過去の希望、未来の遺産
【その3:知らない獣】
世界は常に、分岐の可能性を秘めている。
人はいつも、何かを選び、何かを捨てる。
そして捨てられた「可能性」が「異なる世界」を作るのだと……これも、誰かが言っていたな。
西暦二〇〇四年一二月一九日。
その日、産み落とされた一つの存在があった。
「神よ、貴方は五十三体のアンデッドをお作りになられた。しかし私はここに、新たなアンデッドの誕生を宣言する」
薄暗い部屋中で、一人の男が語る。仕立ての良さそうな黒のスーツをその身に纏い、圧倒的な威厳を放っている。
彼の名は天王路 博史。人類基盤史研究所……通称BOARDの理事長である。
その地位故の存在感は、周囲の人間を傅かせるには充分過ぎる程であるのに、彼の眼前に置かれた、人程の大きさを持つ漆黒の石もまた、彼に負けない程の存在感を伴って悠然と存在している。
その場に悠然と佇む石は、平たい物を捻ったかのような奇異な形をしている。天然物だとすれば奇跡に近い形だし、人工物だとすれば作った者の腕を褒め称えたくなる美しさ。
その石から生えている電極は、天王路達がつけたものなのだろうか。白いコードと部屋に響く甲高い電子音が、無粋にも神聖な雰囲気を壊しているように感じられる。
「五枚目の『A』……」
そんな無粋な空気など気に留めていないのか。まるでその場には自分とその石しかいないのだと言いたげに、天王路は薄く目を細め、低い声で呟きを落とす。
そんな彼が手にしているのは、一枚のカード。そこに描かれているのはは三つ首の獣。
……ケルベロス。カードに描かれた獣の名。
それを取り出した瞬間、背後では安定していないだの何をする気だなどと騒ぎ立てる白衣の者達。しかしそんな有象無象など意に介さぬのか、天王路は持っていたカードを石に向かって投げた。
そして石は、まるでそれを待ち侘びていたかのようにそれをするりと己の身の内に取り込み、光を放ち始める。
「どうだ神よ、お前の作った物ではないアンデッドは! お前はその存在を認めるのか!?」
高らかな天王路の声。問いの形をとってはいる物の、彼には「石」の答えが分っているのか、その表情に不安は微塵もない。
そして刹那の後、石は彼の言葉を肯定するかのように一匹の怪物を生み落とした。
産み落とされた怪物……初めて己の肉体を得たケルベロスと言う名を持つアンデッドは、凶暴な唸り声を上げ、それが当たり前であるかの様に周囲を破壊し始める。
機器類が破壊された際に上がる、火花の散る音。
逃げ遅れた者が引き裂かれた際に上がる、血飛沫の音。
黒い革張りの椅子に腰掛けながら、天王路は口の端に笑みを浮かべてその音を聞く。
しばらくして、ケルベロスは「親」である天王路と石以外の全てを壊した後、何かを求めるようにその場を後にした。
……残された天王路は、その様子を楽しげに眺める。まるで子供を慈しむかのように。口の端に浮かんでいた笑みは、いつの間にか顔全体に伝播し、満足そうな笑みとなって浮かんでいた。
「フフフ……ご苦労様、仮面ライダー諸君。……そして…………」
ゆっくりとサングラスをかけつつ、言葉を続ける。直後、その顔に浮かんでいた笑みが邪悪に歪む。そこに優しさは微塵もない。あるのはただ、冷たくて暗い感情のみ。
「さようなら」
「あ、可愛い仔犬~!!」
デンライナーから降りるや否や、リュウタロスは言葉通り仔犬を見つけたらしい。言葉と同時に猛ダッシュで後ろも振り返らずその場を後にした。
……しかもその先は鬱蒼 と生い茂った森。彼を一人にするには、些か……いやかなり、色々な意味で不安を感じるような場所。
「おぉいリュウタ! 一人で行ったら危ないで!」
見かねたキンタロスが心底心配そうな声で彼の後を追い、リュウタロス同様森の中へとその姿を消した。
「……やれやれ。リュウタの事はキンちゃんに任せて、僕らはオーナーに言われた事を調べなきゃいけないみたいだね」
「つーか、そう言う事なら駅長に頼んだ方が早いんじゃ無ぇのか?」
見る間に後姿が小さくなっていく二人を眺めてぼやくウラタロスに、モモタロスがガシガシと頭をかきながらも言葉を返す。
「分岐点も現れてないのに駅長に頼むのは無理よ」
「しかし姫、我らが動く必要はあるまい。世界は! 私のために動いているのだから」
一人だけ少々ノリの違うジークを横目に見やりながら、三人はそっと憂鬱そうに溜息を吐き出す。
――ここまでマイペースに生きられると、いっそ楽よね――
と思い、もう一度ハナの口から溜息が零れかけた時。くるりと踵を返し、その場を立ち去ろうとするウラタロスの姿が、彼女の視界の隅に入った。
「じゃ、僕は近くにある喫茶店でも行って情報集めてくるから。先輩達は先輩達で頑張って」
