できる程度の電撃が流れるだけですよぉ。かんらかんらかんらっ!」
「それは『おまじない』のレベルじゃねぇぇぇぇぇぇ!!」
――凄ぇ! 「開ける度に爆発」と大差ねぇ!――
「感電死できる程度」って言うのは、全く軽くない。第一その定義だと、霧雨を狙う奴……レオとか聖守とか言う連中は勿論の事、出来心で空き巣に入ろうとした奴にも適用されると言う事だ。
何だその過剰防衛。警察に捕まる事請け合いだろ!
完全にそれは「まじない」ではない。「のろい」と呼んで良いはずだ。
彩塔さんじゃないが、思わず害虫……もとい斉藤に向かって殺意の篭った視線を送りかけたその時、軽く首を横に振りながら、彩塔さんが言葉を紡いだ。
「…………本気で取らないで下さい、灰猫さん。あの呪印は単純に物質硬化……扉の耐久性を上げただけです」
……え?
「えー、硝子ちゃん、ネタバレは駄目でしょう?」
「魔力認識のない方に、そんな悪質な嘘を吐く方が大問題です」
――何だ、単なる強化か。つまんねーなぁ――
単なる強化で充分だ。俺はドアに爆発とか電撃とか、そんな奇抜さは求めていない。
しかし……見た目はいつもと同じドアだ。彩塔さんが言うような「呪印」と言うのは見当たらない。彩塔さんの言っていた「魔力認識」と言う単語から察するに、彼女達の言う「魔力」がある存在でなければ見えない物なのかも知れない。
だとしたら俺は致命的だ。絶対に見えない。魔力と言う概念が理解できないんだから。
そんな事を思っている内に、いつの間にか織戸さん達は、奥でまたしてもごそごそと何やらやらかし始めた。
織戸さんは持ってきていた袋の中から色々な物を取り出しては首を捻り、また何かを取り出しては首を捻るを繰り返し……やがて、何かを納得したように頷くと、二種類の何か……白っぽい物を手にとって、物磁さんと斉藤に一つずつ手渡した。
「では愚息達よ! 婿殿へ贈答品の用意を!」
「……そいつに作ってやると言うのは非常に不愉快この上ないのだが。形状はどうする、暴走蜥蜴?」
「指輪が良いかのう。何しろ婿殿なのだから!」
ふははははは、と豪快に笑いながら、織戸さんはさも当然とばかりに言い切った。しかもそれを聞いて、斉藤も物磁さんも、物凄く渋い顔をしているにも関わらず、大人しくどこからか取り出した工具で指輪の形を整え始めた。
土台部分は物磁さんが、そして石のカッティングは斉藤が担当らしい。見る間に彼らの手の中にあった石と金属は、綺麗に形を整えられていく。
いや。いやいやいや。何を大人しく指輪を作ってるんだ。と言うか……
「……何で俺、さっきから織戸さんに『婿殿』とか呼ばれてるんですか?」
そう。織戸さんは出会ってすぐ……一言二言言葉を交わしただけで、俺を「貴殿」から「婿殿」と呼ぶようになった。
正直、その理由が分らない。
斉藤もそこは全力で否定していたし、俺自身も否定した。だが、織戸さんは他人である俺の話は勿論の事、実子である斉藤の話すらも聞かなかった。
俺、片想いの段階であって、彩塔さんにとってはただの隣人でしかないんだが。と言うか、そもそもファンガイアじゃないんだが?
