灰の虎とガラスの獅子
【蠢くD/君を、助け出す】
今日も空振りか。
ふぅ、と小さく溜息を吐き出しながら、重い足取りで私は帰路についていた。
この街にいる同族を探すだけでも大変だと言うのに、その中からたった一人のクイーンを探せと言うのは、砂漠の中から針を見つけるのに近しい作業。
そもそも、「この街」と言う定義自体が広すぎる。人口がどれだけいると思っているのか。以前も言ったと思うが、この街は「政令指定都市一歩手前」だ。百万以下とは言え、それに近い数の人口を誇っている。
……はっ! まさかビショップの奴、地味にこんな嫌がらせを!?
心身ともに疲労しているせいもあって、そんな下らない事が頭を過ぎる。唯一の救いは、最近本当に平穏な毎日を送れていると言う事くらいか。
これで白騎士の襲撃とかビショップからの刺客とかがあったら、八つ当たりをしている所だ。主に帝虎に。
等と、少々物騒な事を思っている間に、いつの間にやら部屋の前に着き……そこで私は、驚きの光景を目の当たりにした。
私の部屋の前で、灰猫さんが困ったような顔をして立っている。いや、それは特に驚くべき様な事ではない。調味料を切らしたと言って、お裾分けするような間柄だ、それくらいはままある。
しかし驚くべきは、彼の腕の中。そこには、煤だらけの顔をした女の子がしがみついている上に、その子はこちらに気付いて何故か嬉しそうに笑ったのだ。
「どうしよう彩塔さん。……懐かれたんだが」
そう言いながら、灰猫さんは何故か少し照れくさそうに頬を赤らめつつ、その少女を私の眼前に近付ける。
年齢は三、四歳くらい。大きめの栗色の瞳に、子供特有の赤く血色の良い頬、汚れてはいるが、可愛いと言って差し支えない顔立ちをしている。
しかし彼女から受けるこの感覚は……
訝しく思いつつも、私は軽くこめかみを押さえ、彼に対して言葉を放つ。
「…………灰猫さん、誘拐は犯罪です。いくら可愛いからって、無断で連れて来ちゃ駄目ですよ」
「いやいやいや、誘拐じゃないから!」
「えっ!? 誘拐じゃないなら拉致ですか!? 更に性質が悪くないですか!? 自首するなら今のうちですよ?」
「ちょっと待て。彩塔さんの中の俺って、どんな人物な訳!?」
「分かっています、無論冗談です。…………灰猫さんの隠し子ですよね?」
「ちっがぁぁぁぁぁうっ!」
「そんな全力で否定されましても。冗談ですってば」
「……彩塔さん、真顔で冗談言うのやめてくれ。冗談なのか本気なのか分らないから」
私の言葉に振り回されたのか、ぐったりと肩を落とす灰猫さんに対し、私はにっこりと笑みを浮かべた。
普段はこんな悪質な冗談は吐かないのだが、やはりどうも疲れているらしい。灰猫さんが真っ赤になって、必死で否定する様を見て、「楽しい」などと思うとは。
「とにかく、上がって下さい。お待たせしてしまいましたから、お疲れでしょう?」
「……お、おう……あり、がと」
……?
何だか今日はいつもと灰猫さんの反応が違うような?
少女に負けないくらい頬を紅潮させ、何故かこちらと目を合わそうとしない。偶に目が合っても、すぐに不機嫌そうな表情で反らされてしまう。
……私、何か嫌われるような事をしただろうか。何だろう、この寂しいような、苛立たしいような、何とも言えない感覚は。
訳のわからない感覚に苛まれながらも、私は極力いつも通りの表情を作り、お茶とジュースを二人に差し出す。
それで一息つけたのか、灰猫さんはふぅ、と軽く息を吐き出すと、それまでの怒っている様な雰囲気から一転、真面目かつ深刻な雰囲気へと変わった。
「……夕方前に、風都二丁目の辺りで火事があったろ?」
「そう言われれば、かなり台数の消防車が走っていた気がします。消防ヘリが煩いと思った記憶がうっすらと」
本屋のバイト中に、確かに大通りを数台の消防車と救急車が駆け抜けた後、消防ヘリがバタバタと現場付近の上空を旋回していたのを見かけた記憶がある。
夕暮れの紅を更に染めるかのように、チラチラと炎が空気を嘗めていたのも見えた。
ただ……後に野次馬をしていたと言う客が言うには、大火災ではあったが、幸いにして死者は出なかったとの話だったのだが……
「偶々現場に居合わせてさ」
「…………ひょっとして、燃え盛る炎の中、助けに入ったとかですか?」
「一応、警察関係者にはそれっぽい事を言っておいた」