ひらひらと手を振り、彼は鼻歌混じりに歩き出す。が、そんな彼の裾をハナはがっしりと掴んでその動きを止める。
「……あれ?」
「あんたを一人にしたら絶っっっ対にナンパするからダメ。あんたは私と一緒に情報収集」
「ちょっと待て! って事は俺とこの鳥野郎とペアかよ!」
ウラタロスの非難よりも、モモタロスの抗議の声の方が先に上がる。
心底嫌そうな表情で、心底嫌そうな声。彼の人指し指の先には、羽根マフラーに付いたゴミを鬱陶しそうに払いのけるジークの姿があった。
しかし恫喝するようなモモタロスの声にも怖じず、ハナは真っ直ぐに相手の目を見つめ返すと、自分の腰に手を当てて一息に言葉を紡ぐ。
「あんたはウラと一緒でも文句言うじゃない。それとも私と一緒が良かった?」
「ぐ」
ハナに言われ、渋々と言った風にモモタロスは頷きを返す。
一方のウラタロスも、仕方ないと言わんばかりの表情で肩をすくめた。
ただ一人、ジークだけが眠そうな表情でそのやり取りを眺めていた。
「熊ちゃーん、見て見てー! お魚さんがいっぱいいるよ! 亀ちゃんが見たら喜ぶかなあ?」
「ホンマに、えらく綺麗な川やなあ」
追いかけていた仔犬を見失ってしょんぼりしていたところで、この川を見つけたリュウタロスとキンタロスの二人は、この清流に心癒されていた。
こんな奥までは滅多に人が来ないのだろう。ごみの類は見当たらないし、人の気配も感じない。喧騒からほど遠い静寂の中で、鳥の鳴き声が大きく聞こえる。
しかし、唐突に鳥が一声大きく鳴いたかと思うと、直後一斉にその声が止んだ。
「何や!」
緊張が走る。二人はゆっくりと周囲を見渡しそして……ほぼ同時に、それを見つけた。
黒い、人型の異形。だらりと垂れた長い触角に、指から生えているのは鋭さを持つ緑の爪。
カミキリムシに似ているような気もするが、そうではないようにも見える。所々、体にある傷からは、白っぽく濁った緑色の体液が流れており、よろよろとした足取りで川岸に向かって歩いている。
「あいつ……イマジン?」
「分からん。せやけど、随分と弱っとるで」
こっそりと岩陰から覗き込み、そいつの様子を観察する二人。すると唐突に、自分達がいる場所とは逆方向から、男の声が響いた。
「始 !」
苦しげに呻く異形に、男は警戒した素振りを見せながら声をかける。その手ある携帯電話のようなものが、警告とも取れる電子音を鳴らし続けているのは、その異形に反応しているからだろうか。
男の言葉や、二人の間に流れる雰囲気から察するに、互いに顔見知り以上の知り合いではあるようだが、男の方は異形に敵意を抱いているようにも見える。
「何故その姿をしている!?」
訝しげに男は異形に問う。
どうやら彼らの位置からはキンタロス達は見えていないらしい。その方が彼らとしては都合が良いので、気にはしないのだが。
しかし、「その姿」とはどう言う意味か。もしかするとあの異形は、今の姿以外にも別の姿を持っているのだろうか。
軽く首を傾げて考えるキンタロスだが、考えて答えが出る訳でもない。警戒はしつつも、二人はじっとその場で事の成り行きを見守る事にした。下手に関わって、時間の運行を乱すような真似をすれば、今度こそ乗車拒否で置いてけぼりをくらいかねない。
などと思っていると、異形が苦しげに息を吐き出し……男の声に答えるべく、言葉を紡ぎだした。
「……奴に……全てのカードを奪われた」
「カードを奪われた?」
「俺はまた、ジョーカーの本能を、押さえられなくなろうとしている……」
訝る男にむかってそう言うと、異形はうぅっと苦しげな唸り声を上げ、何かに操られているかのように男に向かって拳を振り上げた。
が、その拳が相手の顔に当たる寸前で自分を取り戻したのか、異形は慌てて男と距離を取り……
「俺は……相川 始だ!」
怪物が、何かに宣言するように叫ぶ。それと同時に前のめりに倒れたまま、ピクリとも動かなくなった。時折胸が上下している所を見ると、呼吸はしているらしい。
男はそれを見るや、心配そうに怪物に駆け寄るが……直前で、その足を止めた。
「もしもこいつが勝ち残ったら、世界は……」
聞こえるか聞こえないか程度の呟きが、男の口から零れ落ちる。同時にその目に躊躇いの色が宿ったのを、影で見ているキンタロスは気付いた。
だが、一体何を躊躇っているのかが分らない。
どこへ連れて行くべきかを逡巡している訳では無さそうだ。何となく……これはあくまでキンタロスの直感だが、彼は助けるべきか否かで迷っているように見えた。
知り合いとは言え、異形だ。余程心の強い者でない限り、二の足を踏むのは当然かも知れないが……
「……今ならこいつを封印できる……」
「ねえ、そいつやっつけるの?」
