紅蓮の空、漆黒の戦士

【その8:緑白色の血】

 タイムリミットまで、残り百秒をきった頃。
 ミラーワールドにて、リュウガと呼ばれる漆黒の戦士と戦っていた侑斗達は、追い詰められていた。
 リュウガの容赦ない攻撃が、彼らとゼロライナーとの距離を大きくあけた事もあるが……それ以上に、外にいた、蜻蛉と蜘蛛のミラーモンスター達がとうとう建物の中に侵入してきたのである。
 それらを薙ぎ払いながらリュウガにも攻撃するのは、出来ない事はないが、容易でもない。
「くそっ! このままじゃマジで時間切れが来るぞ」
「ゼロライナーとの距離もある。このままじゃあ、本当に……」
 消える。
 その言葉を発する事は出来なかった。
 侑斗もデネブも、一度は世界から消えた事がある。故に「消える事への恐怖」を身に染みて理解している。
 しかも今回は、「記憶の消去」による消滅ではなく、「物理的」な消滅……即ち、死と同意。
 ……どんな形であれ、消える事は、怖い。
「ゼロライナーとの距離に関しては、気にする必要はないって気がする」
「何?」
「アレ、ゼロライナー。僕の列車だし……マスターパスがあるからね。呼ぼうと思えばいつでも呼べる」
 リュウガの剣戟を軽々とかわしつつ、オーナーはまるで侑斗達を安心させるかのような口調でそう言った。
 ……言われてみれば、確かにその通りだ。オーナーはマスターパスを持っているのだから、ゼロライナーがどこにあろうと、それを呼び寄せる事ができる。
「じゃあ、今すぐ呼んで……」
「それしかないかなぁ、やっぱり」
 侑斗の言葉に答えつつ、ちらりとミラーモンスター達に冷ややかな視線を送り、オーナーは口の端を歪める。その顔は……どこか苦笑しているようにも見えた。
 実際、襲い掛かってくるミラーモンスターの数は半端ではない。もし、今ゼロライナーを呼んだら、数体はゼロライナーに乗り込んできてもおかしくない数。それもあって、オーナーは呼びあぐねているのだろう。
 多すぎるせいか、リュウガも襲われているように見えるが、襲ってくるミラーモンスターを片っ端から後ろに控えていた龍が蹴散らす事でリュウガを守っている。
 どうやらリュウガにとっても、現れたミラーモンスターは味方と言う訳ではないらしい。
「でもさぁ……アレ、ミラーモンスター。本っ当に鬱陶しいって気がするよ」
 自分の目元を手で覆い隠すようにしながら、オーナーはリュウガへ顔を向けると、気だるげな声でそう言い放つ。
 そして……顔を覆っていた手をどけると、その下から現れたのは……この場に似つかわしくない満面の笑みだった。
「僕、そう言う顔してるだろう?」
 初めて。
 その笑顔を、デネブは怖いと感じた。
 満面の笑みの裏に透けて見える、軽蔑と敵意。その二つを混ぜ、針のようにして相手に向けている……そんな風に見えてしまった。
「そんなの、俺に言われても困るよ」
「気にしないでよ、ただの……八つ当たりだから」
 不満そうに答えるリュウガに返すと同時に、オーナーがマスターパスを掲げる。
 それに答えるかのように、牛の鳴き声によく似た……侑斗とデネブにとっては、聞き慣れた汽笛の音が響き渡った。
 呼ばれた時の列車ゼロライナーは、派手な音を立てながら建物の壁を破壊し、並み居るミラーモンスター達を跳ね飛ばす。
「うーん、大分数も減ったね」
「……いくら何でも強引だろ……」
 朗らかに言い切るオーナーの言葉に軽く頭痛を覚えながらも、侑斗は残ったモンスター達を撃ち抜く。それに倣うようにデネブも指からの散弾で近付いてくるモンスターをゼロライナーに近付けまいと牽制する。
「こっちは君達と違って時間がないんだよね。と言う訳で、悪いけど、外の世界に帰らせてもらうよ!」