他人の事を「無謀」とか言えないような気がする。いくらオルフェノクとは言え、炎に巻かれれば死ぬ事には変わりないだろう。ファンガイア氏族だって、ヒト程脆弱ではないが、やはりガラス質な細胞のせいなのか、高温には弱い。
……と、呆れ半分にそこまで思ったのだが……灰猫さんの言葉から察するに、真実はそうではないと言う事らしい。
「それっぽい事」と言う事はつまり……
「本当は何があったんです? そのお嬢さんが私と同族……ファンガイア氏族である事と、何か関係が?」
そう。灰猫さんの隣で美味しそうにジュースを飲んでいるこの少女は、間違いなく私と同じファンガイアだ。先程から彼女からファンガイア特有の気配が漂っている事からも、それが言える。彼女が私の顔を見て笑ったのも、恐らくこの感覚の為だろう。同じファンガイア氏族だと分って、安心したのだと思う。
この感知能力は、ある意味本能のような物なのだろう。人間を襲ったつもりが、実は同族でしたなんて事になったら洒落にならない。
「……やっぱり、分るんだな。そう、この子はファンガイアらしい。両親と一緒に、別のファンガイアに襲われていた」
「同族が同族を襲う? 何故?」
思わず眉が寄ってしまうのを感じながらも、私は思わず灰猫さんに問いかける。だが、問われた方もその理由を知らないらしく、申し訳なさそうに首を横に振った。
……まあ、それもそうだろう。言っても灰猫さんは善意の第三者だ。同族間のゴタゴタを、言ってしまえば異種族である灰猫さんが関知するところではない。
「ただ、分るのは……そのファンガイアが、この子の誘拐を目論んでいた事。そしてこの子の両親は……」
俯きがちに言いながら、灰猫さんは黙って首を横に振った。それはつまり……殺されたと判断して然るべきだろう。
「相手に一矢報いようと、二人は自分の家に火をかけた。で、その時にさ……二人に頼まれたんだ、この子の事。……俺は、助けに入ったつもりだったのに……結局何も出来なかった。出来たのは、この子を連れ出す事と……この欠片を持ち出す事だけだ」
苦しそうに吐き出しつつ、彼は隣に座る少女を見やり……やがて意を決したように、ポケットの中から二つの欠片を取り出した。
方や水色、方や赤紫。ガラスを連想させるその質感から鑑みるに、恐らくは少女の両親の亡骸……その一部だろう。
少女もそれを理解しているのか、その欠片を見て小さく両親を呼んだように見えた。
……夕方の火事では、死者は出なかったと言うが、それは違ったと言う事か。実際は、二人亡くなっていて……けれどその亡骸が、ヒトの常識から逸脱していた物だから、「亡骸」だと思われなかったのだろう。恐らく彼女の両親は「行方不明」として扱われているはずだ。
永遠に見つかる事のない、「行方不明者」として。それが私にはやるせない。
重苦しい沈黙が落ち、空気がどんどん沈んでいく。
……しかし、それではいけないと言う事を、私は知っている。死者を悼む事は当然必要だが、今はそれよりも生きている者の傷を癒す方が先だ。重い空気は、心の傷を悪化させる。そうなっては、立ち直るまでに時間がかかってしまう。
……ヒトよりも更に長い時間を生きる私達なら、尚更。
だから私は、出来るだけにこやかな笑みを浮かべて少女の顔を覗き込み、声をかけた。
「私は、彩塔硝子と申します。なお、こちらの方は灰猫弓さんです」
「……しょこちゃんと、弓にーちゃ……」
舌足らずな声で、彼女は私達の名を繰り返す。
「しょこ」ではなく「しょうこ」なのだが……まあ、元気そうな声に免じて良しとしよう。
思いつつ、更に私は笑みを深くすると、こくりと小さく頷き……
「はい。ではお嬢さん、あなたのお名前を伺ってもよろしいですか?」
「むー。『あづまむう』
言いながら、彼女が差し出したのは迷子札だろうか。差し出された黄色い樹脂製の札には、「吾妻霧雨」と言う名前と、彼女の家の住所が書かれていた。
「霧雨」と書いて、「むう」と読むのもまた珍しい。学校などで、まず間違いなく教師に「あづまキリサメ」と呼ばれる事だろう。
……私の名前を初見のヒトに、「さいとうガラス」と読まれてしまうように。今から彼女に同情してしまう。
「でもホントは、『こんぺきのうみにまいおどるきぼうとぜつぼう』」
………………ごめんなさい、私の聞き方が悪かったです。
「吾妻霧雨」と言う「仮の名前」を名乗った直後、彼女は事もあろうに「本来の名前」を口にしてしまった。
恐らく、私が「『お名前』を伺ってもよろしいですか」と聞いたが為に、素直な彼女は親切にも両方教えてくれたのだ。
