生者の墓標、死者の街

【その10:夢之通路 ―ネガイ―】

「よぉ、天音ちゃん」
「あ、海堂さん。こんにちは」
「しばらく見ねぇ内に、可愛くなったじゃねーか」
「おだてても何も出ません」
 乾巧と別れた後、海堂直也は行きつけの喫茶店、「JACARANDA」に来ていた。
 看板娘の栗原天音に声をかけ、こっちを睨みつけるように見つめてくる男の方を向く。
「なあ、お前もそう思うだろ、相川」
「……俺に振るな」
 男……相川始は、心底不愉快そうに眉を顰め、テーブルの上を拭く。
 歳は海堂と同じくらい。軽く茶の入った髪、極端に瞬きの少ない、見開かれがちな目。顔に浮かぶ表情は愛想笑いか仏頂面。ただし、天音とその母、栗原遥香に対してだけは、心からの笑顔を見せる。
 その正体は、不死の生物……アンデッド。しかも、どの生物の始祖でもない「ジョーカー」と呼ばれる異形。
 人の姿をとっているが、これは彼自身が封印した、人間の祖……ヒューマンアンデッドの姿であり、本来の彼の姿ではない。
 その事を、海堂は勿論、天音も遥香すらも知らない。何処からともなく現れた「始さん」だと、本気で信じている。始がジョーカーであると知っているのは、ごく一部の人間だけだ。
 ここに住み込み、店を手伝うようになってからもう何年になるだろうか。
 一応はカメラマンという肩書きを持っているのだが、いつの間にか、すっかり店員の一人にカウントされている。
 出会った頃は小学生だった天音も、お嬢さんの入り口に立っているような印象を受ける。たまに遥香に口答えしている場面に出くわすが、反抗期だと思えば納得できるし、それを除けばとても真っ直ぐに育ったと思う。
「始さん、お客様相手にそんな顔は良くないよ」
「天音ちゃんの言う通りだぜ? もっとこう、にこやかに出来ないのかねぇ」
「……海堂、お前の事は客だと思っていない」
 ギロリと睨みつけて言う始の言葉に、海堂はやれやれと言った感じで肩をすくめる。
 どうやらこのやり取りは毎度の事らしく、天音も特に止める様子もなく楽しそうに眺めていた。
 一時期の、ひどく落ち込んでいた始に比べれば、随分と明るくなった物だと、そう思いながら。
「どうも~」
 そんな思いに浸りかけた瞬間。
 能天気な声と共に、常連客の一人が、連れらしい男達と一緒に入ってきた。
 声の主は、城戸真司。「Café mal D'amour」から、紅渡、襟立健吾、桜井侑斗、そして秋山蓮を連れてきたのだ。
 ……侑斗と蓮に関しては、「無理矢理」と言う単語を頭につけた方が良いかもしれないが。
「あ、城戸さん。後ろの人は、お友達ですか?」
「まあね」
 ニコニコと笑顔を向けて問いかけてくる天音に、これまたニコニコと笑顔で返す真司。
 常連だけあって、空いている席に勝手に移動を始めている。
「……また喫茶店か。飽きない奴だな」
 蓮がコートを脱ぎながら、心底呆れたような声をあげたが、それすらも真司の耳には届いていないようである。
 そんな蓮の後ろでは、心底嫌そうな顔をしている侑斗と、興味深そうに店内を見回す渡と健吾。
「mal D'amourとは、また違う感じの店やな」
「ええ、そうですね。静かな感じで、落ち着きます」
 ログハウス風の店に、どことなく自分の家が重なったのか、穏やかな表情で渡は健吾の言葉に応える。
 こんな店でバイオリンが弾けたら良いだろうなぁ、と思いつつ周囲を見回した……その視界に。海堂の姿が飛び込んできた。
 海堂も渡に気付いたのか、一瞬だけ考えたようなそぶりを見せ……何処で会ったのかを思い出したらしい。
 口を、「あ」の形にして、渡を凝視した。
「お前……この間の」
「その節は、どうも」
「……おう」
「知り合いなんか、渡?」
「はい。この間、ちょっと」
 オルフェノク、という単語を大声で口にする訳にもいかず、渡は健吾の問いに言葉を濁す。
 自分と太牙を助けてくれた、あの蛇のオルフェノクだ。
 偶然とは、恐ろしいものだなぁと暢気に考えつつ、渡は真司のいる座席の方へと向かう。
 一方の海堂はと言うと、何も言わない渡にほっとしていた。
 ……オルフェノクである事を隠すつもりはないが、大っぴらにするつもりもない。そういう意味では、何も言ってこない渡がありがたかった。
