生者の墓標、死者の街
【その22:人面草裂 ―クサキ―】
渡達がレジェンドルガサーチャーで二体のレジェンドルガの存在を察知していた頃、名護は偶々見かけた指名手配犯を捕まえ、警察に突き出している所だった。
「どうも、ご協力ありがとうございます!」
「当たり前の事をしただけです」
似合わないちょび髭を蓄えた警官にそう返しつつ、名護はその場を立ち去る。
後ろの方で先程の警官が、「終わったら焼肉だ」などと暢気な事を言っているのが聞こえたが、昼間から羨ましい事だ、程度にしか思わなかった。
……以前の彼なら、「就業中にそんな弛 んだ事を……」と不快に思い、説教をしたかもしれないが。
――俺も随分と丸くなった物だ――
ふ、と口の端に笑みを浮かべ、かつての自分を思い出す。自分の正義を押し付け、自分中心に動かなければ納得しなかった自分を。
「しかし、良い天気だ。恵の撮影も順調に進んでいる事だろう」
彼の妻……名護恵、旧姓は麻生……の事に思いを馳せると、再び彼の口元が緩む。モデルと言う「表向きの仕事」を、彼女は今も続けている。
正直、自分以外の男に彼女の魅惑的な姿を晒すのは頂けないのだが、彼女の魅力は姿形だけでなく、その心……そして、信念にある事も知っている。
その「信念」に惹かれた身としては、外見は二の次なのであるが……それは、複雑な男心と言うものであろう。それを口にすれば、彼女はきっとからかうだろうから言わないが。
そんな事を考えながら、銀杏並木を歩いていた時。
「こんにちは、名護君」
後ろから気安く声をかけられ、名護は思わずその主の方を振り返る。
そこには、白い服に身を包んだ内巻きの髪の青年が、にこやかな笑顔を浮かべながらこちらを向いて立っている。
「……太牙君?」
目の前の青年は、渡の兄でありファンガイアのキングでもある青年、太牙に似ている。
だが……違う、と名護の本能が告げていた。
内巻き気味の黒髪に、どことなく人を……と言うか自分を見下したような視線。青年の周りには、渡の連れている蝙蝠……キバット三世に似た、白っぽいメカ蝙蝠が旋回している。
太牙ならば、連れているのは黒いキバット二世か、サガに変身するための古代蛇……サガークのどちらかのはずだ。ましてあの礼儀正しい青年が、自分を「名護君」などと君付けで呼ぶはずがない。彼は往々にして「名護さん」もしくは「啓介さん」だ
「……ひょっとして、この世界には『3WA』は存在していないのかな?」
「スリーダブルエー……?」
訝る名護に何を思ったのか、相手は薄く浮かべた笑みを消さぬまま、軽く首を傾げて問いかける。
だが、聞いた事のないその名に、思わず名護はその顔を顰め、相手の顔をもう一度まじまじと見つめる。
「3WA」とは、何かの組織だろうか。もしもそうなら、それは多分、目の前の青年が属する組織なのだろうが……
「君は誰だ? 俺に何か用なのか? 用があるなら言いなさい」
「……僕の事を知らないとは言え、君ごときにそんな口の聞き方をされるのは不愉快だな」
道の真ん中だと言うのに、青年はカリカリと自分の爪を鑢 で磨きだす。
……恐らく、苛立ちを隠すための行為なのだろうな、と思いながらも、名護はその青年をじっと見つめる。
顔だけは、確かに太牙に似ている。だが、それ以外……雰囲気や立ち居振る舞いは、全くと言って良い程異なるし、優美さや威厳と言った面では間違いなく太牙の方が上である。
「もう一度聞く。君は、誰だ?」
「僕は白峰天斗。今は……レジェンドルガの一員さ」
「レジェンドルガ?」
「本当に君は何も知らないんだな。僕の知る『名護啓介』と同じだ」
「どういう意味だ?」
爽やかに見える笑顔の裏に、何かどす黒いものを感じたのだろう。名護は警戒したように身構える。いつでも変身できるように、変身用ツールであるイクサナックルを右手で握って。
妙な予感がした。ファンガイアを前にした時とはまた異なる、肌がざわつく様な予感が。心なしか肌寒い程の冷気も感じるような気がする。
「お前が知る必要はない」
見下すかのような視線と共に、彼は冷ややかな声で言い放ち……
「レイキバット」
「行こうか? 華麗に、激しく!」
それは、唐突な宣言だった。
レイキバットと呼ばれた蝙蝠は、渋い声でそう宣言すると、白峰と名乗った男の腰……正確にはそこに巻きついているベルトへ止まる。
……冷気を感じたのは、気のせいではなかったらしい。ぶわ、と言う表現しか思い当らない程の粉雪が彼の周囲を舞い、同時に彼の体を白い鎧が包んでいく。
