灰の虎とガラスの獅子

【Eの気配/ローズの伝言】

 夢を、見ている。
 夢というか、昔の記憶を「夢」という形で振り返っているという感じだろうか。ふわふわと漂う意識の「俺」の視界に、昔の俺の姿が映る。
 これは……今からおよそ五年前。俺がオルフェノクになった直後か。
 自分の変化に恐れをなし、俺は自暴自棄になっていた。
 家族も、親友も、変わってしまった俺の姿を見て恐怖し、「灰猫弓の姿を借りた化物」と罵った。そう言われる度に、人間に絶望しそうで。それが嫌で、俺はとにかく誰もいない場所に行こうと思った。
 傷付きたくない、傷つけたくない、騙したくない、騙されたくない。こんな思いをするなら、生き返りたくなかった。
 そんな風に考え、それでも自分で死ぬ勇気のなかった俺は、ひたすら山の中を彷徨った。
 誰も居ない所でなら、誰も俺を傷つけないし、俺も誰も傷つけずに済む。これ以上ヒトと言う種に絶望しないでいる為には、俺がヒトから離れるしかないと思ったから。
 そんな時、見つけたのは一軒の山小屋。ひっそりと、まるで何かから隠れるようにして森の中に佇むその小屋は、普段から誰かが別荘か何かとして使っているらしい。荒れた様子もなく、随分と綺麗に整備されている。というか、現在進行形で今も誰かが使っているらしく、窓の向こうではちらちらと誰かの影が見え隠れしている。
 誰かがいるのなら、俺はこの場から立ち去るべきだ。俺は「誰もいない場所」を探しているのだから。
 思い、くるりと踵を返した瞬間。小屋の中にいた人物が俺の存在に気付いたらしい。扉を開け、俺の名を呼んだ。
「さっきから誰かの視線を感じると思えば……お前か、弓」
「あ……荘吉さん……」
 出てきたのは、鳴海探偵事務所の所長、鳴海荘吉。白いソフト帽と渋い声が特徴的な、ハードボイルドを地でいく探偵。俺が、オルフェノクになる前から世話になっている人で……出来る事なら、会いたくなかった人物の一人だ。
 そんな俺の気持ちに気付いていないのか、彼は口の端を僅かに吊り上げ……
「最近事務所に顔を見せねぇから、てっきりくたばったのかと思っていたんだが」
 フッと帽子の鍔についた埃を吹き払いながら、何の気なしに言ったつもりだったんだろう。声に僅かながら茶化すような響きが含まれているのを感じる中、俺は思わず目を伏せ、絶望混じりの声で呟く。
「…………その通り。くたばったんだ、一回」
「……どういう意味だ?」
「言葉の通りさ。俺は一度、死んだらしい」
 まさか、肯定するとは思わなかったのだろう。珍しく荘吉さんは驚いたように目を見開いた。
 ああ、この人でも驚く事があるのか。
 そんな風に思いつつ、俺は自分の姿をオルフェノクに変える。親すら恐れ、罵った……得てしまった、もう一つの姿に。
「しかも……こんな化物じみた力って言うおまけ付きで」
 その時、俺が何を考えてその姿を彼に晒したのかは、正直よく覚えていない。ただ、自嘲気味に言ったのは覚えているが……
 荘吉さんなら受け入れてくれると思ったのか、それとも単に自暴自棄になっていたのか。とにかく、俺自身ですら受け入れられない姿を晒し、彼の反応を待った。
 だが、彼の顔に浮かんだのは、恐怖でも哀れみでもなかった。僅かに眉を顰めてはいるが、これと言って普段と変わらない表情。
 永遠にも思える一瞬の静寂が落ちた後、荘吉さんが零したのは……微かに怒りの混じったような、深い溜息。直後に、やはり怒っているような声で俺に向かって言葉を放った。
「それは、ガイアメモリの力か、弓」
「……それは、違う。そんな物に手を出そうとは思わない」
 問いに、首を横に振りながら答える。
 ドーパントだと思われるのは心外だが、そう見えなくもないのだろう。何しろ風都では「怪人」と書いて「ドーパント」と読めるくらいだ。
「ガイアメモリを使っている訳じゃないのなら良い」
「…………良いんだ。こんな『化物』でも」
「心まで人間をやめていなければな」
 自嘲気味に言った俺に、荘吉さんはさも当然と言わんばかりの声で言葉を返す。
――心まで、人間をやめていなければ良い――
 それまでそう言ってくれたヒトが居なかっただけに、俺は元の姿に戻って戸惑いの表情を見せる。
 「今」でこそ、ヒトを好きな……そして風都と言う街を自分に誇りを持っているが、その時の俺は自分の心を守る事で精一杯だった。
「それで? お前は俺に何を望んでいるんだ?」
 俺が、荘吉さんに望む事?