何故なら、どちらも彼女にとっては「お名前」なのだから。
「え、ちょっ、何それ長っ! つか、ホントはって……それって本名なのか?」
「うん」
何も知らない灰猫さんの問いに、霧雨さんは素直に、そして嬉しそうに大きく頷きを返す。
返された方はきょとんとした顔で彼女を見ているが、私は思わず頭を抱えそうになっている。
確かに名前を聞いたのは私だ。だが……私が言うのもなんだが、いくら子供とは言え危機感がなさ過ぎる。さらりと「本来の名前」……「真名」を名乗ってしまうなんて。
「彩塔さん、ちょっと俺にはよく分らないんだが……どういう事なのか聞いてもいい、かな?」
「……ファンガイア氏族は、人間世界で使う名前の他に、本来の名前……『真名』を持っているんです。『紺碧の海に舞い踊る希望と絶望』と言うのは、霧雨さんのファンガイアとしての本来の名です」
「じゃあ、彩塔さんもそう言うのがあるって事か?」
「はい。灰猫さんだからお伝えしますが、私の真名は『戦場に立つ絶対の矛盾』。……本来、真名は滅多に他人には教えてはならない物です」
「何で?」
「他人に真名を知られると言うのは、己の命の一端を握られるのと同意。『名』とは、自身の魂を表す物……と考えられているんです、我が一族の間では」
ヒトの世界でも、ある国では未だ信仰として残っている事だが、「真名」や「忌み名」と呼ばれる「本来の名前」と、「仮名」や「通り名」と言った「普段使う名前」を分ける事がある。
それは、「真名」には呪術的な何か……魂をつなぐ糸だとか、意識その物だとか言われている……が存在し、それを他人に知られると、本人が望まない事でも、その名を知る者の良いように操られると考えられているのだ。
故に、我々は「仮名」で過ごし、「他人からの支配」を避け自分の意思で行動する。
呪術や魔術的要素の薄いヒトなどには効果は薄いが、我々ファンガイア氏族はそうも行かない。
何しろ魔術的要素に頼っている種と言っても過言ではないのだ。それだけ「真名」に対する依存性は高く、またそれを知られた際のダメージも大きい。
思い込みだと言われればそれまでだが、案外その「思い込み」も馬鹿に出来ない。
……と、説明した所で、やはり灰猫さんには理解し難いらしい。首を傾げ、私と霧雨さんを交互に眺め……
「……ごめん、俺には、名前が魂を示すとか、ちょっと理解できないな。『本名と通り名があって、本名を明かしてはいけない。そう言うしきたりだ』って思えば良いのか?」
「あながち間違いでもありませんので、その解釈で結構です」
自身の生活とは異なる……聞き慣れない習慣など、なかなか理解し難い物だ。ヒト同士ですら、食習慣やら信仰やら言語やらの違いが受け入れられずに戦争へと発展するのだ。異なる種族の習慣など、そう簡単に理解出来るとも思えない。
お互いが理解したいと思った時にだけ、時間をかけて理解しあえれば良いと思う。互いの生きた年月分だけ、各々の「常識」があるのだから。
そんな事を考える私を余所に、灰猫さんはやはり理解できない事を嘆いてでもいるのか、深い溜息を一つ吐き出した後、一気に湯飲みのお茶を煽った。
トン、と軽い音を立て机上に置かれた空の湯飲みを見て、私は改めてお茶を注ぐ。
注がれる茶の表には、ゆらりと揺れる波紋。それを灰猫さんは凝視し……深刻な表情を浮かべたまま、私へとその視線を向けなおした。
その真剣な表情に、思わずこちらも居住まいを正し、彼の目を見つめ返す。刹那、彼の顔が紅潮したように見えたが……彼は軽く頭を振ると、いつも通り冷静その物の顔に戻ると、ゆっくりと口を開いた。
「ところで彩塔さん。……一つ、聞いても良いか?」
「何でしょう?」
「『黒い色のライオンファンガイア』に心当たり、ないか? ちなみに性別は男」
……その言葉に、私の体は硬直する。
「ライオンファンガイア」とヒトから呼ばれる存在は少なくない。私もそうだし、先代ルークもそうだと聞いている。今は亡き私の母も、ライオンファンガイアと呼べる姿をしていた。
非常にありふれている訳ではないが、一人や二人と言った少数派でもない。
しかし、その頭に「黒い」が付くとなると話は別。私の知る中に、「黒獅子」はたった一人しか該当しない。
「……それは十中八九、聖守 ですね」
「知り合いなのか?」
「…………ええ、ちょっと」
知らぬうちに、声が低くなる。
