灰の虎とガラスの獅子

【目的はX/あなたの、夜が来る】

「But……You kill because you're obstructive」
 邪魔をするなら殺すと宣言された瞬間、それまで隠していたのであろう殺気が俺と彩塔さんに向けられる。
 レオの奴は、何やら「グランドクロスの大災害」とか言う物の為に、霧雨を拉致、そしてグランドクロスに合わせて彼女を殺害するつもりらしい。
 ……気になるのは、何で霧雨なのかと言う点だ。
 もっとも、それを聞いた所でレオは答えちゃくれないのだろうし、こっちもそれを聞く余裕はない。何しろ問答無用でこっちを襲ってきているのだから。
「いい加減にしつこいんだよ、レオ!」
 言いながら、俺は番えていた矢を連続で放つ。とは言え、今までの経験上、この距離でもレオには当たらない事を、俺は知っている。
 レオはこれと言った武器を持たないが、とんでもないスピードを持つ。以前来やがった時に、ほぼゼロ距離で矢を放った事があるが、それすらもかわされたと言う事実がある。
 唯一奴に有効だった手段は、ドームを描くように半球状に矢を放つと言う方法だったが……俺はレオより早いと言う訳ではない。当然矢の発射にはタイムラグが生じ、その隙を突いてギリギリでかわすと言う方法をとられてしまう。以前やった時ですら二、三本程度しか当たらなかった事を考えると、おそらく今回も同じ方法で撃退できるとは思えない。
 さて、どうするべきか。とりあえず今は矢を連射してレオを近付けさせないようにしているが、いつまでもつ訳じゃない。矢を射るのは、それなりの集中力が必要になる。ましてや連射となると、相当神経を使う。集中が途切れた瞬間に、反撃してくるつもりなんだろう。
――どうする、弓? ヤローは遊んでいるみたいだぜ?――
 ああ、そうらしいな。わざと付かず離れずの距離を保って、こっちの消耗を誘ってやがる。
 どこか楽しそうな心の声に、俺自身は焦り混じりの思考を返す。とは言え、こんな心の声が聞こえるって事は、案外余裕なのか、俺?
 いやいや、そんな訳がない。
 なりふり構わず攻撃できるって状態ならともかく、今はそうじゃない。何しろ俺の後ろには、彩塔さんと霧雨がいるんだ。
 なりふり構わない……「あっちの姿」になった場合、軽く理性が吹っ飛ぶ。そうなった時、俺は彩塔さんや霧雨を襲わないと保障できない。素早さも集中力も跳ね上がるが、オルフェノクの本能が暴走するらしい。
 それで彼女らを襲ったら、本末転倒もいいところだ。
「It isn't time when it is dopy」
 思った以上に近くから声が響き、はっと意識をレオに向ける。
 ああもうっ! 早速集中切れ始めたか!?
 心の中で毒吐きながらも、俺は慌てて矢を番える。だが、それよりもレオの動きの方が早かった。気付けば俺の体は大きく仰け反り、地面の上に転がっていた。
「Ha! You became a blockhead!!」
 鼻でせせら笑いながら、レオは体勢を立て直そうとする俺の首を踏みつけると、あらかじめ拾っていたらしい俺の矢を高々と振り上げ……
「Then, you must be looking obediently while learning my powerlessness」
 その言葉と同時に、持っていた矢を俺の四肢に向けて振り下ろす。
 一瞬、何をされたのか理解できなくて。だが、直後に知覚した鈍い痛みによって、俺は自身の矢でその場に縫い止められたのだと理解した。
「ち……っくしょう!」
 振り下ろされた矢は、完全に俺の両掌と両腿を貫きコンクリートに俺の体を縫いとめている。
 矢は俺の放った物だ。俺の体の一部と言っても過言じゃぁない。だから、俺がこの矢の「毒」で死ぬ事はないだろう。
 激痛を堪えてもがいてみても、矢は全く動かない。と言う事は、俺の動きは完全に封じられていると言う事であり、レオにとっては攻撃したい放題。
 更に「大人しく見ていろ」と言う台詞から考えて、俺を無視して彩塔さんと霧雨に攻撃を仕掛ける気満々って事が、かなり問題ありだ。
――下手に動くと、怪我が広がるぞ?――
 動かなかったら確実に殺されるだろうがっ! 俺が、じゃない。彩塔さんと霧雨が、だ。
 今の彩塔さんに、レオに対抗する術があるかと問われれば、俺は間違いなくノーを突きつける。普段の彼女でも厳しいだろうと思うのに、今はそこに霧雨がいる。
 言っちゃ難だが、あの子はこの状況では足手纏いだ。
「Man weakens when someone is defended. It is foolish」
――あ、それはオレも同感。誰かを守ると、人間って弱くなるよなぁ――
 レオの言葉に同意するように、頭の中で声がする。
 これも、昔……オルフェノクになってすぐに、思った事だ。それを今更思い出すなんて、本当にどうかしてる。
 何か? アッシュメモリの副作用みたいな物が、まだ残ってるのか? メモリは壊れたはずだろ?
