生者の墓標、死者の街
【その5:未知邂逅 ―ナニカ―】
「あなたは、いつになったらお目覚めになるのですか……?」
闇の中、灰色の異形が女の声で呟く。その姿は、どことなく海老を連想させる。
その目の前には、同じ体色の異形が横たわっており、目覚める気配は全くない。
「あなたのお目覚めを、心待ちにしている数多の同志がおりますのに」
呟く異形はロブスターオルフェノクと言う。
かつては、影山冴子と言う名の人間であったが、オルフェノクとして覚醒後に上級オルフェノク集団である、ラッキークローバーのメンバーとなり、人間と言う種をを見下し、オルフェノクの世を築こうと画策した存在。
そして、覚醒したオルフェノクの王……今は目の前に横たわるアークオルフェノクに忠誠を誓い、人間である事を完全にやめ、オルフェノクとしての不死を得た。
だが、全てのオルフェノクに祝福を与えるはずの王は、覚醒したばかりの頃にファイズ、カイザ、デルタの三人と、それを手助けしたスネークオルフェノクによって「死亡」させられた。
「あなたは死なない。そうでしょう?」
もう、何年この台詞を言い続けて来ただろう。
その「亡骸」をこの場所に運び、慈しむ様に、崇める様に、王にひたすらそう語りかけていた。
オルフェノクの王は不死身である。
……その伝承を信じて。
現に、本当に死亡したオルフェノクは、その身が灰と化し、崩れ、消える。しかし、今目の前にある王の「亡骸」は原形を保ったまま、灰化する気配など微塵もない。
王の目覚めを乞い焦がれると同時に、彼女の胸にはもう一つ、王をこんな目に合わせた者達への憎しみもまた、降り積もり固まっていく。
王の祝福を受けていないオルフェノクが、いつまでその強大な力に耐えられるかは知らないが、もしも、万が一、まだ生きているのなら。
自らの手で八つ裂きにし、ありとあらゆる地獄を味合わせたい。
ゆらりと、彼女の瞳の奥に、狂気にも似た憎しみの炎が揺らめいていた……
スマートブレイン社、社長室。
園田真理は、自分の横に立つ秘書に、何の気なしに目を向けた。
「どうかしましたか?」
「あの……琢磨さんは、後悔していないんですか?」
「何を?」
真理の問いに、琢磨、と呼ばれた秘書は、眼鏡の奥の瞳を光らせながら問い返す。
彼の名は琢磨逸郎。
かつての彼は、ラッキークローバーの一員であり、その高慢さ故に人間を見下し、人類はオルフェノクに支配されるべきという考えに同調していた存在である。
ムカデの特性を持つ、センチピードオルフェノクであり、人の姿のままでも光弾を放つ事が出来る程の力の持ち主である。
「色々と。オルフェノクの王に忠誠を誓わなかった事や、今の……私の秘書をやってる事とか」
「……僕は臆病だから。やっぱり人間を捨て切れなかった」
同じラッキークローバーのメンバーだった、ロブスターオルフェノク……影山冴子とは違い、彼は結局、覚醒したアークオルフェノクの「祝福」が怖くなり、直前で逃げ出した。
……オルフェノクは、その存在自体に無理がある生物であった。
人類の進化した存在。それがオルフェノクと呼ばれる存在である。
だが、その進化は急激過ぎた。唐突に得られた強大な力に、その心は飲み込まれ、溺れ、そして自らの体をも崩壊させていく。
……ヒトの体は、オルフェノクの強大な力に耐え切れなかったのだ。
アークオルフェノクの「祝福」を得なければ、やがて体の方がその力に耐え切れず、自然に灰化、崩壊してしまう。
だが、王の「祝福」を受けるという事は、完全に人間でなくなる事でもあった。
……琢磨は、それが怖かったのだ。
人間としての姿を失う事も、そして心を失う事も。
かつての自分は、本当に傲慢だったと思う。
オルフェノクとしての力も強力で、知性だって兼ね備えてる。人間という、惰弱な存在から脱却したのだと、それを誇らしく思っていた。
……だけど、本当は自分を認めて欲しいだけだった。
いらない存在だと思われたくない、皆に自分を認めて欲しい、自分の事を見て欲しい。
