短編集
彼ノ見タユメ
「おや、もう『行く』のですか?」
金の髪、中国の王族衣装を思わせる、臙脂色の派手な服装を着た青年が、彼……ブレドランに問いかけた。「行く」の部分を、何故か強調して。
――何故、「彼」がこの場にいるのだろう?――
一瞬、そんな疑念がブレドランの頭の中に浮かぶが……すぐにその疑念も消えた。
――ああ、そう言えば今日は、私の旅立ちの日でしたね――
納得すると、ブレドランは目の前に立つ「お師匠様」の顔を一瞥し、深々と頭を下げた。
地上に降りてきた際、最初に出会った人物。それが「彼」だ。人間で無い事はすぐに分った。そして、その瞳の奥に宿る狂気にも。しかし、それでもブレドランは彼を師と呼び、彼の持つ「力」を学んだ。
強くなりたいという願望が有った事もあるが、それ以上に彼は、いずれ敵となるであろう存在の力を知っておくべきだと思ったから。
一通りの技を身につけ、「彼」から独り立ちの許可を貰ったのが、昨日。そして今、自分は彼から巣立つ。……星を護る使命を持つ者……「護星天使」としての役目を果たす為に。
「ええ。星を護る者としての役割を考える為に」
「そうですか」
ククッと、青年は喉の奥で卑らしく笑う。その笑い方が、何かを企んでいるようで……ブレドランは、あまり好きにはなれなかった。
ひょっとすると、同族嫌悪と言う物だったのかも知れないが。
「あなたには感謝しています。私に戦う術を教えてくれた」
「それは何より」
青年に礼を言うと、彼はこちらが本心でない事を分っているらしく、蔑むようにこちらを見た。
だが、蔑んでいるのはこちらも同じかと、ブレドランは思う。相手は不老不死故に、やりたい事もやるべき事も見つけられない、哀れな存在。やりたい事をやりつくしてしまったから、そして一人きりの永遠に耐えられなくなったから、世界を破壊しようと目論む「彼」。
その彼の目論みに気付いていながらも、ブレドランは彼に戦う術を学んだ。
天装術だけでは、「彼」をはじめとする、「星への脅威」に勝てないと踏んでいたから。ブレドランの役目は、「地球を守ること」にある。その為なら、いずれ敵になるであろう存在に対しても頭を下げ、教えを乞う事を厭わない。そう言う意味では、ブレドランはプライドの高い天使であったと言えた。
「それで? 獣の力を手にしたあなたが、次に向かうのは?」
「とりあえず……『護星界に最も近い場所』に赴こうかと」
そう答えただけで、「彼」は自分がどこへ向かおうか分ったらしい。クックと再び喉の奥で笑った。
きっと、その後の行動までも彼は見透かしているのだろう。彼と自分は、考え方がよく似ている。目的のためには手段を選ばない部分など、特にそうだ。
異なるのは……「地球」に対する思いだけ。そこだけは真逆の考え方を持っているが故に、似ているのに絶対に受け入れられない相手だと思う。
「それでは……二度とあなたと出会う事が無い様、祈っております……お師匠様」
「フフフ……あなたは、実に可愛い弟子でした。今後、幻獣エンジェル拳の使い手を名乗ると良いでしょう」
「……遠慮いたします。それに、天使は獣ではない」
「おや、失礼。もっと性質の悪い生き物でしたね」
最後まで嫌味たらしくそう言うと、「彼」は金色の龍の姿になって、ブレドランの目の前から姿を消した。
――性質が悪い、か。確かにな――
心の中で、ブレドランは己に「戦う術」を教えてくれた彼の言葉に頷き……背中の羽根を開いて、次の目的地に向かう。
私は、いつの間にここに到着したのだろう?
