紅蓮の空、漆黒の戦士

【その10:真白の女】

「お願いがあるの」
 時は、桜井侑斗達がミラーワールドにやって来るほんの少しだけ前に遡る。
 無数の鏡に囲まれた部屋の中、真剣な表情で、一人の女性が、目の前に立つ女にそう言った。
 頼んでいる方はショートカットの、人の良さそうな印象の女性。年は二十五、六と言ったところか。目は大きく、割と好感の持てる顔立ちをしている。印象が良いのと可愛らしい顔のお陰か、人に好かれているであろう事は、想像にかたくない。
 もう一方の女性は、とにかく「白い」の一言に尽きる。服装もそうだが、髪の色や肌の色も白い。表情は相手とは対照的に無愛想であり、目つきも鋭い。美人の部類に入るのだろうが、あまりお近付きになりたいとは思えないタイプである。
「ここに呼び寄せてまで、私に何を願うのだ、神崎優衣」
 表情をそのまま音にしたような、不機嫌な声で白い女が問う。
 頼んだ方……神崎優衣と呼ばれた女性は、相手の反応は当たり前であったらしく、特に気にした様子もない。相変わらず辛そうに顔を顰め、伏目がちになりながらもその頼みを口に出す。
「……この世界の真司君を、止めて欲しいの」
「ミラーワールドの城戸真司。鏡像の存在、『反転の使者』の一人か……」
 優衣の願いに、女は少しだけ考え込むような仕草を取る。
 右手には、バジリスクアンデッドが侑斗達に渡したデッキと同じ物を持っており、紡ぎだす言葉は抽象的過ぎて分かりにくい。
 それでも優衣には意味が通じているらしく、彼女は首を縦に振った。
「お兄ちゃんも私も、ミラーモンスターは私が生み出したんだと思ってた。でも、『今』なら分る。それが本当は違ったんだって事」
「……そうだな。『試練の獣ミラーモンスター』は、実際にはこの世界の『神』……『吊られた男』に生み出された存在だ」
「うん。私とお兄ちゃん以外、この世界の住人は、皆その神様が作った存在。それも、今なら……今の私なら、理解出来る」
 寂しそうに目を伏せて言う優衣に対し、相手の方は無表情のままその姿を見やる。
 彼女の兄である神崎士郎は、実体を捨てて……鏡の外の世界の住人である事を放棄した上で、ここの世界にいる。
 だが、優衣は元からミラーワールドの住人だ。
 このミラーワールドを、「吊られた男」と呼ばれる「神」が作ったと言うのなら、その世界の住人も、その「神」とやらが作った存在と言う事になるはずだが……その口ぶりからすると、そうではないらしい。
 そしてその事実を、相手も充分理解しているのだろう。小さく頷きを返すと、彼女はじっと優衣を見つめたまま機械的に言葉を紡ぎだす。
「確かに。貴女は『吊られた男』が生んだ者ではないな」
「……私は、あなた達が『愚者の欠片』って呼ぶ存在。ミラーワールドの住人の一人のふりをして、この世界のあり方を、私の神様本体に伝える者」
「だから貴女は、鏡の外の神崎優衣と同じ性格でいられた。多少活発にはなったかもしれないが、善悪の反転はない存在だ」
 女の言葉に、優衣は寂しげな表情のまま、こくりと頷く。
 ミラーワールドの住人は、外の世界の住人と全くの正反対の存在。服のデザインや、髪型などが左右逆転しているだけでなく、その内面……善意や悪意も逆転する。
 しかし……神崎優衣は、違った。
 かつて……「今につながらない過去」において、彼女は本物の「神崎優衣」の代わりになる為に鏡の外の世界へ出た。しかしその時の彼女の性格は、愛情豊かな優しい女性のままだった。
 それだけで充分、彼女がこの世界において「異質」な存在だと言える。
 だからどうだと言う訳ではないのだが、少なくとも優衣は、外の世界をどうこうしようとは思っていないようだった。
「それで? 何故に今更、鏡像の城戸真司を止める必要が?」
「真司君は、リュウガに変身している」
「…………何?」
「デッキが、あるの」
 訝るように問う女にそう返して、優衣はズボンのポケットからいくつかのカードデッキを取り出した。
 それは、かつて彼女の兄が彼女を救うために作った、他人を犠牲にして誰かを救うためのカードデッキ。
 それを見た瞬間、相手の目が、まるで獲物を見つけた猫のように細くなる。彼女の周囲を、何故か風が取り巻き、その白く長い髪は、獣が毛を逆立てるかのように、バサバサと風にはためく。
「……作ったのか?」
 冷たい声とはよく言うが、実際に声に温度があるなら、確実に凍り付いていたのではないかと思われる程冷ややかな声で、女は優衣にそう問うた。
 だが問われた方は、首を横に振る事でその問いを否定する。
「ならばこれは、最初からこの世界にあった……そう言う事か」
「最初から、って言うと語弊があるかな。何年か前から、見つかるようになったの」
 優衣が言うには、ライダーのデッキは数年前……数年前から、急に見かけるようになったらしい。
 最初に見たのは、四年程前の一月。優衣の前に現れたドラグレッダーが、その手に持っていた。
