過去の希望、未来の遺産

【その後:過去の希望、未来の遺産】

 西暦二〇〇五年一月二十三日。
 アンデッドイマジンが消滅した頃、ウラタロス達は剣崎一真を見送っていた。
「本当に良いんだな? この場所で降ろして」
「ああ……悪かったな、我儘を聞いてもらって」
 侑斗の言葉に、剣崎がにこやかな笑顔で頷く。ここに来る前、どうしても行きたい場所があると言って無理に寄り道をしてもらった。
 物凄く渋っていたが、結局は剣崎の懇願と、先に折れた白尾の説得により、ほんの少しの時間だけ「そこ」で止まってもらった。
 そこで見た「彼」の姿に安心し、そして心の整理をつけ……剣崎はようやく、「一人で戦う決意」を固める事が出来たのだ。
 彼らの眼前には、砂だけの景色が広がっている。
 時の中ではなく、現実の砂漠。誰もいない、来る事のない場所。
 風に乗って砂塵が舞い、自然と言う猛威が襲い掛かる厳しい場所……あえてそこを選んだのは、自身の中で暴れようともがく、ジョーカーと言う名の獣との折り合いをつけるため。だからこそ、誰も巻き込まない……そして自然と言う目に見えぬ物と戦えるここを選んだのだ。
「……俺はまだ、ジョーカーとしての闘争本能を押さえられるか分からない。今戦えば、きっと俺は、大切な人を傷つけると思うんだ」
 ここに来るまでの間に、既に彼は自分の戦い……アンデッドと戦い、そして最後には自らもアンデッドとなった事を、良太郎達に話している。そして良太郎達もまた、自分達の戦い……イマジンと戦い、そして「今」という時間を守った事を剣崎に語った。
 そして、戦いはまだ終わっていないらしい事も。
 いなくなったはずのイマジンが、未だ時の中で時折暴れている事、異世界とこの世界をつなぐトンネルの存在、そして……いつか来るであろう、最大の脅威の事。
 だが、戦いに身を投じるには、今の剣崎はあまりにも不安定だ。故に、彼は現実空間で自らの闘争本能と闘う事を選んだ。
 いつか、自分が戦いに身を投じても、闘争本能に負けない「心の強さ」を勝ち得るために。
「だから、俺は一旦ここで降りる」
「分かりました。でも、その時が来たら……」
「ああ。必ず顔を見せる。もっとも、『その時』の良太郎が俺の事を知ってるとは限らないけど」
「そうですね」
 西暦二〇〇七年より以前に剣崎が現れも、「その時の良太郎」はまだ、剣崎一真を知らない。その時出会ったとしても、恐らくその良太郎は不思議な顔をするだけだろう。
「それじゃあ剣崎さん、いつか未来で」
「ああ。……いつか、未来で」
 固い握手を交わした後、二人はそう言って微笑むと……ゼロライナーの扉がゆっくりと閉まる。
 そして剣崎一真をその場に残したまま、再び時の中へと戻っていったのであった。

 イマジンが消滅したのを見届けると、二人の仮面ライダーはその変身を解いた。
 良太郎はベルトを外し、剣崎は特に何もせずにその姿を「ヒト」の……剣崎一真の物へと変える。
 その様子は、まるでトンネルの向こうで見たアルビノジョーカーの変化……アルビノジョーカーの姿から、「志村純一」の姿に変わっていく様子に酷似していた。
 恐らくはジョーカーとして「ブレイドへの擬態」を解いたが故の変化なのだろう。ほんの少し、疲れたように見えるのはやはりまだ自身の中で騒ぐ「戦いへの欲求」を押さえ込むのが難しいからなのか。
「…………行くんだな、剣崎」
 本能的に剣崎が去るのを察したのか、始が苦しそうにそう呟く。
 その呟きに、剣崎は無言のまま首を縦に振った。
「行くって……どこへ行くんですか!? 剣崎さんの居場所はっ……」
