紅蓮の空、漆黒の戦士

【その12:闇色の勧誘】

「あれ? 浅倉じゃないの」
「……北岡ぁ……」
 黒塗りの車の後部座席から顔を出し、気安く声をかけてきた北岡に、浅倉は心底嫌そうな表情で相手を睨み返す。
 彼らは昔からの知り合いではあるが、親友とはお世辞にも言い難い仲である。
 むしろハブとマングースのような関係と言うべきか。……それより危険な関係とも、言えなくはないのだが。
「相変わらず、怖い顔してるじゃない」
「俺を苛立たせる、お前が悪い」
 相当に苛立っているらしく、浅倉の目つきはかなり危険な雰囲気がある。人を一人殺していてもおかしくない様子だ。
 ……実際は、浅倉にそんな事をする気はない。理由は簡単、後々が面倒だからだ。
 人を殺せば、警察に追われる。隠れてこそこそするのは性に合わないし、いつかは捕まるだろう。何より、捕まった後、自分の自由を奪われるのが本気で鬱陶しい。だから、殺しはしない。壊すだけに留めている。
 ……それも、充分に犯罪なのだが。
「……それより北岡。お前はどうする気だ?」
「どうするって、何がよ?」
「とぼけるな。……これだ」
 そう言って浅倉が取り出したのは……紫色の、カードデッキ。それで車の窓ガラスを、こんと軽く叩く。
 浅倉は既に、北岡も同じ物を持っていると確信していた。
 それは……かつて自分が、「無差別大量殺人犯」として存在していた時の記憶を思い出したからに他ならない。
 浅倉もまた、「やり直された歴史」を思い出したのである。
 かつては飢餓、焦燥、憤怒……そう言った物を感じていた事も。そしてそのときの願いが、「永遠に終わらない闘争」であった事も。
 だが、今は違う。「感じていた」という事実は思い出しても、その感覚までは思い出す事はなかった。
 だからこそ、まだ彼は「人より少し短気」な人間として存在できているのかもしれない。苛立ちはあるが、永遠の闘争を望むほど、この世界に飽きてもいない。
「貴様の事だ。とっくに思い出してるんだろう?」
「……まあね。俺はもう、不治の病じゃないんだよ? 命を懸けてまで叶えたい望みなんて、ある訳ないじゃない」
 そして。北岡もまた、「仮面ライダーとして戦っていた歴史」を思い出していた。
 その時の自分は、決して治る事のない病に侵されており、生きていたいと言う願いの下、仮面ライダーとして戦っていた。
 そしてその時の彼らの間柄は、本当に殺伐とした物であった事も、当然思い出している。
 自分を弁護しきれなかった北岡を恨んだ浅倉と、浅倉を野放しにした責任を感じた北岡。
 俗に言えばライバル同士だったが、実際はもっと根が深い物だったように思う。今ではもう、分からない感覚だが。
「決着をつけるか?」
「やめよーよ。確かに今の俺達、仲も相性も最悪だけど、殺し合う程の関係じゃないでしょ?」
 挑発するように言う浅倉に対し、緑色のデッキを懐中から取り出しつつも、北岡は気だるそうに答える。
「俺さぁ、これから仕事なのよ。あんまり邪魔しないでくれるかな?」
「貴様に弁護されるなんて……可哀想な奴だな、そいつ」
 クックと忍び笑いをしつつ、どこか楽しそうに浅倉は言った。しかも、勝手に車に乗り込み、北岡の隣に腰掛けてまで。
 運転席では、尊敬する北岡を馬鹿にされた由良が、険しい表情で浅倉を睨みつけている。しかし、北岡が急いでいる事も分かっているせいか、どこか諦めたように車を発進させた。
「それは、『過去かつて』の経験則? だったら馬鹿にしないで欲しいなぁ。俺だって日々進歩し続けてるんだから。ねぇ、ゴローちゃん」
「……先生は、いつだって正しいです」
「ふん、相変わらずの北岡至上主義だな」
 由良の答えを、ある程度予想していたのか、不快そうな様子も見せずに嗤う浅倉。
 別に、北岡も浅倉も、互いを嫌っている訳ではない。何となく、合わないのだ。それでも、こうやって出会い、話をするのは、彼らの間に、絆に似た何かがあるからに他ならない。
