☆特捜戦隊デカレンジャー&仮面ライダーキバ☆

【Episode23:ナイトメア・ナイト】

 深夜と呼んで差し支えない時間。
 静まり返った底なしの闇の中から、「彼」は闇以上に底の見えない、暗く虚ろな瞳でエージェント・アブレラの前に現れた。
 青紫色の服装に、右目の下には稲妻や牙を連想させる形の青い刺青が入っている。
 整えていれば端正な顔立ちの青年なのだろうが、今はその面影もなく痩せこけ、あたかも生きた屍のような印象を受ける。土気色の肌は乾燥して荒れており、刺青のない左目の下には、寝不足からかくっきりと濃紺色の隈が浮いている。
 ふらりとよろめきながら近付いてくる彼は、果たして本当に生きているのだろうかと疑いたくもなるのだが……瞳の奥に燻っている憎悪が見て取れる以上、一応は生きているらしい。
「エージェント・アブレラ。僕に、奴らを……宇宙警察の連中を葬る術をくれ」
 彼の名はインキュバス・ヘルズ。表立っては知られていないが、ヘルズ兄弟の真実の末弟である。
 知られていない理由は単純。彼は表舞台には立たず、裏で兄達や姉に悪意ある計画を提案する「頭脳派」だからだ。いや、頭脳派「だった」からと言い直すべきか。何故なら、彼が尽くしてきた愛すべき兄姉達はこの星の宇宙警察の連中に倒され、自分だけが残ってしまったから。
 己が表舞台に立つ事がなかった為に、「ヘルズ兄弟」は「三人」だと思われていた。宇宙警察の連中は、「ヘルズ三兄弟を倒した」と安心し、陰に潜んでいた自分の存在に気付かなかった。その結果、彼はヘルズ兄弟唯一の生き残りとなった。
 ……だが、果たしてそれは幸運だったのだろうか。死ななかった、見逃されたとは言え、兄や姉のいない世界に何の意味があるのか。
 一人っ子というものが有りえないリバーシア星に生まれた彼は、生まれて初めての孤独に絶望し……しばらくの間、生きていながらも死んでいるようなものだった。
 何故自分は生きているのか。そればかりを考え、悩んだ。
 強くて頼りになった長兄、頭は弱いが力のあった次兄、そして美しくも残酷だった双子の姉。「最悪のアリエナイザー」と呼ばれていた兄姉達であったが、それでも自分は彼らを尊敬していた。大好きだった。
 そんな、大好きな彼らの存在を思い出す度、何の力も持たぬ自分を嘆き、何故死んだのが自分ではなかったのか、いっそ自分も死ぬべきか……と考えた。だがそれすらも出来ず、彼は今日まで生きた。
 自分が生きる意味。このつまらない、無価値な世界で、今なお生かされている理由。それを考えに考え、そして出た答えは……「復讐」の二文字。
 兄達と姉を殺した存在を葬る為に、自分は生かされているのだと思うようになった。そうしなければ、尊敬してやまない兄姉達のいない寂しさに、耐えられなかったのかもしれない。
 しかし彼には、長兄のような絶対的な力も、次兄のような剛力も、そして姉のような技もない。彼の持つ物と言えば、残虐な思考回路だけ。
 だからこそ、アブレラの元を訪れたのだ。自分の持たぬ「力」を補う為に。
「復讐の為の道具か?」
「そうだ。僕ぁ、あいつらを殺し、兄弟の……特にサキュバス姉さんの無念を晴らしたい」
 双子であったが故、なのだろう。インキュバスにとって、サキュバスは他の兄二人よりも思い入れの深い存在だった。
 力を持たない彼を二人の兄は蔑み、嘲ったが、サキュバスだけは彼の持つ「残虐な思考回路」を認めてくれた。
――あんたの代わりに、あたしが暴力を振るう。だからあんたは、お兄ちゃんよりも残酷なその頭で、何をしたいか言えば良いの。あたしが全部、叶えてあげるから――
 そう言ってくれた彼女が、何よりも誇らしかった。愛していたと言っても、おそらく過言ではない。いや……現在進行形で愛している。
「おやおや。ただ殺す……それだけで良いんですか? 誰よりも残虐な思考回路を持つと言われている、インキュバス殿らしくありませんね」