「睦月の言いたい事は分かるよ。でも『今』の俺は、ここに……この時間にいては、いけないんだ」
「何を言ってるんだ、剣崎? この時間にいてはいけないだと?」
 何も知らない橘達からすれば、剣崎の言葉は意味不明な物に聞こえたのだろう。実際に困惑気味に彼の顔を見つめている。
 だが、時の列車の住人達にはその言葉の意味が充分に理解出来た。
 「西暦二〇〇七年から来た剣崎一真」がこの時間に滞在する事は許されない。
 滞在用のチケットがない以上、彼は、彼のあるべき時間……西暦二〇〇七年に戻らねばならない。それが時間を護る為のルールだ。
 イマジンを倒し、そして始達と関わっている事自体、下手をするとこの時間への干渉とみなされかねないのだから。
「すみません、橘さん。今はこれ以上、言えないんです」
 苦笑しながら、剣崎はゼロライナーに足をかける。
 ……本来在るべき時間に、戻るために。
「……始、橘さん、睦月」
 乗りきる直前、剣崎はくるりと振り返り、仲間の名を呼んだ。
 その顔に、いつもの人懐っこい笑みを浮かべて。
「……いつか、未来で」
 そう言って手を軽く振り……今度こそ本当に、その姿をゼロライナーの中へと消した。
「私達も戻らないと……」
「あ、ハナさん達はもう少し待って。多分……もうすぐ、来ると思うから」
 思い出したように言ってゼロライナーに乗ろうとするハナ達を制し、良太郎ははにかんだ笑みを浮かべた。
 ゼロライナーの入り口に立ち、彼らが入るのを塞ぐかのように。
「来るって……誰が来るの、良太郎?」
「僕と侑斗が。ウラタロスとキンタロスを連れて、ゼロライナーで来るはずなんだ」
「……成程、そう言えば言っていたな。『少し先の時間から来た』、と」
 納得したように、ジークが頷く。
 戦いの途中、確かに良太郎はそう言っていた。そしてその時理解したはずだ。目の前にいる良太郎が本来いるべき「時間」と、今の自分達が本来いるべき「時間」に、多少なりとも開きがあると言う事を。
 恐らく、今のハナ達と関わる事は、目の前の良太郎と侑斗には「過去の事象に関わる」のと同じ事なのだろう。だから、一緒にはいられない。過去と未来は、本来同乗してはならない。
「……って事は、『俺』もお前の側にいるんだな?」
「うん」
「……なら、良いぜ。お前が一人で戦ってるんじゃねぇんならよ」
 ふい、とそっぽを向いて言うモモタロスの言葉を、良太郎は嬉しそうな表情で聞いている。
 言った側の耳が赤くなっているように見えるのは、良太郎の気のせいでは無さそうだ。
「野上、そろそろ行くぞ。このままじゃ『俺達』と鉢合わせちまう」
「わかった。……じゃあ皆……また、後でね」
 明るい笑顔でそう言うと、良太郎は軽く手を振りながらゼロライナーに乗り込み……
 汽笛の様な音と共にゼロライナーは時間の中へと再び戻って行った。崖の上から海の上、そして宙を走り、空中に開いた時間と現実をつなぐ扉を通って。
 その直後。入れ違うかのように同じ音が、別方向から響きわたる。
 それは森の中から木々をすり抜けると、その場にいた全員の後ろで静かに停車した。
 視線の先には、先程剣崎と良太郎が乗っていった列車と寸分違わぬ姿のそれが止まっている。
「あの列車、さっき海の方へ行ったはずじゃ……?」
 怪訝そうな顔で、睦月が言う。
 橘と始も同じ考えらしく、森の方から現れた黒い列車……ゼロライナーに視線を向ける。
 先程同様、停車と同時に乗車口らしき扉が開き……そこから一人の青年がややふらつきながらもその場に降り立った。
 黒い髪、黒い瞳。気弱そうだが、どこか芯の強さを感じさせる雰囲気。
