恋已 ~こいやみ~ 「真白き翼の裁き」外典
黒川がミホの手によって脱落した翌日。俺は友人であり、兄貴の無罪を掲げる「仲間」でもある城戸紅騎に呼び出され、人気のない商業ビルに来ていた。
不景気のせいか空き室が多く、俺がいる場所もテナントの入っていない空室。
むき出しのコンクリートの壁と、ナイロン系のタイルカーペットが妙に寒々しい。
まだ紅騎は来ていないらしく、この場にいるのは俺一人。商業用に作られた部屋なのか、外界との境は天井から床まで継ぎ目なしの強化ガラスで区切られている。
高層階と呼べるほど高くはないが、低層階とも決して呼べない微妙な高さ。室内が暗いせいか、反射した室内と外の景色が同時に見える曖昧さ。外の気温と室内の気温が混ざり合い、暖かいとも冷たいとも言えない生温さ。
何もかもが中途半端。何と言うか、その場にいるだけでもやもやとした気分になって、気持ち悪い。
そんな風に思ったのとほぼ同時に、キィと扉が軋んだ音を上げながら開く。反射するガラス越しに眺めれば、そこからは明るい茶髪に一筋だけ赤の入った髪色の男……紅騎が笑みを浮かべながら室内へ入る。
「すみません、闇爾さん。ちょっと遅れましたね」
「いや、そうでもないだろ。俺が早く来すぎただけだ」
振り返り、紅騎の顔を見ながら言葉を返す。口ではそう言った物の、普段は約束の五分前には到着する紅騎が、数分とは言え遅れてくると言うのは珍しい。
別に怒っている訳ではないが、心配だったことは確かだ。
すると紅騎は、苦笑いと照れ笑いの中間のような笑みを浮かべ、軽く自身の頬を掻いて、言った。
「調べものをしていたら、つい夢中になっちゃって」
「珍しいな。お前が時間を忘れるほど何かに没頭するなんて」
「ええ、まあ。……今回の裁判に関係する事なので、余計に」
「……調べてたって、何を?」
「オーディンに関して。何しろ、ここまで来てもまだ情報が少なすぎますから」
紅騎の言葉に、俺は無意識の内に空気を飲み込んだ。
確かに、オーディンに関しては情報が少なすぎる。
少なくとも今回の裁判において、「正体不明」なのはあいつだけだ。
だが、仮面ライダー裁判は過去に何度か行われている。そしてその都度、十四人の裁判員が選出されているはずだ。
……事件によっては関係者の数が少ない為、もっと少ない人数から始まる事もあるらしいが、それは滅多にない例外とみて良い。
「今回のオーディン」に関しては確かに情報が少ないが、「以前のオーディン達」に関しての情報なら、何かしら残っているかもしれない。
残る裁判員が俺と紅騎、ミホ、そしてオーディンだけである以上、オーディンの情報を集めて対策を練るのは至極当然の事だ。
「成程な。……それで、何か分かったか?」
「そうですね……『分からないと言う事が分かった』と表現するのが一番しっくり来ます」
やや速足で紅騎に近寄りながら問うと、彼は残念そうに顔を顰め、懐からモバイル端末を取り出して俺に見せた。
画面に映っているのは、全てオーディンに関する情報。しかし、過去に三十回以上も仮面ライダー裁判を行っているにもかかわらず、その情報は圧倒的に少ない。
「どうやらオーディンは、毎回情報が少ない裁判員のようです。他の裁判員のデータに比較して、圧倒的にソースが足りない。例えば、これです」
すっと指をスライドさせると、画面は十四人のライダーの写真と、その基本的な情報が記されたページが並ぶ。だが、同じ書式で統一されている裁判員の情報の中で、オーディンだけは奇妙なまでに空欄が多かった。
中でも紅騎が見せたのは、「立場」と書かれた項目。
仮面ライダーの写真の下に、「1」から「32」までの数字が書かれており、その下には「弁護人」、「検事」、「目撃者」、「遺族」、「被告人親族」などの文字がばらばらに書かれている。
事件が変われば、鎧を纏う人間の立場が変わるって事らしい。
そんな中、オーディンの欄だけは空白か斜線のみ。どういった立場での参加者だったのか、この資料には全く書かれていない。
「……どういう事だ?」
「分かりません。過去の案件に関する情報をとにかく集めに集めたんですけど、オーディンの立場は毎回分からないまま終わるみたいなんです」
「何?」
「それに、人数が少ない状態で開始する裁判の場合……真っ先に除外されるのがオーディンなんです。ほら、この斜線が『不参加』の時なんですけど……」
確かに、他のライダーに比べてオーディンの参加回数は少ない。他のライダーは参加回数が二十五回前後であるのに対して、オーディンは二十回前後と、他に比べたら明らかに少ない。
これは、オーディンのスペック上の問題なのか?
それとも何か、もっと別の……何者かの思惑があっての事なのか?
「他にも、これも毎回の事みたいなんですけど、オーディンが脱落させた仮面ライダーの数はトップクラスであるにもかかわらず、勝ち残った事は……判決を下した事は、一度もないんです」
再び指をスライドさせ、端末の表示を変える。すると今度はそれぞれの案件の判決と、それを下した仮面ライダーの名が現れた。
有罪と無罪はほぼ半々。少しだけ有罪判決が多いくらいか。多少の偏りはあるが、確かにオーディン以外、皆一度は判決を下している。
ただ、仮面ライダー裁判自体、今回を入れても三十二回。おまけに参加人数は十四人、単純計算で一人につき二回から三回。その程度の回数なら、偶々オーディンが勝ち残れなかったと言う可能性もある。オーディンの参加回数の少なさを考えればなおの事。
「勿論、偶然という可能性はあります。でも……毎回最後の数人のところまで残っているのに、結局勝利せずに終わる。それに、他の参加者が気付かない間に脱落しているのは、おかしいですよ」
「他の参加者が脱落に気付かないって……ありえるのか? そんな事?」
「……自分で自分のデッキを破壊すれば」
「何の為に? 脱落させたのは、自分が判決を言い渡すためじゃなかったのか?」
「それも、分かりません。過去三十一回の裁判において、最初から参加していない場合を除き、ほぼ全てのオーディンがその方法で脱落しているみたいです」
今度はどこかのアングラサイトからまとめたのだろう。今まで仮面ライダー裁判に参加した者達の、オーディンに関する証言のような物が次々と表示された。
そのほとんどが、「不気味な存在だった」、「いつの間にかいなくなっていた」、「何が起こったか分からなかった」などの、相手の神出鬼没さを語る言葉だった。
ただ、「強かった」、「破格だった」、「奴の存在はマジでチート」と言った、力量に関する言葉も多く見受けられたが。
「一部の噂では、オーディンだけは毎回同じ人物なんじゃないか、とか言われています。あるいは、運営が裁判の円滑化の為に送り込んだ、コンピューター制御のロボットじゃないか、とか」
流石にロボットと言う事はないだろうが、同一人物説はあり得そうだ。そうでなきゃ、毎回こんな不可解な行動を取るとは思えない。
成程、確かに「分からないと言う事が分かった」としか言いようがない。つまるところ、オーディンは常に「何者か分からない不気味な存在」であると言う事だ。
「…………ま、どこにいるかも分からないオーディンの事は、放っておきましょう。今日は俺、別にオーディンの事を伝えに来た訳じゃありませんし」
唐突に、紅騎はそう言ったかと思うと、持っていたタブレット端末を懐にしまう。
正直、オーディンの事は気になるが……これ以上はどこを突いても情報が出そうにないし、そもそもたいていの場合自分から脱落するような奴だ。不気味だが、今回も放っておけば勝手に自分で脱落するかもしれない。
そんな淡い期待を抱き、俺もオーディンの事は頭の隅に追いやった。
それにしても……オーディンの事が本題じゃなかったのか? 「大事な話がある」って電話だったから、てっきり今のがその「大事な話」だと思っていたんだが。
「今日闇爾さんを呼び出したのは……闇爾さんに、脱落してもらおうと思って」
ニコリと笑って紅騎が言う。同時に奴はポケットから自分のデッキを取り出すと、俺に見せつけるような恰好でそれを突き出した。
一瞬、何を言われたのか理解出来なかった。
紅騎は共に無罪を主張する仲間。そう思っているのに、突然その紅騎から、「脱落してもらう」と言われれば、思考停止するのも当然だろう。
「紅騎?」
「俺と戦いましょう。……戦って、くれますよね?」
いつもなら、この言葉も「俺と一緒に戦いましょう」と言う意味で受け取る。
だが、今回に関しては違う。言葉通り「紅騎と戦う」、つまり紅騎自身と剣を交えてくれと言う意味にしか受け取れない。
浮かんでいる笑顔が怖い。何を考えているのかが読めない。
反射的に俺もデッキを構え、後ろのガラスに体を映す。
ガラス越しに見えた紅騎の笑みが深くなると同時に、奴は右手を左斜め上に伸ばし、口を開いた。
「変身!」
デッキが腰のベルトに装着され、紅騎の体は龍騎と呼ばれる赤を基調とした鎧で覆われる。
デザインは、黒川のリュウガとほぼ同じ。黒川が「黒龍」なら、紅騎は「赤龍」。うっすらと見えるミラーワールドでは、奴の契約モンスターである赤いドラゴン、ドラグレッダーが吠える様に大きく口を開けてこちらを威嚇しているのが見えた。
一方で俺もまた、右手で拳を握り、肘を曲げて内側に向かって振りかぶり……
「変身」
言葉と同時に、デッキをベルトに差し込む。
どういう機構になっているのかは知らないが、その瞬間にミラーワールドからナイトの鎧が転送され、俺の体を覆った。
軽くバイザーを持ち上げ、そのまま切っ先を紅騎へ向ける。
どういうつもりか分からないが、少なくとも、今の紅騎は俺を「敵」と見ている。それなら、こちらも紅騎を「敵」だと思う事にする。
……まだ少し、混乱してはいるが。
「それじゃあ……行きますよ!」
言うと同時に、俺と紅騎はガラスを通ってミラーワールドへと突入する。
一瞬の暗転後、視界には先程の部屋……いや、左右が反転し、他人の気配が完全に途絶えた「似て非なる場所」が映り……直後一面の赤が視界を埋めた。
反射的に体を左に捻ってその「赤」を回避すると、今まで俺がいた場所をちょうどドラグレッダーが通過するところだった。
ドラグレッダーの体当たりか。死にはしないかもしれないが、到着早々の攻撃としては危険すぎるだろう。
「はは。流石ですね闇爾さん。今のを回避した人は、闇爾さんが初めてです。大抵はかわしきれなくて、脱落するんですけどね」
パチパチと拍手しながら言う紅騎に視線を向け、俺は無言で体勢を立て直す。
紅騎の後ろには狭そうに体を折り畳むドラグレッダーが控え、虎視眈々とこちらを狙っているのが見て取れた。
それにしても、だ。今の紅騎の言い方からすると……他にも同じ手口で攻撃された奴がいたって事か。だとすると、誰を?
「実はですね、闇爾さん。白銀さんと紫檀さん、そして浅倉さんは、俺がこいつに襲わせたんです。本当は赤紫さんと緑射さんも俺が潰したかったんですけど……やる前に、あの二人はオーディンに倒されちゃいました」
悪びれた様子もなく、紅騎はさらりとそんな事を口にした。
だが、俺は奴の言葉の意味が理解できない。
上司である紫檀さんと、第一発見者である浅倉 譲治と言う男、そして事件の担当検事である緑射 シュウイチさんは「有罪」を掲げる側だから、攻撃したと言うのも分かる。しかし、兄貴の後輩である白銀 サトルさんと、弁護士である赤紫 ミユキさんを攻撃する理由はないはずだ。二人とも「無罪」を掲げる仲間だったのだから。
「何故そんな事をした?」
「だって……あいつら、ミホさんが願いを叶えるのに邪魔だったので」
さも当然のように吐き出された言葉に、改めて俺は絶句する。
紅騎は、「ミホの為」に、白銀さん達を襲った……?
