恋已 ~こいやみ~ 「真白き翼の裁き」外典

 記録番号、BW4号-仁。仮面ライダー裁判三十二例目、マスコミが作り上げた俗称は「白鳥の湖殺人事件」。
 被害者は白鳥 ミキ、享年二十四。
 顔を除いた全身、計三十四箇所を、鋭利な刃物で刺され死亡。被害者は事件があったと思われる翌日、付近を散歩中であった男性によって遺体で発見された。
 発見現場が湖の近くであった事から、先に述べた俗称が付けられたものと推察する。
 警察の捜査によって、被害者の婚約者、緋堂 暁が被疑者として浮上。凶器であると推察されるナイフを所持していた事から、逮捕、起訴に至る。
 犯行の残虐性、話題性などから、当案件は通常の裁判ではなく、「事件関係者による判決」を下す事が決定。事件関係者より十四名を選定し、「戦闘による判決の奪い合い」を開始した。
 現在、残っている「裁判員」は五名。
 それぞれの主張を賭けた戦いは、苛烈さを極めはじめていた。


 カフェテリアで、少し早めの昼食を取りながら、俺……緋堂 闇爾あんじは、目の前に座る女をちらりと見やった。
 名前に「闇」という字があるせいなのか、暗い……限りなく黒に近い色の服装を好む俺とは対照的に、女の方は白系統の服を纏っている。
 短く切りそろえられた黒髪、少し赤みがかった瞳の色、一見すると気が強そうに見えるのに、口元に生クリームを付けている姿を見ると子供っぽいと思う。
 こちらの視線に気付いたのだろう。口に運ぼうとしていたパンケーキを皿に置くと、彼女は訝しげな表情で俺の顔を見た。
「……何をそんなじろじろと見てんの、闇爾」
「いや、口元にクリームが付いてるなぁと」
「嘘、本当に!?」
 トンと俺自身の口元を指しながら教えてやると、先程までの不審そうな表情は消え、困惑と気恥ずかしそうな表情が浮く。すぐに彼女は自身の口元を備え付けの紙ナプキンで拭いとって俺を睨みつけた。
 その目が、「誰にも言うな」と言っているように見えるのは、多分気のせいじゃないだろう。
 照れ隠しにも見えるその表情に、俺は思わずくすりと笑ってしまった。
「……笑うな」
「悪気はない。ただ……子供っぽいなぁと思っただけだ」
「じゅーぶんに悪気があるじゃない。成人を迎えた女性に向っていう言葉じゃないわよ、それ」
 半眼にして抗議する彼女だが、口を軽く尖らせた仕草はどう見ても拗ねている子供のようにしか見えない。
 そんな表情を見るのも、しばらくぶりのような気がする。
 だからだろうか。俺は幼い子供にするように、目の前に座る女……白鳥 ミホの頭を撫で回していた。
「……ちょっと、闇爾。その子供扱いはやめてってば」
「安心したんだよ。……お前が、一時期に比べて本当に元気になったから」
「まあね。戦うのに、いつまでもメソメソしてらんないもの」
 ミホはそう言いながら不敵な笑みを浮かべる。
 言葉にもしたが、一時期に比べると本当に元気になったと思う。
 その理由が、彼女の姉を殺したとされる男……俺の兄貴を「有罪」にする為だというのは、少し……いや、かなり複雑な心境ではあるが。
 「被害者遺族」であるミホと、「加害者家族」である俺。本来ならこんな風に呑気にカフェでお茶なんか出来る間柄じゃない。それは分かっている。
 分かっているが……俺は、こいつを放っておけない。兄貴は犯人じゃない、他に犯人がいるに違いない、それを理解してほしいと信じているからというのもあるが、それ以上に「白鳥ミホ」という一個人を気にかけているからという理由もある。
 俺達は互いに、仮面ライダー裁判の「裁判員」という立場だ。ミホは兄貴の有罪を掲げ、俺は無罪を掲げて、文字通り戦っている。ミラーワールドでまみえれば、その瞬間は「敵」として剣を交える。少なくとも、今のように和やかな雰囲気にはならない。……いや、和やかに剣を交えるって状況は、流石に想像出来ないんだが。
「裁判が始まった当初は、何と言うか……威嚇しまくる仔猫みたいな感じだったのにな」
「まあ、この世の全てが敵だと思ってたからね。……一応言っておくけど、今でも威嚇すべき相手には威嚇しまくってるわよ? 黒川とか紫檀とか」
 黒川と言うのは、裁判員の一人であり、被害者であるミキさんのストーカーでもあった男、黒川 シン。まだ裁判に残っている人物で、変身後の姿はリュウガとか言った。
 ミホと同じく有罪を掲げているが、元々がミキさんのストーカーだったせいかミホにはひどく嫌われている。これは以前、ミホから聞いた話だが、ミキさんがまだ生きていた頃、黒川は毎日のように家の前でじっと立ちつくし、電柱の陰からミキさんの部屋を見上げていた上、毎晩家に電話をかけては
「僕と君は、一緒になる運命なんだよね。ねえ、だから開けておくれ?」
 と、息を荒げながら言っていたらしい。電話番号を変えたり、黒川からの着信を拒否したりと対応はしたらしいが、それでもめげずに毎晩電話をかけてきたと言うのだからおっかない。
 流石にこれ以上は耐えられない、もうすぐ結婚する姉の幸せをぶち壊すんじゃないと、堪忍袋の緒がぶっつりと切れたミホが、ミキさんに代わって警察に相談しようとした矢先、ミキさんは殺された。
 兄貴が犯人ではないと信じている俺としては、真犯人はこの黒川ではないかと睨んでいる。ただ、証拠はないから推測でしかないのだが。