 確かに昔はそう思っていた。誰かを守るって事は、必然的に足手纏いを抱えるって事だ。それは今でもそう思っている。
 だけど……物理的に足手纏いを抱える事になるとわかっていても……「守るべき者」と言う存在は、己の心の支えになる。折れそうになるのを支えてくれる、絶対的な支えに。
 それが分らないレオは……
「……哀れですね」
 俺が思うよりも先に、心の奥底から憐れんでいるような彩塔さんの声が聞こえる。彼女の方に顔を向けると、そこには霧雨を抱きすくめるようにしながらも、顔だけは真っ直ぐにレオに向けている彼女がいる。
「確かに、守る者がいると、弱くなります。ですが同時に強くもなる。それは戦場いくさばにおける絶対の矛盾」
 「戦場に立つ絶対の矛盾」。
 確か、彩塔さんの真名とか言う物が、そうだったはずだ。
 そうか。彼女は生まれた時から、「誰かを守る為に存在する事」を見越されていたのか。
「ですが、その矛盾を、あなたは知らない。守ろうと……守りたいと思った事がないから、『愚かしい』などと言えるんです。そしてそれは、あなたが自分以外の誰かを、愛した事がないのと同義です」
 ルークとか言う肩書きがあろうとなかろうと、相手が何者であろうと。彼女は己の名に……そして己の信念に恥じぬ行動をとると言う事か。
 恐らく彼女も自覚しているくらい不利な状況にも関わらず、きっぱりと言い切ったその姿勢は見事としか言いようがない。
――ヒュゥ! やっぱり彩塔硝子って奴は良いオンナだな! ますます惚れたんじゃないか、弓?――
 ああ、そうだな。彼女がイイ女だって事は、前から知ってたさ。
 ぶれない誇り高さは、俺の持っていない物だ。正直に、羨ましいと思うよ。
 ……こんな状況でなければ、って言う前提が付くけどな!
 残念ながら、皆が皆、彼女の誇り高さを素直に賞賛できると言う訳ではない。嫉妬する奴もいれば、逆切れする奴もいるだろうし、そもそも彼女の考えを理解出来ない奴だっている訳で……
 レオの場合、二番目のパターンらしい。軽く首を傾げ、微かに苛立ったように目を細めると、一息に彼女との距離を詰める。
「……If it is an empty word, it is possible to say even very much. The problem is whether it can be moved to the action!」
「……仰る通り、口だけでなく行動で示した方が良さそうですね!」
 言うと同時に、彩塔さんの姿が変わる。白い、ライオンファンガイアの姿へと。そして次の瞬間には、突っ込んでくるレオの腹部に、渾身の拳をお見舞いしていた。
 それでなくとも強烈な彩塔さんの拳だ。スピードが乗っていたレオにはきつかろう。ぐぅと低く呻くと、驚いたように目を見開いて今の彩塔さんの姿を見やる。
 だが、すぐにその口の端に笑みを浮かべ……
「Your thing is a troublesome other party though it was effective in the talk」
 ……何……?
