灰の虎とガラスの獅子
【目的はX/起こりうる可能性】
「う? どしたの? ライオンさん、いなくなったの?」
闇が退き、そして霧雨さんの目に元の子供っぽい彩が戻った瞬間、彼女はきょとんとした表情で私と灰猫さんにそう問いかけた。
……やはり、今の彼女にはクイーンの力は大きすぎるという事か。意識を力に持っていかれていたらしい。
本来ならもう少し成長し、ある程度力の扱いが出来るようになってから覚醒するはずの力だ。そうしなければ、力が意識を乗っ取り、クイーンは「処刑人」からただの「殺戮者」へと成り下がってしまうから。今回は力の暴走がなかったから良かったような物の、もしも彼女が完全に「クイーン」という力に飲み込まれてしまったら……その時は……
「霧雨、お前……覚えてないのか?」
「う? なにを?」
恐る恐る、と言った風に問いかけた灰猫さんの声で、私の思考は中断する。
……「もしもの未来」を考えた所で仕方がない。とにかく今は、彼女が無事であった事を喜ぶべきだ。
軽く目を伏せ、予想できる「最悪の事態」を頭の隅に追いやると、私は不思議そうな二人の顔を見つめながら、言葉を紡いだ。
「恐らく……今の霧雨さんには、自覚がないのだと思います。自分が『クイーン』であり、そしてその力を使ったと言う自覚が」
「えっ」
「くいーん? むー、女王さまより、お姫さまがいい!」
「え」に濁音が付いたような、何とも言えない声を上げた灰猫さんとは逆に、霧雨さんの方は無邪気かつどこか不服そうにその頬を膨らませた。
まあ……この年頃の少女なら、「女王 」よりは「姫 」が良いと言い出すのは当然かもしれない。
何しろ、御伽噺に出てくる「女王様」は基本的に悪役。毒林檎を食べさせたのも、王子を白鳥に変えたのも、心を凍てつかせた少年を攫ったのも、そしてトランプの兵隊に首を刎ねろと命令するのも、基本的には「女王様」。
探せば「良い女王様」もいるのかも知れないが、圧倒的に「お姫様が主人公、女王様は悪者」と言う印象が強い。そんなイメージの呼び名は、子供としてもあまり良い気はしないだろう。
「ああ、申し訳ありません、霧雨さん。……あの、そもそも私も『ライオンさん』に入るのですが」
「う? でも、しょこちゃんはいいライオンさんだもん。白いもん。だから、おけ」
「いいライオンさんって部分は認める。でもな、霧雨、『白いからオッケー』って、どういう理屈だ?」
「だって、『白いライオンさんは、オズから勇気をもらった優しいライオンさんだから、できるだけ一緒いなさい』って……おかーさん、ゆってたの。だから、しょこちゃんはいいライオンさんなの。『オズの魔法使い』のライオンさん」
……成程。彼女の母親は自分が「守れない状況」に陥った時を考えて、童話に擬 えて私の存在を示唆したのか。……「クイーン」を守護する使命を持つ、「ルーク」……否、白いライオンファンガイアの存在を。
しかし、私に案山子 と鉄葉 の知り合いはいないのですが。
軽くこめかみを押さえながらも、私は自分の体に付いた灰を落とし……ふと、思い出す。
クイーンの登場と言う圧倒的な衝撃で忘れかけていたが……
「灰猫さん! 両手両足大丈夫ですか!? 貫かれてましたけれど!? ええそれはもう十字架に磔にされた某人間のように!」
「あーいや、俺は別に。俺の矢で貫かれたって言うのもあるせいか、もう治ったし。……ってか! 彩塔さん、あんたこそレオの奴に少し灰化させられてたじゃないか!」
「無傷とは申しませんが、思っていた程酷い怪我でもないようです。ご覧の通り五体満足ですので、ご心配なく」
確かに、背中と後頭部は未だ少しヒリヒリしているが、日焼けで皮が剥けました程度の痛みだ。問題はない……と思う。
しかし、灰猫さんの方はそうはいかない。先にも声にしたが、彼は四肢を矢で貫かれた。
「もう治った」とか言っているが、正直な話、こう言う時の彼の言葉は信用できないし、そもそもそう簡単にあの怪我が治るとは思えない。
「……見せて下さいね?」
「へ? ちょっ、うっわ!」
にっこりと作り笑いを浮かべ、私は強引に彼の腕をとって、先程まで矢が刺さっていた掌を見やる。ちなみに捩り上げるようにして見ているため、ギリっと彼の関節が鳴ったような気がするがそこはあえて無視をしたい。
大体、あれだけ深々と刺されて、もう治ったとか、誰が信じると……
………………って、嘘……
「本当に……治ってる……」
「だから、そう言っただろ?」
私の手から逃れ、更にはニヤリと悪役じみた笑みを浮かべて、灰猫さんはしてやったりと言いたげな声でそんな事を言う。
そんな、馬鹿な。いくら自分の武器による物だったからって、この治癒速度は異常。白騎士に攻撃された時は、こんなに早く治癒しなかった。
ひょっとして、オルフェノク同士の戦いだから、傷も早く塞がったとか?
