灰の虎とガラスの獅子

【鎧技師からPを/王室技巧匠】

 ぞわっ!
 マンションの前まで来て、唐突に寒気……と言うか怖気おぞけが走った。
 本屋のバイトは本日もつつがなく終了し、さあ帰ってワカメの味噌汁でも作って食べて寝ようかな、などと少々浮かれ気味の心持だっただけに、この感覚はあまり歓迎できない物だ。
 ……「恐怖」に出会った時の余韻が、まだ残っているのだろうか?
 軽く首を傾げながら、そんな事を思う。
 昼間に会ったあの男。無駄にこちらの恐怖を煽るあの存在。ドーパントの姿をとっていた時は、確かに私は恐怖を覚えていた。過去に感じた恐怖を、何倍にも増幅させられているようなあの感覚は、正直もう二度と味わいたくはない。
 あの時真っ直ぐに彼の存在に対峙出来たのは、「霧雨さんを守らなければならない」と言う使命感だけだ。彼女がいなければ、恐らく私は逃げ出すか、その場で狂っていただろう。
 人は恐怖だけで死ねるのだ。ある意味、「恐怖」と言う感情こそ、銃やナイフ、毒以上の凶器と言って良い。
 そんな事を考えながらも、私は自分の部屋のある階の渡り廊下に、一歩足を踏み出し……
 …………
 ……え、何あの惨状。灰猫さん宅のドアが、完全にお釈迦になっているのですが。
 思考停止の後、認識したのは蝶番とチェーンが完全にイカレて……と言うか逝かれてしまっている、灰猫さんの家の扉。それも、物凄い力で引きちぎられたような壊れ方をしている。
 一瞬、聖守やレオの襲撃かとも思ったのだが……レオはパワーファイターと言う感じではなかったし、聖守も扉の蝶番を引きちぎるような馬鹿力はない。
 では、新たな敵か? それにしては敵意とか殺気とか戦闘時特有の空気とか、そう言った物は感じられない。
 訝しく思い、その扉に向かってそろりと一歩前に進んだ瞬間。出来る事なら記憶から抹消してしまいたいと切に願って止まない声が、私の鼓膜を叩いた。
「ふぅはははははっ! それは申し訳ございませぬな、婿殿!」
 ……今のは聞かなかった事にして、さっさと自室に篭ってこの嵐をやり過ごそう。そうだ、そうしよう。この声の主と関われば、何が起こるか全く予想できない。灰猫さんには申し訳ないが、今回はスケープゴートになって頂こう。彼、羊じゃなくて虎だけど。
 即座にそう思い、私は気配を殺し、そろそろと自室のドアノブに手をかけ……
「ほう? 遥々やって来た兄に挨拶もせず、さっさと自室に引き篭もろうとするとは。随分と偉くなったものだな、愚妹」
「~~~~~っ!」
 上から伸びてきた腕に手首を掴まれ、私は声にならない悲鳴を上げながらも、慌てて声がした方……即ち、自分の頭上、廊下の天井部分に視線を送る。
 私に伸びている腕は薄紅色のステンドグラス。腿から踝にかけて、フラミンゴを連想させる意匠。そして天井には着くか着かないか程度の高さで浮いているそいつは、ウスバカゲロウを連想させる同族。
 ……私に気配を気付かせないと言う芸当が出来る存在は、そう多くない。ましてその多くない存在の中で、人を「愚妹」と呼ぶ人物など、該当するのはたった一人。
「…………お久し振りです、物磁モノジ。あなたがいらっしゃっているとは、思わなかった物で、つい」
「フン、どうだか。まあ良い。帰って来たならまず消毒だ」
 すとんと地面に降り立ち、私の手を掴んだまま、相手……一番上の兄である彩塔物磁は、鼻で笑いながらも人間の姿に擬態し、半ば強引に人を灰猫さんの家まで連れて行くと、その玄関先でどこからか取り出した消毒用アルコールを私の手に吹きかけた。普段の職業の関係上、消毒液は持ち歩いているのだろう。
 フレームのない眼鏡をかけた、見た目三十代前半の「医者」。それがこの男の外見だ。現在進行形で「クールで素敵!」と女性からの賛辞の声を物にしているくせに、本人は「煩い」の一言でバッサリ切り捨てる。
