紅蓮の空、漆黒の戦士
【その4:黄金色の忠告】
ゼロライナーがトンネルを抜けると、そこには渋谷の街が広がっていた。
待ち合わせに使われる、有名な犬の銅像。大通りの向こうに、赤文字で三桁の数字が書いてある建物が何となく見える。いやに空が赤いのは、夕焼けのせいか。
しかし……いつもは人でごった返しているはずのこの街に、まるで人の気配がない。平日でも、それなりの人出はあるはず。大型ディスプレイに何も映し出されていない事もあってか、妙に静かな印象を受ける。
それに……この渋谷にはどこか、何か違和感を覚える。静かだと言うだけでここまでの違和感を覚える物なのか、それとも他に要因があるのは、まだ侑斗には分からないが……
「あれぇ? 何か人が少ないなぁ……」
「まあね。だから、変装する必要はないよ、デネブ君」
頬被 りに火男 の面をつけ、青い半被 を着込むと言う、季節感をとことん無視した格好のデネブに、大通りを渡りながら言うオーナー。
その横では侑斗が呆れたような視線をデネブに向けている。彼の変装は常に何かしら……と言うか全体的にズレているが、今回も大幅にズレている。人がいないのがありがたく思えるくらい。
「……それで、これからどこに行くんだ?」
「俗に言うマルキューのちょっと手前。そこならここが『左右が反転した異世界』……ミラーワールドだってすぐ分かるからね」
ごそごそと半被を脱ぎながら問いかけるデネブに、オーナーはにこやかな笑顔を向けながら答える。
「すぐに分かるってどう言う意味……」
怪訝そうに顔を顰め、オーナーにその意味を聞こうとして……侑斗は思わず言葉を飲み込んだ。
自分達の少し先にある建物は、彼の言っていた「目的地」。そしてここに来て、最初に目に入った物の一つだったが……
違和感の正体が、ようやく分かった。むしろ気付くのに遅すぎたくらいに。
「ええっ!? 数字が鏡文字になってる?」
「よく見ろデネブ。数字だけじゃない。……全部が『反転』してる」
デネブの呟きに侑斗が返す。そう、確かに目の前にある建物が掲げる三桁の数字は、鏡に映した様に左右反転していた。
それだけではない。街並み全てが左右反転していたのだ。先程見た犬の銅像の位置も、電信柱に張られたポスターの文字も、信号機の色の並びも、何もかもが侑斗達の知る渋谷と左右が逆になっている。
「分かってくれた? ここが異世界だって」
「……『ミラーワールド』か。なるほどな」
全てが左右反転した世界。まるで鏡の中へ迷い込んでしまったかのような場所。だから「ミラーワールド」なのか。
そう、侑斗もデネブも納得するしかなかった。
一瞬、撮影のセットという可能性も考えた。だが、こんな大掛かりな……街並み一つを作り上げるようなセットを組んで自分達を騙した所で、オーナーには何のメリットもない。
恐らく、他の場所も同じようにできているのだろう。
自分がいつもいる公園や、愛理が営んでいる「Milk Dipper」も。
「全部が反転している世界って事は、ひょっとして今の時間は……」
「午前六時半ってトコかな。だから、今のこの空の色は『夕焼け』じゃなくて『朝焼け』」
そう。左右が逆転していると言う事は、東西も逆転している事に他ならない。沈み行くと思っていた太陽は、これから昇っていくのだ。
……そう思うと、この空の色がなんだか不気味に思えた。
燃えるような、この紅蓮の空が。
「さて、二人が納得してくれた所で、早いトコ現場へ向かわないとね。時間切れになっちゃうし」
「そう言えば、制限時間があるとか言ってたな」
「うん。ここに来てから九分五十五秒。それを過ぎると消えちゃうから、気をつけてね」
相変わらず笑顔のまま……しかし重大すぎる言葉を、オーナーは事も無げに吐きだす。