彩塔さん曰く、同族は何となくわかるのだと言う。と言う事は、織戸さんだって俺がファンガイアではない事くらい理解できているはずだ。なのに、「婿殿」などと呼ぶ。
ファンガイアが異種間の婚姻に大らかな種ではない事は、何となく理解出来る。人間だっておおらかとは言い難い。人間同士ですら生活習慣や価値観の違いで上手く行かない事が多々あると言うのに、異種間の婚姻はそこに更に「種族の違い」という超えられない壁まで存在する。
そもそも婚姻なんて物は、「種を存続させる」と言う本能から来るのが基本だ。と言う事は、異種間の婚姻はその本能を否定するような行為に他ならない。似たような遺伝子を持っているなら子孫を生む事は出来るだろうが、それは純粋な「種」ではない。雑種、もしくは新種だ。
オルフェノクのような絶対数の少ない種族が、異種間の婚姻で子を為すのは「種の存続」に関わる大問題だ。下手をすれば、死活問題と言っても良いだろう。
……ファンガイアって種が、どれだけいるのかは分らないが、それでも「ヒト」に比べれば少ないだろう。
と、まあ理屈を述べた所で、俺が彩塔さんに好意を抱いている以上、種の存続だの本能だの言っても説得力の欠片もないんだけどな。
「しかし婿殿、我輩から見れば互いに想い合っておるのは一目瞭然。我輩は恋路を邪魔して馬に蹴られたくはありませんぞ」
…………
「はいぃぃっ!?」
「にゃっ!? にゃにを……」
織戸さんの衝撃発言から少しの間を要し。俺の頓狂な声と、彩塔さんの上擦った声が上がったのはほぼ同時だった。
待て。ちょっと待て。俺、そんなにわかりやすく彩塔さんへの好意が顔に出ていたか!? そう言えば斉藤には最初から「好きでしょう?」なんて言われていたが、アレはまだ自覚とかそんな物なかった時期だし。
いや、そもそも今「想い合っている」って言った!? え? え? それってつまり、彼女も俺に好意を抱いてくれていると? 少なくとも織戸さんにはそう見えていると?
――オレから見てもそう見えるんだけどな――
呆れたようなアッシュの声を聞き流し、俺は彩塔さんの顔を見つめる。……いや、単純にそっぽを向いたつもりだったのだが、向いた方向に偶々彩塔さんの顔があった訳で。
その顔は、まあ何と言うか……動揺か羞恥かあるいはその両方からなのか、茹蛸のように真っ赤に染まっており、何とも表現し難い視線をこちらに向けていた。
箱に入れられ潤んだ瞳でこちらを見上げながら鳴いている子猫のようにも見えるし、逆に自分の仇を見つけた復讐者のようにも見える。
近付いて慈しんであげたいと言う感覚と、距離を取らないと殺されると言う感覚。二つの相反する感覚に苛まれ、こっちは身動きが取れない。ただ、彼女の赤く染まった顔を見つめるだけだ。
「いやはや。硝子は昔から、思いやりはあるのに粗暴かつ平等主義でしたからのぅ。『誰か一人』に執着するなどなかった故に、婚姻は半ば諦めておったのじゃが……」
「ななにゃ、何気に失礼な事言わにゃいで下さい!」
「しょこちゃん、さっきからニャンコさんみたい」
余程動揺しているのか、彼女はさっきから噛み噛みだ。霧雨の言う通り、ちょっと猫っぽい。ここに斗李さんがいたら、「今こそネコミミ娘のコスプレよぉぉぉっ!」とか言って暴走しそうだ。
いや、何を冷静に考えてる、俺。今の織戸さんの言葉が正しければ、俺、この人に執着されているって事か?
