短編集

 昔の偉い人は言っていた。
――食を絶ちて殺すは野蛮なり、食を滅じて殺すは文明なり――

 移動パン屋、「Break First」。
 これは、「朝食」を意味する「Breakfast」と、「常に最先端を目指す」……「First一番Break壊す」の二重の意味からつけられたのだ……と、赤い色のエプロンをつけた青年、淡赤あわか トウマは聞いている。
 彼はこの「Break First」の面子の中でも新参者の部類に入る。それなのに何故か、「店長代理」という肩書きを持っていた。
 本人は固辞したのだが、それをトウマの横に立つ青いエプロンの青年……トウマと同い年でありながら、「Break First」の最古参でもある青海おうみ ヨシオによる、「新入りのお前に拒否権はない」の一言によって、トウマの今の立場が確定してしまった。
「……おれ、まとめ役って柄じゃないんだけどなぁ……」
「まだ言うのか。お前がここに来て、既に一月が経過していると言うのに」
 はあ、と呆れ返ったような溜息を吐き出しながら、ヨシオはトウマに冷ややかな視線と言葉を送ると、ケータリングカーに搭載したオーブンから、たった今焼きあがったばかりのクロワッサンを取り出し、その内の一つを強引にトウマの口に放り込んだ。
 放り込まれた方は焼きたての熱さに、はふはふと口の中の熱気を逃がしつつも、トウマはそのパンを味わうようにゆっくりと咀嚼し……
「あ。ねえヨシオ、ひょっとしてバター変えた?」
「よく分ったな」
「うん。昨日までと比べて、少しだけ塩みが強くなったかも。そのお陰で、いつもより甘みが引き立ってるし、風味と香りもぐっと良くなった」
 にこぉ、と穏やかな笑みを浮かべて言うトウマの評価に満足したのか、ヨシオは軽く笑うと満足気に一つ頷き……
「やはり、店長代理はお前にしか出来ない。オレや他の連中じゃ、そこまで味の違いがはっきりとは分らないからな」
 そう言いながら、先程のクロワッサンをケータリングカーにあるケースに並べる。
 それに倣うように、トウマも別の段に入っていたクロワッサンを取り出すと、持ち帰り用の袋に六つずつ詰めはじめた。
 そんなケータリングカーの外側では、積み込んでいた来客用の椅子とテーブルを並べる三つの人影がある。
 「Break First」では、買ったパンを持ち帰る事も出来るが、その場で食べる事も出来るよう、いつもある程度の椅子とテーブルを用意しているのだ。
橘黄たちきさん、薬黒やくろさん、スアマちゃん、そっちの準備はどうですか?」
「もうすぐ終わるよ。今日も時間通り、開店出来そうだ」
 トウマの問いに、三人のうち黄色のエプロンをつけた男性が、代表するように言葉を返す。
 彼の名は橘黄 コウサン。五人の「店員」の中でも最年長の二十七歳であり、「年長者」としての責任感は強いのか、店員にとって良いお兄さんのような存在である。
 それを聞いて嬉しそうにトウマは頷くと、ケータリングカーの奥へと一度引っ込み……そして「店長」と書かれた大きめの籠を抱え、そっとその籠を看板の前にある小さめの台の上に置いた。
 そこから顔を覗かせているのは、一匹の小さな薄茶色のウサギ。ホーランドロップイヤーと呼ばれる種類の、耳の垂れたウサギである。
 籠の中でもしゃもしゃとニンジンスティックを貪り食っている様は、何とも愛らしい。
「……何だレセプター。お前、まだ朝食が済んでなかったのか」
 テーブルのセッティングが終わったらしい、黒いエプロンの男が、そのウサギを覗き込みながらも馬鹿にしたような口調で声をかける。
 どうやら店長であるこのウサギ、「レセプター」という名前のようだ。