つい先程「ここ」に向かったはずなのに、目の前で見知らぬ二人が言い争っている。
一方は青銀色の異形。女性だろうか。小柄だがどこと無く年季と、それに見合った威厳を感じさせる。そしてもう一方は……巨人と言っても差し支えない大きさの、どこか溶岩を連想させる異形。基本的には黒だが、腹部や持っている棍の先などは橙。
「何故分らん! 人間と言う存在は、三界にとって害悪でしかないという事に!」
黒い方が怒鳴ると共に、彼の棍からは煌々と炎が燃え盛る。
恐らく、彼が司っている物が「炎」なのだろう。
それに相対するように、女性はその手を軽く振るって雪を降らせ、その炎をやんわりと消した。
「お前こそ、何故理解しない。我々は過度に干渉すべきではない。地上界の事は、そこに住まう存在に委ねるべきだ」
「……どうだかな。貴様らの事だ。自分達を崇める存在が欲しいだけだろう?」
苛立ったように、そして小ばかにしたように。黒い異形は、青い異形に向かってそう吐き捨てる。
だが、ブレドランはその言葉に弾かれたように顔を上げた。
――同じだ、私と――
黒い異形の言葉に、図らずも共感したのだ。
人間と言う存在が、この星にとって害悪でしか無いと言う事実を感じている部分も、そして何よりも、その自分が属する「世界」が、彼らを管理する事で己の自尊心を保っているだけに過ぎないと思っている事も。
「もう良い。見切りが付いた。俺はここから出て行く」
「出て行って……どこに向かう?」
「決まっている。地底だ」
くるりと踵を返し、彼はずん、と足音を響かせてブレドランの側に向かって来る。その足音は、とても苛立たしげで……同時に嘆いているようにも聞こえた。
ひょっとすると、自分は今、その彼にかつての自分を重ねているのかも知れない。
……護星界を捨て、「堕天使」となる事を決意した自分と。
だからだろうか。我知らず、ブレドランはその彼の前に躍り出て、跪いていた。
「……誰だ、貴様? 見た事の無い顔だが」
「私の名はブレドラン。元……護星天使です」
「護星天使」の単語を聞くと、軽く彼は顔を顰め……そして、訝しげにブレドランを見下ろした。
「こことは違う天空の住人が、俺に何の用だ?」
「用と言う程ではございません。貴方様の意見に共感し、貴方様の行く先に付いて行きたいと、そう思っただけでございます」
「……何?」
「私も、常々思っておりました。人間に、守護する価値はあるのかと」
素直な感情を彼に述べると、巨人は少しだけ考え……そして、大声で笑った。
「成程な、だから『元』が付くのか」
カラカラと笑うその様は、「お師匠様」とは違い、明るく真っ直ぐだった。
恐らく、自分はこうは笑えない。その点はきっと、「お師匠様」の様な、嫌な笑い方をするのだろう。
「構わん。付いて来い。共に追放された……いや、見捨てた者同士で」
「はっ。ところで……貴方の事は、何とお呼びすれば?」
「そうだな……ここの住人としての名は捨てたい。だから、お前が好きに決めろ」
肩の上に乗せられながら、ブレドランは彼にそう言われ……彼に合う名を考える。
炎の力を持つ者。聖者ではなく、これからは魔人……否、魔神として生きる者。それに相応しい名は、ブレドランの知る中ではたった一つしかない。
「火炎魔人」を意味する怪物の名。それは……
「では……イフリート。イフリート様と言うのは、いかがでしょう?」
「イフリート……火の魔物の名か。気に入った。今日から俺は、イフリートだ!」
そう言って……イフリートが、いつの間にか目の前にあった大扉を大きく開け放つ。
そこには、真の闇が広がっていた。光はおろか、辺りを照らす炎さえも存在しない。
「ははっ。どうやらここに炎が無いと言う噂は、本当だったらしいな」
カラカラと笑うイフリートが、自身の棍の先に火を灯す。それに驚いたのか、彼の足元に纏わり付いていたこの世界の住人達が、驚いたように大きく後退る。
だが、それとは逆に……イフリートに向かって、九つの影が近付いていたのを、ブレドランは見逃さなかった……
「さあ、ブレドラン。ここから全ての開始だ」
「ちょっとブレドラン! いつまで眠ってるの?」
「眠ってるの?」
――え?――
二人の少女の声に起こされ、ブレドランは自分の置かれた状況を整理する。
――おかしいですね、ここに来た時の夢を見るなどと――
フフ、と自嘲気味に笑いながら、ブレドランは目の前の二人に対して軽く頭を下げる。
「おはようございます、お二人共」
「今日は離反者の所に出向くって話でしょ!?」
「話でしょ!?」