「……それじゃあお前は、最初から俺達を騙してたって言うのか?」
「違います。最初は暁さんの無実の為に戦ってました。でも……どうでも良くなっちゃったんですよ」
『STRIKE VENT』
乾いた声で問う俺とは対照的に、紅騎の声はどこか楽しげだ。
そして楽しげな様子のまま、奴はカードを自身の左腕についているガントレット型のバイザーに読み込ませた。
瞬間、どこからかドラグレッダーの頭に似た手甲が、紅騎の右腕に装着される。
剣が主体の戦い方を要求されるナイトとは異なり、龍騎、そして同型のリュウガはオールマイティなデッキ構成になっている。
銃、剣、そして今使っている肉弾戦用の手甲など、戦闘可能範囲は幅広い。
バイザーを構え、警戒しつつ紅騎の方を睨むと、奴はふふ、と軽く笑い……そして、唐突に声を張り上げた。
「ミホさんの願いを叶える為なら、俺自身の考えなんてどうでも良くなっちゃったんです! これこそが愛! 愛なんです!」
両腕を広げ、隙だらけにも見える体で放たれたその言葉に、ざわざわと胸がざわめく。
……何だ、これ。この気持ち悪い感情は。目の前にいるのは、本当に紅騎なのか? あいつってこんなに気色悪い男だったか?
今なら攻撃できるんじゃないかと思いはするが、やはりそうは甘くないらしい。
自分の世界に浸りきっている紅騎を守るかのように、ドラグレッダーがゆっくりと俺と紅騎の間に割り込んでくる。多分、少しでも動けばもう一度ドラグレッダーは俺に向かって体当たりをかましてくる事だろう。
紅騎が「ミホの為」に戦っているなら、ドラグレッダーは「紅騎の為」に戦っているように見える。もっとも、その根底にある感情は紅騎の物とは明らかに違うだろうが。と言うかそもそもモンスターに感情があるかも不明だが。
「……で、昨日黒川さんがミホさんに倒されたじゃないですか。ミホさんの願いの邪魔になる人物って、あとは闇爾さんとオーディンだけなんですよ」
「オーディンが見つからなかったから、俺をターゲットにしたって事か」
「はい」
「俺を倒して、オーディンの『自滅』を待った後、自分も『自滅』してミホを勝たせようって魂胆か」
「はい」
これまた唐突にいつもの口調に戻ったかと思えば、奴は素直に俺の言葉に頷きを返す。
未だこいつの考えている事はよく分からないが、少なくとも目の前の男は、裁判当初に信じた「仲間である城戸紅騎」ではないと言う事程度は理解した。
そして、こいつがミホに対して何かしらの執着を見せている事も。
「そんな勝ち方をして、ミホが喜ぶとでも?」
「素直に喜んではくれないと思いますね。でも、ミホさんの最大の目的は果たされます。目的が果たせれば……多少はモヤモヤしても、それでも喜んでくれるって信じてます」
言っている事が滅茶苦茶だ。だが、本人はそんな自覚はないのだろう。言いながら、俺との距離を詰めて真っ直ぐに拳を突き出した。それをバイザーで弾き、紅騎との距離を開ける。
が、下がったところにはドラグレッダーの尾。それがこちらめがけて思い切り振りぬかれる。
……チッ。流石に体長六メートルは長い。
心の中で舌打ちを鳴らし、尾がぶつかる寸前、大きく後ろへ飛び退る。同時にこちらもデッキからカードを取り出し、バイザーに読み込ませた。
『ADVENT』
アドベント。契約モンスターを召喚するカード。目には目を、モンスターにはモンスターを。
呼ばれた俺の契約モンスターである「闇の翼」、蝙蝠型のモンスターであるダークウィングが、ビルの窓ガラスを突き破ってその姿を見せた。
ドラグレッダーの巨体相手に、この狭い空間で戦うのは得策じゃない。外に出て、もう少し戦いやすい状況を作った方が良い。
瞬時にそう判断すると、俺はダークウィングと合体。蝙蝠の翼を得た俺は、割れた窓から外に向かって飛び降りる。
ダークウィングと合体すると、飛行能力が付与される。
飛行能力自体は珍しくないが、合体する事は珍しいらしい。他にモンスターと合体するライダーは見かけた事がない。
……そもそも、合体しないと飛べないのは俺だけなんだよな、飛行能力のあるモンスターと契約しているのに。
ミホや、今戦っている紅騎なんかもそうだが、基本的にモンスター自体が飛行できる場合はそれに乗って移動する。実際、紅騎は今現在、ドラグレッダーの背に乗って俺を追いかけてきているし。
……やはりと言うか何というか、蝙蝠よりドラゴンの方が動きは早いか。そもそも体躯差がありすぎるしな。
縮まっていく距離を認識しながら、俺は出来る限り広い場所へ降り立つ。同時に背についていたダークウィングは離れ、そして一瞬後にはドラグレッダーと紅騎が俺の前に姿を見せた。
「広い所なら勝てるって思いました?」
「あの空間よりはマシ、程度には思ったな」
いつもと変わらない口調で問われ、こちらもいつもと同じような言葉で返す。
だが、間に流れる空気はいつもとは違う。険悪なんて言葉では足りないくらい、互いに殺気のような物を飛ばし合っているのを自覚している。
「……闇爾さん。愛の前に散って下さい」
「断る」
「でしょうね」
言うが早いか、紅騎は再び拳を繰り出す。こっちはそれをもう一度剣で弾き、今度は返す刀で斜めに切り下げる。
だが、紅騎もそこは読んでいたんだろう。弾かれた勢いを生かして後ろへと飛びのいていた。当然俺の切っ先は空を斬り、かつんと乾いた音を立ててアスファルトにぶつかった。
「やっぱり強いなぁ、闇爾さんは。……だからこそ、ミホさんとだけは戦わせたくないんですけどね」
笑みを含んだ声で言うと同時に、紅騎は拳を構え、すっと腰を落とす。そのポーズに反応するように、それまでこちらを睨み付けていたドラグレッダーが、奴の後ろに控えるような形で下がる。
あのポーズは、まずい。
一緒に戦ってきた為か、紅騎がどんな攻撃を繰り出そうとしているのかが分かる。あの構えは確か、ドラグクローファイヤー。紅騎の拳とドラグレッダーの吐き出す火炎弾の合わせ技。ファイナルベント程ではないが、まともに食らえばダメージは大きい。
瞬時にそれを認識し、こちらも半ば反射的にデッキからカードを抜き出してセットする。何のカードかろくに確認もしなかったが、まあ何とかなるだろう。今までも大抵は引きたいカードが引けていた訳だし。
一抹の不安を覚えつつも、俺はバイザーをクローズしてセットしたカードを読み込ませる。直後、響いた電子音が告げたカードは……
『NASTY VENT』
よし、当たりのカードだ。
心の中で小さくガッツポーズをしつつ、俺は眼前に舞い降りたダークウィングの背を見やる。
ナスティベント。恐らくはナイトだけが持っているであろうカードであり、その効果は「蝙蝠型モンスター」であるダークウィングの放つ超音波攻撃。
超音波の正確な定義は「人間の可聴域を逸脱するほど高い周波数の音」なのだが、ダークウィングが放つ「超音波」に関しては少しだけその定義から外れる。確かに正確な意味における超音波も発しているが、それと同時に人間にとっての「嫌な音」……つまり可聴域の音も同時に発しているからだ。
超音波だけなら、目に見えないし聞こえない。それだけに、実は恐ろしい攻撃でもある。上手く周波数を合わせれば体細胞を破壊したり発火させたりすることが可能だからだ。
「裁判員を殺してはならない」とか言う規定があるくらいだから、流石にそこまでの威力はないだろうが……それでも、ナスティベントの効果は地味に大きい。
実際、「嫌な音」を耳にしてしまったせいか、紅騎は反射的に構えを解き、自身の両耳を塞いだ。両手をそう言った形で使っているのだ。当然、攻撃は中断され、紅騎は苦しげに呻く。
一方でドラグレッダーにとっては大した事のない音だったらしい。紅騎の動きが止まっても知らん顔で火球を吐き出した。あるいは、吐き出さざるを得なかったのかもしれない。パンチなら途中でやめられるが、火球となると中断する事は出来ないだろう。
ぼっ、ぼっと吐き出される火球を、俺はバイザーで払い落とす。
切っ先が触れた瞬間、小さな爆発が起きはしたものの、ナスティベントによる音の壁のおかげで本来の勢いはそがれている。
やがて全ての火球を払い落とすと、それを待っていたかのようにダークウィングは音を発するのをやめ、再び俺の後ろに控えた。
「く、つぅ……まさかそれで止められるとは思いませんでした。この程度で止まるなんて、まだまだ俺の、ミホさんへの愛が足りないって事ですかね」
「……知るか」
まるで耳の奥に残っている音を振り払うかのように頭を振って言う紅騎に対し、俺は自分でも不思議に思う程冷たい声で返す。
……紅騎がミホに対して、好意を抱いていたのは、何となくだが勘付いていた。だがそれは、執着を伴った愛情と言うより、憧れに似た感情だと解釈していた。何しろミホは、紅騎が今まで恋愛関係を築いてきた女性達とあからさまにタイプが異なったからだ。
だからこそ、安心していた。こいつは、ミホに対して恋愛感情は抱いていない、と。「好き」ではあるのかもしれないが、「愛」とか「恋」とか、そう言う感情での「好き」とは異なるものだと。
だが、実際はどうだ? 紅騎はミホに対し「愛」を口にし、そして「仲間」だったはずの俺に対して攻撃を仕掛けてきている。そしてこいつがミホに対する「愛」を口にする度に……俺は、はっきりと苛立ちを覚えている。
ミホの事を何も知らないくせに、愛なんて語るな。あいつが本当に可愛いのは、あいつが壊れた時だけだ。普段のあいつも可愛い部類に入るだろうが、あんなのはまやかし。ただの虚勢だ。虚勢を張って、必死に自分を奮い立たせているだけのあいつに、「愛」?