 ……服こそ違うが、それは先程まで剣崎と共に戦っていた仮面ライダーの青年……野上良太郎その人。
「ハナさん、モモタロス、リュウタロス……それに、ジークも」
 心底嬉しそうに、良太郎が言う。彼の後ろからはウラタロスとキンタロスも顔を覗かせてた。
「良太郎、亀ちゃん、熊ちゃん! ……痛っ」
「リュウタ、ちょっと、その傷どうしたのさ?」
「酷い怪我や。何があったんや!?」
「リュウタロス、大丈夫?」
 イマジンから受けた傷が痛むらしく、胴をおさえて蹲るリュウタロスに、それぞれ心配そうに駆け寄る。
――リュウタロス、大丈夫?――
 その言葉は、先程の良太郎も言っていた言葉。そしてその時、大丈夫と言う答えも返したはず。
 だからこそ、目の前にいる良太郎が先程までいた良太郎と……イマジンと戦い、剣崎と共にそれを倒した存在とは違うのだと、理解できた。
「ようやく合流できたな。って言っても、もう終わった後みたいだけど」
 周囲に視線を巡らせ、ゼロライナーから降り立った侑斗が言う。
 折れた枝、何かが爆発したような微かな焦げ跡、そして傷だらけのリュウタロス。それを見れば、何があったのかおおよその見当はつく。
 恐らく、何者か……電王に変身したと言う事は多分イマジン……が現れ、苦戦しながらも退けたと言った所か。
 はぁ、と深い溜息を一つ吐き出すと、侑斗は極端に瞬きの少ない男……始を見つけ、彼に視線を送った。それに始も気付いたらしい。不思議そうに軽く首を傾げると、反射的に睨むようにその姿を捉え……
「……お前、相川始だよな?」
「そうだ」
「剣崎一真って奴から伝言がある」
「伝言だと?」
「ああ。『天音ちゃん達と仲良くな』だとよ」
「あいつらしいな」
 静かに言われ、始は一瞬顔を顰めたが、すぐにそれは微苦笑に変わる。親友とも言える存在の心遣いが嬉しくて……そして同時に、自身よりも始を心配する辺りが苦く思えて。
 流れる血の色が赤から緑に変わっても、根本は変わらないのだと。
 思った瞬間に漏れた小さな呟きは、言葉を伝えた侑斗の顔にも微苦笑を招いた。
「せや、橘にも、伝言があったんや」
「何?」
「『押し付けてすみません』やて」
 キンタロスの伝えた言葉に、橘は小さく笑う。
 この言葉もまた、剣崎らしい。その言葉を放った時の剣崎は、きっと深々と頭を下げていただろう。
 だから……
「金、もしもお前が剣崎に会う事があったら伝えておいてくれるか?」
「……何をや?」
「『そう言う事は、直接言え』とな」
「おう。任しとき」
 苦笑とも取れる橘の表情に、いつもの豪快な笑顔で返しつつ、キンタロスはドンと自分の胸を叩く。
「そこの僕ちゃんにも、伝言があるんだよねぇ」
「俺にも?」
「『前に進め、カテゴリーエースの呪縛を断ち切ったお前なら、それが出来る』だって」
「剣崎さん……」
 睦月はその言葉に、いないと分かっていつつも……深々と頭を下げた。その瞳に、うっすらと涙を溜めて。
「それだけだ。それじゃ、イマジンも回収した事だし、行くぞ野上」
「あ、うん」
「お前らも乗れ。デンライナーまで送ってやる」
 侑斗に言われ、ハナ達もゼロライナーに乗り込む。
 送ってくれると言うのだから、その好意に甘えればいいし……何より、この時間に長居をしてはいけない、そんな気がしていた。
 この時間の戦いは、一応の決着を見せたのだから。
 始、橘、そして睦月を除く全員が乗ったのを確認すると、ゼロライナーはゆっくりと……しかし徐々にスピードを上げながら、時間の中へと向かって行く。
 元の時間に戻る為に、別れの汽笛を大きく鳴らして。
