過去の希望、未来の遺産

【その9:にじり寄る悪意】

 「月の子」が動き出す。
 それは「皇帝に愛された子」と共にあるためか。
 それとも「彼の者」の思惑を遂行するためか……

 二〇〇七年一月二十八日。
 野上良太郎が、初めて電王に変身したその日。
 一人の男にイマジンが取り憑いた。
 同時に彼の体から大量の砂が零れ、その砂が徐々に形をとる。彼が、最も強く持つイメージの形に。
「お前の望みを言え。どんな望みも叶えてやる。お前の払う代償はたった一つ……」
「俺の、望み……」
 自分の眼前に現れたその砂の異形に臆する様子もなく、彼は小さく異形の言葉を繰り返す。
 しばらくの間、彼は目を閉じて考え込み……己の心にしまいこんだはずの「望み」を言の葉に乗せた。
「俺は……」
 そして。
 イマジンが実体化する。
 ……彼の望みを、叶えるために。

「……やりきれないわね」
 少し小降りになった雨の中、ハナがぽつんと呟く。
 殆ど流れてしまっているが、彼女の足元には天王路が流した血溜りがある。
「話した事はなかったし、一方的に私が嫌ってただけだけど……それでも……」
 眼鏡の男に、もっと注意するべきだった。
 彼が緑の戦士に手を貸した事を不審に思っていたにもかかわらず、自分達は何もしなかった。
 ……勿論、過去に干渉するのが良い事だとは思っていない。ましてそれが人の生死に関わる事なら、なおの事。
 だが、それでも……人が死ぬところは、見たくはなかった。
「俺らが飛び出て助けようとしても……多分、間に合わんかったと思うで」
 激しく落ち込んでいるハナの頭を撫でながら、キンタロスはいつも以上に低い声で言う。だが、その言葉はハナに向かって言っていると言うよりも、自分に言い聞かせているように聞こえて、彼……いや、彼らもまた、深い後悔に襲われているのだと気付かされた。
 ……彼らは今まで、覆りようのない「人の死」を、見た事がない。
 敵のイマジンは倒せば砂と化したし、過去で人が死んだとしても、人の記憶による修正が行われ、今の時間、つまり「死」などなかった時間に戻った。仮に修正されなくても、誰かが思い出してくれるまで時の中にいた。
 イマジンの首魁であったカイですら、「死んだ」のではなく「存在しなかった」事になって、この世界から「消えた」だけ。
 だが、天王路は違う。彼の死は決定されてしまった。
「死んじゃうのって……怖いね」
「……そうだな」
「僕、消えるのも怖かったけど……死んじゃうのは、もっと、怖い」
 言いながら、リュウタロスは自分の存在を確かめるかのように自身の体をきつく抱きしめる。
 相槌を打ったモモタロスも、どことなく暗い表情で立ちつくし……降りしきる涙雨の中、彼らはただ、流されていく死の痕跡を眺めていた。