完全なパワードスーツ型のイクサとは異なり、彼の今の姿はキバ同様、どこか生物をイメージさせる。強いてあげるなら、雪男……イエティだろうか。
両腕にはキバの身を取り巻く鎖、カテナと呼ばれるそれに良く似た鎖が巻かれ、全体的に「爪」のイメージが強い。
「名護啓介。お前は目障りだよ」
言うが早いか、白峰は一気に名護との距離を詰め、拳……と言うよりその先についているクローでその身を引き裂きにかかる。だが、名護はそれを紙一重でかわすと、イクサナックルを右手で構え、パシリと左掌に横から当てる。
『レ・ジ・イ』
カタカナ表記が似合うような、たどたどしい電子音が響く。変身準備が整った証拠だ。
それを聞き届けると、名護は右腕をそのまま真横に突き出し……
「変身!」
『フィ・ス・ト・オ・ン』
きびきびとした動きでイクサナックルをベルトに装着。イクサのスーツが彼を覆い、面の部分にあった黄金の十字架の模様が開いて血の様に赤い目を晒す。
「素晴らしき青空の会」が誇る聖職の戦士、イクサのバーストモードへの変身が完了した証だ。
「この世界でも、お前がイクサの装着者だったとは。……嬉しいよ」
「何?」
心底嬉しそうな白峰の声を不審に思いながら、名護は油断なくイクサの武器である細身の剣……イクサカリバーを構え、相手を見据える。
「僕より劣るはずのお前に負けた……そんな事、あってはいけない事だ」
「訳のわからない事を。俺は君に会った事もない」
「そう。『君』はそうだ。だがそれでも……あれはお前だった! 我らが『神』が生み出した、『名護啓介』。神の意に逆らい、ファンガイアを……そして、レジェンドルガまでをも倒した、愚かでちっぽけな人間!」
「何だと!?」
会った事もないのに、何故ここまで彼は自分に憎悪を向けるのだろうか。「負けた」という事は、かつて彼と戦った事があり、あまつさえ勝利していると言う事だ。
しかし……名護に、白峰天斗と言う名に心当たりはない。いつかのように、「イクサ」に恨みを持っているというのならまだしも、彼は「名護啓介」と言う「個人」に憎しみを抱いているように思える。
振り下ろされるクローを、イクサカリバーで防ぎながらも相手の様子を窺う。いや、窺うつもりだった。しかし白峰の攻撃は予想以上に重く、受ける事で精一杯。
――このままではまずい。ライジングモードになるか?――
思い、白峰との距離を一旦とった刹那。
「名護さん!」
背後からの切羽詰ったような呼び声に、名護は一瞬だけ振り返り、声の主を確認する。
「渡君! ……と、そちらの二人は?」
「そんなんどうでも良いだろ? それよりそいつ……何なんだ?」
渡と共に来た二人の男のうち、蛇皮のジャケットの方……海堂が不審そうに尋ねる。
悪ぶったその口調に、若干カチンと来るが、明らかに自分より年上のようなので、そこは堪えて再び視線を白峰に戻す。
一方白峰の方は、やってきた三人をじっと見つめると……おかしそうに、くっくと笑い始めた。
「キバと……この世界の戦士、ですか」
白峰が呟くと同時に、彼の後ろから植物を連想させる異形が現れる。目も口も見当たらない、円錐のような頭を持ったそれは、明らかにファンガイアではない。
レジェンドルガサーチャーが反応した元凶……マーカーの表記は「Mandrake」。
「あれが、レジェンドルガ……なんですね」
「そう。このお方はレジェンドルガのお一人。マンドレイクレジェンドルガ様です」
「…………」
眼鏡をかけた方の男……琢磨の問いに答えるように、白峰はそいつを紹介し、恭しく一礼を返す。同時に、マンドレイクレジェンドルガと呼ばれた方は、無言のまま手を突き出すと、そこから触手状の蔦を放った。
その先にあるのは、明らかにひ弱そうな印象を抱かせる琢磨の姿。
「危ない!」
思わず名護がそう叫んだ瞬間。
どこか禍々しさすらも感じる光球が、琢磨の手から放たれ、その蔦を弾き返す。
……無論、ただの人間にこんな事が出来る訳がない。
「君は一体!?」
「名護さん、この人達は敵じゃありません」
「そう言う事。じゃ、やらせてもらうぜ」
驚く名護の胸板をぽんと裏手で軽く叩くと、海堂は腰に革製のベルトを巻きつける。そして右手に携帯電話を構え……「0」を三回と、エンターキーを押した。
『Standing By』
「変身!」
『Complete』
電子音が響き、海堂の体を黒い鎧が覆う。
ぞろりと長いマントに、ボディには金色のライン。面はギリシャ文字のΩを思わせる形であり、その中央には赤い宝石のような「目」が光っている。
「うわ……確かにこいつは、キツイかも知れねーな……」