 黒エプロンの男の言葉をレセプターは理解しているのだろうか。咥えていたニンジンスティックから口を離すと、くりくりとした大きな瞳を男に向けた。どこか物言いたげにも見える視線だが、男は然程気にした風もなく持っていた立て看板を籠の横に置くと、軽く鼻で笑ってレセプターの額を小突いて一言。
「まあ、お前の朝食が済もうが済むまいが、今日も定時に開店するだけだがな」
「ニガクさん、それ、何も知らない人が見たら動物虐待よ?」
「問題ない。何も知らない人間の前ではやらんからな」
 ピンクのエプロンを着けた紅一点にして最年少、桃糖とうどう スアマの呆れ声に対し、男……薬黒 ニガクは何故か自慢気な声を返した。
 自慢できる事じゃないでしょう、とツッコミを入れたいところではあるが、彼にツッコミを入れた場合、その後の百倍の言葉が返ってくるのを知っている。それも、チクチクとした皮肉が多い。それに耐えられる程、人生経験を積んでいないスアマは、溜息を一つ吐き出してそのまま沈黙を返した。
 彼の毒舌攻撃に耐えられる人間がいるとするなら、スルースキルを半端でないレベルで所持しているトウマか、ニガクの幼馴染であるコウサンだけだろう。
「それじゃあ、看板も立った事だし。……移動パン屋『Break First』、今日も定時に開店です」
 ぽん、と一つ手を叩き、トウマがにこやかな笑顔で宣言する。
 それを聞いていたのか、店長であるレセプターは、ニンジンスティックを猛スピードで貪ったかと思うと、ちょこん、と自身の頭を籠の縁に乗せた。
「……トウマさん」
「何、スアマちゃん?」
「レセちゃんって、結構あざといよね。自分の外観の愛らしさを分かってて、あのポーズしてるのよ、きっと」
「ふん。流石、腹黒ウサギなだけはある」
「ん? ニガク、レセプターの腹の毛は黒くないが?」
「…………青海君、まさかとは思うけど……それ、本気で言ってないよね?」
「ん? オレは何かおかしな事を言ったか?」
 軽く首を傾げ、心の底から不思議そうな表情で言ったヨシオに、他の面々は思わず苦笑を浮かべてしまう。
 ヨシオは一見するとクールなのだが、実際にはどこか天然な部分がある。今回も、「腹黒い」の意味を文字の通り、「お腹の毛色が黒い」と捕えたらしい。
 無論、相手が「普通のウサギ」ならばその意味でとらえるのが普通なのだろう。しかし、レセプターは「普通」とは、口が裂けても言えないくらい「特殊なウサギ」だ。
 それを知っていながら、彼は素でボケたらしい。
「……ヨシオさんって、顔は良いのに。本当にニガクさんとは別の方向で残念系のイケメンよね」
「スアマ。それはどういう意味だ?」
「俺が残念だと? 聞き捨てならんな、小娘」
 名を挙げられたヨシオとニガクが、ギロリと睨み付けるようにスアマに視線を送る。
 その視線を受けて、自身がつい口を滑らせたことに気付いたらしい。はっと口元を押さえた時には既に遅く、スアマは両サイドから彼女の言う「残念系のイケメン」二人に挟まれ……
「向こうで詳しい話を聞こうか? ん?」
「逃げられると思うな。むしろ、逃げた方が苦痛が増すと思え」
「え、いや、あのね、ちょっと、その……トウマさん、コウさん! 助けて!」
 がしりっと両腕を掴まれ、ずるずるとケータリングカーの影へ引きずられながらも、スアマはじたばたと暴れ、残る二人の男に向かって手を伸ばす。
 が。
「あはは。お店の事は気にしなくていいから。気を付けていってらっしゃい」
「……ご愁傷様。僕もその二人を、同時に敵に回したくはないからね。生贄になってきてくれ」
「うわぁん、鬼ぃぃぃっ!」
 方や何も分かっていなさそうな穏やかな笑顔で、そして方やこの後彼女の身に降りかかるであろう「災難」を予想したような微苦笑を浮かべて。それぞれにひらひらと手を振りつつ、引きずられていくスアマを見送った。
