灰の虎とガラスの獅子

【アブないW/秘密のジョーカー】

「かんらかんらかんら! 先生、新作を書きましょう!」
「……はぁっ!?」
 ある昼下がり。担当、斉藤帝虎のいきなりな発言に、俺は思わず素っ頓狂な声を上げた。
 待て待て待て。俺、今現在「灰の虎」シリーズだけで手一杯なんですが!? っつかこの人、俺に正体明かしてから随分と無茶ぶり増えてないか!?
 思う俺をよそに、斉藤はばばん、と机の上に何かの企画書を広げ、俺に見るように促した。
 渋々それに目を落とせば、どうやら「作品の企画」ではなくイベントの企画らしい。風都タワー周辺を貸切りにして、あるテーマに沿った催し物をするつもりらしい。
 日付は来年の秋頃。
 「特別展、Double Joker」?
「何ですか、これ」
「ご覧の通り、特別展の企画です。実はウチの出版社も、スポンサーとして参加する事になりまして」
「はぁ」
「つきましては先生に、『ダブル・ジョーカー』というタイトルの話を書いて頂けないかと。それもウチの雑誌に、連載で」
「はぁ?」
 斉藤の言葉に、俺はただ「はぁ」としか返せなかった。
 ……各々の「はぁ」でニュアンスは異なるが、根本的には「何考えてるんだこいつ」って感情がある。
 俺は連載小説なる物を書いた事がない。今書いている「灰の虎」や、その続編の本は、どこかで連載して掲載している訳ではなく、俗にいう書下ろしで出版している。
 連載物って事は、それまでよりも短い内容の中で、起承転結をまとめなければならない。
 確かに、スキルアップにつながるし、人目に触れやすくもなるから、売り出すチャンスなのかもしれない。だがしかし!
「無茶言わないで下さい、お願いですから。本当に今、『灰の虎』の『ヒロイン登場編』でいっぱいいっぱいなんです」
「かんらかんら。勿論、無報酬とは言いませんよぉ。……引き受けて下さったら、通常の原稿料に加えて、硝子ちゃんのキワドイ感じの秘蔵写真を差し上げます」
 そうは言われても、今回ばかりは譲れない。俺の体力値の低さは、こいつだって知っているはずだ。ってか、上乗せするなら金でくれ。
 その意思表示の為、フルフルと首を横に振った俺に、斉藤は何故かニタニタと笑いながら、懐から数葉の写真を取り出して机の上にそっと乗せた。こいつ、端から俺の話を聞く気皆無だな。
 そもそも、どうしてここで彩塔さんの話が出てくるんだ? 妹の「キワドイ秘蔵写真」を持ち歩いてるって、どれだけこの人シスコンだ。聞いた話が本当なら、九十九歳だよな? そんなモン持ち歩いているから、彩塔さんに鬱陶しがられるんじゃないのか? 普通に変態だぞ、そんな兄貴。
 だがまあ……その写真とやらの服装如何では、今度のヒロインにさせる服装とかの参考になるかもしれないし。
 何より、俺も男だ。彼女の「キワドイ秘蔵写真」とやらに興味がない訳でもない。
 言い訳じみた建前と、物凄まじい本音の両方を頭の中で並べ立てつつ、机の上に無造作に置かれた写真の一葉にちらりと目を向け……………………
「ぶぅっ!?」
 硬直から抜け出した俺は、思わずその写真から目を背けて飲みかけの茶を吹き出し、口元を手で覆う。
 ななななな、何で彩塔さん、男の夢とも言えるロング丈のチャイナなんて着てるんだ!? ってかその服かなりヤバくないか!?