「保守派のファンガイアを挙げろ」と言われれば真っ先にビショップの名を挙げるが、「殺してやりたい保守派のファンガイアを挙げろ」と言われたらこの男の名を出してやりたい。
ビショップとは出会い頭で和やかに、そしてにこやかに斬り合う仲だが、こいつは……いや、こいつらは違う。……生かしておいてやろうと言う気など起きない。
「長男の漢字 歌宿 、次男の阿鐘 、そして三男の聖守。私の兄三人と匹敵するくらい厄介な三兄弟です。『自分がファンガイアの頂点に立つ事』を目的に生きているような連中で、実力も程々にある分、性質が悪い。とは言え、長兄の歌宿とは、私も直接の面識はないので、噂の範囲ですが」
なおかつ、別の噂によれば阿鐘の方は以前、王弟陛下によって倒されたと伺ったが。キングを倒してキングになるとか言う馬鹿な事をのたまうからだ。
「カインとアベルとセスって……聖書に出て来るアダムとイブの息子達の名前だな」
「だから余計に、なんじゃないですか? 自分達が地上を支配するのだと思うのは」
自分達が頂点に立つ。その為には何でもする兄弟だ。……本当に、何でも。
キングに対して平然と反逆の意思を持ち、チェックメイトフォーの面々に対しても平然と攻撃を仕掛けてくる。
「ですが、奴が何か? ……と言うのは愚問ですね。この流れから察するに」
そう、この流れ……そして相手が聖守であると言うのなら、ほぼ間違いない。
……霧雨さんの両親を殺したのは、聖守だ。それも恐らく……彼女に恐怖を与える為、無残な殺し方を。恐怖を与え、己に反逆する意思を奪う。それが聖守のやり方だ。幼子に恐怖を簡単に植え付けるには、目の前で両親を惨殺すれば良い。奴はそう言う考えの持ち主だし、それを実行に移す事を躊躇わない。
しかし……そうすると、一つの疑問が浮かぶ。
何故、聖守は霧雨さんを誘拐しようと目論んだのか。
いくつかの仮説は浮かぶ。
例えば、霧雨さんの両親が聖守には邪魔だった。だから子供をだしにおびき出し、抵抗できない状況を作って弄り殺すつもりだったとか、あるいは逆に彼女の両親を取り込むための人質として霧雨さんを使おうと思っていたとか……あるいは、霧雨さんが実は当代の「クイーン」であり、「キングに対する人質」として使おうと思っていたとか。
……そんなまさか、ね。だって霧雨さんの手に、クイーンの紋章はないもの。
しかし本当に彼女がクイーンだとしたら…………キング、物凄い勢いで光源氏まっしぐらです。紫の上ですか、霧雨さん。
……とは言え、可能性がないとは言い切れない。何しろ先代クイーンが亡くなったのが数年前。その頃に生まれた赤ん坊がクイーンの力を継いでもおかしくも何ともない。紋章自体は擬態能力で見えないようにできているのかもしれないし。
ルークやビショップは、その称号の持つ「仕事の意味合い」から、ある程度成長した者が称号を継ぐ事が多い。キングの場合は順当な「血筋」に宿り、クイーンの場合はその力の強大さ故、「幼い頃から力に慣れさせる」と言う意味で幼子に宿ると言う噂がまことしやかに流れている。
だが、結局は仮説に過ぎない。確たる証拠がどこにもないので、霧雨さんがクイーンであるか否かなど断言出来ないし、聖守の目的が不明なのも変わらない。
ぐるぐると巡る思考を中断させ、ふと顔をあげると……霧雨さんがつまらなそうに頬を膨らませながら、こちらを見つめていた。
それもそうか。それ程面白い話をしている訳ではないし、何より彼女は置いてきぼりだ。
「すみません、霧雨さん。つまらなかったですよね」
「ん。しょこちゃんと弓にーちゃだけお話、ずるい」
そう言うと、彼女は軽い足音を立てて、灰猫さんの隣から私の隣に移動し、更には私の腕をぐいと引っ張った。
「……あの?」
「しょこちゃん、お風呂! いっしょ入ろ!」
ニコニコ、ぐいぐいと、子供特有の力強さで引っ張られ、私は思わず苦笑を漏らしてしまう。
私にとっては脈絡もない流れだが、霧雨さんからすれば、彼女なりの順序で物を言っているのだろう。確かに彼女は煤で汚れているし、風呂に入りたいと言う気持ちは分らなくもない。
灰猫さんも彼女の突飛な行動に驚いているのか、呆然としている。
強引さに少し戸惑うが……ひょっとすると、彼女なりに戦っているのかもしれない。先程起きた、哀しい記憶と。
だから……
「すみません灰猫さん。ちょっとだけ待っていて下さい、霧雨さんと一緒に、お風呂入ってきちゃいますから」
「ひゃ、ひゃい!? き、気をつけて」
……?