暗い瞳で吐き出された男の呟きに、じっとしている事に耐え切れなくなったらしいリュウタロスが無邪気な声をかける。
自分以外に人間がいるとは思っていなかったのだろう。男はハッとしたようにリュウタロスを見つめ返し、身構える。
「誰だ!」
男の声に、そして態度に、警戒の色が濃く浮き出る。が、リュウタロスはそんな事お構いなしに怪物の方に近寄り、つんつんとそいつを指先で突いた。
指先に返ってきたのは、虫に触れた時のような硬い感触。しかし冷たいかと思っていたその体温は、ヒトよりも僅かに高い。
「こいつ、何? イマジン?」
「イマ……?」
リュウタロスの言っている事がわからないらしく、男は困ったような表情を浮かべる。
イマジンと言う単語その物を知らないと言った反応だ。と言う事は、目の前の存在はイマジンではないのだろう。
何となく、予想はしていた事だが。
「……リュウタ、下手に近付いたらあかんやろ?」
仕方ないと言わんばかりに、キンタロスも岩陰から出て、己の姿を見せる。
この時間に干渉してはならない。そうオーナーに言われている。誰かの記憶に残れば、それだけでこの時間に干渉した事になりかねない。だから人との接触は避けたかったのだが……
「いやあ、スマンなあ。ここに迷い込んだんや。そしたらお前らがなんや話しとるさかい、出られんようになってしもた」
「……俺の質問に答えろ。お前達は、誰だ?」
「人に物聞く時は、自分から言うもんやで?」
半ば睨みつけるように言った男に、飄々と返すキンタロス。
相手の方は暫くの間二人を警戒していたが……小さく息を吐くと、構えていた手を下ろし、ぶっきらぼうに答えた。
「……橘 朔也 だ」
「ほな、今度は俺らが名乗る番やな。俺は、金。野上 金。こっちは弟の龍太や」
「イェイっ!」
橘と名乗った青年に、キンタロスは自分とリュウタロスを指して自身の仮の名を告げる。
この名前は、かつて彼らの姿が変わった時に決めたものだ。デンライナーの中以外では、自分達の契約者である良太郎の苗字である「野上」を使う事。もちろん、使わない事に越した事はなかったのだが、自分達もいつかは時の列車から降り、自分の時間を紡ぐ事になる。ならば名前を持っていた方が良いだろうという事で考えたものだったが……まさか、早速使う事になるとは。
軽く苦笑を浮かべながら、キンタロスは未だ胡散臭そうな視線を変えない橘と、それを気にも留めずにこやかにブイサインを送るリュウタロスを交互に見やる。
一方で橘もこちらを交互に見つめ……やがて何か諦めたように小さな溜息を吐き出すと、するりと異形……彼曰く、「始」とやらの側にしゃがみこみ、その腕を己の肩に回した。
「…………悪いがそこをどいてくれ。こいつを……始を人目につかない場所に移動させなければならない」
言いながら、橘は顔を顰めて異形を背負う。顔を顰めている理由は、恐らく相手が思ったよりも重かったからだろう。担ぎきれずに相手の足はずるずると引き摺られ、川辺に二本の線を残す。
その様子を見かねたのか、キンタロスはむぅ、と小さく唸ると、ひょいと異形の足を持ち上げ……
「ちょぉ待て。一人では無理や。俺も手伝ったる」
「僕も行く~」
「な……っ!? 恐ろしくはないのか? こいつはジョーカー……アンデッドなんだぞ!?」
キンタロスの申し出に、橘が軽く目を見開き、意外そうな声をあげた。
確かに、目の前の怪物は見た目に恐ろしい。鋭い爪や先程の言動を見ても、人を傷つける可能性がある。しかし今は死んだように眠っているのだ。触れたくないと思う程の生理的嫌悪感もないし、この程度の外見の相手は幾度となく相手をしてきている。
「いや、別に……恐ろしくはないなあ」
「そうそう、襲って来たらやっつければ良いんだし」
あっけらかんと言った二人に、橘は驚きの表情を隠さない。
恐らく彼が今まで出会ってきた人間は、こんな反応を返した事がないのだろう。大方、この存在に恐れをなして逃げ出すか、逆に無条件に攻撃態勢に入るか……そう言った反応が主だったのではないだろうか。
「ほら、早よ運ぶで?」
思いながら橘をせかすキンタロスに対し、リュウタロスは手を貸そうとはせず……ただ、困ったように顔を顰める橘を見つめて、思っていた。
――あいつ、この変な奴の事嫌いみたい。嫌いならやっつければいいのに――
「ここで良いだろう。……手伝ってくれて助かった」
山の奥にある小屋にジョーカーへと姿を戻していた相川始を運び終えると、橘は手伝ってくれた二人……正確には手伝ったのは金と名乗った青年だけで、龍太と呼ばれた青年は面白そうに見ていただけだったが……に対し礼を言う。