パンクファッションの少女に続くように、ゴスロリファッションの少女が喋る。それが彼女達の特徴だ。
元々は一人の存在なのだが、「お師匠様」と同じで「不死」らしい。「お師匠様」は破壊活動で己の孤独や退屈を紛らわそうとしていたが、彼女は「二人に分裂する」事で孤独と退屈を紛らわしているらしい。
ある意味、賢いやり方だと感心する。
「離反者……グランドクロスの大魔女の所でしたか?」
「違うわよ。あっちは協力者。離反者って言うのは、幽魔の方。チュパカブラのブレドランともあろう者が、まだ寝惚けてる訳?」
分裂を解除し、どこか蝙蝠のような格好の異形に戻った「彼女」が、呆れたような声を上げた。
――寝惚けている……?――
ああ、そうかもしれない。随分と頭が惚けている様な印象を持つ。
最近は「あちら」に潜入する為、色々と忙しかった事を覚えている。
「離反者」達の首謀者の名前、彼らを処分する為の方法を考えていた他、どうやって人間諸共処分するかの策を巡らせていた。
人間はこの星を破壊する。
星を護るには、人間の抹消が必要不可欠。
その考えは変わらない。人間は愚かで、この星の事など考えていない。
「申し訳ありません。この所、忙しかった物ですから」
「大丈夫なの、あんた? 少し顔色が悪いようだけど?」
「ご心配には及びません。それに、元々こう言った顔色ですよ」
珍しく心配してくる「彼女」に向かって笑いつつ、ブレドランは自身の顔を軽く撫でる。
青い顔は、昔の……「護星天使」だった頃の面影を完全に消し、今ではこの地の住人と対して変わりない「異形」とも言える格好になっている。「チュパカブラ」と言う種族名も貰い、それなりに馴染んでいる。
そんな中、イフリートから下された使命は、「離反者」の監視と抹殺だった。
彼らは自らを「幽魔殿」と名乗り、地上界を崩壊させようと目論んでいる。この地の存在は皆、地上の支配を確かに望んでいるが……崩壊までは何も望んでいない。壊れてしまっては、支配のしようが無いからだ。
「全く……あの連中と来たら、何を考えているのかしら」
「考え方が、根本的に合わなかったのでしょう。破壊したいと言う願いと、支配したいと言う願いは、似て非なる物ですから」
そう。自分がかつて護星界を去った時と同じだ。「星を護りたい」と言う気持ちは同じなのに、見ている先が異なった。だから袂を分った。それだけだ。
幽魔殿を名乗る連中の目的は理解できないが、ここから飛び出すに至った時の心境は理解できる。
「とにかく、今日からしばらくの間はチュパカブラの『武レドラン』としてあちらの動向を探りますよ」
「頼んだわよ、ブレドラン」
「ええ。では、行って来ますよ」
恭しい態度を見せながら、彼は「彼女」に向かって一礼すると……そのまま、ゆっくりと闇の中を進んで行った。
「決して、大切な物を無くさない様にしなさいよ」
そんな「彼女」の声を、背に受けながら……
ザブリ、と音がする。
それで武レドランの意識が覚醒した。
――夢、か――
妙に懐かしい夢を見たものだ。幽魔殿の連中に与する直前の夢を見るなど。
目の前に広がるのは、ただひたすらに赤い川。純粋な穢れで出来た、恐ろしくも悲しい水。どうやらその川原で、少し眠っていたらしい。我ながら随分と暢気な物だと、ブレドランは苦笑した。
そこに、白い着物のような物を着た無精髭の男が、刀を構えて立っていた。この男を例えるなら、抜き身の刀身だろうか。触れればきっと斬れるでは済まされない「何か」を持っている。
その男が手にしているのは赤い刀身の刀。川と同じ様に、まるで誰かの血の様な色合いが、美しいとさえ思える。刀からは、泣いているかのような甲高い音が響いている。
「貴様も外道か?」
「外道? 何を持って『道を外れた』と言う?」
男の問いに、武レドラン……いや、ブレドランは軽く笑って言葉を返した。
――ここは確か、地上界と冥府の間に存在する空間だったか――
幽魔殿の連中が、護星天使達によって封じられ、渋々戻ってきたブレドランが見た物は、この「隙間の世界」。ここに住まう者は皆、生きてもいないし死んでもいない。だから、「生きている」と言う証欲しさに地上を征服せんと企んでいると聞く。
普段は慇懃無礼な口調のブレドランだが、何故かこの男に対してはそんな気は起きなかった。
彼が忌み嫌う「人間」をやめて、ここに来た者だからかもしれない。
「私のしている事は、正しい。道に外れてなどいない。……少なくとも私はそう信じている」
星を護る。その為に人間を滅ぼす事を「外道」と呼ばれるのは心外と言う物だ。