……そう、思っていた。
だが、プライドが高い事と傲慢である事は違う、と今なら分かる。
オルフェノクの王が倒れ、自分が選んだのは人間として生きる道。その為に、色々な仕事をした。
最初は工事現場で見習いをやっていた。何度も失敗して、その度に親方から怒られて、先輩からも怒鳴られた。
その度に、何度殺してやろうかと思った事もある。人間如きが、オルフェノクにたてつくなど、と。
だが、その思いはグッと堪え、必死に働いた。
働いて、働いて、薄かったけど給料ももらえて。そして、怒鳴ってばかりだった親方や先輩達に褒められた時、それまでに味わった事のない充実感と幸福感が、彼を満たした。
そしていかに自分がちっぽけな事に拘っていたのかと……それまでの自分に対して泣きたい気持ちにもなった。
「……僕は、今の仕事が好きですから。人とも触れ合えるし、何より、誰かのために働いてるって、実感できる」
真理が社長に就任してから、ずっと取り組んでいる仕事がある。
……オルフェノクの、自然崩壊を止める研究だ。
D&P社の出したライフエナジーに関する研究に協力するのも、全てはそのため。
「そりゃあ、僕だって、死ぬのは怖いです」
言いながら、琢磨は自らの左手を見る。
うっすらと……だが確実に、その手の灰化が進んでいる。肌色は薄れ、濃い灰色に染まった手を見る度、自身の寿命が近い事が、嫌でも自覚させられる。
「だけど……何も出来ずに死ぬ方が、もっと怖いって……気付きましたから」
にこり、と。以前の彼からは想像できないような、穏やかな笑顔でそう言い、琢磨は真理の方を見る。
その姿を一瞬だけ、オルフェノクの姿に変えて。
「……まだ、死ぬって決まった訳じゃないんだから、弱気にならない!」
「……はい、社長」
キッと琢磨……センチピードオルフェノクを睨みつつ、言い放つ真理。
……琢磨は……そして今この社で働くオルフェノクの面々は、そんな彼女だからこそ、彼は信頼し、ついていける。
オルフェノクに対して偏見を持たず、人間に対して絶望もしていない、彼女だからこそ。
「大体、元はと言えば巧がサボるから、私が社長になんかに就任しちゃってるんじゃない!」
苛々ついでに思い出したのか、ぶすりと頬を膨らませ、真理は唐突に愚痴を吐き出す。
最初は、このスマートブレインの社長に、乾巧……ウルフオルフェノクを推す声が多かった。しかし彼は、面倒の一言でそれを斬り捨て、結局の所色々面倒を見ていた真理が社長代行……ひいては社長にまでなってしまったのである。
「自分の事なのに、何であんなにやる気がないのよ……」
「別に、生き延びたいとは思わねーし」
真理の声に返すように、社長室の扉が開くと、面倒臭そうな色を湛えた声が響いた。
現れたのは二十代後半くらいの青年。その後ろには、もう少し年上らしい、蛇皮のジャンバーを着た男が、チューインガムをぷぅと膨らませている。
「巧。それに海堂さんも。どうしたんですか?」
「別に。ただよぉ……ま~だ人間を襲う馬鹿共がいたって事を伝えに来たんだけど……」
はあ、と盛大な溜息を吐きつつ、蛇皮ジャンバーの男……海堂直也は呆れたような口調で言う。
未だ埋まらぬオルフェノクと人間の溝。
最近になって覚醒したオルフェノクは、完全に人間を軽視しており、見境なく襲っているという話も聞く。
「……そうなんだ、まだ……」
悲しそうに目を伏せ、真理は小さく呟く。
人とオルフェノクは共存できる。そう信じているのに、実際はなかなか歩み寄らない。
そんな真理の様子を、もう一人の男……乾巧は、どこか苛立った様に見つめていた。
巧も海堂も、オルフェノクである。しかも巧に至っては、かつてファイズと言う名の戦士として、人に害をなすオルフェノクと戦っていた。
無論、この場にいる琢磨とも、戦った事がある。
……そして、オルフェノクの王を倒した、主力でもある。
狼の特性を持つ、ウルフオルフェノクであるが、滅多にその姿になる事はない。一時期は体の崩壊が始まり、オルフェノクの王と戦っている時も、いつ崩れ去ってもおかしくない状況であった。