いやいや、そんな馬鹿な。
「ま、良いじゃないか。それより……あまりここに長居するのもどうかと思うし、何より布団を買う時間がなくなるんじゃないか?」
「おー! おふとん、おふとん! しょこちゃん、いこ!」
……何だろう、凄まじくはぐらかされた気がする。
と言うか、展開が速すぎてついていけない。
霧雨さんと言うクイーンの登場、灰猫さんの傷の治りの異様な速さ、そして何より……
――It's a monster as Seth says it――
レオの残した、この台詞。
混乱の中、かつあの状況で正しく聞き取れたと言う自信はないが……もしも本当にそう言っていたのなら、それはとても大変かつ厄介な事になる。
だってこの台詞は……彼が、「セス」と言う名の「ファンガイアを知る誰か」と、結託している事になるのだから。
……「セス」……か。流れから考えて、それは聖守の事ですよね……
はあ、と深い溜息を吐き出しながら、私は前方で楽しげにはしゃぐ霧雨さんと灰猫さんに視線を送ったのであった。
「何でしょう。今日もまた無闇やたらと疲れる一日だった気がします」
「あー、うん。否定しない」
布団を買い、本日は何故か灰猫さんの部屋に「帰りつく」や否や。元気なお子様は私達を一通り玩ぶと、遊び疲れたのか新しい布団の中ですやすやと寝息を立てて眠ってしまった。
……子供とはいえ、いくら何でも奔放すぎる。
クイーンの力を使った事が、彼女の体に負担をかけていたであろう事は分る。だから、昨日よりも早めに眠ってしまった事も理解出来る。
……しかし、「お子様」という存在は疲労を自覚しない。それ故に、自分が眠いと思うまで全力で遊ぶ。
正直に言って、今日はレオの襲撃による疲労よりも、霧雨さんの全力投球の遊びに付き合った事による疲労の方が大きい気がしてならない。
遊んでいる時は、普通の子供だ。クイーンとしての力など、欠片も感じられないのだが。
「それでも……彼女はクイーンなんですよね」
「そうなんだろ? 俺はよく分らないけど」
昨日とは逆に、今夜は灰猫さんが私にお茶を勧めてくれる。
さて、霧雨さんがクイーンとなると……彼女の事を、キングにお伝えすべきかどうかと言う問題が生じる。
勿論、職務上はお伝えせねばならない。しかし……そうした場合、霧雨さんの身柄はどうなるのだろう?
キングのお側で育てられ、そしていつかはキングの花嫁となる為に軟禁状態に置かれるのだろうか。可能性がないとは言い難い。
だがそれは、彼女にとって最大のストレスだろう。子供の自由を奪うような事は、こちらとしてもしたくない。
それに……ビショップの言伝も気になる。「ルークの仕事を全うする」とは、要するに「守護しろ」と言う事。つまり「他人に預けるような真似はせず、お前が命懸けで守れ」とか、そういう意味なのだろう。
あの男は基本、私とそりが合わないし、性格も根性も曲がっているし、どこまでも腹立たしい存在だけれど。……それでも、ビショップの名に恥じない男だ。奴なりにファンガイアの未来を考えており、二手も三手も先を読んで指示を出している。
非常に悔しい事だが、奴のその先見性に関しては、私も認めているのだ。だから、あの男が「私」に彼女を守らせると判断したのならば、それなりの理由があると踏んでいる。
とは言え、彼らの狙いである「グランドクロスの大災害」と呼ばれるものが、私の考えている通りであるならば……霧雨さんをこの街に留めておくのは、あまりにも危険すぎる。
霧雨さんも……そして、この街その物も。
「……なあ、彩塔さん」
「あ、はい。何でしょうか?」
「グランドクロスの大災害って、霧雨使って何をする事だと思う?」
思考の沼にどっぷりと浸かっていた私を引き上げ、灰猫さんは心底不思議そうに問いかける。
……まあ、それもそうか。ここは簡単に灰猫さんにも説明した方が良いかも知れない。
彼はレオと顔見知りらしいし、何よりも……この一件に関して、かなり深く関わってしまっているのだから、知る権利は当然あるだろう。
思い、居住まいを正すと、私は出来るだけ重くならないように言葉を選び、放った。
「私の考えている通りならば、霧雨さんを殺し、その中にあるクイーンの力を暴走させるつもりなのでしょう」
「……え?」