「私の事を……聞いていた?」
 彼女も同じところに引っかかったらしい。
 「聞いていた通り、厄介な相手」と言う言葉に。
 だが、その「引っかかり」が仇となった。レオは更に口の端を吊り上げたかと思うと、先程のお返しとばかりに彩塔さんの鳩尾を殴りつけ、反動で「く」の字に曲がった彼女の首筋めがけて踵を振り落す。
 勢いで彼女は頭から床へと倒れこみ、しこたま顔面を打ちつける。
 しかしそこでやめる程、レオはお人好しではなかった。倒れこんだままの彼女の背に、勢い良く腰を下すと、そのまま彼女の頭を力の限り押さえつけた。
 その、レオが触れた部分から。
 徐々にではあるが、彼女の体が灰化していくのが見えた。
「あ……あああああぁぁぁぁっ!!」
「It is a wonderful scream. It hears and it is agreeable」
 灰化は彼女に激痛を与えているのか、彼女の口からは聞いた事のない絶叫が漏れている。そしてそれを、レオが恍惚の表情で聞き入っている。
 少し離れたところでは、霧雨がガタガタと震えながら突っ立っている。
 多分、足が竦んで動けないのだろう。半分涙目になりながら、それでもまるで固まってしまったかのようにこちらを見続けている。
 そんな霧雨に気付いていないのか、レオは心底楽しそうに彩塔さんの顔を強引に持ち上げると、彼女の耳元、触れるか触れないかの位置に口を寄せ、囁きを落とした。
「The pain is unpleasant, aren't you? Rub the face against ground and ask for your life. Then, I'll help you, moppet」
 いっそ優しさすら感じられる声で落とされたその囁きに、彼女は忌々しげにレオを睨み付け……
「……I would rather bite through my tongue and die than asking for my life to you, baby」
 きっぱりと、彼女は姿をファンガイア本来の物から、擬態である人間の物に変えると、そう言い放ったのだ。
 ……「命乞いするぐらいなら、舌噛み切って死んでやる」と。しかも「お嬢さん」と言われた腹いせだろうか。「baby」……つまり、「ボウヤ」と言う、いらん挑発まで添えて。
 その言葉に腹を立てたのだろう。レオはチッと一つ舌打ちをすると、掴んでいた彼女の頭を地面に叩きつけると、近くに落ちていた俺の矢を拾い上げ……
「OK. I kill you as it's your hope」
 俺にやったのと同じように、それを振り下ろしにかかった。
 ただ、違うのは……俺はオルフェノクだから、さして問題はなかったが、彼女は大いに問題があると言う点。そして……刺そうとしている位置。俺は四肢を封じられたが、レオが今狙っているのは、彼女の心臓だ。
 人間ですら、オルフェノクになれる確率は低いのに。
 ファンガイアである彼女が、オルフェノクになる可能性なんて極めて低い。それも、俺の矢で止めだなんて、そんなのは耐えられない。
「や……やめろぉぉぉっ!」
「I don't stop it. Hahahahahaha!」
 高らかに笑いながら、レオが振り下ろす矢の先が、彼女の体に沈もうとした、その瞬間。
「ふえぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
 ひょっとすると、彼女が両親を亡くした状況を思い出したのかもしれない。霧雨は、腰が抜けたようにぺたんとその場に座り込み……火がついたような大声で泣き出したのだ。
 その声に驚いたのか、レオの手がぴたりと止まり……どうやら、先程まで認識の外に霧雨はいたらしい。ああ、と思い出したように泣き喚く子供を見つめた。
 本来の目的は彼女だったにも拘らず、どうやら俺や彩塔さんを苦しめる事が楽しくて、霧雨の事を忘れていたらしい。あるいは、相手は小さな子供だからと甘く見ていたのか。
 とにかく、霧雨の声で興が削がれたのだろう。彩塔さんに向けていた矢をぽん、と放り捨てた。
 一方で声の主と言えば、顔は恐怖で歪み、駄々をこねるように両手足をばたつかせ、それでも視線だけは俺と彩塔さんの間を往復させ、顎の辺りにはファンガイア特有の虹色の細胞が浮かんでいた。
「しょこちゃんも弓にーちゃも、死んじゃうの、やだぁぁぁぁぁっ!」
「Shut up!」
 霧雨の泣き声に苛立ったのか。レオはきつく彼女を睨みつけると、彩塔さんの上から退き、一気に距離を詰めた。
 畜生、畜生、畜生! 何で俺、こんな情けない姿晒してるんだよ!? あの子の両親に頼まれたのに、この体たらく。しかも、俺の動きを封じているのは自身の武器。これ程情けないと思った事はない。
「ちっくしょぉぉぉぉっ!」
 悔しさのあまり、吠えるようにそう叫ぶ。同時に、レオの手が霧雨に触れた…………その瞬間。
 霧雨を中心にして、周囲の空間が夜を髣髴とさせる「闇」に包まれ、ぞくりと妙な寒気が俺の体を襲った。
 本能的に、これはヤバイと理解出来る。
 それはレオの奴も同じらしく、霧雨に触れていた手を慌てて引っ込めると、大きく後ろへ跳び退り、理由もなしに天を見上げた。
 ……おかしい。まだ、昼間のはずだ。それなのに……太陽は霧雨の生んだらしい闇に飲まれ、取って代わるかのようにそらには血のように赤い月が浮かんでいる。
 辺り一帯は完全に夜に似た闇と静寂に包まれている。
「何だ、これ……!?」
――「ナイト」の記憶メモリ……? いや、違うな。これは……――
「これは……やはり、『御力』……」
 レオが退いた事で、体の自由を取り戻したらしい。彩塔さんは、ボロボロの体を引き摺りながらも、俺の方へ駆け寄って刺さった矢を引き抜きにかかってくれる。
 ……どこか惚けたような、そして同時に怯えたような表情で、霧雨を見つめながら。
「俺は後でいいから、霧雨の方を……」
「いえ。この力が発動している以上、もはや私の出る幕はありません。後は、あの子が力に飲まれぬように祈るだけです」
 軽く首を横に振り、彩塔さんは俺の両手の矢を引き抜く。
 それと同時に、霧雨の声が聞こえた。普段の彼女からは想像できない位、はっきりとした……そして大人びた言葉が。
「……あなたの夜が来る。明けない夜が」
 涙で濡れていたはずの栗色の瞳は、今は虹色の輝きを放ってレオの姿を捉えている。普段は何もないはずの左掌が光っており、それを真っ直ぐにレオに向け……
 赤い衝撃が、そこから迸るのが見えた。
 それに何か嫌な物でも感じ取ったのか、レオは慌ててその軸線から逃れるべく横へと飛ぶ。しかし完全には避けきれなかったらしい。左腕は赤い衝撃に巻き込まれ、一瞬にして灰へと変わった。
 ……あれが、霧雨のファンガイアとしての力……なのか!? だとしたら、あまりにも桁違いすぎる!
