紅蓮の空、漆黒の戦士
【その5:琥珀色の会合】
「愛理さぁん。こぉんにちは~」
「あら、尾崎さん。いらっしゃい」
ライブラリーカフェ、「Milk Dipper」。南斗六星の別名を冠するこの店に、いつものように尾崎正義が騒がしい声をあげながら顔を出し、これまたいつものように野上愛理は柔らかな笑みを浮かべて会釈した。
尾崎と言えば、愛理目当ての常連客の一人であり、いつもは同じく常連客の三浦イッセーと、脈もないのに彼女を巡って言い争いをしているのだが……
何故か今日は、相方とも言える三浦がいない。あの怪しげな、和装と言う物を勘違いしたような姿の男が、店内のどこにもなかった。
「……あれ、三浦君は? あ、いないなら別に良いんですけど」
「三浦さんなら、良ちゃんを連れて出かけちゃいました。何でも、よく当たる占い師さんが知り合いにいらっしゃるとかで……」
「占い~? 何か胡散臭いなぁ」
言いつつ、尾崎は眉間に皺を寄せて後頭をカリカリとかく。
三浦はスーパーカウンセラーと言う職を自称している。だが尾崎に言わせればただのインチキ霊媒師だ。悪霊だ何だと言っているが、この科学の発達した時代にそんな物がいる訳がない。
……どうせ三浦の事だ、良太郎を取り込む事で愛理に対する自分の株を上げようと言う魂胆なのだろう。将を射んとするにはまず馬から、と言う事か。実にあざとい。
と、自分の事は棚に上げつつ、尾崎はほぼ定位置と化したカウンター席に座る。
「良ちゃんに、いつ幸運の星が巡ってくるのか、占ってもらうみたいですよ?」
にこやかに言う愛理に、尾崎はでれっとした笑みを浮かべ……出されたコーヒーを、口に含んだ。
程良い苦味と酸味が、尾崎の口内に広がり、独特の芳ばしい香りが鼻に抜ける。
愛理目当ての客が多いのも事実だが、このコーヒー目当ての客が多いのも事実である。
実際に、最近この店で見かける黒いコートの男と青いジャンパーの男は、愛理ではなくコーヒー目当ての客。
いつも男二人組でやって来ては、何らかの……傍で聞いている限りでは実に下らない口論をした後、ここのコーヒーを飲んでまったりしているのが最近の日常になっていた。そして今も、二人は真剣な表情で扉に近い席に座っている。
青いジャンパーを着ているのは城戸真司。ネットニュース配信社、OREジャーナルの記者をしている。同じジャーナリストとして多少の関わりがあった尾崎が、一度何かのきっかけでこの店に連れて来て以降、この店のコーヒーを気に入ったらしい。
そんな城戸の向かい側に座っている、黒いロングコートの男は秋山蓮。喫茶店、「花鶏 」のウェイターをしており、城戸に連れてこられて以降、ここには「視察」としてやって来ているらしい。もっとも、「花鶏」はコーヒーよりも紅茶に重きを置いているので、「視察」と言うのは名目上の事だけなのだろうが。
熱血で単純な感じのある城戸を、冷静でシニカルな秋山がツッコむ、と言った関係だろうか。
傍で見ていても、気の置けない親友と言った二人だ。
「なあ蓮」
「……何だ?」
「これ、何だと思う?」
そう言って城戸が取り出したのは、黒に金色で龍の顔のようなモチーフの描かれたデッキケース。
中にはトレーディングカードを思わせるカードが入っている。
それを見せられた方は、一瞬だけ眉を顰め……
「お前も持ってるのか?」
「……どう言う意味だよ、それ?」
訝しげに問われ、秋山もポケットから同じようなデッキケースを取り出し、城戸に見せる。
ケースの色や大きさは同じだが、こちらに描かれているモチーフは蝙蝠であり、中のカードも多少異なってはいる。とは言え、カード自体のデザインやケースの作りなどから、出自が同じであろう事は明白だった。
「今朝、洗面所の前にあった」
「実は俺のも、朝起きたら窓辺に置いてあったんだ」
「お前の忘れ物……じゃなさそうだな、その顔は」
不思議そうに秋山のデッキを見つめる城戸を見て、彼もまた不思議そうに……そして、薄ら寒そうに呟く。
「でもさ、俺……このデッキ、知ってるような気がするんだ」