……ヤバイ。彩塔さんには悪いが、ちょっと嬉しいかも知れない。例えそれが「恋愛感情」でなくても、彼女は多少なりとも俺に興味を示してくれている訳だ。
まあ……「同病、相憐れむ」と言う状況である可能性がかなり高いが、それでも彼女の心の中に俺と言う存在がそれなりに住んでいるらしいと言うのは、結構嬉しい。
「執着……私が、灰猫さんに……?」
「何じゃ? 自身で気付いておらなんだか? しかし、よもやこれが初恋などと言う事はあるまい?」
「……いやー、硝子ちゃんの場合、それがあり得るから恐ろしい」
やれやれと言いたげに肩を竦めながら、斉藤はかんらかんらと笑う。その声が半ば自棄になっているように聞こえるのは、やはり俺と彩塔さんの間柄を面白く思っていないからだろう。
話に上がっている張本人は、自身の胸元を抑えながらブツブツと何かを呟いているし、この話を立ち上げた方はいつの間にか霧雨と戯れている。残る「モグリの医者」は俺を睨みつけた後、心底忌々しそうに舌打ちをして……
「その話はここまでにしろ。それでなくとも愚かな妹が、更に愚かしい顔になっている。……それから、貴様の分が出来た。さっさと受け取れ」
言うと同時に、物磁さんは俺に向かって出来上がった物をぽんと俺の手の上に置いた。
不機嫌そうな顔ではあるが、やはり自分の作った物はぞんざいに扱えないらしい。放り投げるとか、そう言う事をしない辺り、やはり職人と言うべきだろう。
手渡された物は、織戸さんが指定していた通り指輪。
プラチナよりもなお白みの強い金属光沢を放つ土台には、細かく虎の横顔が彫られている。その目に当たる部分は、斉藤がカッティングを施したらしい石。こちらはダイヤモンドに似た七色の輝きを放っているが、安っぽくは見えない。
石も、土台も、はじめて見る素材だ。少なくともプラチナとかダイヤモンドなどでは無さそうだが……
「あの、これは……?」
「実は今度の鎧の作成に使うべく、我輩ここ数年は『人間でも扱える鎧の新規材料』を集めておりましての。これはその中の二つから成っておるのです」
言うが早いか、織戸さんは指輪の材料となったらしい石と金属板を袋から取り出し、俺に見せる。
金属板の方はともかく、石の方は加工前であるためか、ダイヤモンドと言うよりは大理石のような色に見える。
「こちらは新種の石で
未知の……と言うか新種の石と金属で作られた、と言うのはわかる。だが後半部分は今ひとつ理解し難い。
石や金属に生命力が宿っている? どういう事だ? 石とか金属が生きているとか、そう言う意味だろうか?
頭にクエスチョンマークを大量に浮かべつつも、俺は渡された指輪をじっと見やる。
別に、指輪その物が喋りだすとか、妙に温かいとか、そんな感じはしないが……
「リトル・クイーンにお渡しした物とは異なり、差し上げた指輪は先生の回復力と体力値を上げる物……と思って頂ければ」
こちらのボケた考えでも悟ったのか、斉藤は俺にも何となく分かるような説明をしてくれる。
オルフェノクと言う種全体がそうなのか、はたまた俺個人がそうなのかは分らないが、俺はヒトよりも怪我の回復が早い。だが同時に疲労が来るのも早い。休んでは動き、動いては休むの繰り返しだ。
斉藤は付き合いが長い分、俺のこの「体質」を知っている。だからこその言葉なのだろう。
とは言え、すっきり理解した訳ではない。俺の貧困な人生では、石や金属から元気を貰う等と言った所謂スピリチュアルな経験は皆無だ。
「……ところで硝子ちゃん、いつまで呆けているのかな~?」
「…………あ、いえ、私、その……っ」
斉藤に言われ、ようやくこっちの世界に戻ってきたらしい。それまでどこか遠くを見つめながら、俺ですら聞き取れないような声で何事か呟いていた彩塔さんは、困ったように俺の顔を見やった。
だが、それも一瞬の事。俺と目が合うと、彼女は大袈裟にも思える態度で目を反らすと、近くにいた霧雨を抱きかかえ、そそくさと玄関まで後退。そして勢い良く頭を下げ……
「し、失礼しましたっ!」
とだけ言い残し、慌てたように俺の部屋から出て行ってしまった。
……頭を下げたままだったので、別れ際の彼女の表情は見えなかったが……少なくとも、声は震えていたように思う。それに、いつもならもう少し言葉が多い。大体は「また明日」と言う再会の挨拶が付いてくる。
余程織戸さんの「俺に執着している」発言に困惑しているのか、扉越しにだが、ゴン、ガンと何か硬い物にぶつかっているような音が響く。
『しょこちゃん、へーき?』
『兵器です。いえ、平気です』
『……おうち、ぎゃく。こっち』
『え? ああ、そうでしたっけ?』
……ちょっとマジで大丈夫か彼女!? 部屋は隣、距離にして三メートルと離れてないだろ!?