 一方で紫檀と言うのは、兄貴とミキさんの上司である紫檀 タケシの事だ。有罪を掲げた裁判員だったが、既に脱落している。
 上司ではあるが、社内では兄貴とミキさんを目の敵にしていたらしい。ミキさんを憎んでいた、と言っても過言ではないほどに。
 ……と言うのはミホの聞いた話。俺が聞いた話では、確かに仕事上は侃々諤々と議論を交わし合う事が多かったらしいが、仕事が終われば呑みに誘ったり食事を奢ったりしてくれる、公平で良い上司だって話を兄貴から聞いている。
 ミホの言葉を信用しない訳ではないが、優先順位としては兄貴の方が上なんだから仕方ない。紫檀さんは紫檀さんで思うところがあって、有罪を掲げていたんだろう。
 ……脱落後、その行方が分からなくなっているせいで、紫檀さん本人の口から話は聞けていないが。
 多分、俺とミホでは価値観が異なるんだろう。黒川に関しては十分に威嚇、そして警戒しておくことに異存はないが、紫檀さんに対してはあまりそうは思わない。既に脱落もしているし、警戒すべき相手ではなくなってる……と言うのが本音だ。
「俺は威嚇する対象じゃないのか?」
「威嚇したって意味ないでしょ。変に気心知れちゃってる相手に虚勢張ったって、寒々しいだけよ」
 そう言ってミホは、コップに挿さったストローを軽く齧る。
 それが彼女の癖だと知っている程度には付き合いも長い。
 威嚇されても、それが「威嚇」だと……彼女が感じている恐怖の裏返しなのだと分かってしまう。
 変にプライドが高いミホの事だ。怖がっている自分を見られるのは、極力避けたいところだろう。それが例え、身内同然の付き合いをしてきた俺であっても。
 「気が強く、男勝りで、小生意気。扱いづらい女」……男からはそう思われていたいと、以前何かの折に聞いた事がある。
 実際に俺だって、初めて出逢った頃はそう思っていた。ミキさんが温和な美人だっただけに、余計にそう思えた。本当に姉妹なのかと、疑いすらした物だ。
 見た目は、俺に言わせれば月並みだったし、性格は本人が言うように男勝り。時折本気で殴りたくなるような言動の数々。それでも一緒にいて気楽だと感じられたのは、多分こいつを友人のように思っていたからだろう。それはミホも同じだったはずだ。
 それこそ月並みな表現だが、男女の友情が綺麗に成立した関係だった。
 今にして思えば、似ている部分が多かったんだと思う。だからこそ、気に入らない部分も、共感できる部分もあって、それを互いに受け入れていた。
「……本来なら、こんな風に会話できる関係じゃないはずなんだけどな、俺達」
「今更すぎる。それに……私が有罪を突きつけたいのは、あんたの兄であって、あんたじゃないもの」
 苦笑と一緒に吐き出した俺に、ミホは半眼で言葉を返す。
 その姿を見て、俺はしみじみと思う。「あの日」に比べて、本当に元気になったと。

 「あの日」……ミホの姉であるミキさんが亡くなったと知らされたその日の事を、今でも鮮明に覚えている。
 兄貴の様子がある程度落ち着いて、そしてその兄貴本人から、ミホの様子を見に行ってやってくれと頼まれた。
 確かに、ミホにとってミキさんはたった一人の肉親だ。いくら生意気で気が強いと言っても、肉親を失ってしまったのだから、そのショックは兄貴と同等、もしくはそれ以上だろう。
 きっと、目が溶けるんじゃないかと思えるくらいに泣いているに違いない。意味を持たない言葉を嗚咽と共に口から吐き出して悲しんでいるだろう。俺の兄貴が、そんな風に悲しんでいるように。
 そんな風に、ある程度予測を立ててからミホの元へ向かった。
 ミキさんの訃報が届いたのは午前中、兄貴を宥めるのに約半日。ミホの元に着いた時には既に日は落ち、濃紺の闇と血色の夕日が混ざり合って、空の色を奇妙なグラデーションに染め上げていた頃だった。
 チャイムを鳴らす。だが、反応はない。微かだが人の気配はするから、いるけど反応しないってところか。
 ……そりゃあそうだろう、と思う。兄貴だって同じだった。今は少し安定したが、それは多分、近くに俺という「他人」がいたからだ。
 他人がいれば、どんなに悲しくても慰められてしまう。
 専門分野じゃないからよく分からないが、人間の体温に安堵を覚えるのだと聞いたことがある。無条件に慰められる訳じゃないとは思うし、兄貴の悲しみは俺程度でどうにかできるものではないとは分かっているが、それでも多少は和らげることが出来たと思っている。
 ミホにも同じことが言えるとは限らないが、それでも誰も側にいない状況よりは幾分かマシだろう。気の強いあいつの事だ、誰かがいれば虚勢を張って空元気でも出すだろう。
 ……可愛げは限りなく皆無に近いが、それでも俺にとっては妹みたいな奴だ。それが悲しんでいる姿は、正直見たくない。
 思いつつ、俺は兄貴から借りていた合鍵を使って家の中へ上り込む。
 不法侵入と言うなかれ。ミホに万が一の事があったら……と言う考えもある。いわば、「緊急措置」だ。
 と、自分に言い訳しつつ、静まり返った廊下を見渡す。
 人の気配はある。多分、リビングの方だ。
 だが、音がない。兄貴のように泣いているとばかり思っていたから、嗚咽や啜り泣きくらいは聞こえると思っていたんだが……
 ……まさか、あいつ……後追いとか考えてないだろうな?