自分が持ってきた方の……龍のモチーフの描かれたデッキを手に取り直し、城戸ははっきりとそう言った。
そのデッキが自分の物であると、何故か確信できる。
何に使うものなのか、何故そう思えるのかまでは分からないが。
「……そうか」
城戸の言葉を聞き、秋山はそう呟くと、自分が持ってきた方のデッキを掴んで立ち上がる。話はここで終わりだと言いたげに。
それが合図になったのか、城戸も慌てて横にあったコーヒーを飲み干し……
「ご馳走様でした」
「今日も美味かった。いつか、花鶏 にも来てくれ。うちは紅茶しか出せないが」
「はい。ありがとうございました。機会があれば、お伺いしますね」
コーヒーの代金を支払い、店を出て行く二人に向かって、野上愛理は鮮やかな笑顔を返した。
尾崎が「Milk Dipper」にやってきた頃。
三浦イッセーは、野上良太郎を半ば強引に、ある一軒の家の前に連れてきていた。
一見、普通の二階建て住宅のように見える。イメージにある「占い師の館」とは程遠い、アットホームな雰囲気が漂っている。
「ここ、ですか?」
「そう。ここの占い師は、僕の占いの師匠でもあってね。でも、結局僕は占いの才がないから、スーパーカウンセラーになったんだ。ここなら、良太郎君の運の悪さや悪霊対策とかを、授けてくれると思う」
「あの、僕は別に、悪霊とか……。それに、それって、占いとあんまり関係ないんじゃ?」
もごもごと言葉を紡ごうとする彼を無視し、三浦はインターフォンを鳴らす。
――ここまで来たら諦めるしかないかな――
そう思い、野上は小さく溜息を吐いた後、家の中から出てくるであろう人影を待つ。
……実際に、悪霊ではないにしろ、「憑かれている」事には変わりないのだから。
少しだけ待っていると、中から一人の男が現れた。
三十前だろうか。黒髪が綺麗で、どこか達観したような顔をしている。占い師と言う前情報を聞いていたせいだろうか。彼から感じられる雰囲気は、どこか神秘的な感じがする。
「三浦か。久し振りだな」
「あれ? 手塚さん?」
「あの、ひょっとして、この人が三浦さんの言っていた……?」
「ああ、いや。この人は僕の兄弟子に当たる人で、手塚海之さん。でも、どうして手塚さんが師匠の家に?」
どうやら出てきた手塚と言う人物は、三浦の言う「師匠」とは違うらしい。てっきり醸し出している雰囲気からして、この男の事だと思ったのだが……三浦自体、手塚がいる事を不思議がっているようだ。
一方で手塚は二人を招き入れながら、三浦の問いに小さく溜息を吐き……
「俺も少し視て欲しい事があってここに来たんだが、師匠 に留守番を頼まれた」
そこまで言って、手塚は野上をリビングのテーブルに座らせ、何かを探るかのような目つきで見る。
やがて、懐からマッチ箱を取り出すと、それを擦り……生まれた火を、野上にかざすようにしながらじっと見つめる。
「あ、あの……?」
「君は……近い内に、戦いに巻き込まれる」
「へ?」
マッチの火が消えると同時に、手塚が放った言葉に、思わず頓狂な声をあげてしまう野上。
言葉の内容もそうだが、何故いきなりそんな事を言われたのか分からなかったのもある。そもそも、マッチを擦ってその火を見つめると言う行為にも意味を見出せなかっただけに、余計に困惑してしまう。
その困惑に気付いたのだろう。三浦が微かな苦笑を口元に浮かべ、改めて手塚の職業を告げた。
「手塚さんも占い師なんだよ」
「俺の占いは当たる」
マッチ箱をしまいながら、手塚はさも当然のように言い放つ。
「今の……占いだったんですか?」
野上の中にあった「占い」のイメージは、薄暗い場所で、カードや水晶を使って行うものだった。
だが、今回はまるで違う。
一般家庭のリビングで、マッチの火を見るだけで占う方法など……ある意味、「らしい」と言えば「らしい」のだが……予想は全くしていなかった。
……お陰で緊張は解れたが。
「そう言えば、手塚さんが『視て欲しい事』って?」
「これだ」