 その直後。ダダダッと言う大きな足音が響いたかと思うと、その更に一瞬後、トウマの背に大きな衝撃が走った。
 誰かが体当たりしてきたのだと認識したのと、その「体当たりしてきた人物」が声を上げたのはほぼ同時。
「今日もボクがいっちばーん!」
 元気よくそう言ったのは、スアマと同い年くらいの青年。登校途中なのか、詰襟の学生服を着ており、濃い茶色の髪色のせいで、トウマにじゃれつくその様は大型犬を連想させる。
 その青年の姿を見るや、トウマは困ったような笑みを浮かべ……
「おはようチカラ。今日も元気だね。……ちょっと元気すぎる気がしなくもないけど」
「おはよう兄ちゃん! 元気はボクの唯一の取り柄だからね!」
 トウマの遠回しな苦言に気付いた様子もなく、チカラと呼ばれた青年はにこにこと明るい笑顔を浮かべて言葉を放った。
 彼の名は、朱辛あかのと チカラ。
 トウマの従弟に当たるのだが、幼い頃からトウマの家族と共に過ごしてきた為なのか、彼はトウマを「兄ちゃん」と呼んで慕っていた。
 トウマが急遽この「Break First」の店長代理を勤める事になって以降、毎日のように通っては「二限と三限の間の間食用」として、ここのパンを購入するようになった、「にわか常連」である。
「おはよう朱辛君。今日は何をご所望かな?」
「おはようございます、コウサンさん。昨日はお惣菜パンだったから、今日は菓子パンが良いです!」
 ぱっとトウマから離れると、チカラはぺこりと頭を下げてコウサンに向かって欲しい物を簡単に説明する。
 彼は、いつもこうだ。具体的に「何パンが欲しい」とは言わないが、欲しい物のイメージは大雑把にだがあるらしく、それを伝えて店員達の「オススメ」を購入していく。
 コウサンが以前その理由をチカラに聞いたところ、「兄ちゃん達の味覚は信じてるから」と即答された。
 自分達の味覚を信じてもらっているのは、純粋に嬉しい。しかしそう思う反面、彼自身が「コレだ!」と言うような商品はないのだろうかと不思議にも思った。
 人は、どうしても自分の好みの味に偏った物を購入する傾向にある。
 甘い物が好きな人は菓子パンを買う割合が高くなるし、あまり甘さを追及しない人は惣菜パンや食パンを購入していく事が多い。だが、チカラはこちらが勧めた物を万遍なく購入していく。好き嫌いがないのか、それともこれと言ったこだわりを持たないのか。
 そんな風に思いはするが、味覚は人ぞれぞれだし味の好みだってこちらが強要するような事ではない。「楽しく食事が出来るならそれで良い」と思っているコウサンにとって、考えを押し付ける事は楽しむ事から離れる行為。だから、これ以上は追及しない。
「菓子パンだね。丁度今日から、僕の特製パンを出すところだったんだけど、それで良いかな?」
「勿論だよ! コウサンさんとスアマちゃんの作る菓子パンは、優しい感じがして好きだよ、ボク」
「嬉しい事を言ってくれるね。じゃあ、少しおまけしようか」
「ホント!? 嬉しいなぁ、ありがとう」
 普通に売るよりも、少しだけ多めにパンを袋詰めするコウサンに、チカラは目を輝かせて礼を言う。
 思春期まっただ中、おまけに反抗期とも言える年頃なのに、ひどく真っ直ぐな性格をしているのは、ひとえにトウマや彼の家族の育て方が良かったからだろう。
 身近に彼とは対照的な、捻くれまくっている幼馴染がいるせいか、コウサンにとってチカラのような存在は珍しい。だから、ついおまけしてしまうのだが……
「おい、そこの黄色。ガキは甘やかすとどこまでも付け上がるぞ」