「オーガは現行のライダーズギアの中で最高スペックを誇っている。当然だけど、その分反動も短時間で決めた方が良い」
「わかってるよ、そんなん」
言うが早いか、海堂は軽く首を回すと、一息にマンドレイクとの距離を縮める。
それにつられるかのように、名護も同じようにマンドレイクとの距離を縮めにかかる。だが。
「僕を無視するとは。いい度胸だ、名護のくせに」
マンドレイクを襲わせまいと、白峰が名護の前に立ち塞がる。その姿は、海堂など目に入っていないかのように、執拗に名護だけを狙っていた。
「名護さん!」
「来るな渡君! 君はあの黒い戦士をフォローしてくれ!」
「いらねーよ。ちゅーか、巻き込みそうだから来んな!」
戦う二人から言われ、思わずオロオロと二人を見比べる渡。
海堂の言う通り、下手に近付こうものならばその攻撃力に巻き込まれそうな勢いでマンドレイクを殴りつけている。
「一応、武器はあるんだけどなぁ……」
その様子を見ていた琢磨が、苦笑しながら言うが……あまり心配している様子はない。むしろ、勝てると思っている気配すら感じられる。
「おらおら、そろそろ……」
海堂が止めを刺そうと拳を振り上げたその時。今まで無言だったマンドレイクが、突如としてその「声」をあげた。
人の耳には聞こえない、超高周波音である、その「声」を。
「う、があっ!?」
「くぅ……っ」
「頭が……痛い……」
先も述べたように、人間であればその領域の音は聞こえない。しかしオルフェノクである海堂と琢磨、そして半分ファンガイアの渡達には、この上なく煩い「攻撃」となって襲ってきたのだ。
「ちっきしょう……あの野郎、さっきからずっとだんまりだった訳だ……っ!」
忌々しげに言いながら、海堂は震える手でミッションメモリーを「冥界の剣」の二つ名を持つ武器、オーガストランザーにセットし……その剣先を、マンドレイクに向けた。
「うるせえんだよ、この円錐植物! あっちへ……行っちまえっ!」
海堂の思いに答えるかのように、グイと剣先が伸び、マンドレイクの腹を貫く。そしてそのまま、彼の「声」が届かない場所までその剣を伸ばすと……
その光の刃で、マンドレイクレジェンドルガを切り裂いたのであった。
一方の名護は……防戦一方だった。
ただひたすらに、イクサカリバーで相手のクローを受け流し、反撃の機会を窺っている。
「どうした、名護君? 受けているばかりでは勝てないよ?」
「分かって……いるさ!」
金属の擦れ合う独特の音が、一際大きく響いたその瞬間。名護はクローをイクサカリバーで弾き返し、腰にあるカリバーフエッスルをベルトにセットした。
『イ・ク・サ・カ・リ・バ・ー、ラ・イ・ズ・ア・ッ・プ』
電子音が響くと同時に、名護の……いや、イクサの胸の太陽の紋章が、内蔵されているイクサエンジンのフル稼働によって真っ赤に浮かび上がる。
同時に、イクサカリバーも煌々とした光を纏い……
「はあああぁっ!」
気合と共に放たれたその一撃を、白峰はクローで受け止めるが……パキンという涼やかな音が響くと同時に、クローは砕け散った。
「ちいっ!」
慌てて飛び退る白峰の鎧を、剣先が軽く掠め、一筋の傷を付ける。
……マンドレイクレジェンドルガが、海堂の放ったオーガストラッシュと呼ばれる技で散ったのは、この時だった。
その事実に気付いたのか、白峰は小さく舌打ちすると……
「く……マミー様に続いて、マンドレイク様まで……」
「天斗。ここは一度退くべきだ。あまりにも分が悪すぎる」
「……逃がす訳がない。白峰天斗、その命、神に還しなさい」
白峰の腰に止まる蝙蝠……レイキバットの声を聞き止めたのか、カチャリとイクサカリバーを構えなおし、名護は呆然とする白峰に向かってそう言葉を放つ。
無論、他の面々も彼を逃がすつもりは全くないらしく、警戒したように彼を睨みつける。
瞬間。その台詞が、とてもおかしな物であるかのように、白峰は朗らかな声で笑い始めた。それこそ、滑稽な物でも見たかのように。
「は……ははははっ! 『神に返す』? それは無理だよ」
「何?」
「僕を甦らせたのは、その『神』なんだからね」
高らかに笑いながら、白峰は変身を解いて名護に答える。
その瞳に、底知れぬ憎悪の色を湛えて。
「名護啓介……覚えておくと良い。次こそは、必ずお前を……殺す!」
それだけ言うと、白峰の周りを粉雪が舞い……それが引いた頃には、既に彼の姿は消え失せていた。
それこそ、雪が溶けて流れたかの如く。
「おーお。負け犬の遠吠えって奴かねぇ」