……ないな。ああ、ないない。何も分かっちゃいないし、そんな奴にミホを愛しているなんて言う資格なんてない。
壊れたあいつを知っているのは俺だけだし、俺以外の奴が壊れたあいつを見る事も許さない。アレは、俺だけのモノ、俺だけが知る一面、俺だけが知る脆さ、俺だけが、俺だけが、俺だけが。
「…………ああ、なんだ」
暴走しかかっていた思考の中、ふいに俺は納得した。
……俺は、普段のミホに対して、恋愛感情は抱いていない。それは間違っていない。普段の白鳥ミホと言う女は、俺にとって友人で、妹分で、そして好敵手だ。恋愛に発展する要素はないし、これからも恋愛に発展しないと思う。
けれど……ミキさんを亡くし、壊れてしまった白鳥ミホに対しては、恋愛感情に似た物を持っているらしい。
寝食を忘れてしまうほどの絶望に打ちひしがれ、そしてその絶望を表に出す事が出来なかったあいつ。
それを救えるのも、更に突き落せるのも、俺だけだったあの状況。
紅騎がミホに対して恋愛感情を抱いていると知った今になって、ようやく自覚した。
……俺は自分で自覚していた以上に、独占欲が強かったらしい。
あの時のミホは、俺だけを頼った。
俺だけを見て、俺だけに反応して、俺だけに泣き顔を見せた。
慰めてやらなきゃいけないのに、突き落としてやりたい衝動に駆られた。当時はその衝動を自覚していなかったが、今なら分かる。
依存してほしいんだ、俺は。そして、俺の言動で一喜一憂してほしい。
嘆き、悲しみ、それでも縋る相手は俺しかいないと言う状況に、あの時俺は、暗い喜びを見出していたんだ。
「ふ……ははっ。あははははっ」
自然と口から漏れる自分の笑い声を、どこか遠くで聞きながら、俺はゆっくりと紅騎に向かってバイザーを構える。
自覚してしまえば、今までの行動とか感情とか、色々と理解できる。
わざわざミホを助けるような真似をしているのも、私生活で仲良くしているのも、他の奴と関わる事に対して苛立たしく思うのも。
全ては、俺があいつを独占したいが為だったから。
元気になって、俺を信用して、俺にだけは素の表情を見せて。
そんな俺に裏切られた時、ミホがどんな顔をするのか。それが、見たい。
それを見るにはどうしたらいいかはまだわからない。だけど……少なくとも、あいつにとって最悪の結末を与える方法なら分かる。
……その方法を取るためには、紅騎は……邪魔だな。
「紅騎。お前こそ、俺の邪魔だ。……消えてくれ」
自分でも驚くぐらい低い声でそう言うと同時に、俺は紅騎に向かってバイザーを振り上げ、斬りつける。
だが、紅騎は未だ装着したままの手甲でその切っ先を弾き返すと、一旦距離を取るように大きく後ろへ飛び退き、軽く頭を振って呟いた。
「……やっぱり、そうなんですね。まあ、薄々は感じていましたけれど。でも、それも仕方のない事だと思います。だって、ミホさんって魅力的ですものね!」
仮面で表情は見えない。だが恐らく、紅騎の顔は「にっこり」と言う表現が一番しっくりくるような笑みが浮いているだろうなと予想できる。
それ程までに明るい声で言うと、奴は腰のデッキから一枚のカードを取出し、セットした。それとほぼ同時に、俺の方もカードを一枚セットする。
『SWORD VENT』
『SWORD VENT』
カードセットの際の一瞬のタイムラグのせいだろうか。反響したような電子音が周囲に響き、それぞれの手に剣が握られる。
紅騎の手には青竜刀に近い形の剣、そして俺の手には馬上槍に近いデザインの剣。間合いは俺の方が少し広いくらいだろうか。刺突に特化した印象の俺の剣とは対照的に、紅騎の剣は斬撃に特化した印象を抱かせる。
ぶつかり合った時、どちらが有利に働くのか想像もつかない。
そんな風に思っている時だった。紅騎が動いたのは。
「でも、闇爾さんの感じている魅力と、俺が感じている魅力は全く違う。同じソードベントでも、俺の剣と闇爾さんの剣のデザインが、こんなにも異なるように」
振り下ろされた紅騎の剣を半ば反射的に受け、弾き飛ばす。
形状的には「斬る」事には向いていない俺の剣では、あまり近い位置に入られすぎては威力が出しきれないからだ。一方で紅騎の場合は近い位置にいないと効果を出しきれない。
同じカードなのに、反対の性質の剣。成程、確かに俺と紅騎の「物の見方」その物のような関係だ。
「俺は、ミホさんの強い部分に惹かれました。どんなに苦しくても、恐ろしくても、危うくても、それでも自分を貫き通そうとする強い部分に。だけど、闇爾さんは……」
「もういい、黙れ紅騎」
もう一度切りかかりながら言葉を続ける紅騎に対して短く返すと、限りなく手元に近い刃の部分めがけて思い切り剣を振り上げた。
手を斬られるとでも思ったのだろう、一瞬、剣を持つ紅騎の手から力が抜け……直後、奴の剣は宙に跳ね上げられ、かなり離れた位置に突き立った。
要するに、紅騎の剣は俺によって弾き飛ばされたと言う事だ。
「そんな! その武器で、そしてこの近距離で、それでも俺の剣を弾いた!?」
「ナイトは剣撃が主体の装備。要するに、慣れてんだよ。……普段は素手で戦ってるお前に対して、引けを取らない程度にはな」
「付き合いの長さ……って奴ですか」
流石に素手で近距離は危険だと判断したらしい。俺の剣の間合いの外まで慌てて引き下がると、紅騎は苦々しげに吐き出しながらもファイティングポーズをとる。
ソードベントのカードを使ったからなのか、既に紅騎の手からストライクベントで召喚したはずの手甲は存在しない。奴の剣も、紅騎からは離れた位置で突き立ったまま。
奴の持っているカードを考えれば、あとはファイナルベントとガードベントの二種がメインと言ったところか。
なまじ「仲間」だった分、あいつのカードの事は大体把握している。恐らく紅騎もこちらのカードに関して、ほとんどを把握しているはずだ。
とはいえ、油断はできない。
この仮面ライダー裁判では、裁判期間中ランダムに「追加カード」が配布される事がある。そんな事をする理由は分からないが、ひょっとすると今のように、互いの手の内が読める状態による膠着状態を回避する為なのかもしれない。
正直、その辺の思惑など俺にとってはどうでもいい。
「俺ね、正直羨ましいんですよ」
「唐突に、何だ?」
「ミホさんの信頼を勝ち得ている闇爾さんが、です。側 で見ていると分かるんですけど、ミホさんって闇爾さんと一緒にいる時が、一番安心しているみたいです。一緒にいた時間の長さもあるんでしょうけど、多分根本的に、ミホさんは闇爾さんと気が合うんでしょうね。それが羨ましいんです。それなのに……」
そこまで言って、紅騎は一旦言葉を区切る。軽く俯き、ギリと音が鳴るほど拳をきつく握りしめ……だが、突然顔を上げたかと思うと、奴は一枚のカードをデッキから取り出した。
カードが背を向いているので、こちらからは何を取り出したのかは分からない。普通に考えればファイナルベントだと思うところだが……それにしてはドラグレッダーが動かないのが気になる。
警戒し、改めて剣を構え直したその時。紅騎が先程取り出したカードを翻し、その図柄をこちらに見せた。
「闇爾さんにはまだ言ってなかったかもしれません。実は俺、裁判中に配られた『追加カード』を手に入れたんですよ」
目に入ったカードは、炎のような背景に、金色で鳥の右翼が描かれた物。上部には「SURVIVE」の文字が書かれている。
少なくとも今まで共闘してきた中では、紅騎があのカードを使っている所を見た事がない。紅騎が言う通り、あのカードは紅騎に配られた「追加カード」なのだろう。
そうだと認識した直後に気付く。紅騎のバイザーが、手甲型のものから、銃型の物へ変化している事に。
まずい、と思った時には既に遅かった。紅騎はその「変化したバイザー」に先程のサバイブのカードを装填すると、即座にそれを発動させた。
『SURVIVE』
電子音が響くと同時に、紅騎の周囲をカードの絵から抜け出したような炎が取り巻く。直後、その炎の色を吸収したかのような赤い鎧へ変化した紅騎の姿が炎の隙間から垣間見えた。
しかも、変化したのは紅騎だけじゃない。控えていたドラグレッダーもまた、その姿を変えていた。今までもモンスターとしては大物だったが、今はそれを軽く超えている。一回り……いや、二回りほど大きくなったか。顔つきもどことなく凶暴に見えるのは俺の気のせいではないだろう。
「あっはは! どうですか闇爾さん! 多段変身です! ドラグレッダーも進化してドラグランザーになりました! こんなカードが手に入るなんて、やっぱり愛の力って偉大です! そう思いません?」
言うと同時に紅騎が走る。いつの間にかその手の中にあったバイザーからは刃が出ており、簡易的ではあるが剣と化している。
いつの間にかソードベントを使って変化したのか、それとも剣も兼ねた仕様なのかは知らないが、随分と便利そうなバイザーだ。見目から考えると、恐らく銃にもなるんだろう。
素手主体から、一気に武器主体の戦い方に変化した訳か。面倒くさいな。
思いつつも、俺は眼前に迫った紅騎の剣を受け止め、鍔迫り合わせる。
やはり強化されたからか、先程の攻撃より一撃が格段に重くなっている。そうそう何度も打ち合いはできそうにないな。
「……しつこいと嫌われるぞ。あいつは黒川と言うストーカーを間近で見てきてるからな」
「失礼な。彼と一緒にしないで下さい。俺の想いは純愛ですよ。ミホさんさえ良ければそれでいいんです。俺の想いなんて二の次。ミホさんさえ報われれば、俺はそれで満足です。周囲がどうなろうと、知った事じゃありません。だからこそ……俺は、今の闇爾さんを許せません。ミホさんを裏切ろうとしている、今の闇爾さんだけは」
いつもと変わらない明るい声で言いながら、紅騎は持っていた剣を大きく振るう。それを何とか受け止めたのだが……流石に剣の方は限界だったらしい。ソードベントで召喚していた俺の剣が、鈍い音を立てて折れた。
チッ、やっぱりこうなったか。ソードベントで召喚した剣が折れたと言う事は、バイザーで受けても同じ末路を辿ると言う事だ。流石にそれは避けたい。
心の中でのみ舌打ちし、再び振り下ろされた剣をかわすため、大きく後ろへ飛んで紅騎との距離を開ける。
だが、それなりに長い付き合いのある紅騎だ。俺の考えは見通していたらしく、バイザーをこちらに向け……
『SHOOT VENT』
「しまっ……」
避けなければ、と認識した時には既に遅く、俺の体は紅騎が持つバイザーが放つビームによってロックオンされており、そこをめがけてドラゴン……ドラグランザーが、今までとは比にならない熱量を持った火球を吐き出した。
火球の速度、そして数から考えて完全な回避は不可能だ。
となると、多少のダメージは覚悟したうえで対処するしかない。
瞬時に判断し、俺はデッキからカードを二枚、連続で抜き出し、順を違えぬよう心掛けながら連続で効果を発動させた。
直後、火球が俺の側に、あるいは俺自身に着弾し、視界が濁った。最初の一瞬は炎の紅、そして次の瞬間には煙の薄灰、そしてしばらく後には煤の混じった暗い灰に。
こちらからは紅騎の姿が見えないが、紅騎からもこちらの姿は見えていないらしく追撃される様子はない。
……こんな景色が見えていると言う事は、どうやら脱落は回避できたらしい。流石に完全に無傷とは言わないが、手足は動くから問題ないだろう。
そう認識すると、俺は目の前の土煙を吹き飛ばすべく、ダークウィングとの合体を解除して羽ばたかせ、それを吹き飛ばした。
クリアになった視界の先では、紅騎が然程驚いた様子も見せずに立っていた。
「……流石ですね、闇爾さん。あの一瞬でガードベントを使ってダークウィングと合体、そしてトリックベントを使って最大人数で防御する事で、一人当たりにかかるダメージを軽減させたなんて」