「クイーンの力はキングのそれに匹敵します。先程の『制裁の雷』はその一端。キングもクイーンも、その気になれば、この街を……いえ、この国を焦土と化す事くらいは容易いのです。今まで、その気になった事がないだけで」
私の言葉に、灰猫さんはぎょっと目を見開き……そして、向こうで眠る霧雨さんに、そのまま視線を送った。
まさか、彼女の身の内に宿る力が、それ程の物だとは思っていなかったのだろう。しかしその瞳に宿る感情は力に対する「恐怖」や「嫌悪」ではなく、そんな力を持ってしまった彼女への「同情」に近い気がする。
……己の意志に関係ない強大な力に対する恐怖を、知っているからかもしれない。
「通常はそのような事にならぬよう、力はごく一部しか顕現出来ないようになっていますし、クイーンも成長につれ、自身の力のコントロールが出来るようになります。……人間がいなくなってしまっては、私達も生きていられませんから」
「……成長につれ……て事は、今の霧雨はそもそも力のコントロールが出来ないって事か」
「はい。今日の彼女を見る限りでは。『暴走はしないが、彼女の意思で力を扱う事も出来ない』と言った感じでしょう。力の方も、折角の適応者を失いたくないのか、彼女の自己防衛本能にのみ反応して発動しています」
「防衛本能に? それなら、殺そうとしても霧雨の中にある『クイーンの力』があいつを守ろうとするんだから……殺せないんじゃないのか?」
「どうでしょうか。本人の意識がない間であれば、防衛本能は働かないので、楽に殺せると思いますよ。……例えば、今この瞬間とか」
言いながら、私はじっと霧雨さんの寝顔を眺める。結局の所、力はあくまで「力」に過ぎず、「意思」ではない。どれ程力が強大であろうと、意思が介入しなければ、それは何の意味もなさない。
極端な例だが、今なら……私や灰猫さんならば、彼女の寝首を掻く事が出来るのだ。無論、私達はそんな事をするつもりはない。だが、悪意を持つ者であれば……霧雨さんを懐かせ、そして寝首を掻くという方法を取れるのだ。
「いや、喩 えが極端だから。……だけど、どうしてグランドクロスまで待つ必要がある? 今じゃ駄目なのか?」
「そこは、魔術的な要素、としか言いようがないのです。一応説明は出来なくもないのですが……あまり人間にとって、馴染みのない説明になりますよ?」
「構わない。……まあ、俺の頭で理解出来るとは思わないけど」
それでも、知りたいと思っているのだろう。真っ直ぐに、そして真摯とも言える瞳を向けられ、私はぐいとお茶を飲み干し、息を一つ吐き出す。
自分の心を落ち着け、出来る限り冷静に話す事が出来るように。
「では。……仮に今、『吾妻霧雨』という器が破壊 されたとしても、クイーンの力は暴走せず、また次の適応者を探します」
「そうなのか?」
「はい。そもそも『クイーン』が亡くなる度に力が暴走していたらこの国はとうの昔に地図上から消滅している事でしょう」
「……それもそうか。『焦土と化す事は容易い』んだもんな。……じゃあ、力の暴走ってのは、滅多にない事なのか」
灰猫さんの問いにこくりと頷き、私は彼の反応を見る。
恐らく、「力が適応者を選ぶ」とか、そう言った事はまだ腑に落ちていないだろう。眉間に皺を寄せているが、「今は暴走しない」、「暴走は滅多に起こらない」と言う二点は理解してもらえたようだ。
その二点さえ分っていれば充分。私はそのまま言葉を続ける。
「しかしごく稀にですが、『力が器を見つけられない日』が存在します」
「……それが、『グランドクロス』か?」
「その通りです。グランドクロスとは、『太陽を中心に出来上がる惑星の十字』。この現象は、形なき物に対し、強い引力を発揮します」
「『形なき物』? ちょっと思いつかないんだが……それって、どういう物だ?」
「そうですね……私達が言う『魔力』もそうですが、人間の『感情』、『願い』等と言った、精神的な物だと思って頂ければ。……当然、クイーンの力もこの引力に囚われます」
少々理解の範囲を超え始めたのか、灰猫さんは渋い顔でこめかみを押さえ……それでも何とか理解しようと、ブツブツと口の中で呟く。恐らく、声を出す事で立った今得た情報を整理しようとしているのだろう。
「えーっと……グランドクロスの日に、霧雨を殺せば、力は暴走する、のか?」