現にこの数百年で、人間はとんでもない進歩を見せている。この星の上げる悲鳴を、まるで無視しているかのように。
危惧していた通りだった。
人間その物も、「自然の一つ」等と言う言葉をどこかで聞いた気がするが、それならば何故、人間は地球を破壊するのか。地球が自殺したがっている、とでも言うつもりか。
「他人の強いた『道』から外れる事を『外道』と呼ぶのなら、確かに他人から見れば、私は『外道』だろうが」
「……そうか。そう言う意味では、俺とお前は似ているのかも知れん」
「何?」
「俺は……強い者と骨の髄まで斬り合いたい。それが俺の『正道』だ。だが、他人から見れば『外道』なのだろう」
ククッと、自嘲気味に笑う男に目を向けながら、ブレドランは一歩だけ後ろに引く。
妖しく光る赤い瞳に、自分が恐怖を感じたせいかもしれない。底知れぬ絶望と、虚無感、そしてほんの僅かな快楽を見た者のみのもつ、狂気の瞳に。
退いたブレドランに気付いたのか男は刀をブレドランの喉元に突きつけ……そして、囁く。
「だが、お前と俺は全く違う。俺は自分が外道であると認めているだが、お前は認めていないだろう?」
当然だ、と言いたい。他人からの評価などどうでも良い。ブレドランは、間違った事をしているとは毛の先程も思っていないのだから。
きっと、そう言う点では目の前の男とは決定的に違う。
どんなに絶望を見ても、どんなに空しいと思っても。「こうなる事」を決めたのは自分自身なのだ。他の誰に強要された訳でもない。
「そうだな、その点では私とお前は全く異なる。私は自分を、外道だなどと思っていない。全ては、この星のために行っている事だ」
人間は危険だと、星を傷つけ、汚す存在だと訴えた。その結果、自分は堕天使と言う刻印を押され、護星界を後にした。
どれだけ声を張り上げても、誰も自分の声を聞こうとはせず、ある者は蔑みの視線を、そしてある者は哀れみの視線を送ってきた。
他人の声など、誰にも届かないと思い知らされたのはその時だ。
だから利用すると決めた。どうせ、誰も他人の声など聞きはしないのだ。ならば、自分も他人の声など聞く必要は無い。聞いた振りで軽く流し、相手の気に入る回答を口に出しながら心の中では罵倒していれば良い。
「ふ……貴様を斬っても、俺は満たされん」
「貴様を満たしてやるつもりは無い。私はただ、冥府に近寄れぬように細工しているだけだ」
「冥府か……俺が満たされたなら、一度落ちてみたい物だ」
男はどこか楽しげにそう言うと……ブレドランに背を向け、その場からふと姿を消した。
――あれ程の闇を抱えて、まだ落ちたいとは……物好きな男だ――
心の中で思いながら、ブレドランもまた、男とは逆の方向へと歩みを進めていった。
猛烈な眠気と脱力感に苛まれながら、武レドランは己の眼前に迫り来る地面を見やりつつ、つい先程までの幻を思い出す。
懐かしく、どこかちぐはぐさを感じた、一瞬の幻。
それが幻だったと理解した瞬間、ゴセイジャーの攻撃を喰らい、己の命が尽きている最中である事を思い出した。
――ああ、そうか。これが……走馬灯、と言う物か――
「星を傷つけ汚す魂に、護星の使命が天罰を下す」
忌々しくも幼い護星天使と、一万年の間に自我を持ったヘッダーが告げた言葉。
――私がいつ、星を傷つけたと言うのか――
――護星の使命なら、私だって持っている――
そう言ってやりたかったが、もう声も出ない。
彼らがアバレヘッダー……いや、ミラクルヘッダーを解放した時にも、声を大にして言ってやった。
「お前達の声など、届きはしない」
と。
けれど……あれは本当に、彼らに対して言った言葉だったのだろうか。ひょっとすると、無意識の内に彼らと自分を重ねていたのかもしれない。
一途に、真っ直ぐに、「人間は星を汚す」と信じて疑わない自分と。
――ふふ。人間に対する考え方は、全くの逆だと言うのにね――
もうすぐ死ぬのだと悟りながら、それでも武レドランは、ゆったりと近付いてくる地面に向かって自嘲を浮かべた。
死の間際には、時の流れが遅くなると言うが……本当なのだな、と納得する。
倒れ行く彼の前に、思い出の中に現れた面々がその顔を見せる。
「おや、もう”逝く”のですか?」
――ええ、お師匠様。私は貴方と違って、死ねますから――
お師匠様と呼んだ青年の呆れたような声に、どこか誇らしげにそう答え。
「さあ、ブレドラン。ここから全ての”改し”だ」
――そうですね、イフリート様。また貴方とご一緒できて、光栄ですよ――