今でこそ、その体の崩壊は止まっている物の、いつまた崩壊が始まり、本当の死を迎えるか分からない。
一方の海堂は、蛇の特性を持つスネークオルフェノク。
性格は露悪的と言うか偽悪的、オルフェノクでありながらも、最も人間臭い印象の男である。
かつてはアコースティックギターの名手であったが、その才能を妬んだ教授に襲われ、ギタリストとしての夢を断念した過去を持つ。
彼もまた、巧同様オルフェノクの王と戦った存在の一人である。
巧のように、戦士として……ベルトの力を使って戦った訳ではないが。
「それで? 君達がここに来た本当の理由は?」
「あん?」
琢磨の言葉に、海堂が不思議そうな表情で聞き返す。
少なくとも、海堂がここに来た理由は、今の事を……まだ人間を襲うオルフェノクがいると言う事実を伝えに来ただけだ。
まあ、自分達の崩壊を止める手段が見つかったのか、と言う事も確認したかったのは確かだが。
しかし……琢磨はそうは思わなかったらしい。
……気付いたのだ。巧の、妙に厳しい表情に。
「ああ。まあ、な」
巧はそう言って、小さく息を吐くと……真剣な表情でその場にいる全員を見回す。
そして……
「真理。ファイズギアを俺に渡せ」
「……は?」
右手を差し出し、半ば命令するように言った巧に、思わず棘のある声で返す真理。
ファイズギアは、ファイズに変身するためのツール。そして、ある条件を満たしている者であれば、誰でも変身可能な、ある種の危険物。
アークオルフェノクとの戦いの後、スマートブレインの社長に真理が就任したと同時に、修繕した三本のベルト……ファイズ、カイザ、そしてデルタのベルトは封印したのだが……
「……オルフェノクに襲われた奴は、オルフェノクとして覚醒するか、灰化するか……どちらかだよな?」
唐突にもたらされた巧の台詞に、ポカンとした表情のままその場にいる全員が頷く。
「……俺はこの間、違う死に方をした人間を見た」
「事故死とか、そんなオチだったら笑うぞ」
「そうじゃない」
海堂の茶化しを即座に否定し、巧は更に言葉を続ける。
「透明になって、終いにはガラスのように砕け散った。……その敵に、『何か』をされて」
「何かって……何よ?」
「分かるかよ。ただ、宙を舞う何かに刺されてた。刺した奴は……オルフェノクじゃない。別の存在だ」
「何でそんな事言えんだよ?」
「俺は、青い……色とりどりの体色を持つオルフェノクなんて見た事ない。琢磨は?」
「…………僕も知らない」
知っているか、と言わんばかりの巧の視線を受け、一瞬だけ琢磨は自分の記憶を辿るが……心当たりがないらしく、ふるふると横に首を振って応える。
オルフェノクは、基本的にその体色はモノトーンに統一されている。
色とりどりの、という時点で、その存在はオルフェノクであるとは考えにくいのだ。
「一応そいつは倒したけどな。俺の……オルフェノクとしての姿を見た時、妙な事言ってやがった」
「妙な事だぁ?」
「ああ。『ウルフェン族の生き残りか』ってな」
ウルフェン……オルフェノク。何となく似ているような気がする。だが前者の方はどちらかと言うと狼を意味する「ウルフ」にも通じる所がある。
オルフェノクの事を指しているのか、それとも別の種の事を指しているのかは定かではないが、とにかくそいつが人間を襲っていた事だけは間違いない。
そう思い、巧はその異形を倒したのだそうだ。
「それに、倒したそいつ。灰にはならずに……やっぱり粉々に砕け散った。……ステンドグラスみたいな感じでな」
……その異形の存在に巧は危機感を覚え、今、ファイズギアを受け取りに来たのだと言う。
戦った時に思ったのだが、例の「宙を舞う何か」に刺されれば、自分も危険だと本能的に察知したから。
「……多分、他にもいると思うぜ。それこそ、オルフェノクみたいにな」
その言葉に、全員は沈黙を落とすだけだった。
……彼らは気付いていない。
聞き耳を立てるかのように、窓の外に止まる、一匹の青い蝶の存在に。