 あまりの静けさに、頭の隅に嫌な予想が過る。
 シスコンと呼んで差支えない程度にミキさんの事を大切にしていたミホの事だ。その可能性がない訳じゃない。
 不安を感じながら、俺はリビングに足を踏み入れた。
 その瞬間、俺の目に映ったのは、電話の前に座り込み、呆然と宙を見上げているミホの姿だった。
 薄暗い中で電気もつけず、ただそこでじっとしているだけ。いつからその状態なのかは容易に想像がつく。ただ……もし、本当に、電話を受けてからずっとその状態だったのだとしたら。
 朝から何も飲まず食わずで、ずっとここに座っていたって事か?
「ミホ……?」
 固まったまま、本当に生きているのか不安になった俺は、軽く彼女の体を揺する。
 ずっと床に座り込んでいたせいか、体はすっかり冷えてしまっているが、一応体温は感じられる。薄闇の中で目を凝らせば、水分不足からか唇が乾燥してささくれ立っているのが見える。
 生きている事に安堵するが、俺の事なんて目に入っていないらしく、これと言った反応がない。ひょっとすると、揺さぶられた事にも気付いていないんじゃないか?
「おい、ミホ!」
 今度はさっきよりも強めに揺する。それでやっと、俺の存在を認識したらしい。それまで一点にとどまっていた視線が、ゆっくりと……本当に緩慢な動きで俺へと向けられた。
「…………あんじ?」
 唇同様、口内も乾ききっているのだろうか。かすれた声で俺の名を呼ぶと、ミホは相変わらず緩慢な動きで室内をぐるりと見渡し、そして再び俺に視線を向け直す。
 その顔に、感情らしいものは見えない。
 アンティークドールのような、形容しがたい表情が浮かんでいるだけだ。
 そんな顔のまま、ミホは何を思ったのか立ち上がろうとして……しかし半日以上飲まず食わずでいた影響からか、がくりと再びその場に座り込んでしまった。
「あれ?」
「馬鹿、無理するな! とりあえず水持ってきてやるから、そこで待ってろ!」
 立てない事に対して不思議そうに……だが無表情のまま首を傾げたミホに返しつつ、俺は急いで台所に向かう。
 コップに水を注ぎ、ついでに部屋の明かりをつけてからミホに差し出すと、彼女はノロノロとそれを受け取って口元に運んだ。
 条件反射だったのかもしれないが、それでも水を受け取ったと言う事は、生きる意志があると言う事だ。
 その事に軽く安堵しつつ、もう一度台所へ向かう。水だけじゃなく、何か食べさせた方が良いと判断したからだ。
 食材をあさろうと冷蔵庫を開け……そして、中に入っていた「すでに出来上がっていた料理」を見つけて眉を顰めた。
 多分、それはミキさんへの夕食だったのだろう。ラップのかけられた料理の皿と、その上に乗っている簡単なメッセージ。

――おかえりなさい。遅くまでお仕事お疲れ様。何も食べてないなら、これをレンジで温めて食べてね~ byミホ――

 それを見た瞬間の衝撃は、ちょっと表現しきれない。
 これを書いていた時のミホは、恐らく「いつもより少し遅い」程度にしか思っていなかったはずだ。朝になれば、また「いつもと同じ朝」が来ると、疑ってすらいなかっただろう。
 それは俺も同じだ。まさか、ミキさんが亡くなるなんて……殺されるなんて、考えてもいなかった。兄貴と結ばれて、これからもっと幸せになるんだって、そう思っていた。
 胸の内に湧き上がる、ざらつくような感覚に気付かないふりをしつつ、俺は冷蔵庫の中の材料を使って大雑把な炒飯を作った。
 流石に、ミキさんに宛てた料理に手を付けるのは憚られたし……何より、今のミホにそれを見せるのは良くないような気がしたからだ。
 立てないミホを強引に立たせて食卓の椅子に座らせ、その眼前に先程作った炒飯を置く。
「……食べろ」
「でも……」
「食べないなら、無理矢理その口に放り込む」
 自分でも、強引過ぎると思う。だが、今のミホにはこれくらいしないといけない気がした。実際、こうでもしなけりゃ、こいつは何も口にしなかっただろう。
 ミホも、今の俺が本気である事に気付いたらしく、一瞬だけ躊躇しつつも結局はその炒飯に箸をつけた。ただ、相変わらず緩慢な動きではあったが……でもまあ、食べないよりはマシだろう。
 ほう、と安堵の溜息を吐き出し、炒飯を口の中へ運ぶ様を見る。
 無表情に、淡々と。いつもなら文句の一つや二つ出てくるはずだが、今日は何も言わず、ちまちまと米粒を口の中へ運んで行く。
 そして唐突に、彼女は炒飯に視線を落としたまま、俺に向かって口を開いた。
「……あんじ」
「ん?」
「ねえさん、おそいわね」
「っ! お前……」
 一瞬、何を言っているのか分からなかった。
 訃報を聞いていないとは思えない。
 じゃあ、何でそんな事を言ったのか。
 ……これは、俺の憶測だが。ショックが大きすぎて、一時的に記憶が混乱しているんじゃないだろうか。あるいは、告げられたミキさんの死を、受け入れられていないか。
 何と言っていいか分からず、ただ口をまごつかせるだけの俺に。
 ミホは、今まで以上に緩慢な動きで顔を向け…………
「ゆうべからかえってきてないのよ。……いそがしいのよね、きっと」
 その言葉と同時に、彼女の右の瞳から一筋だけ、涙が流れ落ちた。
 ……ああ、そうか。こいつは、受け入れられていない訳じゃない。記憶が混乱している訳でもない。ただ、ショックが大きすぎて、「いなくなってしまった」と……「死んでしまった」と言葉にしてしまうのが怖いだけなんだ。
 その感覚なら、俺にも覚えがある。両親が亡くなった時、頭では理解していても、口にしたらいけないような気がして……結局、両親の「死」を口に出せたのは、二人の葬儀が終わってから数か月も後だった。
 でも、口に出せないからこそ……悲しみも表に出す事が出来ないんじゃないか?