「……彼ら、一体何者だったんでしょうね、橘さん」
「それは分からん。だが、ひょっとすると……」
 再び虚空の彼方へと消えていくその列車を見ながら、橘は小さく笑うと……
「いつかまた、会えるんじゃないか。そんな気がする」
――そして、いつかきっと剣崎にも――
 いつになるのかは分からないが、三人の心に、剣崎の最後の言葉が響いていた。
――いつか、未来で――

 剣崎一真が相川始の前から姿を消してから一週間程経った日の午後。
 遥香に頼まれた買い物ついでに、天音が気に入りそうな花を見つけ、それを花束にしてもらい、始は銀杏並木の間を歩いていた。
 冬も半ばを過ぎたと言うのに、この道だけ秋で季節が止まっているかのように銀杏の黄色い葉が舞っている。
 始は、その光景が嫌いではなかった。周囲から取り残されたように色付き、舞い散るその様は、どこか自分に似ている気がするから。
 人間と言う限りある命を持つ者達に対し、アンデッドである彼は永遠を生きる。親しい友人達も、いつか必ずその生を終える。その時、自分もこの場所のように周囲から取り残されるのだろう。
 そんな寂寥にも似た感傷を抱きながら……そしてそんな感傷を抱く自分に驚きながら、始はさくさくと落ち葉を踏みしめて歩く。
――俺も随分と人間臭くなったものだ。だが……それを悪くないと思えている――
 ふ、と己に向けて微笑を零しながら、彼はふと視線を足元に落とす。
 天音と言う大切な少女がいて、遥香と言う優しい存在がいて。そして仲間とも呼べる存在もいる。それに恵まれていると思う反面、どうしても思い出す。
 ……唯一、側にいない親友の事を。
――お前は、人間の中で生きろ――
――いつか、未来で――
 思い出されるのはその二つの言葉。そして思い出す度に、いるはずのない親友に語りかける自分がいる。
――お前こそ、人間の中で生きろ――
――「いつか」って、「いつ」だ?――
 アンデッドである彼にとって、時間は無限にある。だからこそ、「いつ」なのかを知りたい。
 別れてから、まだ一週間。彼自身の生の永さからすれば、瞬きにも満たない時間。それだけしか経っていないのに、これ程までに「寂しい」と思うなど……情けないと思う。彼は、運命と戦うと宣言したと言うのに。
 唐突にこみ上げる何とも言い難い感情を持て余しながら、始は視線を上げ、さくさくと前に進みはじめた。
 早く帰らないと、天音や遥香が心配する。そんな風に思う事で、自身の中にある感情を誤魔化しながら。
 そうして、どれだけ歩いただろうか。並木道の中頃まで差し掛かった時。
 ……始の目に、いるはずのない人物の姿が映った。
 最後に戦った時と同じ格好。怪我はないが、服は少し破れている。ベンチに座る彼は、何を考えているのだろう。少しだけ憂いを帯びているように見えるのは気のせいか。
 いや、そもそも距離がある。だから自分の勘違いかもしれない。そんな風に言い聞かせても、始の中には確信があった。その人物が、始が会いたいと切に願う、親友であると言う確信が。
 彼は始を待っていたのだろうか。視線を上げて始の顔を見ると、口元に微かな笑みを浮かべ……いつも通りの朗らかな口調で始の名を呼んだ。
「始」
「……剣崎……」
 名を呼べば、まるで安心したように顔全体に笑みが広がる。目元に笑皺ができ、どこか子供っぽさを感じる顔になる。
 その顔に、安堵する。同時に何とも言えない思いが始の内を駆け巡り、気付けば彼に……剣崎に向かってその足を踏み出していた。