双子なのだろうか。改めて見ると、瞳の色と髪型以外は本当に良く似ている。兄弟と言っていたが、年子でもここまでは似ないだろう。
……彼らに関しては謎が多すぎる。
一般人なら「ジョーカー」である始を見て、怪物と罵り、怯えるだろう。逃げるのが普通だ。しかし彼らは逃げるどころか逆にこちらに近付いてきた。更には、襲ってきたなら倒せば良いとまで言っていた。
倒すと言ったのだがら、アンデッドと言う存在を知っているのかとも思ったが、彼らの反応は知っている者のそれではない。何やら、別の単語を発してはいたが。
敵……トライアルやティターンと言った物を送ってきた存在の回し者と言う可能性もなくはないが、もしそうならばとうの昔に襲ってきていてもおかしくはない。警戒するに越したことはないが……
「お前達は一体、何者なんだ?」
思っていた疑問が口をついて出てしまう。しまった、と思うが声になってしまった物は戻せない。
戻せないならば、あとは開き直って追求した方が良いだろう。思い、橘はギャレンバックルを密やかに準備しつつ、困ったような表情を浮かべる青年達を見つめた。
「さっきも言うたやろ? 野上……」
「名前を聞いているわけじゃない。アンデッドを見ても驚かないのはBOARDの関係者くらいだが……そう言う訳でもないだろう?」
「ぼーど……?」
「あんでっど? って何? こいつの事?」
橘の言葉に心底不思議そうな顔をして、二人が問いかける。
やはりアンデッドの事は知らないらしい。しかもBOARDの関係者でもなさそうだ。
もっとも、睦月と変わらない年頃の彼らが、BOARDの関係者である可能性は元から低いとは思っていたが。
「こちらの質問に答えろ」
橘がそう言うと、龍太は不機嫌そうに膨れ、金の方は困ったような顔をした。兄貴肌の金に比べ、龍太の方は随分と子供っぽい印象がある。
「いや……こいつ、あんたと知り合いやったみたいやから。害はないと思ったんや」
「それだけで近付くとは思えないが」
橘の言葉に、困惑で眉間の皺を深くする金。どうやら今度は答えようがないらしい。
「ねえ! それより、さっきから言ってる『アンデッド』って何? こいつの名前?」
痺れを切らしたように、龍太が問いかける。
何度も問いかけてくる所を見ると、随分と気にしている様子である。
――答えない訳にはいかないか――
幾度となくアンデッドと言う単語を発した。そしてそれに興味を持たれてしまった。ならば、橘には龍太の問いに答える義務がある。
ふう、と小さく息を吐き出すと、彼は当たり障りのない範囲でアンデッドの説明を組み上げ、声に出した。
「……アンデッドは、五十三体存在する様々な種の祖先の総称だ。個々には個々の名前がある。例えば……こいつには、ジョーカーと言うようにな」
「ふーん。でも、さっきこいつの事『始』って呼んでたでしょ? 何で?」
「『ジョーカー』と言うのはアンデッドとしての名だ。だが、こいつは……特定の条件下において、人間の姿を取る事が出来る」
「ほんなら、こいつが人間の格好をしとる時、『始』って名乗っとる言う事か?」
「……ああ。『相川始』。それがこいつの、人間としての名だ」
答えつつ一瞬だけ橘はジョーカーに視線を向け……そして意識がない事を確認した上で、そっと小屋の外に出る。それに続くように金と龍太もするりと表に出た。
「なあ、聞いてええか?」
「何だ?」
「アンデッドは様々な種の始祖の総称て言うてたな。それなら……あいつは、なんの始祖なんや?」
単純な好奇心からだろう。ぬぅと呻き、腕を組みながら金がそう問いかけてくる。
だが……それに答えて良いのだろうか。
……ジョーカーはどの種の始祖でもない事を。
そこまでならば別に構わない。だが、もしそう答えたならきっと次はこう聞くだろう。
……ならば何故、存在するのかという事を。
もしそれを聞かれたら、バトルファイトの事から話さねばならない。それは時間のかかる話だし、何よりそれを話せば恐らくは気付かれる。
ジョーカーが、世界を滅ぼすかもしれない存在だと言う事を。それは無用な混乱を招くだろうし、何より……心の片隅で、そんなはずはない、今の「彼」はジョーカーではなく始なのだと思う部分もある。
「いや、知らんのやったら別にええねん。変な事聞いて悪かったな」
思考に落ちかけていた沈黙を、どうやら金は「知らない」と解釈してくれたらしい。
うんうんと勝手に一人納得したように首を縦に振ると、彼はがしりと龍太の二の腕を掴み……
「ほな、俺らはそろそろ帰ろか」
「えー?」
「ここに居ってもしゃあないやろ? それに早よ戻らんと、桃の字達が心配するで。コハナも怒るやろし」
そう言って金は、もう少しいたいのにとむくれる龍太を強引に引っ張りながら、橘に一礼をして踵を返した。