 そんな、らしからぬ事を考えていたその時。
 唐突にタイヤが悲鳴を上げ、慣性の法則に従って北岡達の体が前に激しく傾いた。
 シートベルトをしていたから放り出されはしなかったものの、それでも北岡と浅倉は前の座席に思い切り額をぶつけてしまった。
「ゴローちゃん!?」
「……すみません、先生」
 苦情めいた口調の北岡に、由良が申し訳なさそうに言葉を返す。だが……視線は、声の主には向かず、真っ直ぐ前を見据えていた。
 由良の視線の先にいたそれに、先に気付いたのは浅倉。
 一瞬だけ不審そうな表情を作ると、シートベルトを外し、車外に出ながら北岡に問いかける。
「あれは、お前の知り合いか?」
 言われ、北岡は視線を「それ」に移す。
 一言で言ってしまえば、それは黒い異形であった。
 人と同じ位の大きさであり、異形とは言え、ミラーモンスターとは異なる存在である事は、北岡にもすぐに分かる。
 鬼のような外見を持ち、炎を模した赤い模様が、その体に描かれている。よく見れば、模様は「N」のようにすらも見える。
 上を向いた二本の角を撫で付けながら、そいつはじっと北岡達の方を見つめていた。
 ……こんな異形の事など、北岡も浅倉も……当然、由良も知るはずもない。
「……浅倉、俺にこんな個性的な知り合いがいると思ってる訳?」
「言ってみただけだ」
 軽口を叩きつつ、北岡も滑らかな動作で車から降り、相手と対峙する。
 浅倉も、どこか楽しそうな表情で相手を見つつ、持っていたデッキを北岡の車のサイドミラーにかざす。
 いつでも変身し、その異形を倒す事のできるように。
 人にあらざる者は、大抵の場合は敵なのだと、浅倉は本能的に知っていたから。
「そう警戒するな。俺はお前達と戦うつもりはない」
 唐突に、その異形が二人に向かってそいつが言った。
 言葉通り、声からは敵意を感じられない。
 だが……明らかに悪人面と言うかなんと言うか……カラーリングから何から、とにかく「悪役」としか表現のしようのない存在にそう言われても、信じる事ができないのが正直な感想だ。
 それに、北岡達が相手の立場なら、そう言って油断させて後ろから……と言う卑怯技に出る事を考える。
 北岡も浅倉も、決して善人ではない。むしろ悪人に近いからこそ、目の前にいる存在の放つ「悪」の気配を敏感に感じ取る事が出来るのだ。
「俺は、ネガタロスと言う。お前達に言って理解できるかどうかは知らんが、イマジンの一人だ」
 ネガタロスと名乗ったそいつは、ゆっくりとこちらに近付きつつ、そう言い放った。
 イマジンと言うのが何なのか知らないが、多分この異形の総称のような物だろう。
「……で? 俺達に何の用だ?」
「単なるスカウトさ」
 ひょいと肩をすくめつつ、浅倉の問いにあっさりと言葉を返すネガタロス。
「この俺率いる、『悪のネガタロス軍団(仮)』の一員にならないか?」
 ……その言葉に、二人して一瞬我が耳を疑う。
 自分をあっさりと「悪」であると認めたのだから。いや、百歩譲って「悪」である事を認めた事は別に良いとしよう。問題は多分、そこではなく……
 名前の、そのセンスのなさにあった。
 仮の名だとしても、いくらなんでも「悪のネガタロス軍団」はないだろう。まるで子供向け番組の敵組織みたいだ。
「……何だ? 随分と間抜けな表情だな」
「いや……ねぇ。口で『カッコ仮カッコ閉じ』って言われる事が、こんなに間抜けな事だとは……ちょっと予想していなかったからさ」
「ふ。別に名前なんかどうでも良いだろ? 要は、この世界を思うがままに牛耳る、そんな組織を立ち上げようかと思ってな」
 軽く挑発したつもりだったのだが、ネガタロスとやらはそんな事を気に留めず話を続ける。
「世界を牛耳る、か。ますます子供向け番組の悪役みたいだな」
「あんな、最後にはやられるような連中と一緒にするんじゃねぇよ」
 皮肉めいた笑みを浮かべて言った浅倉に、今度は少しだけ苛立ったような声で返すネガタロス。どうやら、彼には彼なりのこだわりがあるようだが、そんな物に構ってやる気も、時間もない。