「分身はことごとく散ったがな。俺が残ってるなら問題ない」
そう。俺が持つカード、トリックベントは分身能力を持つ。便利なのはその前に使ったカードの効果を持続させた状態そのままで分身が出来る部分だ。
今回は守備の為のガードベントを使い、ダークウィングと合体、その状態でトリックベントを使い、最大人数である八人に増殖。本来は「本体」である俺一人が受けるはずのダメージを分散させ、今に至ると言う訳だ。
だが、この方法にはリスクがある。カードの消耗が激しい事だ。
「でも、これで闇爾さんの使えそうな主なカードは、ファイナルベントだけですね」
「……やっぱり、お前はやりにくい相手だよ、紅騎」
楽しそうな声で言った紅騎に、俺は苦々しく思いながら言葉を返す。
紅騎が言った通り、俺が主に使っているカードのほとんどは、今回の戦闘で消費した。カード一枚、一回の戦闘につき使用は一度までと言う制限があるせいで、「リサイクル」は基本的には出来ない。
そして今の状況で使えそうな残りカードと言えば、必殺技を放つファイナルベントが真っ先に挙げられる。しかしそれも、紅騎がガードベントを使えばしのがれてしまう可能性が高いし、そもそも奴自身もまだファイナルベントを残している。
カードの差から来る余裕か、紅騎はゆっくりとこちらに歩み寄り、バイザーの銃口部をこちらに向け、低く言葉を紡いだ。
「……闇爾さん。あなたがミホさんを裏切る前に、脱落してもらいます」
「俺との決着を、あいつが望んでいるとしても、か?」
「はい。闇爾さんと決着を付けられない事は、ミホさんにとって本意ではないとは思います。……でも、闇爾さんに裏切られるより、ずっとずっとマシです」
「お前は、あいつが俺と決着を付けられない事よりも、俺が裏切る方が、より絶望的な状況になるって思ってるんだな」
「そうです。だから闇爾さん。ミホさんの為に……ミホさんの悲しみが小さい間に、脱落して下さい」
紅騎の言葉を聞きながら、俺は自分の顔がにやけていくのが分かった。
分かってない。こいつは何も、全く、欠片さえも。
……ミホの事も、そして俺の事さえも。
先程のシュートベントの影響で、少し痛む体を無理に起こすと、俺はデッキから一枚のカードを取り出した。
それを警戒したらしい、紅騎は一瞬その足を止めると、訝しげに首を傾げ、その上でばっと距離を広げた。
まあ、それもそうだろう。紅騎はさっき、「俺が使えそうな主なカードはファイナルベント」だと言っていた。
正直に言えば、俺もそれくらいしかないかなと思っていた部分があった。だが。
「紅騎。俺もお前に言ってない事があったんだ」
「はい?」
「俺も、持ってるんだよ。追加カード」
笑みを含んだ声で言って、俺は先程デッキから取り出したカードを紅騎に見せた。
デザインは紅騎が持っていたカードに似ている。だが、背景は風を連想させる薄青だし、書かれている翼も向かって左側、つまり左翼。書かれたカード名は先程こいつが使ったのと同じ「SURVIVE」。
恐らくは紅騎が持つカードと対を成すカードなのだろう。ただし、紅騎が持っていたサバイブを「烈火」だとすれば、俺が持つサバイブは風……「疾風」だ。
驚いたように息を呑んだ紅騎の前で、俺は剣型から盾型へ変化したバイザーにそのカードを読み込ませた。
『SURVIVE』
紅騎の時と同じ音声が響く。
同時に俺の周囲を風が取り巻き、濃紺だった鎧は青へと変化、ダークウィングも大きさこそほぼ変わらない物の、より強化された外観へと変化した。今のこいつは「襲撃者」……「ダークレイダー」と呼ぶのがふさわしいか。
「……へえ? 闇爾さんも、多段変身出来たんですね」
「愛の力ってのは偉大だよなぁ」
低く呟かれた紅騎の声に、俺は先程紅騎が放った言葉をそのまま返す。
このカードを手に入れたのが「愛の力」だと言うのなら、俺もまたその力で手に入れたと言う事になる。ただ、それはひどく皮肉な事のように思えるが。
ミホの強い部分を愛した紅騎には「赤」を、逆に弱い部分を愛した俺には「青」を。
愛は愛でも、どちらもひどく歪んでいるし、向けられた側の心なんて全然考えていない。ある意味、黒川よりも性質が悪い。
自分の事ながら冷静に判断できるのが苦々しく思えるところだが、事実なのだから仕方がない。
ミホに対し同情はするが、だからと言って手を緩める気もない。いや、むしろ同情するからこそ、あいつを追い落とした時の感動は一入 だろうとさえ思う。
……ああ、何て言うか、俺も壊れてきているんだな。
自覚があっても止める気がないんだから、末期だ。
「そんな事が出来るなら、ますます闇爾さんをミホさんと戦わせる訳にはいかなくなりました。だからここで……終わって下さい」
『FINAL VENT』
言ったと同時に、紅騎が必殺技であるファイナルベントのカードを発動させた。その瞬間、ドラグランザーはバイク状に変形して紅騎を背に乗せると、劫とこちらに向かって火球を放ちながら迫ってきた。
先程のシュートベントに比べれば逃げ場はあるように思えるが、火を吐きながら迫ってくると言う事は、このまま俺を轢き潰すつもりなのだろう。
威力は大きいが、こうやって見ると実に単調な攻撃だ。紅騎自身は何もしない。ただ龍が火を吐くに任せているだけだ。
サバイブのカードを使う前の状態……つまり普段の紅騎のファイナルベントなら、回避は厳しかっただろうが、これなら何という事はない。
余裕すら感じながら、俺はデッキからカードを一枚引き抜き、バイザーにセットした。
『TRICK VENT』
「また分身ですか? でも、そんなのじゃ俺は止められませんよ?」
「どうかな?」
サバイブのカードを使うと、デッキの構成が変化するのか。先程使ったはずのトリックベントが再度使える様になっており、他のカード……ソードベント、ガードベント等も使用できそうだと言うのが理解できた。
本体含めて五人に増殖した俺は、迫ってくる紅騎の姿を見ながら、仮面の下で笑う。
「まずは、これだ」
『GUARD VENT』
『BLAST VENT』
分身の内の二体が、各々でカードを発動させた。
一体は身を守る盾となり、もう一体はダークレイダーの翼で暴風を巻き起こさせる。ブラストベントと言うカードは、恐らくナスティベントの進化した状態でのカードなのだろう。ナスティベントが「音」なら、ブラストベントは「風」による足止め効果を発揮するらしい。
「くっ……」
風に煽られ、龍の火球は逆流し、紅騎の周囲へ着弾する。
勿論風を抜けてこちらに着弾する火球もあるが、全て軌道をそれて俺の脇に着弾、爆風を巻き起こして更に場を混乱させるだけ。
火球と暴風のせいだろう。勢いを殺がれた龍の速度が落ちる。それでもこちらに向かって走ってくる事は、称賛に値するだろうが……速度を落とした時点で、流れはこちらに向いたと言う事に気付くべきだった。
「反撃だ」
『SHOOT VENT』
「こっちはおまけだな」
『SWORD VENT』
別の分身二体が、今度はそれぞれにバイザーを変形させ、攻撃を放つ。
シュートベントを使った方は、バイザーをボウガン状に変形させ、光の矢を連射。その矢を追うようにして、ソードベントを使った方がバイザーから引き抜いた剣を構えながら走る。
矢は上半身をもたげていた龍の腹部に突き刺さり、更に追撃と言わんばかりに剣を持った方は矢が刺さった部位をなぞるようにして剣を滑らせる。
その瞬間、苦悶から来る龍の悲鳴が上がり、乗っていた紅騎の体が大きく投げ出された。
「しまった!」
「いくらお前でも、空中では流石に身動きは取れないよな?」
『FINAL VENT』
最後に俺自身が、最強ともいえるカードを使う。
どうやらダークレイダーもまた、ドラグランザー同様バイクに変形できるらしい。ブラストベントによる暴風攻撃をやめ、こちらに寄ってきたダークレイダーはやや鋭利な印象を抱かせるバイクへと変形。
機首からビームが放たれ、地面に落ちかけていた紅騎の体を拘束した。
それを視認したと同時に、俺が纏っていたマントがバイクごと俺を包み込み、鋭利な「錐」のような形状を取った。
紅騎のファイナルベントが「潰す」事に主眼を置いているなら、俺のファイナルベントは「貫く」事に主眼を置いているらしい。
マントによって完全に視界を覆われてしまっているのでよく見えないが、おそらく紅騎はこの状況から逃れようと何か画策している事だろう。
……だが、遅い。
次の瞬間、何かがぶつかったような鈍い手応えがあった。直後俺のマントは通常の状態に戻り、開けた視界の先には地面に転がり、呻く紅騎の姿があった。
視線はこちらに向いているが、装甲はぼろぼろ。立ち上がろうともがいているが、体はがくがくと震えているだけで起き上がる事は困難なようだ。
そんな紅騎の脇腹を蹴り、仰向けに転がしてからその体を固定するように胸を踏みつけると、俺はゆっくりと先程分身が引き抜いたバイザーの剣を振りかざす。
ちょうど紅騎の腹部……デッキ部分に切っ先を向けて。
「お前には脱落してもらう。けど……俺の本音を知られた以上、ミホに伝えられたら困るんだよ。いや、あいつは俺を信頼してるはずだから、お前の言葉なんて信用しないとは思うんだけどさ。それでも、不信感を抱かれちゃ、困るんだよな。……だから、お前ごとデッキを壊してやる。それでお前は終わりだ」
そこまでを一息に言ってやる。
一瞬の間の後、俺が何を言ったのか理解したらしい。紅騎は胸部の上に置いた俺の足を力なく掴み、そしてこちらに視線を向けて声を上げた。
「本気ですか? 本気で闇爾さんは……」
「お前とは、絶望的に価値観が違うんだよ。お前はあいつの為に戦ったが、俺は違う」
言って、俺は振り上げた剣を半ば落とすような形で振り下ろす。
紅騎のデッキと一緒に、紅騎自身を貫く為に。
そして俺が振り下ろした切っ先は、紅騎の……龍騎のデッキを貫き、粉々に砕き……そこで、止まった。いや、「止められた」と言うべきだろうか。
……いつの間に寄って来ていたのか。俺の手を、オーディンが止めていたからだ。
「……緋堂闇爾。ライダー裁判期間中における、他の裁判員の殺害は許可されていない」
感情の読めない声が、俺の耳朶を叩く。同時に足元ではデッキが破壊された事で変身が解けた紅騎が、何とも表現が難しい表情で俺を見上げていた。
困惑と悲しみ、だろうか。強制排除の為の粒子化が始まっているので、はっきりとは分からなくなっているが。
「……良かったな、紅騎。お前は規約とオーディンに守られた」
「闇爾、さん……っ!」
「指を咥えて見てると良い。……あいつが絶望する様を、さ」
何か言い募ろうと口を開く紅騎だったが、ミラーワールドから強制排除された為に何を言おうとしていたのか、結局は聞けずじまいだった。
聞いたところで、俺の考えが変わるとは思えなかったが。
紅騎が消えたのを確認したからなのか、オーディンは押さえていた俺の手を放すと、ゆったりとした足取りで俺との距離を取る。
妙に余裕を感じさせるその仕草に苛立ちを覚えながら、俺は奴に声をかける。
「オーディン、今度はお前が俺の相手になるのか? それとも、いつもの通り自分で脱落するつもりか?」
「…………」
これで相手になられても、正直困る。
使えそうなカードはほとんど全て使ってしまった。もう残っているカードはないに等しい。
それでも、こいつも邪魔である事には変わりない。
思い、剣を構え直した瞬間。意外な返答が返ってきた。
「どちらもしない」
「……は?」
間の抜けた声が俺の口から漏れる。仮面で隠れてしまっているが、顔だって「きょとん」という表現がしっくりくるものになっているはずだ。
俺と戦う事もしない。だからと言って、通常の裁判のように自分から脱落するような事もしない。
じゃあ、どうするつもりだ? こいつは何がしたいんだ?