 しかし、何故に灰猫さん宅なのか。先程聞こえた笑い声の主と一緒に来たのか。と言うか灰猫さんにご迷惑をかけていないでしょうね? ああ、でもそれは望み薄か。既に扉は引きちぎられてしまっている訳だし。
 瞬時にそんな考えが浮かび、反射的に文句だか説教だか、自分でもよく分らない言葉を投げようと口を開きかけ……だが私の声は、再び聞こえてきた……良く言えば豪快、悪く言えば煩いだけの笑い声によって遮られる結果となった。
「ふぅはははははははっ! 久方振りじゃな、マイ・ドーター!!」
 どうやらこちらに気付いたらしい。声の主はどかどかと足音を立てながら近寄ると、ドンと思い切り私の背を叩いて声をかける。
 ……その肩に、霧雨さんを乗せて。
 筋骨隆々の大柄な中年男性……と言えば想像がつくだろうか。日に焼けた浅黒い肌、体中についた様々な種類の傷。
「…………また変なのが来ましたね……」
 ズキズキと痛む頭を押さえ、私は溜息混じりに言いながら二人の「来客」に視線を送った。
 部屋の奥では、困ったような表情でこちらを見る灰猫さんの姿と、一足先にこの二人に捕まってしまったらしい帝虎が、魂が抜けきってしまったような表情で倒れているのが見える。
「何じゃ何じゃ何じゃ? 久方振りに会った我輩に何を言う? もっとこう……『会いたかったワ、お父さん!』と言うような可愛らしい反応はないのか!?」
「私、自分の子供を千尋の谷に突き落とした挙句、『獅子ならばそこから這い上がって来い』等とのたまう男を、父親とは思っておりませんので」
「ぬうっ! 我輩の愛故の教育である事が何故分らぬ!? 我輩はお主をそのように育てた覚えは皆無であるぞ!?」
「私がこんな性格になったのは、確実にあなたのせいです。……今更ですが、お邪魔します灰猫さん」
「ああ、それは良いんだけど…………この人達、誰? いや、何となく話の流れ的にも分らなくはないんだけど、理解するのを拒否したいと言うか何と言うか」
 ……自己紹介も満足に出来ないのか、この人達は。
 困ったように苦笑いを浮かべる灰猫さんの言葉を聞き、頭だけでなく胃まで痛み出す。単体でも厄介な存在が、二人いっぺんともなると……疲れるし溜息しか出ない。次兄の斗李、そして抜け殻になっている帝虎が随分マシに思えてしまうくらい強烈な二人。
 私は深い溜息を吐き出し……情けなさと恥ずかしさとやるせなさと申し訳なさを感じながらも、二人の事を簡単に説明した。
「この駄眼鏡が長兄の物磁、そして煩い方は……非常に残念な事に、私達の父でして」
「彩塔物磁。表向きはモグリの医者だが、彩塔家の現当主だ。…………貴様、興味深いな。後で解剖させろ」
「力の限り断るっ! ってか何この人、井坂と同類!? しかも堂々とモグリ宣言してるし!?」
「…………井坂と同類と言う点に関して、否定できない辺りが情けないです」
 我が彩塔家の現当主にして、王室付きの鎧技師の一人。しかし、実際の所は単なるマッドドクターに過ぎないと、私は思っている。
 表向きの職業は、本人も言っているように「モグリの医者」……と言っても「無免許医」ではない。「免許は持っているが、開業医申請していない開業医」の方だ。こう言うのもモグリと言うらしい。
 申請をしていないのは、彼が「ファンガイア専門の医者」を常の職業としている為、「人間の治療にまで手が回る訳がないだろうが」と言う事らしい。
「そして我輩が父の彩塔織戸オルトなり! いやはや、婿殿には我が子らが世話になっておりますな!」
「あ、これはどうもご丁寧に……」
 がばっと両手を広げ、無意味に大胸筋をぴくぴくさせ、空気を読めない私の父……織戸は自分の名を告げると、霧雨さんを肩から下ろして深々と灰猫さんに向かって頭を下げる。
 それにつられるように、灰猫さんもぺこりと頭を下げるのだが…………気付いているのだろうか。彼が先程から何故か灰猫さんの事を、「婿殿」などと呼んでいると言う事実に。