 長く切れたスリットからは綺麗な太腿が露わになっているし、胸元も相当にキワドイ。しかも凄く恥ずかしそうに俯いている顔はかなりツボ。
 普段のボーイッシュな格好も素敵な部類に入ると思うが、今回のこの格好は……正直に言おう、普段とのギャップが、逆に愛らしい。この写真を見る限り、普段日に焼かない分、素肌は白磁のような白さと艶やかさを持っている。
 あ、ヤバい。俺の中で、今まで知らなかった何かが目覚めそうだ。
「かんらかんらかんらっ! 食いつきましたね先生! ヒロインちゃんが硝子ちゃんに似ていたので、何となく食いついてくれるだろうなと思っていましたよ!」
「な……ななな、何で彼女はこんな格好を……!?」
「いやぁ、家の兄妹は『末っ子長女の兄三人』で、僕は三男なんですけどね。次男が、硝子ちゃんに、かなり際どい服を着せる趣味を持っておりまして。これなんてまだマシな方ですよ」
「これでマシ!?」
「他にも猫耳娘とか、絶対領域が素敵なメイドさんとか、一昔前ならスマートブレイン社のスポークスウーマンさんとか……ああ、ボンテージもありますが」
 ぽんぽんと「彩塔さんのコスプレ写真」を見せながら、斉藤はちらりと俺を見やる。
 迂闊にも俺の視線は、最初に見せられた「チャイナ姿の彩塔さん」に釘付けになっており、ニヤニヤと笑う相手に気付いた揚句、それに対してムカついていても、反論は出来ない状態。
 待て、冷静になれ、灰猫弓。彩塔さんはああ見えて、実年齢は六十代。俺の父母よりも更に年上だ。だから気にしてはいけない、気にしたら相手の思う壺だ。ああ、でも足のラインが綺麗だなぁ……いやいや、何を考えている、しっかりしろ、俺! こんな分かりやすすぎる誘惑に負けてどうする!
「……先生、ひょっとして足フェチですか?」
「違いますよ! そりゃあ、彩塔さんの脚線美は認めますよ。普段から綺麗だろうなとは思ってましたし、この写真で確信しましたよ。更にぶっちゃければ、いっそミニスカポリスの格好してくれたら良いなぁとかちらりとは考えましたよ。……何て言うか、この格好は反則だろ! 何この破壊力!」
「ありますよ、ミニスカポリス。見ます?」
「見たいけど見たら負けだと思うので見ません!」
 本音がだだ漏れている気がしなくもないが、それは横に置いといて、俺はきっぱりと言い放つ。
 正直、自分でも何を言っているのかよく分かっていない。ただ、俺の好みど真ん中を突いた写真が目の前にあって、更にこちらの妄想を実現した写真があるらしい事だけは理解していた。正直に言って、見てみたい気持ちはかなり大きい。
 だが、見たら駄目だ、見たら死ぬ、絶対に目の前にいる男に殺される、主に過労で! きっとここぞとばかりに俺を働かせるつもりに違いない。
 元々俺自身の基礎体力が低い事もあるが、それ以上にこの数日、体が重い。恐らく、井坂にメモリを挿された事が要因だろう。何でも俺は、過剰不適合者とかいう物らしいし。
「そんなに連載が嫌ですか? 硝子ちゃんのコスプレ写真を拒絶する程?」
「だから、俺の体力を考えて下さい。体力の基本値が低いのは知ってるでしょう!?」
 俺がオルフェノクとして覚醒して以降、誰よりも付き合いの長いこの人が、それを知らないはずがない。
 実際に、この人の前で何度か底の浅さを晒しているし、そのせいで「万が一、また倒れたりした時に備えて」なんて名分で合鍵を奪われている。
「何を仰るウサギさん。そりゃあ消耗は早いですけど、回復も早いじゃないですか。大丈夫、先生ならやれます。もとい、やれなくても僕がやらせます!」
 「やらせる」が「殺らせる」に聞こえるのは気のせいだろうか。本気ではないにせよ、こいつはそれくらいの事をしかねない相手だ。
 軽くこめかみを押さえながら、俺はちらりと相手を見やり、気付いた。馬鹿騒ぎや笑みで誤魔化してはいるようだが、その顔には妙に真剣な色が見え隠れしている事に。