 言葉の意味が判らず、俺は言葉に詰まる。
 何も望んでいない。ただ、独りになりたいと思っただけだ。
 ……そのはずだった。
 だが、荘吉さんは俺のその考えが上辺だけの物だとでも言いたげに、全てを射抜くような鋭い視線を俺に向けた。
「お前がどういう経緯いきさつでそんな姿を得たのかは知らんし興味もない。嘆くだけなら誰でもできる。だが、男って生き物はそれを乗り越えられるかどうかで真価を問われる」
 言いながら、ゆっくりと荘吉さんは俺に向かって指を差し向ける。まるで、俺の心を撃ち抜くかのような形にして。
 そして……彼は、言った。
「弓、お前の罪を数えろ」
「……え?」
「よく考えろ。お前の罪は何だ? そんな姿に変わった事か?」
 それだけ言うと、荘吉さんはここにはもう用がないと言わんばかりに、くるりと踵を返した。答えが出るまで、この小屋は好きに使えという言葉だけ残して。
「俺の、罪は……」
 荘吉さんの姿が見えなくなってしばらくしてから、ようやく俺は彼の言葉を反芻した。
 俺の罪を数える。俺の罪は……何だ?
 オルフェノクになってしまった事?
――違う――
 オルフェノクの癖に、ヒトとして生きようとしている事?
――違う――
 俺の罪は、嘆くだけで前進しようとしない事。得てしまった力を忌避し、認めようとしない事。
 オルフェノクになったのは、紛れもない事実であり、変えようのない結果。それなのに、それを認めず、目を反らし、そしてヒトに拒絶され、ヒトを拒絶する事を恐れている。
 俺がオルフェノクとして覚醒した言う事実から目を背け、まるで自分が被害者であるかのように振舞っている。振舞っているだけで、実際には何もしない。
 ……それが、俺が思う、俺の罪。ならば、次に考えるべきは……どうやってそれを贖うか、だ。
――気付いたなら、全てを認めて前進しろ。嘆くのは進んでからで良い――
 夢の中で、そう呟きを落とした時。
 急上昇するような感覚と共に、俺の意識も浮上した。

「先生、打ち合わせ中に寝ないで下さいよぉ……」
「んぁ……? 斉藤さん?」
 目を覚まして、真っ先に視界に入ったのは、担当である斉藤帝虎の困ったような顔だった。
 俺……ああ、そうか。斉藤と打ち合わせしてたんだっけ。
 井坂との戦いから数日が経ち、ある程度回復した今でも、時々こうやって抗い難い睡魔の誘惑に襲われて、眠りの中に落ちて行く事がある。
 どうやら今もそうだったらしい。「次回作」の打ち合わせ中に、さっきの夢を見たようだ。
「いやぁ、このまま目を覚まさないようだったら、いっそ永眠して頂こうかと思っちゃいましたよ。かんらかんらっ!」
「永眠ってをい。しかも本気じゃないかその顔」
 顎辺りにステンドグラスのような模様が浮いている所を見るとどうやらかなり本気だったらしい。よく見れば俺の背後数センチの所に、斉藤の物と思しき「牙」がふよふよと漂っている。
 斉藤の正体を知って以降、時々こうして命の危険に晒される事が多くなった気がする。井坂に襲われるのと、ある意味同等の性質の悪さを感じるんだから恐ろしい。いや、こいつの場合は井坂と違って頻繁に会うから、なお性質が悪いかもしれない。
「僕としても、複雑なんですよ。先生の事は個人的にも非常に好感を持てるドレ……もとい、作家さんだとは思うんですが」
「待て、今お前奴隷って言おうとしたか? それが担当としての本音か?」
「……まあ、そう思うと同時に、硝子ちゃんを悲しませる可能性が最も高い存在として、結構な危機感を覚えてるんです。あの子、心が折れると結構面倒臭……じゃなかった、大変な子なんで」