「フン。早々に当主の座を引退し、勝手気ままな生活を送っているくせに、こう言う時だけ父親面か。当主を押し付けられたこちらとしては迷惑な事だ、暴走蜥蜴。……愚妹のバージンロードは俺が歩く」
「何をぅ! お主、それが父に向かって言う台詞か!?」
「人生で二割程度の時間しか顔を合わせた事のない男を、父親とは思っていない」
「ぬううう、ああ言えばこう言う! やはり養育を芽蛇メタ羽螺パラに任せたのが我輩の敗因か!」
「叔父殿達の悪口を言える立場か。大体……」
「それを言うならお主達とて……」
 ……何を無意味に、他人様の家で張り合っているのかこの二人は。
 昔からそうなのだが、この二人、言い合いを始めると周囲が見えなくなる傾向にあるらしく、どう頑張っても間に割って入れない。こういう時は、とにかく二人が飽きるまで待つしかない。
 その事が灰猫さんにも伝わったのか、彼は疲れたような表情を浮かべてこっそりとこちらに近付くと、密やかな声で問いを口にした。
「なあ、さっき話に出ていた、メタさんとパラさんって?」
「父の弟……つまり叔父です。今は後進の育成に精を出しておいでですが、腕の良いキング付きの王室技巧匠……所謂、鎧技師でして。その腕で、時のキングからチェックメイトフォーに次ぐ、特異な称号を頂いた程です」
 勿論、父も腕の良い鎧技師だ。叔父達に言わせれば、自分達よりも腕は良いとの事。しかし、彼は鎧技師よりも、その前段階である「材料調達」を天職と思ったらしい。父が材料を調達し、叔父達がそれを鎧に加工する。それが、彩塔家の基本スタイルだ。
 もっとも、材料調達を生業としているが故に、父は殆ど私達の前に顔を見せる事がなかった訳だが。
 調達に子供を連れてはいけない。ただの足手纏いだ。「人生で二割程度の時間しか顔を合わせた事のない」と言う物磁の言葉は、あながち誇張とも言い切れない。
 ……そんな、由緒正しき鎧技師の家系に名を連ねているにもかかわらず、私にはそのスキルとセンスが皆無。
 幼い頃は叔父や兄達に憧れて加工技術を学びはした物の、作っても作っても苦笑いしか出来ないような物ばかり。親族曰く、私は魔力のコントロールが、控えめに言って「物凄く下手」、はっきり言ってしまえばノーコンらしい。
 おまけに、作った物の外観も……自分で言うのもアレだが、材料に対して申し訳なくなるような物ばかりと言うダメさ加減。決して私は不器用と言う訳ではないのだが……技巧関係の事となるとからっきし。
 温和な叔父達が「硝子はこっちの仕事に関わるな」と青褪めた顔で言う程だ。
「へぇ……でも、その職業とグランドクロス、どう関係してるんだ?」
「はい?」
「いや、斉藤……帝虎さんがさ、グランドクロスの時期は本業が忙しいとか言って、休むらしいから」
 ……ああ、それで帝虎が来ていたのか。私はてっきり打ち合わせか何かかと思ったのだが。
 ちらりと帝虎に目をやると、ちょうど物磁に何かを囁かれ、がばりと跳ね起きた所だった。何を吹き込まれたのかは知らないが、さっきまでの死んだような目が、今は妙にキラキラ光っているように見えるのは気のせいだろうか。
 まあ、帝虎は別にどうでも良いか。
「えーっと……先日、グランドクロスは魔力を捕える、と言いましたよね?」
「ああ」
「我々の言う『鎧』には、膨大な魔力を必要とします。ですが、通常時期では魔力は拡散してしまい、ろくな鎧が出来ません」
 一族の扱う鎧は、どうしても魔力……と言うか、「魔皇力」と呼ばれる力を必要とする。それも、膨大な量が。その「膨大な量」を集めるのは、簡単とは言わないが、酷く困難な訳でもない。それこそ、満月の夜に力を持て余している連中から少しずつ頂けば良い話だ。
 しかし……問題はその魔力の「固定」にある。魔力には形がない。例え集めたとしても、すぐに空気中に霧散してしまう。
 「仕上げ前」や小さな「修繕」程度ならそれで充分だが、完全な「仕上げ」となるとそうは行かない。一息に、それこそ一瞬よりも更に短い時間で「鎧」と言う「器」に魔力を込め、初めて完成されるのだ。
