過去の希望、未来の遺産

【その10:一番大切な者】

 相川始。
 ハートのエースに選ばれた者。
 「始」とははじまり、物事の最初。

 軽快なシャッター音が連続して聞こえた後、それまで動きを止めていた天音が、始の方へと駆け寄っていく。
「じゃあ今度はお店をバックに撮って」
「わかった」
 にこやかな笑顔で、嬉しそうにねだる天音に、普段では……他の人間の前では絶対に見せる事のない、穏やかな笑顔を浮かべ、始は再びカメラを構えた。
「この辺で良い?」
 他愛のない会話。
 ファインダー越しに見える、天音の明るい笑顔。
 彼が浮かべている穏やかな笑顔が物語っているように、今やそれは、守るべき「日常」と思えるようになっていた。
 だが……心の中では分かっていた。
 自分はアンデッド……それも全てを滅ぼす存在ジョーカーであり、カテゴリーキングが自分と敵対する気でいる以上、それと戦わねばならぬかもしれない事。そして……どちらが勝っても、自分に笑顔を向ける少女の前から姿を消さねばならない事も。
――いつまで……このままでいられる?――
 願わくはこの時間が、永遠に続かん事を……

 西暦二〇〇七年。
 行動を開始したイマジンは、真っ先に「JACARANDA」という名の喫茶店を覗いた。
 ゆっくりと巡らせた視線の先に見つけたのは、女店主とそれを手伝う娘。更に数人の男性客。それらの中に、彼は目的の人物がいる事を見止める。
「……見つけた、契約の対象……」
 口元だけで小さく笑うと、その存在が一人になるのをじっと待つ。
 ……大勢に騒がれて、自身の「敵」に嗅ぎ付けられては面倒だと、彼はそう判断したのだ。
「意外と、契約完了は早そうだな……」
 人目につかぬよう、物影に身を潜めながら……彼は、小さくそう呟いた。

 ハナ、キンタロス、そしてジークの三人は、デンライナーから再びこの時間……二〇〇五年一月九日に降り立ち「JACARANDA」という名の喫茶店に入っていた。
 この時間は、「天王路の死」から二週間ほど経っているのだが、デンライナーに乗ってこの時間まで来た身としてはその実感はない。ハナ達の体感時間は、せいぜい二時間強と言ったところだろう。
 今回はオーナーに依頼された、「ある人物の護衛」組と、今まで通り「トンネルについて調べる」組の二手に分かれて行動している。なお、ハナ達は後者である。
 ここに来た理由は特にない。強いて言うなら、やはり「ジークの気まぐれ」と言ったところか。
「ふむ、いい味だ。香りも申し分ない」
「ありがとうございます」
 ここの店主らしい女性の入れたコーヒーを、ジークは珍しく素直に褒める。
 一方でキンタロスには、人間の飲むコーヒーの味が美味いとは思えない。とりわけ不味いとも言わないが、好んで飲もうとは思わない。表情には出さないが、首を軽く傾げてカップの中の闇色の液体を見つめるだけに留めていた。
 そもそも自分はイマジンなのだから、人間と味覚が合わないのは当然のはずなのだが……何故、ジークの味覚は人間に近いのだろう。やはり人から「生まれた」イマジンだからだろうか。
 ぼんやりとそんな事を考えていた時、カラン、とドアベルが鳴った。
 何の気なしにその方向を見て……ハナとキンタロスの二人は唖然とする。
 ……入ってきた人物。それは天王路博史を死に追いやった存在……カテゴリーキングと呼ばれていた者の、人間体だったのだから。
 何の躊躇いもなく、真っ直ぐにカウンター席に座る男。彼はその口の端に薄い笑みを浮かべたまま、ぐるりと店内を見回すと、店主にコーヒーを注文した。
「あいつ……なんでこんなトコにおるんや?」
 一瞬、無差別殺人という単語が三人の脳裏に浮かぶ。
――今、この場で変身できるんは俺だけや。もしもの時は、何とかせな――
 男に気取られぬよう、キンタロスはゆっくりとした動作で自分の懐にあるパスケースを取り出す。万が一の場合に備え、いつでも変身出来るように。
 だがその瞬間。再びドアベルが鳴り、二人の人間が「ただいま」と言う声と共に帰ってきた。
 一人は今のハナと同い年くらいの少女。店主の親類……もっと言えば娘なのだろうか、どことなく雰囲気が似ている。
 そして、彼女と共に入ってきたもう一人……それは、天王路と戦っていた「黒い戦士」に変身していた者。そして、「ジョーカー」とも呼ばれていた男……確か、始と呼ばれていたか。
 それを見た瞬間、三人は理解した。
 ……カテゴリーキングは、彼……相川始に会いに来たのだと。
「お前は」
「始さん、お知り合い?」
「ああ、そうなんだ」
 始が答えるよりも先に、男は笑顔で少女の問いに答える。ただ、その笑みは彼の正体を知る者にとって、あまりにも白々しい物であったが。
 しかし、少女は彼の正体を知らないし、始の醸し出す緊張感にも気付いていないのだろう。にこりと笑うと、純粋な興味からなのか、軽やかな足取りで男に駆け寄り問いかける。
「どう言うお知り合いですか?」
 そして彼女が男の手が届く範囲まで駆け寄ろうとした直前。
 始が、それを制すかのように腕を彼女の前に出して少女の動きを止めると、鋭い目付きのまま男を睨み付け……
「……下で話そう」
 どうやら彼の部屋はこの下の階にあるらしい。
 顎で階下を示す始に対し、やれやれと言わんばかりの表情で、男は彼の後を追って下に降りていく。
「……お友達でも、何か剣崎君達とは雰囲気違うわね?」
「始さんもいつもと違う」
 少女はふてくされたように、自分達の近くのテーブルに腰掛け、突っ伏した。
 その様子に、この時間に来てから何度も感じていた「嫌な予感」が、今またハナの脳裏をかすめた。