唯一の理解者である「冥府の神」の幻影に、心の底からの忠誠を近い。
「決して、大切な物を”亡くさない”様にしなさいよ」
――大切な物なんてありません。亡くなるのは、私の命だけです――
恐らくただ一人自分の身を案じてくれた彼女に、自嘲気味に返し。
「一度”堕ちて”みたい物だな」
――では、共に貴方も落ちますか?――
似て非なる男には、そう誘いの声をかけて。
ようやく武レドランは、大きな地鳴りと共に大地にひれ伏した。
――暖かい物ですね……星と言うのは――
もうすぐ死ぬのだと言うのに、随分と呑気な事を思う、と自分でも思う。それでも、彼はその優しい温もりに抱かれる幸せを感じていた。
「母なる大地」とはよく言った物だと、感心しながら、彼はゆるりとその瞼を降ろす。
――これで、私もゆっくり眠れます――
下ろした瞼から、一筋の涙が零れ落ちる。
その涙の意味は、果たして悲哀か、それとも歓喜か。
流した本人も分らぬまま……彼の体は大きな爆音を上げ、四散した。
堕天使 ノ見タ走馬灯 ハ、果タシテ現カ幻カ……
「おや、もう『行く』のですか?」
金の髪、中国の王族衣装を思わせる、臙脂色の派手な服装を着た青年が、彼……ブレドランに問いかけた。「行く」の部分を、何故か強調して。
――何故、「彼」がこの場にいるのだろう?――
一瞬、そんな疑念がブレドランの頭の中に浮かぶが……すぐにその疑念も消えた。
――ああ、そう言えば今日は、私の旅立ちの日でしたね――
納得すると、ブレドランは目の前に立つ「お師匠様」の顔を一瞥し、深々と頭を下げた。
地上に降りてきた際、最初に出会った人物。それが「彼」だ。人間で無い事はすぐに分った。そして、その瞳の奥に宿る狂気にも。しかし、それでもブレドランは彼を師と呼び、彼の持つ「力」を学んだ。
強くなりたいという願望が有った事もあるが、それ以上に彼は、いずれ敵となるであろう存在の力を知っておくべきだと思ったから。
一通りの技を身につけ、「彼」から独り立ちの許可を貰ったのが、昨日。そして今、自分は彼から巣立つ。……星を護る使命を持つ者……「護星天使」としての役目を果たす為に。
「ええ。星を護る者としての役割を考える為に」
「そうですか」
ククッと、青年は喉の奥で卑らしく笑う。その笑い方が、何かを企んでいるようで……ブレドランは、あまり好きにはなれなかった。
ひょっとすると、同族嫌悪と言う物だったのかも知れないが。
「あなたには感謝しています。私に戦う術を教えてくれた」
「それは何より」
青年に礼を言うと、彼はこちらが本心でない事を分っているらしく、蔑むようにこちらを見た。
だが、蔑んでいるのはこちらも同じかと、ブレドランは思う。相手は不老不死故に、やりたい事もやるべき事も見つけられない、哀れな存在。やりたい事をやりつくしてしまったから、そして一人きりの永遠に耐えられなくなったから、世界を破壊しようと目論む「彼」。
その彼の目論みに気付いていながらも、ブレドランは彼に戦う術を学んだ。
天装術だけでは、「彼」をはじめとする、「星への脅威」に勝てないと踏んでいたから。ブレドランの役目は、「地球を守ること」にある。その為なら、いずれ敵になるであろう存在に対しても頭を下げ、教えを乞う事を厭わない。そう言う意味では、ブレドランはプライドの高い天使であったと言えた。
「それで? 獣の力を手にしたあなたが、次に向かうのは?」
「とりあえず……『護星界に最も近い場所』に赴こうかと」
そう答えただけで、「彼」は自分がどこへ向かおうか分ったらしい。クックと再び喉の奥で笑った。
きっと、その後の行動までも彼は見透かしているのだろう。彼と自分は、考え方がよく似ている。目的のためには手段を選ばない部分など、特にそうだ。
異なるのは……「地球」に対する思いだけ。そこだけは真逆の考え方を持っているが故に、似ているのに絶対に受け入れられない相手だと思う。
「それでは……二度とあなたと出会う事が無い様、祈っております……お師匠様」
「フフフ……あなたは、実に可愛い弟子でした。今後、幻獣エンジェル拳の使い手を名乗ると良いでしょう」
「……遠慮いたします。それに、天使は獣ではない」
「おや、失礼。もっと性質の悪い生き物でしたね」
最後まで嫌味たらしくそう言うと、「彼」は金色の龍の姿になって、ブレドランの目の前から姿を消した。
――性質が悪い、か。確かにな――
心の中で、ブレドランは己に「戦う術」を教えてくれた彼の言葉に頷き……背中の羽根を開いて、次の目的地に向かう。
私は、いつの間にここに到着したのだろう?