「ああ言う事を言い捨てる人は、大体において詰めが甘いんだよ。それは性格だ。多分、一生直らない」
「それはアレか? お前の経験則か、琢磨?」
「まあ……否定はしませんよ」
変身を解いた海堂の茶化しに苦笑しつつ、琢磨は特に怒った様子もなく言葉を返した。
自分でも自覚があるのだから、怒るのは筋違いという物だ。
そんな彼らに、同じように変身を解いた名護が近付き……険しい表情で海堂と琢磨を見やる。
「渡君。この人達は一体何処の誰で、さっきの連中は何者なのか。知っている事は俺に理解できるように説明しなさい」
「僕も、あなたの事に興味があります。特に、そのスーツとか」
琢磨もまた、名護の着ていた鎧……イクサシステムに興味があった。
フォトンブラッドとは異なるエネルギー機構。その大きさゆえ、装着者の命に関わるという点では、ライダーズギアもイクサシステムも変わらない。
スマートブレイン以外でも、こんなスーツを作る技術を、「人間が」持っていた事に驚いたのだ。
「……良いだろう。渡君。嶋さんと共に話を聞く。mal D’amourへ向かいなさい」
琢磨の言葉に頷きながらそう返すと、名護はさっさと先陣を切って歩き出す。
その後姿を見て、海堂は一つ、溜息を吐き出すと……
「……何だかねぇ。ああいう口調でしか話せねーのかね、あの兄ちゃん」
「名護さんの、癖ですから」
苦笑いしながら、三人は名護の後を追い、mal D’amourへと足を向けたのであった。
「王が……お目覚めになった!?」
「それも、二人同時に……!」
入ってきた科学者……彼もまたオルフェノクなのだが……が、ロブスターオルフェノクの問いに、息を切らせながら答える。
その顔がほんのりと紅潮しているように思えるのは、王の目覚めに興奮しているからである事は、容易に想像できた。何故ならロブスターもまた、自らの胸の高鳴りを押さえられないのだから。
「それで? ロード達は今、何処に……?」
メデューサレジェンドルガの問いに、やってきた男は深呼吸をひとつして、心を落ち着かせる。
そして……
「最下層、『謁見の間』に居られます」
「そう、ありがとう」
はやる心を抑えつつ、それでも二人の足は軽やかだった。恋する乙女が、恋人に会う時のような心持とは、こんな物なのかもしれない。
待ちに待った、自分達の「王」の復活。
これで心躍らない方がおかしいのだと、彼女達は思う。
一歩一歩、会いたいのに会えないもどかしさを感じながらもようやく辿り着いた「謁見の間」には、彼女達が用意した玉座に腰掛ける二つの影。
一方は白に近い灰色の、バッタに似た異形。その背にあるマントが、王たるに相応しい威厳を演出しているように見える。
「ああ……我らオルフェノクの王。あなたがお目覚めになる日を、どれだけ心待ちにしていた事か……」
ロブスターの言葉にも、王……アークオルフェノクは、何の感情も映さぬ瞳で彼女を一瞥しただけ。すぐに横にある「何か」を手に取り、ガリガリと齧りついている。
……彼女は、それが何かを知っている。
王に逆らったオルフェノクだ。鉱物の様に固められ、自らの血肉にするかの如く、ひたすらに齧りついていた。
その横に座っているのは、三十代後半から四十代前半くらいの男。アークオルフェノクに比べると明らかに見劣りするのだが、醸しだす雰囲気は、ロードと呼ぶに相応しい物だ。
「ロード。お目覚めになられて何よりでございます。ご気分の方は……」
「ああ。悪くない」
にやりと、悪人らしい笑みを浮かべつつ、男はメデューサを見やる。
見た目はただの中年男性にしか見えないのに、その後ろには男とは全く違う形の、巨大な影が伸びている。どことなくバフォメット……一般的に広く知られている悪魔のような、そんなシルエット。
石の棺に眠っていたこの男の姿を見た時は、ただの人間にしか見えなかったのだが……今、こうして目の前に座っているだけで、ロブスターは、肌がざわつくような感覚を覚えている。
そして、それはメデューサも同じ。眠っていた時のアークオルフェノクには、全く恐怖しなかった。その辺のファンガイアと同じ程度にしか考えていなかったのだが……今なら、わかる。逆らってはいけないと、本能が告げている。
何処までも無言なアークオルフェノクに対して、レジェンドルガの王……杉村 隆と呼ばれた男を依代としたアークは、不敵な笑みを浮かべると自分達に額づく二人の異形に目を向け……にやりと笑い、宣言した。
「今日からここを、新たな魔界城とする。レジェンドルガとオルフェノクの支配は、ここから始まるのだ」