 誰かが代わりに言ってやらなきゃ、こいつは泣けないんじゃないか?
 だけど、こいつにはもう、それを言ってくれる人間が……守ってくれる人間が、いないんだ。
 ……それを理解した瞬間、俺は不覚にも……そして不謹慎にも、そんなあいつを可愛いと、愛おしいと思ってしまった。

「ちょっと、闇爾? 聞いてるの?」
「……んあ?」
「うわこいつ本格的にどっぷりと妄想だか回想だかの世界に浸かってやがったわね」
 呆れたようなミホの声で、俺はようやく現実に引き戻される。
 ああしまった、やっちまった。気を抜くとすぐこれだ。ふとした瞬間に、あの時のミホの表情が蘇える。そして改めて愛しさを感じてしまう。
 ただ、この「愛しさ」が恋愛感情から来るものなのかは、正直判断がつかない。
 それまでこいつの事は「妹みたいな物」だと思っていたし、あの時感じた「情」だって、本当は「守ってやらないといけない」という使命感から来るものだったかもしれない。庇護欲をかきたてられた事は事実だ。
 でもなぁ……今のこいつに庇護欲を感じるかと言ったら……
「……ないな。うん、ないない」
「何が。って言うか、アンタ今何か物凄く失礼な事考えたでしょ?」
「ああ……いやな、知り合いにお前の事を好ましく思っていると言う男がいてさ」
「成程。どうせ、『俺ならこいつと恋愛関係とかはないな』って思った挙句、口に出しちゃったんでしょ。ああ良い、分かってた。皆まで言うな」
 適当に吐いたでまかせを信じたのか、ミホは勝手に俺の心中を想像し、そして結論付けた。
 不貞腐れているように見えるのは、恐らく俺に侮られていると感じているからだろう。基本的に負けず嫌いな性格をしているミホの事だ。モテないと思われるのは心外なのだろう。
「……よく分かってじゃないか。そ、お前と俺で、恋愛関係は成り立たない」
 ……そう、成り立たないはずだ。それなのに……どうしてだろう。こいつが誰か、俺の知らない男と付き合っている様を想像すると、妙にムカつくのは。
 父親や兄の心境? いや、多分それよりもっと酷い。だって頭の片隅では、「ミホは俺のモノだから」と思っている自分を認識しているんだから。
 独占欲。
 少なくとも、ミホに対してそれを抱いている事は事実らしい。こいつが、俺と会話をするために時間を割いているのだと思うと、なんか気分が良い。
「でもまあ、私、今は裁判に専念したいから。恋愛沙汰なんて面倒は、パス。……と、『私を好ましく思ってくれている誰かさん』に伝えといてよ」
 苦笑気味に言いながら、ミホは紅茶の入ったカップを傾ける。
 そう言えば、こいつって妙に紅茶好きだよな。事あるごとに紅茶を飲んでる気がする。
「その内、血液の代わりに紅茶が流れるようになるんじゃないか……?」
「……何バカな事言ってんのよ。確かに紅茶は好きだけど、フリークって言うほど年がら年中飲んでる訳じゃないから。私レベルじゃ、本当の紅茶好きの足元にも及ばないっての」
「そうか? コーヒー派の俺に言わせれば、お前も十分紅茶好きだと思うぞ」
「失礼な。チャイもレモンティーも普通に飲む私を『紅茶好き』とか言ったら、本当に紅茶が好きな人に怒られるわよ。……今は味を感じないから、飲むのはストレートティーだけだけどね」
 最後の方だけ小さな声で言って、彼女はパンケーキの最後のひとかけを口に放り込み……そして軽く眉を顰めた。
 恐らく、生クリームの感触が気持ち悪かったのだろう。今口に頬張ったものは、他のよりも多く生クリームが乗っていた。
「……まだ、治ってないのか? お前の味覚消失」
「そう簡単に治るものじゃないわよ。一応、心療系も診てくれる医者にはかかってるし、それなりに薬も処方してもらってるけどね」
 無意識の内に眉根が寄るのを感じながらそう問えば、本人は気にしている様子もなく、ひょいと肩を竦めて答えを返す。
 ミキさんが亡くなった後、それなりに元の「可愛げのない妹分」に戻ったミホだったが、やはりショックは相当大きいのだろう。極度のストレスからくる「味覚消失」……何を食べても味を感じない症状が、こいつを襲った。
 口当たりなどの食感や匂いは感じるのに、味だけを感じない。どんな感覚なのかは俺には分からないが、こいつに言わせれば生クリームは食用油と工作用のでんぷん糊を二対三くらいで混ぜたような感じがするんだとか。
 ……いや、そんな組み合わせをやった事がないから、食感の想像はつかないし、したくもないんだが。
 まあ、その「想像もしたくない感触」を実際に味わってしまっているせいなのだろう。咀嚼回数もそこそこにパンケーキを飲み込むと、口の中の感触を洗い流すように紅茶を口に含んだ。
 パンケーキ自体も、こいつの中ではへたれたスポンジを噛んでいるような感覚だったらしい。全てを平らげておきながら、「やっぱダメだわ」と悲しそうに呟いた。
「ここのパンケーキセット、好きだったんだけどね。今の私じゃ、楽しめないわ」
「無理して食べる事もないだろうが」
「残すなんて勿体ないでしょ」
「俺が食べてやったのに」
「巨大なお世話。大体、アンタって甘い物苦手でしょ」
「そんな事は…………ない、とは言わんが」
「あはははっ! 闇爾さんとミホさんって、本当に仲が良いですよね」
 ミホの言葉に返した瞬間、すぐ隣から、堪えきれないと言った風な笑い声と共に、そんな言葉が聞こえた。
 誰かと思ってそちらを見れば、そこには赤と青のオッドアイの男が、楽しそうな笑みを浮かべて立っていた。
「あ、金色刑事」
「こんにちは。お久し振りです。お二人はデートの最中ですか? だとしたら、僕はお邪魔してしまいましたか?」
「どこをどう見たらデートに見えるんですか、もう……」