「What's happen!?  It's outside assumption!!」
 なくなってしまった左腕を押さえながら、レオは悲鳴にも似た声で叫ぶ。
 確かに、想定外だろう。俺だって霧雨にあんな力があるなんて知らなかった。
「彩塔さん、今の……何? 何か知ってるみたいだったけど」
「『制裁の雷』と呼ばれている力です。……チェックメイトフォーの面々が使用できます」
 へぇ……そんな凄い力……って、待て。
 「チェックメイトフォーの面々が使用できます」……?
「まさか」
「……私やビショップでは、あそこまでの力を呼ぶ事など出来ません。ましてあの子は闇を呼び、赤き魔性の月さえも呼んだ。更には力に付いた色が赤と言う事は……霧雨さんが……あの方が、チェックメイトフォーの最後の一人。『クイーン』である事を指しています」
 予感、的中。なんだ、最近の風都はファンガイアさん達に人気の物件なのか!? ってか、四人いる「お偉いさん」のうち、三人までこの街にいるって、何の因果だよ!?
 いや、そもそも「クイーン」ってイメージとしてもっとこう……
「普通『クイーン』って単語から連想できるのは、もう少し大人の女性じゃないか!? 強いて言うなら斗李さんを女性にしたような!」
「やめて下さい!! 『クイーン』の……先代や先々代と言った清楚な方々のイメージが汚れます! そもそもチェックメイトフォーの力は、キングを除き『力が使い手を決める』んですから」
「え、本人の意思ドン無視!?」
「まあ、そうなのですが……一応、大変名誉な称号なんですよ? 生き方は固定されますけれど」
 それってつまり、自由がないのと同義じゃないのか? 大体、現時点で霧雨の生き方が固定されると言われるのは、正直な話、腹立たしい。
 あの子はまだ四歳だ。まだまだ遊びたい盛りだろうし、クイーンとしてとか何とか言うのは……
「ですが、これで合点が行きました。聖守とレオさんが、霧雨さんを狙っている訳に」
「……『クイーンだから』か?」
「はい。後は……チェックメイトフォーである私ですら気付けなかった彼女の力に、誰が、いつ気付いて彼らに教えたのか……という問題が残ります」
「でもまぁ、それはレオを締め上げれば良いんじゃないかな?」
「ええ。異論ありません。むしろ、積極的に賛成させて下さい」
 未だ左腕を押さえ、ギリギリと霧雨を睨みつけるレオ。そちらに向かって、俺と彩塔さんは同時に視線を送った。
 多分、今の俺達は同じ顔をしてる事だろう。所謂、悪人面って奴を。その事実に気付いたのか、レオはチッと小さく舌打ちをし……
「Shit! It's a monster as Seth says it」
 そう吐き捨てるように言うと、不利と判断したのだろう。くるりと踵を返して、俺達の目の前から姿を消した。
 瞬間、辺りを覆っていた闇も晴れ……霧雨が、きょとんとした顔で俺達を見つめていた。
 その顔に、既にファンガイアの面影はない。掌に浮かんでいた紋章も消えている。俺の……いや、俺達の知る、「吾妻霧雨」と言う一人の子供が、そこにはいた。
「う? どしたの? ライオンさん、いなくなったの?」
 そう。まるで自分のやった事だけ、ぽっかりと抜け落ちているかのような態度で。
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