 俺のツッコミは軽くスルーか。そして実の妹に「面倒臭い」とか言いかけたかヲイ。
 心の中で激しく突っ込みながらも、俺は斉藤の言葉の意味を考え……そして彩塔さんを悲しませる可能性が最も高い存在って所に、かなりの引っかかりを覚えた。
 この間もそうだったが、斉藤の中にある俺と彩塔さんの関係は「友達以上恋人未満。だがやや恋人寄り」と言う感じらしい。
 そんなんじゃない。ただの隣人だと何度も言っているのにも関わらず、この男はそう思い込んでいる節がある。そしてそれを危険視している為に、俺を殺そうかと考える事があるらしい。
 ……冗談じゃない。そんな勘違いで殺されるのは、こちらとしても御免なんだが。
「いや、まぁ……僕も、種族を超えた恋愛に、絶対的に反対って訳じゃないんですけどね」
「なら、殺そうとかしないで下さいよ。ってか、何度も言ってますが、俺と彼女はそんな関係じゃありません」
「えー? …………まぁ良いです。そう言う事にしておいてあげます」
 ふ、と。まるで小ばかにするかのような視線を俺に送り、斉藤はあからさまに呆れまくった声で言う。
 うーわー、何だその微妙に苛立たしい表情は。その出来の悪い子供を見るような目つきは本気でやめて欲しいんだが。
 いや、年齢的には俺は確かに子供……どころか、孫くらいに当たるんだろうが、それでもやっぱり腹立つ。
「でも……あのカマが見たら、僕と同じ反応すると思うんですよねぇ」
「……カマ?」
 遠い目をして言う斉藤に、誰の事かわからず、思わず俺は聞き返してしまう。
 と言うのも、俺の知り合いにそう表現するに値する人は存在しないからだ。
 その反応で俺の存在を思い出したのか、彼は先程とはまた別種の呆れたような表情を浮かべると、ふっと遠くを見て……
「ああ、うちの次兄です。姿がカマキリに似ているので、兄妹間ではカマと呼んでます」
 それで「カマ」か。俺はてっきり、濃い目の化粧を施した男性の方かと思ったぞ。
 ……そう言えば、彩塔さんは、こいつの事を「害虫」って呼んでたけど……まさかこいつの正体は、家庭内害虫か?
 ……「かんらかんらっ! そうですよ!」とか言われたらどうしよう。言いそうだ、こいつなら。
 そんな考えが脳裏を過ぎり、俺は恐る恐る尋ねてみた。
「……ちなみに、斉藤さんは?」
「かんらかんらっ! 僕はブドウネアブラムシです。ちなみに長兄はウスバカゲロウ」
「ああ、だから『害虫』……ってか、彩塔さんだけ昆虫じゃないんですね」
「その辺はまあ……隠す程でもないんですが、諸事情と言う物が」
 家庭内害虫でなかった事にほっとしつつも、ついつい俺の口はそんな事をポロリと漏らす。
 一方で斉藤は「隠す程でもない」とか言いながらも言葉を濁してそれ以上語ろうとはしない。
 まあ、プライベートな事だ。好んで突こうとも思わないが。
「ま、外見が本質と一致するとも限りませんしね。僕も本来の姿がブドウネアブラムシ……フィロキセラだからって、葡萄が好きって訳でもないですし、長兄もウスバカゲロウの癖に、全然短命じゃありません。……ああ、そう言えば近い内にくだんのカマが来るとか言ってましたねぇ、かんらかんらかんら!」
 何だかよくわからない流れの中、斉藤はするりと爆弾を投下してくる。特に後半部分に。
 俺の知る「カマ」と呼ばれた、「彩塔家の次兄」の情報を纏めると……確かカマキリのファンガイアで、なおかつ彩塔さんに際どい服を着せるのが大好き。おまけに下手をすると俺を襲ってくるかも知れないって?