 普段から無茶を要求する人だが、今回は何かこの人にも引けない事情があるらしい。何となくだが、それは理解できる。
「…………どんな裏があるんですか?」
「ここだけの話、今回は、ウチの社の筆頭株主が発案しまして。どうしても先生の作品と一緒に、と」
「株式会社の悲しい事情ですね」
「あまりに強引なんで、筆頭株主って方に何かしらの裏があるんじゃないかと、個人的興味から探ってもいるんですけれどねぇ。いかんせん、なかなか尻尾を見せてくれないもんでして」
 はぁ、と深い溜息を一つ吐き出し、斉藤はぐいと出しておいた茶を一気に呷る。
 こいつなりに、今回の話に胡散臭いモノを感じているようだが、何も掴めちゃいないって事か。
 それは相手が巧妙に「裏」とやらを隠しているのか、それともこいつの調べ方が下手なのか、あるいは最初から「裏」なんて物はないのか、そこまでは分からないが。
「まあ、イベントまではまだ時間的な余裕がありますし、無理にとは言いません。ですが、かなり切実に良い返事を期待してます。……僕の、表社会における生活が懸かってますんで」
 とん、テーブルに湯呑を置くや、にこにこと笑いながら斉藤は半ば脅すように俺に言い放つと、よっこらせとおっさん臭い声をあげて立ち上がる。
 どうやら、今日はもう帰るつもりらしい。
「それじゃあ先生、失礼しますね」
「ええ、お疲れ様です。……って待て待て待て! この写真は持って帰れ!」
「いやいや、先生にプレゼントしますよ。ネガはありますし、そもそもそれ、今回の為に焼き増したモノですから」
「アンタ最初から俺を嵌める気でいやがったな!? ってか、俺がこんな賄賂で買収されると思ってるのか!?」
「はい、思ってますよ~」
 俺の抗議に、斉藤はいっそ清々しいまでの笑みを浮かべて頷く。
 妙に確信めいたその表情を訝しく思う俺に気付いているのかいないのか、斉藤はトントンと玄関先で靴を踏み鳴らし……そして、それが真理であるかのような口調で言い放った。
「だって先生、硝子ちゃんの事、好きでしょう? かんらかんらかんらっ」
 …………は?
 言われた意味が分からず、硬直した俺を無視し、斉藤は高らかに笑って部屋からその姿を消す。
 おい。今何か、とんでもない事を言われた気がするんだが?
 確かに彩塔さんの事は、使い古された表現だが、「好きか嫌いかの二択」って奴なら、間違いなく「好き」に入る。そこは断言していい。
 俺の事を知っても、なお普通に接してくれるし、ちょっと変なところはあるが、基本的には良い人だ。
 そりゃあ彼女の正体を知った時は驚いたが……少しほっとしたってのが正直な感想だ。自分以外にも……オルフェノク以外にも、怪人はいるのだ、と。
 勿論、この街にはドーパントって怪人もいるが……それでも彼らは、人間に「戻る事が出来る」。人間が変化した者でしかない。俺達とは……俺とは、根本的に違う。
 それがムカつく、頭に来る。
 中途半端に怪人になって、その力を楽しむなど。この街に及ぶ被害も省みず、誰かを巻き込む事に罪悪感も覚えず、ただ楽しんでいる。
――オ前ラダッテ、めもりガナケリャ、タダノ人間ノ癖ニ――
 ……っ!?
 また、俺は何を考えた? 今のは一体何なんだ!?
 メモリを挿されて以降、常に襲ってくる倦怠感と、泡のように浮かぶ「悪意」。最初の時こそ、ポツリポツリ程度だったのに、最近はその「悪意」が、俺の意思を無視して頻繁に顔を出す。
 ……いや、本当に俺の意思を無視して……なのか? 本当は、俺が心の奥底で持っている、本音じゃないのか?
――その目の奥には人間に対する憎悪が秘められている――
 井坂の言葉が脳裏を過ぎる。
 何で今、そんな事を思い出す? やはり俺の内には、そんな憎悪が存在しているのか?