 だが、その歩みを邪魔するかのように、急激な突風が吹き荒れた。落ちていた銀杏の葉が舞い上がり、始の視界を一瞬だけ黄で覆い尽くす。
 顔を背け、風が吹き止んだそこには……もう、剣崎一真の姿はなかった。
――あれは……俺の心が見せた、幻か……?――
 だとしたら、自分はどこまで弱っているのだろう。思わず浮かぶ自嘲を止められず、今度こそ始は家路に着く。
 だが、先程まであった「寂しい」と言う気持ちは驚く程薄れている。
 今のが幻にせよ本物だったにせよ、始の心を軽くしてくれた事は確からしい。彼の顔は、吹っ切れたように晴れ晴れとしていて……
「剣崎。……いつか、未来で」
 そう呟きを落とした瞬間、その呟きに応えるように、どこか遠くで牛の鳴き声にも似た汽笛が鳴ったような気がした……

「二〇〇五年のトンネルは、ご覧の通り綺麗さっぱり消えました」
 デンライナーに戻るや否や、オーナーがステッキの先を窓の外に……丁度、トンネルがあったであろう位置に向けて、そう言った。「あったであろう」と表現したのは、トンネルなど最初から存在していなかったかのように佇む「山」のみだったからだ。
 しかし、まだ大小様々な穴がその口をあけているのが見て取れる。むしろその数は増えているくらいだ。
「終わってない……そう言う事ですね、オーナー」
 良太郎の言葉に、オーナーは否定とも肯定とも取れる表情で返すだけ。
 だが、乗客達は皆、その表情を肯定と受け取った。
「イマジンとは違う敵との戦い……僕は、戦い抜くよ。そして、この時間を……この世界を守ってみせる。それが、僕に出来る事だから」
「おいおい、俺を忘れてもらっちゃ困るぜ、良太郎。楽しそうじゃねーか。イマジン以外の相手って奴も。それに……」
「……え?」
「『最後まで一緒に戦う』……お前が俺に言った望みだろうが」
 真剣な表情で言い切った良太郎に、モモタロスが腕を彼の肩に回して不敵に笑う。
 「最後まで一緒に戦う」……それは、カイとの最後の戦いの前に言った、良太郎の「望み」。そして、モモタロスはそれを聞き入れていた。
 自身の契約者の望みとして。そして……自分自身の望みとして。
「……お前が戦うってんなら、それが終わるまで……しょうがねーから付き合ってやるよ。最後の最後まで、な」
 くしゃくしゃと良太郎の髪を乱暴に撫でつつ、モモタロスが言う。だが。
「何を一人でおいしいトコ攫っとんのや」
「先輩は結局、戦いたいだけでしょ?」
「お供その一ともあろう者が、でしゃばりすぎだぞ」
「やーい、モモタロスの出たがりー」
 と、からかうような口調で他の面々が言う。
 その顔には、モモタロスと同じ、どこまでも付き合うと言いたそうな色が浮かんでいるのだが……モモタロスには気付けなかったらしい。
 自分の「良いところ」を潰されたせいか、ヒクヒクとこめかみを引き攣らせ……
「うるせぇっ! テメーらちったぁ黙ってろ!」
「それはアンタでしょ!」
 怒鳴ったモモタロスの腹を、ハナは鋭い右ストレートで殴りつける。一瞬遅れでモモタロスは呻き声を上げると、口からぷくぷくと泡を吹いてその場で撃沈した。
「先輩、いくらスカスカの脳みそだからって、いい加減学習しようよ」
「進歩のない奴やなぁ……」
「からかったあんた達も同罪」
 言って、今度はウラタロスの腹とキンタロスの後ろ頭を蹴り飛ばすハナ。
 ……蹴られた方は微かな呻き声を上げた後、床に突っ伏してピクピクと陸に上がった魚のように痙攣している。
 そんな「いつもの光景」が、繰り広げられた。
 ……それは束の間の平和。だが、そんな「日常」があるからこそ戦い抜ける。
 その思いと共に、良太郎はその先を見据えていた。
