過去の希望、未来の遺産

【その28:辛くても、運命と戦う】

 アルビノジョーカー。
 それは、剣崎一真が世界に絶望した姿。
 白き姿に、人の血を意味する「赤」を纏った者。

『SPIRIT』
 ジョーカーから相川始の姿に戻り、彼はただ、呆然とした表情で自分の親友を見つめていた。
「剣崎、お前…………お前は……!」
 自分の手から流れ落ちる血と、剣崎が腕から流す血を見比べながら、相川始は絶望したように呟く。
「アンデッドになってしまったと言うのか」
 始の言葉に、剣崎が返したのは……満足気な微笑だった。
 それこそ、始の表情とは対照的に。
「最初から……そのつもりで……」
 何も言わず、剣崎はただ黙って頷く。
 それに、何かを言おうと始が口を開きかけた瞬間。
 空から黒い石板……モノリスが、彼等の前に降り立った。
 キィンと耳鳴りのような音が、その場にいる者達に届く。だが、それが何を伝えようとしているのかを理解出来たのは始だけだった。
「統制者が言っている。『アンデッドを二体確認。バトルファイトを、再開しろ』と」
「最後の一体になるまで……か」
 剣崎の呟きに、始が頷く。
 冷酷にして無慈悲な統制者。
 絶対にして、公平な神。
 それが今、モノリスというデバイスを通して、彼等に語りかける。
――戦え、戦え、戦え、戦え、戦え――
 その声が聞こえたのか。剣崎は何かを決意したように拳を握り、そして……
 モノリスを、殴りつけた。
 その拳に、モノリスはぶるりと震えると、まるでゲルのように飛び散ってその姿を四散させたが……おそらく、破壊までには至っていないだろう。ただその姿を散らせただけで、未だ統制者の声は響いている。
 だがその声を無視し、剣崎は真っ直ぐに……何もない虚空を見据えて宣言する。まるでそこに、統制者がいるかのように。
「俺は……戦わない」
 剣崎の言葉を聞き届けたのか、四散していたモノリスの欠片が再び元の形に戻る。
 平らな物を捻った様な、黒い石板。
 そしてそれは、再び宙へと舞い上がり……今度は何も言わずに、その姿を消した。
「剣崎……」
「来るな!」
「剣崎」
「俺とお前は……アンデッドだ。俺達がどちらかを封印しない限り、バトルファイトは決着せず、滅びの日は来ない。だから、俺達は戦ってはいけない。近くにいては……いけない」
 ジリ、と始との距離をとりながら、剣崎は寂しげに笑って言葉を放つ。それは始に言い聞かせているようにも聞こえると同時に、自分自身にも言い聞かせているようにも聞こえた。
 人類を守る事と引き換えに。彼は友人と触れ合う事を捨てたのだ。
「いくら離れたところで、統制者は俺達に戦いを求める。本能に従い、戦う。……それが、アンデッドの運命だ」
「俺は運命と闘う。そして勝ってみせる」
 どこか諦念を感じさせる始とは対照的に、今度は力強くそう言いきると、剣崎は自身の口元を伝う血を拳で拭った。
 誰にでも、運命と闘う資格がある。戦わなければならない時がある。今度は、自分の番が回ってきただけの事。
 例えそれが険しい道のりだとしても、彼は闘い抜くだろう。
 それが……始には、わかった。
 剣崎一真とは、そう言う男である事も。
「それが、お前の『答え』か」
「お前は、人間達の中で生き続けろ」
「どこへ行く?」
「俺達は二度と会う事もない。触れ合う事もない。……それで良いんだ」
 別れの言葉と共に剣崎が見せたのは、晴れやかな……だが、どこか寂しそうな笑顔。
 友人との触れ合いだけでなく、彼は、人類全てと決別するつもりなのか。
 自分の「闘い」に、誰も巻き込まないために。
「剣崎……」
 ゆっくりと、その場を後にする剣崎一真を……ただ呆然と、相川始は見つめていた。

「剣崎!」
 我に返った俺は、立ち去った剣崎の名を呼んで奴を追う。
――俺達は二度と会う事もない。触れ合う事もない。……それで良いんだ――
 良い訳がない。俺が「ヒト」になりたいと思った理由の中には、お前と言う存在も大きかったと言うのに。
 お前がいたから、俺は「相川始」でいたいと思ったのに。
 それなのに。