その宣言と同時に……月に、巨大な目玉のような物が覆いかぶさった事を……人間はまだ、知らなかった。
渡達がレジェンドルガサーチャーで二体のレジェンドルガの存在を察知していた頃、名護は偶々見かけた指名手配犯を捕まえ、警察に突き出している所だった。
「どうも、ご協力ありがとうございます!」
「当たり前の事をしただけです」
似合わないちょび髭を蓄えた警官にそう返しつつ、名護はその場を立ち去る。
後ろの方で先程の警官が、「終わったら焼肉だ」などと暢気な事を言っているのが聞こえたが、昼間から羨ましい事だ、程度にしか思わなかった。
……以前の彼なら、「就業中にそんな
――俺も随分と丸くなった物だ――
ふ、と口の端に笑みを浮かべ、かつての自分を思い出す。自分の正義を押し付け、自分中心に動かなければ納得しなかった自分を。
「しかし、良い天気だ。恵の撮影も順調に進んでいる事だろう」
彼の妻……名護恵、旧姓は麻生……の事に思いを馳せると、再び彼の口元が緩む。モデルと言う「表向きの仕事」を、彼女は今も続けている。
正直、自分以外の男に彼女の魅惑的な姿を晒すのは頂けないのだが、彼女の魅力は姿形だけでなく、その心……そして、信念にある事も知っている。
その「信念」に惹かれた身としては、外見は二の次なのであるが……それは、複雑な男心と言うものであろう。それを口にすれば、彼女はきっとからかうだろうから言わないが。
そんな事を考えながら、銀杏並木を歩いていた時。
「こんにちは、名護君」
後ろから気安く声をかけられ、名護は思わずその主の方を振り返る。
そこには、白い服に身を包んだ内巻きの髪の青年が、にこやかな笑顔を浮かべながらこちらを向いて立っている。
「……太牙君?」
目の前の青年は、渡の兄でありファンガイアのキングでもある青年、太牙に似ている。
だが……違う、と名護の本能が告げていた。
内巻き気味の黒髪に、どことなく人を……と言うか自分を見下したような視線。青年の周りには、渡の連れている蝙蝠……キバット三世に似た、白っぽいメカ蝙蝠が旋回している。
太牙ならば、連れているのは黒いキバット二世か、サガに変身するための古代蛇……サガークのどちらかのはずだ。ましてあの礼儀正しい青年が、自分を「名護君」などと君付けで呼ぶはずがない。彼は往々にして「名護さん」もしくは「啓介さん」だ
「……ひょっとして、この世界には『3WA』は存在していないのかな?」
「スリーダブルエー……?」
訝る名護に何を思ったのか、相手は薄く浮かべた笑みを消さぬまま、軽く首を傾げて問いかける。
だが、聞いた事のないその名に、思わず名護はその顔を顰め、相手の顔をもう一度まじまじと見つめる。
「3WA」とは、何かの組織だろうか。もしもそうなら、それは多分、目の前の青年が属する組織なのだろうが……
「君は誰だ? 俺に何か用なのか? 用があるなら言いなさい」
「……僕の事を知らないとは言え、君ごときにそんな口の聞き方をされるのは不愉快だな」
道の真ん中だと言うのに、青年はカリカリと自分の爪を
……恐らく、苛立ちを隠すための行為なのだろうな、と思いながらも、名護はその青年をじっと見つめる。
顔だけは、確かに太牙に似ている。だが、それ以外……雰囲気や立ち居振る舞いは、全くと言って良い程異なるし、優美さや威厳と言った面では間違いなく太牙の方が上である。
「もう一度聞く。君は、誰だ?」
「僕は白峰天斗。今は……レジェンドルガの一員さ」
「レジェンドルガ?」
「本当に君は何も知らないんだな。僕の知る『名護啓介』と同じだ」
「どういう意味だ?」
爽やかに見える笑顔の裏に、何かどす黒いものを感じたのだろう。名護は警戒したように身構える。いつでも変身できるように、変身用ツールであるイクサナックルを右手で握って。
妙な予感がした。ファンガイアを前にした時とはまた異なる、肌がざわつく様な予感が。心なしか肌寒い程の冷気も感じるような気がする。
「お前が知る必要はない」
見下すかのような視線と共に、彼は冷ややかな声で言い放ち……
「レイキバット」
「行こうか? 華麗に、激しく!」
それは、唐突な宣言だった。
レイキバットと呼ばれた蝙蝠は、渋い声でそう宣言すると、白峰と名乗った男の腰……正確にはそこに巻きついているベルトへ止まる。
……冷気を感じたのは、気のせいではなかったらしい。ぶわ、と言う表現しか思い当らない程の粉雪が彼の周囲を舞い、同時に彼の体を白い鎧が包んでいく。
完全なパワードスーツ型のイクサとは異なり、彼の今の姿はキバ同様、どこか生物をイメージさせる。強いてあげるなら、雪男……イエティだろうか。