思い出したように言った三浦に、彼が取り出したのは、赤紫色のケースに入ったカードデッキ。ケースにはどことなくエイを連想させるモチーフが、金で描かれている。
一瞬、ゼロノスのカードのケースを思い出したが、そこに入っているカードはどれも見た事のないものばかり。
だが、そこから発せられる強力な「力」のような物を、野上は感じ取っていた。
「今朝、家の姿見の前で拾った。見覚えはない。だが……」
そこまで言うと、手塚は薄ら寒そうにそのカードデッキを見つめた。
「……このデッキは、俺を戦いへ導く。……そう、占いの結果が出た」
「戦い……」
「その戦いが、何なのかが分からない。……師匠なら、分かるかもしれないと思って来たんだが……」
口ぶりからすると、占ってもらう前に彼は留守番を押し付けられたらしい。
苦笑しつつ、手塚は三浦の方を見やる。その視線に気付いたのか、三浦も苦笑を彼に向け……
「師匠は、相変わらず自由な人ですね」
「『全ては方円の器に従い移る水の如く自由に』が、師匠の座右の銘だからな。すぐに帰ってくると言っていたから、もうしばらく待っていれば良いだろう」
カードデッキをしまいながら、手塚は温和そうな笑みを、野上に向けた。
……聞こえてくる「音」はただの耳鳴りだと、自分に言い聞かせながら……
城戸と秋山が、「Milk Dipper」を出た瞬間。奇妙な「音」が、彼らの耳に届いた。
ハウリングのような、ガラスを引掻くような、不快極まりない高い「音」が。
「何だ、この音……」
「蓮にも聞こえてるって事は、耳鳴りじゃないんだよな?」
煩そうに顔を顰めながら、城戸と秋山は周囲を見回して音源を探す。
そして……気付いた。自分達以外の通行人が、この生理的嫌悪感を誘う「音」の中で平然としている事に。
考えられる理由は三つ。一つ目は、この「音」が普段からこの場で鳴っている物であり、多少不快ではあるが、気にする必要はない事。
しかし、城戸も秋山も何度かこの道を通った事があるが、こんな「音」は初めて聞く。だから多分、それはないだろう。
二つ目は通行人達がグルになって、自分達を陥れようとしている事。所謂ドッキリと言う奴。
しかし、自分達に仕掛けても何のメリットもないし、何より平然としていられるような「音」ではない。いくらドッキリでも、この音には眉を顰めるくらいはするだろう。それでも普段通り振舞えるのならば、周囲の人々はかなりの役者だ。
ならば三つ目。あまり現実的とは言い難いのだが、この「音」は城戸と秋山の二人にしか聞こえていない事。
周囲の反応から考えると、その可能性が一番高いのだが……ならば何故、自分達にだけ聞こえるのか。そもそも、そんな事が起こりうるのか。
そう思った刹那。城戸の視線が一点で止まる。
……子供服の飾られたショウウィンドウに。
「なあ蓮、あれ……」
「子供服がどうかしたのか?」
「そうじゃないよ、その手前! ショウウィンドウのガラス! よく見ろ!」
城戸に言われ、秋山は視線をガラスに移す。
ガラスの中に、僅かに映りこんでいるのは、歩道を歩く人々の波と……「こちら側」には存在していない、異形の姿。
限りなく白に近い灰の体色を持つ、巨大な蜘蛛のような異形が、まるで「向こう側」から獲物を狙うかのようにこちらを見ていた。
「何だよ、あれ」
「知るか。少なくとも、ガラスの汚れって訳じゃなさそうだな」
戸惑ったように問う城戸に、秋山はいつも通りの体を装って返す。
城戸があからさまに混乱しているお陰で、ある程度冷静でいられるが……それでもやはり、多少は混乱していた。
何故、あんなものが見えるのか。
先程から聞こえる、この「音」は何なのか。
そもそも、何故他の人間は、あの異形の事を何も言わないのか。
――まさか俺達だけが、あの化物に気付いているのか? この「音」と同じように――
訝しげに秋山がそう考えたとほぼ同時に。ガラスに、今までいた蜘蛛型の物とは別の異形が二体、新たに映し出される。
強いて例えるとするならば、一体は赤い龍で、もう一体は紺の蝙蝠。
メタリックな輝きを放ってはいるが、それでもそいつらが「生物」であると認識できる。