 考えれば考える程、暗い闇の淵に叩き込まれそうになる。タールのようにどろりとした何かが、俺の胸から溢れ、呪いの言葉となって口から零れ落ちる。それが、止まらない。泥のように溢れて、息が出来ない。
 止めたい、それなのに、止まらない。それが苦しい。
 余計な事を考える隙を与えるから、きっとこんな感情に振り回されているんだ。気分転換に散歩にでも出かけよう。
 軽く頭を振り、頭を占めるどす黒い考えを追い出して、俺は気分転換を兼ねて出かけて行った。

 小高い山の上。そこで俺は、いつも作品の構成を考える。
 今後の展開としては……主人公の正体を知ったヒロインが、敵に狙われる事になる。主人公の精神的支えである彼女を狙う事で、「敵」は主人公を追い詰める事が出来ると考えるからだ。
 狙われるヒロイン、それを守る主人公。

――『君の事は、絶対に俺が守るから』
 そう言う俺に、彼女は軽く首を横に振る。その仕草の意味が分らず、俺は軽く目を見開いた。
 拒絶されたかと、思ったから。
 しかし彼女は、そんな俺に向かって、意志の強そうなその瞳を向け……そして、きりりとした表情で俺に言う。
『守られているだけなのは、嫌だわ。お願い、少しは私を頼って。私が『独り』ではないように、私がいる以上、あなたも、『独り』ではないのだから』
 ……何てこった。彼女の方が男前じゃないか。
 その言葉に、そして決意に、俺はますます彼女に惹かれていくのを感じた。
 同時に、喪うかも知れない恐怖も――

 そんな文章が浮かんでくる。慌てて俺は携帯端末にそれを打ち込み、ふぅと一つ溜息を吐いた。
 俺の立場が、この主人公と寸分違わぬ物だとしたら。その時俺は、こんな感情を覚えるのだろうか? そんな疑問が浮かんでは消える。
 その時、ヒロインの立ち位置にいるのは、間違いなく彩塔さんだろう。それ以外の存在が、今の俺には思い浮かばない。
 ただ、この物語の主人公は俺ではないし、ヒロインは彩塔さんじゃない。
 そもそも、彩塔さんは「彼女」程しおらしくないし、感情表現が豊かでもない。そりゃあ、普段は作り笑いを浮かべて穏やかそうに見せているが、それは彼女が「どうでも良い」と感じた……もっと言えば、別に付き合いが有ろうとなかろうと関係ないと思っている相手に対してのみだ。一度懐に入れた相手に対しては、滅多に表情を見せない。いつも真剣な表情を浮かべ、全身全霊で事に当たっている。
 その全力さが裏目に出ているのか、時折彼女はとても無謀な行動に出る。自分の力に絶対の自信を持っているだけに、その傾向が特に顕著だ。
 それが、俺には危なっかしく見える。
 見た目がステンドグラスのような体色をしているせいだろうか、力をかければ簡単に砕け散ってしまう気がして仕方がない。常にハラハラさせられている。安心や安定とは程遠い存在。
 ……それが分かる程度には、俺と彼女の繋がりも強くなったと言えるだろう。
 そこまで思って、ふと先程の斉藤の言葉を思い出す。
 「だって先生、硝子ちゃんの事、好きでしょう?」
 そりゃあ好きだ。好きでなければ気になど留めない。
 では、彼女に恋愛感情を抱いているか? それは分らない。恋に落ちたら、倒れ込むような衝撃が走るとか聞いた事があるが、今のところそんなモノはない。