つい先程「ここ」に向かったはずなのに、目の前で見知らぬ二人が言い争っている。
一方は青銀色の異形。女性だろうか。小柄だがどこと無く年季と、それに見合った威厳を感じさせる。そしてもう一方は……巨人と言っても差し支えない大きさの、どこか溶岩を連想させる異形。基本的には黒だが、腹部や持っている棍の先などは橙。
「何故分らん! 人間と言う存在は、三界にとって害悪でしかないという事に!」
黒い方が怒鳴ると共に、彼の棍からは煌々と炎が燃え盛る。
恐らく、彼が司っている物が「炎」なのだろう。
それに相対するように、女性はその手を軽く振るって雪を降らせ、その炎をやんわりと消した。
「お前こそ、何故理解しない。我々は過度に干渉すべきではない。地上界の事は、そこに住まう存在に委ねるべきだ」
「……どうだかな。貴様らの事だ。自分達を崇める存在が欲しいだけだろう?」
苛立ったように、そして小ばかにしたように。黒い異形は、青い異形に向かってそう吐き捨てる。
だが、ブレドランはその言葉に弾かれたように顔を上げた。
――同じだ、私と――
黒い異形の言葉に、図らずも共感したのだ。
人間と言う存在が、この星にとって害悪でしか無いと言う事実を感じている部分も、そして何よりも、その自分が属する「世界」が、彼らを管理する事で己の自尊心を保っているだけに過ぎないと思っている事も。
「もう良い。見切りが付いた。俺はここから出て行く」
「出て行って……どこに向かう?」
「決まっている。地底だ」
くるりと踵を返し、彼はずん、と足音を響かせてブレドランの側に向かって来る。その足音は、とても苛立たしげで……同時に嘆いているようにも聞こえた。
ひょっとすると、自分は今、その彼にかつての自分を重ねているのかも知れない。
……護星界を捨て、「堕天使」となる事を決意した自分と。
だからだろうか。我知らず、ブレドランはその彼の前に躍り出て、跪いていた。
「……誰だ、貴様? 見た事の無い顔だが」
「私の名はブレドラン。元……護星天使です」
「護星天使」の単語を聞くと、軽く彼は顔を顰め……そして、訝しげにブレドランを見下ろした。
「こことは違う天空の住人が、俺に何の用だ?」
「用と言う程ではございません。貴方様の意見に共感し、貴方様の行く先に付いて行きたいと、そう思っただけでございます」
「……何?」
「私も、常々思っておりました。人間に、守護する価値はあるのかと」
素直な感情を彼に述べると、巨人は少しだけ考え……そして、大声で笑った。
「成程な、だから『元』が付くのか」
カラカラと笑うその様は、「お師匠様」とは違い、明るく真っ直ぐだった。
恐らく、自分はこうは笑えない。その点はきっと、「お師匠様」の様な、嫌な笑い方をするのだろう。
「構わん。付いて来い。共に追放された……いや、見捨てた者同士で」
「はっ。ところで……貴方の事は、何とお呼びすれば?」
「そうだな……ここの住人としての名は捨てたい。だから、お前が好きに決めろ」
肩の上に乗せられながら、ブレドランは彼にそう言われ……彼に合う名を考える。
炎の力を持つ者。聖者ではなく、これからは魔人……否、魔神として生きる者。それに相応しい名は、ブレドランの知る中ではたった一つしかない。
「火炎魔人」を意味する怪物の名。それは……
「では……イフリート。イフリート様と言うのは、いかがでしょう?」
「イフリート……火の魔物の名か。気に入った。今日から俺は、イフリートだ!」
そう言って……イフリートが、いつの間にか目の前にあった大扉を大きく開け放つ。
そこには、真の闇が広がっていた。光はおろか、辺りを照らす炎さえも存在しない。
「ははっ。どうやらここに炎が無いと言う噂は、本当だったらしいな」
カラカラと笑うイフリートが、自身の棍の先に火を灯す。それに驚いたのか、彼の足元に纏わり付いていたこの世界の住人達が、驚いたように大きく後退る。
だが、それとは逆に……イフリートに向かって、九つの影が近付いていたのを、ブレドランは見逃さなかった……
「さあ、ブレドラン。ここから全ての開始だ」
「ちょっとブレドラン! いつまで眠ってるの?」
「眠ってるの?」
――え?――
二人の少女の声に起こされ、ブレドランは自分の置かれた状況を整理する。
――おかしいですね、ここに来た時の夢を見るなどと――
フフ、と自嘲気味に笑いながら、ブレドランは目の前の二人に対して軽く頭を下げる。
「おはようございます、お二人共」
「今日は離反者の所に出向くって話でしょ!?」
「話でしょ!?」
パンクファッションの少女に続くように、ゴスロリファッションの少女が喋る。それが彼女達の特徴だ。
元々は一人の存在なのだが、「お師匠様」と同じで「不死」らしい。「お師匠様」は破壊活動で己の孤独や退屈を紛らわそうとしていたが、彼女は「二人に分裂する」事で孤独と退屈を紛らわしているらしい。
ある意味、賢いやり方だと感心する。