「この間まで、俺はお前を封印する事はできなかった。だからあの時も、お前の前から逃げるしかなかった」
 アンデッドは基本的に、他のアンデッドを封印する事はできない。故に、かつてはあの黒い石板が、負けたアンデッドを封印していた。
 戦いに勝利しても、石板が現れなければ、獲物に逃げられてしまう事もままあった。
 唯一、例外として他のアンデッドの力をコピーして使役するジョーカーは、石板の力抜きで相手を封印出来た訳だが……
 今、金居は「切り札」を持っている。もはやジョーカーに恐れを抱く事はない。
 思いながら、足元に目を落とすと……そこには一葉の写真があった。
 反射的に落ちていたそれを拾い、眺めて……金居は皮肉気に口の端を歪める。
 そこに映っているのは、まだ天音の父が生きていた頃に撮ったのであろう、家族三人の笑顔。
「……ほう? これはあの雪山の時の……」
 ……天音の父、栗原晋一郎は、ギラファアンデッドとカリス……いや、カリスに扮したジョーカーとの戦いのとばっちりで死んだ。
 今、金居が手にしている写真はその際に始が栗原から託された物……今の彼にとって、非常に大切な物である。
 それを始が奪い返すと、金居は面白そうな顔で部屋の扉の前に立つ。
「お前がここに住み着いた理由がわかった。父親を殺したのは自分だと、教えてやらないのか?」
「貴様……」
 金居の言葉は、「相川始」の逆鱗に触れた。それが、戦いの始まりの合図であるかのように。

 少女が泣きながら、どこかに電話をかける。
「虎太郎! 始さんがいないの。連絡も取れなくなって……どうしよう、またいなくなっちゃったら……」
 先程、始の様子を見てくると言って下の階に降りたのだが、その時にはもういなくなっていたらしい。
 以前にも、彼はふらりと消えてしまった事があるのか、少女は電話の相手に縋る様に泣きついている。それでも電話口の相手が必死に宥めていたのか、徐々に少女は落ち着きを取り戻すと、まだ少し目に涙を溜めたままこくりと小さく頷き……
「……うん、信じてるからね。絶対だよ、虎太郎?」
 そう言って、静かに受話器を置いた。
 どうやら電話の相手が、彼を探す事を確約してくれたらしいが……それでも不安なのだろう。堪えきれなかった涙はぽろぽろと零れ落ち、切ったばかりの電話を凝視している。
「……涙はこれで拭いとき」
「え?」
 見かねたキンタロスが差し出した懐紙を見て、少女は驚いたように目を丸くした。
 少女だけでなくハナも、その突飛な行動にかなり驚いていたが。
「これ?」
「知らんか? 『懐紙』って言うてな、昔の人は、これをティッシュやハンカチの代わりに使うたんや」
「へぇ……ありがとうございます」
 にっこり笑い、少女がキンタロスの手から懐紙を受け取り、目元を拭う。
「ようやく笑うたなぁ。女の子は泣くより、笑うた方が絶対に良ぇ」
「ハンカチじゃなくて、懐紙って辺りが、あんたらしいわね」
 手元にあるオレンジジュースを飲みながら、ハナはにこやかに声をかけ、言われた方は「そうか?」と呟きながら少女の頭を優しく撫でる。
「……ふむ。では、そろそろ私達も行くか」
 空気を読めないのか、それともそもそも読む気がないのか。
 ほのぼのとした空気を怖し、コーヒーを飲み終わったジークが実にマイペースな調子でそう言葉を放つと、優雅な仕草で席を立った。
「行くって、どこによ」
「どこ? 愚問だよ、姫」
 ばさりと羽のマフラーを翻し、ジークはスタスタと店の外へと歩き出す。もはやこの場所に居る理由はないと、言いたげに。
「おい、ジー……軸! どこ行くんや!?」
「ちょっと軸! 金! ……あ、ご馳走様でした、おいしかったです。お代、ここに置いていきますから」
 慌てながらもハナはその場に代金を置き、さっさと店外に出て行ってしまうジークとキンタロスの後を追った。
 彼女達の後ろで、少女が面白そうにその様子を見ている事など、露程にも思わずに。