「いいえ。囚われるだけで、暴走するには到りません。暴走するには別の要因が必要になります」
勿論、全く暴走しないとは言い切れない。一時的とは言え、「力だけ」……つまり「魔力が剥き出しのまま放置されている」という状況であれば、多少なりとも影響は出る。
しかし、「大災害」と呼ぶ程ではない。せいぜい力が器を欲して、ポルターガイストを起こしたり、ラップ音がしたり、家電製品が火を吹く位だろう。
……それもある意味、充分すぎる大災害かもしれないが。
「別の要因。……って、ひょっとして今までの話を統合すると、月食か?」
「はい。生物は全般的に、月の満ち欠けで体調の変化を伴う、という話はご存知ですか?」
「ああ。ウミガメの産卵も、それが関係しているとか聞くけど」
「我々の魔力も、月の満ち欠けで多少の増減が見られます。基本的に、満月の夜には魔力が上がる傾向にあるようです」
月には「魔力」がある。これはヒトと言う種を除く十二の魔族の共通見解だ。かつてはヒトもそう思っていたらしいが、いかんせん魔力が弱く、我々ほどその影響が顕著だった訳でもないので今ではその認識は薄れてしまっているらしい。
どういった理由なのかは解明されていないのだが、何はともあれ、満月になると我々の魔力はかなり跳ね上がる。逆に新月になると、魔力はがくんと下がるのだから恐ろしい。
中でも顕著な例として、ウルフェン族が挙げられる。彼らは満月の夜になると、魔力が上がりすぎて人型を保っていられない。これも一種の暴走と言えるだろう。
「その辺は、何となく理解出来る。つまるところ、満月で上がった魔力って奴を、霧雨という『器』を壊す事で取り出し、グランドクロスの持つ『引力』で抑え込もうとしているって事だよな? ……ああでも、そうなると『月食』が関係なくなるな」
ぐしゃぐしゃと髪を毟り、半ば呻く様な声でぼやいているのは、彼なりに理解しようとしてくれているからのだろう。
灰猫さんの考えはほとんど正解だ。後は月食がもたらす弊害を説明すれば良いだけ。
「魔力は月の光を道標 に次の『器』を探すと言われています。しかし月食とは、その字の通り『月を食う』事。月食が起これば、道標である『光』を失い、魔力は行き場を見つけられません。グランドクロスと共に起これば、二重の鎖として、魔力は完全に捕えられます」
「表現だけ聞けばロマンチックだが、実際に起こったらかなり迷惑だな。だってその間、力は宙ぶらりんなんだろ?」
「ええ。更に迷惑な事に、月食で『月が食われる』事により、高揚した魔力は『満月ではなくなった』と認識して、沈静化してしまうのです」
「って事はだ。ざっくり言ってしまえば、月の光で目茶目茶テンション上がったのに、途中で地球の影と言う邪魔が入った。だから大人しくなった。……って事は、その邪魔が消えたら……」
「灰猫さんの言を借りるならば、『もう一度目茶目茶テンション上がる』と言う状態になります。それも……沈静化した反動で、『羽目を外す』くらいに」
「……それが、暴走か……」
どうやら理解してくれたらしい。さっと彼の顔から血の気が引き、もう一度視線を霧雨さんに向けた。
そう。そんな事になれば……地球 への衝撃 は、計り知れない物になる。この街の……否、地球上の住人は、よほど力のある者……ドーパントやオルフェノク、ファンガイアと言ったヒト以上の力を持つ者でなければ、生き残るのは難しいだろう。
クイーンの力の暴走とは、それ程の危険を秘めている。元々が大きな力なだけに、「羽目を外した」際の反動は計り知れない。
同等の力を持つキングを狙わないのは、恐らく返り討ちにされると判断したからだろう。あのお方は既に自身の力を自由に扱える。その点、幼く、力に目覚めきっていない霧雨さんは扱い易い。
しかし、とここで一つの疑問が浮かぶ。
聖守もレオも、何故そんな事をしたがるのか。
彼らは人間を見下している。それは分る。だからと言って、その見下す対象が全滅してしまったら、困るのではなかろうか。
我々ファンガイアは未だヒトのライフエナジーなしに生きていけないし、オルフェノクだってヒトと言う種がいなければ増えないはず。そうなると、当然こちらもいずれは滅びの一途を辿る事に……
……まさかとは思うが、互いに互いの力を取り入れ、新しい種を作ろうと画策している……?