そして何故か、城戸も秋山も……新たに現れたその怪物 の事を、知っていた。
「ドラグレッダー……」
「ダークウィング……」
赤い龍を見て城戸が、黒い蝙蝠を見て秋山が、それぞれ呟く。
その呟きを聞き取ったのか、モンスターは声の主をどこか嬉しそうに一瞥すると、すぐに目を反らし、蜘蛛型のモンスターに攻撃を仕掛ける。
……まるで、その蜘蛛を破壊するかの如く。
その様子を見て、彼らの脳裏にあるシーンが浮かぶ。
赤を基調とし、左腕にドラゴンの頭を模したガントレットをつけた戦士としての城戸、そして紺色を基調とし、左腰に蝙蝠の翼を模した剣を携える秋山。
それぞれが、名を呼んだモンスターを従え、仮面の戦士として互いに鍔迫り合い、戦う姿が、まるで実際に起こった出来事のように、鮮明に浮かんでくる。そんな経験など、ないはずなのに。
「何なんだよ、これ……何でこんなモンが浮かんで来るんだよ……!?」
頭を押さえ、混乱しきった声で城戸が問う。
既にガラスには、先程のモンスター達は映っていない。
聞こえていたはずの音も止み、全てはあたかも幻であったかの如く、周囲を取り巻くのは平穏な日常。昨日と異なる所と言えば、自分が持つ不可思議なカードデッキの存在。
「このカードのせいか!? こんな物があるから、あんなのが見えるのか!?」
「……見えるだけだ。実際に害があった訳じゃない」
「それは、そうだけどさ。お前は気にならない訳?」
徐々に冷静さを取り戻しつつ、城戸はどこか不服そうに秋山に問う。
しかし問われた方は小さく肩を竦め……無言で歩き出した。
まるで、答えるだけ無駄だと言わんばかりに。
……秋山も、気にならないと言えば嘘になるが……自分で言った通り、今の所は実害がないのだから問題はない。
それに何より、今は早く「花鶏」に戻って手伝いをする事の方が大事だ。
「……置いていくぞ、城戸」
「え、ちょっ……待てよ。おい、蓮ってば!」
……そうして、彼らはその場を離れる。色々と、納得のいかない感情を胸に抱いたまま。
だが……彼らは気付いていなかった。
ガラスに映った「城戸真司」が、まるでこちらを見送るかのように立っているのを。
そしてその顔に、邪悪な笑みが浮かんでいるのを。
「愛理さぁん。こぉんにちは~」
「あら、尾崎さん。いらっしゃい」
ライブラリーカフェ、「Milk Dipper」。南斗六星の別名を冠するこの店に、いつものように尾崎正義が騒がしい声をあげながら顔を出し、これまたいつものように野上愛理は柔らかな笑みを浮かべて会釈した。
尾崎と言えば、愛理目当ての常連客の一人であり、いつもは同じく常連客の三浦イッセーと、脈もないのに彼女を巡って言い争いをしているのだが……
何故か今日は、相方とも言える三浦がいない。あの怪しげな、和装と言う物を勘違いしたような姿の男が、店内のどこにもなかった。
「……あれ、三浦君は? あ、いないなら別に良いんですけど」
「三浦さんなら、良ちゃんを連れて出かけちゃいました。何でも、よく当たる占い師さんが知り合いにいらっしゃるとかで……」
「占い~? 何か胡散臭いなぁ」
言いつつ、尾崎は眉間に皺を寄せて後頭をカリカリとかく。
三浦はスーパーカウンセラーと言う職を自称している。だが尾崎に言わせればただのインチキ霊媒師だ。悪霊だ何だと言っているが、この科学の発達した時代にそんな物がいる訳がない。
……どうせ三浦の事だ、良太郎を取り込む事で愛理に対する自分の株を上げようと言う魂胆なのだろう。将を射んとするにはまず馬から、と言う事か。実にあざとい。
と、自分の事は棚に上げつつ、尾崎はほぼ定位置と化したカウンター席に座る。
「良ちゃんに、いつ幸運の星が巡ってくるのか、占ってもらうみたいですよ?」
にこやかに言う愛理に、尾崎はでれっとした笑みを浮かべ……出されたコーヒーを、口に含んだ。
程良い苦味と酸味が、尾崎の口内に広がり、独特の芳ばしい香りが鼻に抜ける。
愛理目当ての客が多いのも事実だが、このコーヒー目当ての客が多いのも事実である。