「離反者……グランドクロスの大魔女の所でしたか?」
「違うわよ。あっちは協力者。離反者って言うのは、幽魔の方。チュパカブラのブレドランともあろう者が、まだ寝惚けてる訳?」
分裂を解除し、どこか蝙蝠のような格好の異形に戻った「彼女」が、呆れたような声を上げた。
――寝惚けている……?――
ああ、そうかもしれない。随分と頭が惚けている様な印象を持つ。
最近は「あちら」に潜入する為、色々と忙しかった事を覚えている。
「離反者」達の首謀者の名前、彼らを処分する為の方法を考えていた他、どうやって人間諸共処分するかの策を巡らせていた。
人間はこの星を破壊する。
星を護るには、人間の抹消が必要不可欠。
その考えは変わらない。人間は愚かで、この星の事など考えていない。
「申し訳ありません。この所、忙しかった物ですから」
「大丈夫なの、あんた? 少し顔色が悪いようだけど?」
「ご心配には及びません。それに、元々こう言った顔色ですよ」
珍しく心配してくる「彼女」に向かって笑いつつ、ブレドランは自身の顔を軽く撫でる。
青い顔は、昔の……「護星天使」だった頃の面影を完全に消し、今ではこの地の住人と対して変わりない「異形」とも言える格好になっている。「チュパカブラ」と言う種族名も貰い、それなりに馴染んでいる。
そんな中、イフリートから下された使命は、「離反者」の監視と抹殺だった。
彼らは自らを「幽魔殿」と名乗り、地上界を崩壊させようと目論んでいる。この地の存在は皆、地上の支配を確かに望んでいるが……崩壊までは何も望んでいない。壊れてしまっては、支配のしようが無いからだ。
「全く……あの連中と来たら、何を考えているのかしら」
「考え方が、根本的に合わなかったのでしょう。破壊したいと言う願いと、支配したいと言う願いは、似て非なる物ですから」
そう。自分がかつて護星界を去った時と同じだ。「星を護りたい」と言う気持ちは同じなのに、見ている先が異なった。だから袂を分った。それだけだ。
幽魔殿を名乗る連中の目的は理解できないが、ここから飛び出すに至った時の心境は理解できる。
「とにかく、今日からしばらくの間はチュパカブラの『武レドラン』としてあちらの動向を探りますよ」
「頼んだわよ、ブレドラン」
「ええ。では、行って来ますよ」
恭しい態度を見せながら、彼は「彼女」に向かって一礼すると……そのまま、ゆっくりと闇の中を進んで行った。
「決して、大切な物を無くさない様にしなさいよ」
そんな「彼女」の声を、背に受けながら……
ザブリ、と音がする。
それで武レドランの意識が覚醒した。
――夢、か――
妙に懐かしい夢を見たものだ。幽魔殿の連中に与する直前の夢を見るなど。
目の前に広がるのは、ただひたすらに赤い川。純粋な穢れで出来た、恐ろしくも悲しい水。どうやらその川原で、少し眠っていたらしい。我ながら随分と暢気な物だと、ブレドランは苦笑した。
そこに、白い着物のような物を着た無精髭の男が、刀を構えて立っていた。この男を例えるなら、抜き身の刀身だろうか。触れればきっと斬れるでは済まされない「何か」を持っている。
その男が手にしているのは赤い刀身の刀。川と同じ様に、まるで誰かの血の様な色合いが、美しいとさえ思える。刀からは、泣いているかのような甲高い音が響いている。
「貴様も外道か?」
「外道? 何を持って『道を外れた』と言う?」
男の問いに、武レドラン……いや、ブレドランは軽く笑って言葉を返した。
――ここは確か、地上界と冥府の間に存在する空間だったか――
幽魔殿の連中が、護星天使達によって封じられ、渋々戻ってきたブレドランが見た物は、この「隙間の世界」。ここに住まう者は皆、生きてもいないし死んでもいない。だから、「生きている」と言う証欲しさに地上を征服せんと企んでいると聞く。
普段は慇懃無礼な口調のブレドランだが、何故かこの男に対してはそんな気は起きなかった。
彼が忌み嫌う「人間」をやめて、ここに来た者だからかもしれない。
「私のしている事は、正しい。道に外れてなどいない。……少なくとも私はそう信じている」
星を護る。その為に人間を滅ぼす事を「外道」と呼ばれるのは心外と言う物だ。
現にこの数百年で、人間はとんでもない進歩を見せている。この星の上げる悲鳴を、まるで無視しているかのように。
危惧していた通りだった。
人間その物も、「自然の一つ」等と言う言葉をどこかで聞いた気がするが、それならば何故、人間は地球を破壊するのか。地球が自殺したがっている、とでも言うつもりか。
「他人の強いた『道』から外れる事を『外道』と呼ぶのなら、確かに他人から見れば、私は『外道』だろうが」
「……そうか。そう言う意味では、俺とお前は似ているのかも知れん」
「何?」
「俺は……強い者と骨の髄まで斬り合いたい。それが俺の『正道』だ。だが、他人から見れば『外道』なのだろう」