「なあ、彩塔さん」
「あ、はい。何でしょう?」
思考を一時中断させ、意識を現実に戻すと、そこには辛そうに顔を顰めている灰猫さんがいた。しかし表情の奥に、微かだが……怒りの色も見える。
恐らく、私の予想する「グランドクロスの大災害」が許せないのだろう。
「つまるところ、その月食の日まで霧雨を守れば、もうあいつらは襲ってこないって思っていいんだよな?」
「ええ。……あ、いえ、そうでもないかもしれません」
「え?」
普通に考えれば。そして普段ならば。
「グランドクロスを過ぎれば用なし」と判断して、彼らも霧雨さんの捕縛を諦めると思うのだが。
今年の星の運行を思い出すと、そうも行かないと言う事を思い知らされる。
「残念ながら……今年は魔力的には非常に危険な年で」
「……何? 厄年?」
「いえ、何と言うか……元日に部分月食、グランドクロス期間における部分月食と皆既日食、そして大晦日の皆既月食が」
「……そう聞くとお祭りイヤーだな、二〇一〇年。月食で始まって月食で終わるのか」
「まあ、毎年どこかしらで月食や日食は観測されますが、今年は日付がミラクルですから」
はあ、と深い溜息を吐き出しながら、私はがっくりと項垂れた。
言っておくが、決してレオや聖守の襲撃を憂いてではない。いや、勿論それも憂いの要因の一つではあるが、それ以上に憂鬱な気分にさせる存在を思い出したのだ。
……その時期に帰って来るであろう、暑苦しい男の存在を。
「う? どしたの? ライオンさん、いなくなったの?」
闇が退き、そして霧雨さんの目に元の子供っぽい彩が戻った瞬間、彼女はきょとんとした表情で私と灰猫さんにそう問いかけた。
……やはり、今の彼女にはクイーンの力は大きすぎるという事か。意識を力に持っていかれていたらしい。
本来ならもう少し成長し、ある程度力の扱いが出来るようになってから覚醒するはずの力だ。そうしなければ、力が意識を乗っ取り、クイーンは「処刑人」からただの「殺戮者」へと成り下がってしまうから。今回は力の暴走がなかったから良かったような物の、もしも彼女が完全に「クイーン」という力に飲み込まれてしまったら……その時は……
「霧雨、お前……覚えてないのか?」
「う? なにを?」
恐る恐る、と言った風に問いかけた灰猫さんの声で、私の思考は中断する。
……「もしもの未来」を考えた所で仕方がない。とにかく今は、彼女が無事であった事を喜ぶべきだ。
軽く目を伏せ、予想できる「最悪の事態」を頭の隅に追いやると、私は不思議そうな二人の顔を見つめながら、言葉を紡いだ。
「恐らく……今の霧雨さんには、自覚がないのだと思います。自分が『クイーン』であり、そしてその力を使ったと言う自覚が」
「えっ」
「くいーん? むー、女王さまより、お姫さまがいい!」
「え」に濁音が付いたような、何とも言えない声を上げた灰猫さんとは逆に、霧雨さんの方は無邪気かつどこか不服そうにその頬を膨らませた。
まあ……この年頃の少女なら、「
何しろ、御伽噺に出てくる「女王様」は基本的に悪役。毒林檎を食べさせたのも、王子を白鳥に変えたのも、心を凍てつかせた少年を攫ったのも、そしてトランプの兵隊に首を刎ねろと命令するのも、基本的には「女王様」。
探せば「良い女王様」もいるのかも知れないが、圧倒的に「お姫様が主人公、女王様は悪者」と言う印象が強い。そんなイメージの呼び名は、子供としてもあまり良い気はしないだろう。
「ああ、申し訳ありません、霧雨さん。……あの、そもそも私も『ライオンさん』に入るのですが」
「う? でも、しょこちゃんはいいライオンさんだもん。白いもん。だから、おけ」
「いいライオンさんって部分は認める。でもな、霧雨、『白いからオッケー』って、どういう理屈だ?」
「だって、『白いライオンさんは、オズから勇気をもらった優しいライオンさんだから、できるだけ一緒いなさい』って……おかーさん、ゆってたの。だから、しょこちゃんはいいライオンさんなの。『オズの魔法使い』のライオンさん」
……成程。彼女の母親は自分が「守れない状況」に陥った時を考えて、童話に
しかし、私に
軽くこめかみを押さえながらも、私は自分の体に付いた灰を落とし……ふと、思い出す。
クイーンの登場と言う圧倒的な衝撃で忘れかけていたが……
「灰猫さん! 両手両足大丈夫ですか!? 貫かれてましたけれど!? ええそれはもう十字架に磔にされた某人間のように!」
「あーいや、俺は別に。俺の矢で貫かれたって言うのもあるせいか、もう治ったし。……ってか! 彩塔さん、あんたこそレオの奴に少し灰化させられてたじゃないか!」
「無傷とは申しませんが、思っていた程酷い怪我でもないようです。ご覧の通り五体満足ですので、ご心配なく」
確かに、背中と後頭部は未だ少しヒリヒリしているが、日焼けで皮が剥けました程度の痛みだ。問題はない……と思う。
しかし、灰猫さんの方はそうはいかない。先にも声にしたが、彼は四肢を矢で貫かれた。
「もう治った」とか言っているが、正直な話、こう言う時の彼の言葉は信用できないし、そもそもそう簡単にあの怪我が治るとは思えない。
「……見せて下さいね?」
「へ? ちょっ、うっわ!」
にっこりと作り笑いを浮かべ、私は強引に彼の腕をとって、先程まで矢が刺さっていた掌を見やる。ちなみに捩り上げるようにして見ているため、ギリっと彼の関節が鳴ったような気がするがそこはあえて無視をしたい。
大体、あれだけ深々と刺されて、もう治ったとか、誰が信じると……
………………って、嘘……
「本当に……治ってる……」
「だから、そう言っただろ?」
私の手から逃れ、更にはニヤリと悪役じみた笑みを浮かべて、灰猫さんはしてやったりと言いたげな声でそんな事を言う。
そんな、馬鹿な。いくら自分の武器による物だったからって、この治癒速度は異常。白騎士に攻撃された時は、こんなに早く治癒しなかった。
ひょっとして、オルフェノク同士の戦いだから、傷も早く塞がったとか?