 いつの間にこちらに戻ってきていたのだろうか。先程スアマを連れてケータリングカーの影に消えていったはずの、「捻くれまくった幼馴染」が、呆れた様な声でコウサンに声を投げた。
 ちらりとそちらの方へ視線を向ければ、いつもと変わらぬ表情を浮かべているヨシオと、ぐったりとした表情のスアマ、そして何故か口元に微笑を浮かべているニガクがいた。
「ガキって! 酷いやニガクさん! ボクもう十七だよ?」
「その反応が既にガキだと言っている。それから、十も違えば充分ガキだ」
 むぅ、と頬を膨らませて怒るチカラに、ニガクはふんと鼻で笑いながら言葉を返す。
 ニガクとチカラのこの会話も、ほぼ日常茶飯事と化しているせいか、トウマはにこにこと笑顔のままその様子を眺め、ヨシオは小さく「またか」と呆れたように呟いて客用の椅子に座り、コウサンは先程パンを詰めた袋の口を縛ってチカラに渡し、そして早くも立ち直ったらしいスアマがそのお代を受け取った。
 この流れも、もはや「いつもの事」だ。
 ニガクがチカラをからかい、それをまっすぐに受け止めた彼が文句を言い、その間にコウサンかヨシオが目的のパンを渡し、スアマが代金を受け取り、それをトウマは微笑みながら見つめる。更にそんな一連の様子を、レセプターがぺにょり、と籠の縁に顎を乗せながら呆れたように見る。
 大抵はスアマがお代を受け取った時点でこの流れは終わり、チカラも学校へ向かうのだが、今日は少し違った。
 少しだけ、まだ不貞腐れた様子を見せつつも、チカラは何かを思い出したように自身の鞄をあさり始め……
「そう言えば兄ちゃん、コレ知ってる?」
 そう言ってトウマに向かって差し出したのは、何かの錠剤が入っていると思しき小さな袋。試供品らしく、そのサイズは掌よりも一回り程小さいが、ご丁寧にも遮光仕様になっており、表面には「栄養補給剤」の文字が書かれている。
「なんだい、それ?」
「んー、なんかねぇ、『一粒でその日一日の栄養を補給!』っていう謳い文句の錠剤。さっき駅前で配ってた。最近流行ってるんだって」
 栄養を補助する目的の錠剤……俗に言うサプリメントと言う奴だろう。しかし「その日一日の栄養を補給する」と言うのは誇大広告ではなかろうか。
 無論、こういった「人為的に栄養素を吸収しやすい形にしたモノ」の効果がない、などと言うつもりはない。しかしあくまで通常のサプリメントは、不足しがちな栄養の摂取を「補助する」事を目的として作っているはず。
 そもそも人によって必要とする栄養素は異なってくるし、一日に二千キロカロリー以上を必要とするのが人間だ。それをこんな小さな錠剤で賄えるとは到底思えない。
 それでも、そんな錠剤に手を伸ばしてしまう程、近代日本の人々は忙しく、また己の栄養摂取状態に偏りがある事を自覚している。一粒だけで事が足りるなら、それで良いじゃないか……そう思ってしまう人間は、少なからず存在しているのだろう。
 だからこそ、栄養補助剤はある程度の人気を誇っており、そしてこの商品も「最近流行っている」のだろう。
 そんな風に思いつつ、スアマがじっとそのサプリメントの袋を見つめていると……
「あら、このマークって……チカラ君、貸してもらって良い?」
「え? うん、良いよ。はい、スアマちゃん」
 何かに気付いたらしく、チカラからその小袋を受け取ると、まじまじと見つめ……やがて確信に至ったのか、真剣な表情を浮かべて他の面々に「気付いた物」を指さして見せる。
 それは会社のロゴだろうか。「D」と「A」を重ね合わせた様なマーク。それを見るや、他の面々の表情も渋い物に変わる。
 その様子を見て、何か不安に思ったのか。チカラは軽く眉を顰め、おずおずと言った風に彼らに向かって声を投げる。
「どうかした?」