……そして、剣崎一真達がその場に到着したのは、それから五分ほど後の事であった。
世界は常に、分岐の可能性を秘めている。
人はいつも、何かを選び、何かを捨てる。
そして捨てられた「可能性」が「異なる世界」を作るのだと……これも、誰かが言っていたな。
西暦二〇〇四年一二月一九日。
その日、産み落とされた一つの存在があった。
「神よ、貴方は五十三体のアンデッドをお作りになられた。しかし私はここに、新たなアンデッドの誕生を宣言する」
薄暗い部屋中で、一人の男が語る。仕立ての良さそうな黒のスーツをその身に纏い、圧倒的な威厳を放っている。
彼の名は天王路 博史。人類基盤史研究所……通称BOARDの理事長である。
その地位故の存在感は、周囲の人間を傅かせるには充分過ぎる程であるのに、彼の眼前に置かれた、人程の大きさを持つ漆黒の石もまた、彼に負けない程の存在感を伴って悠然と存在している。
その場に悠然と佇む石は、平たい物を捻ったかのような奇異な形をしている。天然物だとすれば奇跡に近い形だし、人工物だとすれば作った者の腕を褒め称えたくなる美しさ。
その石から生えている電極は、天王路達がつけたものなのだろうか。白いコードと部屋に響く甲高い電子音が、無粋にも神聖な雰囲気を壊しているように感じられる。
「五枚目の『A』……」
そんな無粋な空気など気に留めていないのか。まるでその場には自分とその石しかいないのだと言いたげに、天王路は薄く目を細め、低い声で呟きを落とす。
そんな彼が手にしているのは、一枚のカード。そこに描かれているのはは三つ首の獣。
……ケルベロス。カードに描かれた獣の名。
それを取り出した瞬間、背後では安定していないだの何をする気だなどと騒ぎ立てる白衣の者達。しかしそんな有象無象など意に介さぬのか、天王路は持っていたカードを石に向かって投げた。
そして石は、まるでそれを待ち侘びていたかのようにそれをするりと己の身の内に取り込み、光を放ち始める。
「どうだ神よ、お前の作った物ではないアンデッドは! お前はその存在を認めるのか!?」
高らかな天王路の声。問いの形をとってはいる物の、彼には「石」の答えが分っているのか、その表情に不安は微塵もない。
そして刹那の後、石は彼の言葉を肯定するかのように一匹の怪物を生み落とした。
産み落とされた怪物……初めて己の肉体を得たケルベロスと言う名を持つアンデッドは、凶暴な唸り声を上げ、それが当たり前であるかの様に周囲を破壊し始める。
機器類が破壊された際に上がる、火花の散る音。
逃げ遅れた者が引き裂かれた際に上がる、血飛沫の音。
黒い革張りの椅子に腰掛けながら、天王路は口の端に笑みを浮かべてその音を聞く。
しばらくして、ケルベロスは「親」である天王路と石以外の全てを壊した後、何かを求めるようにその場を後にした。
……残された天王路は、その様子を楽しげに眺める。まるで子供を慈しむかのように。口の端に浮かんでいた笑みは、いつの間にか顔全体に伝播し、満足そうな笑みとなって浮かんでいた。
「フフフ……ご苦労様、仮面ライダー諸君。……そして…………」
ゆっくりとサングラスをかけつつ、言葉を続ける。直後、その顔に浮かんでいた笑みが邪悪に歪む。そこに優しさは微塵もない。あるのはただ、冷たくて暗い感情のみ。
「さようなら」
「あ、可愛い仔犬~!!」
デンライナーから降りるや否や、リュウタロスは言葉通り仔犬を見つけたらしい。言葉と同時に猛ダッシュで後ろも振り返らずその場を後にした。
……しかもその先は
「おぉいリュウタ! 一人で行ったら危ないで!」
見かねたキンタロスが心底心配そうな声で彼の後を追い、リュウタロス同様森の中へとその姿を消した。
「……やれやれ。リュウタの事はキンちゃんに任せて、僕らはオーナーに言われた事を調べなきゃいけないみたいだね」
「つーか、そう言う事なら駅長に頼んだ方が早いんじゃ無ぇのか?」
見る間に後姿が小さくなっていく二人を眺めてぼやくウラタロスに、モモタロスがガシガシと頭をかきながらも言葉を返す。
「分岐点も現れてないのに駅長に頼むのは無理よ」
「しかし姫、我らが動く必要はあるまい。世界は! 私のために動いているのだから」
一人だけ少々ノリの違うジークを横目に見やりながら、三人はそっと憂鬱そうに溜息を吐き出す。
――ここまでマイペースに生きられると、いっそ楽よね――
と思い、もう一度ハナの口から溜息が零れかけた時。くるりと踵を返し、その場を立ち去ろうとするウラタロスの姿が、彼女の視界の隅に入った。
「じゃ、僕は近くにある喫茶店でも行って情報集めてくるから。先輩達は先輩達で頑張って」
