生者の墓標、死者の街

【その1:日常風景 ―イツモ―】

 「西暦二〇〇五年のトンネル事件」。
 それは、異世界の「神」……「月」と呼ばれる存在が、この世界を取り込もうとした事件。
 彼の放った刺客である「月の子イマジン」と、この世界の守護者たる「皇帝の下僕アンデッド」を操り、自分の都合の良いようにこの世界の歴史を変え、自らの世界と統合させてしまおうと言う計画。
 しかしそれは、操りきれなかった一部のアンデッドと、真実を知らぬままヒトに共感したイマジン、そして、強い「意志」を持った人間によって阻止された事で、この事件は収束した。
 これは、その事件からほんの少し後に起こった、新たな侵略者との戦いの物語。

 ライブラリーカフェ、「Milk Dipper」。
 今日も今日とて、女主人の野上愛理目当ての男性客で賑わっている。ほぼ満席、と言っても過言ではない。
 そんな中。
「うあぁぁ、腹減ったぁ……」
「……五月蝿い」
 四人掛け用のテーブルに突っ伏し、呻くように言った男に対し、同席していたもう一人の男が冷たくあしらう。
 ……突っ伏している男の名は、城戸真司。「OREジャーナル」と言う名のネット配信社の記者であるが、大抵は仕事をせずにサボってばかりいると専らの噂。三十代近いのだろうが、やんちゃ坊主をそのまま大人にしたような人物。
 もう一人は秋山蓮。普段は「花鶏あとり」と言う喫茶店で働いており、休憩によくこの店を利用する常連。かつ、真司の親友でもある。年齢は真司と同じくらいだろうが、落ち着いた雰囲気がある分、真司よりも若干大人びている。
 この二人は、数少ない「愛理目当てではない男性客」だ。純粋にここのコーヒー目当てに通っている。
「腹が減ったと喚いていれば、俺が奢るとでも思っているのか?」
「……そうでした。お前はドの上に超が付くほどのケチでした」
「そう言う事だ」
 諦めたように呟いた真司に、蓮は手元の星座の本から目を離す事なく言い放つ。
 言葉に温度があるのなら、真司はとうに蓮の言葉によって氷漬けにされていたに違いない。
「あの……城戸さん、これ」
「ふぇ……?」
 頭上から降ってきた青年の声に、間の抜けた声で返す真司。顔を上げれば、そこには白い皿に燦然と輝くサンドイッチが差し出されている。
 差し出したのは野上良太郎。愛理の弟であり、この店のアルバイトでもある。人の良さそうなはにかんだ笑顔を浮かべ、世間にすれた様子など微塵も感じさせない、純粋な青年である。
「……良太郎、これ……俺に?」
「はい。僕からのサービスです」
「良いのか?」
「どうぞ」
 良太郎に勧められ、真司は崇めるように良太郎を拝むと、皿に乗ったサンドイッチを口に放り込む。
 普通のBLTサンドだが、飢えていた真司にとっては、何よりものご馳走に感じた。
「はぁ……良太郎、こいつを甘やかすな。どこまでも付け上がるぞ」
 呆れたように蓮が忠告する。言葉に棘があるが、本気で突き放している訳ではなさそうなのが、傍で聞いていて良太郎には伝わった。
 一方の真司は、蓮の言葉に反論しようとしたのだろうが、口の中にはまだサンドイッチが残っているのでもごもごとしか声が出せない……そんな時だった。
 カランとドアベルが鳴り、一人の男が入ってきたのは。ボロボロになっているジャケットを着ており、小脇には塗装が落ちたヘルメットを抱えている。
「……こんにちは、良太郎」
 男は、良太郎を見つけると、人懐っこい笑顔で挨拶をする。
 二十代後半くらいだろうか。どことなく真司に近い、「お人好し」の空気を纏っているように、蓮には思えた。
「剣崎さん、いらっしゃいませ。……あ、でも……」
「満席、みたいだな」
 良太郎に言われ、剣崎と呼ばれた男は苦笑混じりに呟く。
 彼の名は剣崎一真。元は「人類基盤史研究所」……通称、BOARDの職員であったのだが、今は「一身上の都合」により退所。数年間、あてのない旅を続けていた。しかし、最近はこの辺りに出没する事が多くなった。
「……相席で良いなら、座って良いぞ」
「良太郎の知り合いみたいだし」
 空いていた椅子を引いて、蓮と真司は引き返そうとしていた一真を、半ば強引に座らせる。
「あんたも常連? でも、会うのは初めてだよな?」
「え……ええ。そうですね」
 にこにこと悪意の欠片もない笑顔で問いかける真司に、一真は僅かに距離をとりながら答える。
 初対面なのだから、距離を置こうとするのは当然なのかもしれないが。
「俺は城戸真司。で、こっちの無愛想なのが……」