 この世界、この時間、この仲間を守るための戦いを覚悟して。

「これで、良かったのかい?」
 ガオウライナーの中で、一人の青年が女に声をかける。
 男は、二十代前半といった所か。黒髪、黒い服装の上から、その内面の黒を誤魔化すためなのか、前を大きくあけた白衣を羽織っている。医者と言うよりは科学者、といった感じを受ける。
 女はデンライナーの元オーナー……スフィンクスアンデッド。
 ヒトの姿をしてはいるが、その体には数多の傷と、そこから流れる緑色の血が男の目には痛々しい。
「何度も何度も、モノリスを奪われる度に、君が行く事はないと思うんだけど? 僕、凄く心配なんだけど」
「なら、次は貴様が行くか?」
「冗談やめてよ~! 僕は君程強くないし、人間にだって期待してない」
「フン。……ならば、何故手を貸す?」
「え? 人間には期待してないけど、君には期待してるから」
 言いつつ、青年はにこやかな笑顔を彼女に向け……
「ほら、僕そう言う顔、してるでしょ?」
「相も変わらず嘘くささ全開の笑顔だな。……あの者もお前の影響を受けてしまったのかと思うと、不憫でならん」
「酷っ! カイ君は、素直で良い子なの。ただ、素直すぎて『月』の囁きを聞き入れちゃっただけ。天王路みたいにね」
 にこやかな笑顔を絶やさず、男は言葉を紡いだ。
 その様が、カイを髣髴とさせる。黒い服装も相まって、余計にそう見えてしまう。白衣と顔立ちだけがカイとの違いを際立たせてはいるが。
「……だから貴様はあの時……全ての『月の子』が消え去った時に拾ったのだろう。本来の歴史で、本来の人生を歩ませるために」
「利用されるだけされて終わり、なんて可哀想じゃない? だからちょーっと記憶を修復してあげて、本当の時間で、お父さんとお母さんとお姉ちゃんと一緒に仲良く暮らしていけるようにしたんだよ。きっと今頃、僕とは違う、本当の笑顔を浮かべるんじゃないかな?」
 自らの笑顔が偽りの物である自覚があるのか、男はどこか羨ましそうにそう言った。
 スフィンクスは嘘くさいと評したが、何も知らぬ者ならそうは感じないであろう笑顔。
 本当に、人生楽しくて仕方がないと言わんばかりの笑顔なのだが……彼をよく知る者からすれば、心底胡散臭い笑顔に見えるのだろう。
「あの者が消える事自体、間違っているのだ。西暦二〇〇八年一月二十日。あの日、消えたのは『月の子』だけ」
「そ。カイ君は『月の子』じゃないし、そもそも特異点だからね。消えるはずがない。僕が『消えたように見せた』だけ。その事に良太郎君や侑斗君が気付かなかったのは、やっぱり何らかの干渉のせいじゃないかな?」
「何らかの干渉、か。……最悪の事態を想定せねばなるまいな」
 どこか寂しげに言った彼女に対し、男は無言でバサリと白衣を翻し……
「その辺はもう少し見ておこうよ。次のお仕事もあるしさ。トンネルを増やしているのは、『月』だけじゃないのも鬱陶しいしね。あ、黄金比の戦士ファイズの所とか面白そうじゃない? 一万人超えの『操縦者』は見物だよ、きっと」
「……貴様、随分と楽しそうだな」
「え? そういう顔、してる?」
 相変わらずにこやかな笑顔で青年……「ゼロライナーのオーナー」は、スフィンクスの冷たい眼差しを受け流すのであった。


 そして。
 「皇帝に愛された子」の新たな戦いは幕を開ける。
 だがそれは……今はまだ、語るには早すぎる。
 時の列車の乗客達よ。あなたの行き着く次の駅さきは、過去か、未来か……
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