ひらひらと手を振り、彼は鼻歌混じりに歩き出す。が、そんな彼の裾をハナはがっしりと掴んでその動きを止める。
「……あれ?」
「あんたを一人にしたら絶っっっ対にナンパするからダメ。あんたは私と一緒に情報収集」
「ちょっと待て! って事は俺とこの鳥野郎とペアかよ!」
ウラタロスの非難よりも、モモタロスの抗議の声の方が先に上がる。
心底嫌そうな表情で、心底嫌そうな声。彼の人指し指の先には、羽根マフラーに付いたゴミを鬱陶しそうに払いのけるジークの姿があった。
しかし恫喝するようなモモタロスの声にも怖じず、ハナは真っ直ぐに相手の目を見つめ返すと、自分の腰に手を当てて一息に言葉を紡ぐ。
「あんたはウラと一緒でも文句言うじゃない。それとも私と一緒が良かった?」
「ぐ」
ハナに言われ、渋々と言った風にモモタロスは頷きを返す。
一方のウラタロスも、仕方ないと言わんばかりの表情で肩をすくめた。
ただ一人、ジークだけが眠そうな表情でそのやり取りを眺めていた。
「熊ちゃーん、見て見てー! お魚さんがいっぱいいるよ! 亀ちゃんが見たら喜ぶかなあ?」
「ホンマに、えらく綺麗な川やなあ」
追いかけていた仔犬を見失ってしょんぼりしていたところで、この川を見つけたリュウタロスとキンタロスの二人は、この清流に心癒されていた。
こんな奥までは滅多に人が来ないのだろう。ごみの類は見当たらないし、人の気配も感じない。喧騒からほど遠い静寂の中で、鳥の鳴き声が大きく聞こえる。
しかし、唐突に鳥が一声大きく鳴いたかと思うと、直後一斉にその声が止んだ。
「何や!」
緊張が走る。二人はゆっくりと周囲を見渡しそして……ほぼ同時に、それを見つけた。
黒い、人型の異形。だらりと垂れた長い触角に、指から生えているのは鋭さを持つ緑の爪。
カミキリムシに似ているような気もするが、そうではないようにも見える。所々、体にある傷からは、白っぽく濁った緑色の体液が流れており、よろよろとした足取りで川岸に向かって歩いている。
「あいつ……イマジン?」
「分からん。せやけど、随分と弱っとるで」
こっそりと岩陰から覗き込み、そいつの様子を観察する二人。すると唐突に、自分達がいる場所とは逆方向から、男の声が響いた。
「
苦しげに呻く異形に、男は警戒した素振りを見せながら声をかける。その手ある携帯電話のようなものが、警告とも取れる電子音を鳴らし続けているのは、その異形に反応しているからだろうか。
男の言葉や、二人の間に流れる雰囲気から察するに、互いに顔見知り以上の知り合いではあるようだが、男の方は異形に敵意を抱いているようにも見える。
「何故その姿をしている!?」
訝しげに男は異形に問う。
どうやら彼らの位置からはキンタロス達は見えていないらしい。その方が彼らとしては都合が良いので、気にはしないのだが。
しかし、「その姿」とはどう言う意味か。もしかするとあの異形は、今の姿以外にも別の姿を持っているのだろうか。
軽く首を傾げて考えるキンタロスだが、考えて答えが出る訳でもない。警戒はしつつも、二人はじっとその場で事の成り行きを見守る事にした。下手に関わって、時間の運行を乱すような真似をすれば、今度こそ乗車拒否で置いてけぼりをくらいかねない。
などと思っていると、異形が苦しげに息を吐き出し……男の声に答えるべく、言葉を紡ぎだした。
「……奴に……全てのカードを奪われた」
「カードを奪われた?」
「俺はまた、ジョーカーの本能を、押さえられなくなろうとしている……」
訝る男にむかってそう言うと、異形はうぅっと苦しげな唸り声を上げ、何かに操られているかのように男に向かって拳を振り上げた。
が、その拳が相手の顔に当たる寸前で自分を取り戻したのか、異形は慌てて男と距離を取り……
「俺は……相川 始だ!」
怪物が、何かに宣言するように叫ぶ。それと同時に前のめりに倒れたまま、ピクリとも動かなくなった。時折胸が上下している所を見ると、呼吸はしているらしい。
男はそれを見るや、心配そうに怪物に駆け寄るが……直前で、その足を止めた。
「もしもこいつが勝ち残ったら、世界は……」
聞こえるか聞こえないか程度の呟きが、男の口から零れ落ちる。同時にその目に躊躇いの色が宿ったのを、影で見ているキンタロスは気付いた。
だが、一体何を躊躇っているのかが分らない。
どこへ連れて行くべきかを逡巡している訳では無さそうだ。何となく……これはあくまでキンタロスの直感だが、彼は助けるべきか否かで迷っているように見えた。
知り合いとは言え、異形だ。余程心の強い者でない限り、二の足を踏むのは当然かも知れないが……
「……今ならこいつを封印できる……」
「ねえ、そいつやっつけるの?」
暗い瞳で吐き出された男の呟きに、じっとしている事に耐え切れなくなったらしいリュウタロスが無邪気な声をかける。