え、そんなに織戸さんの発言がショックだったのか!? これで一気に関係が悪化したら、俺しばらくの間立ち直れないぞ!?
思うに、彼女は俺に恋愛感情など抱いていない。いや、抱いてくれていたら嬉しいが、今までの彼女の言動から察するに、多分それはない……と思う。とにかく、彼女の俺への感情は愛だの恋だの、そんな物ではないはずだ。
強いて言うなら彼女の場合、良くて友情、あるいは同情。あるいは仲間意識かもしれない。気の合う隣人と言うのが関の山だろう。
「ぬ? 何じゃ、折角『後は若い者達で』とやろうと思っておったのに」
「……いや、彩塔さんは俺の事なんてただの隣人程度にしか思ってませんよ」
心底残念そうに言う織戸さんに、俺は思っている事をそのまま口に出す。
それを聞いた彩塔家の三人衆はと言うと……三人共、まるで信じられない物でも見るかのような視線を俺に送ってきた。
え、何? 俺何か間違った事言ったか?
――…………弓、お前って本っっっっっっっ当に……――
「何と。よもや婿殿までその様な……」
「貴様と愚妹が付き合う事になっても不愉快だが、この状況もなかなかに不愉快な物だな」
「色恋に疎いのは硝子ちゃんだけで充分ですよ、先生ぇぇぇぇぇっ!」
今まで聞いた中で最大級に呆れ返った声を出すアッシュ、天を仰ぎながら右手で自分の顔を覆う織戸さん、不機嫌その物の表情でメスを構える物磁さんに、終いにはがっくりと膝を折って落ち込む斉藤。
……この人達には、本当にどう見えてるんだ、彩塔さんの事。
少なくとも俺の見ている彼女とは違うように見えているらしい。彼らからすれば、彩塔硝子と言う人物は、俺に対して想いを秘めた「恋する乙女」らしい。しかも本人無自覚。そして俺は、そんな彼女の想いを気付いていない朴念仁と言ったところか。
……ないない。そんなフィクションの世界に有るような、面白い話がある訳がない。確かに恋愛事に鈍いのは認めるが、彼女に想われているなどと巨大な自惚れに浸れる要素はこれっぽっちもない。
そんな風に、諦め混じりの思考に陥る俺をよそに、三人プラスアルファは更なる熱弁を奮っている。
やれ、こっちからリードしなければならないだの、彼女の気持ちが汲み取れないなら、せめて自分の想いだけでもぶつけろだの、でもやっぱり俺達が付き合うのは絶対反対だの、いっそ俺を
……結局彼らが俺を解放したのは夜が明けてからで。
「とにかく婿殿! マイ・ドーターを頼みましたぞ!」
「愚かで不器用でその上頑固な妹だが、泣かせてみろ。その時は容赦なく貴様を解剖してやる」
「右に同じく。あ、それと原稿忘れないで下さいねー、かんらかんらかんら」
一睡もしていない割には随分と元気に手を振りながら、彩塔家の男三人はようやく俺の視界から消え去る。
……寝不足で、頭がぼんやりしている中。どうしても俺は彼らに物申したい。
「恋愛って……簡単にはいかない物だろーが……」
他人に言われて、自分の気持ちに気付いて、そしてラブラブ? そんなに簡単に行ったら、ラブロマンスはいらないっつの。
でもまぁ、もしもこれが物語の一部だとしたら。
――きっかけくらいには、なるだろうなぁ――
そう、「物語」ならば。現実は厳しくて理不尽なものだ。……そんな簡単に、上手く行くはずない。
「……アッシュ、俺もう寝るから。……起こすなよ?」
それだけ言うと、俺は押入れから掛け布団を引っ張り出し、そいつに包まって夢の世界へと落ちていく。
だけど、完全に落ちる直前。もそもそと、アッシュの呆れた声が聞こえたような気がした。
――何でお前、そこまでネガティブなのかねぇ?――
……そう言っていたように思うのは……多分、気のせいだ……