何で声が上擦っているんだろうか? おまけに顔も赤いような気がするし……
灰猫さん、ひょっとして風邪?
そんな事を考えながら、私は霧雨さんと共に洗面所に向かったのであった。
今日も空振りか。
ふぅ、と小さく溜息を吐き出しながら、重い足取りで私は帰路についていた。
この街にいる同族を探すだけでも大変だと言うのに、その中からたった一人のクイーンを探せと言うのは、砂漠の中から針を見つけるのに近しい作業。
そもそも、「この街」と言う定義自体が広すぎる。人口がどれだけいると思っているのか。以前も言ったと思うが、この街は「政令指定都市一歩手前」だ。百万以下とは言え、それに近い数の人口を誇っている。
……はっ! まさかビショップの奴、地味にこんな嫌がらせを!?
心身ともに疲労しているせいもあって、そんな下らない事が頭を過ぎる。唯一の救いは、最近本当に平穏な毎日を送れていると言う事くらいか。
これで白騎士の襲撃とかビショップからの刺客とかがあったら、八つ当たりをしている所だ。主に帝虎に。
等と、少々物騒な事を思っている間に、いつの間にやら部屋の前に着き……そこで私は、驚きの光景を目の当たりにした。
私の部屋の前で、灰猫さんが困ったような顔をして立っている。いや、それは特に驚くべき様な事ではない。調味料を切らしたと言って、お裾分けするような間柄だ、それくらいはままある。
しかし驚くべきは、彼の腕の中。そこには、煤だらけの顔をした女の子がしがみついている上に、その子はこちらに気付いて何故か嬉しそうに笑ったのだ。
「どうしよう彩塔さん。……懐かれたんだが」
そう言いながら、灰猫さんは何故か少し照れくさそうに頬を赤らめつつ、その少女を私の眼前に近付ける。
年齢は三、四歳くらい。大きめの栗色の瞳に、子供特有の赤く血色の良い頬、汚れてはいるが、可愛いと言って差し支えない顔立ちをしている。
しかし彼女から受けるこの感覚は……
訝しく思いつつも、私は軽くこめかみを押さえ、彼に対して言葉を放つ。
「…………灰猫さん、誘拐は犯罪です。いくら可愛いからって、無断で連れて来ちゃ駄目ですよ」
「いやいやいや、誘拐じゃないから!」
「えっ!? 誘拐じゃないなら拉致ですか!? 更に性質が悪くないですか!? 自首するなら今のうちですよ?」
「ちょっと待て。彩塔さんの中の俺って、どんな人物な訳!?」
「分かっています、無論冗談です。…………灰猫さんの隠し子ですよね?」
「ちっがぁぁぁぁぁうっ!」
「そんな全力で否定されましても。冗談ですってば」
「……彩塔さん、真顔で冗談言うのやめてくれ。冗談なのか本気なのか分らないから」
私の言葉に振り回されたのか、ぐったりと肩を落とす灰猫さんに対し、私はにっこりと笑みを浮かべた。
普段はこんな悪質な冗談は吐かないのだが、やはりどうも疲れているらしい。灰猫さんが真っ赤になって、必死で否定する様を見て、「楽しい」などと思うとは。
「とにかく、上がって下さい。お待たせしてしまいましたから、お疲れでしょう?」
「……お、おう……あり、がと」
……?
何だか今日はいつもと灰猫さんの反応が違うような?