 ただ、彼女の行動の一つ一つに、ひどく心配にはなる。父性愛のような物を感じているのだろうか? 明らかに彼女の方が、人生経験は豊富なはずなのに。
「あー、くそっ! 斉藤が変な事言うから……」
 ぐしゃぐしゃと髪を掻きながら、俺はポケットに忍ばせていたシガレットチョコを咥える。
 昔……俺がまだ、「人間」だった頃につるんでいた友人の一人は、これを見て「君は随分と子供っぽい部分があるね」と苦笑していたっけ。
「そう言えば、翔も荘吉さんも、これ見て子供っぽいって笑ってたっけなぁ」
 そう独りごち……気付けば口の端に歪んだ笑みが浮いていた。
 その翔太郎も、もう俺に関わる事はないだろう。「灰猫弓という人間は、既に死んでいる」をいう情報を得、そして俺自身が、書類の上ではそれが事実であると認めたのだから。
 こうやって、次から次へと、俺の周囲からは人がいなくなる。俺が「人間」であった頃のつながりが、どんどんと断ち切られていく。それはひどく寂しくて……恐ろしい事だ。
 そこまで思ったその時。カツンと質の良い靴が石畳を叩く音が聞こえた。
 この靴音は、聞き覚えがある。
 音の主の顔を思い出せば、嫌でも眉間に皺が寄る。出来れば人違いであって欲しい所だが、現れたのは俺のささやかな願いをあっさりと打ち砕き、予想していた通りの人物。
「今日は、灰猫さん。お一人とは、実に無用心ですねぇ」
「……どうも、井坂深紅郎センセイ」
 帽子を軽く脱ぎ、紳士的な態度で挨拶をしてくる相手に、俺は自分に出来る最大限に敵意の篭った眼差しと声を投げる。よく見れば、帽子を脱いだ手の中には、先日俺に打ち込んでいた「Ash」のメモリが収まっていた。
 この男は、まだあのメモリを俺に挿そうとしてるのか? 冗談じゃない、あれは本気で痛いんだぞ。
「どうして俺を狙う? そのメモリは、俺の体には合わないんだろ?」
「私はねぇ、灰猫さん。挿してみたいんですよ、自分に。……使用者の命を吸って、成長したメモリをねぇ!」
 こちらの問いに恍惚の表情で返したと同時に、相手はアッシュメモリとは別の、白いメモリを鳴らす。
――Weather――
「ちっ!」
 鳴らしたメモリを右耳に挿すや、相手は彩塔さん曰く「白騎士」……ウェザードーパントにその姿を変える。実際のところ、「騎士」なんて良いモノじゃないが、見て呉れだけは大柄になる事が多いドーパント連中の中でも、良い部類に入るだろう。
 いい加減にして欲しい。自分の欲望を叶えようとするその行動力は尊敬に値するが、それで他人を巻き込まないで欲しい。まして、巻き込まれた方は命を落とすってんだから……マジで勘弁してくれ。
 いかに温厚な俺でも、流石に殺意が沸く。「殺してやる」と言葉にしたい気分にだってなる。いや、いっそ殺してしまっても良いよな?
 悠然とした態度でこちらに向かって来る相手を睨みながら、俺の顔にオルフェノクとしての影が浮かぶのを感じ、苛立ちのままにこちらも本気で対抗しようと思った、まさにその瞬間。
「弓さん!」
『おやおや……煩い連中が来ましたか』
 誰かが、背後で俺の名を呼ぶ。そしてウェザーは、その声の主を視界に入れたのか、呆れたように息を一つ吐き出した。
 今の、声。
 そんなはずはない。あいつは俺が既に死んだ人間だと知ったはずだ。俺が「灰猫弓」を名乗る別人だと思っているはずだ。
 なのに、何故?
 何故、俺を守るように、翔太郎がウェザーと俺の間に立ってんだ!?