 嘲るようなその声は、アブレラではない。
 声のした方へ視線を送れば、そこにはアブレラの背後で何かの本を読んでいる、一人の男性だった。推理小説だろうか。薄闇の中、目を凝らして見た表紙には「And Then There Where None」と書かれている。
――「そして誰もいなくなった」なんて、皮肉か?――
 そんな事を思いながらも、インキュバスは無意識の内にその男を観察する。
 これと言った特徴はなく、記憶に残りそうにない顔立ちなのに、そこに存在するだけで妙な存在感を放っている。彼の口元に浮いた薄い笑みは、本で隠されているにもかかわらず、インキュバスの心をざわめかせた。
「……何だ、君は?」
「アブレラの同業者です。お気になさらず」
 こちらが睨んでいる事に気付いていないらしい。あるいは気付いていながらも気にならないのか、「アブレラの同業者」とやらは特に気に留める風でもなく、視線を本に落としたまま答える。
 そんな彼に、アブレラは困ったような溜息を吐き出すと、ばさりとマントを翻してその男に声を投げた。
「私の商売の邪魔をするなら、出て行って欲しい所だな、エステル」
「邪魔だなどと。私はただ、彼の持つ『愛』は、所詮その程度だったのかと失望しただけですよ。殺すだけで満足できる程度の……ね」
「……何ぃ?」
 エステルと呼ばれた男の言葉に、インキュバス自身も信じられないくらいの低い声が出る。
 その声に反応する部分があったのか、相手はようやく本から顔をあげると、インキュバスの顔を見てニヤリと笑った。
 どことなくその笑い方は……自分が「悪巧み」を思いついた時の顔と同じように思えて、インキュバスは思わずびくりと身構える。
 自分は、あんな風に歪んだ笑みを浮かべられるのだと、改めて思い知らされたような気がして。
「あなたは、蘇って欲しいとは思わないのですか?」
「……何だと?」
「ああ、失礼。それが出来る、たった一つの方法を、私は先程アブレラに売ってしまったんでしたね。申し訳ない。失言でした、忘れて下さい」
 パタンと本を閉じ、そのまま芝居がかった仕草で一礼をするエステルを見やりながら、インキュバスは今言われた事を反芻する。
 ……蘇って欲しい。それはずっとずっと思っていた事だ。出来るのならばとっくにやっている。だが、どんなに探してもそんな方法は見つけられなかった。
 それが……出来る? 本当に?
「よ……寄越せ! それを、僕に!!」
 縋るような思いで、インキュバスはアブレラに詰め寄る。彼のマントを掴み、思い切り引き寄せながら。
 しかしアブレラは冷たく彼の手を払うと、フンと鼻で笑い……
「売ってやっても良いが、値段は即金で二十万ボーン。……払えるか?」
「払う。皆が……姉さんが蘇ると言うのなら、いくらだって払ってやる!」
 間髪入れずにそう答え、今まで隠し持っていた札束を投げ捨てるようにアブレラへ渡した瞬間。目の前の商人はニィと笑い……そして、懐から一本のメモリのような物を取り出した。
 筐体の色は虹色。真ん中に「F」の字が書かれたシールが貼られている。
「これは、何だ?」
「ガイアメモリ。エステルから仕入れたばかりの『方法』だ」
 こんな小さい物が、本当に「方法」なのだろうか。
 不審に思いながらも、インキュバスはそれを受け取り……使ってみて、理解した。
 最愛の姉を蘇らせる方法を。
 そして、宇宙警察の人間に最も屈辱的な「死」を与える方法も。

「ああ、来たねぇ。デカレンジャーと二人のキバ」
 日が傾き、昼と夜の狭間……逢魔刻おうまがときを迎えた頃。
 落ちかけた陽の光のせいで緋に染まった室内では、バン達を待ち侘びていたかのような口調でインキュバスが言葉を紡ぐ。
 彼の足元にはガラスに似た欠片が散乱しており、それが射し込んだ陽の光を乱反射して室内に不可思議な斑模様を生み出している。しかし、こんな大量のガラス片など、先程の画像の中にあっただろうか?