 オッドアイの男は金色 シロウ。兄貴に手錠をかけた、事件の担当刑事だ。それだけの理由で嫌うのもどうかと思うが、やっぱりどうも、俺はこの人を好きになれそうにない。
 それは、時折垣間見える監視するような視線のせいか。あるいは……ミホがこの男に懐いているせいか。
 とにかく、この男は苦手だ。
 飄々としていて、本心が読めない。人当たりがよさそうな顔をしているくせに、稀に胸中をざわつかせる雰囲気を放つのも気に入らない。
「聞いていますよ。裁判のこと。……あと五人だそうですね」
「はい」
 金色の言葉に、ミホが神妙な表情で頷く。
 奴の言う通り、残っている裁判員は五人。俺が変身する「ナイト」、ミホの「ファム」、共に無罪を掲げる仲間、城戸 紅騎が変身する「龍騎」、黒川の「リュウガ」、そして正体不明の「オーディン」。
 ミホを含め、どいつもこいつも一筋縄ではいかない相手だ。特にオーディンに関して言えば、全てが未知。偶に現れては気まぐれに裁判員を攻撃し、一瞬で勝負をつける実力者だという以外は、何もかもが不明。誰が変身しているのか、どういった意味での「関係者」なのか、無罪や有罪と言った基本的な主張すらも分からない。
 ただ、実際に脱落した裁判員のほとんどがオーディンの手によってトドメをさされたとは聞いている。
 トドメと言っても、実際は相手の持つデッキを破壊し、「脱落」させる事を指すんだが。
 そもそもこの危険この上ないとしか思えない「仮面ライダー裁判」において、裁判員が裁判員を「殺害」する事は認められていない。
 そりゃあモンスターは行き交い、炎は吐くわ、毒液は吐くわ、爆発はするわ、ミサイルは飛んでくるわ、剣で斬られるわ、「ヤベエこれ死ぬ」と思う攻撃がバンバン飛び交うわと言うのは普通に起こりうるが、そこは運営側も考えているらしく、余程の事でない限りは死なないように設定はされているらしい。
 それでも裁判員が裁判員を「殺害」してしまった場合……例えば、変身前の裁判員を何らかの方法で殺害したり、デッキを破壊するつもりが勢い余って斬り殺してしまったりと言った場合、その裁判は最初からやり直しになるそうだ。
 ただ、今までの仮面ライダー裁判において、そう言った前例がない。だから、どういう風にやり直すのかは分からない。オーソドックスに考えれば、脱落した裁判員にはもう一度デッキを与え、死んだ裁判員に関しては誰か代理を立てると言ったところだろう。
「ここまで来ると、なかなか勝負がつかないんです。相手の手の内も、それなりに分かってきますし。特に闇爾の手の内は、他の裁判員より付き合いが長い分、余計に見え見えなんです」
 金色に返すミホのふざけ混じりの声で、俺ははっと我に返る。
 今更裁判の規定を振り返ったところでどうと言う事もないのに、何を考えているんだ、俺は。
 気付かれない程度に小さく頭を振って思考を切り替えると、俺は極力苦手意識を表面に出さないようにしながら金色の表情を見やる。
 笑っている。だが、時折観察するような視線をミホに向ける。いやらしい意味での観察ではなく、イメージの中にある刑事らしい、少しの変化も見逃すまいとした疑い混じりの視線。
 ミホはそれに気付いていないのか、笑顔を浮かべて金色との会話を続け……だが、次の瞬間。
 彼女の顔から笑みが消え、代わりに思い切り嫌そうなものに変わった。こいつがそんな表情を浮かべる相手と言えば、恐らくこの世でたった一人。
「……ごめん闇爾。私、席外すわ」
「一人で平気か?」
「ダメなら逃げるわよ。……普段ならともかく、裁判中にあんたと共闘するなんてゴメンだわ」
 に、と口の端を歪めてそう言うと、ミホはそばに立つ金色に軽く頭を下げ……
「ごめんなさい、金色刑事。ちょっと中座しますね」
「……お気をつけて」
 どこに行くつもりなのか、金色にも分かったらしい。一瞬だけ困惑したような表情を見せたが、すぐにそう言葉を返した。
 ミホの行先は、十中八九ミラーワールドだろう。そこに行くと言う事は、つまり裁判と言う名の真剣勝負に向かったと言う事。さっきの表情から察するに、相手はリュウガ……黒川シンか。
 ミホと同じように兄貴への「有罪」を掲げている男だが、ミホとは決定的にそりが合わない。元々がミキさんのストーカーだった訳だし、合わないのは当然だろう。
 最初の頃こそミホに対して共闘を持ちかけたり、あるいは裁判から降りるように説得していたりしたようだが、ここ最近は真っ先にミホを襲うようになった。
 心変わりの原因がなんなのかは分からないが、黒川の持つデッキは多種多様。カードの種類に乏しいミホが対処するには、少々やり辛い相手だ。
 ……いや、ミホの場合は、今残っているどの裁判員よりもデッキの基本能力に劣る。それでも、ここまで残ったのは、あいつの基本的な身体能力と状況判断力の高さ、それからちょっとした運の良さがあるからだ。それだっていつまで続くか分からない。
「心配ですか? ミホさんの事が」
「……心配していないと思うんですか?」
「いえいえ、まさか。闇爾さんがミホさんを心配している事は、よく知ってますよ」
 軽くかぶりを振りながら、金色は苦笑気味に言う。
 知っているなら聞くな。
 そう言ってやりたくなったが、別段この男に喧嘩を売りたい訳でもない。俺が、個人的に、こいつを苦手に思っているだけだ。余計な諍いを招くつもりはない。
「知っているからこそ……なんですけどね」
「は?」
「ああ、なんでもありません。お気になさらず」
 ぼそりと呟かれた言葉の途中は聞き取れず、思わず問い返す。だが、金色は曖昧に笑いながらそう返すと、軽く頭を下げて、言った。
「仕事中なんで、僕はこれで失礼します。ミホさんが戻ってきたら、またお会いしましょうとお伝え下さい」
 それだけを言い残すと、金色はさっさとこのカフェテリアを後にする。
 ……何がしたかったんだ、あいつ?