「……このガキは、どうしてこうも仕事のド頭に妙な案件を持ち込む」
「え、ボク、何か持ってちゃいけない物持ってきちゃった!?」
 頭痛を堪える様に呟いたニガクに、不安そうな表情でチカラが返す。が、そんな彼にヨシオとトウマが左右からそれぞれ肩をぽんと叩き……
「いや。オレとしてはよくやったと褒めるべきところだと思うぞ」
「そうだね。手遅れになる前に、チカラが持ってきてくれて良かった」
「? 何かよく分かんないけど、兄ちゃんとヨシオさんに褒められた」
 チカラはえへへ、と嬉しそうに笑い……しかし微かに響いてきたチャイムの音に気付いたらしい。はっと顔を上げると、一同にぺこりと頭を下げた後、「遅刻遅刻~」とあわただしくその場を去って行った。
 それをトウマは苦笑と共に見送り……そしてチカラの姿が見えなくなった瞬間。
 その表情は真剣そのものへと変わり、しゅるりとエプロンを外した。
「……それじゃあ皆、行こうか」
 その言葉に、四人は黙って頷きを返すと、倣う様にエプロンを外して駆けだした。
 ……チカラが錠剤を受け取ったと言う、駅前へと。


「どうぞ~」
「DA社の新製品でぇす」
「一粒でその日一日の栄養を補給できるミラクルサプリでぇす」
 駅前に到着した五人の目に飛び込んできたのは、チアリーディングを連想させる衣装を纏った女性コンパニオン達と、やたら大きな熊の着ぐるみだった。
 その彼らが、張り付いたような笑顔を浮かべ、道行く人々にその小さな袋を手渡している。
「そちらの方々も、お一ついかがですか?」
 トウマ達に気付いたらしいコンパニオンの一人が、やはり張り付いた笑みを浮かべ、小袋を差し出しながらこちらに近寄ってくる。
 だが、次の瞬間。
「それとも、こちらの方がよろしいですか?」
 言うと同時に表情が消え、いつの間にかその手に握られていた大振りの出刃包丁に似た刃物が鈍い光を放ちながらトウマ達の目の前を通り過ぎる。
 本来ならトウマの体を裂くつもりだったのだろうが、その攻撃は予測していたらしい。包丁の一振りを回避したトウマは、そのまま足を振り上げて女の手から包丁を蹴り飛ばした。
 それを見やるや、他のコンパニオン達も次々と手に様々な種類の包丁を持ち……そして、その姿を変えた。
 ポッコリと膨れた下腹、真黒い体の色、そしてまばらに生えた毛。地獄絵図などに描かれている「餓鬼」を連想させるその姿は、先程の女性達とは大きくかけ離れた異様さを醸し出している。彼らから発せられるグゥゥ、と言う音は彼らの唸り声なのか、それとも餓鬼の様に飢えているが為の腹の虫か。
 その様子を見た「一般人」はその異様な光景に驚き、そして一瞬後には蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。一方で五人は逃げる様子も見せず、むしろその異形達と対峙し、流れるような動作でそれぞれの持つ包丁を叩き落とす。
「街中でそんな刃物を振り回すと、危ないよ?」
「……やはり貴様らの存在が、我らの作戦の邪魔をするか……っ!」
 不敵に笑いながら言ったトウマに、熊の着ぐるみが言葉を返す。
 コンパニオンが異形だったのだ。この着ぐるみが一般人であると考える方が不自然だろう。
「正体を現しなさい! ディスアゲウシア!」
「言われずとも!」
 びしぃっと熊に向かって指を向けて言ったスアマに返すと、熊の姿が変化した。
 「熊」である事には変わりないのだろうが、先程に比べて色が暗く、口から覗く牙も鋭い。背には巨大な瓶を背負っており、その中には先程配っていたと思しき錠剤がぎっしりと詰まっている。目が眠そうにトロンとしているが、その奥に光る瞳は血色に輝いている。
 油断すれば命取りになるであろう事は、否が応でも理解できた。