 思いつつ、海堂は視線をその後ろに立つ、友人らしい男に移し……彼の持つギターに気付いた。
「……お前、ギター弾くのか?」
「え?」
 海堂の問いに、不思議そうな声で健吾は聞き返す。興味本位……という声ではない。それどころか、絞め殺されそうな視線を向けられ、思わず健吾は一歩下がる。
 海堂の瞳の色が、灰色に染まったように見えたのは気のせいか。
「弾くのか?」
「……いえ、俺、腕に怪我して。それ以来、まともには弾かれへんようになってるんですわ」
 再度問われ、健吾は右腕を庇うようにして、海堂の問いに答える。
 医者に、ギターを弾く事は出来ないと言われた。
 実際、以前のようには弾けないし、聞き苦しい騒音しか出ない。それは本人が一番良く知っている事だ。
「けど俺、俺のギターで、世界中の人をジンジン言わせるのが夢で……やっぱり俺、夢を諦めきれへん。それに、こいつは原点やから」
「……だから、持ち歩いてんのか?」
「勇気がもらえるような気ぃがするんです。おかしい……ですか? やっぱり」
 今持っているギターは、自分がギターを始めた時から付き合っているもの。
 自分が下手だった時を、このギターは知っている。適当にかき鳴らすしか出来なかった、あの時の自分を。
 だからこそ、このギターを持ち歩き、初心に返る。渡との出会いも、怪我をした事も、何もかもを後悔しないために。
 それを、おかしいと思う人もいるかもしれない。
 ただの独りよがり、自己満足だと言った人間もいる。
 目の前の男も、そう考えているのだろうか……そう思い、恐る恐るそちらを見ると……彼は何故か、微妙な笑顔を浮かべていた。
 馬鹿にしている様でもなく、呆れている様でもない。強いて言うなら、自嘲しているような笑みを。
「……別に。おかしくなんかねーよ。って言うか、弾けなくなったのに持ち歩くって……強いと思うぜ、俺は」
「へ?」
「俺の……『知り合い』の話だけどよ、そいつもやっぱり、ギター……つってもクラシックギターが好きで好きでたまらなかったんだけどな。やっぱり、手に怪我を負って、ギターなんか弾けなくなった」
「そんで……?」
「よくある話だ。やさぐれて、ブラブラして、その日暮らしの生活開始。夢を断念して、自分に出来る事を探してる最中」
 ……言いながら、海堂の視線はどこか遠くを見つめていた。
 「知り合いの事」を装っているが、実際は彼自身の事である。
 オルフェノクに襲われ、その時は命を取り留めたものの、ギタリストとしての夢を絶たれた。直後には、別のオルフェノクの襲撃に巻き込まれ、人間としての命すらも絶たれた。
 ……オルフェノクとして覚醒し、再度生を得たのは、幸運だったのか不幸だったのか。
 だが少なくとも、海堂自身は目の前に立つ「自分と似たような境遇に置かれた青年」との出会いを、不幸だとは思わなかった。
「もう、何年も前の事だけどな」
 言って、海堂は自分の右手を見つめる。
 僅かに灰化しつつあるその手を。
 それに気付いた人間が、どれだけいるのかは分からないが。
「……それにしても、一真も来れば良かったのにな」
 重苦しくなってきた空気を断ち切るように、真司がわざと明るく言葉を放つ。
 ここの名前を出した瞬間の一真は、微妙な表情をしていた。悲嘆と、恐怖と……どこか、懐かしそうな、色々な感情が入り混じった、そんな表情。
 それに気付いたのは、蓮と侑斗くらいの物だったが。
「そうですね、こんな良い雰囲気のお店なら、きっと剣崎さんも気に入ったと思います」
 渡が同意するように、その名を口にした瞬間。
 丁度注文を運んでいた相川始の動きが、止まった。
 驚いたように目を見開き、一瞬だけ殺気にも似た空気を放つ。
 二人の口から漏れた名をつなぎ合わせて出来るのは「剣崎一真」……自身が失った親友の名だったからか。
「剣崎、だと?」
「あれ? 始君、一真の事知ってるのか」
 きょとんとした顔で、真司は始の顔を見やる。
 いつもはにこやかな……それでいて、どこか人との距離を置いているような彼が、今は真司が見た事もない、奇妙な形相でこちらを見ていた。
 この店の名前を聞いた時の一真と、似たような表情を。