いやいや、そんな馬鹿な。
「ま、良いじゃないか。それより……あまりここに長居するのもどうかと思うし、何より布団を買う時間がなくなるんじゃないか?」
「おー! おふとん、おふとん! しょこちゃん、いこ!」
……何だろう、凄まじくはぐらかされた気がする。
と言うか、展開が速すぎてついていけない。
霧雨さんと言うクイーンの登場、灰猫さんの傷の治りの異様な速さ、そして何より……
――It's a monster as Seth says it――
レオの残した、この台詞。
混乱の中、かつあの状況で正しく聞き取れたと言う自信はないが……もしも本当にそう言っていたのなら、それはとても大変かつ厄介な事になる。
だってこの台詞は……彼が、「セス」と言う名の「ファンガイアを知る誰か」と、結託している事になるのだから。
……「セス」……か。流れから考えて、それは聖守の事ですよね……
はあ、と深い溜息を吐き出しながら、私は前方で楽しげにはしゃぐ霧雨さんと灰猫さんに視線を送ったのであった。
「何でしょう。今日もまた無闇やたらと疲れる一日だった気がします」
「あー、うん。否定しない」
布団を買い、本日は何故か灰猫さんの部屋に「帰りつく」や否や。元気なお子様は私達を一通り玩ぶと、遊び疲れたのか新しい布団の中ですやすやと寝息を立てて眠ってしまった。
……子供とはいえ、いくら何でも奔放すぎる。
クイーンの力を使った事が、彼女の体に負担をかけていたであろう事は分る。だから、昨日よりも早めに眠ってしまった事も理解出来る。
……しかし、「お子様」という存在は疲労を自覚しない。それ故に、自分が眠いと思うまで全力で遊ぶ。
正直に言って、今日はレオの襲撃による疲労よりも、霧雨さんの全力投球の遊びに付き合った事による疲労の方が大きい気がしてならない。
遊んでいる時は、普通の子供だ。クイーンとしての力など、欠片も感じられないのだが。
「それでも……彼女はクイーンなんですよね」
「そうなんだろ? 俺はよく分らないけど」
昨日とは逆に、今夜は灰猫さんが私にお茶を勧めてくれる。
さて、霧雨さんがクイーンとなると……彼女の事を、キングにお伝えすべきかどうかと言う問題が生じる。
勿論、職務上はお伝えせねばならない。しかし……そうした場合、霧雨さんの身柄はどうなるのだろう?
キングのお側で育てられ、そしていつかはキングの花嫁となる為に軟禁状態に置かれるのだろうか。可能性がないとは言い難い。
だがそれは、彼女にとって最大のストレスだろう。子供の自由を奪うような事は、こちらとしてもしたくない。
それに……ビショップの言伝も気になる。「ルークの仕事を全うする」とは、要するに「守護しろ」と言う事。つまり「他人に預けるような真似はせず、お前が命懸けで守れ」とか、そういう意味なのだろう。
あの男は基本、私とそりが合わないし、性格も根性も曲がっているし、どこまでも腹立たしい存在だけれど。……それでも、ビショップの名に恥じない男だ。奴なりにファンガイアの未来を考えており、二手も三手も先を読んで指示を出している。
非常に悔しい事だが、奴のその先見性に関しては、私も認めているのだ。だから、あの男が「私」に彼女を守らせると判断したのならば、それなりの理由があると踏んでいる。
とは言え、彼らの狙いである「グランドクロスの大災害」と呼ばれるものが、私の考えている通りであるならば……霧雨さんをこの街に留めておくのは、あまりにも危険すぎる。
霧雨さんも……そして、この街その物も。
「……なあ、彩塔さん」
「あ、はい。何でしょうか?」
「グランドクロスの大災害って、霧雨使って何をする事だと思う?」
思考の沼にどっぷりと浸かっていた私を引き上げ、灰猫さんは心底不思議そうに問いかける。
……まあ、それもそうか。ここは簡単に灰猫さんにも説明した方が良いかも知れない。
彼はレオと顔見知りらしいし、何よりも……この一件に関して、かなり深く関わってしまっているのだから、知る権利は当然あるだろう。
思い、居住まいを正すと、私は出来るだけ重くならないように言葉を選び、放った。
「私の考えている通りならば、霧雨さんを殺し、その中にあるクイーンの力を暴走させるつもりなのでしょう」
「……え?」
「クイーンの力はキングのそれに匹敵します。先程の『制裁の雷』はその一端。キングもクイーンも、その気になれば、この街を……いえ、この国を焦土と化す事くらいは容易いのです。今まで、その気になった事がないだけで」