「お前が私と戦う時があるなら、それは……白鳥ミホが脱落した時だけだ」
きっぱりと、しかしやはり感情の読めない声でそう言うと、オーディンはすっと腕を上げ……その瞬間、黄金の羽根が舞い散り、視界を覆う。かと思えば、次の瞬間にはオーディンの姿が消えていて……
残ったのは、一人佇む俺と、地面に向かってひらひらと舞う黄金の羽根だけになっていた。
不景気のせいか空き室が多く、俺がいる場所もテナントの入っていない空室。
むき出しのコンクリートの壁と、ナイロン系のタイルカーペットが妙に寒々しい。
まだ紅騎は来ていないらしく、この場にいるのは俺一人。商業用に作られた部屋なのか、外界との境は天井から床まで継ぎ目なしの強化ガラスで区切られている。
高層階と呼べるほど高くはないが、低層階とも決して呼べない微妙な高さ。室内が暗いせいか、反射した室内と外の景色が同時に見える曖昧さ。外の気温と室内の気温が混ざり合い、暖かいとも冷たいとも言えない生温さ。
何もかもが中途半端。何と言うか、その場にいるだけでもやもやとした気分になって、気持ち悪い。
そんな風に思ったのとほぼ同時に、キィと扉が軋んだ音を上げながら開く。反射するガラス越しに眺めれば、そこからは明るい茶髪に一筋だけ赤の入った髪色の男……紅騎が笑みを浮かべながら室内へ入る。
「すみません、闇爾さん。ちょっと遅れましたね」
「いや、そうでもないだろ。俺が早く来すぎただけだ」
振り返り、紅騎の顔を見ながら言葉を返す。口ではそう言った物の、普段は約束の五分前には到着する紅騎が、数分とは言え遅れてくると言うのは珍しい。
別に怒っている訳ではないが、心配だったことは確かだ。
すると紅騎は、苦笑いと照れ笑いの中間のような笑みを浮かべ、軽く自身の頬を掻いて、言った。
「調べものをしていたら、つい夢中になっちゃって」
「珍しいな。お前が時間を忘れるほど何かに没頭するなんて」
「ええ、まあ。……今回の裁判に関係する事なので、余計に」
「……調べてたって、何を?」
「オーディンに関して。何しろ、ここまで来てもまだ情報が少なすぎますから」
紅騎の言葉に、俺は無意識の内に空気を飲み込んだ。
確かに、オーディンに関しては情報が少なすぎる。
少なくとも今回の裁判において、「正体不明」なのはあいつだけだ。
だが、仮面ライダー裁判は過去に何度か行われている。そしてその都度、十四人の裁判員が選出されているはずだ。
……事件によっては関係者の数が少ない為、もっと少ない人数から始まる事もあるらしいが、それは滅多にない例外とみて良い。
「今回のオーディン」に関しては確かに情報が少ないが、「以前のオーディン達」に関しての情報なら、何かしら残っているかもしれない。
残る裁判員が俺と紅騎、ミホ、そしてオーディンだけである以上、オーディンの情報を集めて対策を練るのは至極当然の事だ。
「成程な。……それで、何か分かったか?」
「そうですね……『分からないと言う事が分かった』と表現するのが一番しっくり来ます」
やや速足で紅騎に近寄りながら問うと、彼は残念そうに顔を顰め、懐からモバイル端末を取り出して俺に見せた。
画面に映っているのは、全てオーディンに関する情報。しかし、過去に三十回以上も仮面ライダー裁判を行っているにもかかわらず、その情報は圧倒的に少ない。
「どうやらオーディンは、毎回情報が少ない裁判員のようです。他の裁判員のデータに比較して、圧倒的にソースが足りない。例えば、これです」
すっと指をスライドさせると、画面は十四人のライダーの写真と、その基本的な情報が記されたページが並ぶ。だが、同じ書式で統一されている裁判員の情報の中で、オーディンだけは奇妙なまでに空欄が多かった。
中でも紅騎が見せたのは、「立場」と書かれた項目。
仮面ライダーの写真の下に、「1」から「32」までの数字が書かれており、その下には「弁護人」、「検事」、「目撃者」、「遺族」、「被告人親族」などの文字がばらばらに書かれている。
事件が変われば、鎧を纏う人間の立場が変わるって事らしい。
そんな中、オーディンの欄だけは空白か斜線のみ。どういった立場での参加者だったのか、この資料には全く書かれていない。
「……どういう事だ?」
「分かりません。過去の案件に関する情報をとにかく集めに集めたんですけど、オーディンの立場は毎回分からないまま終わるみたいなんです」
「何?」
「それに、人数が少ない状態で開始する裁判の場合……真っ先に除外されるのがオーディンなんです。ほら、この斜線が『不参加』の時なんですけど……」
確かに、他のライダーに比べてオーディンの参加回数は少ない。他のライダーは参加回数が二十五回前後であるのに対して、オーディンは二十回前後と、他に比べたら明らかに少ない。
これは、オーディンのスペック上の問題なのか?
それとも何か、もっと別の……何者かの思惑があっての事なのか?
「他にも、これも毎回の事みたいなんですけど、オーディンが脱落させた仮面ライダーの数はトップクラスであるにもかかわらず、勝ち残った事は……判決を下した事は、一度もないんです」
再び指をスライドさせ、端末の表示を変える。すると今度はそれぞれの案件の判決と、それを下した仮面ライダーの名が現れた。
有罪と無罪はほぼ半々。少しだけ有罪判決が多いくらいか。多少の偏りはあるが、確かにオーディン以外、皆一度は判決を下している。
ただ、仮面ライダー裁判自体、今回を入れても三十二回。おまけに参加人数は十四人、単純計算で一人につき二回から三回。その程度の回数なら、偶々オーディンが勝ち残れなかったと言う可能性もある。オーディンの参加回数の少なさを考えればなおの事。
「勿論、偶然という可能性はあります。でも……毎回最後の数人のところまで残っているのに、結局勝利せずに終わる。それに、他の参加者が気付かない間に脱落しているのは、おかしいですよ」
「他の参加者が脱落に気付かないって……ありえるのか? そんな事?」
「……自分で自分のデッキを破壊すれば」
「何の為に? 脱落させたのは、自分が判決を言い渡すためじゃなかったのか?」
「それも、分かりません。過去三十一回の裁判において、最初から参加していない場合を除き、ほぼ全てのオーディンがその方法で脱落しているみたいです」
今度はどこかのアングラサイトからまとめたのだろう。今まで仮面ライダー裁判に参加した者達の、オーディンに関する証言のような物が次々と表示された。
そのほとんどが、「不気味な存在だった」、「いつの間にかいなくなっていた」、「何が起こったか分からなかった」などの、相手の神出鬼没さを語る言葉だった。
ただ、「強かった」、「破格だった」、「奴の存在はマジでチート」と言った、力量に関する言葉も多く見受けられたが。
「一部の噂では、オーディンだけは毎回同じ人物なんじゃないか、とか言われています。あるいは、運営が裁判の円滑化の為に送り込んだ、コンピューター制御のロボットじゃないか、とか」
流石にロボットと言う事はないだろうが、同一人物説はあり得そうだ。そうでなきゃ、毎回こんな不可解な行動を取るとは思えない。
成程、確かに「分からないと言う事が分かった」としか言いようがない。つまるところ、オーディンは常に「何者か分からない不気味な存在」であると言う事だ。
「…………ま、どこにいるかも分からないオーディンの事は、放っておきましょう。今日は俺、別にオーディンの事を伝えに来た訳じゃありませんし」
唐突に、紅騎はそう言ったかと思うと、持っていたタブレット端末を懐にしまう。
正直、オーディンの事は気になるが……これ以上はどこを突いても情報が出そうにないし、そもそもたいていの場合自分から脱落するような奴だ。不気味だが、今回も放っておけば勝手に自分で脱落するかもしれない。
そんな淡い期待を抱き、俺もオーディンの事は頭の隅に追いやった。
それにしても……オーディンの事が本題じゃなかったのか? 「大事な話がある」って電話だったから、てっきり今のがその「大事な話」だと思っていたんだが。
「今日闇爾さんを呼び出したのは……闇爾さんに、脱落してもらおうと思って」
ニコリと笑って紅騎が言う。同時に奴はポケットから自分のデッキを取り出すと、俺に見せつけるような恰好でそれを突き出した。
一瞬、何を言われたのか理解出来なかった。
紅騎は共に無罪を主張する仲間。そう思っているのに、突然その紅騎から、「脱落してもらう」と言われれば、思考停止するのも当然だろう。
「紅騎?」
「俺と戦いましょう。……戦って、くれますよね?」
いつもなら、この言葉も「俺と一緒に戦いましょう」と言う意味で受け取る。
だが、今回に関しては違う。言葉通り「紅騎と戦う」、つまり紅騎自身と剣を交えてくれと言う意味にしか受け取れない。
浮かんでいる笑顔が怖い。何を考えているのかが読めない。
反射的に俺もデッキを構え、後ろのガラスに体を映す。
ガラス越しに見えた紅騎の笑みが深くなると同時に、奴は右手を左斜め上に伸ばし、口を開いた。
「変身!」
デッキが腰のベルトに装着され、紅騎の体は龍騎と呼ばれる赤を基調とした鎧で覆われる。
デザインは、黒川のリュウガとほぼ同じ。黒川が「黒龍」なら、紅騎は「赤龍」。うっすらと見えるミラーワールドでは、奴の契約モンスターである赤いドラゴン、ドラグレッダーが吠える様に大きく口を開けてこちらを威嚇しているのが見えた。
一方で俺もまた、右手で拳を握り、肘を曲げて内側に向かって振りかぶり……
「変身」
言葉と同時に、デッキをベルトに差し込む。
どういう機構になっているのかは知らないが、その瞬間にミラーワールドからナイトの鎧が転送され、俺の体を覆った。
軽くバイザーを持ち上げ、そのまま切っ先を紅騎へ向ける。
どういうつもりか分からないが、少なくとも、今の紅騎は俺を「敵」と見ている。それなら、こちらも紅騎を「敵」だと思う事にする。
……まだ少し、混乱してはいるが。
「それじゃあ……行きますよ!」
言うと同時に、俺と紅騎はガラスを通ってミラーワールドへと突入する。
一瞬の暗転後、視界には先程の部屋……いや、左右が反転し、他人の気配が完全に途絶えた「似て非なる場所」が映り……直後一面の赤が視界を埋めた。
反射的に体を左に捻ってその「赤」を回避すると、今まで俺がいた場所をちょうどドラグレッダーが通過するところだった。
ドラグレッダーの体当たりか。死にはしないかもしれないが、到着早々の攻撃としては危険すぎるだろう。
「はは。流石ですね闇爾さん。今のを回避した人は、闇爾さんが初めてです。大抵はかわしきれなくて、脱落するんですけどね」
パチパチと拍手しながら言う紅騎に視線を向け、俺は無言で体勢を立て直す。
紅騎の後ろには狭そうに体を折り畳むドラグレッダーが控え、虎視眈々とこちらを狙っているのが見て取れた。
それにしても、だ。今の紅騎の言い方からすると……他にも同じ手口で攻撃された奴がいたって事か。だとすると、誰を?
「実はですね、闇爾さん。白銀さんと紫檀さん、そして浅倉さんは、俺がこいつに襲わせたんです。本当は赤紫さんと緑射さんも俺が潰したかったんですけど……やる前に、あの二人はオーディンに倒されちゃいました」
悪びれた様子もなく、紅騎はさらりとそんな事を口にした。
だが、俺は奴の言葉の意味が理解できない。
上司である紫檀さんと、第一発見者である浅倉 譲治と言う男、そして事件の担当検事である緑射 シュウイチさんは「有罪」を掲げる側だから、攻撃したと言うのも分かる。しかし、兄貴の後輩である白銀 サトルさんと、弁護士である赤紫 ミユキさんを攻撃する理由はないはずだ。二人とも「無罪」を掲げる仲間だったのだから。
「何故そんな事をした?」
「だって……あいつら、ミホさんが願いを叶えるのに邪魔だったので」
さも当然のように吐き出された言葉に、改めて俺は絶句する。
紅騎は、「ミホの為」に、白銀さん達を襲った……?