 不思議に思いながらその欠片を見つめ……しかし、すぐに気付いた。その欠片が、かつては「ヒト」であったものの残骸であると。
「まさか……あなた、人質を!?」
「ああ。お前達が遅かったから、皆殺しにしちゃった」
「お前!」
「何て事を!」
「僕のせいかなぁ? 駆けつけるのが遅い、君達が悪いんだと思うけど?」
 クスクスと笑いながら言ったインキュバスに、バンと渡の声が重なる。
 それぞれに、亡くなった人の多さに対するやるせなさと、その命を奪った相手に対する怒りのような物がこみ上げているのだろう。直情型のバンはギリ、と歯を食いしばってインキュバスを睨みつけ、渡の方は静かに、だが怒りの篭った視線を相手に投げかける。
 しかしそんな彼らの様子すらも楽しんでいるのか、インキュバスはやはりニヤニヤといやらしい笑みを浮かべたまま、狂気に彩られた目で彼らを悠然と見回し言葉を紡ぐ。
「怒った? 怒ったよねぇ? ……僕だって怒ってるんだ。兄さんと姉さんをデリートしたお前達にねぇ」
 言うと同時に、懐から細長い虹色をしたUSBメモリのような物を取り出す。それが一体何なのか、どのように使うものなのか、バン達には知る由もない。
 ただ、それがひどく危険なモノである事は、それまでの経験から容易に推測できた。
「それで、僕ぁ考えてみたんだ。お前達に対する復讐の方法を。ただ殺すのは面白くない。最も屈辱的な死を与えなければ気が済まない。そして出た答えは……お前達の死に際に教えてあげるよ」
 訝るような視線を送る「仇」に向かってそう言うと、インキュバスは自分の右手を彼らに向けてかざす。
 その刹那、小さく黒っぽい複雑怪奇な幾何学模様が、向けられた掌に浮かび上がるのが見て取れた。その模様は、何かのコネクタを髣髴とさせる。
 この状況において「何か」に該当するのは、インキュバスが持つメモリだろう。という事は、彼はあのメモリのような物を挿すつもりなのか。しかし、模様はあくまで模様に過ぎない。端子に合わせた窪みが出来ている訳ではなく、ただ皮膚の上に黒い線が描かれているだけだ。
 メモリの存在も、模様をコネクタのようだと思ったのも、「印象」にすぎない。本当に挿す事が出来るのかどうか、非常に疑わしい部分がある。
「そんな物で、何をするつもりだ?」
 皆を代表するように、太牙が疑問を投げた瞬間。インキュバスは軽くその筐体を……正確には筐体についていたスイッチを叩く。
――Fangaia――
 その電子音が聞こえたと同時に、インキュバスは哄笑を上げて、掲げていた手……先程見えたコネクタのような模様に「それ」を突き立てる。
 刹那、「それ」は水面に沈むかのようにズブズブとインキュバスの体内へと潜り込み……それに呼応するように、相手の姿が変わった。
 下顎から頬にかけて、虹色の模様が浮かび上がったかと思うと、その次の瞬間にはその模様が全身へと伝播し、揚羽蝶を連想させる青紫色のファンガイアのような姿に外観を変じさせた。
 だが、恐らくファンガイアとは違う。ファンガイアは……少なくとも先程の「馬」は、人間を「食料」と認識していたせいか、その目には「捕食者」としての色が浮かんでいたが、インキュバスの目に浮かんでいるのは「復讐者」としての色のみ。人の命を奪うのも、「喰う」事を目的にしている印象はひどく薄い。
 両手に彼の姉であるサキュバスが持っていたのと同じ短刀が握られており、吸命牙は常に出っ放しでふよふよと浮いている。
「うふ、うふふ。キバの事も、この力のお陰で理解できた。どうやらこの『力』の本来の持ち主は、君達の事を嫌っているようだ。……『半端者の王』と『紛い物の王』をね!」
 半ば叫ぶように言ったと同時に、インキュバスの吸命牙が太牙に向って襲い掛かる。
 だが、それは飛んできたキバットとサガークによって弾かれ、太牙の体へ刺さる前に地に落ちる。しかし、インキュバスはそれを然程悔しがる様子も見せず、軽く腕を振り、大きく後ろへと飛び退る。
 その仕草に何か嫌なものを感じ取ったのだろうか。バン達はめいめいにその場から散開し、警戒を顕わにしつつインキュバスとの距離を取る。
 直後、見えたのは彼の体からは金色の微粒子が飛び、それが今まで自分達のいた場所にわだかまるという、ともすれば幻想的な光景。しかし少しの間を置いた後、インキュバスが指を鳴らすと同時に、金の粒子はその音に呼応するように、連鎖的に爆ぜた。