 追った先……視界が開けたそこは、崖になっていた。足元に広がる潮騒。あまりの高さに、人間なら落ちれば死を免れない。
 …………そう、人間ならば。
 今の剣崎なら、この程度の高さから飛び降りたところで死ねるはずもない。
 ……俺の、せいで……そうなったのだから。
 喪失感と言うのは、こう言う物なのだろうか。自分の胸に、空洞が出来たような……それでいて溶かした鉛を流し込まれたような、ずしりとした重みを伴う感覚。
「始!」
 そこにやって来たのは橘朔也。
 カテゴリーキングとの戦いの末、死んだと思っていたのだが……どうやら、無事だったらしい。多少の傷は見受けられるが、恐らくは来る途中でダークローチ達に襲われでもしたのだろう。
 この男の気配を感じられない程、今の俺は感覚が鈍っていると言うのか。
「剣崎は?」
 橘の問いかけに、俺はただ呆然と首を横に振った。
 橘には……何が起こったのか、ある程度の予測はついていたのだろう。一瞬だけ俺に絞め殺さんばかりの視線を送り……だが、すぐに苦しそうな表情でそれを外す。
 俺にあたっても仕方がないと思ったのか。
 それとも剣崎の意思を汲んだのか。
 何にせよ、橘がこれ以上俺を責める様な真似はせず、ただ寄せては返す波を見つめている。
 ざわ、と木々が揺れる。そこには額に包帯を巻いた上城睦月が呆然と立ち尽くしていた。
 ……そうか、俺はこいつを殺さずにすんだのか。
 安堵と同時に、上城から向けられる敵意に気付く。
 ……橘も、これくらい真っ直ぐに俺に敵意を向けてくれれば……楽なんだがな。
「剣崎さんをどこにやったんだ? 答えろ!」
 詰め寄る上城を、橘が無言で制する。
 それで……剣崎が、戻ってこない事を悟ったのか。上城も辛そうな表情でゆっくりと俯いた。
 ……俺が、封印されれば良かったのに。
 そうすれば、橘も上城も、こんな顔をしなかっただろうに。
「剣崎ぃぃぃぃっ!」
 橘の叫び声だけが、そこに響く……

 海に、飛び込んだはずだった。
 アンデッドとなった身で、死ぬ事はないはずだ。そう思い、あの崖の上から飛び込んだ。
 ……始とは、二度と会う事がない、遠い場所へ向かうために。
 それなのに……ここはどこなのだろう。まるで何かの乗り物、もっとはっきり言えば、電車の中のようだが……
 自分の置かれた状況が分らず、きょろきょろと周囲を見回す剣崎の前に、二人の青年が口を開いた。
「全く。真冬の海にダイビングなんて、何考えてやがるんだか」
「でも、間に合ったんだから良いじゃない」
「ギリギリだったけどな」
 呆れたと言うよりはふてくされたように言った茶髪の青年とは対照的に、心底ほっとしたように黒髪の青年が言う。
 二人とも自分より、いくらか若い。睦月と同じくらいか、もう少しだけ上といった所か。
「……君達は?」
「あの、怪しい者じゃありません。僕、野上良太郎って言います」
 黒髪の方の青年が、にこやかな笑顔で名乗る。どことなくその笑顔に、人を安心させる何か……友人である白井虎太郎に通じる物を感じ、つい剣崎も笑顔を返す。
「俺は、桜井侑斗だ」
 一方で茶髪の青年は、黒髪の……野上と名乗った彼とは正反対の厳しい表情で名乗った。こちらは少し、初対面の時の始に似ているかもしれない。
「俺は、剣崎一真。ここは……一体どこなんだ?」
 言いつつ、剣崎は近くの窓から外を眺める。
 広がる景色は虹色の空と、ただひたすらに広がる砂漠。
 時折モニュメントバレーのような山々と、そこに空いた穴……多分、トンネルであろう物が見て取れるが、それ以外のものは特に見当たらない。
 こんな場所、日本に……いや、世界中のどこかにあっただろうか。
 少なくとも、虹色の空は人生で見た事などない。
 オーロラ、という可能性も考えたが、それにしては揺らめきが一切ないのが気になる。わけが分らず首を傾げた瞬間、口を開いたのは桜井と名乗った青年だった。
「ここは時間の中。で、今俺らが乗ってるのは時の列車、ゼロライナー。この辺は……丁度西暦二〇〇五年二月二十日前後ってとこだな」
「……は?」
 彼の言葉の意味を理解できず、剣崎は素っ頓狂な声をあげる。
 時間の中?