「消えるって……」
「言葉通り、消滅するのさ。粒子化して跡形もなく、ね」
「なっ!?」
「僕達は、この世界では『存在しない存在』。つまり、いる筈のない存在。そんなの……世界が認めると思う?」
オーナーが、真剣な表情で二人に問う。
だが、その問いに答えは出せない。デネブ達イマジンもまた、本来なら自らのあるべき時間を持たない、「存在しない存在」なのだから。
「ま、別に無理に答えを出す必要はないよ。制限時間過ぎたら消えちゃうって事実はどう足掻いたって変わらないんだし」
真剣だった表情を崩し、再びにこやかな笑顔でオーナーが言った瞬間。ふっと、彼らの視界が翳 る。
その気配に何か薄ら寒い物を感じ、侑斗とデネブは影の主を仰ぎ見て……絶句した。
怪物としか言いようのないモノが複数、ブンブンと羽音を立てながら宙に浮いていたのだから。
「何なんだこいつら!」
妙に機械的な、それでいて決して機械とは思えない異形達を目の前にして、侑斗がオーナーに向かって叫ぶ。
本能的に「それ」が危険なものだと分かっているのか、ゼロノスのカードを構えて。
明らかにイマジンとは異なるが、それに近い「何か」を感じる。……強いて言うなら、何者かの強い「願い」の気配だろうか。
一方のオーナーは緊張感の欠片もない顔で、それらを見上げ……
「ミラーモンスター。この世界の住人……みたいな?」
「みたいな? って……」
「だって、人じゃないだろう?」
「ああ、成程」
「屁理屈捏ねてる場合か! って言うかデネブも納得してんな!」
律儀にツッコミを入れつつも、目の前の異形……ミラーモンスターとオーナーが呼んだソレからは目を離さない。
宙を浮いている蜻蛉 のようなミラーモンスターの向こうには、どことなく白い蜘蛛 を想像させるモンスターもいる。
蜻蛉の方は、数は多いが人間大、蜘蛛の方は、数は少ないが大きさはゼロライナーの先頭車両くらいあるだろうか。イメージの暴走したイマジンに比べれば、たいした大きさではないが、それでもそれなりの威圧感はある。
しかし、不味いと思う侑斗とは対照的に、オーナーに緊張感は欠片もない。むしろのほほんと余裕すら見せている。
「いやぁ、野良モンスターで良かったよ。これで契約モンスターだったら、思ってた以上に厄介な事になってるって事だし」
今にもどこからか湯呑みを取り出して啜りだしそうな口調で言ってはいるが、モンスターに近付く気はないのだろう。オーナーは常に一定以上の距離を保つように、じりじりと後ずさっている。
「あれ? でも、襲ってくる事には変わらないのかぁ。僕達、彼らの貴重な栄養源だし」
「ちょっと待て、栄養源ってどう言う意味だ?」
「ミラーモンスターは他の存在……主に『外』の人間の生命エネルギーを糧に生きてるって……アレ? 言ってなかったっけ?」
「今、はじめて聞いたっ!」
怒鳴るように返しつつ、侑斗はチィと小さく舌打ちを鳴らす。
ミラーモンスターと言う存在の事も、たった今、聞いたばかりなのだ。その習性など、半ば巻き込まれたようにここに来た侑斗達に分かるはずもない。
だが、今のオーナーの言葉で、目の前にいる存在が危険である事は充分すぎるほど理解した。
――やっぱりここは、変身して突破するしかないか――
オーナーの言葉を聞き、侑斗がそう思った時だった。オーナーはうーんと低く唸ると、すぐさま顔に浮かぶ笑みを深くして……
「じゃ、逃げるよ、二人とも」
「お前何言って……ぅぐっ!?」
「ええ!?」
いつもの調子ではっはっはと笑いつつ、オーナーはそう言うと、右手で侑斗の襟首を、左手でデネブの腕を引っ張って、一目散に近くのビルの中へと飛び込んでいく。