「あなたは、いつになったらお目覚めになるのですか……?」
闇の中、灰色の異形が女の声で呟く。その姿は、どことなく海老を連想させる。
その目の前には、同じ体色の異形が横たわっており、目覚める気配は全くない。
「あなたのお目覚めを、心待ちにしている数多の同志がおりますのに」
呟く異形はロブスターオルフェノクと言う。
かつては、影山冴子と言う名の人間であったが、オルフェノクとして覚醒後に上級オルフェノク集団である、ラッキークローバーのメンバーとなり、人間と言う種をを見下し、オルフェノクの世を築こうと画策した存在。
そして、覚醒したオルフェノクの王……今は目の前に横たわるアークオルフェノクに忠誠を誓い、人間である事を完全にやめ、オルフェノクとしての不死を得た。
だが、全てのオルフェノクに祝福を与えるはずの王は、覚醒したばかりの頃にファイズ、カイザ、デルタの三人と、それを手助けしたスネークオルフェノクによって「死亡」させられた。
「あなたは死なない。そうでしょう?」
もう、何年この台詞を言い続けて来ただろう。
その「亡骸」をこの場所に運び、慈しむ様に、崇める様に、王にひたすらそう語りかけていた。
オルフェノクの王は不死身である。
……その伝承を信じて。
現に、本当に死亡したオルフェノクは、その身が灰と化し、崩れ、消える。しかし、今目の前にある王の「亡骸」は原形を保ったまま、灰化する気配など微塵もない。
王の目覚めを乞い焦がれると同時に、彼女の胸にはもう一つ、王をこんな目に合わせた者達への憎しみもまた、降り積もり固まっていく。
王の祝福を受けていないオルフェノクが、いつまでその強大な力に耐えられるかは知らないが、もしも、万が一、まだ生きているのなら。
自らの手で八つ裂きにし、ありとあらゆる地獄を味合わせたい。
ゆらりと、彼女の瞳の奥に、狂気にも似た憎しみの炎が揺らめいていた……
スマートブレイン社、社長室。
園田真理は、自分の横に立つ秘書に、何の気なしに目を向けた。
「どうかしましたか?」
「あの……琢磨さんは、後悔していないんですか?」
「何を?」
真理の問いに、琢磨、と呼ばれた秘書は、眼鏡の奥の瞳を光らせながら問い返す。
彼の名は琢磨逸郎。
かつての彼は、ラッキークローバーの一員であり、その高慢さ故に人間を見下し、人類はオルフェノクに支配されるべきという考えに同調していた存在である。
ムカデの特性を持つ、センチピードオルフェノクであり、人の姿のままでも光弾を放つ事が出来る程の力の持ち主である。
「色々と。オルフェノクの王に忠誠を誓わなかった事や、今の……私の秘書をやってる事とか」
「……僕は臆病だから。やっぱり人間を捨て切れなかった」
同じラッキークローバーのメンバーだった、ロブスターオルフェノク……影山冴子とは違い、彼は結局、覚醒したアークオルフェノクの「祝福」が怖くなり、直前で逃げ出した。
……オルフェノクは、その存在自体に無理がある生物であった。
人類の進化した存在。それがオルフェノクと呼ばれる存在である。
だが、その進化は急激過ぎた。唐突に得られた強大な力に、その心は飲み込まれ、溺れ、そして自らの体をも崩壊させていく。
……ヒトの体は、オルフェノクの強大な力に耐え切れなかったのだ。
アークオルフェノクの「祝福」を得なければ、やがて体の方がその力に耐え切れず、自然に灰化、崩壊してしまう。
だが、王の「祝福」を受けるという事は、完全に人間でなくなる事でもあった。
……琢磨は、それが怖かったのだ。
人間としての姿を失う事も、そして心を失う事も。
かつての自分は、本当に傲慢だったと思う。
オルフェノクとしての力も強力で、知性だって兼ね備えてる。人間という、惰弱な存在から脱却したのだと、それを誇らしく思っていた。
……だけど、本当は自分を認めて欲しいだけだった。
いらない存在だと思われたくない、皆に自分を認めて欲しい、自分の事を見て欲しい。
……そう、思っていた。