 だが、込める前の魔力は「器に入っていない状態」でなければならない。しかし、その状態では霧散し、結局ろくな魔力を込められない。
 と言うような事を軽く説明すると、灰猫さんは必死で理解しようとしているらしく低く唸り……
「つまり、彩塔さんの言う『魔力を込める』ってのは、刃物で言う『焼入れ』と思えば良いのかな?」
「そうですね、重要度で言えばそれに匹敵します。その喩えで言うならば、『魔力』は『水』だと思って下さい」
 焼入れとは、およそ八百度に熱した鋼を、瞬時に水や油に漬けて急冷する事で、硬度を上げる作業だ。鋼を鍛える上で非常に重要な工程。
 いかに鋼を熱したとしても、それを冷ます水が少なければ「冷ます」と言う作業そのものが出来なくなってしまう。
「成程、つまりいつもは底の抜けた入れ物に水を入れている状態になる訳だ。で、グランドクロスの時だけ、その『底抜け』は解消される、と」
「完璧に解消される訳では有りませんが、それでも普段よりも減りはぐっと少ないそうです」
「なお、その時期は新規の鎧を作るだけでなく、今までの鎧のフルメンテナンスと言った『魔力を一気に消費する仕事』を片付ける時期でしてな。ここぞとばかりに修理、改修、新調の発注が増えますのじゃ」
 説明の最中、まるで孫と戯れるかのように楽しんでいる節のある父が話に割り込む。霧雨さんも、父のごつい体が気に入ったのか、ぺたぺたと無遠慮にその体を触っている。
 一方で物磁と帝虎は、部屋の隅の方でごそごそと何やらやっているのが見える。
 ……何をしているんですか、あの二人。
「おじーちゃんすごいー! ムキムキー!」
「おお、お褒めに預かり光栄ですぞ!」
「腕力だけが自慢の阿呆だからな」
「かんらかんらかんらっ。そうでなきゃぁ材料調達なんて出来ませんけどねー」
 霧雨さんをクイーンであると認識しているのかどうかはわからないが、一応丁重に扱っている上に敬語を使っているところを見ると、少なくとも父は、彼女がクイーンであると認識していると思う。
 ……物磁は……分らない。何しろ、誰に対してもあんな喋り方だ。敬語が使えないのではなく、使わない。使う必要性を感じないと、その昔先代のビショップに向かって平然と言い放った時は、本気でヒヤリとした物だ。懐かしい思い出だが、微笑ましいとは今でも思えない。その後の始末は、本当に大変だった。
「さて、出来ましたよー、リトル・クイーン」
「我輩達からのささやかなお祝いでございます。お受け取り下されば」
「邂逅の記念だ。ありがたく受け取れ、『絶望』の女王」
 どうやら彼らは、一応霧雨さんがクイーンである事を認識しているらしい。
 しかし、何が「出来た」と言うのか。思いつつ、帝虎の手元にある「何か」に目を向ける。
 あれはペンダントだろうか。銀鎖の先に、黒い石で作られた小さなイルカがついている。少し遠いが、それでもあの細工がかなり良い物である事は理解出来た。どうやら先程まで、あれを作っていたらしい。
 ……この短時間であれだけの一品を作れるとは。悔しいがやはり「次代のポーンとナイト」と言われるだけの事はある。
「弓にーちゃ、しょこちゃん! おじーちゃんたちからイルカさんのペンダントもらった!」
「ああ、良かったな。ちゃんとお礼言っとけよ」
「ん。ありがとう」
「クイーンへのお守りって事で、結構気合入りましたよ~。かんらかんらっ」
 お礼を言われた事が嬉しいのか、帝虎は照れたようにほんのり頬を染め、後ろ頭を掻きつつ笑う。一方の霧雨さんは、貰ったイルカのペンダントを自慢したいのか、こちらに駆け寄ると見せびらかすようにそのペンダントをこちらに向けた。
 ペンダントトップの大きさは、親指の爪程度だろうか。石の色は加工された良質のオニキスに似た艶やかな黒。彼女の首にかかっている鎖は、銀色に光ってはいるものの決して安っぽくは見えない。