無論、襟首を掴まれているのだから侑斗の首はキリキリと絞まっている。呼吸は苦しいが、今すぐ死にそうになるほどでもないのは、おそらく彼が手加減してくれているからだろう。それに……どういう訳か、自分の足が地面から浮いているのも少し気にかかる。
侑斗も男だ。見た目からして強力と言う訳でもなさそうな男に、片腕で引っ張り上げられる程軽くはないはず。
思いながらも視線をビルの入り口に移せば、そこには大型の蜘蛛モンスターが塞いでしまっているせいで引っかかり、奇妙な鳴き声をあげながらこちらの様子を窺っているモンスターの姿があった。
「おい、何で逃げてるんだよ! ってか苦しいだろ! いつまで襟首掴んでる気だ!」
「ああ、ゴメンゴメン」
ゲホゲホと咳き込む侑斗に、苦笑いで謝りながら、オーナーは右手で掴んでいた侑斗の襟首を離す。
「……いつか絶対ぇぶん殴る」
「そんな怖い顔しないで。大体……ここで派手に戦ったら、相手に僕達の事バレちゃうって気がする」
「バレたらまずいのか?」
入り口近辺で建物の更に奥の方に歩を進めつつ言うオーナーに、デネブは心底不思議そうに問いかける。
「……万が一戦いになったら、こっちの世界で制限時間のある僕達の方が明らかに不利でしょう?」
言われれば、確かに。
オーナーの話が真実ならば、自分達がミラーワールドで活動できる時間は限られている。
その限られた時間内で戦いになった場合、必ず相手を倒せると言う保証はない。万が一にも逃げられた場合……後々が面倒な事になる。
「……でも、もうバレてるみたいだね。上手くここに追い込まれたって気がするよ」
言った瞬間。オーナーの目が変化したように、デネブには見えた。
眼球の殆どが黒目となり、その目自身も、どこかぎょろりと爬虫類を思わせるような感じに。
だがその一瞬後には、いつもの何を考えているか分からないような「人間」の目に戻っていた。
――……気のせい、か?――
一瞬の事だったし、侑斗も何の反応も示していない事から察するに、「気のせい」と言う結論を出した方が良さそうだ。
どこか腑に落ちない所はあるが、デネブは無理矢理自分を納得させ、侑斗の方へ視線を向け直した。
その視線を受けたからなのか、それとも単純なタイミングの問題か。それまできょろきょろと周囲を見回していた侑斗は、呆れたように溜息を一つ吐き出すと、オーナーに向かって言葉を紡ぐ。
「追い込まれたって、俺達以外には誰も……」
いない、そう侑斗が言いかけた瞬間。
いつからいたのか、彼らの目の前に音もなく一人の男が立ち尽くしているのが映る。
それは、この世界に来てからはじめて見る「人間」。
ベージュ色のコートを着た、無表情な青年が、行く手を遮るかのように立っている。だが、その青年の醸しだす雰囲気は、決して友好的なものではない事を、侑斗もデネブも感じ取っていた。
「……誰だ?」
警戒しつつ、侑斗が男に問いかける。
だが、その問いに答えたのは問われた本人ではなく、侑斗の隣にいたオーナーの方であった。
「神崎士郎。君達に渡したカードデッキの『本物』を作った存在であり、例の『時間を繰り返すカード』を使いまくった張本人」
神崎と呼んだ男から目を反らさず、オーナーは苦々しげにそう吐き捨てる。
まるで、その男の存在を認めること自体が苦痛であるかのような表情で。その証拠に、今までは誰しも君付けで呼んでいた彼が、神崎の事だけは呼び捨てにしている。
「何をしに来た?」
神崎と呼ばれたが呟くように問いかけてくる。
しかし、その声に生気は感じられない。「喋る」のではなく「言葉を吐き出す」だけのようだと、侑斗は思った。
「聞く気もないくせに、問いかけるのは時間の無駄、って気がするよ」
冷たい笑みを返しながら、オーナーはゆっくりと神崎との距離を縮める。
だが、そんな事を気に留める様子もなく、神崎は視線をオーナーから侑斗達に移した。