「私はディスアゲウシア幹部が一人、サプリメント様の従僕。過剰摂取のオードバーズ。人間に栄養を、簡便に、そして過剰に摂取させ、食事などと言う下らない行為を忘れさせる為に派遣された者だ!」
「説明台詞をどうもありがとう。それじゃあ、こっちも行くよ、皆」
 怪人……オードバーズに向かってトウマはそう返すと、五人は横一列に並び、そして手の中にスティック状の何かが入った袋を取り出し、その上部を開ける。そこから覗くのは、細長いクッキーの様な茶色い携帯食だ。
『テイスティング!』
 取り出したそれを、掛け声とともに一口齧り、その「味」を知覚した瞬間。
 現代の科学では説明不可能な、未知なる力が働き、彼らの体を色とりどりのスーツが覆う。
「淡く広がる幸せの味! ウマミレッド!」
「命を支える大切な味! シオミブルー!」
「箸を進める刺激の味! サンミイエロー!」
「動き生み出す安心の味! アマミピンク!」
「危険知らせる本能の味! ニガミブラック!」
 赤、青、黄、桃、黒……トウマ、ヨシオ、コウサン、スアマ、ニガクの順に名乗りを上げると、一瞬だけオードバーズ達は怯んだ様子を見せる。
 知っているのだ。彼らが、自分達の天敵ともいえる存在であり、その姿に変われば、こちらの勝ち目が薄くなることを。
 そう。彼らこそ、オードバーズが属する侵略集団、「ディスアゲウシア」の最大にして最悪の敵。
 食を「奪う」事を目的とする自分達とは正反対の、食を「守る」為に戦う者達。
「食べる事は、いのちの喜び!」
『味覚戦隊オイシンジャー!』
 人間が持つと言う五つの基本味……うま味、塩味、酸味、甘味、苦味をそれぞれ司り、そして守る者。誰よりも、食事とその時間がもたらす幸福を愛している者。
 それが、「味覚戦隊」。
 こことは異なる世界の住人であるレセプターが、ディスアゲウシアの侵略からこの世界を守る為に集めた五人の若者達。
「あのね。食事って言うのは、栄養摂取の為だけにあるんじゃないんだよ」
「黙れ、ウマミレッド! 分かったような口をきくな! ……ハンガー、やれ!」
『グゥゥゥ』
 餓鬼に似た異形はハンガーというらしい。
 彼らはオードバーズの号令を聞いた直後、腹の虫に似た音の唸り声を上げ、再び手にした包丁を振り上げて一同へと襲い掛かる。
 何も知らぬ一般人ならば、相手が何者であれ、刃物を振りかざされれば怯むものだ。それを持っている者が異形ならばなおの事。
 だが、彼らは違う。非常に遺憾ではあるが、彼らは目の前の異形が刃物を振り回し、襲い掛かってくる事は「当たり前」の事と化してしまっているのだ。
 慣れたくはないが、慣れざるを得ない状況に立たされ、いつの間にかそれが日常となってしまった事に、トウマは襲い掛かるハンガーをいなしながらも、マスクの下で苦笑する。
「いつも思うんだけどさ、どうして君達は『食を奪う』事を目的にしてるのかな?」
 眼前のハンガーを叩き伏せながら、トウマはハンガーと共に襲い掛かってきたオードバーズに対して問う。
 この問いを投げるのは今回が初めてという訳ではない。ディスアゲウシアが「食を奪う作戦」を展開する度、彼らに向かって聞いていた。
 そして、その問いに返ってくる答えはいつも同じ。
「決まっている! 無意味だからだ!」
 じゃらじゃらと背に負った瓶の中の錠剤を鳴らしながら、オードバーズははっきりとした声で言い切った。
 ディスアゲウシアの怪人達は、皆一様に「食事は無意味だ」と言う。
 その答えが、トウマにとっては非常に腹立たしい。そして同時に、悲しくもあった。
 トウマにとって食事とは、人の命をつなぎ、そして人と人とをつなぐ、とても大切な時間。