「……それじゃあお前は、最初から俺達を騙してたって言うのか?」
「違います。最初は暁さんの無実の為に戦ってました。でも……どうでも良くなっちゃったんですよ」
『STRIKE VENT』
乾いた声で問う俺とは対照的に、紅騎の声はどこか楽しげだ。
そして楽しげな様子のまま、奴はカードを自身の左腕についているガントレット型のバイザーに読み込ませた。
瞬間、どこからかドラグレッダーの頭に似た手甲が、紅騎の右腕に装着される。
剣が主体の戦い方を要求されるナイトとは異なり、龍騎、そして同型のリュウガはオールマイティなデッキ構成になっている。
銃、剣、そして今使っている肉弾戦用の手甲など、戦闘可能範囲は幅広い。
バイザーを構え、警戒しつつ紅騎の方を睨むと、奴はふふ、と軽く笑い……そして、唐突に声を張り上げた。
「ミホさんの願いを叶える為なら、俺自身の考えなんてどうでも良くなっちゃったんです! これこそが愛! 愛なんです!」
両腕を広げ、隙だらけにも見える体で放たれたその言葉に、ざわざわと胸がざわめく。
……何だ、これ。この気持ち悪い感情は。目の前にいるのは、本当に紅騎なのか? あいつってこんなに気色悪い男だったか?
今なら攻撃できるんじゃないかと思いはするが、やはりそうは甘くないらしい。
自分の世界に浸りきっている紅騎を守るかのように、ドラグレッダーがゆっくりと俺と紅騎の間に割り込んでくる。多分、少しでも動けばもう一度ドラグレッダーは俺に向かって体当たりをかましてくる事だろう。
紅騎が「ミホの為」に戦っているなら、ドラグレッダーは「紅騎の為」に戦っているように見える。もっとも、その根底にある感情は紅騎の物とは明らかに違うだろうが。と言うかそもそもモンスターに感情があるかも不明だが。
「……で、昨日黒川さんがミホさんに倒されたじゃないですか。ミホさんの願いの邪魔になる人物って、あとは闇爾さんとオーディンだけなんですよ」
「オーディンが見つからなかったから、俺をターゲットにしたって事か」
「はい」
「俺を倒して、オーディンの『自滅』を待った後、自分も『自滅』してミホを勝たせようって魂胆か」
「はい」
これまた唐突にいつもの口調に戻ったかと思えば、奴は素直に俺の言葉に頷きを返す。
未だこいつの考えている事はよく分からないが、少なくとも目の前の男は、裁判当初に信じた「仲間である城戸紅騎」ではないと言う事程度は理解した。
そして、こいつがミホに対して何かしらの執着を見せている事も。
「そんな勝ち方をして、ミホが喜ぶとでも?」
「素直に喜んではくれないと思いますね。でも、ミホさんの最大の目的は果たされます。目的が果たせれば……多少はモヤモヤしても、それでも喜んでくれるって信じてます」
言っている事が滅茶苦茶だ。だが、本人はそんな自覚はないのだろう。言いながら、俺との距離を詰めて真っ直ぐに拳を突き出した。それをバイザーで弾き、紅騎との距離を開ける。
が、下がったところにはドラグレッダーの尾。それがこちらめがけて思い切り振りぬかれる。
……チッ。流石に体長六メートルは長い。
心の中で舌打ちを鳴らし、尾がぶつかる寸前、大きく後ろへ飛び退る。同時にこちらもデッキからカードを取り出し、バイザーに読み込ませた。
『ADVENT』
アドベント。契約モンスターを召喚するカード。目には目を、モンスターにはモンスターを。
呼ばれた俺の契約モンスターである「闇の翼」、蝙蝠型のモンスターであるダークウィングが、ビルの窓ガラスを突き破ってその姿を見せた。
ドラグレッダーの巨体相手に、この狭い空間で戦うのは得策じゃない。外に出て、もう少し戦いやすい状況を作った方が良い。
瞬時にそう判断すると、俺はダークウィングと合体。蝙蝠の翼を得た俺は、割れた窓から外に向かって飛び降りる。
ダークウィングと合体すると、飛行能力が付与される。
飛行能力自体は珍しくないが、合体する事は珍しいらしい。他にモンスターと合体するライダーは見かけた事がない。
……そもそも、合体しないと飛べないのは俺だけなんだよな、飛行能力のあるモンスターと契約しているのに。
ミホや、今戦っている紅騎なんかもそうだが、基本的にモンスター自体が飛行できる場合はそれに乗って移動する。実際、紅騎は今現在、ドラグレッダーの背に乗って俺を追いかけてきているし。
……やはりと言うか何というか、蝙蝠よりドラゴンの方が動きは早いか。そもそも体躯差がありすぎるしな。
縮まっていく距離を認識しながら、俺は出来る限り広い場所へ降り立つ。同時に背についていたダークウィングは離れ、そして一瞬後にはドラグレッダーと紅騎が俺の前に姿を見せた。
「広い所なら勝てるって思いました?」
「あの空間よりはマシ、程度には思ったな」
いつもと変わらない口調で問われ、こちらもいつもと同じような言葉で返す。
だが、間に流れる空気はいつもとは違う。険悪なんて言葉では足りないくらい、互いに殺気のような物を飛ばし合っているのを自覚している。
「……闇爾さん。愛の前に散って下さい」
「断る」
「でしょうね」
言うが早いか、紅騎は再び拳を繰り出す。こっちはそれをもう一度剣で弾き、今度は返す刀で斜めに切り下げる。
だが、紅騎もそこは読んでいたんだろう。弾かれた勢いを生かして後ろへと飛びのいていた。当然俺の切っ先は空を斬り、かつんと乾いた音を立ててアスファルトにぶつかった。
「やっぱり強いなぁ、闇爾さんは。……だからこそ、ミホさんとだけは戦わせたくないんですけどね」
笑みを含んだ声で言うと同時に、紅騎は拳を構え、すっと腰を落とす。そのポーズに反応するように、それまでこちらを睨み付けていたドラグレッダーが、奴の後ろに控えるような形で下がる。
あのポーズは、まずい。
一緒に戦ってきた為か、紅騎がどんな攻撃を繰り出そうとしているのかが分かる。あの構えは確か、ドラグクローファイヤー。紅騎の拳とドラグレッダーの吐き出す火炎弾の合わせ技。ファイナルベント程ではないが、まともに食らえばダメージは大きい。
瞬時にそれを認識し、こちらも半ば反射的にデッキからカードを抜き出してセットする。何のカードかろくに確認もしなかったが、まあ何とかなるだろう。今までも大抵は引きたいカードが引けていた訳だし。
一抹の不安を覚えつつも、俺はバイザーをクローズしてセットしたカードを読み込ませる。直後、響いた電子音が告げたカードは……
『NASTY VENT』
よし、当たりのカードだ。
心の中で小さくガッツポーズをしつつ、俺は眼前に舞い降りたダークウィングの背を見やる。
ナスティベント。恐らくはナイトだけが持っているであろうカードであり、その効果は「蝙蝠型モンスター」であるダークウィングの放つ超音波攻撃。
超音波の正確な定義は「人間の可聴域を逸脱するほど高い周波数の音」なのだが、ダークウィングが放つ「超音波」に関しては少しだけその定義から外れる。確かに正確な意味における超音波も発しているが、それと同時に人間にとっての「嫌な音」……つまり可聴域の音も同時に発しているからだ。
超音波だけなら、目に見えないし聞こえない。それだけに、実は恐ろしい攻撃でもある。上手く周波数を合わせれば体細胞を破壊したり発火させたりすることが可能だからだ。
「裁判員を殺してはならない」とか言う規定があるくらいだから、流石にそこまでの威力はないだろうが……それでも、ナスティベントの効果は地味に大きい。
実際、「嫌な音」を耳にしてしまったせいか、紅騎は反射的に構えを解き、自身の両耳を塞いだ。両手をそう言った形で使っているのだ。当然、攻撃は中断され、紅騎は苦しげに呻く。
一方でドラグレッダーにとっては大した事のない音だったらしい。紅騎の動きが止まっても知らん顔で火球を吐き出した。あるいは、吐き出さざるを得なかったのかもしれない。パンチなら途中でやめられるが、火球となると中断する事は出来ないだろう。
ぼっ、ぼっと吐き出される火球を、俺はバイザーで払い落とす。
切っ先が触れた瞬間、小さな爆発が起きはしたものの、ナスティベントによる音の壁のおかげで本来の勢いはそがれている。
やがて全ての火球を払い落とすと、それを待っていたかのようにダークウィングは音を発するのをやめ、再び俺の後ろに控えた。
「く、つぅ……まさかそれで止められるとは思いませんでした。この程度で止まるなんて、まだまだ俺の、ミホさんへの愛が足りないって事ですかね」
「……知るか」
まるで耳の奥に残っている音を振り払うかのように頭を振って言う紅騎に対し、俺は自分でも不思議に思う程冷たい声で返す。
……紅騎がミホに対して、好意を抱いていたのは、何となくだが勘付いていた。だがそれは、執着を伴った愛情と言うより、憧れに似た感情だと解釈していた。何しろミホは、紅騎が今まで恋愛関係を築いてきた女性達とあからさまにタイプが異なったからだ。
だからこそ、安心していた。こいつは、ミホに対して恋愛感情は抱いていない、と。「好き」ではあるのかもしれないが、「愛」とか「恋」とか、そう言う感情での「好き」とは異なるものだと。
だが、実際はどうだ? 紅騎はミホに対し「愛」を口にし、そして「仲間」だったはずの俺に対して攻撃を仕掛けてきている。そしてこいつがミホに対する「愛」を口にする度に……俺は、はっきりと苛立ちを覚えている。
ミホの事を何も知らないくせに、愛なんて語るな。あいつが本当に可愛いのは、あいつが壊れた時だけだ。普段のあいつも可愛い部類に入るだろうが、あんなのはまやかし。ただの虚勢だ。虚勢を張って、必死に自分を奮い立たせているだけのあいつに、「愛」?