……その視線に、デネブの背を悪寒が駆け抜ける。
生者とは思えぬ、何の感情もない視線。……人間に、こんな目をする事が出来るのであろうか。生きている以上は、感情をなくす事など不可能に近いと言うのに。
「『外』の人間が、何故ここにいる?」
「どう言う意味だ?」
「この世界には、この世界の住人か、モンスターに引き込まれた者、あるいはデッキを持つ者しか存在できない」
言いながら、神崎は懐中からデッキを取り出した。
侑斗とデネブがオーナーから受け取ったのと同じ力を感じさせる、カードデッキ。しかし、黒を基調とした二人の物とは異なり、神崎が持っているのは金を基調としており、更に鳥を思わせるマークが付いている。
「……俺達がここにいたら、不味い事でもあるのか?」
神崎の疑問には答えず、逆に侑斗は質問で返す。
別に、オーナーに貰ったデッキの事を話しても良いとは思うのだが……敵か味方かはっきりしない以上、下手のこちらの手の内を晒すのは得策ではないと考えたのだ。
それに……侑斗自身は、神崎士郎と言う男を、信用出来ないと思ったのもある。
外にいるモンスター達を使って、ここに自分達を追い込んだ可能性も高い。
だが、神崎は何も答えず、冷ややかな視線をこちらに向けるだけ。
答えを期待するのは、無駄なように思える。
実際オーナーもそう思ったのか、一度深く溜息を吐き……
「彼はね、極度のシスコンなんだ。だから、僕達を警戒している。…………大切な妹を守るためにね」
半ば呆れたような声で侑斗とデネブにそう言うが、苦痛そうな表情を崩さぬまま、神崎の方を向いている。
「どいてくれないかな? 君達兄妹に害意はない。そう言う顔、してるだろう?」
「……嘘くさいな」
「あっはっは。信じてくれないのは残念って気がするよ。そもそも、今回は君に構ってるような時間ないし」
半ば喧嘩を売るように言い放ったオーナーの言葉を信じたのか、あるいは嘘だとしても彼を退ける自信があるのか。
神崎はその言葉を聞くと、通れと言わんばかりに、半歩だけその身を右にずらした。どことなく、不気味な笑みを浮かべて。
「……一つ、お前達に忠告しておこう」
「……何だよ?」
「暗黒龍に気をつけろ」
オーナーの方には目を向けず、侑斗とデネブに向かって、神崎はそう言葉を放つ。
「暗黒龍」と言うのが何を指すのか、二人には分からない。ただ、その言葉を聞いたオーナーの顔が、あからさまに青褪めたのを見れば……それが、危険な物である事くらいは容易に理解できた。
「……え。まさか……」
「リュウガがいる」
「契約済み、なんだろうね。君が気をつけろと言ったって事は」
――契約?――
薄ら寒そうに言ったオーナーの言葉に引っかかりを覚え、侑斗は思わず彼の顔を盗み見る。
契約と言う単語から連想されるのはイマジンの存在。だが、イマジンの事を言っているにしてはオーナーの態度はおかしい。イマジンを相手にしている時の話し方はどこか小ばかにするような態度だったが、今は違う。怯えていると言う訳でもなさそうだが……強いて言うなら面倒臭そう、とでも言うべきか。
大体、ここに来た目的は「イマジンと契約者の契約の瞬間を見て、その契約を完遂させない事」のはず。
もしもイマジンの事を言っていて、そして既に契約が交わされた後だったのなら、この世界に来た意味の一つが失われてしまう。
思い、視線を神崎の方に戻した……つもりだった。
しかし既にそこには神崎士郎の姿はなく、ただ、無人のエントランスが広がっているだけ。
「どういう事だ!? デネブ、あいつは!?」
「わ、分からない。俺も一瞬目を離した隙に……」
周囲を慌てて見回すが、神崎の姿は煙の如く掻き消えていた。