両腕にはキバの身を取り巻く鎖、カテナと呼ばれるそれに良く似た鎖が巻かれ、全体的に「爪」のイメージが強い。
「名護啓介。お前は目障りだよ」
言うが早いか、白峰は一気に名護との距離を詰め、拳……と言うよりその先についているクローでその身を引き裂きにかかる。だが、名護はそれを紙一重でかわすと、イクサナックルを右手で構え、パシリと左掌に横から当てる。
『レ・ジ・イ』
カタカナ表記が似合うような、たどたどしい電子音が響く。変身準備が整った証拠だ。
それを聞き届けると、名護は右腕をそのまま真横に突き出し……
「変身!」
『フィ・ス・ト・オ・ン』
きびきびとした動きでイクサナックルをベルトに装着。イクサのスーツが彼を覆い、面の部分にあった黄金の十字架の模様が開いて血の様に赤い目を晒す。
「素晴らしき青空の会」が誇る聖職の戦士、イクサのバーストモードへの変身が完了した証だ。
「この世界でも、お前がイクサの装着者だったとは。……嬉しいよ」
「何?」
心底嬉しそうな白峰の声を不審に思いながら、名護は油断なくイクサの武器である細身の剣……イクサカリバーを構え、相手を見据える。
「僕より劣るはずのお前に負けた……そんな事、あってはいけない事だ」
「訳のわからない事を。俺は君に会った事もない」
「そう。『君』はそうだ。だがそれでも……あれはお前だった! 我らが『神』が生み出した、『名護啓介』。神の意に逆らい、ファンガイアを……そして、レジェンドルガまでをも倒した、愚かでちっぽけな人間!」
「何だと!?」
会った事もないのに、何故ここまで彼は自分に憎悪を向けるのだろうか。「負けた」という事は、かつて彼と戦った事があり、あまつさえ勝利していると言う事だ。
しかし……名護に、白峰天斗と言う名に心当たりはない。いつかのように、「イクサ」に恨みを持っているというのならまだしも、彼は「名護啓介」と言う「個人」に憎しみを抱いているように思える。
振り下ろされるクローを、イクサカリバーで防ぎながらも相手の様子を窺う。いや、窺うつもりだった。しかし白峰の攻撃は予想以上に重く、受ける事で精一杯。
――このままではまずい。ライジングモードになるか?――
思い、白峰との距離を一旦とった刹那。
「名護さん!」
背後からの切羽詰ったような呼び声に、名護は一瞬だけ振り返り、声の主を確認する。
「渡君! ……と、そちらの二人は?」
「そんなんどうでも良いだろ? それよりそいつ……何なんだ?」
渡と共に来た二人の男のうち、蛇皮のジャケットの方……海堂が不審そうに尋ねる。
悪ぶったその口調に、若干カチンと来るが、明らかに自分より年上のようなので、そこは堪えて再び視線を白峰に戻す。
一方白峰の方は、やってきた三人をじっと見つめると……おかしそうに、くっくと笑い始めた。
「キバと……この世界の戦士、ですか」
白峰が呟くと同時に、彼の後ろから植物を連想させる異形が現れる。目も口も見当たらない、円錐のような頭を持ったそれは、明らかにファンガイアではない。
レジェンドルガサーチャーが反応した元凶……マーカーの表記は「Mandrake」。
「あれが、レジェンドルガ……なんですね」
「そう。このお方はレジェンドルガのお一人。マンドレイクレジェンドルガ様です」
「…………」
眼鏡をかけた方の男……琢磨の問いに答えるように、白峰はそいつを紹介し、恭しく一礼を返す。同時に、マンドレイクレジェンドルガと呼ばれた方は、無言のまま手を突き出すと、そこから触手状の蔦を放った。
その先にあるのは、明らかにひ弱そうな印象を抱かせる琢磨の姿。
「危ない!」
思わず名護がそう叫んだ瞬間。
どこか禍々しさすらも感じる光球が、琢磨の手から放たれ、その蔦を弾き返す。
……無論、ただの人間にこんな事が出来る訳がない。
「君は一体!?」
「名護さん、この人達は敵じゃありません」
「そう言う事。じゃ、やらせてもらうぜ」
驚く名護の胸板をぽんと裏手で軽く叩くと、海堂は腰に革製のベルトを巻きつける。そして右手に携帯電話を構え……「0」を三回と、エンターキーを押した。
『Standing By』
「変身!」
『Complete』
電子音が響き、海堂の体を黒い鎧が覆う。
ぞろりと長いマントに、ボディには金色のライン。面はギリシャ文字のΩを思わせる形であり、その中央には赤い宝石のような「目」が光っている。
「うわ……確かにこいつは、キツイかも知れねーな……」
「オーガは現行のライダーズギアの中で最高スペックを誇っている。当然だけど、その分反動も短時間で決めた方が良い」
