恋已 ~こいやみ~ 「真白き翼の裁き」外典

 音が聞こえた方へ視線を向ければ、そこには生身のミホがいた。その瞳には仮面をつけた俺の姿が映っている。
 その瞬間、俺は自分が勝利したことを悟った。
 武器も剣も消え、泣き笑いのような表情を浮かべる彼女に、俺はゆっくりと近付いて彼女の前で膝を折る。
 さながらナイトの名の通り、姫を守る騎士のごとく。
 それを見下ろした彼女の顔が、ますます悲しみに染まるのが見えた。
 それは、俺が一番欲しかった表情。俺を見て、それだけで嘆き悲しむ姿。憎しみや怒りをぶつけてくれればなお良いが、今はまだそこまで期待しない。
 ……追々、俺だけを憎むようになればいい。
 「最後の一人」が決まったからだろうか。ミラーワールドそのものが、パキン、とひび割れた様な音を立て、キラキラと崩れ落ちていく。
 同時に俺の鎧も必用なくなったのだろう。あっという間に粒子化し、ミホの瞳の中にいる俺が、「ナイト」から「緋堂闇爾」へと変わった。
「……終わったな、ミホ。……お前にとって、絶望的な形で」
 戦闘の疲労からか、ミホが肩で息をしながら、微かに歪んだ表情で俺を見下ろす。
 まだ敗北した実感はないのか、絶望の表情は浮かべていない。だが、焦らなくていい。こいつはきっと、今後兄貴や俺を見る度に、己の無力さを思い知って嘆き悲しむんだから。
 そう考えると、自然に笑みがこぼれる。ミホの目に映っている俺も、妙に穏やかな表情を浮かべているのが見て取れた。
「…………そう、ね。暁さんに『罪』を突き付けられず、真犯人は見つからない。…………おまけに、あんたも壊れた。……絶望的かどうかはさておき、最悪、ではあるわね」
「壊れた? 俺が? 違うだろ? お前が、これから壊れるんだ」
「ハッ。気色悪い笑顔で、こっち見ないでよ。…………泣きたくなる」
「泣いていいぞ」
「冗談、でしょ? ……何であんたの望み通りに、動かなきゃなんないのよ」
 ぽすりと力の籠っていない拳で軽く俺の胸を殴り……直後、彼女は俺の胸座を掴んで顔を引き寄せた。
 先程の言葉通り、今にも泣きだしそうな表情を浮かべて。
 その顔にぞくぞくする。特にこれと言って嗜虐嗜好は持っていないはずだが、普段浮かべない表情を見られるのは何とも愉快だ。
 もっと歪めばいいのに。そして、俺だけに色んな表情を見せてくれればいいのに。
 思う俺をよそに、ミホはその表情のまま、囁くような声で言葉を放った。
「闇爾」
「ん?」
「私は、人形じゃ、ないわ。籠の鳥でも、ない。あんたの、思い通りになんて……何一つ、なりは、しな……い……」
「……ミホ?」
 胸座から手を放し、疲れたように俺の体にもたれかけたミホの体を支え……そして、気付く。
 ……ミホの白い服を染める赤い液体の存在と、徐々に失われていく彼女の温もりに。そして俺の掌に伝わる、熱い液体の感触にも。
 肩で息をしていたのは、疲労からなんかじゃない。この出血で苦しんでいたからだったのか。
「ミホ? お前、怪我…………」
 怪我をしてるじゃないか。
 そう言おうとミホの顔を見た瞬間。
 青白くなっていく彼女の顔に、笑みが浮かんだ。
 いつもの不敵なものにも、楽しそうにも……悲しそうにも見える笑みが。
「あー、うん。実は、あんたのファイナルベントをもらった時に……ね」
 乾いた笑いと共に、彼女はさらりと言い放つ。
 相討ちだと思っていた。だが、実際はそうじゃなかった。
 あの時の一撃は、確かにミホの体を捕え、そして、こんな怪我を負わせていた。
 こんな……どう見ても、致命傷にしか見えない怪我を。
「な……何、で? すぐに言えば、病院へ行った。いや、今からでも遅くないよな? 今から病院へ……」
「それじゃ……意味、ないのよね」
 意味が、ない?
 苦しそうに笑うミホの言葉の意味を、咄嗟に考える。
 最後の二人になった時、二十四時間以内に決着を付けろと言う規定の事だろうか。しかしこの怪我をおしてまで守るルールか? 面倒でも、最初からやり直せばいいじゃないか。
「怪我を……する方が、意味が、ないじゃないか」
「そっちなら……意味、あるわよ」
 自分でも驚くほど掠れた声で問えば、意外とも思える答えが返ってくる。
 怪我、を、する事には意味がある?
 意味が分からず、ただ抱き留めるようにミホの体を支えるだけの俺に、彼女はニィと人の悪い笑みを浮かべ……
「前に、言ったでしょ? ……『物凄い後悔をしてもらう』……って」

