短編集

Negative for Negative

 いつからだっただろう。
 この世界の支配者が、「人間」から「モンスター」に代わったのは。
 モンスターは人間を駆逐し、そのモンスターを支配する存在は「仮面ライダー」として、この世界のバランスを管理、支配していた。
 この世界に残された数少ない人間は、モンスターの影に怯え、ライダー達に見つからぬ様、ひっそりと暮らしていた。
 ライダー達の中でも、リーダー格の男がバイオリンケースを携えた男、「紅音也」……ダークキバ。
 その部下には、リュウガ、ダークカブト、オーガの三人がいる。
 彼等に見つかれば、人間は確実に粛清されるだろう。
 これは、「通りすがりの仮面ライダー」が現れる、ほんの少し前の……人間の為に裏切った、一人の「仮面ライダー」の話……


「人間は、全て粛清する」
 必死の形相で逃げる少女の背に、非情な宣言が放たれる。
 言葉の主は「四天王」の内の一人、リュウガ。漆黒の鎧を身に纏い、姿は龍を連想させる。
「せめてもの慈悲だ。苦しまずに……殺してやる」
 言葉とは裏腹な楽しげな声に、少女はビクリと体を震わせた。
 純粋な、恐怖。
 それだけが、今の彼女に許された感情だった。
 理解している。
 この世界にいる以上、ライダーに見つかれば消される運命しか待っていない事くらいは。
 それでも、生きていたいと願うのは、生物として当然の本能だろう。
「私は……死ぬ訳にはいかない……っ!」
「無駄だ。お前はここで死を迎える」
 いつの間に構えられていたのか、リュウガの手に握られていた剣が、少女の頭目掛けて振り下ろされようとした、まさにその瞬間。
「させるかタァコ!!」
 別方向から声が響くと同時に、飛んできた剣の刃先が、リュウガの剣を弾き飛ばす。
「何!?」
「俺サマ、推参ってな。はっ、今の攻撃はちょっとばかり予想外だった……ってかァ?」
 驚くリュウガに向かって皮肉気に言ったのは、やはり仮面ライダーだった。黒いスーツに銀の鎧、顔に張り付く面は、禍々しい紫色で桃のような形をしている。
「……貴様か、ネガ電王」
 視線を少女から仮面ライダー……ネガ電王に移し、リュウガは憎しみを隠そうともせずに吐き捨てる。
 見られた方は不敵な様子で剣の平の部分で肩を軽く叩き、小ばかにした態度でリュウガの方を見やっていた。
 彼らの視界に、もはや少女の姿など映っていない。互いに互いしか見えていない気がした。
「どうするよ、リュウガ? まさか俺サマ相手に一人で戦おうってんじゃねーよな? 言っとくけど、テメェが武器召喚するよりも、俺サマがテメェを撃つ方が絶対ぇ速いぜ?」
 剣型に組まれていた武器は、いつの間にか銃の形に変化。その狙いはリュウガの腰の部分……彼の力の大元ともいえるカードデッキに向けられていた。
「……ちっ……」
 返す言葉も無いのか、リュウガは小さく舌打ちをすると、そのままくるりと踵を返し……忌々しげな声でネガ電王に向かって捨て台詞を吐く。
「貴様、今に粛清されるぞ」
「……承知の上だ、バァカ」
 自身に背を向けるリュウガに、下品にも中指を立てながら言葉を返し……相手の姿が見えなくなると同時に、彼は腰のベルトを外した。
 そこには、人間と寸分違わぬ姿。後ろで括られた長い真っ赤な髪に、一筋だけ存在する黒。瞳の色はネガ電王の仮面と同じ暗い紫。黒縁眼鏡が、口調に似合わずどこか知的な雰囲気を感じさせる。
 変身を解くと、彼は疲れたような溜息を一つ吐き出し、自分の後ろで未だ座り込んでいる少女に声をかけた。
「オイ、怪我、ねぇな?」
「……はい」
 ネガ電王だった男の問いに答えながら、少女はゆっくりと頷く。だが、彼女の言葉を信じていないのか、男は彼女の様子をしげしげと眺めだす。
「あの……?」