 …………疫病神でも憑いてるのか、俺に。勘弁してくれ。俺はひっそりと生きていたいんだ。
 そう思うのに……人生ってのは、ままならない物らしい。そう実感させられたのは、その数時間後の事である……

「ふふ。疲れた顔をしていますね」
 風都には、いくつかの教会がある。その中の一つの前を、偶々通った時、そこの主らしき男に、そう声をかけられた。
 右手に聖書、首から提げたロザリオ、そして神の僕を名乗る者特有の、首輪を連想させるチョーカー。神父だか牧師だか忘れたが、とにかくどちらかだ。割と小奇麗な顔立ちに軽くウェーブのかかった艶やかな黒髪、銀縁眼鏡の奥では切れ長の目が知的な印象を抱かせる。
 ただ……温和な雰囲気と言うものは一切感じられない。「汝の隣人を愛せ」と説く宗教に身を置く者でありながら、「自分、大好き」と言う空気が思い切り前面に押し出されている。こっちが思い切りドン引きするくらいに。
 だが、その神父だか牧師だかは、そんな俺の様子など気にも留めず、微妙な笑みを浮かべて言葉を続ける。
「疲労には、薔薇のアロマが良いんですよ。私が使っているバスオイルを分けて差し上げましょう」
「い、いや……俺、そう言うの興味ないし……」
「まあまあ、そう仰らずに。これもきっと、神の思し召しと言う奴かもしれませんよ?」
 教会に居る存在にしては、妙に神に対してぞんざいな物言いをするそいつは、半ば強引に俺の手の中に薄桃色の液体の入った小瓶を押し付けた。
 バスオイルの類は、匂いが強い。人間だった時も思っていた事だが、オルフェノクになって嗅覚がかなり良くなってからは、特にそう思う。
 まあ、使わなきゃ良いだけの話なんだが。思ってその場から離れようとした瞬間。男はまたしてもフフッと笑うと、妙な事を俺に言った。
「ルークの近くは疲れるでしょう? 彼女は天性のトラブルメーカーだ」
「……は?」
 ルーク? どこかで聞いた事があるような……
 「彼女」と言うからには女性なんだろうが、生憎とそんなカタカナ名前の女性の知り合いはいない。
 思い切り顔を顰め、男の言葉に頓狂な声を返してやると……相手は俺の反応を予想でもしていたのか、楽しそうにすいとその目を細め……
「『彩塔硝子』……と言った方が、あなたには通りがよろしいでしょうか?」
 軽く首を傾げ、そして自身の左手を俺に見せながら。
 そいつは、寒気が走る程綺麗な笑顔を浮かべてそう言った。
 ……そうだ。確か彩塔さんは、ファンガイアの中のお偉いさんで、「ルーク」って地位にいるって話だったじゃないか。
 それじゃ、彼女を「ルーク」と呼んだこいつもファンガイア? そう言えば確かに、目の前の男の左手には、彩塔さんの右手の紋章とよく似た紋章が浮いている。違うのは「駒」の種類くらいか。
 そこまで気付き、俺は大きく距離を取り、そして無意識の内に睨みつける。
「……アンタ、何者だ?」
「ああ失礼。私は『ビショップ』。表向きはこの教会の牧師ですが、実際はチェックメイトフォーの一人です」
 チェックメイトフォー。確か、件のお偉いさんの総称だったか。
 と言う事は、彩塔さんの同僚? だが……言っちゃあ難だが、妙にこの男……気に食わない。こいつの目は、人間を見下すオルフェノクと同じ物だ。
「『人間は我々ファンガイアの家畜である』と言う考えを持つ、所謂『保守派』のファンガイアですがね」
「なっ!?」
 さらりと言われ、俺は更にきつく相手を睨みつけた。だが、ビショップと名乗ったその男は、余裕そうな表情を崩さず、更に楽しげな声で言葉を続けた。
「ちなみに、考え方の相違からルークと私はこの上なく険悪な関係を築いています。……彼女から力を奪おうとした事数回、力ずくで言う事を聞かせようとした事数十回、刺客を差し向けた事など数えるのも馬鹿らしい程」
「…………何でそれを俺に言う?」
「あなたがルークと同じ考え方をしている存在だと言う事は知っています。それでもあなたに声をかけたのは……ええ、ちょっとルークへの伝言をお願いしたく」
 言っている事は、俺としても敵として認識出来る程腹が立つ物。それなのに、目の前に立つ存在からは敵意の欠片も感じない。って事は、純粋に伝言を頼もうとしてるって思っていいのか? それとも、敵意を隠すのが上手いだけか?