 時の列車?
 冗談……にしては、二人の顔は真剣その物。一方だけが真剣な顔をしていると言う状況なら、からかわれているのか知れないと思えなくもないが、どうにもこの二人に抱く印象は人をからかうと言う物とは無縁に思う。
 何より、外に広がる風景は明らかに自分の知らない物であり……それに納得できるだけの神秘さがある。
 かと言って、理解が出来たとも言えないが。
「いきなり言われても困るとは思うんです。僕も、最初はよく分からなかったし……」
「俺は今でもよく分かってないけどな。時間の中って言われて、すぐに理解できる奴なんていないだろ」
 剣崎の声に苦笑しつつ、野上と桜井の二人は言う。
 彼らもまた、この空間について完璧に知っている訳ではないらしい。
「オーナーなら、説明できるのかもしれないけど……」
「ゼロライナーのオーナーは当てにすんなよ。あいつは絶対はぐらかす」
「ちょっと待ってくれ! 何が何だか……」
 頭の中が混乱する。
 分かるのはただ、この二人が自分を案じてくれている事と、ここが自分の知る場所ではないという事だけ。それ以外は理解しようにも話が難解すぎて……と言うよりも常識から外れすぎてついていけない。
――いや、アンデッドになった俺が、「常識」なんて言っちゃいけないか――
 困惑しながらも自嘲すると言う、ある種器用な事をやってのけた剣崎に、二人は何を思ったのか。良太郎が眦を下げ、心底申し訳なさそうに頭を下げ……
「あ、すみません。何か、僕達だけで話をしちゃって……」
「いや、良いんだ。それより……何で俺は、ここにいるんだ?」
 ここがどこなのかを理解するのは難しそうだが、自分がここにいる理由なら、何とか理解できるかもしれない。
 崖から飛び込んだ際、衝撃に備えて目を閉じて……叩きつけられる感覚はなかった。「も」に濁点がつきそうな音が聞こえた直後、何かに引っ張られるような感覚を覚え、目を開けたらここにいたと言う状態である。
「お前が海に飛び込んだのを見て、慌ててデネブ達が引っ張り込んだんだ。俺はゼロライナーの運転があったからな」
 デネブ?
 初めて聞く名前に、剣崎は不審な表情を見せる。この二人以外、この列車にまだ誰か乗っているのだろうか。
 無論、列車なのだから乗っていても不思議はないのだが……この二人以外、人間の気配は全く感じられない。
「君達の他に……誰かいるのか?」
「まあな。入ってきて良いぞ」
 桜井の言葉に応えるようにして現れたのは……野上と同じ顔をした二人の青年と、桜井と同じ顔をした青年。
 桜井と同じ顔をした方は、桜井とは違い髪が長く、その中に一房だけ緑色の髪がある。瞳の色も、鮮やかな緑に光っている。
 野上と同じ顔の方は、一人はやはり長髪で、束ねられたその髪の中にやはり一房だけ金があり、瞳の色も同じ金色。
 もう一方は……いつか、どこかで会った事があるような気がした。スタイリッシュに分けられた外跳ねの髪に、やはり一房今度は青い髪があり、眼鏡の奥では青い色の瞳がこちらを見据えている。
 だが、どうしてだろう。三人とも人間の姿をしているのに、人間の気配を感じられないのは。
「えっと……兄弟、なのか……?」
「まあ……そんなトコやな。俺は野上金」
 金目の青年がぽんと自分の腹を叩きながら自己紹介する。野上……いや、良太郎と違って、その体は割と鍛えられていると思う。
「僕は野上 浦。……一度、君とは会ってるよね?」
 浦と名乗った青目の青年に言われた時、剣崎の脳裏に浮かんだのはケルベロスと初めて対峙した時。天王路が立ち去った後の光景だった。
――それじゃ、僕達はこの辺で失礼しますね――
 そう言って、少女と共に立ち去った青年がいたような……