 ――なあ、ミホ。俺が、物凄い危険な思考を持った人物だとしたら……どうする?――
 ――後悔してもらうわ――
 ――後悔?――
 ――そ。そんな考えを持った事が間違いだったって思うくらいの、物凄い後悔をしてもらうつもりよ――

 そんな会話をしたのは、ほんの数日前。
 あの時、確かにミホはそう言っていた。
 ……じゃあ、何か? あの時既に、ミホはこうなる事を予測してたってのか?
 ただただ困惑するだけの俺に、ミホは更に笑みを深める。
 してやったりと……全てが思惑通りに行ったと、言いたげな表情で。
「後悔、させてあげる」
 いつもと同じ、どこか生意気にも思える口調。
 ただ、いつもと違って顔色が悪い。
 服が赤黒く染まっていく。
 そして、俺の耳元でぽつりと一言。
「…………さて、死ぬか……」
 当たり前のような口調でそう呟くと、長い……肺の中の空気をすべて吐き出すかと思う程、長い溜息を吐いて。
 それっきり、ミホは呼吸をしなくなった。
 俺の手を濡らす血は、まだ熱いのに。
 肌の色は、白を通り越して青く変わっていく。
 聞こえていたはずの心音は響かない。
 呼応するように、滴り落ちる赤も徐々に勢いを弱めている。
「……死……?」
 ミホが怪我を負っていると気付いた先程とは、比較にならない掠れきった音が口から漏れる。
 ピクリとも動かない瞼。眠っているかと勘違いしそうになるほど、安らかな、顔。
 軽く頬を叩けば、ひんやりとした感触だけが返り、他は何の反応もない。ぐったりと重力に従って体を反らすだけ。
「あ……ぅあああああああああああっ!」
 意図せず迸る絶叫。
 何が何だか分からない。いや、認めたくない。
 こんなつもりじゃなかった。
 ただ、ミホに見ていてほしかった。
 見た事のない感情を向けてほしかった。
 ……頼って、欲しかった。
 その為にどうすればいいのか、それが分からなかった。
 だから、安易な方法を選んだ。
 憎んで、嘆いて、絶望して。負の感情でもいいから、俺だけに向けてもらえるなら、何でも良かった。
 だけど、それで? どんな結果になった?
「うわああああああ、あああ、ああああああああっ!」
 息を吸う事も忘れ、ただ叫ぶ。
 目を開けない。
 動かない。
 息をしていない。
 その事を、理解したくない。
 動かなくなった。
 俺がそうした。
 ……俺が、殺した。
「うわあああっ! ああ、ああああああああああっ!」
 考えたくない。
 理解したくない。
「……じ……あんじ」
 叫びすぎているせいだろうか。
 幻聴が聞こえる。
 景色が歪む。
 全てが粒子化し、消えていく。
 腕の中にいるこいつも、そして俺自身も。
 ひどい頭痛がする。
 眩暈もする。
 耳の奥で甲高い音が鳴り響き、世界がぐらぐらと揺れて、終わる。
 救いなのか、それとも更なる絶望か。どこか遠くで、ミホの声が聞こえる。
 呆れたような、怒っているような、そして少しだけ不安げな声が……