「そう言われて、あっさり返す俺だと思うのか?」
「思ってないよ。だから、力ずくでも帰る」
 その宣言と同時に、ゼロライナーの扉が開く。
 偶然か必然かは分からないが、扉と自分達との間に障害物もない。
「侑斗君、デネブ君。帰るよ。もうここには用はない」
「……だから、させないって言ってるだろ!?」
「だーかーらー。こっちも力ずくで行くって言ってるだろ?」
『PLISON VENT』
 リュウガの物より、いくらか澄んだ電子音が響く。それと同時に、ズンと低く地鳴りがした。
 同時に、リュウガが、まるで見えない何かに圧迫されているかのように地面に立ったまま沈み込んでいく。
「ちぃっお前……!」
「レプリカの中でも、このカードは僕オリジナル。重力の檻なら、流石に君も抜け出せないだろう?」
 いつの間に、どこから出したのか。オーナーはその手に、金貨のような模様の描かれた円盾を掲げていた。
 その中央部分に、何かのカードがセットされている所を見ると、先程の電子音の正体は彼の持つあの円盾らしい。恐らくリュウガのガントレットと同じような物なのだろう。
 しかし、それを支えている体は、まるでイマジンが消滅する前のように粒子化を始めている。
 それを見て、初めて侑斗もデネブも自分の体を省みた。……彼同様、粒子化し始めている自分の体を。そしてそれを認識すると同時に、急激に体力が消耗されていくのが分かる。
「侑斗君、デネブ君。早くゼロライナーに。この世界から脱出するんだ」
「ああ、分かった」
 苦々しげに侑斗は頷くと、目の前にあるゼロライナーに乗り込む。それを確認するや否や、オーナーも乗り込もうとして……
『ADVENT』
 くぐもった、電子音がした。それにいち早く気付いたデネブが振り返り……
「危ない!」
 そう、デネブの声が響いたのと。
 オーナーの体を、漆黒の龍の腕が背中から貫いたのは同時だった。
「ぐ……うっ」
 低い呻き声を上げ、それでもオーナーは前進し、ゼロライナーに乗り込む。
 漆黒の龍、ドラグブラッカーの手を強引に引き抜いて。
「おい!」
「僕の事は……心配ないよ。それより、ゼロライナーを出すんだ。……消えたくは、ないだろう?」
 息を荒げながらも、笑顔で侑斗に言うオーナー。
 確かに彼の言う通り、この場に留まっていても時間切れで消滅するだけ。ならば、一刻も早く元の世界に戻り、オーナーを病院に連れて行く方が先だろう。
 ……リュウガと言う不安要素を放置しておくのは、甚だ不安だし不満でもあるが、時間制限のある分こちらの方が不利である事は否めない。
「……デネブ、そいつの怪我を診とけ」
「分かった!」
 小さく舌打ちをした後でそう言うと、侑斗はパスを持って運転席へ向かって駆けていく。
 その一瞬後、ゼロライナーは時間の中に向かって走り出した。
 その場に縫いとめられ、憎々しげに何かを叫んでいるリュウガを残して。
「……あーあ。あんな攻撃を喰らっちゃうなんて、僕もまだまだって気がする。そういう顔、してるでしょ?」
「喋ったらダメだ、傷に響く!」
 何故か満面の笑みを浮かべるオーナーとは対照的に、心配そうに言いながらデネブはその傷を見て……言葉を失った。
 その傷から流れている血の色が、自分の知っている「赤」ではなかったから。
 その驚愕に気付いているのだろう。ぐいと口元から垂れる血を拭うと、オーナーはゆっくりと半身を起こす。
「心配してくれるのは嬉しいんだけどねぇ。僕、死なないんだよ」
 自身の緑白色の血に塗れた手を見せながら、彼はデネブに向かっていつもの爽やかな笑顔で言い切る。
 見慣れている血の色とは違うせいか、彼の腹に空いた風穴に現実味がない。