「確かに、見た目大きな怪我はなさそうだな。けど、擦り傷や打ち身が多いな。逃げた時に出来た物だろうな……女の子なんだから、無理すんな」
 泣きそうな、心底労わっているかのような視線を彼女に向け、男はそっと手を差し出す。まるで、自分に掴まれと言わんばかりに。
 それに対して、僅かに彼女は躊躇する。
 自分は「人間」であり、彼は「仮面ライダー」だ。仮面ライダーは人間を粛清する存在で、自分達の敵……そのはずだ。
 そんな彼女の考えが伝わったのか、男は困ったような笑みを浮かべ、左手でカリカリと自分の頬を掻く。
「あー、そうだよな。俺もライダーだもん、信じられねぇって思うのは当然だよな」
「あ……ごめんなさい、助けてもらったのに……」
「良いよ。俺がライダーなのは事実だ。人間に怖がられるのも当然だろ?」
 あっけらかんとした表情とは裏腹に、瞳は凄く傷付いているように見え、彼女は申し訳なさそうな顔を浮かべて男を見つめる。
 どういう理由であれ、彼は自分を助けてくれたのだ。礼を言いこそすれ、疑うのは良くなかったかもしれない。
「あの、改めてありがとうございます。えっと……」
「俺サマはネガ電王。もっとも、この姿の時は祢雅ねがリョウタロウって名乗ってるけどな」
「……センス、ないですね」
「るせぇ、放っとけ」
 自分でもセンスのなさを自覚しているのか、軽く眉をしかめて男……祢雅はふいとそっぽを向く。その様子が、まるで子供のようで……少女はクスクスと思わず笑ってしまった。
「~~~~っ!! 笑うなっ!」
「す、すみません。あまりに子供っぽかったので……つい。フフ……」
 笑っちゃいけないとは分っているが、耳まで真っ赤になって拗ねる祢雅は、彼女には可愛らしく見えて……凄く久し振りに、腹の底から笑った気がした。
 モンスター達が現れ、支配を強いるようになってからと言うもの、彼女の目の前で繰り広げられる光景は悲惨な物だった。
 仲間は次々と殺され、最後に残った仲間も、敵……仮面ライダー達の「宝」を奪い、自分に託してその息を引き取った。残された彼女は、その「宝」を連中に渡さないようにするためにも、常に気を張り詰め、逃げ回っていた。
 ……笑うような精神的な余裕など、なかった。それが……目の前にいる「仮面ライダー」であるはずの男の出現で、張り詰めていた空気が和らいだ気がした。
 普通なら、信じてはいけないはずなのに、何故かこの祢雅と言う男は彼女の信用をいつの間にか得ていた。出遭って、ほんの少ししか経っていないと言うのに。
「差し支えなきゃ、お嬢さんの名前も聞かせてくれないか?」
「……何故です?」
「いや、下心はない。純粋に、俺サマを護衛に雇わないかって話。俺サマ、仮面ライダーの中でも裏切り者だからな」
 あっけらかんと言い放った祢雅の言葉に、思わず少女はきょとんと目を見開く。
 仮面ライダーは、この世界の支配権を担っている存在だ。それをあっさりと裏切ったと言い切り、あまつさえ処分の対象である人間を守ろうなどと言う。
「あなた、変わってます」
「変わり者じゃなきゃ、ライダーを裏切ろうなんざ思わねぇだろ?」
 ニヒ、と笑う祢雅につられ、思わず少女も笑う。
 彼は、どうやら他人を惹きつける何かを持っているらしい。完全に、と言う訳ではないが、ある程度の信頼は出来るかもしれない。
 そう思い、少女はそのつられた笑顔のまま……
「私は、夏海です。光夏海」
「光か……この闇の世界に差す、一条の希望。良い名だ、気に入ったぜ、お嬢さん」
 夏海の名を聞いて、祢雅はまたしてもニヒと笑いながらそう言った。

「そもそも、何故彼らは人間を抹殺しようとしているのでしょう?」
 どこかの廃工場……祢雅の根城らしい……に到着するや否や、夏海は彼に問いかける。
 仮面ライダーである彼なら、その理由を知っているかもしれない。そう思ったからだ。