 天王路が根城にしていた廃墟。元はBOARDの所有する隠し研究所だったらしいそこに、何かの痕跡を探す橘がいた。
 ケルベロスやティターン、そしてトライアルと言った「人造アンデッド」のデータを探し出し、悪用されぬよう消去する為に。
 どれくらいその作業をしていただろうか。ふと背後に人の気配を感じ、目の前の壊れたモニターを見やる。
 鏡のようになっているそれは、橘とその背後の人物……始を映し出していた。
「睦月は?」
「剣崎が病院に運んだ。軽い傷で済んだようだ」
「そうか」
 短い始の答えに、安堵したように橘は言う。
 橘が剣崎を友人として見ているなら、睦月の事は弟のようなものとして見ているのだろう。
 彼に戦い方を教えたのは橘だ。少なからず睦月を守りきれなかった事への責任を感じているのかも知れない。
 流された血は多く、それ故に深い傷だと思っていたのだが……どうやら「出血はするが酷くはない」場所を斬られただけだったらしい。それでも斬られた事には変わりないのだが、命に関わる様な物でなかっただけ良かったと思う。
 ふ、と短く溜息を漏らしてから視線を上げると……その先に、この場に不似合いな物を見つけた。
 破壊され、物理的損傷のない物など何一つ無さそうなこの荒れた施設の中で、悠然と……傷一つない状態で存在する「黒い石板」。
「……これも天王路が作ったのかな?」
 それに近付きつつ、不思議そうに言う橘。
 平板を真ん中辺りで九十度捻ったようなその形は、自然界で生み出された物とは思いがたい。
 見た目は趣味の悪いオブジェのようだが、あの男がただの飾りを、こんな室内の中央に置くとも思えない。何らかの意図があって、これを作り上げてここに置いた……そう考えての言葉だった。
 だが、その考えは直後に否定される。慄いたような、始の言葉で。
「これは! 統制者の声を伝える物だ」
 振り返れば、声だけでなく、その身に纏う雰囲気からもそれを警戒する彼の姿が見て取れる。
 いつも以上に見開かれた目から読み取れるのは、畏怖だろうか。
「統制者? それは何者だ!?」
「……これはかつて、封印の役を果たす物だった」
 橘の問いには答えず、始は石に関してのみ軽く説明する。
 始も、統制者について詳しい訳ではない。
 かつての……一万年前のバトルファイトにおいて、この石はバイパスの役割を果たしていた。
 統制者と呼ばれるそいつが、この石を通してバトルファイト勝敗を見守り、敗北した者には封印と言う枷をはめていく。
 統制者は「神」とも呼べる存在であり、勝利者に祝福を与える、と言う程度の認識しか持っていない。
 橘の問いに完璧に答えられるのは、いるかいないかも分らぬ統制者本人と、かつてバトルファイトに勝利した者……ヒューマンアンデッドくらいのものだろう。だが、彼らに答えを望む事ができないのは始が一番よく知っている。
「天王路はバトルファイトを起こし、統制者とコンタクトを取るつもりだったのか。自分が勝利した時、確実に目の前に現れるように」
 橘は忌々しげに呟きつつも、天王路の用意周到さには感心する。
 何手も先を読み、己の欲望の為に全てを利用した男。
 彼とて、彼なりの「平和」を望んでいたのだろう。しかしそれは他者にとっては平和とは言い難い物だった。だからこそ、自分達と戦う事になったのだろうと思う。
 それにしても……本当にこんな石板に、そこまでの……世界を作り変えたいと思う程の魅力があると言うのだろうか。
 思いながら、橘が「それ」に触れた瞬間。石板は眩い光を放ちその場から陽炎のような空気のゆらめきを残して消えた。
「どこに行った!?」
「……さあな。だが、やがてまた現れる」
「何?」
「近い将来、最後の一体となったアンデッドの前に」
「そのアンデッドの望む物を、与えるために……」
 暗い響きを含む橘の呟きに、始は小さく頷いた。

 「あの時」に俺……相川始が望んでいた物。
 それは、「平穏」だった。
 ジョーカーと言うアンデッドとしてではなく、相川始という人間として、この世界を生き抜きたいと、心の底から望んでいた。
 ……それなのに……何故、あんな結末になってしまったのだろう。
 出来る事ならやり直したい。
 あの日、あの時を。
 ……だが、それは叶わぬ事。誰も過去をやり直す事はできない。
 今、これを俺が望んで良いのかは分からない。
 だが、それを望んで良いのならば…………もう一度だけで良い。
 ……会いたい……