私の言葉に、灰猫さんはぎょっと目を見開き……そして、向こうで眠る霧雨さんに、そのまま視線を送った。
まさか、彼女の身の内に宿る力が、それ程の物だとは思っていなかったのだろう。しかしその瞳に宿る感情は力に対する「恐怖」や「嫌悪」ではなく、そんな力を持ってしまった彼女への「同情」に近い気がする。
……己の意志に関係ない強大な力に対する恐怖を、知っているからかもしれない。
「通常はそのような事にならぬよう、力はごく一部しか顕現出来ないようになっていますし、クイーンも成長につれ、自身の力のコントロールが出来るようになります。……人間がいなくなってしまっては、私達も生きていられませんから」
「……成長につれ……て事は、今の霧雨はそもそも力のコントロールが出来ないって事か」
「はい。今日の彼女を見る限りでは。『暴走はしないが、彼女の意思で力を扱う事も出来ない』と言った感じでしょう。力の方も、折角の適応者を失いたくないのか、彼女の自己防衛本能にのみ反応して発動しています」
「防衛本能に? それなら、殺そうとしても霧雨の中にある『クイーンの力』があいつを守ろうとするんだから……殺せないんじゃないのか?」
「どうでしょうか。本人の意識がない間であれば、防衛本能は働かないので、楽に殺せると思いますよ。……例えば、今この瞬間とか」
言いながら、私はじっと霧雨さんの寝顔を眺める。結局の所、力はあくまで「力」に過ぎず、「意思」ではない。どれ程力が強大であろうと、意思が介入しなければ、それは何の意味もなさない。
極端な例だが、今なら……私や灰猫さんならば、彼女の寝首を掻く事が出来るのだ。無論、私達はそんな事をするつもりはない。だが、悪意を持つ者であれば……霧雨さんを懐かせ、そして寝首を掻くという方法を取れるのだ。
「いや、
「そこは、魔術的な要素、としか言いようがないのです。一応説明は出来なくもないのですが……あまり人間にとって、馴染みのない説明になりますよ?」
「構わない。……まあ、俺の頭で理解出来るとは思わないけど」
それでも、知りたいと思っているのだろう。真っ直ぐに、そして真摯とも言える瞳を向けられ、私はぐいとお茶を飲み干し、息を一つ吐き出す。
自分の心を落ち着け、出来る限り冷静に話す事が出来るように。
「では。……仮に今、『吾妻霧雨』という器が
「そうなのか?」
「はい。そもそも『クイーン』が亡くなる度に力が暴走していたらこの国はとうの昔に地図上から消滅している事でしょう」
「……それもそうか。『焦土と化す事は容易い』んだもんな。……じゃあ、力の暴走ってのは、滅多にない事なのか」
灰猫さんの問いにこくりと頷き、私は彼の反応を見る。
恐らく、「力が適応者を選ぶ」とか、そう言った事はまだ腑に落ちていないだろう。眉間に皺を寄せているが、「今は暴走しない」、「暴走は滅多に起こらない」と言う二点は理解してもらえたようだ。
その二点さえ分っていれば充分。私はそのまま言葉を続ける。
「しかしごく稀にですが、『力が器を見つけられない日』が存在します」
「……それが、『グランドクロス』か?」
「その通りです。グランドクロスとは、『太陽を中心に出来上がる惑星の十字』。この現象は、形なき物に対し、強い引力を発揮します」
「『形なき物』? ちょっと思いつかないんだが……それって、どういう物だ?」
「そうですね……私達が言う『魔力』もそうですが、人間の『感情』、『願い』等と言った、精神的な物だと思って頂ければ。……当然、クイーンの力もこの引力に囚われます」
少々理解の範囲を超え始めたのか、灰猫さんは渋い顔でこめかみを押さえ……それでも何とか理解しようと、ブツブツと口の中で呟く。恐らく、声を出す事で立った今得た情報を整理しようとしているのだろう。
「えーっと……グランドクロスの日に、霧雨を殺せば、力は暴走する、のか?」
「いいえ。囚われるだけで、暴走するには到りません。暴走するには別の要因が必要になります」
勿論、全く暴走しないとは言い切れない。一時的とは言え、「力だけ」……つまり「魔力が剥き出しのまま放置されている」という状況であれば、多少なりとも影響は出る。
しかし、「大災害」と呼ぶ程ではない。せいぜい力が器を欲して、ポルターガイストを起こしたり、ラップ音がしたり、家電製品が火を吹く位だろう。
……それもある意味、充分すぎる大災害かもしれないが。
「別の要因。……って、ひょっとして今までの話を統合すると、月食か?」
「はい。生物は全般的に、月の満ち欠けで体調の変化を伴う、という話はご存知ですか?」