慌てふためく侑斗とデネブを尻目に……オーナーはただ、心底呆れたように呟く。
「……言いたい事だけ言って、さっさと消えちゃうなんて……ホント、最っ低って気がするよ……」
ゼロライナーがトンネルを抜けると、そこには渋谷の街が広がっていた。
待ち合わせに使われる、有名な犬の銅像。大通りの向こうに、赤文字で三桁の数字が書いてある建物が何となく見える。いやに空が赤いのは、夕焼けのせいか。
しかし……いつもは人でごった返しているはずのこの街に、まるで人の気配がない。平日でも、それなりの人出はあるはず。大型ディスプレイに何も映し出されていない事もあってか、妙に静かな印象を受ける。
それに……この渋谷にはどこか、何か違和感を覚える。静かだと言うだけでここまでの違和感を覚える物なのか、それとも他に要因があるのは、まだ侑斗には分からないが……
「あれぇ? 何か人が少ないなぁ……」
「まあね。だから、変装する必要はないよ、デネブ君」
その横では侑斗が呆れたような視線をデネブに向けている。彼の変装は常に何かしら……と言うか全体的にズレているが、今回も大幅にズレている。人がいないのがありがたく思えるくらい。
「……それで、これからどこに行くんだ?」
「俗に言うマルキューのちょっと手前。そこならここが『左右が反転した異世界』……ミラーワールドだってすぐ分かるからね」
ごそごそと半被を脱ぎながら問いかけるデネブに、オーナーはにこやかな笑顔を向けながら答える。
「すぐに分かるってどう言う意味……」
怪訝そうに顔を顰め、オーナーにその意味を聞こうとして……侑斗は思わず言葉を飲み込んだ。
自分達の少し先にある建物は、彼の言っていた「目的地」。そしてここに来て、最初に目に入った物の一つだったが……
違和感の正体が、ようやく分かった。むしろ気付くのに遅すぎたくらいに。
「ええっ!? 数字が鏡文字になってる?」
「よく見ろデネブ。数字だけじゃない。……全部が『反転』してる」
デネブの呟きに侑斗が返す。そう、確かに目の前にある建物が掲げる三桁の数字は、鏡に映した様に左右反転していた。
それだけではない。街並み全てが左右反転していたのだ。先程見た犬の銅像の位置も、電信柱に張られたポスターの文字も、信号機の色の並びも、何もかもが侑斗達の知る渋谷と左右が逆になっている。
「分かってくれた? ここが異世界だって」
「……『ミラーワールド』か。なるほどな」
全てが左右反転した世界。まるで鏡の中へ迷い込んでしまったかのような場所。だから「ミラーワールド」なのか。
そう、侑斗もデネブも納得するしかなかった。
一瞬、撮影のセットという可能性も考えた。だが、こんな大掛かりな……街並み一つを作り上げるようなセットを組んで自分達を騙した所で、オーナーには何のメリットもない。
恐らく、他の場所も同じようにできているのだろう。
自分がいつもいる公園や、愛理が営んでいる「Milk Dipper」も。
「全部が反転している世界って事は、ひょっとして今の時間は……」
「午前六時半ってトコかな。だから、今のこの空の色は『夕焼け』じゃなくて『朝焼け』」
そう。左右が逆転していると言う事は、東西も逆転している事に他ならない。沈み行くと思っていた太陽は、これから昇っていくのだ。
……そう思うと、この空の色がなんだか不気味に思えた。
燃えるような、この紅蓮の空が。
「さて、二人が納得してくれた所で、早いトコ現場へ向かわないとね。時間切れになっちゃうし」
「そう言えば、制限時間があるとか言ってたな」
「うん。ここに来てから九分五十五秒。それを過ぎると消えちゃうから、気をつけてね」
相変わらず笑顔のまま……しかし重大すぎる言葉を、オーナーは事も無げに吐きだす。
「消えるって……」