……ないな。ああ、ないない。何も分かっちゃいないし、そんな奴にミホを愛しているなんて言う資格なんてない。
壊れたあいつを知っているのは俺だけだし、俺以外の奴が壊れたあいつを見る事も許さない。アレは、俺だけのモノ、俺だけが知る一面、俺だけが知る脆さ、俺だけが、俺だけが、俺だけが。
「…………ああ、なんだ」
暴走しかかっていた思考の中、ふいに俺は納得した。
……俺は、普段のミホに対して、恋愛感情は抱いていない。それは間違っていない。普段の白鳥ミホと言う女は、俺にとって友人で、妹分で、そして好敵手だ。恋愛に発展する要素はないし、これからも恋愛に発展しないと思う。
けれど……ミキさんを亡くし、壊れてしまった白鳥ミホに対しては、恋愛感情に似た物を持っているらしい。
寝食を忘れてしまうほどの絶望に打ちひしがれ、そしてその絶望を表に出す事が出来なかったあいつ。
それを救えるのも、更に突き落せるのも、俺だけだったあの状況。
紅騎がミホに対して恋愛感情を抱いていると知った今になって、ようやく自覚した。
……俺は自分で自覚していた以上に、独占欲が強かったらしい。
あの時のミホは、俺だけを頼った。
俺だけを見て、俺だけに反応して、俺だけに泣き顔を見せた。
慰めてやらなきゃいけないのに、突き落としてやりたい衝動に駆られた。当時はその衝動を自覚していなかったが、今なら分かる。
依存してほしいんだ、俺は。そして、俺の言動で一喜一憂してほしい。
嘆き、悲しみ、それでも縋る相手は俺しかいないと言う状況に、あの時俺は、暗い喜びを見出していたんだ。
「ふ……ははっ。あははははっ」
自然と口から漏れる自分の笑い声を、どこか遠くで聞きながら、俺はゆっくりと紅騎に向かってバイザーを構える。
自覚してしまえば、今までの行動とか感情とか、色々と理解できる。
わざわざミホを助けるような真似をしているのも、私生活で仲良くしているのも、他の奴と関わる事に対して苛立たしく思うのも。
全ては、俺があいつを独占したいが為だったから。
元気になって、俺を信用して、俺にだけは素の表情を見せて。
そんな俺に裏切られた時、ミホがどんな顔をするのか。それが、見たい。
それを見るにはどうしたらいいかはまだわからない。だけど……少なくとも、あいつにとって最悪の結末を与える方法なら分かる。
……その方法を取るためには、紅騎は……邪魔だな。
「紅騎。お前こそ、俺の邪魔だ。……消えてくれ」
自分でも驚くぐらい低い声でそう言うと同時に、俺は紅騎に向かってバイザーを振り上げ、斬りつける。
だが、紅騎は未だ装着したままの手甲でその切っ先を弾き返すと、一旦距離を取るように大きく後ろへ飛び退き、軽く頭を振って呟いた。
「……やっぱり、そうなんですね。まあ、薄々は感じていましたけれど。でも、それも仕方のない事だと思います。だって、ミホさんって魅力的ですものね!」
仮面で表情は見えない。だが恐らく、紅騎の顔は「にっこり」と言う表現が一番しっくりくるような笑みが浮いているだろうなと予想できる。
それ程までに明るい声で言うと、奴は腰のデッキから一枚のカードを取出し、セットした。それとほぼ同時に、俺の方もカードを一枚セットする。
『SWORD VENT』
『SWORD VENT』
カードセットの際の一瞬のタイムラグのせいだろうか。反響したような電子音が周囲に響き、それぞれの手に剣が握られる。
紅騎の手には青竜刀に近い形の剣、そして俺の手には馬上槍に近いデザインの剣。間合いは俺の方が少し広いくらいだろうか。刺突に特化した印象の俺の剣とは対照的に、紅騎の剣は斬撃に特化した印象を抱かせる。
ぶつかり合った時、どちらが有利に働くのか想像もつかない。
そんな風に思っている時だった。紅騎が動いたのは。
「でも、闇爾さんの感じている魅力と、俺が感じている魅力は全く違う。同じソードベントでも、俺の剣と闇爾さんの剣のデザインが、こんなにも異なるように」
振り下ろされた紅騎の剣を半ば反射的に受け、弾き飛ばす。
形状的には「斬る」事には向いていない俺の剣では、あまり近い位置に入られすぎては威力が出しきれないからだ。一方で紅騎の場合は近い位置にいないと効果を出しきれない。
同じカードなのに、反対の性質の剣。成程、確かに俺と紅騎の「物の見方」その物のような関係だ。
「俺は、ミホさんの強い部分に惹かれました。どんなに苦しくても、恐ろしくても、危うくても、それでも自分を貫き通そうとする強い部分に。だけど、闇爾さんは……」
「もういい、黙れ紅騎」
もう一度切りかかりながら言葉を続ける紅騎に対して短く返すと、限りなく手元に近い刃の部分めがけて思い切り剣を振り上げた。
手を斬られるとでも思ったのだろう、一瞬、剣を持つ紅騎の手から力が抜け……直後、奴の剣は宙に跳ね上げられ、かなり離れた位置に突き立った。
要するに、紅騎の剣は俺によって弾き飛ばされたと言う事だ。
「そんな! その武器で、そしてこの近距離で、それでも俺の剣を弾いた!?」
「ナイトは剣撃が主体の装備。要するに、慣れてんだよ。……普段は素手で戦ってるお前に対して、引けを取らない程度にはな」
「付き合いの長さ……って奴ですか」
流石に素手で近距離は危険だと判断したらしい。俺の剣の間合いの外まで慌てて引き下がると、紅騎は苦々しげに吐き出しながらもファイティングポーズをとる。
ソードベントのカードを使ったからなのか、既に紅騎の手からストライクベントで召喚したはずの手甲は存在しない。奴の剣も、紅騎からは離れた位置で突き立ったまま。
奴の持っているカードを考えれば、あとはファイナルベントとガードベントの二種がメインと言ったところか。
なまじ「仲間」だった分、あいつのカードの事は大体把握している。恐らく紅騎もこちらのカードに関して、ほとんどを把握しているはずだ。
とはいえ、油断はできない。
この仮面ライダー裁判では、裁判期間中ランダムに「追加カード」が配布される事がある。そんな事をする理由は分からないが、ひょっとすると今のように、互いの手の内が読める状態による膠着状態を回避する為なのかもしれない。
正直、その辺の思惑など俺にとってはどうでもいい。
「俺ね、正直羨ましいんですよ」
「唐突に、何だ?」
「ミホさんの信頼を勝ち得ている闇爾さんが、です。
そこまで言って、紅騎は一旦言葉を区切る。軽く俯き、ギリと音が鳴るほど拳をきつく握りしめ……だが、突然顔を上げたかと思うと、奴は一枚のカードをデッキから取り出した。
カードが背を向いているので、こちらからは何を取り出したのかは分からない。普通に考えればファイナルベントだと思うところだが……それにしてはドラグレッダーが動かないのが気になる。
警戒し、改めて剣を構え直したその時。紅騎が先程取り出したカードを翻し、その図柄をこちらに見せた。
「闇爾さんにはまだ言ってなかったかもしれません。実は俺、裁判中に配られた『追加カード』を手に入れたんですよ」
目に入ったカードは、炎のような背景に、金色で鳥の右翼が描かれた物。上部には「SURVIVE」の文字が書かれている。
少なくとも今まで共闘してきた中では、紅騎があのカードを使っている所を見た事がない。紅騎が言う通り、あのカードは紅騎に配られた「追加カード」なのだろう。
そうだと認識した直後に気付く。紅騎のバイザーが、手甲型のものから、銃型の物へ変化している事に。
まずい、と思った時には既に遅かった。紅騎はその「変化したバイザー」に先程のサバイブのカードを装填すると、即座にそれを発動させた。
『SURVIVE』
電子音が響くと同時に、紅騎の周囲をカードの絵から抜け出したような炎が取り巻く。直後、その炎の色を吸収したかのような赤い鎧へ変化した紅騎の姿が炎の隙間から垣間見えた。
しかも、変化したのは紅騎だけじゃない。控えていたドラグレッダーもまた、その姿を変えていた。今までもモンスターとしては大物だったが、今はそれを軽く超えている。一回り……いや、二回りほど大きくなったか。顔つきもどことなく凶暴に見えるのは俺の気のせいではないだろう。
「あっはは! どうですか闇爾さん! 多段変身です! ドラグレッダーも進化してドラグランザーになりました! こんなカードが手に入るなんて、やっぱり愛の力って偉大です! そう思いません?」
言うと同時に紅騎が走る。いつの間にかその手の中にあったバイザーからは刃が出ており、簡易的ではあるが剣と化している。
いつの間にかソードベントを使って変化したのか、それとも剣も兼ねた仕様なのかは知らないが、随分と便利そうなバイザーだ。見目から考えると、恐らく銃にもなるんだろう。
素手主体から、一気に武器主体の戦い方に変化した訳か。面倒くさいな。
思いつつも、俺は眼前に迫った紅騎の剣を受け止め、鍔迫り合わせる。
やはり強化されたからか、先程の攻撃より一撃が格段に重くなっている。そうそう何度も打ち合いはできそうにないな。
「……しつこいと嫌われるぞ。あいつは黒川と言うストーカーを間近で見てきてるからな」
「失礼な。彼と一緒にしないで下さい。俺の想いは純愛ですよ。ミホさんさえ良ければそれでいいんです。俺の想いなんて二の次。ミホさんさえ報われれば、俺はそれで満足です。周囲がどうなろうと、知った事じゃありません。だからこそ……俺は、今の闇爾さんを許せません。ミホさんを裏切ろうとしている、今の闇爾さんだけは」
いつもと変わらない明るい声で言いながら、紅騎は持っていた剣を大きく振るう。それを何とか受け止めたのだが……流石に剣の方は限界だったらしい。ソードベントで召喚していた俺の剣が、鈍い音を立てて折れた。
チッ、やっぱりこうなったか。ソードベントで召喚した剣が折れたと言う事は、バイザーで受けても同じ末路を辿ると言う事だ。流石にそれは避けたい。
心の中でのみ舌打ちし、再び振り下ろされた剣をかわすため、大きく後ろへ飛んで紅騎との距離を開ける。
だが、それなりに長い付き合いのある紅騎だ。俺の考えは見通していたらしく、バイザーをこちらに向け……
『SHOOT VENT』
「しまっ……」
避けなければ、と認識した時には既に遅く、俺の体は紅騎が持つバイザーが放つビームによってロックオンされており、そこをめがけてドラゴン……ドラグランザーが、今までとは比にならない熱量を持った火球を吐き出した。
火球の速度、そして数から考えて完全な回避は不可能だ。
となると、多少のダメージは覚悟したうえで対処するしかない。
瞬時に判断し、俺はデッキからカードを二枚、連続で抜き出し、順を違えぬよう心掛けながら連続で効果を発動させた。
直後、火球が俺の側に、あるいは俺自身に着弾し、視界が濁った。最初の一瞬は炎の紅、そして次の瞬間には煙の薄灰、そしてしばらく後には煤の混じった暗い灰に。
こちらからは紅騎の姿が見えないが、紅騎からもこちらの姿は見えていないらしく追撃される様子はない。
……こんな景色が見えていると言う事は、どうやら脱落は回避できたらしい。流石に完全に無傷とは言わないが、手足は動くから問題ないだろう。
そう認識すると、俺は目の前の土煙を吹き飛ばすべく、ダークウィングとの合体を解除して羽ばたかせ、それを吹き飛ばした。
クリアになった視界の先では、紅騎が然程驚いた様子も見せずに立っていた。
「……流石ですね、闇爾さん。あの一瞬でガードベントを使ってダークウィングと合体、そしてトリックベントを使って最大人数で防御する事で、一人当たりにかかるダメージを軽減させたなんて」
「分身はことごとく散ったがな。俺が残ってるなら問題ない」
そう。俺が持つカード、トリックベントは分身能力を持つ。便利なのはその前に使ったカードの効果を持続させた状態そのままで分身が出来る部分だ。