 一方、問われた方は二人分のコーヒーを用意しながら、夏海の方を見向きもせずに言葉を紡ぐ。
「……あいつらは、人間が怖ぇんだよ」
「え……?」
 思いもしなかった言葉に、夏海は驚いたような声を上げる。
 人間が、怖い……その意味がよく分らない。
 モンスターである彼らの方が、人間よりも力がある。人間など、取るに足らない存在のはずだ。それなのに、怖いとはどういう意味なのだろう。
「知識の面で、人間とモンスターは非常に近い。そうなるとな、『寝首をかかれるんじゃないか』って思って冷や冷やする……つまり、疑心暗鬼って奴だな。馬鹿らしい事だけどよ」
「……そんな事、ありえません!」
「どうかな? 実際、ホモ・サピエンス・サピエンス、つまり今の人間の始祖は残ったが、それに近い類人猿だったホモ・ネアンデルタールシスは滅んだ。……何でだと思う?」
 出来上がったコーヒーをカップに注ぎながら、今度は祢雅が夏海に問う。
 進化の過程で人間が残り、類人猿が滅びた理由。
 単純に考えるなら、類人猿は環境の変化に適応できなかったから、と考えるのが妥当なところだ。だが……祢雅の言いたい事は、恐らく違う。
 誘導尋問のような問いだが、今の状況を考えれば答えはこうだろう。
「人間が、自分達に近い存在である類人猿を恐れて、駆逐した……って事ですか?」
「多分、な。そうじゃなきゃ、良く似た連中が環境の変化如きでぷつんと滅びるとは思えない。……ほらよ。アメリカンだが、豆達の仕事した結果だ。味わって飲め」
 差し出されたコーヒーは、確かに色がとても薄いが、香りも良いし味も程良い。
 無意識の内に緊張が解れ、夏海の体から適度に力が抜けるのを感じた。
「肩肘張ってても、何も良い事なんざねぇ。リラックスできる時は、思い切り力を抜いちまいな。人生、メリハリって大事だぜ?」
「……そう、ですね」
「つっても、こんな色気のねぇ場所でリラックスもへったくれもねぇだろうけど。悪ぃな」
 ニヒ、と笑う祢雅に、夏海も柔らかい笑みを返す。
 そう言えば。
 どうしてこの男は、仮面ライダーでありながら人間を守るような事をするのだろう。確か、「仮面ライダーの裏切り者」と言っていたが……
 それを問うて良いのかわからず、夏海の手がぴたりと止まる。
 その仕草を勘違いしたのか、彼は慌てたように夏海の顔を覗き込み……
「お、おい、どうした? コーヒー、不味かったか?それとも変な物でも入ってたか?」
「あ、いえそういう訳じゃなくて。ただ、不思議に思ったんです」
「……俺サマが連中を裏切った理由、か?」
「よく分りましたね」
「それ位しかねぇだろ、不思議に思いそうなモンって」
 困ったような、だけどほっとしたような奇妙な表情を浮かべ、祢雅は夏海の前に座る。
 やはり、聞いてはいけない事だったのだろうか。
 夏海がそう思うより先に、祢雅は特に気を悪くした風でもなくニヒ、と笑い……
「うーん、そうだな……強いて言うなら、これ、かなぁ?」
 言いながら、祢雅が指し示したのは手元にあるコーヒー。そしてそれを見つめる彼の瞳は、とても穏やかだった。
「俺サマだって、昔はその辺のライダーと同じ、人間を見つけては殺しまくる最低なヤローだった。その時は、人間を殺すのが当たり前、この世界はモンスターとライダーの管理する物……そう思ってた」
 言いながら、彼の目が険しくなる。
 どうやら昔の自分に対して嫌悪しているのだろうと、夏海には理解できた。
 それでも声をかけないは、彼の懺悔にも似た言葉を聞きたいと、自分から願ったせいかもしれない。
「だけどさ、ある人間が、ライダーである俺サマの姿を見ても、動じない所か……俺サマに、水筒に入ったコーヒーを差し出しやがった。『疲れてるみたいですね』とか言ってさ。正直、馬鹿じゃねーのかって思ったんだけど……何でかなぁ、変身を解いて、それ、飲んでみたんだ。実際、働き詰めで疲れてたし、相手は『所詮人間』だしって」