「言葉通り、消滅するのさ。粒子化して跡形もなく、ね」
「なっ!?」
「僕達は、この世界では『存在しない存在』。つまり、いる筈のない存在。そんなの……世界が認めると思う?」
オーナーが、真剣な表情で二人に問う。
だが、その問いに答えは出せない。デネブ達イマジンもまた、本来なら自らのあるべき時間を持たない、「存在しない存在」なのだから。
「ま、別に無理に答えを出す必要はないよ。制限時間過ぎたら消えちゃうって事実はどう足掻いたって変わらないんだし」
真剣だった表情を崩し、再びにこやかな笑顔でオーナーが言った瞬間。ふっと、彼らの視界が
その気配に何か薄ら寒い物を感じ、侑斗とデネブは影の主を仰ぎ見て……絶句した。
怪物としか言いようのないモノが複数、ブンブンと羽音を立てながら宙に浮いていたのだから。
「何なんだこいつら!」
妙に機械的な、それでいて決して機械とは思えない異形達を目の前にして、侑斗がオーナーに向かって叫ぶ。
本能的に「それ」が危険なものだと分かっているのか、ゼロノスのカードを構えて。
明らかにイマジンとは異なるが、それに近い「何か」を感じる。……強いて言うなら、何者かの強い「願い」の気配だろうか。
一方のオーナーは緊張感の欠片もない顔で、それらを見上げ……
「ミラーモンスター。この世界の住人……みたいな?」
「みたいな? って……」
「だって、人じゃないだろう?」
「ああ、成程」
「屁理屈捏ねてる場合か! って言うかデネブも納得してんな!」
律儀にツッコミを入れつつも、目の前の異形……ミラーモンスターとオーナーが呼んだソレからは目を離さない。
宙を浮いている
蜻蛉の方は、数は多いが人間大、蜘蛛の方は、数は少ないが大きさはゼロライナーの先頭車両くらいあるだろうか。イメージの暴走したイマジンに比べれば、たいした大きさではないが、それでもそれなりの威圧感はある。
しかし、不味いと思う侑斗とは対照的に、オーナーに緊張感は欠片もない。むしろのほほんと余裕すら見せている。
「いやぁ、野良モンスターで良かったよ。これで契約モンスターだったら、思ってた以上に厄介な事になってるって事だし」
今にもどこからか湯呑みを取り出して啜りだしそうな口調で言ってはいるが、モンスターに近付く気はないのだろう。オーナーは常に一定以上の距離を保つように、じりじりと後ずさっている。
「あれ? でも、襲ってくる事には変わらないのかぁ。僕達、彼らの貴重な栄養源だし」
「ちょっと待て、栄養源ってどう言う意味だ?」
「ミラーモンスターは他の存在……主に『外』の人間の生命エネルギーを糧に生きてるって……アレ? 言ってなかったっけ?」
「今、はじめて聞いたっ!」
怒鳴るように返しつつ、侑斗はチィと小さく舌打ちを鳴らす。
ミラーモンスターと言う存在の事も、たった今、聞いたばかりなのだ。その習性など、半ば巻き込まれたようにここに来た侑斗達に分かるはずもない。
だが、今のオーナーの言葉で、目の前にいる存在が危険である事は充分すぎるほど理解した。
――やっぱりここは、変身して突破するしかないか――
オーナーの言葉を聞き、侑斗がそう思った時だった。オーナーはうーんと低く唸ると、すぐさま顔に浮かぶ笑みを深くして……
「じゃ、逃げるよ、二人とも」
「お前何言って……ぅぐっ!?」
「ええ!?」
いつもの調子ではっはっはと笑いつつ、オーナーはそう言うと、右手で侑斗の襟首を、左手でデネブの腕を引っ張って、一目散に近くのビルの中へと飛び込んでいく。
無論、襟首を掴まれているのだから侑斗の首はキリキリと絞まっている。呼吸は苦しいが、今すぐ死にそうになるほどでもないのは、おそらく彼が手加減してくれているからだろう。それに……どういう訳か、自分の足が地面から浮いているのも少し気にかかる。