 病院から出てきたのは、頭に包帯を巻き、右腕を吊っている睦月と、その付き添いをしていた剣崎。
 始の言った通り、睦月のケガは軽い物だったようだ。
 カテゴリーキング相手にそれで済んだのは奇跡、としか言いようがない。
「……俺が甘かったんでしょうか?」
 ギラファアンデッドにやられたのがショックだったのか、睦月が悲しそうに剣崎に問いかける。それを神妙な面持ちで聞いていた剣崎は、小さく唸り……
「アンデッドが戦いを止めた時、最後に勝ち残る者はない。お前は正しいと思う。だけど……難しいよな、それ」
 最後に残った二体のアンデッド。
 一方は人として生きる事を望み、もう一方はヒトを滅ぼして己の理想とする世界を作ろうとしている。
 ……剣崎の知るアンデッドの中で、ヒトとの共存を望んだ者は本当に少ない。
 その少ないアンデッドが他にも残っていたなら、睦月の理想もきっと遂行できたのだろうが……ない物ねだりとでも言うべきか。少なくとも一方がヒトとの共存を拒んでいる以上、睦月の願いも空しいだけだ。
「……相川さんには、『甘い』って言われました」
「そうか。……でも、始はお前にそれ言われて、嬉しかったんじゃないのかな?」
 言われた言葉に、剣崎はまるで我が事のように嬉しげな顔で睦月に返す。
 何もかも信じきった……それでいて、向けられた方も信じたくなるような、笑顔。それを浮かべた剣崎は、やはり誰よりも強いと、睦月は改めて思う。
 そんな睦月の思いに気付いていないのか、剣崎は前を向いて言葉を続ける。
「あいつだって、本当は戦いたくない。そう思ってるはずだ」
「……剣崎さんは、どうしてジョーカー……相川さんを、そんな信じる事ができるんですか?」
「え? そうだな……。何でだろう……?」
 睦月に問われ、改めて考える。
 最初は敵だと思っていた。
 今は友だと思っている。
 そしてこれから先も、友であり続けたいと思う。
 ……親友を信じるのに、理由なんて要るだろうか……

 「あの日」、俺が……剣崎一真が本当に願った事は何だったんだろう。
 人類の平和のために戦うって言ってたけど、本当は違う事を望んでたんじゃないか。
 最近、そう思うようになってきた。
 ……あの時の俺の望みは、ひょっとしたら……
 俺には、ああする以外の方法は思いつかなかったんだ。選んだ結果、誰かが泣く事になるかもしれないと、頭の片隅では分っていても。
 ……だけど、許されるなら……たった一度だけで良い。
 俺は、始に、会いたい。

「ジョーカーが、キングを封印すれば、全てが滅びる……のか……?」
 始と別れ、自分の部屋に戻っていた橘は、誰にでもなく呟きを落とす。
 ここに来て、橘の思いは揺らいでいた。
 彼にとって「ジョーカー」とは、アンデッドの中でも特に危険な存在であり、勝ち残れば全てを滅ぼす者。そう聞いていたし、理論上ではその言い分は正しいからだ。
 ジョーカーは、何の始祖でもない。それはつまり「何も生まない」事に他ならない。
 だから、人が……世界が存続するためには、彼の者は封印すべきである事も、彼には良く分かっている。
 しかし、彼は知っている。
 今、彼の者はジョーカーとして生きていく事を拒んでいる事。
 そして人の中で、「相川始」と言う一個人として、充分に生きていく事ができる存在になりつつある事。
 始が言う所の「統制者」と呼ばれる存在は、最後に残った者の望みを叶える。
 それでは、統制者の叶える望みは「相川始」の物なのか。それとも……始の内に潜む「ジョーカー」の物なのか。
「俺は……」
 どうすれば良い?
 唇の動きだけで呟きを落とすが……その問いに返ってくるのは、沈黙と写真立ての中にのみ存在する笑顔だけであった……

 三年前の「あの日」の事を、今でもはっきりと思い出す。
 俺が……橘朔也と言う人間が、不甲斐ないばかりに、剣崎に全てを押し付けてしまった事。
 幾人もの人間が「あの日」の事を後悔している。
 だが、俺には後悔する資格はない。「あの時」に間に合わなかった、俺には。
 だから今、俺は俺の出来る精一杯をしている。
 それでも……俺は願わずにはいられない。
 ……俺の友が、心の底から笑えるように……