だが、プライドが高い事と傲慢である事は違う、と今なら分かる。
オルフェノクの王が倒れ、自分が選んだのは人間として生きる道。その為に、色々な仕事をした。
最初は工事現場で見習いをやっていた。何度も失敗して、その度に親方から怒られて、先輩からも怒鳴られた。
その度に、何度殺してやろうかと思った事もある。人間如きが、オルフェノクにたてつくなど、と。
だが、その思いはグッと堪え、必死に働いた。
働いて、働いて、薄かったけど給料ももらえて。そして、怒鳴ってばかりだった親方や先輩達に褒められた時、それまでに味わった事のない充実感と幸福感が、彼を満たした。
そしていかに自分がちっぽけな事に拘っていたのかと……それまでの自分に対して泣きたい気持ちにもなった。
「……僕は、今の仕事が好きですから。人とも触れ合えるし、何より、誰かのために働いてるって、実感できる」
真理が社長に就任してから、ずっと取り組んでいる仕事がある。
……オルフェノクの、自然崩壊を止める研究だ。
D&P社の出したライフエナジーに関する研究に協力するのも、全てはそのため。
「そりゃあ、僕だって、死ぬのは怖いです」
言いながら、琢磨は自らの左手を見る。
うっすらと……だが確実に、その手の灰化が進んでいる。肌色は薄れ、濃い灰色に染まった手を見る度、自身の寿命が近い事が、嫌でも自覚させられる。
「だけど……何も出来ずに死ぬ方が、もっと怖いって……気付きましたから」
にこり、と。以前の彼からは想像できないような、穏やかな笑顔でそう言い、琢磨は真理の方を見る。
その姿を一瞬だけ、オルフェノクの姿に変えて。
「……まだ、死ぬって決まった訳じゃないんだから、弱気にならない!」
「……はい、社長」
キッと琢磨……センチピードオルフェノクを睨みつつ、言い放つ真理。
……琢磨は……そして今この社で働くオルフェノクの面々は、そんな彼女だからこそ、彼は信頼し、ついていける。
オルフェノクに対して偏見を持たず、人間に対して絶望もしていない、彼女だからこそ。
「大体、元はと言えば巧がサボるから、私が社長になんかに就任しちゃってるんじゃない!」
苛々ついでに思い出したのか、ぶすりと頬を膨らませ、真理は唐突に愚痴を吐き出す。
最初は、このスマートブレインの社長に、乾巧……ウルフオルフェノクを推す声が多かった。しかし彼は、面倒の一言でそれを斬り捨て、結局の所色々面倒を見ていた真理が社長代行……ひいては社長にまでなってしまったのである。
「自分の事なのに、何であんなにやる気がないのよ……」
「別に、生き延びたいとは思わねーし」
真理の声に返すように、社長室の扉が開くと、面倒臭そうな色を湛えた声が響いた。
現れたのは二十代後半くらいの青年。その後ろには、もう少し年上らしい、蛇皮のジャンバーを着た男が、チューインガムをぷぅと膨らませている。
「巧。それに海堂さんも。どうしたんですか?」
「別に。ただよぉ……ま~だ人間を襲う馬鹿共がいたって事を伝えに来たんだけど……」
はあ、と盛大な溜息を吐きつつ、蛇皮ジャンバーの男……海堂直也は呆れたような口調で言う。
未だ埋まらぬオルフェノクと人間の溝。
最近になって覚醒したオルフェノクは、完全に人間を軽視しており、見境なく襲っているという話も聞く。
「……そうなんだ、まだ……」
悲しそうに目を伏せ、真理は小さく呟く。
人とオルフェノクは共存できる。そう信じているのに、実際はなかなか歩み寄らない。
そんな真理の様子を、もう一人の男……乾巧は、どこか苛立った様に見つめていた。
巧も海堂も、オルフェノクである。しかも巧に至っては、かつてファイズと言う名の戦士として、人に害をなすオルフェノクと戦っていた。
無論、この場にいる琢磨とも、戦った事がある。
……そして、オルフェノクの王を倒した、主力でもある。
狼の特性を持つ、ウルフオルフェノクであるが、滅多にその姿になる事はない。一時期は体の崩壊が始まり、オルフェノクの王と戦っている時も、いつ崩れ去ってもおかしくない状況であった。