今回は守備の為のガードベントを使い、ダークウィングと合体、その状態でトリックベントを使い、最大人数である八人に増殖。本来は「本体」である俺一人が受けるはずのダメージを分散させ、今に至ると言う訳だ。
だが、この方法にはリスクがある。カードの消耗が激しい事だ。
「でも、これで闇爾さんの使えそうな主なカードは、ファイナルベントだけですね」
「……やっぱり、お前はやりにくい相手だよ、紅騎」
楽しそうな声で言った紅騎に、俺は苦々しく思いながら言葉を返す。
紅騎が言った通り、俺が主に使っているカードのほとんどは、今回の戦闘で消費した。カード一枚、一回の戦闘につき使用は一度までと言う制限があるせいで、「リサイクル」は基本的には出来ない。
そして今の状況で使えそうな残りカードと言えば、必殺技を放つファイナルベントが真っ先に挙げられる。しかしそれも、紅騎がガードベントを使えばしのがれてしまう可能性が高いし、そもそも奴自身もまだファイナルベントを残している。
カードの差から来る余裕か、紅騎はゆっくりとこちらに歩み寄り、バイザーの銃口部をこちらに向け、低く言葉を紡いだ。
「……闇爾さん。あなたがミホさんを裏切る前に、脱落してもらいます」
「俺との決着を、あいつが望んでいるとしても、か?」
「はい。闇爾さんと決着を付けられない事は、ミホさんにとって本意ではないとは思います。……でも、闇爾さんに裏切られるより、ずっとずっとマシです」
「お前は、あいつが俺と決着を付けられない事よりも、俺が裏切る方が、より絶望的な状況になるって思ってるんだな」
「そうです。だから闇爾さん。ミホさんの為に……ミホさんの悲しみが小さい間に、脱落して下さい」
紅騎の言葉を聞きながら、俺は自分の顔がにやけていくのが分かった。
分かってない。こいつは何も、全く、欠片さえも。
……ミホの事も、そして俺の事さえも。
先程のシュートベントの影響で、少し痛む体を無理に起こすと、俺はデッキから一枚のカードを取り出した。
それを警戒したらしい、紅騎は一瞬その足を止めると、訝しげに首を傾げ、その上でばっと距離を広げた。
まあ、それもそうだろう。紅騎はさっき、「俺が使えそうな主なカードはファイナルベント」だと言っていた。
正直に言えば、俺もそれくらいしかないかなと思っていた部分があった。だが。
「紅騎。俺もお前に言ってない事があったんだ」
「はい?」
「俺も、持ってるんだよ。追加カード」
笑みを含んだ声で言って、俺は先程デッキから取り出したカードを紅騎に見せた。
デザインは紅騎が持っていたカードに似ている。だが、背景は風を連想させる薄青だし、書かれている翼も向かって左側、つまり左翼。書かれたカード名は先程こいつが使ったのと同じ「SURVIVE」。
恐らくは紅騎が持つカードと対を成すカードなのだろう。ただし、紅騎が持っていたサバイブを「烈火」だとすれば、俺が持つサバイブは風……「疾風」だ。
驚いたように息を呑んだ紅騎の前で、俺は剣型から盾型へ変化したバイザーにそのカードを読み込ませた。
『SURVIVE』
紅騎の時と同じ音声が響く。
同時に俺の周囲を風が取り巻き、濃紺だった鎧は青へと変化、ダークウィングも大きさこそほぼ変わらない物の、より強化された外観へと変化した。今のこいつは「襲撃者」……「ダークレイダー」と呼ぶのがふさわしいか。
「……へえ? 闇爾さんも、多段変身出来たんですね」
「愛の力ってのは偉大だよなぁ」
低く呟かれた紅騎の声に、俺は先程紅騎が放った言葉をそのまま返す。
このカードを手に入れたのが「愛の力」だと言うのなら、俺もまたその力で手に入れたと言う事になる。ただ、それはひどく皮肉な事のように思えるが。
ミホの強い部分を愛した紅騎には「赤」を、逆に弱い部分を愛した俺には「青」を。
愛は愛でも、どちらもひどく歪んでいるし、向けられた側の心なんて全然考えていない。ある意味、黒川よりも性質が悪い。
自分の事ながら冷静に判断できるのが苦々しく思えるところだが、事実なのだから仕方がない。
ミホに対し同情はするが、だからと言って手を緩める気もない。いや、むしろ同情するからこそ、あいつを追い落とした時の感動は
……ああ、何て言うか、俺も壊れてきているんだな。
自覚があっても止める気がないんだから、末期だ。
「そんな事が出来るなら、ますます闇爾さんをミホさんと戦わせる訳にはいかなくなりました。だからここで……終わって下さい」
『FINAL VENT』
言ったと同時に、紅騎が必殺技であるファイナルベントのカードを発動させた。その瞬間、ドラグランザーはバイク状に変形して紅騎を背に乗せると、劫とこちらに向かって火球を放ちながら迫ってきた。
先程のシュートベントに比べれば逃げ場はあるように思えるが、火を吐きながら迫ってくると言う事は、このまま俺を轢き潰すつもりなのだろう。
威力は大きいが、こうやって見ると実に単調な攻撃だ。紅騎自身は何もしない。ただ龍が火を吐くに任せているだけだ。
サバイブのカードを使う前の状態……つまり普段の紅騎のファイナルベントなら、回避は厳しかっただろうが、これなら何という事はない。
余裕すら感じながら、俺はデッキからカードを一枚引き抜き、バイザーにセットした。
『TRICK VENT』
「また分身ですか? でも、そんなのじゃ俺は止められませんよ?」
「どうかな?」
サバイブのカードを使うと、デッキの構成が変化するのか。先程使ったはずのトリックベントが再度使える様になっており、他のカード……ソードベント、ガードベント等も使用できそうだと言うのが理解できた。
本体含めて五人に増殖した俺は、迫ってくる紅騎の姿を見ながら、仮面の下で笑う。
「まずは、これだ」
『GUARD VENT』
『BLAST VENT』
分身の内の二体が、各々でカードを発動させた。
一体は身を守る盾となり、もう一体はダークレイダーの翼で暴風を巻き起こさせる。ブラストベントと言うカードは、恐らくナスティベントの進化した状態でのカードなのだろう。ナスティベントが「音」なら、ブラストベントは「風」による足止め効果を発揮するらしい。
「くっ……」
風に煽られ、龍の火球は逆流し、紅騎の周囲へ着弾する。
勿論風を抜けてこちらに着弾する火球もあるが、全て軌道をそれて俺の脇に着弾、爆風を巻き起こして更に場を混乱させるだけ。
火球と暴風のせいだろう。勢いを殺がれた龍の速度が落ちる。それでもこちらに向かって走ってくる事は、称賛に値するだろうが……速度を落とした時点で、流れはこちらに向いたと言う事に気付くべきだった。
「反撃だ」
『SHOOT VENT』
「こっちはおまけだな」
『SWORD VENT』
別の分身二体が、今度はそれぞれにバイザーを変形させ、攻撃を放つ。
シュートベントを使った方は、バイザーをボウガン状に変形させ、光の矢を連射。その矢を追うようにして、ソードベントを使った方がバイザーから引き抜いた剣を構えながら走る。
矢は上半身をもたげていた龍の腹部に突き刺さり、更に追撃と言わんばかりに剣を持った方は矢が刺さった部位をなぞるようにして剣を滑らせる。
その瞬間、苦悶から来る龍の悲鳴が上がり、乗っていた紅騎の体が大きく投げ出された。
「しまった!」
「いくらお前でも、空中では流石に身動きは取れないよな?」
『FINAL VENT』
最後に俺自身が、最強ともいえるカードを使う。
どうやらダークレイダーもまた、ドラグランザー同様バイクに変形できるらしい。ブラストベントによる暴風攻撃をやめ、こちらに寄ってきたダークレイダーはやや鋭利な印象を抱かせるバイクへと変形。
機首からビームが放たれ、地面に落ちかけていた紅騎の体を拘束した。
それを視認したと同時に、俺が纏っていたマントがバイクごと俺を包み込み、鋭利な「錐」のような形状を取った。
紅騎のファイナルベントが「潰す」事に主眼を置いているなら、俺のファイナルベントは「貫く」事に主眼を置いているらしい。
マントによって完全に視界を覆われてしまっているのでよく見えないが、おそらく紅騎はこの状況から逃れようと何か画策している事だろう。
……だが、遅い。
次の瞬間、何かがぶつかったような鈍い手応えがあった。直後俺のマントは通常の状態に戻り、開けた視界の先には地面に転がり、呻く紅騎の姿があった。
視線はこちらに向いているが、装甲はぼろぼろ。立ち上がろうともがいているが、体はがくがくと震えているだけで起き上がる事は困難なようだ。
そんな紅騎の脇腹を蹴り、仰向けに転がしてからその体を固定するように胸を踏みつけると、俺はゆっくりと先程分身が引き抜いたバイザーの剣を振りかざす。
ちょうど紅騎の腹部……デッキ部分に切っ先を向けて。
「お前には脱落してもらう。けど……俺の本音を知られた以上、ミホに伝えられたら困るんだよ。いや、あいつは俺を信頼してるはずだから、お前の言葉なんて信用しないとは思うんだけどさ。それでも、不信感を抱かれちゃ、困るんだよな。……だから、お前ごとデッキを壊してやる。それでお前は終わりだ」
そこまでを一息に言ってやる。
一瞬の間の後、俺が何を言ったのか理解したらしい。紅騎は胸部の上に置いた俺の足を力なく掴み、そしてこちらに視線を向けて声を上げた。
「本気ですか? 本気で闇爾さんは……」
「お前とは、絶望的に価値観が違うんだよ。お前はあいつの為に戦ったが、俺は違う」
言って、俺は振り上げた剣を半ば落とすような形で振り下ろす。
紅騎のデッキと一緒に、紅騎自身を貫く為に。
そして俺が振り下ろした切っ先は、紅騎の……龍騎のデッキを貫き、粉々に砕き……そこで、止まった。いや、「止められた」と言うべきだろうか。
……いつの間に寄って来ていたのか。俺の手を、オーディンが止めていたからだ。
「……緋堂闇爾。ライダー裁判期間中における、他の裁判員の殺害は許可されていない」
感情の読めない声が、俺の耳朶を叩く。同時に足元ではデッキが破壊された事で変身が解けた紅騎が、何とも表現が難しい表情で俺を見上げていた。
困惑と悲しみ、だろうか。強制排除の為の粒子化が始まっているので、はっきりとは分からなくなっているが。
「……良かったな、紅騎。お前は規約とオーディンに守られた」
「闇爾、さん……っ!」
「指を咥えて見てると良い。……あいつが絶望する様を、さ」
何か言い募ろうと口を開く紅騎だったが、ミラーワールドから強制排除された為に何を言おうとしていたのか、結局は聞けずじまいだった。
聞いたところで、俺の考えが変わるとは思えなかったが。
紅騎が消えたのを確認したからなのか、オーディンは押さえていた俺の手を放すと、ゆったりとした足取りで俺との距離を取る。
妙に余裕を感じさせるその仕草に苛立ちを覚えながら、俺は奴に声をかける。
「オーディン、今度はお前が俺の相手になるのか? それとも、いつもの通り自分で脱落するつもりか?」
「…………」
これで相手になられても、正直困る。
使えそうなカードはほとんど全て使ってしまった。もう残っているカードはないに等しい。
それでも、こいつも邪魔である事には変わりない。
思い、剣を構え直した瞬間。意外な返答が返ってきた。
「どちらもしない」
「……は?」
間の抜けた声が俺の口から漏れる。仮面で隠れてしまっているが、顔だって「きょとん」という表現がしっくりくるものになっているはずだ。
俺と戦う事もしない。だからと言って、通常の裁判のように自分から脱落するような事もしない。
じゃあ、どうするつもりだ? こいつは何がしたいんだ?
「お前が私と戦う時があるなら、それは……白鳥ミホが脱落した時だけだ」
きっぱりと、しかしやはり感情の読めない声でそう言うと、オーディンはすっと腕を上げ……その瞬間、黄金の羽根が舞い散り、視界を覆う。かと思えば、次の瞬間にはオーディンの姿が消えていて……
残ったのは、一人佇む俺と、地面に向かってひらひらと舞う黄金の羽根だけになっていた。