 恋人である望美の作った弁当をぱくつきながら、睦月は平穏な時間を過ごしていた。
 あまりにも久し振りすぎる「平穏」。以前は何の変化もない、単調な日々だと思っていたのに、仮面ライダーとして戦いに身を投じるようになってからはこの単調さが懐かしく、そして大切なのだと感じていた。
「あのさあ、ライダーになれる人間って、限られてるらしいんだ」
「ふぅん……」
「俺は、偶々たまたまなれる人間で、選ばれて、ライダーになって。……これって、運命って奴だよな」
「うん。そう思う」
「でも……選ばれただけじゃ、本当はライダーじゃないって、本物のライダーになりたいって思った。逃げ出しちゃいけないって。運命なら、負けちゃいけないって」
 かつて、自分は封印したはずのカテゴリーエース……蜘蛛の始祖、スパイダーアンデッドに心の闇を引き出されそれに囚われた。
 闇は「最強」に拘り、一人で勝つ事に執着し、仲間を……そして横に座る最愛の少女をも傷つけた。その結果背負ったのは、言葉ではとても表しきれない程の業。
 ……そこから救い出してくれたのは、二人の気高いアンデッドと、傷つけられてもひたむきに自分を信じ続けてくれている、望美だった。
 だからこそ、彼女の前では弱さを曝け出す事が出来るし、自分の考えている事を口に出す事ができる。
「でも……もうすぐライダーにならなくて良い時が来る。それって、運命に勝ったって事なのかな? それとも……」
 それすらも、運命の一部なのか。
 そう言いかけて、睦月はふと空を見上げた。
 声に出してしまったら……言葉にしてしまったら、それこそ運命に負けるような気がして。だから、言わない。
 言わなくても、きっと望美は分かっている。
「……その答えを見つけたいんだ」
 ごろりと寝そべり、見上げればそこには青い空。
 ……どこまでもいけそうな……青い、空。

 「あの戦い」から、もう三年も経った。
 俺の……上城睦月の就職活動だって、そろそろ佳境に入ってきている。
 ……多分、これが「平和」って事なんだろうけど……
 でも、あの日から、俺は何か物足りないような感覚に囚われている。
 戦いを望んでる訳じゃない。
 優しい時間のままでいい。
 ……でも、やっぱり俺……
 もう一度、ライダーだった四人全員が揃った状態で、過ごしたい……

「すみませんねぇ、呼び出してしまって」
 あまりすまなそうな感じもなく、オーナーはデンライナーへ帰還してきたハナ達へ開口一番そう声をかけた。
 ……ライスの真ん中に旗が刺さったカレーを食べながら。
「いいえ。それで、緊急の用って……?」
 緊急の用ができたので、一度デンライナーに戻ってきて欲しい、そう言った内容の電話を受けて、戻ってきた訳だが……呼び出した張本人であるオーナーがカレーと格闘しているせいか、あまりにも緊張感がない。
「一つ、頼まれて欲しい事が、あるんです」
「……おっさんが!?」
「僕達に!?」
「頼み事やて!?」
 初めての経験に、思わず後退りながらそれぞれに上ずった声をあげるモモ、ウラ、キンの三人。
 声には出していない物の、ハナも今の発言には驚きを隠せないらしく、パチパチと目を瞬かせて声の主を見つめていた。
「で? 何を頼まれれば良いのだ?」
「いえ、歴史が変わらないように人を一人、助けて頂ければ良いんです」
 やや半眼気味の目で問うたジークに、オーナーは視線も上げずにさらりと答えを返す。
 過去の時間へ干渉する事を良しとしない彼が、今回ばかりは関われと言う。しかも関わる事でこの時間が変化しないと言うのだから妙な話だ。
 桜井侑斗が一時いっとき消えた時ですら、彼はただ傍観し「桜井侑斗の存在しない時間」を平然と受け入れていたというのに。
「あの、トンネルの事と何か関係があるんですか?」
「当然、ありますよ。その人がいなかったら、この時間はあの……」
 ちらりとオーナーが視線を向けた先にあるのは、この数日でますますその口を広げた「西暦二〇〇五年のトンネル」。
 それは確実にこちら側へ侵食を進め、既に山の半分以上の大きさにまで穴を広げている。
「向こうに飲み込まれてしまうでしょうねえ。そしてそれは、あってはならない事です、絶対に……」
 口調はいつもと変わらないが、その声は間違いなく真剣その物。
 それほどまでに、トンネルに繋がるのは危険な事なのか。
「それで? 誰を助けたら良えんや?」
「それは……」
 オーナーが口にした名。それはモモタロス達にとって、ひどく意外なものだった。
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