 確かにあの時も、少女にウラと呼ばれていたではないか。
「ひょっとして、あの時の……!」
「ああ。ようやく思い出してくれたみたいだね」
「あ、俺は桜井白尾しろおです。これはお近付きのしるし。侑斗をよろしく」
 桜井と同じ顔をした青年が、対照的なにこやかな笑顔で言いながら、剣崎の手に何かを握らせる。
 不審に思いその正体を確認すると……それは、キャンディー。
 包み紙には何かのマスコットだろうか、烏天狗のようなキャラクターと「デネブキャンディー」の文字が書かれている。
「……?」
 何で「デネブ」なのかわからない。
 そもそもこの烏天狗のキャラクターはなんなのか。
 確かデネブとは白鳥座の一等星の名前だったはず。ならば、白鳥が描かれていても良いと思うのだが。
 と、色々なツッコミ所はある物の、相手の好意を無にするのは気が引けるので、とりあえず剣崎は貰ったキャンディーを口の中に放り込む。
 少しして、優しい甘さが口の中に広がる。
 普通のミルクキャンディーのはずなのに、今の剣崎にはその甘さが、優しさが、心に染みた。
「侑斗、何でデネブの名前が『白尾』なの?」
 良太郎が不思議そうに侑斗に聞く。
 しかしその問い方では、まるで白尾の本名が「デネブ」であるかのように聞こえるのだが……
「ん? ああ。『デネブ』って単語には、元々『尾』って意味があるんだよ。有名なのは白鳥座だが、それだけじゃなくて、鯨座や鷲座、海豚座にもデネブはある」
「でも、そもそもは白鳥座の『デネブ』からとったから……『白尾』?」
「多分な。名前はデネブ本人が考えたんだ。俺ならもうちょっとマシな名前を考える」
 どうやら、やはりデネブの方が本名らしい。しかし何故名を偽る必要があるのか。
 理由はわからないが、それなりの理由があるのだろう……多分。
 だが、不思議な事にこれ以上突っ込んで聞こうと思えなくなっているのも事実で。何を口にしようか迷いながらも、剣崎はもう一度窓の外に目を向ける。
 先程と然程変わらぬ景色。ただ、所々に開くトンネルを見て……剣崎は少し、違和感を覚えた。
――何だ? 何かおかしいような――
 目を凝らして過ぎ行くそれらを観察し……そして、ようやく気付く。どのトンネルにも、線路がつながっていない事に。
 もしかすると建設途中なのかも知れないが、いくらなんでも線路のないトンネルが多すぎはしないだろうか。
 何より……何故だろう。あのトンネルを見ていると、全身が粟立つような感覚に囚われる。
「……トンネルが気になるのか?」
「ああ。気になると言うか……何だか、奇妙な感じがする」
 桜井……否、侑斗の問いに、剣崎は曖昧に頷く。
 言葉にしたいが、上手く言葉にできない……そんな感じだ。それでも何とか言葉を探しながら、侑斗達に対して自身の考えを口に出した。
「そうだな……不自然な感じって言えば良いのかな。あそこに存在する事が、妙な気がしてならないんだ」
 言いながら、自分でもそれが一番しっくり来ると思う。
 そんな彼に何を思ったのか、侑斗達は一瞬だけ目を大きく見開き……しかしすぐにその口元に不敵な笑みを浮かせると、感心したような声の侑斗と、真剣味を帯びた声の良太郎がそれぞれ口を開いた。
「……へえ、やっぱりわかるモンなんだな」
「あれは、『異世界への出入り口』らしいです」
「へえ、異世界の……って、異世界?」
 流すに流せないその単語に、ぎょっと目を見開いて問い返す剣崎。しかし二人……いや、五人は真剣な表情で頷きを返すだけ。
 ……今度こそ、完全に。
 訳がわからず、剣崎の思考は停止した。
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