少女に負けないくらい頬を紅潮させ、何故かこちらと目を合わそうとしない。偶に目が合っても、すぐに不機嫌そうな表情で反らされてしまう。
……私、何か嫌われるような事をしただろうか。何だろう、この寂しいような、苛立たしいような、何とも言えない感覚は。
訳のわからない感覚に苛まれながらも、私は極力いつも通りの表情を作り、お茶とジュースを二人に差し出す。
それで一息つけたのか、灰猫さんはふぅ、と軽く息を吐き出すと、それまでの怒っている様な雰囲気から一転、真面目かつ深刻な雰囲気へと変わった。
「……夕方前に、風都二丁目の辺りで火事があったろ?」
「そう言われれば、かなり台数の消防車が走っていた気がします。消防ヘリが煩いと思った記憶がうっすらと」
本屋のバイト中に、確かに大通りを数台の消防車と救急車が駆け抜けた後、消防ヘリがバタバタと現場付近の上空を旋回していたのを見かけた記憶がある。
夕暮れの紅を更に染めるかのように、チラチラと炎が空気を嘗めていたのも見えた。
ただ……後に野次馬をしていたと言う客が言うには、大火災ではあったが、幸いにして死者は出なかったとの話だったのだが……
「偶々現場に居合わせてさ」
「…………ひょっとして、燃え盛る炎の中、助けに入ったとかですか?」
「一応、警察関係者にはそれっぽい事を言っておいた」
他人の事を「無謀」とか言えないような気がする。いくらオルフェノクとは言え、炎に巻かれれば死ぬ事には変わりないだろう。ファンガイア氏族だって、ヒト程脆弱ではないが、やはりガラス質な細胞のせいなのか、高温には弱い。
……と、呆れ半分にそこまで思ったのだが……灰猫さんの言葉から察するに、真実はそうではないと言う事らしい。
「それっぽい事」と言う事はつまり……
「本当は何があったんです? そのお嬢さんが私と同族……ファンガイア氏族である事と、何か関係が?」
そう。灰猫さんの隣で美味しそうにジュースを飲んでいるこの少女は、間違いなく私と同じファンガイアだ。先程から彼女からファンガイア特有の気配が漂っている事からも、それが言える。彼女が私の顔を見て笑ったのも、恐らくこの感覚の為だろう。同じファンガイア氏族だと分って、安心したのだと思う。
この感知能力は、ある意味本能のような物なのだろう。人間を襲ったつもりが、実は同族でしたなんて事になったら洒落にならない。
「……やっぱり、分るんだな。そう、この子はファンガイアらしい。両親と一緒に、別のファンガイアに襲われていた」
「同族が同族を襲う? 何故?」
思わず眉が寄ってしまうのを感じながらも、私は思わず灰猫さんに問いかける。だが、問われた方もその理由を知らないらしく、申し訳なさそうに首を横に振った。
……まあ、それもそうだろう。言っても灰猫さんは善意の第三者だ。同族間のゴタゴタを、言ってしまえば異種族である灰猫さんが関知するところではない。
「ただ、分るのは……そのファンガイアが、この子の誘拐を目論んでいた事。そしてこの子の両親は……」
俯きがちに言いながら、灰猫さんは黙って首を横に振った。それはつまり……殺されたと判断して然るべきだろう。
「相手に一矢報いようと、二人は自分の家に火をかけた。で、その時にさ……二人に頼まれたんだ、この子の事。……俺は、助けに入ったつもりだったのに……結局何も出来なかった。出来たのは、この子を連れ出す事と……この欠片を持ち出す事だけだ」
苦しそうに吐き出しつつ、彼は隣に座る少女を見やり……やがて意を決したように、ポケットの中から二つの欠片を取り出した。
方や水色、方や赤紫。ガラスを連想させるその質感から鑑みるに、恐らくは少女の両親の亡骸……その一部だろう。
少女もそれを理解しているのか、その欠片を見て小さく両親を呼んだように見えた。
……夕方の火事では、死者は出なかったと言うが、それは違ったと言う事か。実際は、二人亡くなっていて……けれどその亡骸が、ヒトの常識から逸脱していた物だから、「亡骸」だと思われなかったのだろう。恐らく彼女の両親は「行方不明」として扱われているはずだ。
永遠に見つかる事のない、「行方不明者」として。それが私にはやるせない。
重苦しい沈黙が落ち、空気がどんどん沈んでいく。
……しかし、それではいけないと言う事を、私は知っている。死者を悼む事は当然必要だが、今はそれよりも生きている者の傷を癒す方が先だ。重い空気は、心の傷を悪化させる。そうなっては、立ち直るまでに時間がかかってしまう。
……ヒトよりも更に長い時間を生きる私達なら、尚更。
だから私は、出来るだけにこやかな笑みを浮かべて少女の顔を覗き込み、声をかけた。
「私は、彩塔硝子と申します。なお、こちらの方は灰猫弓さんです」
「……しょこちゃんと、弓にーちゃ……」
舌足らずな声で、彼女は私達の名を繰り返す。
「しょこ」ではなく「しょうこ」なのだが……まあ、元気そうな声に免じて良しとしよう。