自分以外に人間がいるとは思っていなかったのだろう。男はハッとしたようにリュウタロスを見つめ返し、身構える。
「誰だ!」
男の声に、そして態度に、警戒の色が濃く浮き出る。が、リュウタロスはそんな事お構いなしに怪物の方に近寄り、つんつんとそいつを指先で突いた。
指先に返ってきたのは、虫に触れた時のような硬い感触。しかし冷たいかと思っていたその体温は、ヒトよりも僅かに高い。
「こいつ、何? イマジン?」
「イマ……?」
リュウタロスの言っている事がわからないらしく、男は困ったような表情を浮かべる。
イマジンと言う単語その物を知らないと言った反応だ。と言う事は、目の前の存在はイマジンではないのだろう。
何となく、予想はしていた事だが。
「……リュウタ、下手に近付いたらあかんやろ?」
仕方ないと言わんばかりに、キンタロスも岩陰から出て、己の姿を見せる。
この時間に干渉してはならない。そうオーナーに言われている。誰かの記憶に残れば、それだけでこの時間に干渉した事になりかねない。だから人との接触は避けたかったのだが……
「いやあ、スマンなあ。ここに迷い込んだんや。そしたらお前らがなんや話しとるさかい、出られんようになってしもた」
「……俺の質問に答えろ。お前達は、誰だ?」
「人に物聞く時は、自分から言うもんやで?」
半ば睨みつけるように言った男に、飄々と返すキンタロス。
相手の方は暫くの間二人を警戒していたが……小さく息を吐くと、構えていた手を下ろし、ぶっきらぼうに答えた。
「……
「ほな、今度は俺らが名乗る番やな。俺は、金。野上 金。こっちは弟の龍太や」
「イェイっ!」
橘と名乗った青年に、キンタロスは自分とリュウタロスを指して自身の仮の名を告げる。
この名前は、かつて彼らの姿が変わった時に決めたものだ。デンライナーの中以外では、自分達の契約者である良太郎の苗字である「野上」を使う事。もちろん、使わない事に越した事はなかったのだが、自分達もいつかは時の列車から降り、自分の時間を紡ぐ事になる。ならば名前を持っていた方が良いだろうという事で考えたものだったが……まさか、早速使う事になるとは。
軽く苦笑を浮かべながら、キンタロスは未だ胡散臭そうな視線を変えない橘と、それを気にも留めずにこやかにブイサインを送るリュウタロスを交互に見やる。
一方で橘もこちらを交互に見つめ……やがて何か諦めたように小さな溜息を吐き出すと、するりと異形……彼曰く、「始」とやらの側にしゃがみこみ、その腕を己の肩に回した。
「…………悪いがそこをどいてくれ。こいつを……始を人目につかない場所に移動させなければならない」
言いながら、橘は顔を顰めて異形を背負う。顔を顰めている理由は、恐らく相手が思ったよりも重かったからだろう。担ぎきれずに相手の足はずるずると引き摺られ、川辺に二本の線を残す。
その様子を見かねたのか、キンタロスはむぅ、と小さく唸ると、ひょいと異形の足を持ち上げ……
「ちょぉ待て。一人では無理や。俺も手伝ったる」
「僕も行く~」
「な……っ!? 恐ろしくはないのか? こいつはジョーカー……アンデッドなんだぞ!?」
キンタロスの申し出に、橘が軽く目を見開き、意外そうな声をあげた。
確かに、目の前の怪物は見た目に恐ろしい。鋭い爪や先程の言動を見ても、人を傷つける可能性がある。しかし今は死んだように眠っているのだ。触れたくないと思う程の生理的嫌悪感もないし、この程度の外見の相手は幾度となく相手をしてきている。
「いや、別に……恐ろしくはないなあ」
「そうそう、襲って来たらやっつければ良いんだし」
あっけらかんと言った二人に、橘は驚きの表情を隠さない。
恐らく彼が今まで出会ってきた人間は、こんな反応を返した事がないのだろう。大方、この存在に恐れをなして逃げ出すか、逆に無条件に攻撃態勢に入るか……そう言った反応が主だったのではないだろうか。
「ほら、早よ運ぶで?」
思いながら橘をせかすキンタロスに対し、リュウタロスは手を貸そうとはせず……ただ、困ったように顔を顰める橘を見つめて、思っていた。
――あいつ、この変な奴の事嫌いみたい。嫌いならやっつければいいのに――
「ここで良いだろう。……手伝ってくれて助かった」
山の奥にある小屋にジョーカーへと姿を戻していた相川始を運び終えると、橘は手伝ってくれた二人……正確には手伝ったのは金と名乗った青年だけで、龍太と呼ばれた青年は面白そうに見ていただけだったが……に対し礼を言う。
双子なのだろうか。改めて見ると、瞳の色と髪型以外は本当に良く似ている。兄弟と言っていたが、年子でもここまでは似ないだろう。