 怪我をしている本人の笑顔も、現実味を薄れさせている要因の一つだろうが、それ以上に、オーナーの言葉が引っかかった。
「死なない……?」
「僕の本名はバジリスクアンデッドって言うんだ。見て分ると思うけど、ヒトにあらざる者。大地の力を……重力を司る、カテゴリーページ」
 言いながらも、彼の姿が変化していく。
 漆黒の体に、どこか亀を思わせる姿。しかしその尾は蛇のようにも見える。だが、そうでありながらもどこか気高い雰囲気を感じるのはデネブの気のせいか。
「アンデッドって言うのは、死なない……って言うか、死ねないように出来ている種族でね。カテゴリーページって言うのは、アンデッドの階級の一つみたいな物さ」
 いつも通りの軽い口調で言いつつ、バジリスクアンデッドと名乗ったオーナーは、腹部の血をぐいと拭う。そこにはもう、怪我の痕跡などなかった。
 最初から、怪我などしていなかったかのように、黒くつややかな甲が現れるに過ぎない。
 死なないと言う言葉にも、この様子なら頷ける。腹部を貫かれても、すぐに回復しているのだから。
 しかし……死なないと言うのならば、何故彼までもミラーワールドの制限を受けるのだろうか。
「……デネブ君、何で僕がミラーワールドでの時間制限を受けるんだ? って顔、してる」
「わ、分かるのか? そんなに顔に出てた?」
「そりゃあ、デネブ君は良い子だもの。良い子は表情が読みやすいんだ」
 優しい声とひょうきんな仕草でデネブの問いに答え、彼はデネブの頭を撫でる。
 それこそ、子供を誉める親のように。
 不思議な事に、デネブにはその行為が不快に思えなかった。
「『死』とは次の輪廻がある。そうだな、『魂』が残って、次の歴史の中を生きる事ができる」
「……生まれ変われる、と言う事か?」
「そ。だけど『消滅』は違う。『魂』すら残らず、次の輪廻も歴史も辿れない。君風に言うなら、生まれ変われもしない」
 バジリスクは言う。
 歴史とは、螺旋階段のようなもの。
 人は……人の魂は、その螺旋階段を上り、そして先を形作っていく。「前の歴史」の過ちを、再び犯さないよう、その魂……自分の根源になる「何か」に刻まれた記憶を元に、より良い方向に向かって進化しようとする物なのだと。
 例えばそれは喧嘩などの些細な過ちから、人の生死に関わる大きな過ちまで、改善しようとする要因はいくらでもあるのだ。
 しかし、存在の根底……魂と呼ぶべき物が消えてしまう事は、即ち螺旋階段の外へ転げ落ちるような事と同意。
 何も出来ず、ただ無に還る……それが「消滅」だと、バジリスクは言う。
「なら……何故、貴方達は死なない必要があるんだ?」
「……今回のような、『異世界』と呼ばれる存在があるからさ」
「え?」
「『異世界』は、この世界の『いつか』の歴史を真似た世界ではあるけど、独立した、全く別の生命を持っている。……そしてそいつらは、螺旋階段とそれを作る存在を丸ごと入れ替えようとしているのさ」
 異世界とは、螺旋階段の一部分をそっくり真似て作られた物の事を言うらしい。
 しかし、似せている理由はただ一つ。その段を入れ替え、螺旋階段……歴史の先を、ごっそりと取り替えてしまうため。その過程で、本来の住人達を「消滅」させ、螺旋階段とそれを支える部屋……即ち元の世界を奪い取ろうとしているらしいのだ。
「そうさせないためのアンデッド。階段職人にんげん全員が一斉に眠っちゃ死んじゃったら、乗っ取り放題だろう?」
「……例え、地上の生物が絶滅しても、新たな生物が生まれるまでの間は貴方達が世界を守る……のか?」
「それが基本的な存在理由。……でもね、ヒトが存在していても、この世界を乗っ取ろうとしている連中がいる。それを防ぐための存在が、カテゴリーページと呼ばれる僕達」