実際に、最近この店で見かける黒いコートの男と青いジャンパーの男は、愛理ではなくコーヒー目当ての客。
いつも男二人組でやって来ては、何らかの……傍で聞いている限りでは実に下らない口論をした後、ここのコーヒーを飲んでまったりしているのが最近の日常になっていた。そして今も、二人は真剣な表情で扉に近い席に座っている。
青いジャンパーを着ているのは城戸真司。ネットニュース配信社、OREジャーナルの記者をしている。同じジャーナリストとして多少の関わりがあった尾崎が、一度何かのきっかけでこの店に連れて来て以降、この店のコーヒーを気に入ったらしい。
そんな城戸の向かい側に座っている、黒いロングコートの男は秋山蓮。喫茶店、「
熱血で単純な感じのある城戸を、冷静でシニカルな秋山がツッコむ、と言った関係だろうか。
傍で見ていても、気の置けない親友と言った二人だ。
「なあ蓮」
「……何だ?」
「これ、何だと思う?」
そう言って城戸が取り出したのは、黒に金色で龍の顔のようなモチーフの描かれたデッキケース。
中にはトレーディングカードを思わせるカードが入っている。
それを見せられた方は、一瞬だけ眉を顰め……
「お前も持ってるのか?」
「……どう言う意味だよ、それ?」
訝しげに問われ、秋山もポケットから同じようなデッキケースを取り出し、城戸に見せる。
ケースの色や大きさは同じだが、こちらに描かれているモチーフは蝙蝠であり、中のカードも多少異なってはいる。とは言え、カード自体のデザインやケースの作りなどから、出自が同じであろう事は明白だった。
「今朝、洗面所の前にあった」
「実は俺のも、朝起きたら窓辺に置いてあったんだ」
「お前の忘れ物……じゃなさそうだな、その顔は」
不思議そうに秋山のデッキを見つめる城戸を見て、彼もまた不思議そうに……そして、薄ら寒そうに呟く。
「でもさ、俺……このデッキ、知ってるような気がするんだ」
自分が持ってきた方の……龍のモチーフの描かれたデッキを手に取り直し、城戸ははっきりとそう言った。
そのデッキが自分の物であると、何故か確信できる。
何に使うものなのか、何故そう思えるのかまでは分からないが。
「……そうか」
城戸の言葉を聞き、秋山はそう呟くと、自分が持ってきた方のデッキを掴んで立ち上がる。話はここで終わりだと言いたげに。
それが合図になったのか、城戸も慌てて横にあったコーヒーを飲み干し……
「ご馳走様でした」
「今日も美味かった。いつか、
「はい。ありがとうございました。機会があれば、お伺いしますね」
コーヒーの代金を支払い、店を出て行く二人に向かって、野上愛理は鮮やかな笑顔を返した。
尾崎が「Milk Dipper」にやってきた頃。
三浦イッセーは、野上良太郎を半ば強引に、ある一軒の家の前に連れてきていた。
一見、普通の二階建て住宅のように見える。イメージにある「占い師の館」とは程遠い、アットホームな雰囲気が漂っている。
「ここ、ですか?」
「そう。ここの占い師は、僕の占いの師匠でもあってね。でも、結局僕は占いの才がないから、スーパーカウンセラーになったんだ。ここなら、良太郎君の運の悪さや悪霊対策とかを、授けてくれると思う」
「あの、僕は別に、悪霊とか……。それに、それって、占いとあんまり関係ないんじゃ?」
もごもごと言葉を紡ごうとする彼を無視し、三浦はインターフォンを鳴らす。
――ここまで来たら諦めるしかないかな――
そう思い、野上は小さく溜息を吐いた後、家の中から出てくるであろう人影を待つ。
……実際に、悪霊ではないにしろ、「憑かれている」事には変わりないのだから。
少しだけ待っていると、中から一人の男が現れた。
三十前だろうか。黒髪が綺麗で、どこか達観したような顔をしている。占い師と言う前情報を聞いていたせいだろうか。彼から感じられる雰囲気は、どこか神秘的な感じがする。
「三浦か。久し振りだな」
「あれ? 手塚さん?」
「あの、ひょっとして、この人が三浦さんの言っていた……?」