「わかってるよ、そんなん」
言うが早いか、海堂は軽く首を回すと、一息にマンドレイクとの距離を縮める。
それにつられるかのように、名護も同じようにマンドレイクとの距離を縮めにかかる。だが。
「僕を無視するとは。いい度胸だ、名護のくせに」
マンドレイクを襲わせまいと、白峰が名護の前に立ち塞がる。その姿は、海堂など目に入っていないかのように、執拗に名護だけを狙っていた。
「名護さん!」
「来るな渡君! 君はあの黒い戦士をフォローしてくれ!」
「いらねーよ。ちゅーか、巻き込みそうだから来んな!」
戦う二人から言われ、思わずオロオロと二人を見比べる渡。
海堂の言う通り、下手に近付こうものならばその攻撃力に巻き込まれそうな勢いでマンドレイクを殴りつけている。
「一応、武器はあるんだけどなぁ……」
その様子を見ていた琢磨が、苦笑しながら言うが……あまり心配している様子はない。むしろ、勝てると思っている気配すら感じられる。
「おらおら、そろそろ……」
海堂が止めを刺そうと拳を振り上げたその時。今まで無言だったマンドレイクが、突如としてその「声」をあげた。
人の耳には聞こえない、超高周波音である、その「声」を。
「う、があっ!?」
「くぅ……っ」
「頭が……痛い……」
先も述べたように、人間であればその領域の音は聞こえない。しかしオルフェノクである海堂と琢磨、そして半分ファンガイアの渡達には、この上なく煩い「攻撃」となって襲ってきたのだ。
「ちっきしょう……あの野郎、さっきからずっとだんまりだった訳だ……っ!」
忌々しげに言いながら、海堂は震える手でミッションメモリーを「冥界の剣」の二つ名を持つ武器、オーガストランザーにセットし……その剣先を、マンドレイクに向けた。
「うるせえんだよ、この円錐植物! あっちへ……行っちまえっ!」
海堂の思いに答えるかのように、グイと剣先が伸び、マンドレイクの腹を貫く。そしてそのまま、彼の「声」が届かない場所までその剣を伸ばすと……
その光の刃で、マンドレイクレジェンドルガを切り裂いたのであった。
一方の名護は……防戦一方だった。
ただひたすらに、イクサカリバーで相手のクローを受け流し、反撃の機会を窺っている。
「どうした、名護君? 受けているばかりでは勝てないよ?」
「分かって……いるさ!」
金属の擦れ合う独特の音が、一際大きく響いたその瞬間。名護はクローをイクサカリバーで弾き返し、腰にあるカリバーフエッスルをベルトにセットした。
『イ・ク・サ・カ・リ・バ・ー、ラ・イ・ズ・ア・ッ・プ』
電子音が響くと同時に、名護の……いや、イクサの胸の太陽の紋章が、内蔵されているイクサエンジンのフル稼働によって真っ赤に浮かび上がる。
同時に、イクサカリバーも煌々とした光を纏い……
「はあああぁっ!」
気合と共に放たれたその一撃を、白峰はクローで受け止めるが……パキンという涼やかな音が響くと同時に、クローは砕け散った。
「ちいっ!」
慌てて飛び退る白峰の鎧を、剣先が軽く掠め、一筋の傷を付ける。
……マンドレイクレジェンドルガが、海堂の放ったオーガストラッシュと呼ばれる技で散ったのは、この時だった。
その事実に気付いたのか、白峰は小さく舌打ちすると……
「く……マミー様に続いて、マンドレイク様まで……」
「天斗。ここは一度退くべきだ。あまりにも分が悪すぎる」
「……逃がす訳がない。白峰天斗、その命、神に還しなさい」
白峰の腰に止まる蝙蝠……レイキバットの声を聞き止めたのか、カチャリとイクサカリバーを構えなおし、名護は呆然とする白峰に向かってそう言葉を放つ。
無論、他の面々も彼を逃がすつもりは全くないらしく、警戒したように彼を睨みつける。
瞬間。その台詞が、とてもおかしな物であるかのように、白峰は朗らかな声で笑い始めた。それこそ、滑稽な物でも見たかのように。
「は……ははははっ! 『神に返す』? それは無理だよ」
「何?」
「僕を甦らせたのは、その『神』なんだからね」
高らかに笑いながら、白峰は変身を解いて名護に答える。
その瞳に、底知れぬ憎悪の色を湛えて。
「名護啓介……覚えておくと良い。次こそは、必ずお前を……殺す!」
それだけ言うと、白峰の周りを粉雪が舞い……それが引いた頃には、既に彼の姿は消え失せていた。
それこそ、雪が溶けて流れたかの如く。
「おーお。負け犬の遠吠えって奴かねぇ」
「ああ言う事を言い捨てる人は、大体において詰めが甘いんだよ。それは性格だ。多分、一生直らない」