思いつつ、更に私は笑みを深くすると、こくりと小さく頷き……
「はい。ではお嬢さん、あなたのお名前を伺ってもよろしいですか?」
「むー。『あづまむう』
言いながら、彼女が差し出したのは迷子札だろうか。差し出された黄色い樹脂製の札には、「吾妻霧雨」と言う名前と、彼女の家の住所が書かれていた。
「霧雨」と書いて、「むう」と読むのもまた珍しい。学校などで、まず間違いなく教師に「あづまキリサメ」と呼ばれる事だろう。
……私の名前を初見のヒトに、「さいとうガラス」と読まれてしまうように。今から彼女に同情してしまう。
「でもホントは、『こんぺきのうみにまいおどるきぼうとぜつぼう』」
………………ごめんなさい、私の聞き方が悪かったです。
「吾妻霧雨」と言う「仮の名前」を名乗った直後、彼女は事もあろうに「本来の名前」を口にしてしまった。
恐らく、私が「『お名前』を伺ってもよろしいですか」と聞いたが為に、素直な彼女は親切にも両方教えてくれたのだ。
何故なら、どちらも彼女にとっては「お名前」なのだから。
「え、ちょっ、何それ長っ! つか、ホントはって……それって本名なのか?」
「うん」
何も知らない灰猫さんの問いに、霧雨さんは素直に、そして嬉しそうに大きく頷きを返す。
返された方はきょとんとした顔で彼女を見ているが、私は思わず頭を抱えそうになっている。
確かに名前を聞いたのは私だ。だが……私が言うのもなんだが、いくら子供とは言え危機感がなさ過ぎる。さらりと「本来の名前」……「真名」を名乗ってしまうなんて。
「彩塔さん、ちょっと俺にはよく分らないんだが……どういう事なのか聞いてもいい、かな?」
「……ファンガイア氏族は、人間世界で使う名前の他に、本来の名前……『真名』を持っているんです。『紺碧の海に舞い踊る希望と絶望』と言うのは、霧雨さんのファンガイアとしての本来の名です」
「じゃあ、彩塔さんもそう言うのがあるって事か?」
「はい。灰猫さんだからお伝えしますが、私の真名は『戦場に立つ絶対の矛盾』。……本来、真名は滅多に他人には教えてはならない物です」
「何で?」
「他人に真名を知られると言うのは、己の命の一端を握られるのと同意。『名』とは、自身の魂を表す物……と考えられているんです、我が一族の間では」
ヒトの世界でも、ある国では未だ信仰として残っている事だが、「真名」や「忌み名」と呼ばれる「本来の名前」と、「仮名」や「通り名」と言った「普段使う名前」を分ける事がある。
それは、「真名」には呪術的な何か……魂をつなぐ糸だとか、意識その物だとか言われている……が存在し、それを他人に知られると、本人が望まない事でも、その名を知る者の良いように操られると考えられているのだ。
故に、我々は「仮名」で過ごし、「他人からの支配」を避け自分の意思で行動する。
呪術や魔術的要素の薄いヒトなどには効果は薄いが、我々ファンガイア氏族はそうも行かない。
何しろ魔術的要素に頼っている種と言っても過言ではないのだ。それだけ「真名」に対する依存性は高く、またそれを知られた際のダメージも大きい。
思い込みだと言われればそれまでだが、案外その「思い込み」も馬鹿に出来ない。
……と、説明した所で、やはり灰猫さんには理解し難いらしい。首を傾げ、私と霧雨さんを交互に眺め……
「……ごめん、俺には、名前が魂を示すとか、ちょっと理解できないな。『本名と通り名があって、本名を明かしてはいけない。そう言うしきたりだ』って思えば良いのか?」
「あながち間違いでもありませんので、その解釈で結構です」
自身の生活とは異なる……聞き慣れない習慣など、なかなか理解し難い物だ。ヒト同士ですら、食習慣やら信仰やら言語やらの違いが受け入れられずに戦争へと発展するのだ。異なる種族の習慣など、そう簡単に理解出来るとも思えない。
お互いが理解したいと思った時にだけ、時間をかけて理解しあえれば良いと思う。互いの生きた年月分だけ、各々の「常識」があるのだから。
そんな事を考える私を余所に、灰猫さんはやはり理解できない事を嘆いてでもいるのか、深い溜息を一つ吐き出した後、一気に湯飲みのお茶を煽った。
トン、と軽い音を立て机上に置かれた空の湯飲みを見て、私は改めてお茶を注ぐ。
注がれる茶の表には、ゆらりと揺れる波紋。それを灰猫さんは凝視し……深刻な表情を浮かべたまま、私へとその視線を向けなおした。
その真剣な表情に、思わずこちらも居住まいを正し、彼の目を見つめ返す。刹那、彼の顔が紅潮したように見えたが……彼は軽く頭を振ると、いつも通り冷静その物の顔に戻ると、ゆっくりと口を開いた。
「ところで彩塔さん。……一つ、聞いても良いか?」
「何でしょう?」
「『黒い色のライオンファンガイア』に心当たり、ないか? ちなみに性別は男」
……その言葉に、私の体は硬直する。