「っ! 今のはまさか、小型の爆弾か!?」
 腹に響く轟音が引いた直後、太牙と共に物陰に身を潜めていたホージーが、鋭い視線をインキュバスに送る。しかし受けた方はまるでその視線が心地良いとでも言いたげに目を細め、歯噛みする彼らに一瞥を送るだけ。
 一方で隣にいた太牙は、そんなインキュバスを観察するようにじっと見つめ……
「あの格好に今の攻撃、それに僕や渡に対する『半端者の王』、『紛い物の王』という呼び方。……まさか、ビショップの力を……記憶を手に入れたとでもいうのか!?」
「ビショップ? ああ、うん。そんな名前みたいだね。この『記憶』の持ち主だった奴は。お前達に大切な者を奪われた……その憎しみが、僕と同調したようだ」
 あっさりと太牙の言葉を肯定し、インキュバスは楽しげにクスクスと笑う。
 刑事達には「ビショップ」と言う存在がどんな者なのかは知らないが、太牙と渡の表情から察するに、「善人」と呼ばれる類の存在ではなかったのだろう。
 ……インキュバスの「憎しみ」と同調するような力を残すくらいなのだから。当然と言えば当然なのかもしれないが。
 だからと言って、ここで「はい、そうですか」と引き下がる訳には行かない。彼は数多の人間を殺害し、今なお誰かの命を奪おうと画策しているのだ。それを見過ごす事は出来ない。
 爆発が収まったのを確認すると、彼らは物陰からすっと身を滑らせ、インキュバスの前で並び立った。
「どんな力を手に入れようと、俺達の手でお前の野望を壊してやるぜ! チェンジスタンバイ!」
 バンの声に応えるように、五人の刑事は己の変身ツールであるSPライセンスを、テツは腕に着けたブレスロットルを構える。
「あなたが何者なのかは分らない。だけど、人の命を奪うのは……許せない。キバット!」
「おっしゃあ! キバって、行くぜ!!」
 渡の言葉を待ってましたと言わんばかりに、キバットは彼の手の中に納まり、サガークは太牙の腰に巻きついた。
『エマージェンシー! デカレンジャー!』
「エマージェンシー! デカブレイク!」
『変身!』
「ガブッ!」
『Hen-shin』
 八人が「変身」したのは本当に同時。
 六人の刑事はそれぞれのパーソナルカラーのスーツを纏い、渡はキバットを腰に現れたベルトのような「止まり木」に止まらせる事で赤い吸血鬼……キバへとその姿を変え、太牙はサガークにジャコーダーを挿す事で白銀の鎧を纏い、サガへと変身した。
「一つ! 非道な悪事を、憎み!」
「二つ! 不思議な事件を、追って!」
「三つ! 未来の科学で、捜査!」
「四つ! 良からぬ宇宙の、悪を!」
「五つ! 一気にスピード、退治!」
「S.P.D! デカレッド!」
「デカブルー!」
「デカグリーン!」
「デカイエロー!」
「デカピンク!」
『特捜戦隊! デカレンジャー!』
 既に陽の沈みかけた夕闇の中、彼らのマスクに付いているパトランプが光り、彼らの存在を鮮明に浮き上がらせる。
「無法な悪を迎え討ち、恐怖の闇をぶち破る! 夜明けの刑事! デカブレイク!」
 真白き刑事と化したテツは、エリートの証したる金バッジを輝かせ、五人とはまた少し異なる名乗りを上げた。
「何!? あいつら、名乗りがあるのか!? だったら渡、俺達も格好良い名乗りを……」
「いいよキバット、僕達にそういうのは向かないんだから」
 羨むようなキバットの言葉に軽く返すと、渡はすぐさま相手へ向かって距離を詰めた。
 そのすぐ後ろには、太牙がジャコーダーを剣状にして走っている。
 仮にビショップの力を持っているのだとすれば、遠距離、中距離での戦いは得策とは言えない事を、理解しているからだろう。そんな渡達に倣うように、バン達もインキュバスを囲むような陣形を取りつつ、その輪を狭めていく。
 だが。
「ふふっ。アーナロイド、バーツロイド、そしてイーガロイド!!」
 もう少しで手が届く距離まで、バン達が近付いた刹那。インキュバスが何かを放り投げながら叫ぶ。
 そして次の瞬間には、放り投げた「何か」が細かく分散、更に分散した一つ一つが変化し、無数の「兵士」となった。産み落とされた兵士は、アンドロイドの類だろう。どこか動きが硬く、ぎこちない。