「襲ってくる様子もなくて、ただ私に見せてきたの。……龍騎に変身するデッキを」
「奇妙な事だ。そのデッキは本来、ブランク体を経た後、契約と言う形でモンスターと関わるはずの物なのに。……何故、既に無双龍が持っていたのか……」
「それだけじゃない。同じ日に、ダークウィングもデッキを持ってきたの」
「闇の翼も、か。ますます奇妙な事だ。純然たる『試練の獣』に、感情はないはずなのだが」
 ふむ、と小さく唸りながら、女は優衣の持つデッキを睨むかのように見つめる。
 誰が作ったのかを、考え込むかのような顔だ。少なくとも、カードデッキなどは自然発生するような物ではない。
「……神崎士郎は、ゴルトフェニックスと契約したのか」
「…………うん。今回は、お兄ちゃん自身がオーディンになった」
 ふと思いついたかのように問うた女に、優衣は私を守るために、と悲しげな様子で答える。
 かつて、神崎士郎がライダー同士の戦いを仕組んだ際は、実体を持たない存在であったが故に、オーディンに変身する事はなかった。
 ただし、その時のオーディンは神崎の代行者としての役割を果たしていたので、事実上もう一人の神崎と言っても過言ではなかったのだが。
 ミラーモンスターとの契約を交わした以上、神崎は彼の契約モンスター……オッドアイを持つ不死鳥、ゴルトフェニックスに餌を与え続けねばならない。
 それは即ち、戦い続けなければならない事を指す。
 それが、優衣には辛かった。
「私のせいでまた、お兄ちゃんが苦しむのなんて……嫌だよ……」
「それが、神崎士郎の選んだ道なのだろう? いくら妹とは言え……いや、妹だからこそ、奴の選択に口を挟む権利はないはずだ、神崎優衣」
 そう冷たく言い放つと、彼女は優衣の手の中にあったデッキを受け取る。
 ……受け取ると言うよりは、ひったくると言った方が正しいような気もするが。
「……それ、どうするの?」
「無双龍や闇の翼達が、このデッキを貴女に手渡したと言うのなら、奴らの望みを聞き入れるだけだ」
 その言葉と同時に、周囲の鏡は「外の世界」の様子を映し出す。
 鏡の一つ一つが、それぞれに異なる様子を映しているのを見ると、まるで鏡がスクリーンになったかのように錯覚する。
 その中の一つに、城戸真司が映し出されているのが見える。
 他の鏡には秋山蓮が。
 ……鏡に映る人物全てに、優衣は見覚えがあった。
 それはかつて……「今につながらない時間」、違う歴史とも呼べる時間軸において、仮面ライダーとしてこのミラーワールドで戦いを繰り広げた者達。
「待って! 真司君達を巻き込むの!?」
「……何の犠牲も出さずに解決しようなど、事の認識が甘すぎるのではないのか?」
 批難めいた優衣の声に、彼女は冷静な……と言うより、温かみの感じられない声でそう言い放つ。
 優衣の事が嫌いと言う訳ではないのだろうが、友人のように思っている様子もないまま、言葉を続ける。
「彼らもまた、『皇帝に愛された子』。歴史を変えたとは言え、その本質は変わらない。そして、『吊られた男』の侵攻が始まっている以上、彼らに戦ってもらうしかあるまい」
「それしか、ないの?」
「……ない訳ではないが、城戸真司達に任せた方が、退けられる可能性は格段に高いだろうな。何しろ彼奴らはこの世界からの侵攻に特化した戦士だ」
 そう言うと、女は手に持っていたデッキを鏡に向かって軽く放り投げる。
 普通なら、デッキが当たった瞬間に鏡は割れるところだが……そうでは、なかった。
 デッキは鏡に吸い込まれ、向こう側……「外の世界」の床面に落ちる。
「かつての繰り返された歴史を思い出して戦いに赴くか、戦いを拒否するか……あるいは、思い出す事すらないか。それくらいの選択の余地はある。後は彼ら次第だ」
 何の感慨も浮かべぬまま、女は鏡の向こうで眠っている人物達を軽く見回すと、最後に自分の横に立つ優衣に向き直る。
「かつては共に過ごした間柄だろう? 貴女も少しは信じてやれば良い。連中はそれ程弱くない」
「……どこへ行くの?」
 言うだけ言って、くるりと踵を返した彼女に向かって、優衣はそう問いかける。
 彼女の表情は優衣からは見えないが、不敵な笑みを浮かべているであろう事は、容易に想像出来た。
「私が作った列車の様子を見に行く。そのまま仕事にも向かうだろうな」
「……真司君達がどう言う決断を下すか、見ていかないの?」
「必要なかろう。彼らは、戦わなければ生き残れない。少なくとも、城戸真司と秋山蓮は戦いに身を投じる」
「……それは、確定した未来?」
「いいや。私の勘であり……私なりの、彼らに対する信用だ」
 それだけ言うと、彼女……スフィンクスアンデッドと呼称される「そいつ」は近くの鏡の中へと、姿を消したのであった。
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