「お前は俺を封印する事はできない。俺を封印した時、お前の勝利が確定する。ジョーカーの勝利……それはバトルファイトのリセット。全ての生命の消滅を意味する。あの親子も消滅する。お前のせいで。ジョーカー。それがお前の宿命」
 木々の合間を縫いながら、カリスとギラファアンデッドが戦いを繰り広げていた。
 その中で淡々と言われ、カリスの動きが止まる。
 そこにすかさずギラファアンデッドは斬撃を繰り出す。
 慌てて反撃に出ようとするが、そのような暇を与えるギラファアンデッドではない。容赦なくカリスを痛めつけ、いにはこんな事まで言った。
「人間になど、愛情を持ったのが間違いだ」
 ……純粋に、戦う事のみ考えていた頃の「ジョーカー」なら、こんな事にはならなかった。
 カテゴリーキングと言えど、まともにぶつかって勝てる相手ではなかった。
 それが今や、この体たらく。心など持つから……人など愛するから、弱くなったのだ、と。
 声には出さず、心の内でのみギラファアンデッドがせせら笑った刹那。
「始を封印などさせない!」
 木々の間から現れた剣崎が、ギラファアンデッドの意識をカリスから離すかのように声をあげた。その後ろには、慄いたように腰が引けている虎太郎もいる。
 一瞬だけ沈黙が落ちる。だが、すぐにその沈黙も、ギラファアンデッドの哄笑によって破られた。
「ふ。ハハハ……ここにもいたなぁ。ジョーカーを庇い世界を滅ぼしてしまおうとする馬鹿者が」
「変身!」
 その笑いが不快だったのか、それとも単純に相手の気をこちらに反らす為の手段だったのか。掛け声と共に、剣崎はブレイドへと変身し、ギラファアンデッドに斬りかかる。
 しかしギラファアンデッドは、カテゴリーキングの名に相応しい、圧倒的な力でブレイドを遠くへ弾き飛ばすと、カリスの方に向き直り……一枚のカードを見せるようにして掲げた。
 ……天王路を殺してまで奪った、彼の「切り札」……ケルベロスのカードを。
「そのカードは!」
 驚きの声を上げるカリスに、フンと軽く鼻で笑うと、ギラファアンデッドは彼に向かってそのカードを投げた。
 ……ブレイド達がアンデッドを封印する時と同じように。
 だが、ケルベロスのカードがカリスに触れる直前、ブレイドが彼を庇うように立ち塞がり……
 こつん、とケルベロスのカードが当たった瞬間。
 ケルベロスの持つ特異な力が働いたのだろう。……ブレイドの変身が、解けた。
 強制的に解かれたせいか、剣崎が苦悶の表情を浮かべてその場に膝をつく。
「ケルベロスは他のアンデッドを吸収し、封印する能力を持つアンデッドだった。その力は生きている!」
 アンデッドが持つ特異な力は、カードに封印されても使える。
 ……ケルベロスの力があれば、自分自身に封印する力がなくとも他のアンデッドを封印できる。その為に、天王路を殺してこのカードを奪ったのだから。
「ジョーカー封印!」
 気を取り直し、再度カリスに……否、ジョーカーに向けてカードを投げようとしたその時。
 先程まで苦しんでいた剣崎が、ギラファアンデッドの動きを止めるかのように、その後ろから掴みかかり、その体を押さえつける。
「始、行け!」
 剣崎の気迫にその背を押されたのか、今まで見ているだけだった虎太郎も彼を手伝うべくギラファアンデッドの右腕にしがみついてその動きを鈍らせる。
 そして、どこか悔しげな表情をカリスに向け……
「君はヤな奴だけど、いなくなると天音ちゃんが悲しむからね。行けよ!」
 恐らく、白井虎太郎は相川始の事を、先の言の通り好ましく思っていない。それでも始を助けようとするのは、天音と言う自身の姪の泣き顔が見たくないからと……虎太郎自身の親友でもある剣崎が、助けようとしているからなのだろう。
 その複雑な想いを、ほんの僅かにではあるが理解して……カリスはくるりとギラファアンデッドに背を向け、その場から走り去る。
 どれだけ走ったのか。木々の合間を抜け、山道に辿り着いた所で……追ってくる気配がない事に安堵したのだろうか。始は意識を手放した。
 その中で思い出すのは、彼が今、最も大切に想う者……栗原天音の笑顔。
――天音ちゃん――
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