「ああ、いや。この人は僕の兄弟子に当たる人で、手塚海之さん。でも、どうして手塚さんが師匠の家に?」
どうやら出てきた手塚と言う人物は、三浦の言う「師匠」とは違うらしい。てっきり醸し出している雰囲気からして、この男の事だと思ったのだが……三浦自体、手塚がいる事を不思議がっているようだ。
一方で手塚は二人を招き入れながら、三浦の問いに小さく溜息を吐き……
「俺も少し視て欲しい事があってここに来たんだが、
そこまで言って、手塚は野上をリビングのテーブルに座らせ、何かを探るかのような目つきで見る。
やがて、懐からマッチ箱を取り出すと、それを擦り……生まれた火を、野上にかざすようにしながらじっと見つめる。
「あ、あの……?」
「君は……近い内に、戦いに巻き込まれる」
「へ?」
マッチの火が消えると同時に、手塚が放った言葉に、思わず頓狂な声をあげてしまう野上。
言葉の内容もそうだが、何故いきなりそんな事を言われたのか分からなかったのもある。そもそも、マッチを擦ってその火を見つめると言う行為にも意味を見出せなかっただけに、余計に困惑してしまう。
その困惑に気付いたのだろう。三浦が微かな苦笑を口元に浮かべ、改めて手塚の職業を告げた。
「手塚さんも占い師なんだよ」
「俺の占いは当たる」
マッチ箱をしまいながら、手塚はさも当然のように言い放つ。
「今の……占いだったんですか?」
野上の中にあった「占い」のイメージは、薄暗い場所で、カードや水晶を使って行うものだった。
だが、今回はまるで違う。
一般家庭のリビングで、マッチの火を見るだけで占う方法など……ある意味、「らしい」と言えば「らしい」のだが……予想は全くしていなかった。
……お陰で緊張は解れたが。
「そう言えば、手塚さんが『視て欲しい事』って?」
「これだ」
思い出したように言った三浦に、彼が取り出したのは、赤紫色のケースに入ったカードデッキ。ケースにはどことなくエイを連想させるモチーフが、金で描かれている。
一瞬、ゼロノスのカードのケースを思い出したが、そこに入っているカードはどれも見た事のないものばかり。
だが、そこから発せられる強力な「力」のような物を、野上は感じ取っていた。
「今朝、家の姿見の前で拾った。見覚えはない。だが……」
そこまで言うと、手塚は薄ら寒そうにそのカードデッキを見つめた。
「……このデッキは、俺を戦いへ導く。……そう、占いの結果が出た」
「戦い……」
「その戦いが、何なのかが分からない。……師匠なら、分かるかもしれないと思って来たんだが……」
口ぶりからすると、占ってもらう前に彼は留守番を押し付けられたらしい。
苦笑しつつ、手塚は三浦の方を見やる。その視線に気付いたのか、三浦も苦笑を彼に向け……
「師匠は、相変わらず自由な人ですね」
「『全ては方円の器に従い移る水の如く自由に』が、師匠の座右の銘だからな。すぐに帰ってくると言っていたから、もうしばらく待っていれば良いだろう」
カードデッキをしまいながら、手塚は温和そうな笑みを、野上に向けた。
……聞こえてくる「音」はただの耳鳴りだと、自分に言い聞かせながら……
城戸と秋山が、「Milk Dipper」を出た瞬間。奇妙な「音」が、彼らの耳に届いた。
ハウリングのような、ガラスを引掻くような、不快極まりない高い「音」が。
「何だ、この音……」
「蓮にも聞こえてるって事は、耳鳴りじゃないんだよな?」
煩そうに顔を顰めながら、城戸と秋山は周囲を見回して音源を探す。
そして……気付いた。自分達以外の通行人が、この生理的嫌悪感を誘う「音」の中で平然としている事に。
考えられる理由は三つ。一つ目は、この「音」が普段からこの場で鳴っている物であり、多少不快ではあるが、気にする必要はない事。
しかし、城戸も秋山も何度かこの道を通った事があるが、こんな「音」は初めて聞く。だから多分、それはないだろう。
二つ目は通行人達がグルになって、自分達を陥れようとしている事。所謂ドッキリと言う奴。