 不思議に思う物の、奴の考えなんて分かる訳がない。ミホと話をしたかったのか、あるいは本当に仕事中、偶々俺達と鉢合わせしただけなのかは分からない。
 ただ、やっぱり……俺は、金色シロウと言う男が苦手だと言う事は、再認識した。理屈じゃない。本能的な部分で苦手らしい。
 とはいえ、いつまでもあんな奴の事を考えているのも気分が悪い。
「……そう言えばミホの奴、大丈夫かな?」
 ダメなら逃げると言っていたが……正直な話、黒川と言う男が、そう簡単に逃がしてくれるような奴とは思えない。
「少し、様子を見に行ってみるか」
 そう言って、俺もまたカフェテリアから出て行った。
 ああ、勿論、ここの代金を支払った上で。
 ……ミホの分は、後で三割増しにして請求してやる。

 ミラーワールド。数年前に政府が完全制御下に置き、そして仮面ライダー裁判の戦場としてセッティングされた、「鏡の中の世界」。
 容易に入る事の出来ない世界だが、裁判員が持つデッキの力があれば、反射物を通って行き来が可能。
 逆に言えば、デッキがなければミラーワールドへは行けず、裁判に参加する事は出来ない。デッキの破壊が脱落条件とされているのは、その為だ。
 更に、ただデッキを持っているだけではミラーワールドへは入れない。入る為の手続きとして、反射物に身を写し、「変身」する必要がある。
 生身の場合は、仮にデッキを持っていても、ミラーワールドから強制的に排除される仕組みになっているらしい。
 まあ、それもそうか。そうでなければ、ミラーワールドでデッキを破壊された裁判員は、永遠にミラーワールドに取り残される事になる。
 もう一つ、ミラーワールドでは、九分五十五秒の制限時間が存在する。
 これは、鎧の連続装着可能時間がその程度って事もあるのだろうが、それだけでなく、「ずっとミラーワールドで待ち伏せる事」が出来ないようにと言う措置でもあるのだろう。と、勝手に解釈している。
 そんな事を思いつつ、俺は近くの大型エレベーターの鏡に自分の姿を映す。
 自分以外に乗客がいないのは好都合だ。仮面ライダー裁判が認知されているとはいえ、やはり変身するところを目撃されると、好奇の目で見られ、挙句俺の事を調べられてしまう。
 まして、今の俺の立場は「加害者の親族」だ。知られれば謂れのない誹謗中傷が襲ってくるだろう。それは、出来れば避けたい。
「変身!」
 デッキと共に鏡に映った事で、変身する為のベルトが転送される。そのベルトに、「変身」と言う掛け声と共にデッキを差し込めば、仮面を纏った戦士……「仮面ライダー」に変わる。
 俺が変身するナイトと言う鎧は、蝙蝠をモチーフにしたデザインらしい。それは相棒のモンスターが蝙蝠である事も影響しているのかもしれない。
 限りなく黒に近い紫紺のスーツに、白銀色の胸部装甲と面。腰の細剣はカードを読み込ませる為の機械、「バイザー」でもある。他のライダーとは異なり、俺の鎧にはマントがついている。十四人いた裁判員の鎧の中で、マントがついているのはナイトの鎧とミホの纏うファムの鎧だけだ。
 初めて見た時、お揃いのようで嬉しかったのを覚えている。
 ……もっとも、それを言ったらミホの方は心底嫌そうに顔を顰めたが。
「さてと、あいつはどの辺りで戦っているのかな」
 軽く持ち上げるようにしてバイザーを構えて呟き、周囲を見渡す。
 多少のタイムラグがあったとは言え、ミホがあの店で盛大に顔をしかめたと言う事は、黒川があの場にいたと言う事だ。となれば、戦闘はその近辺で始めたはずだし、ミラーワールドの中を戦いながら移動したとしても、そう遠くには行っていないはず。
 足を止め、じっと耳を澄ませば、少し離れたところから剣戟の音が聞こえる。
 ……ああ、やっぱ近くにいるな。
 認識し、音がする方へと足を進める。勿論、気配を殺しながら。
 そして……二人を見つけたのは、割とすぐだった。
 白鳥を連想させる容姿を持つファムと、黒龍を連想させる容姿を持つリュウガ。彼らが剣をぶつけ合い、引き、そしてまたぶつけ合うを繰り返している。
 ミホが持っているのはフェンシングに使う剣のような形をしたバイザー。一方で黒川が持っているのは、青竜刀のような形状の剣。恐らく黒川の方は、カードの一つである「ソードベント」で剣を召喚したのだろう。
 それぞれの後ろには、契約モンスターが互いに威嚇するような鳴き声を上げながら控えている。
 ミホの契約モンスターは白鳥。「閃光の翼」という二つ名を持つブランウィング。
 一方、黒川のモンスターは漆黒のドラゴン。「暗黒龍」と言う二つ名を持つ、ドラグブラッカー。
 大きさで言えば、明らかにドラグブラッカーの方がデカい。同じ型のドラゴンと契約している紅騎の場合、あいつの契約モンスターは六メートル強だと言っていたので、黒川のモンスターも同じくらいだろう。
 対してブランウィングはと言えば、翼を広げたところで人間の大人と同じ程度の大きさしかない。単純にモンスター同士がぶつかれば、ミホの方は圧倒的に分が悪かろう。ぶつかり合いになっていないのは黒川のなけなしの優しさか、あるいは攻めあぐねる要因でもあったのか。
 いずれにせよ、今はモンスター同士ではなく、その契約者同士が剣をぶつけ合っている状況のようだ。