『みー!』
『みー、みー!!』
 「み」の字に濁点が付いたような、そんな何ともいい難い声を上げて、丸い穴が空いたような銀の顔を持つアーナロイドとバツ印のような形をした水色の顔を持つバーツロイドが、質より量と言わんばかりに渡と太牙を囲む。
 一方で、銅色の尖った印象のアンドロイドであるイーガロイドは、デカレンジャーに向かって剣を振るっていた。
『倒す』
「イガイガ君は相変わらず、渋いお声だ事で」
「すっごいハイテンションで、英語とか使ったら面白いのに」
「Let’s party、とな」
「そんな事言ってる場合か。来るぞ!」
 ポツリと漏れたイーガロイドの言葉に、ジャスミン、ウメコが緊張感のない言葉を返し、更にホージーがそんな二人に向かってツッコミながらも、相手の剣をかわし、その剣に狙いを定めて銃弾を放つ。
 ほぼ百パーセントの命中率を誇るホージーの射撃によって、相手の剣、それも刀身の中央に穴が開くのだが……相手は気にせず、それでもなおひゅんひゅんと風切り音を鳴らしながら斬撃を繰り出す。
 感情のないアンドロイドだからこそ出来る事だろう。普通なら、刀身に穴が空けられれば多少なりとも動揺し、剣筋に乱れが生じるものなのだが、イーガロイドには動揺の欠片すら見受けられない。
 そんな混戦模様を少し離れた位置で見つめながら、インキュバスは軽く笑い……一言、低く呟く。
「お前達の命で……姉さんを蘇らせる。お前達のライフエナジーが、悪事に使われるんだ。これ程の屈辱はないだろう?」
 と。

「ああ、『悪夢の夜ナイトメア・ナイト』が始まりましたか」
 パタン、と「The Silence of the Lambs」と書かれた本を閉じ、エステルは感慨深げにそう漏らす。その様子を、アブレラはあまり面白くなさそうに見つめていた。
「あのメモリの、どこに他人を蘇らせる力があるというのだ?」
「ふふっ…………ありませんよ、そんな物。あのメモリには」
「何だと?」
 予想外の返答に、アブレラが訝るような声を挙げ、エステルを睨む。
 しかし、インキュバスが現れた際、確かにエステルは言った。「蘇らせる方法を自分に売った」と。だからこそアブレラも、あのメモリにそういった力があるのだと思い込み、インキュバスに対して買値の四割増しで売りつけたのだ。
 それが、欠陥品……もとい客の望んだ機能を持たぬ物だったとなると、信用に関わる。この業種が信用第一なのは、エステルも知っている事のはず。
――まさか、私の信用を落とし、マーケットを乗っ取るつもりか――
 その考えに至り、ハッとしたようにアブレラはエステルに向き直る。だが、見られた方はと言えば、次の本と言わんばかりに、今度は「Double,Double」と書かれた本に目を落として楽しそうな声を上げた。
「邪推しないで下さい、アブレラ。あなたのマーケットを横取りするような無謀な事、する気はありません。まあ、頂けるというのであれば遠慮なく頂きますけれども」
「邪推だというなら、何故私が売る際に止めなかった? 貴様は違うと分かっていたはずだ」
「確かに、あのメモリでは『死者の完璧な蘇生』はできません。ですが、『復活させる方法に関する知識』くらいはあります。もっとも、実際にそれを実践したとしても、復活をさせる事は難しいでしょうがね。…………死者を蘇らせる事など、そう容易く行なえる事ではないのです」
 それまで楽しげだったエステルの表情が、最後の一言を放つ時だけ、妙に沈んで聞こえたのは、アブレラの気のせいか。
 だが、正直アブレラにはエステルの感情や過去などどうでもいい。気にかかる事はただ一つ。
「ならば、死者を蘇らせる方法とは何の事だ? 貴様は大切な事は言わない癖はあるが、嘘を吐く事は滅多にないだろう?」
「それは、あなたに売ったもう一つの商品。つまり、『あの情報』の方ですよ。勘違いをしたのはあなたです、アブレラ。そして……彼も、ね」
 先程一瞬だけ垣間見た陰は、まるで最初からなかったかのように消え、エステルはニィと口の端を歪めたのであった。


第22話:フェルマータ⌒宇宙警察のカデンツァ

第24話:アレグロ♪メガロポリスは日本晴れ
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