「秋山蓮だ。言っておくが、別に俺は無愛想な訳じゃない。相席になった相手に、親しげに話しかけるお前の神経を疑っているだけだ」
「何だよそれ! まるで俺が何も考えてないみたいじゃんか」
「何だ、今頃気がついたのか?」
 蓮にしれっと言われ、真司は恨めしげな目で言葉の主を見やるが、見られている方は特に気にした様子もなく、淡々とコーヒーをすすっている。
 その様子に一真は、何となく既視感を覚えた。
 ……かつての自分と、親友の姿が重なったのかも知れない。彼らのやり取りに、自然と笑みが零れる。
「……笑われてるぞ、城戸」
「俺のせいかよ!?」
「他に笑われる要因はないと思うが」
 一真の笑みに気付いて、茶化すように言った蓮に、真司は不服そうに異議を申し立てる。
「いや、二人を笑ったんじゃありません。ただちょっと……懐かしいなって。俺にはもう、そんな風にやり取りできる相手が、いませんから」
 言いながら、一真の顔に翳が降りる。
 瞳の奥に、救い難い悲しみが潜んでいるのも、真司と蓮には見て取れた。
 それに何を感じ取ったのか、真司は何かを決意したように小さく「っしゃあ」と声を上げると、一真の顔を覗き込み……
「……じゃあさ、俺と蓮がその相手になるよ」
「……え?」
「だからさ、今みたいなやり取りのできる相手になるって言ってんだよ」
「……おい、城戸。人を勝手に巻き込むな」
「そう言うけど、蓮も嫌じゃないだろ?」
 真っ直ぐな視線で見返され、蓮は小さく溜息を吐き……これまた小さな声で、まあな、と呟いた。
 真司に似た、真っ直ぐな瞳を持つ一真に、蓮も何となく「放っておけない」気分になったのかも知れない。
「まずは……お前の名前、聞かせてくれ。そうじゃなきゃ、何も始まらない」
 にこやかに。それこそ、何も考えてないような笑顔で。
 城戸は、一真にそう言うと、ゆっくりと右手を差し出す。
「……剣崎。剣崎一真、です」
「よろしくな、一真」
「はい、城戸さん。それに、秋山さんも」
 城戸の笑顔につられて一真も、差し出された右手を握り返し、そう笑顔で返す。
 その様子を見ていた良太郎も、どこか安堵したような笑みを浮かべていた。

 一方、こちらは時の列車、デンライナー。
 食堂車には、いつもの様にモモタロス達がたむろしていた。
 その姿は、良太郎に憑いた時の姿……即ち、人と何ら変わりないものであった。
 時間の中も、路線のつながっていないトンネルはあるが、いつかのように異常な程大きいと言う訳でもない。
 至って平穏ではあるのだが、いつ、また前回のような事があるか分からない。
 ……イマジンとは異なる敵の存在。多少は慣れたとは言え、やはり何か、不快な感じは拭いきれなかった。
「……とは言ってもよぉ」
 何の気なしに、赤い瞳の青年が困ったような声で呟く。
 良太郎と同じ顔だが、その真紅の瞳と逆立った髪、そこに混じる一房だけ赤い髪、そして何よりも、良太郎とは異なる声。
 モモタロス。人前では、「野上 モモ」と名乗っている、人に変じたイマジンの一人。良太郎と最も付き合いの長い、イマジンである。
「どうしたの先輩、珍しく困ったような声出して。明日は雨……いや、槍でも降るんじゃない?」
 茶化すように返したのは青い瞳を持つウラタロス。彼もまた、人に変じたイマジンであり、話術や音楽関係等、ナンパに関する事に長けた自称「釣り師」。……他人には、「詐欺師」とも呼ばれているようだが、本人はあまり気にしていないらしい。最近も、「野上浦」の名で女の子をナンパしていると言う噂もある。
 茶化された方は、その事を気に留めた様子もなく、唸りながら言葉を返した。
「いやな、『イマジン以外の敵』ってのが、今一つピンと来なくてよぉ……」
「亀の字の茶化しにも反応せぇへんとは……こら重症やな」
 驚いたように言ったのはキンタロス。その金色の瞳を大きく見開き、軽く首を捻る。
 義理人情に篤く、強さを求める格闘家肌だが、元のイメージが熊であるせいか、それとも元々そう言う体質なのか、普段は寝てばかりの彼が、珍しく目を覚ましていた。
「モモタロスが考えたって、どうにもなんないのにね~」
 継いで言ったのはリュウタロス。キンタロスの長い髪を弄びながら、その紫の瞳をちらりとモモタロスの方に向けると、既に思考回路がオーバーヒートしているのか、彼は机に突っ伏して唸っていた。
「……ほらほら先輩、干物な脳みそで考えるから……」
「うるせぇ……」
「でも、確かにそうよね。この間のアンデッドや、ちょっと前に見かけたファンガイア……それ以外って言われると、想像つかないわ」