 そもそも、スカウトに来たと言ってはいるが、何故自分達の前に現れたのか。
 北岡はただの「スーパー弁護士」だし、浅倉に至っては器物破損や傷害の常習犯と言うだけで、そこまで有名な訳でもない。
 考えられるのはただ一つ。……自分達が得たカードデッキの力だ。しかしどこでそんな事を知ったのか。デッキの力を知っている存在は、そう多くない。おまけに何も起こらなかった「今」ならば、もっと知る機会は減るはず。
「ふん。どちらにしろ、俺は興味ない」
「俺も、今回ばかりは浅倉に同感。何の見返りもなさそうだし」
 訝るが、そんな素振りをおくびにも出さず言い切る二人の言葉を聞き、ネガタロスは小さく溜息を吐くと……それ以上は無駄と判断したのか、あっさりとその身を半歩分だけ横にずらした。
「……何のつもりだ?」
「別に。見込みがない奴を、無理に引き込む趣味はない。……それだけだ」
 不審その物の浅倉の問いを、心外と言わんばかりの声音で返すネガタロス。
 しかし、どこか楽しそうにすら聞こえたのは、気のせいか。
「……そう言ってくれるんなら、行かせてもらうよ。……ゴローちゃん、出して」
「はい、先生」
 北岡と、ちゃっかり乗り込んだ浅倉を確認し、由良は言われた通りに車を発進させる。
 車のサイドミラーからネガタロスの姿が消えると、二人はふうと溜息を吐き出し……
「……多分、襲ってくるだろうねぇ、あいつ」
「だろうな。その時は……返り討ちにするだけだ」
――あいつの餌も必要だしな――
 鏡の中に映りこむ紫の大蛇……ベノスネーカーと言う名のミラーモンスターを見つめながら、浅倉は不穏な笑みを浮かべていた……

――断られたみたいだね――
 走り去る自動車を見つめていたネガタロスの頭の中に、彼の契約者の声が響く。
 あの二人をスカウトしたのは契約者の指示だったが、彼の声に不快感はない。どちらかと言うと、こうなる事を予期していたかのような声だ。
「……殺る、か?」
――そうだね。味方に出来たなら心強かったけど、ならないなら……邪魔以外の何者でもないよね――
 どこか楽しそうな契約者の声に、ネガタロスも楽しそうにその眼を細める。
 自分も彼の手駒……それも捨て駒の類だと分かっていながら、ネガタロスはそれでも自らの契約者に惹かれずにはいられない。純然たる「悪」には、それだけの魅力があると……少なくとも、ネガタロスには思えていた。
 既に何人か、「悪のネガタロス軍団(仮)」には手駒がいる。
 契約者に憑いたまま、消えずに残ったイマジンや、最近動きが活発になってきたファンガイアなる異形が数人。
 その程度の数と思われがちだが、時の列車を探す時間稼ぎには丁度良い。ただの人間など、脆弱で使えないだけだ。
「良いだろう。何人かファンガイアを送っておく。……それで良いか?」
――うん、ありがとう、ネガタロス――
 その言葉を残して、契約者との思考のリンクがふつりと切れる。
 刹那、ネガタロスは小さく人指し指で手招きをすると……どこからともなく、数体の異形達が現れた。
 人型、人より少し大きいくらいという点では、ネガタロスも同様である。しかし、明らかにネガタロスと……イマジンとは、異なった存在であった。
 どことなくステンドグラスを連想させる体色をしており、見ようによっては別の生き物……例えば馬であったり獅子であったり……にも見える。
 ファンガイア……そう名乗る種族。
「今の二人は俺達の障害になる。……殺れ」
 ネガタロスに言われ、ファンガイア達はこくりと頷くと……その姿を「ヒト」に変え、北岡達の後を追った。
「……さて、と。そろそろ俺も、本気でかかるとするか」
 一人、そう呟いて……ネガタロスはゆっくりと、街中へ姿を消すのであった。
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