 勿論、それはトウマが「食事の幸せ」を感じられる環境で育ったからだと言うのは分かっている。環境次第では、自分も「食」を「無意味だ」と切り捨てたかもしれない。
 だからこそ、「無意味だ」と切り捨てる彼らの環境を哀しく思う。
 しかし、だからと言ってその考えを「食事の幸せ」を知る者にまで押し付ける行為は許せない。
「君達が、どうしてそこまで食事の時間に価値を見出せないのか、おれには分からない。でも、君達のやろうとしている事は……食事と言う幸せな時間を奪う事は、どうしても許せない」
 トウマがそう言ったのと、他の面々がハンガー達を完全に沈黙させたのは同時。立っているのはトウマ達五人と、オードバーズのみとなっていた。
「な……っ! いつの間に!」
「俺達を甘く見るなよ、熊」
「こっちもそれなりに場数を踏んでいるんだ。悪いけど、そう簡単にはやられないよ」
 驚き、慄く相手に、ニガクとコウサンが不敵に笑う。その横ではスアマがこくこくと頷きを返し、ヨシオが自身の専用銃であるNaナトリウムバスターを構えていた。
「悪いが、これで終わらせてもらうぞ」
 言うと同時に、彼はNaバスターに小さな小瓶状の弾丸を装填する。
 味覚戦隊たる彼らは、それぞれに司る「味」に属する「調味料」を入れた小瓶を持つ。勿論、市販の調味料ではなく、「味の概念」を抽出した結晶なのだが、難解な事はこの際割愛する。
 「塩味」を司るヨシオが持つ小瓶の中身は「塩」。それを武器であるNaバスターに装填する事で、彼単独の必殺技を放つ事が出来る。
「ソルティブルーショット」
 宣言と共に引き金を引けば、銃口から青い光と化した「塩味のエネルギー」が迸る。
 そのエネルギーは、真っ直ぐにオードバーズの体を貫く。そしてその軌跡を追う様にして駆けていたトウマが、彼の専用武器であるGluソードを振り上げ、ヨシオの小瓶に似た形をした小瓶を束の窪みにはめ込んだ。
 「うま味」を司る彼の小瓶の中身は、「グルタミン酸」。その中に刻まれた「うま味」のエネルギーは、刀身を赤く染め上げる。
旨赤斬ししゃくざん!」
 ヨシオの銃撃で貫かれ、動けぬオードバーズに、トウマのトドメの斬撃が炸裂する。
 その瞬間、オードバーズの舌の上に、感じた事のない感覚が走り……それこそが、ディスアゲウシアの面々が感知できるはずのない、「味」と言う物なのだと気付いた時には、彼の体はザラリと音を立てて崩壊したのであった。

 仄暗いどこかの森。その奥にひっそりと佇む洋風の古城の中。
 崩壊し、ただの粉と化したオードバーズの姿をモニター越しに見ながら、一人の青年が苛立たしげにチィと一つ舌打ちを鳴らした。
 役者のような端正な顔立ちだが、苛立ちで歪んでいるせいで凶悪に見える。着ている物が「黒い白衣」である事も相まってか、ひどく近寄り難い雰囲気を放っていた。
 そんな彼に、一人の女性がクスクスと笑いながら歩み寄る。こちらは体のラインを強調するような際どいドレスを着ている。肩はむき出し、足元のスリットは腿まで切れており、襟が深くカットされている為に胸元が半分ほど覗いている。隠れているのは、左腕だけだろうか。そこだけは漆黒のグローブですっぽりと覆われている。
 艶っぽいと言う表現の似合いそうな女性だが、この空間が暗いせいだろうか。ひどく顔色が悪く見える。
「あらあらサプリメント。今回の作戦も失敗ですわね。これで何度目かしら?」
「ディスオーダー。それは私の作戦が甘かった……そう言いたいのかな?」
「あら。わたくし、『甘い』という感覚は分りませんの。ご存知でしょう? でも、そう聞こえてしまったのなら、ごめんなさいね?」
 青年……ディスアゲウシアの幹部が一人、サプリメントに、同じく幹部の一人である彼女、ディスオーダーは、やはりクスクスと笑いながら言葉を返す。