 その言葉と同時に、彼は再び人間の姿に戻る。……いや、変化すると言った方が正しいか。本来の姿は、先程の亀のような格好なのだから。
「……リントの中で暮らしていくのには、同じ姿でいた方が何かと都合が良いからね。滅多にあっちの姿は晒さないんだよ」
 糸一本として解れていない白衣の下に、漆黒のタートルネックのシャツ。
 顔に浮かんだその表情はいつもの、人生を満喫しているかのようなにこやかな笑顔。
「……分からないなぁ」
「何が?」
 何がと聞かれても、全てと答えるしかない。何となく、彼が死なないと言う事実くらいしか理解できない。
 他は、何となく分かった気になっているだけだ。しかしその中でも、特に分からない事があった。
「何でわざわざ、俺達の住む世界を乗っ取ろうとするんだ? 自分達の世界で歴史を作れば良い」
 自分達で螺旋階段……即ち歴史を紡いでいけば良い事ではないのか。何故わざわざよく似た世界や歴史を作ってまで、元の世界を支配したがるのかが、デネブには理解できなかった。
「……出来ないのさ。それが出来るのは僕達の世界だけだ」
「えぇぇ!?」
「何が問題なのかは、僕も知らない。だけど、『異世界』では螺旋階段を作れない。繰り返せないのさ」
 低く、淡々と。オーナーはどこか哀れむ様な顔でデネブの問いに答える。
 歴史を繰り返す事の出来ない世界。それ故に、その世界を統治する「神」は、唯一歴史を繰り返す事のできる、この世界を欲しているのだと。
 異世界では、一回の歴史で、「神」以外の全てが無に還ると言う。だから、例えもう一度ヒトの歴史を作ったとしても、それまでと同じ物になるか、何もかも違う物になってしまうかの二択なのだそうだ。
 ……よくは、分からないが。
「まあとにかく、この世界を乗っ取ろうとしてる連中が動き出してるって事だよ。特に今回追おうとしていたイマジンは、厄介な事にそう言う奴と契約しちゃってる。なぁんか面倒だよねぇ」
 にこぉっと笑いながら、さらりととんでもない事を言ってのけるオーナー。
 その様子は、やっぱりどこかカイを連想させる物だった。
「おい、そいつの様子……」
「やあ侑斗君」
 心配だったのか、ゼロライナーを自動運転に切り替えた侑斗がどこか心配そうな表情で姿を見せる。だが……オーナーのひょうきんな態度を見て思わずぎゅう、と眉根を寄せてしまう。
――……確か、コイツ、腹を刺し貫かれたはずだよな。その癖、何でこんな元気なんだ? って言うか、服に穴が開いてなければ、血を流した痕跡もまるっきりないって、一体どういう事だ?――
 一瞬のうちに様々な疑問が侑斗の脳裏を過ぎる。
 馬鹿みたいな笑顔でこちらを見ているオーナーの横では、デネブがひたすらオロオロしている。
「…………何で無傷なんだよ」
 やっと出てきた言葉は、何よりも疑問に思った事だった。
「んー……手品?」
「んな訳あるか! 見せろ!」
「えー? 侑斗君のエッチー」
「……よく分かった、今ここで俺が殺してやる」
 茶化すようなその物言いに堪忍袋の緒が切れたらしい。流れるような動作でゼロノスのカードを構える。
 しかもカードはゼロフォーム対応型。
「わぁぁぁぁっ! ダメだ侑斗、そう言うのは良くない!」
「離せデネブ、こいつはマジで一回殺す!」
「だからダメだ。相手はオーナーだし」
「あっはっはー。そう簡単に殺されてあげられないのが、残念って気がする~」
 暴れる侑斗に、それを後ろから羽交い絞めにして止めるデネブ。そしてそれを見て笑うオーナー。
 何だか当たり前のように、そんな風景が広がっていた。
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