しかし、自分達に仕掛けても何のメリットもないし、何より平然としていられるような「音」ではない。いくらドッキリでも、この音には眉を顰めるくらいはするだろう。それでも普段通り振舞えるのならば、周囲の人々はかなりの役者だ。
ならば三つ目。あまり現実的とは言い難いのだが、この「音」は城戸と秋山の二人にしか聞こえていない事。
周囲の反応から考えると、その可能性が一番高いのだが……ならば何故、自分達にだけ聞こえるのか。そもそも、そんな事が起こりうるのか。
そう思った刹那。城戸の視線が一点で止まる。
……子供服の飾られたショウウィンドウに。
「なあ蓮、あれ……」
「子供服がどうかしたのか?」
「そうじゃないよ、その手前! ショウウィンドウのガラス! よく見ろ!」
城戸に言われ、秋山は視線をガラスに移す。
ガラスの中に、僅かに映りこんでいるのは、歩道を歩く人々の波と……「こちら側」には存在していない、異形の姿。
限りなく白に近い灰の体色を持つ、巨大な蜘蛛のような異形が、まるで「向こう側」から獲物を狙うかのようにこちらを見ていた。
「何だよ、あれ」
「知るか。少なくとも、ガラスの汚れって訳じゃなさそうだな」
戸惑ったように問う城戸に、秋山はいつも通りの体を装って返す。
城戸があからさまに混乱しているお陰で、ある程度冷静でいられるが……それでもやはり、多少は混乱していた。
何故、あんなものが見えるのか。
先程から聞こえる、この「音」は何なのか。
そもそも、何故他の人間は、あの異形の事を何も言わないのか。
――まさか俺達だけが、あの化物に気付いているのか? この「音」と同じように――
訝しげに秋山がそう考えたとほぼ同時に。ガラスに、今までいた蜘蛛型の物とは別の異形が二体、新たに映し出される。
強いて例えるとするならば、一体は赤い龍で、もう一体は紺の蝙蝠。
メタリックな輝きを放ってはいるが、それでもそいつらが「生物」であると認識できる。
そして何故か、城戸も秋山も……新たに現れたその
「ドラグレッダー……」
「ダークウィング……」
赤い龍を見て城戸が、黒い蝙蝠を見て秋山が、それぞれ呟く。
その呟きを聞き取ったのか、モンスターは声の主をどこか嬉しそうに一瞥すると、すぐに目を反らし、蜘蛛型のモンスターに攻撃を仕掛ける。
……まるで、その蜘蛛を破壊するかの如く。
その様子を見て、彼らの脳裏にあるシーンが浮かぶ。
赤を基調とし、左腕にドラゴンの頭を模したガントレットをつけた戦士としての城戸、そして紺色を基調とし、左腰に蝙蝠の翼を模した剣を携える秋山。
それぞれが、名を呼んだモンスターを従え、仮面の戦士として互いに鍔迫り合い、戦う姿が、まるで実際に起こった出来事のように、鮮明に浮かんでくる。そんな経験など、ないはずなのに。
「何なんだよ、これ……何でこんなモンが浮かんで来るんだよ……!?」
頭を押さえ、混乱しきった声で城戸が問う。
既にガラスには、先程のモンスター達は映っていない。
聞こえていたはずの音も止み、全てはあたかも幻であったかの如く、周囲を取り巻くのは平穏な日常。昨日と異なる所と言えば、自分が持つ不可思議なカードデッキの存在。
「このカードのせいか!? こんな物があるから、あんなのが見えるのか!?」
「……見えるだけだ。実際に害があった訳じゃない」
「それは、そうだけどさ。お前は気にならない訳?」
徐々に冷静さを取り戻しつつ、城戸はどこか不服そうに秋山に問う。
しかし問われた方は小さく肩を竦め……無言で歩き出した。
まるで、答えるだけ無駄だと言わんばかりに。
……秋山も、気にならないと言えば嘘になるが……自分で言った通り、今の所は実害がないのだから問題はない。
それに何より、今は早く「花鶏」に戻って手伝いをする事の方が大事だ。
「……置いていくぞ、城戸」
「え、ちょっ……待てよ。おい、蓮ってば!」
……そうして、彼らはその場を離れる。色々と、納得のいかない感情を胸に抱いたまま。
だが……彼らは気付いていなかった。
ガラスに映った「城戸真司」が、まるでこちらを見送るかのように立っているのを。
そしてその顔に、邪悪な笑みが浮かんでいるのを。