侑斗も男だ。見た目からして強力と言う訳でもなさそうな男に、片腕で引っ張り上げられる程軽くはないはず。
思いながらも視線をビルの入り口に移せば、そこには大型の蜘蛛モンスターが塞いでしまっているせいで引っかかり、奇妙な鳴き声をあげながらこちらの様子を窺っているモンスターの姿があった。
「おい、何で逃げてるんだよ! ってか苦しいだろ! いつまで襟首掴んでる気だ!」
「ああ、ゴメンゴメン」
ゲホゲホと咳き込む侑斗に、苦笑いで謝りながら、オーナーは右手で掴んでいた侑斗の襟首を離す。
「……いつか絶対ぇぶん殴る」
「そんな怖い顔しないで。大体……ここで派手に戦ったら、相手に僕達の事バレちゃうって気がする」
「バレたらまずいのか?」
入り口近辺で建物の更に奥の方に歩を進めつつ言うオーナーに、デネブは心底不思議そうに問いかける。
「……万が一戦いになったら、こっちの世界で制限時間のある僕達の方が明らかに不利でしょう?」
言われれば、確かに。
オーナーの話が真実ならば、自分達がミラーワールドで活動できる時間は限られている。
その限られた時間内で戦いになった場合、必ず相手を倒せると言う保証はない。万が一にも逃げられた場合……後々が面倒な事になる。
「……でも、もうバレてるみたいだね。上手くここに追い込まれたって気がするよ」
言った瞬間。オーナーの目が変化したように、デネブには見えた。
眼球の殆どが黒目となり、その目自身も、どこかぎょろりと爬虫類を思わせるような感じに。
だがその一瞬後には、いつもの何を考えているか分からないような「人間」の目に戻っていた。
――……気のせい、か?――
一瞬の事だったし、侑斗も何の反応も示していない事から察するに、「気のせい」と言う結論を出した方が良さそうだ。
どこか腑に落ちない所はあるが、デネブは無理矢理自分を納得させ、侑斗の方へ視線を向け直した。
その視線を受けたからなのか、それとも単純なタイミングの問題か。それまできょろきょろと周囲を見回していた侑斗は、呆れたように溜息を一つ吐き出すと、オーナーに向かって言葉を紡ぐ。
「追い込まれたって、俺達以外には誰も……」
いない、そう侑斗が言いかけた瞬間。
いつからいたのか、彼らの目の前に音もなく一人の男が立ち尽くしているのが映る。
それは、この世界に来てからはじめて見る「人間」。
ベージュ色のコートを着た、無表情な青年が、行く手を遮るかのように立っている。だが、その青年の醸しだす雰囲気は、決して友好的なものではない事を、侑斗もデネブも感じ取っていた。
「……誰だ?」
警戒しつつ、侑斗が男に問いかける。
だが、その問いに答えたのは問われた本人ではなく、侑斗の隣にいたオーナーの方であった。
「神崎士郎。君達に渡したカードデッキの『本物』を作った存在であり、例の『時間を繰り返すカード』を使いまくった張本人」
神崎と呼んだ男から目を反らさず、オーナーは苦々しげにそう吐き捨てる。
まるで、その男の存在を認めること自体が苦痛であるかのような表情で。その証拠に、今までは誰しも君付けで呼んでいた彼が、神崎の事だけは呼び捨てにしている。
「何をしに来た?」
神崎と呼ばれたが呟くように問いかけてくる。
しかし、その声に生気は感じられない。「喋る」のではなく「言葉を吐き出す」だけのようだと、侑斗は思った。
「聞く気もないくせに、問いかけるのは時間の無駄、って気がするよ」
冷たい笑みを返しながら、オーナーはゆっくりと神崎との距離を縮める。
だが、そんな事を気に留める様子もなく、神崎は視線をオーナーから侑斗達に移した。
……その視線に、デネブの背を悪寒が駆け抜ける。