「分りました。そのコーヒーがとても美味しくて、それで改心したんですね」
「んにゃ。逆。そいつのコーヒーがすっげー不味くてなぁ。疲れだけじゃなくて、意識まで吹っ飛びそうな不味さだったんだよ。いや、アレは流石に俺サマもびっくりした。殺してやろうかって気も失せる位」
 その時の事を思い出したのか、祢雅は楽しそうにクスクスと笑う。
「あまりの不味さに、思わず俺サマ、その場でそいつを正座させて大説教。別にコーヒーに煩い訳じゃなかったんだけど……」
 そこまで酷かったのか、と夏海は心の中でツッコミを入れるが、楽しそうな祢雅の顔を見てそれを声に出すのは控える。
 恐らく、彼にとってはとても楽しい思い出なのだろう。
「で、聞いてみたら、そいつの夢は人間、モンスター、ライダー問わず美味しいと言ってくれるコーヒーを淹れる事だって言うんだよ。思わず、『アホかテメェはっ!』ってツッコんだ後、『見逃してやるから修行して出直せ!』って怒鳴ってた」
 多分、次に期待してたんだろうなぁと付け足し、彼はカップの中のコーヒーを飲み干す。その顔には、苦笑が浮いており、目元にはうっすらと涙が浮いている。
「……亡くなったんですか、その人」
「……ああ。俺に会いに来たらしくてな水筒持ってこっち向かって走ってきた所を、ダークキバ、音也のヤローにバッサリと、な。水筒の中身は……多少進歩してたけど……涙が止まらない程不味いコーヒー」
 自分の目に涙が浮いている事に気付いたらしい。祢雅はそれが零れ落ちぬよう、ぐっと上を向いて言葉を続ける。
 その声は、震えていて……泣き出しそうなのを必死に堪えているように聞こえた。
「そン時からかなぁ……人間も、モンスターも、ライダーも、同じなんじゃないかって思うようになっちまってさ。俺が殺しちまった命は戻らねぇし、罪は消えねぇけど……せめて、あのヤローの夢であるコレだけは、叶えてやりてぇかなって思って。そしたら、いつの間にかライダーを裏切ってた」
 涙を堪えきったのか、僅かに目頭は赤かったが、彼はニヒ、といつもと同じ笑みを浮かべ、夏海を見やる。
 ……人間も、ライダーも、モンスターも同じ。
 一体、そう思える存在はどれだけいる事だろう。少なくとも夏海にはそうは思えない。
 ライダーに殺された仲間、モンスターに成り代わられた家族、そう言った物が存在する以上、同じとは到底思えなかった。
「考え方ってのは人ぞれぞれだから、強制はしねーよ。こんなご時世だ。お嬢さんがモンスターやライダーを憎むのだって当然だしな」
 ポン、と夏海の頭に手を置き、そう言った瞬間。
 祢雅の笑顔がすぅっと消えた。
 その表情を、夏海は何度か見た事がある。ライダーが人を抹殺する時に見せる表情だ。
 そう理解すると同時に、彼女はその身を強張らせ、祢雅から離れようともがく。が、それよりも一瞬だけ早く、祢雅は夏海を抱きかかえると人間では到底不可能な距離を飛び退り、その廃工場から出る。
 瞬間、どぉんと言う爆音と、僅かな熱風、そして衝撃が夏海の体を祢雅越しに襲った。
 祢雅が自分を守ったのだと理解するのに、数秒を要し、夏海はそうだと気付くとはっと彼を見上げた。
 無数の傷と、彼の浮かべる無表情が怖い。
「お嬢さん、逃げろ」
「え?」
 感情らしい感情を感じさせない声で、祢雅は夏海にそう言葉を放つ。
 彼の肩越しに見えるのは、バイオリンケースを手から提げ、その周囲に黒い拳大の蝙蝠を従えた男の姿。この世界の管理者の中でも、最高位に位置する存在……紅音也だ。
「おいおいどうした? お前も管理者だろう? 仕事を放棄するのは、頂けないぞ?」
「……悪ぃな、俺サマ他人に縛られんのは大っ嫌いでね。どっちかってぇと、エスなモンで」