 正直、妙齢の女性がつけていても、何の違和感もない素敵な一品だ。…………普通に見れば。
「…………これ、魔皇石じゃないですか! それも、小さいとは言えかなり高純度かつ希少な物ですよね!? しかも首のチェーン、細いですけど、カテナじゃ!?」
 魔皇石と言えば、ある「魔力の塊」と言っても過言ではない石。通常は鎧に着けて魔皇力の底上げに使うのが常である、かなりの貴重品。
 一方でカテナの性質はその反対。溢れ、暴走する恐れのある魔力を封じ込める封印の鎖。とは言え、こちらもまた貴重かつ希少な一品であり、その希少さは魔皇石とほぼ同等と言った所か。
 ……そんな希少品達で、何を作っているんですかこの人達は。
「クイーンの身を飾るんだ。それくらいは当たり前だろう」
「ふぅははははははっ! 我輩達は、曲がりなりにも王室技巧匠じゃからな。ただのネックレスをクイーンに献上する訳がなかろう」
「石には結界模様刻みまくったからね~。余程の事がない限り、リトル・クイーンには傷一つ付けられないよ。かんらかんらっ!」
 さも当然と言いたげに胸を張る三人に、思わず私は頭を抱えてしまう。……つまり? 彼らは首からネックレスと言う形でカテナをつけさせる事で、霧雨さんの中にある「クイーンの力」をある程度抑え込み、その分手薄になっている防御に関しては、魔皇石の力でどうにかする、と。それで「お守り」と称していると。
 ……気合入れすぎだ、とツッコミを入れたい。
 短時間で作られた物とは言え、技巧に優れた物磁と帝虎の事。おそらくその作りに一切の妥協はないだろう。故に、分る。霧雨さんがプレゼントされた代物が、如何に強力な結界おまもりであるかが。
「……何か良く分らないんだが……とりあえず凄い物だって言うのは、正しい理解なのかな?」
「ええ、おそらく正しいと思います。鉄壁の防御と言う意味でも凄いですし……下世話な話ですが、その筋に売った際のお値段も凄い事になると思います」
「本当に下世話だな、愚妹」
「女は現実を忘れない生き物なんです、駄眼鏡」
 強いて値段をつけるなら、学問を勧めたあのお方が、一万人いらしても足りないんじゃなかろうか。価値を知る者にとっては、この上なく……それこそ喉から手が出る程欲しくなる一品と言えよう。
 まあ、あの大きさの魔皇石では鎧には使えなかっただろうし、カテナだってあの細さではどうしようもない。
 実は最初からクイーンへの献上用に持ち歩いていたのではないだろうかと、ちょっと疑わしく思えてきた。
 途方もない疲労を感じている私を余所に、霧雨さんは純粋に嬉しいのか、きゃっきゃと嬉しそうに笑いながらイルカのペンダントを眺めているし、それを灰猫さんは微笑ましそうに見つめている。
「……もう、いいです。多分何を言っても仕方ないので。それより……」
「何かな~?」
「……扉の修理も、しておきなさい」
 目は、兄達を睨みつけながら。そして指は引きちぎられた戸を指し示しながら。私は出来る限りにっこりと笑みを浮かべて、彼らに向かって言い放つ。鎧技師とは言え、扉の修理くらいは造作もないはずだ。
 物磁と父も、己の非を認めているのか、やれやれと言いながらも扉の側に歩み寄り……
「ふむ……ではこれが終わったら、婿殿の分も作るか! 物磁、帝虎、我輩を手伝え!」
 ……いや、この人は何を当然のように言っているのか!?
 そもそも「婿殿」と言う呼び方は、自分の家に婿に来てくれた方、もしくはこれから婿になってくれる方に対して言う台詞だ。そんな呼び方は、いい加減灰猫さんにも迷惑だろう。
「何を考えているのやら……」
 軽く眉を顰め、呟いた私の声は……どうやら誰にも届いていないらしく、ただ父の高らかな笑い声が聞こえてくるだけだった。
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