 並べば美男美女のカップルに見えるのだが、実際のところ、この二人の仲は良くはない。むしろ険悪と言える。
 それでもまだ殺し合いに発展していないのは、ひとえに「もう一人の幹部」の存在が大きい。
 その「もう一人」は、それまで自身の身を預けていた壁から離れると、二人の間に入りそれぞれを一瞥する。
 見目は三十代前半と言ったところか。学者肌のサプリメントとは異なり、武闘派らしい。腰からは剣を提げ、鍛えられた太い腕がサプリメントとディスオーダー、二人の肩を軽く押しただけで、二人はよろめき、互いに距離を取るような形になった。
「サプリ、ディス。敗北は敗北だ。結果は覆らぬ。我輩とて敗北を喫しておる。貶しあうより先に、彼奴らを如何にして葬るかが肝要だろう」
「……イルネス将軍が、そう仰るのであれば」
「そうですわね。申し訳ございません、イルネス様」
 甲冑の男、イルネスの言葉に、二人は渋々と言った風に頭を下げる。
 サプリメントは、純粋な武力では彼に勝てない事を知っているからだし、ディスオーダーは彼に恩義がある。
 理由は異なれど、イルネスには逆らえない。
 そしてそのイルネスすら、このディスアゲウシアでは「幹部」であって、「首魁」ではない。
「相も変わらず、お前達の仲は険悪のようだな。余は嘆かわしい」
『アンティート様!』
 響いた声に、三人が同時に額づく。
 この声の主こそ、このディスアゲウシアの首魁。この世界から、「食の幸せを奪う」事を決めた、最高責任者。
 名を、アンティートと言う。普段は御簾の向こうに姿を隠し、滅多に表舞台には出ない。幹部であっても、おいそれと彼の顔を見る事は敵わず、声自体も滅多に聞く事はない。
 その彼が、今。
 御簾越しとは言え、彼らの前に現れた。その事に驚き、同時に慄く。自分達の仲違いを叱責に来たのか、あるいは作戦の進行が捗らない事に業を煮やしたのか。
 とにかく、「叱られる」と判断したのだろう。誰よりも先にディスオーダーが土下座せんばかりの勢いで頭を下げると、グローブに包まれた左腕をガリガリと掻き毟りながら矢継ぎ早に言葉を紡いだ。
「お見苦しい所を。もう、こんな真似は致しません。だから、だから見捨てないで下さい。アンティート様にまで見捨てられたら、わたくしは…………っ!」
「……ディスオーダー」
「はいっ」
「余は、お前を見捨てる事はない。お前が余を見捨てぬ限りは」
 言って、御簾の間からアンティートの白い手がするりと伸びる。そしてその手はディスオーダーを招くと、近寄ってきた彼女の左腕をさするように撫でた。
「自らを傷つけるな、とは言わぬ。だが、余の許しなく血を流すことは許さぬ」
「……はい」
 厳しさと優しさを含む声に、ディスオーダーはうっすらと頬を染めながら頷きを返す。
 アンティートに撫でられているだけで、彼女の傷が癒されるような気がする。勿論それは気のせいだ。分かっている。
 だが、ディスオーダーにとってアンティートと言う存在は、首魁であると同時に絶対に守りたい存在でもあった。
 そんな彼女の心の内を分かっているのかいないのか。アンティートは労わるような手つきで彼女の腕を撫で摩りながらも、冷淡な言葉を紡いだ。
「我が忠実なる部下達よ。余は求む。この世界から、『食の幸せ』をなくすという結果を」
「重々、理解いたしております」
「この世界の住人達にも、わたくし達の苦しみを」
「……全ては、御心のままに」

 味覚戦隊とディスアゲウシアの戦いは、まだ始まったばかりである。
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