「気が合うな、俺も束縛するのは好きだが、束縛されるのは嫌いだ。特に、わずらわしい事に束縛されたくは、ない」
「だったら見逃しちゃぁくれないモンかねぇ? 俺サマ、別に敵対する気じゃないんだけど? ただ、守備範囲が他の連中より広いっつーだけで」
 言いながら、二人はそれぞれ変身する準備を整えている。
 祢雅は腰に銀のベルトを巻き、黒いパスケースを右手に持っている。
 一方の音也は既に黒い蝙蝠……キバットバット二世を構え、いつでも噛み付かせる事ができるようにしている。
 祢雅は、音也に対して虚勢を張っている。それは、じりじりと無意識の内に下がっている彼を見れば分る。
「そうだな……お前の後ろにいるその女性を殺す事ができたら、今までの事は不問に処しても良い」
「……それはまた、寛大なお心遣いなこった」
「当然だ。俺は同族には心が広い」
 祢雅の皮肉にも、余裕からか音也は大仰なポーズを取りながら優しげな声で語る。
 それが返って気味悪く感じられ、夏海は思わずぞくりと体を震わせた。
「……なあ、お嬢さん」
 顔だけをこちらに向け、祢雅は夏海に向かって声をかける。
 音也からは、彼の表情は見えないだろう角度。
 向けられた祢雅の表情は……驚くくらい、穏やかなものだった。
「俺が変身したら、即座に逃げろ。何があっても振り向くな。全力で走れ。いいな?」
「え?」
「い・い・な?」
 有無を言わさぬ口調に、思わず頷いた夏海に、満足そうな笑みを返し……祢雅は音也の方に向き直ると、ひょいと肩をすくめ、言葉を放つ。
「と、言う訳だ。俺サマはこのお嬢さんを殺さない。言ったろ? 『他人より守備範囲が広い』って」
「そうか。なら……お仕置きの時間だな」
 祢雅の言葉を聞くと同時に、音也の表情が消える。対照的に、祢雅はニヒ、と笑い……
『変身!』
 二人の声が重なり、それぞれの姿が変わる。
 それを見届ける事もせず、夏海は彼に言われた通り、一目散に駆け出した。
――なあ、夏海。俺が変身したら、即座に逃げろ。何があっても振り向くな。全力で走れ。いいな?――
 彼は、初めて自分を「お嬢さん」ではなく「夏海」と呼んだ。その彼が、振り向かずに走れと言ったのだ。泣きそうになりながら、それでも夏海は真っ直ぐ、人気のない方へと走る。
 自分の背後で、祢雅の……ネガ電王の絶叫が聞こえても、そして爆発音が聞こえても。
 どれくらい走ったのか、酸欠による眩暈と疲労による足の痛みに襲われながら、それでも彼女はよろよろと走り……
「おっと、そこまでだ」
 目の前を、黒い影に塞がれた。
 ……オーガとダークカブトだ。
「あ……っ!!」
「お前が盗んだ物を、返してもらおうか」
 真っ直ぐに伸びてくるオーガの手に、今度こそ終ったと夏海が感じた瞬間。その手が、銃弾のような物に弾かれる。
「させるかタァコ!!」
 ……その言葉、その声に、夏海は聞き覚えがあった。
 そんなはずはない、ここにいるはずはないと思いながらも、その声の方向を見やる。するとそこには、ボロボロになりながらも銃型に組み上げた武器を構える、ネガ電王の姿があった。
「貴様……ダークキバに粛清されたはずでは!?」
「俺サマ、推参。ヒーローは不死身なんだよ、そんな事も知らねぇのか、三下の悪役君?」
 言いながら、ガシャンガシャンと武器を銃からロッドに組み直し、構えるネガ電王。その気迫は、ボロボロとは思えない程圧倒される物で……思わずオーガとダークカブトも一歩退く。
 その瞬間を見逃さず、ネガ電王は一気に二人との距離を詰めると、ダークカブトの方にロッドを投げ、その動きを拘束する。そのまま大きく飛び上がると、まずはダークカブトに向かってロッドごと蹴り抜き、瞬時に回収したロッドをアックスに組み直すとオーガに向かって縦二つに切り裂いた。
「がっ!?」
「ぐぅっ!」