生者とは思えぬ、何の感情もない視線。……人間に、こんな目をする事が出来るのであろうか。生きている以上は、感情をなくす事など不可能に近いと言うのに。
「『外』の人間が、何故ここにいる?」
「どう言う意味だ?」
「この世界には、この世界の住人か、モンスターに引き込まれた者、あるいはデッキを持つ者しか存在できない」
言いながら、神崎は懐中からデッキを取り出した。
侑斗とデネブがオーナーから受け取ったのと同じ力を感じさせる、カードデッキ。しかし、黒を基調とした二人の物とは異なり、神崎が持っているのは金を基調としており、更に鳥を思わせるマークが付いている。
「……俺達がここにいたら、不味い事でもあるのか?」
神崎の疑問には答えず、逆に侑斗は質問で返す。
別に、オーナーに貰ったデッキの事を話しても良いとは思うのだが……敵か味方かはっきりしない以上、下手のこちらの手の内を晒すのは得策ではないと考えたのだ。
それに……侑斗自身は、神崎士郎と言う男を、信用出来ないと思ったのもある。
外にいるモンスター達を使って、ここに自分達を追い込んだ可能性も高い。
だが、神崎は何も答えず、冷ややかな視線をこちらに向けるだけ。
答えを期待するのは、無駄なように思える。
実際オーナーもそう思ったのか、一度深く溜息を吐き……
「彼はね、極度のシスコンなんだ。だから、僕達を警戒している。…………大切な妹を守るためにね」
半ば呆れたような声で侑斗とデネブにそう言うが、苦痛そうな表情を崩さぬまま、神崎の方を向いている。
「どいてくれないかな? 君達兄妹に害意はない。そう言う顔、してるだろう?」
「……嘘くさいな」
「あっはっは。信じてくれないのは残念って気がするよ。そもそも、今回は君に構ってるような時間ないし」
半ば喧嘩を売るように言い放ったオーナーの言葉を信じたのか、あるいは嘘だとしても彼を退ける自信があるのか。
神崎はその言葉を聞くと、通れと言わんばかりに、半歩だけその身を右にずらした。どことなく、不気味な笑みを浮かべて。
「……一つ、お前達に忠告しておこう」
「……何だよ?」
「暗黒龍に気をつけろ」
オーナーの方には目を向けず、侑斗とデネブに向かって、神崎はそう言葉を放つ。
「暗黒龍」と言うのが何を指すのか、二人には分からない。ただ、その言葉を聞いたオーナーの顔が、あからさまに青褪めたのを見れば……それが、危険な物である事くらいは容易に理解できた。
「……え。まさか……」
「リュウガがいる」
「契約済み、なんだろうね。君が気をつけろと言ったって事は」
――契約?――
薄ら寒そうに言ったオーナーの言葉に引っかかりを覚え、侑斗は思わず彼の顔を盗み見る。
契約と言う単語から連想されるのはイマジンの存在。だが、イマジンの事を言っているにしてはオーナーの態度はおかしい。イマジンを相手にしている時の話し方はどこか小ばかにするような態度だったが、今は違う。怯えていると言う訳でもなさそうだが……強いて言うなら面倒臭そう、とでも言うべきか。
大体、ここに来た目的は「イマジンと契約者の契約の瞬間を見て、その契約を完遂させない事」のはず。
もしもイマジンの事を言っていて、そして既に契約が交わされた後だったのなら、この世界に来た意味の一つが失われてしまう。
思い、視線を神崎の方に戻した……つもりだった。
しかし既にそこには神崎士郎の姿はなく、ただ、無人のエントランスが広がっているだけ。
「どういう事だ!? デネブ、あいつは!?」
「わ、分からない。俺も一瞬目を離した隙に……」
周囲を慌てて見回すが、神崎の姿は煙の如く掻き消えていた。
慌てふためく侑斗とデネブを尻目に……オーナーはただ、心底呆れたように呟く。
「……言いたい事だけ言って、さっさと消えちゃうなんて……ホント、最っ低って気がするよ……」