 驚きのあまり苛立ちも吹っ飛んだのか、オルフェノクとしての顔は引っ込み、呆然と翔太郎の背中を眺める。
「お前……」
「あんたが言ったんだ。自分で考えろってな。考えた結果……あんたは、俺の知る『灰猫弓』だと思った。俺にとっては、それで充分だ」
 何とか紡ぎだした声はひどく掠れていたが、それでも翔太郎には聞こえていたらしい。軽く振り返って答えを返す。
 翔太郎と一緒に来たのだろうか。少し遅れて亜樹子さんとフィリップもこの場に到着し、翔太郎に並んだ。
 ……全く。こいつは本当にどこまでも……
「どこまでもハーフボイルドな男だなぁ、翔」
「酷ぇよ弓さん! 俺は純然たるハードボイルドだぜ?」
「ハーフボイルドと言われて、いちいち反応する時点でハードボイルドからは程遠いっての。本物のハードボイルドなら、茶化されてもフッと鼻で笑い飛ばすくらいはしたらどうだ?」
 嬉しくてにやけそうになる顔を、強引に「悪人めいた笑み」に変えて、俺はポンと翔太郎の肩を叩く。
 さっきまで俺の心を占めていた苛立ちや悪意はどこに消えたのか。正直不思議に思うが、それは多分翔太郎の持つ魅力のせいだろう。こいつには、昔から他人の悪意を、まるで冗談のように霧散させる力があった。
 それを前にしても悪意を持っていられる奴は……俺に言わせれば、本物の悪人だ。そして目の前に立つウェザーは、間違いなく「本物の悪人」の部類に入る。完全に、悪意が根を張ってしまっているのが分かる。
「翔太郎はこう言っているけれど、僕はまだ、君の事を疑っている」
「上等だ。探偵たる者、常に疑いの心を持て。荘吉さんの教えの一つだろ」
 フィリップがちらりと俺に視線を向けながら、しかし言葉とは裏腹な楽しそうな声でそう放つ。
 探偵には、信じる事と疑う事の両方の仕事を課せられる。それは一人の人間が負うには難しい話だ。
 きっと彼らは、翔太郎は「信じる事」を担当し、フィリップは「疑う事」を担当する。そうすることで、「二人で一人の探偵」として真実を見出していくのだろう。
「行くぞ、フィリップ」
「ああ」
 そう言って、彼らは真っ直ぐにウェザーを見つめながら。
 一本ずつガイアメモリを取り出した。
――Cyclone――
――Joker――
 ガイアメモリが、己の内に記録されている記憶の名を告げる。フィリップの持つ「サイクロン」に、翔太郎の持つ「ジョーカー」。
 翔太郎が持っているのは黒いメモリ。書かれているのは黒に近い紫で「J」。それを右手に持ち、右半身を前に出しながら斜めに構える。
 一方のフィリップが持っているのは緑色のメモリ。書かれているのは白に近い薄緑で「C」。それを、左手に持ち、左半身を前に出しながら、やはり斜めに構える。
 左右対称なその構えは、ぱっと見ると腕の形が「W」を描いているように見えた。
 って待て。メモリって事は、まさかこいつらもドーパントなのか!?
 そう思い、やめろと声にするよりも早く。
『変身!』
――Cyclone――
――Joker――
 彼らが宣言すると共に、メモリをベルトのバックルに差し込む。同時に、フィリップのメモリが翔太郎のバックルに転送され、翔太郎はさも当然の如くバックルを展開した。
 それと同時に、フィリップの体が傾ぐ。意識を失ったようにゆっくりと彼はその場に倒れるが、その事は予想済みだったらしく、亜樹子さんが彼の体を素敵なタイミングで支えた。
 一方の翔太郎からは軽快なメロディが流れ、彼の周囲を風が取り巻き、それが実体化したかのごとく、不思議な色合いの外装が、その体を覆った。
 左半身は黒、右半身は緑。首からは銀色のマフラーがひらりとなびくその姿。
 「園咲若菜のヒーリングプリンセス」のリスナーなら……いや、この街の住人なら、殆どが知る存在。
「お前……仮面ライダー、なのか?」
 これは流石に予想外だった。まさか翔太郎が、この街を救うヒーロー……「仮面ライダー」だったなんて。
「弓さん、危ねぇから下がっててくれ」
『やれやれ、本当に君達は鬱陶しいですねぇ。君達に用はないのですよ』
「お前にはなくても、俺達にはあるのさ」
 ふ、と笑うように言うと、翔太郎はすっとその左手を前に出し、声を放つ。
 何故だか分らないが、フィリップの声も重なって。
『さあ、お前の罪を数えろ!』
 ……荘吉さんがかつて、俺に言った言葉その物を。
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