 二連続の必殺技の後、ダークカブトとオーガは低く呻き…チィ、と軽く舌打ちをすると、そのままその姿をくらました。
 恐らく、受けたダメージの大きさから、これ以上の戦闘は不利と判断したのだろう。
 完全に気配がなくなったのを確認すると、ネガ電王は己のベルトを外し……がくりとその場に膝をついた。
「祢雅さん!?」
「な……何とか、無事、みてぇだな」
 駆け寄る夏海に、祢雅はニヒ、と笑顔を向ける。だが、その笑顔は弱々しい。彼の命の灯火が消えかけている事が、すぐに分った。
 たった一瞬の関わりだったにも関わらず、それが何故か辛くて……思わず夏海の瞳から、一粒の涙が零れ落ちた。
「泣くな、お嬢さん。……今までのツケが回ってきた、だけなんだから、さ」
 彼女の涙をそっと拭い、笑顔を消さずに祢雅は囁くように言う。
 その体が、徐々に砂のようになっていく。支える夏海の指の間からは白い砂がザラザラと零れ、祢雅の輪郭がぼんやりと薄らいでいった。
「ああ。時間、らしいな」
「祢雅さん、駄目です! まだ、人間もモンスターもライダーも、美味しいと思えるコーヒーを淹れられていないじゃないですか!」
「そーしたいのは山々なんだけどなぁ……音也のヤローに、派手にメーカー、ぶっ飛ばされちまった」
 困ったように笑いながら、祢雅は夏海の顔を撫でる。
 逃げる時に付いたらしい泥を拭おうとしているのだろうが、いかんせん既に指先は砂となって消えている。
 その事に気付くと、祢雅は一瞬だけ悔しげに眉を顰め……そしてまた、普段のようにニヒ、と笑う。
「悪ぃ。お嬢さんの綺麗な顔、汚しちまった」
「そんなの、別に良いです!」
 ぽろぽろと零れ落ちる涙を止める事もできず、夏海はただ、自分の足元に溜まっていく白い砂に目をやる。
 祢雅と呼ばれる男の体を構成していた物。
 この世界の住人でありながら、人間とモンスターとライダーの共存を望んだ者。
「お嬢さん、お前さんは、何が何でも逃げろ、よ」
「……え?」
「アンタの持ってる物、は……連中にとってはお宝で……同時に、超がつく位危険な物、なんだよ。だから、渡すな。お前が信じた奴以外には……さ」
 真剣な声と眼差しで言われ、夏海はやはり気圧された様にこくりと頷いてみせる。
 それを見て安心したのか、彼はふぅ、と深い溜息を一つ吐いて…
「なあ、頼み、あるんだけど」
「……何ですか?」
「俺サマが完全に死んだらさ……俺サマのパス、ぶっ壊してくれない?」
 既に両手も両足も砂と化し、残った顔で地に落ちたパスを指しながら、彼は懇願するように夏海に言う。
「なんで……?」
「アレが、残って、た、ら……別の、奴が『ネガ電王』に、なる。俺は、それは……嫌、だ」
 もはや言葉も上手く操る事が出来なくなってきているらしい。途切れ途切れに放たれた言葉は、未来を案ずるものだった。
 その意思を汲み、夏海はこくこくと黙って首を縦に振る。それを見て安心したのか、祢雅は初めて「にっこり」と笑い……
「頼んだぜ……夏海」
 最後の最後で、祢雅と名乗ったその男は、夏海を「お嬢さん」ではなく「夏海」と呼び……そして、完全に砂となって果てた。
 綺麗な笑顔を、夏海の網膜に焼き付けて。
「……ずるいです。祢雅さん。格好つけるだけ格好つけて」
 グイ、と涙を拭い夏海は残された白い砂と共に黒いパスケースを拾い上げると…懐に持っていた銃を抜き、それに向かって何発も弾丸を撃ち込んだ。
 二度と誰も、このパスを使って「ネガ電王」になれないように。

 そしてその数時間後。彼女は出会う事になる。
 この世界によく似た場所から来た、能天気な「自分自身」と……自分が持つ宝を渡すに相応しい存在に。

 ここは「ネガの世界」。人間やライダーの関係が反転した、忌まわしき世界……
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