……彼らに関しては謎が多すぎる。
一般人なら「ジョーカー」である始を見て、怪物と罵り、怯えるだろう。逃げるのが普通だ。しかし彼らは逃げるどころか逆にこちらに近付いてきた。更には、襲ってきたなら倒せば良いとまで言っていた。
倒すと言ったのだがら、アンデッドと言う存在を知っているのかとも思ったが、彼らの反応は知っている者のそれではない。何やら、別の単語を発してはいたが。
敵……トライアルやティターンと言った物を送ってきた存在の回し者と言う可能性もなくはないが、もしそうならばとうの昔に襲ってきていてもおかしくはない。警戒するに越したことはないが……
「お前達は一体、何者なんだ?」
思っていた疑問が口をついて出てしまう。しまった、と思うが声になってしまった物は戻せない。
戻せないならば、あとは開き直って追求した方が良いだろう。思い、橘はギャレンバックルを密やかに準備しつつ、困ったような表情を浮かべる青年達を見つめた。
「さっきも言うたやろ? 野上……」
「名前を聞いているわけじゃない。アンデッドを見ても驚かないのはBOARDの関係者くらいだが……そう言う訳でもないだろう?」
「ぼーど……?」
「あんでっど? って何? こいつの事?」
橘の言葉に心底不思議そうな顔をして、二人が問いかける。
やはりアンデッドの事は知らないらしい。しかもBOARDの関係者でもなさそうだ。
もっとも、睦月と変わらない年頃の彼らが、BOARDの関係者である可能性は元から低いとは思っていたが。
「こちらの質問に答えろ」
橘がそう言うと、龍太は不機嫌そうに膨れ、金の方は困ったような顔をした。兄貴肌の金に比べ、龍太の方は随分と子供っぽい印象がある。
「いや……こいつ、あんたと知り合いやったみたいやから。害はないと思ったんや」
「それだけで近付くとは思えないが」
橘の言葉に、困惑で眉間の皺を深くする金。どうやら今度は答えようがないらしい。
「ねえ! それより、さっきから言ってる『アンデッド』って何? こいつの名前?」
痺れを切らしたように、龍太が問いかける。
何度も問いかけてくる所を見ると、随分と気にしている様子である。
――答えない訳にはいかないか――
幾度となくアンデッドと言う単語を発した。そしてそれに興味を持たれてしまった。ならば、橘には龍太の問いに答える義務がある。
ふう、と小さく息を吐き出すと、彼は当たり障りのない範囲でアンデッドの説明を組み上げ、声に出した。
「……アンデッドは、五十三体存在する様々な種の祖先の総称だ。個々には個々の名前がある。例えば……こいつには、ジョーカーと言うようにな」
「ふーん。でも、さっきこいつの事『始』って呼んでたでしょ? 何で?」
「『ジョーカー』と言うのはアンデッドとしての名だ。だが、こいつは……特定の条件下において、人間の姿を取る事が出来る」
「ほんなら、こいつが人間の格好をしとる時、『始』って名乗っとる言う事か?」
「……ああ。『相川始』。それがこいつの、人間としての名だ」
答えつつ一瞬だけ橘はジョーカーに視線を向け……そして意識がない事を確認した上で、そっと小屋の外に出る。それに続くように金と龍太もするりと表に出た。
「なあ、聞いてええか?」
「何だ?」
「アンデッドは様々な種の始祖の総称て言うてたな。それなら……あいつは、なんの始祖なんや?」
単純な好奇心からだろう。ぬぅと呻き、腕を組みながら金がそう問いかけてくる。
だが……それに答えて良いのだろうか。
……ジョーカーはどの種の始祖でもない事を。
そこまでならば別に構わない。だが、もしそう答えたならきっと次はこう聞くだろう。
……ならば何故、存在するのかという事を。
もしそれを聞かれたら、バトルファイトの事から話さねばならない。それは時間のかかる話だし、何よりそれを話せば恐らくは気付かれる。
ジョーカーが、世界を滅ぼすかもしれない存在だと言う事を。それは無用な混乱を招くだろうし、何より……心の片隅で、そんなはずはない、今の「彼」はジョーカーではなく始なのだと思う部分もある。
「いや、知らんのやったら別にええねん。変な事聞いて悪かったな」
思考に落ちかけていた沈黙を、どうやら金は「知らない」と解釈してくれたらしい。
うんうんと勝手に一人納得したように首を縦に振ると、彼はがしりと龍太の二の腕を掴み……
「ほな、俺らはそろそろ帰ろか」
「えー?」
「ここに居ってもしゃあないやろ? それに早よ戻らんと、桃の字達が心配するで。コハナも怒るやろし」
そう言って金は、もう少しいたいのにとむくれる龍太を強引に引っ張りながら、橘に一礼をして踵を返した。
……そして、剣崎一真達がその場に到着したのは、それから五分ほど後の事であった。