「城戸さん、剣崎さんの居場所、知ってるんですか?」
「居場所って言うか……最近良く会うんだけど……」
 始同様、天音のどこか切羽詰った問いに、真司は圧された様に答える。
 一真が、どうかしたのだろうか。思った時、出会ったばかりの頃の一真の姿が頭を掠める。
 何だろう、あの時何か、言っていたような……
「何だ相川、知ってる奴か?」
「……俺の……親友、だった男だ」
「親友……『だった』? どう言う意味だ、そりゃ?」
「剣崎さん、数年前に突然いなくなっちゃって……始さんと、凄く仲が良かったのに」
 蚊帳の外の海堂に、天音は辛そうな表情で答える。
 剣崎一真と言う名の男がいた事、その男と始が気の置けない仲であった事、そして……ある日突然、その姿を消してしまった事。
 そこまで聞いて……蓮の脳裏には始めて会った時の一真の言葉が蘇る。
――俺にはもう、そんな風にやり取りできる相手が、いませんから――
 その言葉を、真司も思い出したらしい。驚いたような顔で始の方を見て……
「じゃあ、始君が、一真の……」
「だろうな」
 こくりと頷き、蓮は改めて始を見やる。
 一真が真司に似たお人好しならば、始はどこか蓮に似た、シニカルかつ、人を突き放したような印象を持つ。
 ミルクディッパーで出会った時、一真は自分達に、自らの姿を重ねたのではないだろうか。
 彼らと別れた理由は分からないが、何か余程の事があったに違いない。
 ……そんな二人を、引き合わせて良いものか……
「あいつは、今どこにいる!?」
「多分、ミルクディッパーじゃないか?」
 噛み付かんばかりの勢いで迫る始に気圧されたのか、真司は少し引き気味になりながら答えてしまう。
 横では、蓮が小声で「馬鹿が」と呟いたような気がするが、そこはさらりと流す。
「そこに、剣崎が……」
 自分と一真が別れた理由を考えれば、絶対に会うべきではない。
 少し前……二〇〇七年一月に、少しだけ会った時も、一真の方から距離を置き、別れた。
 それでも……会うべきではないと分かっているのに、会いたいと願ってしまう。
「始さん」
「天音ちゃん……?」
「行ってきた方が良いよ。剣崎さんは、始さんの親友でしょ?」
「だが……」
 会ってはいけない。会えば、自分が人間でいられる保証はない。剣崎と戦い、世界を滅ぼすジョーカーに、戻ってしまうかもしれない。
 そう思ったその時。始さん、と、ほんわかとした女性の声で呼ばれた。
 ……この店の女店主、遥香だ。見かけないと思っていたが、買い物に行っていたらしく、その手には買い物袋と、今取ってきたばかりらしい郵便物が乗っている。
「あなた宛に、荷物が届いているんだけど」
「……俺宛に、ですか?」
「ええ。『青器あおき 龍水りゅうみ』って人から」
 やって来た遥香に手渡された「荷物」は、割と小さいものだった。カードケースくらいの大きさで、厚みもそれ程あるわけではない。
「誰だ……?」
 始の知り合いなど、限られている。ましてや贈り物をしてくるような人間など、共にアンデッドと戦った存在……剣崎一真、橘朔也、上城睦月のくらいだろう。
 差出人に覚えはないが、なぜかその荷物からは、懐かしい感覚がしている。その感覚に誘われるように、始はその場で荷物を開け……中を見た瞬間、ぴたりとその手が止まった。
 背の赤い、トランプに似た十二枚のカード。
 端にはハートのマークが入っており、「ハートの2」のカードだけが欠けている。
 ……当然だ、そのカードは、始の手元にあるのだから。
 中には手紙らしき物が同封されており、カードよりも先にまずそちらを取り出してみる。

――相川始様
 このカードを、あなたに。
 月が姿を隠した今、あなたを束縛する者はない。
 剣の戦士との邂逅は、あなたに劇的な変化をもたらすでしょう。
 愛と友情、それがあなたの持つカードの意味。
 恐れずに進みなさい。
 それがあなたの鍵になるから。
東方の守護者 青器龍水――

 たったそれだけの、意味不明な文章。
 それなのに……始は、何故か受け取っても平気だと思えた。
 「青器龍水」なんて人物は知らない。