「ライオンファンガイア」とヒトから呼ばれる存在は少なくない。私もそうだし、先代ルークもそうだと聞いている。今は亡き私の母も、ライオンファンガイアと呼べる姿をしていた。
非常にありふれている訳ではないが、一人や二人と言った少数派でもない。
しかし、その頭に「黒い」が付くとなると話は別。私の知る中に、「黒獅子」はたった一人しか該当しない。
「……それは十中八九、
「知り合いなのか?」
「…………ええ、ちょっと」
知らぬうちに、声が低くなる。
「保守派のファンガイアを挙げろ」と言われれば真っ先にビショップの名を挙げるが、「殺してやりたい保守派のファンガイアを挙げろ」と言われたらこの男の名を出してやりたい。
ビショップとは出会い頭で和やかに、そしてにこやかに斬り合う仲だが、こいつは……いや、こいつらは違う。……生かしておいてやろうと言う気など起きない。
「長男の
なおかつ、別の噂によれば阿鐘の方は以前、王弟陛下によって倒されたと伺ったが。キングを倒してキングになるとか言う馬鹿な事をのたまうからだ。
「カインとアベルとセスって……聖書に出て来るアダムとイブの息子達の名前だな」
「だから余計に、なんじゃないですか? 自分達が地上を支配するのだと思うのは」
自分達が頂点に立つ。その為には何でもする兄弟だ。……本当に、何でも。
キングに対して平然と反逆の意思を持ち、チェックメイトフォーの面々に対しても平然と攻撃を仕掛けてくる。
「ですが、奴が何か? ……と言うのは愚問ですね。この流れから察するに」
そう、この流れ……そして相手が聖守であると言うのなら、ほぼ間違いない。
……霧雨さんの両親を殺したのは、聖守だ。それも恐らく……彼女に恐怖を与える為、無残な殺し方を。恐怖を与え、己に反逆する意思を奪う。それが聖守のやり方だ。幼子に恐怖を簡単に植え付けるには、目の前で両親を惨殺すれば良い。奴はそう言う考えの持ち主だし、それを実行に移す事を躊躇わない。
しかし……そうすると、一つの疑問が浮かぶ。
何故、聖守は霧雨さんを誘拐しようと目論んだのか。
いくつかの仮説は浮かぶ。
例えば、霧雨さんの両親が聖守には邪魔だった。だから子供をだしにおびき出し、抵抗できない状況を作って弄り殺すつもりだったとか、あるいは逆に彼女の両親を取り込むための人質として霧雨さんを使おうと思っていたとか……あるいは、霧雨さんが実は当代の「クイーン」であり、「キングに対する人質」として使おうと思っていたとか。
……そんなまさか、ね。だって霧雨さんの手に、クイーンの紋章はないもの。
しかし本当に彼女がクイーンだとしたら…………キング、物凄い勢いで光源氏まっしぐらです。紫の上ですか、霧雨さん。
……とは言え、可能性がないとは言い切れない。何しろ先代クイーンが亡くなったのが数年前。その頃に生まれた赤ん坊がクイーンの力を継いでもおかしくも何ともない。紋章自体は擬態能力で見えないようにできているのかもしれないし。
ルークやビショップは、その称号の持つ「仕事の意味合い」から、ある程度成長した者が称号を継ぐ事が多い。キングの場合は順当な「血筋」に宿り、クイーンの場合はその力の強大さ故、「幼い頃から力に慣れさせる」と言う意味で幼子に宿ると言う噂がまことしやかに流れている。
だが、結局は仮説に過ぎない。確たる証拠がどこにもないので、霧雨さんがクイーンであるか否かなど断言出来ないし、聖守の目的が不明なのも変わらない。
ぐるぐると巡る思考を中断させ、ふと顔をあげると……霧雨さんがつまらなそうに頬を膨らませながら、こちらを見つめていた。
それもそうか。それ程面白い話をしている訳ではないし、何より彼女は置いてきぼりだ。
「すみません、霧雨さん。つまらなかったですよね」
「ん。しょこちゃんと弓にーちゃだけお話、ずるい」
そう言うと、彼女は軽い足音を立てて、灰猫さんの隣から私の隣に移動し、更には私の腕をぐいと引っ張った。
「……あの?」
「しょこちゃん、お風呂! いっしょ入ろ!」
ニコニコ、ぐいぐいと、子供特有の力強さで引っ張られ、私は思わず苦笑を漏らしてしまう。
私にとっては脈絡もない流れだが、霧雨さんからすれば、彼女なりの順序で物を言っているのだろう。確かに彼女は煤で汚れているし、風呂に入りたいと言う気持ちは分らなくもない。
灰猫さんも彼女の突飛な行動に驚いているのか、呆然としている。
強引さに少し戸惑うが……ひょっとすると、彼女なりに戦っているのかもしれない。先程起きた、哀しい記憶と。
だから……
「すみません灰猫さん。ちょっとだけ待っていて下さい、霧雨さんと一緒に、お風呂入ってきちゃいますから」
「ひゃ、ひゃい!? き、気をつけて」
……?
何で声が上擦っているんだろうか? おまけに顔も赤いような気がするし……
灰猫さん、ひょっとして風邪?
そんな事を考えながら、私は霧雨さんと共に洗面所に向かったのであった。