「ああ。ウミガメの産卵も、それが関係しているとか聞くけど」
「我々の魔力も、月の満ち欠けで多少の増減が見られます。基本的に、満月の夜には魔力が上がる傾向にあるようです」
月には「魔力」がある。これはヒトと言う種を除く十二の魔族の共通見解だ。かつてはヒトもそう思っていたらしいが、いかんせん魔力が弱く、我々ほどその影響が顕著だった訳でもないので今ではその認識は薄れてしまっているらしい。
どういった理由なのかは解明されていないのだが、何はともあれ、満月になると我々の魔力はかなり跳ね上がる。逆に新月になると、魔力はがくんと下がるのだから恐ろしい。
中でも顕著な例として、ウルフェン族が挙げられる。彼らは満月の夜になると、魔力が上がりすぎて人型を保っていられない。これも一種の暴走と言えるだろう。
「その辺は、何となく理解出来る。つまるところ、満月で上がった魔力って奴を、霧雨という『器』を壊す事で取り出し、グランドクロスの持つ『引力』で抑え込もうとしているって事だよな? ……ああでも、そうなると『月食』が関係なくなるな」
ぐしゃぐしゃと髪を毟り、半ば呻く様な声でぼやいているのは、彼なりに理解しようとしてくれているからのだろう。
灰猫さんの考えはほとんど正解だ。後は月食がもたらす弊害を説明すれば良いだけ。
「魔力は月の光を
「表現だけ聞けばロマンチックだが、実際に起こったらかなり迷惑だな。だってその間、力は宙ぶらりんなんだろ?」
「ええ。更に迷惑な事に、月食で『月が食われる』事により、高揚した魔力は『満月ではなくなった』と認識して、沈静化してしまうのです」
「って事はだ。ざっくり言ってしまえば、月の光で目茶目茶テンション上がったのに、途中で地球の影と言う邪魔が入った。だから大人しくなった。……って事は、その邪魔が消えたら……」
「灰猫さんの言を借りるならば、『もう一度目茶目茶テンション上がる』と言う状態になります。それも……沈静化した反動で、『羽目を外す』くらいに」
「……それが、暴走か……」
どうやら理解してくれたらしい。さっと彼の顔から血の気が引き、もう一度視線を霧雨さんに向けた。
そう。そんな事になれば……
クイーンの力の暴走とは、それ程の危険を秘めている。元々が大きな力なだけに、「羽目を外した」際の反動は計り知れない。
同等の力を持つキングを狙わないのは、恐らく返り討ちにされると判断したからだろう。あのお方は既に自身の力を自由に扱える。その点、幼く、力に目覚めきっていない霧雨さんは扱い易い。
しかし、とここで一つの疑問が浮かぶ。
聖守もレオも、何故そんな事をしたがるのか。
彼らは人間を見下している。それは分る。だからと言って、その見下す対象が全滅してしまったら、困るのではなかろうか。
我々ファンガイアは未だヒトのライフエナジーなしに生きていけないし、オルフェノクだってヒトと言う種がいなければ増えないはず。そうなると、当然こちらもいずれは滅びの一途を辿る事に……
……まさかとは思うが、互いに互いの力を取り入れ、新しい種を作ろうと画策している……?
「なあ、彩塔さん」
「あ、はい。何でしょう?」
思考を一時中断させ、意識を現実に戻すと、そこには辛そうに顔を顰めている灰猫さんがいた。しかし表情の奥に、微かだが……怒りの色も見える。
恐らく、私の予想する「グランドクロスの大災害」が許せないのだろう。
「つまるところ、その月食の日まで霧雨を守れば、もうあいつらは襲ってこないって思っていいんだよな?」
「ええ。……あ、いえ、そうでもないかもしれません」
「え?」
普通に考えれば。そして普段ならば。
「グランドクロスを過ぎれば用なし」と判断して、彼らも霧雨さんの捕縛を諦めると思うのだが。
今年の星の運行を思い出すと、そうも行かないと言う事を思い知らされる。
「残念ながら……今年は魔力的には非常に危険な年で」
「……何? 厄年?」
「いえ、何と言うか……元日に部分月食、グランドクロス期間における部分月食と皆既日食、そして大晦日の皆既月食が」
「……そう聞くとお祭りイヤーだな、二〇一〇年。月食で始まって月食で終わるのか」
「まあ、毎年どこかしらで月食や日食は観測されますが、今年は日付がミラクルですから」
はあ、と深い溜息を吐き出しながら、私はがっくりと項垂れた。
言っておくが、決してレオや聖守の襲撃を憂いてではない。いや、勿論それも憂いの要因の一つではあるが、それ以上に憂鬱な気分にさせる存在を思い出したのだ。
……その時期に帰って来るであろう、暑苦しい男の存在を。