今でこそ、その体の崩壊は止まっている物の、いつまた崩壊が始まり、本当の死を迎えるか分からない。
一方の海堂は、蛇の特性を持つスネークオルフェノク。
性格は露悪的と言うか偽悪的、オルフェノクでありながらも、最も人間臭い印象の男である。
かつてはアコースティックギターの名手であったが、その才能を妬んだ教授に襲われ、ギタリストとしての夢を断念した過去を持つ。
彼もまた、巧同様オルフェノクの王と戦った存在の一人である。
巧のように、戦士として……ベルトの力を使って戦った訳ではないが。
「それで? 君達がここに来た本当の理由は?」
「あん?」
琢磨の言葉に、海堂が不思議そうな表情で聞き返す。
少なくとも、海堂がここに来た理由は、今の事を……まだ人間を襲うオルフェノクがいると言う事実を伝えに来ただけだ。
まあ、自分達の崩壊を止める手段が見つかったのか、と言う事も確認したかったのは確かだが。
しかし……琢磨はそうは思わなかったらしい。
……気付いたのだ。巧の、妙に厳しい表情に。
「ああ。まあ、な」
巧はそう言って、小さく息を吐くと……真剣な表情でその場にいる全員を見回す。
そして……
「真理。ファイズギアを俺に渡せ」
「……は?」
右手を差し出し、半ば命令するように言った巧に、思わず棘のある声で返す真理。
ファイズギアは、ファイズに変身するためのツール。そして、ある条件を満たしている者であれば、誰でも変身可能な、ある種の危険物。
アークオルフェノクとの戦いの後、スマートブレインの社長に真理が就任したと同時に、修繕した三本のベルト……ファイズ、カイザ、そしてデルタのベルトは封印したのだが……
「……オルフェノクに襲われた奴は、オルフェノクとして覚醒するか、灰化するか……どちらかだよな?」
唐突にもたらされた巧の台詞に、ポカンとした表情のままその場にいる全員が頷く。
「……俺はこの間、違う死に方をした人間を見た」
「事故死とか、そんなオチだったら笑うぞ」
「そうじゃない」
海堂の茶化しを即座に否定し、巧は更に言葉を続ける。
「透明になって、終いにはガラスのように砕け散った。……その敵に、『何か』をされて」
「何かって……何よ?」
「分かるかよ。ただ、宙を舞う何かに刺されてた。刺した奴は……オルフェノクじゃない。別の存在だ」
「何でそんな事言えんだよ?」
「俺は、青い……色とりどりの体色を持つオルフェノクなんて見た事ない。琢磨は?」
「…………僕も知らない」
知っているか、と言わんばかりの巧の視線を受け、一瞬だけ琢磨は自分の記憶を辿るが……心当たりがないらしく、ふるふると横に首を振って応える。
オルフェノクは、基本的にその体色はモノトーンに統一されている。
色とりどりの、という時点で、その存在はオルフェノクであるとは考えにくいのだ。
「一応そいつは倒したけどな。俺の……オルフェノクとしての姿を見た時、妙な事言ってやがった」
「妙な事だぁ?」
「ああ。『ウルフェン族の生き残りか』ってな」
ウルフェン……オルフェノク。何となく似ているような気がする。だが前者の方はどちらかと言うと狼を意味する「ウルフ」にも通じる所がある。
オルフェノクの事を指しているのか、それとも別の種の事を指しているのかは定かではないが、とにかくそいつが人間を襲っていた事だけは間違いない。
そう思い、巧はその異形を倒したのだそうだ。
「それに、倒したそいつ。灰にはならずに……やっぱり粉々に砕け散った。……ステンドグラスみたいな感じでな」
……その異形の存在に巧は危機感を覚え、今、ファイズギアを受け取りに来たのだと言う。
戦った時に思ったのだが、例の「宙を舞う何か」に刺されれば、自分も危険だと本能的に察知したから。
「……多分、他にもいると思うぜ。それこそ、オルフェノクみたいにな」
その言葉に、全員は沈黙を落とすだけだった。
……彼らは気付いていない。
聞き耳を立てるかのように、窓の外に止まる、一匹の青い蝶の存在に。