 まして自らを「東方の守護者」などと称し、封印したはずのこのカード……ラウズカードを送ってくるような怪しい人物だ。人間ではないかもしれない。
 ここにいる、海堂や……真司の連れてきた、渡と言う名の青年のように。
 彼が剣崎一真と別れてから知ったのだが、自分が思う以上に「ヒトにあらざる者」が多いらしい。アンデッドと戦っていた時は全く気付かなかったが、最近ではアンデッドとしての特異な勘のような物が更に強く働くようになったのか。
 だが、始が出会った人外の存在達は、ヒトに害をなす事なく……むしろ、人間よりも人間らしい心を持っている者が多かった。
 ……ここにいる海堂などは、その最たる例だ。天音に危害を加えるでもなく、単純にここにはコーヒーを飲みに来ている。そう言う相手を見ても、彼の闘争本能が刺激されるような事はない。
 勿論、出会ってきた者達はアンデッドではない。だからこそ、闘争本能が刺激されないのかもしれないが……
 大丈夫、なのかも知れない。根拠はない。だが、何故か分らないがそう思える。確信できる。
 だからと言う訳ではないのだろうが、始は……心を決めた。
 剣崎一真に、会うと。
 ひょっとしたら、自分はまた、ジョーカーに戻るかもしれない。それでも、始は「相川始」であるために、一真に会うべきだと……そう思った。
 そう決意した瞬間。
 転がり込むように、一人の青年が店内に入や、周囲をきょろきょろと見回す。
 重苦しかった雰囲気が、彼の登場により一気にぶち壊され、ほっと一息つけるような空気が漂う。誰かを探しているのか、不安そうな顔でひとりひとりの顔を覗き込み……そして、見つけたらしい。
 物凄く嫌そうな顔でこめかみを押さえ、出来るだけ目を合わさないようにしている、その青年……桜井侑斗を。
「侑斗、大変だ!」
「お前、何で……」
 今まで「我関せず」を貫いてきた侑斗に、突然の訪問者が泣きつくように縋りつく。
 訪問者の顔は、侑斗その物。ただし瞳の色は緑だし、髪も侑斗と違って長い上に一房だけ緑色だ。
「な、何だ!? 侑斗の兄弟か?」
「あ、はじめまして、桜井 白尾しろおです。侑斗をよろしく」
「あ……はい……」
 驚いたような声をあげた真司に、白尾と名乗った青年……言わずと知れた侑斗のイマジン、デネブは何処からか取り出したキャンディーを、侑斗以外の人々に配り始める。
 ……物凄い、純粋な笑顔で。
「お前は……少しは懲りろ! キャンディー配ってる暇があるなら用件を言え!」
「ああ、痛いって侑斗」
 デネブの耳を引っ張りながら、侑斗は押さえ込むようにしてその場に座らせる。
 大変だ、と言っておきながら、にこやかにキャンディーを配っている、自分と同じ顔をした男を見るのが嫌だったからか。
 それとも照れ隠し的な愛情表現なのかは分からないが。
 とにかく強制的に座らせられたデネブは、はっと思い出したように真剣な表情になり……
「実は……トンネルから、変な物がこっちに来たんだ」
「何?」
「モモタロス達も野上の所へ行って知らせてる。侑斗も野上と合流してくれ」
 その、どこか切羽詰ったような物言いに、侑斗は「何か」を感じ取ったらしい。
 勢い良く立ち上がると、侑斗は何も言わずに店を後にする。
「あ、おい、ちょっと待てよ侑斗!」
 ただならぬ空気を察知し、真司もその後を追う。そんな真司に引っ張られるように、渡も彼らの後を追うように駆け出した。
 おまけに、始までもが何かに引き寄せられるように彼らの後を追う。
「……ち」
 既に後姿も見えなくなっている三人を見送って、蓮が小さく舌打ちをする。
 そして……
「……ご馳走様。美味かった」
 言うと同時に、会計を済ませる。
 ……無論、真司、侑斗、渡の分込みで。
「俺は帰るが、健吾、お前は?」
「……俺も、そろそろ帰りますわ」
「俺も帰るわ。天音ちゃん、またな」
 お開き、と言った雰囲気になり、誘われてもいない海堂も、天音の頭を優しく撫でて、店の外へと出て行く。
 一方、蓮は財布を懐にしまいこみながら、ぼそりと、
「……あいつらには、後で倍額を吹っかけておくか」
 誰にも聞こえぬよう、そう呟いていたと言う。
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