ククッと、自嘲気味に笑う男に目を向けながら、ブレドランは一歩だけ後ろに引く。
妖しく光る赤い瞳に、自分が恐怖を感じたせいかもしれない。底知れぬ絶望と、虚無感、そしてほんの僅かな快楽を見た者のみのもつ、狂気の瞳に。
退いたブレドランに気付いたのか男は刀をブレドランの喉元に突きつけ……そして、囁く。
「だが、お前と俺は全く違う。俺は自分が外道であると認めているだが、お前は認めていないだろう?」
当然だ、と言いたい。他人からの評価などどうでも良い。ブレドランは、間違った事をしているとは毛の先程も思っていないのだから。
きっと、そう言う点では目の前の男とは決定的に違う。
どんなに絶望を見ても、どんなに空しいと思っても。「こうなる事」を決めたのは自分自身なのだ。他の誰に強要された訳でもない。
「そうだな、その点では私とお前は全く異なる。私は自分を、外道だなどと思っていない。全ては、この星のために行っている事だ」
人間は危険だと、星を傷つけ、汚す存在だと訴えた。その結果、自分は堕天使と言う刻印を押され、護星界を後にした。
どれだけ声を張り上げても、誰も自分の声を聞こうとはせず、ある者は蔑みの視線を、そしてある者は哀れみの視線を送ってきた。
他人の声など、誰にも届かないと思い知らされたのはその時だ。
だから利用すると決めた。どうせ、誰も他人の声など聞きはしないのだ。ならば、自分も他人の声など聞く必要は無い。聞いた振りで軽く流し、相手の気に入る回答を口に出しながら心の中では罵倒していれば良い。
「ふ……貴様を斬っても、俺は満たされん」
「貴様を満たしてやるつもりは無い。私はただ、冥府に近寄れぬように細工しているだけだ」
「冥府か……俺が満たされたなら、一度落ちてみたい物だ」
男はどこか楽しげにそう言うと……ブレドランに背を向け、その場からふと姿を消した。
――あれ程の闇を抱えて、まだ落ちたいとは……物好きな男だ――
心の中で思いながら、ブレドランもまた、男とは逆の方向へと歩みを進めていった。
猛烈な眠気と脱力感に苛まれながら、武レドランは己の眼前に迫り来る地面を見やりつつ、つい先程までの幻を思い出す。
懐かしく、どこかちぐはぐさを感じた、一瞬の幻。
それが幻だったと理解した瞬間、ゴセイジャーの攻撃を喰らい、己の命が尽きている最中である事を思い出した。
――ああ、そうか。これが……走馬灯、と言う物か――
「星を傷つけ汚す魂に、護星の使命が天罰を下す」
忌々しくも幼い護星天使と、一万年の間に自我を持ったヘッダーが告げた言葉。
――私がいつ、星を傷つけたと言うのか――
――護星の使命なら、私だって持っている――
そう言ってやりたかったが、もう声も出ない。
彼らがアバレヘッダー……いや、ミラクルヘッダーを解放した時にも、声を大にして言ってやった。
「お前達の声など、届きはしない」
と。
けれど……あれは本当に、彼らに対して言った言葉だったのだろうか。ひょっとすると、無意識の内に彼らと自分を重ねていたのかもしれない。
一途に、真っ直ぐに、「人間は星を汚す」と信じて疑わない自分と。
――ふふ。人間に対する考え方は、全くの逆だと言うのにね――
もうすぐ死ぬのだと悟りながら、それでも武レドランは、ゆったりと近付いてくる地面に向かって自嘲を浮かべた。
死の間際には、時の流れが遅くなると言うが……本当なのだな、と納得する。
倒れ行く彼の前に、思い出の中に現れた面々がその顔を見せる。
「おや、もう”逝く”のですか?」
――ええ、お師匠様。私は貴方と違って、死ねますから――
お師匠様と呼んだ青年の呆れたような声に、どこか誇らしげにそう答え。
「さあ、ブレドラン。ここから全ての”改し”だ」
――そうですね、イフリート様。また貴方とご一緒できて、光栄ですよ――
唯一の理解者である「冥府の神」の幻影に、心の底からの忠誠を近い。
「決して、大切な物を”亡くさない”様にしなさいよ」
――大切な物なんてありません。亡くなるのは、私の命だけです――
恐らくただ一人自分の身を案じてくれた彼女に、自嘲気味に返し。
「一度”堕ちて”みたい物だな」
――では、共に貴方も落ちますか?――
似て非なる男には、そう誘いの声をかけて。
ようやく武レドランは、大きな地鳴りと共に大地にひれ伏した。
――暖かい物ですね……星と言うのは――
もうすぐ死ぬのだと言うのに、随分と呑気な事を思う、と自分でも思う。それでも、彼はその優しい温もりに抱かれる幸せを感じていた。
「母なる大地」とはよく言った物だと、感心しながら、彼はゆるりとその瞼を降ろす。
――これで、私もゆっくり眠れます――
下ろした瞼から、一筋の涙が零れ落ちる。
その涙の意味は、果たして悲哀か、それとも歓喜か。
流した本人も分らぬまま……彼の体は大きな爆音を上げ、四散した。
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