 別の席で、少女がモモタロスに同意する。
 彼女の名はハナ。見た目は十歳前後だが、そうとは思えない雰囲気を放っている。
 モモタロス達とは異なり、れっきとした人間であり、なおかつ時間の改変による影響を受けない、特異点と呼ばれる存在である。
「あ、あとミラーモンスターと言うのも、いるぞ」
「デネブ?」
 普段なら同じ、時の列車であるゼロライナーに乗っているはずのデネブが、ほのぼのとお茶をすすりながら会話に入ってくる。
 彼も、この場にいるイマジン同様、彼の契約者である桜井侑斗に憑いた時の姿である。
 見た目が若者なのに、お茶のすすり方が妙に爺臭いのは、デネブの元の性格のせいか。
「ミラーモンスター?」
「うん。ネガタロスと戦う少し前に、ちょっと、異世界に。そこにいたのが、ミラーモンスターだ」
「ふむ。普段から、最もこの世界に近い場所にある世界の住人だな」
「何であんたが知ってるのよ、ジーク」
 不審そうにハナは、一人豪勢な食事をしている青年……ジークに向かって問う。
 ジークと呼ばれた、灰色の瞳のその青年は、優雅な仕草で口元を拭い、意味ありげな笑みを浮かべてハナの方に向き直る。
「何と言う事はない。知り合いが、その世界にいるからな」
「知り合い?」
「そう、知り合いだ」
 それ以上答える様子もなく、ジークは視線をハナから窓の外へ移す。
 そうなったら、何も答えない事を知っているのか、ハナは大きな溜息を一つだけ吐いて、未だ机に突っ伏して唸っているモモタロスを見やる。
 見られている方は、余程考えすぎたのか、うんうん唸りながら復活の兆しすらない。
「本当に、明日は雨かも」
「……うるせーよ、コハナクソ女」
 唸っていても、突っ込みを忘れないモモタロス。
 しかし、例え相手が具合悪そうに突っ伏していても、鉄拳制裁を忘れないハナ。
 一通り、いつもの流れが終わり、ウラタロス達もまた、小さく溜息を吐く。
 そんな中、今まで楽しそうにキンタロスの髪を弄っていたリュウタロスが、ふと思い出したように口を開く。
「ねぇねぇ、そう言えば、何でオデブちゃんがデンライナーにいるのー?」
「ああ、それなんだけど……ゼロライナー、しばらく使えなくなっちゃって」
 好奇心旺盛なその問いかけに、あからさまにしょげた様子でデネブは答えた。
 放っておくと、どこまでも落ちていきそうな落ち込み具合である。
「故障でもしたんか?」
「いや、そうじゃなくて。オーナーが……」
「オーナーって、ゼロライナーの?」
「ああ、うん。ゼロライナーのオーナーが、『ちょっと野暮用で使いたいから、二人ともしばらくその辺で時間潰してて、あはは~』って……」
 そう言って、デネブは深い溜息を一つ。
 普段から、空気が読めないなどと言われているデネブだが、そんな彼ですら、ゼロライナーのオーナーに振り回されているらしい。
 デネブでこの様子なのだから、彼の契約者はさぞかし不機嫌だろうな……などと言う思いが、ハナの脳裏を過ぎる。
 一度も会った事はないのだが、以前起こった「ネガタロス騒動」の時に少しだけ侑斗から聞いた話では、ゼロライナーのオーナーは、デンライナーのオーナーとは違う意味で変人らしい。その中でも端的な表現が、「白衣の変態」。
 話しているだけで、相当疲れたような様子を見せていたのを思い出す。
 そんなハナの回想をよそに、デネブはしょんぼりしたまま……
「……今日こそは侑斗に、椎茸ご飯を完食してもらおうと思ってたのに……」
「って、落ち込む場所はそこなんだ……」
「何を言うんだカメタロス。今日はこの間知り合った人から貰った、良質の『香信』があったのに。食べないなんて、折角くれた吾郎さんになんてお詫びすれば良いのか……」
「え? 干し椎茸じゃないの!?」
「ううん。生椎茸」
 嬉しそうに言うデネブ。しかし、その場にいた彼以外の全員は、同時に想像したと言う。
 ……胞子のせいで、至る所から椎茸の生えているゼロライナーを。
 ……実際には、椎茸の特性上、そんな事になるはずもないのだが、何が起こるかわからないのが、時の中である。
 デンライナーは、そんな平和……かどうかは微妙な雰囲気ではあるが、それなりに平穏な空気だった中。
 ひらりと。
 線路のないトンネルの一つから、青い羽根の蝶が舞い出て来た事など……この時は、まだ誰も気付いていなかった。
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