 訝る俺を軽く無視しつつ、ビショップと名乗った相手は、すっとその顔から笑みを……いや、表情を消して、言葉を続けた。
「クイーンの力を受け継ぐ者が、この街にいます。ですから、ルークには自分の仕事を全うしなさいと」
「……悪人思考で悪いんだが、アンタがそのクイーンとやらを保護して、『保守派代表』として擁立する訳には行かないのか? ってか、アンタが自分で彩塔さんに言えば良いだろ。別に内容的に悪い事って訳でもなさそうだし」
「私が? ルークに? 無駄ですね。先程も言いましたが、彼女と私は壮絶に不仲。彼女が私の言葉を聞き入れるとは思えません。それに、ルークの仕事はキングとクイーンの守護。そして私の仕事はチェックメイトフォーに己の使命を教え、導く事。私がクイーンを保護するのは職務規定外ですし、クイーンを擁立するなどキングに対する背信行為。……キングの考え方には賛同できませんが、キングに逆らう理由はない。あくまで、個人的に『人間は我々ファンガイアの家畜である』と思っているだけです」
 俺の言葉に、ビショップは意外にもそんな事を言ってのける。
 彩塔さんに対して実力行使をしまくっている割には、キングとやらに対する忠誠心は篤いらしい。考え方は異なっても、上の言う事は聞くって事か。
 それでも彩塔さんに突っかかるのは……恐らくは彼女が、自分と「対等」な立場にいるせいだろう。
「それに……私には、やらなければならない事があるんですよ」
 低い声で、彼がそう言った瞬間。教会の中で咲き乱れていた薔薇の花が瞬時に色褪せ、一斉に枯れ落ちた。
 ビショップから発せられる「瘴気」とも呼べそうなまでの怒気に、繊細な植物が耐え切れなくなったのか。俺ですら思わず身震いする程のその気配は、間違いなく「上に立つ者」が持つそれだ。
 彩塔さんがあまりにもフランクだから忘れかけていたが……チェックメイトフォーって連中は、ファンガイアって「一族」の頂点だ。ある意味、これくらいの事は起こっても当然なのかも知れない。
「わかっている事は、クイーンが何者かにその命を狙われている事、私にはそれを阻止する余力がない事、そして何より、ルークがこの街にいる事。ちなみに守るべき対象である『クイーン』の正体は不明ですので、あしからず」
「って待てアンタ。誰だかわからない奴を守れってのか!?」
「大丈夫です。我々は同族を気配で察知できますし、何より相手はクイーンと言う強大な力を持つ者。ルークは存在その物が忌々しい女ですが、彼女なら見つけ出すでしょう。その辺は信用しています」
 先程までの「怒気」を完全に押し殺し、どことなく自己陶酔に浸りきった雰囲気を作り出してそう言うと無理をしているように見えた、次の瞬間。
 枯れ落ちた花弁が舞い踊り、ビショップの姿を俺の視界から隠した。
「うっわ……!」
――では、お願いしますね。「灰の虎」――
 そんな声が聞こえた直後。ビショップの姿は、花弁に紛れて消えていた。
 ……さっきまでの会話が、夢幻ではないか思えるくらい、後には何も残っていない。あるのはただ……強引に押し付けられたローズのバスオイルと……奴の言う「伝言」の記憶だけだった。
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