「何故? 何故? 何故何故何故なぜなぜなぜナゼナゼ!?」
「ああもうっ! 本気で鬱陶しい!」
 打ち合いながら、黒川の方は「何故」を連呼している。それに苛立っているのか、ミホは大きく腕を振って相手の剣を払い、怒鳴りつけた。
 傍目から見ても黒川の様子はおかしい。いや、いつもおかしかったが、今の彼はこれまでの数倍はおかしいと言っていい。
「何故なんだ、ミホ! 君は何故、あんな男と仲良く食事なんかしているんだ! アレは敵だぞ!」
「あんな男? ……ああ、闇爾?」
「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁっ! 聞きたくない聞きたくない聞きたくないっ! あんな男の名前なんて聞きたくない! ましてミキの妹である君の口からなんて絶対に嫌だ!」
 ヒステリックな叫び声に、ミホがげんなりとしたように肩を落とす。
 ……どうやらあいつがミホを狙うようになったのは、俺と言う存在が原因らしい。
 確かに俺は「加害者親族」ではあるが、相手を履き違える程に敵視される覚えはない。それに、ミホとの関わりは裁判が始まる前からあるし、始まった直後も同じような関係を継続していた。何故、今頃になって、奴が俺とミホの関わりに突っかかるのかが理解できない。
「アレはっ! ミキを殺した男の弟だぞ! 敵なのに敵なのに敵なのにぃぃぃぃぃっ!」
 叫びながら、黒川は叩きつけるようにミホへ向かって剣を振り下ろす。動きは単調だが、元々の腕力に差があるせいか、その剣を受け流す度にミホの動きが鈍っていくのが見て取れた。
 それは戦っている黒川にも分かっているのだろう。何事かを喚きながら、剣を力任せに振り下ろしていく。
「アレは危険な男なのに! どうしてそれが分からない!? 君は近付いたらダメなのに! 何故何故何故何故!」
「いや、今のところ、あんたが一番の危険人物だと認識してるから」
 ああ、それは同感。俺なんかより余程危険な奴が何を言う。
 と、ミホのツッコミに心の中で同意する。
 ツッコミを入れる余裕があると言う事は、見た目よりは追いつめられていないと考えていいだろう。虚勢を張っている可能性も考えられなくはないんだが、何と言うか、今の声は虚勢を張っている時の物ではなく、本当に余裕がある声だった。
 それに……何と言えばいいのか。もしもここで、黒川に倒されるようなら、ミホはその程度だったって事だ。
 兄貴に「有罪」を言い渡す事も出来ず、それどころか俺とも戦えない。
 そうなったら、ミホはきっと……あの日と同じように絶望する。せっかく元気になってきたのに、今度こそ立ち直れない。
 あの日のミホは、圧倒的な絶望に負け、周囲も見えていない、ただの人形だった。
 そうなったミホを、俺は…………
「あのね、黒川。あんたは色々と勘違いしてる」
 俺の思考を中断させるように、ミホの朗々たる声が響いた。
 それを受けて様子を見れば、いつの間にか攻守逆転していたらしい。ボロボロなのは黒川の方だった。
 ミホの手に、バイザーの他に薙刀状の武器が握られている事から、「ソードベント」を使ってあの武器を召喚、反撃に転じた……と言ったところか。
 って事は、先程までのピンチっぷりは「ピンチに陥ったふり」だったと言う事だろうか。
 …………卑怯だなんていう気はないが、だがしかし、あざとい。その強かさに、何故か妙な苛立ちを感じてしまう程に。
「一つめ。あんたと私の考えは一致しない。確かに私は緋堂暁に対し、『有罪』を突き付けてやりたいと思ってる。でも、私の言う『有罪』と、あんたの言う『有罪』は、根本的な部分で違う」
 言って、薙刀を一振り。すると黒川の背後に控えていたドラグブラッカーの腹が薙がれ、悲鳴を上げる。直後、ミホの後ろに控えていたブランウィングが大きく翼を羽ばたかせた。
 優雅にも思える外観とは裏腹に、その羽根は強烈な突風を生み出し、体勢を崩した黒川とドラグブラッカーを吹き飛ばす。
「二つめ。別に、闇爾と仲良くしているつもりはないわ。あいつはただの財布係。もしくは給仕、ウェイター、コックなどなど。一昔前の表現で言うと、メッシー君って奴?」
 おい。
 道理で毎度毎度、食事を奢っている状態になっていると思ったんだ。少しは遠慮しろ、あのバカ。あとで戻ったら今までの分に多少の色を付けた状態で請求してやる。
「三つめ。これは前から言ってる事だけど、姉さんはあんたの恋人じゃないの。したがって、私もあんたとは無関係の赤の他人。私の交友関係に口を出す権利なんて、あんたにはないの」
 言いながら、ミホは何かのカードをデッキから取り出すと、それを見せる事なくバイザーに嵌める。
 だが、嵌めただけだ。効果を発動させるには、先程カードを嵌める為に展開した翼を、もう一度閉じなければならないのに、閉じようとしない。
 それどころか、そのままの状態で一気に黒川との距離を詰め……
「最後、四つめ」
 楽しげな声で言った直後、ミホは黒川の耳元に口を寄せた。
 多分、囁いているんだろうと思う。あいつの言う、「黒川の勘違い」の最後の点を。だが、それが何なのか、俺の耳には届かない。