「ちょっと闇爾!」
「……え?」
「ちょっと大丈夫? 何か、物凄くうなされてたけど」
 パシン、と頬に軽い衝撃を感じ、俺の視界が安定する。
 それまで闇の中にいたせいだろうか。まだ開いていた瞳孔は急激な光に耐え切れず、思わず顔をしかめてしまう。
 ようやく光に慣れた頃、俺の頬を張った存在の顔が像を結んだ。
 そこにあったのは良く知る顔。
 不遜で不敵で、小生意気な悪友……白鳥ミホが、どこか心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。
「……ミホ……お前、生きて……?」
「は? 大丈夫、あんた? 悪夢でも見た? って言うか何をベタベタ触ってるのよ、気色悪い」
「夢……?」
 反射的に彼女の頬に触れ、その温かさを実感する。
 それが不快……と言うか、普段ならやらない俺の行動に困惑しているらしい。ぱしりと俺の手を払い除けると、はあ、と呆れたような溜息を吐き出した。
 夢の内容は……正直、よく覚えていない。ただ、夢の中でミホが…………考えたくもない事だが、「死んだ」……いや、「殺した」という事だけは、強烈に覚えている。
 そしてその「事実」に、どうしようもない程の虚無感と絶望感を覚えた事も。
 思い出しただけでも、体が震える。恐怖と言うより、後悔の念が強いかもしれない。
 何でこんなことを思うのか、自分でもよく分からないが。
「……なあ、ミホ」
「んー?」
「お前は、死ぬなよ」
「……大丈夫? まだ寝惚けてる? 私が、そう簡単に、死ぬとお思いですかー?」
 真剣に言った俺とは対照的に、ミホはぐい、と俺の両頬をつまみ、横に引き延ばす。
 力はそんなに籠められていないが、それなりに痛い。
 痛いからこそ、夢じゃないと思える。
「私は、姉さんの分まで生きないといけないの。だから、何をしたって死んだりしない。そうでしょ?」
 じっと俺の目を見て、ミホははっきりと言い切った。
 ああ。うん。やっぱり俺、こいつの強がってる部分が好きかもしれない。
 悲しいのに、強がって強がって……そしてその「強がり」を「真実」に変えてしまう前向きさは、正直に言って羨ましい。
 俺には、そんな前向きさはないから。
「それに、仮面ライダー裁判に勝ち残るって目標も出来たしね」
「あ……そう言えば、まだ脱落者は出てないんだったな」
「……大丈夫? 本気で寝ぼけてる? 何なら今すぐあんたのデッキ破壊してあげようか? 最初の脱落者になれるわよ」
「やめろ。……俺は、兄貴の無罪を勝ち取るって目的があるんだから、破壊されたら困る」
「安心しなさい。あんたは最後に潰したいと思ってるから。それまでは手は出さないわよ」
「安心する要素、どこにもないな」
 にぃと悪人めいた笑みで言ったミホに、俺は軽く苦笑を浮かべて返す。
 夢の中のような喪失感を味わいませんようにと、心の中で願いながら。

 記録番号、BW4号-保。仮面ライダー裁判三十二例目、マスコミが作り上げた俗称は「白鳥の湖殺人事件」。
 被害者は白鳥 ミキ、享年二十四。
 顔を除いた全身、計三十四箇所を、鋭利な刃物で刺され死亡。被害者は事件があったと思われる翌日、付近を散歩中であった男性によって遺体で発見された。
 発見現場が湖の近くであった事から、先に述べた俗称が付けられたものと推察する。
 警察の捜査によって、被害者の婚約者、緋堂 暁が被疑者として浮上。凶器であると推察されるナイフを所持していた事から、逮捕、起訴に至る。
 犯行の残虐性、話題性などから、当案件は通常の裁判ではなく、「事件関係者による判決」を下す事が決定。事件関係者より十四名を選定し、「戦闘による判決の奪い合い」を開始した。
 現在、残っている「裁判員」は十四名。
 それぞれの主張を賭けた戦いは、まだ始まったばかりである。


「一体、いつまで続くんでしょうね、この裁判は」
 薄闇の中、証言台に立った男がやや呆れた声で言う。左右で異なる色の瞳は、しっかりと前……誰もいない判事席へ向けられていた。
「彼女は、あと何回『死』を経験すれば、終わるんです?」
 誰もいない裁判所で、何者かに語りかけるその姿は、どことなく一人芝居をしているように見える。
 だが、彼は知っているのだろう。この場には誰もいなくとも、自分の声は、そして姿は、この裁判所に設置されたカメラを通じて、「運営する者達」に届いている事を。
 だからこそ、彼の動きがますます芝居がかる。人に魅せるための動きを、無意識の内に取っているせいで。
「やり直しは、いつも彼女の……白鳥ミホの『死』が引き金だ。その全てが『ミラーワールドが引き起こす弊害』のせいで起こっている。いっそ選定前まで戻して、彼女を裁判員から外してしまえれば、と思いますよ。あるいは、事件そのものを『なかった事にする』か」
 そう言うと、彼はいったん言葉を切る。
 返ってきた沈黙に、しかし彼は何かを感じ取ったのか。苦笑をその顔に浮かべると、やれやれと言いたげに首を横に振る。
「分かっています。そのどちらも出来ない事くらいはね」
 何事にも、限度がある。彼が口にした願望は、その「限度」を超えた物だ。
 それは理解している。理解しているが……それでも、やはり思う。どうして彼女がいつも犠牲になるのだろうかと。
「ハッピーエンドで終わってくれ、なんて贅沢は言いません。人が一人亡くなっているんだ。どうやったって『ハッピー』では終わらない。それでも、僕は終わりを願うんです」
 ぎゅう、と。「運営する者達」から渡された、金色のデッキケースを握りしめながら。
 彼は祈るように呟きを落とす。
「……この裁判の終わりを、願うんです……」

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