「それはアレか? お前の経験則か、琢磨?」
「まあ……否定はしませんよ」
変身を解いた海堂の茶化しに苦笑しつつ、琢磨は特に怒った様子もなく言葉を返した。
自分でも自覚があるのだから、怒るのは筋違いという物だ。
そんな彼らに、同じように変身を解いた名護が近付き……険しい表情で海堂と琢磨を見やる。
「渡君。この人達は一体何処の誰で、さっきの連中は何者なのか。知っている事は俺に理解できるように説明しなさい」
「僕も、あなたの事に興味があります。特に、そのスーツとか」
琢磨もまた、名護の着ていた鎧……イクサシステムに興味があった。
フォトンブラッドとは異なるエネルギー機構。その大きさゆえ、装着者の命に関わるという点では、ライダーズギアもイクサシステムも変わらない。
スマートブレイン以外でも、こんなスーツを作る技術を、「人間が」持っていた事に驚いたのだ。
「……良いだろう。渡君。嶋さんと共に話を聞く。mal D’amourへ向かいなさい」
琢磨の言葉に頷きながらそう返すと、名護はさっさと先陣を切って歩き出す。
その後姿を見て、海堂は一つ、溜息を吐き出すと……
「……何だかねぇ。ああいう口調でしか話せねーのかね、あの兄ちゃん」
「名護さんの、癖ですから」
苦笑いしながら、三人は名護の後を追い、mal D’amourへと足を向けたのであった。
「王が……お目覚めになった!?」
「それも、二人同時に……!」
入ってきた科学者……彼もまたオルフェノクなのだが……が、ロブスターオルフェノクの問いに、息を切らせながら答える。
その顔がほんのりと紅潮しているように思えるのは、王の目覚めに興奮しているからである事は、容易に想像できた。何故ならロブスターもまた、自らの胸の高鳴りを押さえられないのだから。
「それで? ロード達は今、何処に……?」
メデューサレジェンドルガの問いに、やってきた男は深呼吸をひとつして、心を落ち着かせる。
そして……
「最下層、『謁見の間』に居られます」
「そう、ありがとう」
はやる心を抑えつつ、それでも二人の足は軽やかだった。恋する乙女が、恋人に会う時のような心持とは、こんな物なのかもしれない。
待ちに待った、自分達の「王」の復活。
これで心躍らない方がおかしいのだと、彼女達は思う。
一歩一歩、会いたいのに会えないもどかしさを感じながらもようやく辿り着いた「謁見の間」には、彼女達が用意した玉座に腰掛ける二つの影。
一方は白に近い灰色の、バッタに似た異形。その背にあるマントが、王たるに相応しい威厳を演出しているように見える。
「ああ……我らオルフェノクの王。あなたがお目覚めになる日を、どれだけ心待ちにしていた事か……」
ロブスターの言葉にも、王……アークオルフェノクは、何の感情も映さぬ瞳で彼女を一瞥しただけ。すぐに横にある「何か」を手に取り、ガリガリと齧りついている。
……彼女は、それが何かを知っている。
王に逆らったオルフェノクだ。鉱物の様に固められ、自らの血肉にするかの如く、ひたすらに齧りついていた。
その横に座っているのは、三十代後半から四十代前半くらいの男。アークオルフェノクに比べると明らかに見劣りするのだが、醸しだす雰囲気は、ロードと呼ぶに相応しい物だ。
「ロード。お目覚めになられて何よりでございます。ご気分の方は……」
「ああ。悪くない」
にやりと、悪人らしい笑みを浮かべつつ、男はメデューサを見やる。
見た目はただの中年男性にしか見えないのに、その後ろには男とは全く違う形の、巨大な影が伸びている。どことなくバフォメット……一般的に広く知られている悪魔のような、そんなシルエット。
石の棺に眠っていたこの男の姿を見た時は、ただの人間にしか見えなかったのだが……今、こうして目の前に座っているだけで、ロブスターは、肌がざわつくような感覚を覚えている。
そして、それはメデューサも同じ。眠っていた時のアークオルフェノクには、全く恐怖しなかった。その辺のファンガイアと同じ程度にしか考えていなかったのだが……今なら、わかる。逆らってはいけないと、本能が告げている。
何処までも無言なアークオルフェノクに対して、レジェンドルガの王……杉村 隆と呼ばれた男を依代としたアークは、不敵な笑みを浮かべると自分達に額づく二人の異形に目を向け……にやりと笑い、宣言した。
「今日からここを、新たな魔界城とする。レジェンドルガとオルフェノクの支配は、ここから始まるのだ」
その宣言と同時に……月に、巨大な目玉のような物が覆いかぶさった事を……人間はまだ、知らなかった。