 変身しているせいで口元が見えないので、唇の動きを読む事も出来ない。
 ただ……どうやら、黒川にとってはあまりにも驚くべき事だったらしい。大袈裟すぎる動きでミホから飛び退ると、体をぶるぶると戦慄かせながら頭を抱えた。
 仮面で表情は見えないが、それでも黒川が浮かべているであろうそれは容易に想像できる。
 圧倒的な驚愕と、困惑。多分、目を見開いて、口をパクパクと開けたり閉じたりしながら、じぃっとミホの方を見ているに違いない。
 対するミホは……どんな顔をしているのだろう。そちらに関しては全くと言って良い程予想できない自分がいた。
「……な……っ! ななななななな!?」
「と、言う訳だから、心配ご無用。あんたに心配される程、見る目はなくしちゃいないのよ。それじゃ、ばいば~い」
 いっそ朗らかにさえ思えるほどの声で言いながら、ミホはようやくバイザーについていた「飾りの翼」を閉じる。
 直後に聞こえてきたのは、仮面ライダーとしての「必殺技」の宣言。
『FINAL VENT』
 音声と同時に、ブランウィングの体が一回り大きくなり、黒川とドラグブラッカーを挟むような位置に降り立つ。
 いつもの大きさしかなくても、黒川とドラグブラッカーを吹き飛ばすほどの突風を生んだ翼だ。それが一回り大きくなれば、威力は当然増す。
 ゴウ、と大きな風切音が響いたと同時に、強烈……と言う言葉では生温い程の風が生まれ、黒川達は為す術なくミホの方へと飛ばされていく。
 離れた位置にいる俺ですら、突風の余波で立っているのがやっとなくらいの風だ。巻き込まれたあいつらは、動くことはおろか声を出す事も難しいだろう。
 そうしてやってきた黒川達を、ミホは持っていた薙刀を振り下ろして両断。その瞬間、黒川の腰にはまっていたデッキケースが割れた。
 デッキケースが壊れたと言う事は、即ち黒川の「脱落」を意味する。
 変身が解け、呆然と自分の体を見下ろす黒川だが、生身ではミラーワールドには留まれない。一瞬だけその体から細かい粒子が舞い上がったかと思うと、それは黒川の全身に伝播し、空気に溶けるようにその姿を消した。
 初めて見た時は消滅してしまったのではないかと不安になった物だが、今のが「ミラーワールドからの強制排除」なのだそうだ。今頃黒川はミラーワールドの外で、項垂れてるか罵詈雑言吐いてるかしている事だろう。
 ドラグブラッカーはと言えば、契約者を失った事でミホへの興味を失したらしい。ちらりと一瞬だけブランウィングを睨み付けた後、傷ついた体をくねらせながらどこかへ向かって飛び去ってしまった。
「ふぅ。……これで、残りは四人ね、闇爾」
「ああ、そうだな……ってうわぁっ! お、お前いつの間に目の前に!? そそそ、そもそもお、おま、おまお前、俺に気付いてたのか!?」
 さも当然のように声をかけてきたミホに、思わず驚き慄き飛び退りながら、俺は盛大にどもりながら問いを投げる。
 するとミホは呆れたように軽く首を横に振ると、深い溜息を一つ吐き出し……
「あのねぇ。あんたは隠れてるつもりだったんでしょうけど、マントが風になびいで丸見えだったわよ?」
「……をう」
「自分の装備くらい考えて隠れなさいよね。ま、あんたは基本、隠れる必要ないんでしょうけど」
「隠れる必要がないって……何でだよ?」
「あんた、強いから。あと、カードの種類が豊富よね。羨ましい。二、三枚よこしなさいよ。今ならファイナルベントとアドベントで許してあげる」
「それ取られたら俺の勝ち目ないからな!? って言うか何だその上から目線!」
「何よ、ケチ」
「ケチじゃない。断じてケチじゃない。多分ほとんどの奴が俺に同意してくれると思うぞ」
「紳士は淑女に対して、優しくあるべきなのよ?」
「……なら問題ないな。俺は紳士じゃないし、淑女なんてどこにも見当たらないし?」
「ヤだもう闇爾ってば、冗談が好きなんだからー、をほほほほほほほ」
「お前ほどじゃぁない。あっはっはっはっはっは」
 ポンポンと軽口の応酬を繰り返しながら、結局俺達は二人仲良く……と言うとかなりの語弊がありそうだが……俺基準では、それなりに仲良くミラーワールドから抜け出す事になった。
 敵同士だと分かっているのに、何と言うか、今の会話はミキさんが亡くなる前の……俺がまだ、ミホを「生意気な妹分」だと思っていた時の会話に近い。
 それだけ気を許しているって事だし、逆に気を許されてもいるって事だ。警戒されていない。
 元気になったんだと分かるし、例えこの裁判がどんな結果で終わっても、今の関係性は保たれるんじゃないかと安心もする。
 それなのに……心のどこかで、俺は今の状況に対して不満を抱いている事に気付いた。
 ……おかしい。ミホが元気になるのは良い事じゃないか。
 元気になってくれて嬉しいはずなのに、どうして今、あの時の……人形の様なミホの表情が浮かぶんだ?
「ミホ」
「何よ? 今までの食事代なら払わないからね」
「そこは払え。いや、そうじゃなくて……」
「じゃあ、何?」
「…………黙ってりゃ、可愛いのにな」
「溜めるだけ溜めて言う言葉がそれ!?」
 本当は何が言いたかったのか、俺自身にも分からないまま。
 妙な苛立ちを胸の奥に感じながら、俺はミホと共にその場を後にした。
2/6ページ
スキ