「新太郎」
村に入った瞬間から、異様な空気が肌を刺した。
「人気が無い。しかし視線は感じる」
北原は周囲に気を配りながら、小さく言う。萩原が怯えて縮こまるので、すぐに遅れてしまい、泉が背中を支えていた。
「朔太郎さん、鈴を握りなさい。紅葉先生が、貴方の事もお守りくださいます」
「う、うん……。前に来た時は、こんなに針の筵のようなところじゃ、なかったのに……」
歩けど、歩けど、足音と、風の音しかしない。人の生活音や、聞こえていたはずの話し声が、一行が村に来てからぴたりと止んでいる。
「もうここは敵の陣地だってことだ。ようやく、この場所も本当の顔を見せてくれるらしいぜ」
石川も笑いはすれど、気は張り通しだった。もはやなつかしき故郷などではなく、気を抜けば急所を狙ってくる殺気の群れの中だ。今までに二度あった大きな戦いの、どちらよりも静かで、どちらよりも息苦しい。
「……店主は、襲ってくるでしょうか」
「さあな。だが村全体がこの調子なら……」
「襲ってきますか。もしかすると、村の方々も」
かもな、と答えながら、石川は前方を見る。間もなく桶屋に着く頃で、様子に変化がないかと思ったのだが、遠目におかしなところは、まだ起きていないようだ。
「最後に、石もて追はるる……を、体感する羽目になりそうだ」
桶屋の店主は店の中で仕事をしていた。片付けであるから、間もなく店じまいなのだろう。石川たちが近づくと手を止め、じろりと、先頭の石川を視界に入れると、「また来たか」と低く言った。訛りすら消え失せたのは、石川達が立てた仮説が正しいと勘づいての事か。
石川はそれには答えずに、封筒を裏返して見せた。差出人は消え、今やそこには、『はじめ』と書かれてある。
「お前の名だな」
「盗人か。人の手紙を勝手に」
「実際来たのが俺様たちみたいなので残念だったな。本当はどういう友達が来る予定だったんだ? 豊吉か? あいつはこの世界じゃ、どう暮らしてんのか教えてくれよ」
「豊吉? 立派にやっているよ……『お前はそうは書かなかったがな』」
店主の持っていた小刀が、青黒い炎を発し、上下に伸びて長大な刀となる。店主のたれ目がちな目は虹彩が逆転し、怒りに満ち、まだ自らの形すら変わり切らぬうちに、最前にいた石川へ斬りかかった。だが素早いのは石川、それと身構えていた萩原だ。二人の射撃は、まだ半分人である店主の両肩をそれぞれ撃ち抜いた。
『ガァアア!!』
「いきなり襲ってくるなんて狂犬かよ」
封筒を本と同じところに押し込んで、石川は続けざまに何発も、店主を撃った。流石に向こうも三発目まで受けてやるほど間抜けでもなく、店主は刀を振って弾を弾き、次のが来る前に跳び退って距離を取る。泉も石川と、北原は萩原と、背中合わせになり、武器を構えた。
「石川さん」
「村の奴らも来やがったか」
一瞥すれば、村中の人間たちが、着の身着のままに飛び出してきて、真っ直ぐにこちらへ向かってくる。誰も彼も殺気に満ち、走って来るうちに形が溶け崩れて、キィキィと喚く眷属に成り果てる。
「哀れな」
泉は迷わずに斬った。切り捨てられた洋墨瓶がキィと泣く。
『平和を破壊する侵入者は、皆で追い出さなきゃならねえ!!』
店主は衣服のところどころを解れさせて、髪もない頭を振りながら、高らかに全体へ向けて叫んだ。化け物と化した村民たちが鬨の声を上げ、続々とたった四人に襲い掛かってきた。
「こっちは任せたぜ」
「啄木!! くっ」
店主の方へ飛び出していった石川を北原も追おうとしたが、足元に羊がまとわりつくため、銃の掌底で殴りつけた。そこへバケツ持ちの眷属もぬらりと現れ、飛沫を飛ばして目くらましをする。
「小癪な」
頭を大きく傾けて飛沫を避けた北原はなるたけ早く、絶え間なく、撃ち続けるように努めた。萩原は手数が多い方でなく、泉もここまで連戦で、ほとんどずっと活躍し通しだ。まだ北原は、一旦退却して以降は撃った弾数も少ない。
「国民詩人としての矜持を、君たちに見せてあげよう」
眼前まで迫る、元村人たちへ、銃口を向けるのは心苦しかった。だからこそ、苦しまぬように。北原の弾は、一発として急所を外したものはなかった。
「朔太郎さん、石川さんの元へ!」
泉は射程範囲内に入ったものを全て一刀の内に斬り伏せながら、背後の萩原へ言った。
「ここは僕たちで、食い止めます!」
「でも!」
「紅葉先生の弟子として、貴方の戦友として! どうか、頼みましたよ!」
「っ……分かった!」
萩原はこくんと頷き、ともかく目の前の邪魔な眷属共を撃ち、出来た隙間をすり抜けて、石川の駆けて行った方へ向かった。見届けた泉は、ふ、と微笑み、北原と背をつける。
「北原さん。貴方の弟子は、本当に頼もしい方です」
「ふふ。そうだろう」
「ええ。僕も、負けてはいられません。いかがでしょう、すべてが終わった暁には、皆さんでお茶でもしませんか」
「いいね、是非同席させて欲しい。その時には、積もる話をいくらでもしたいものだね」
「そうですね。そのために」
侵蝕者によって書き換えられ、最早人の形さえ失わされた無辜の人々だ。彼等への手向けに、二人は武器を構えた。
「今はこの場を、切り抜けよう」
「チッ、すばしっこいやつ」
『アッハハハハハハハハハ!! 鈍い、鈍い!! おれでも勝てるぞ、これが貴様の実力か!!』
温厚そうな店主の口ぶりは完全に消え失せている。少し手傷を負わせたくらいで調子に乗り、大仰に長刀を振り回す様を見ていると、石川は一周回って哀れに思えて仕方が無かった。店主の動きもぎこちなく、無闇に振った長刀がしばしば地面に弧を描いたり、明らかに身の丈に合っていない。
「俺様も、こんなふうに見えてんのか? なあ、どうなんだよ」
『貴様、昔から嘘ばかりだったものなァ!! 誰も彼も、貴様の嘘に振り回された! 貴様は嘘をつくときは本当のつもりでいるが、実はその嘘を本当にしようなどと努力したことが無い!! これがインテリジェンスの末路だというならば、確かにおれは、学問など要らなかった!!』
切っ先が石川の首を指す。白い眼光が血走る。
『それを、貴様はァ……!!』
唸り声をあげて、長刀を槍の様に使い、石川に向かって突進する。その使い方に、石川はふと思い出す姿があり、噴き出した。
「……ああ、無駄じゃなかったな」
ドン。重い重い、銃声。
『グアアッ!!』
片手が吹き飛び、重い刀を取り落としかけ、店主がぐらりと揺らぐ。石川は見もしないが、
「萩原。あっちは良かったのかよ」
声だけ飛ばせば、返事が来る。
「泉さんと先生に、任されてきたんだ。自分もこっちで、戦うよ」
「そりゃいい。百人力だぜ」
「そうだといいけど、っ……!」
おぉ、おお、と呻いていた店主の様子が変わる。紅の空が乗り移ったような赤い気を纏い、身体をぶるぶると震わせると、身体中の筋肉が無理やり増強されたように見え、シルエットが巨大化する。吹き飛んだ手も、骨から生えるように伸びだし、
「新太は、化け物になってしまったんだ」
「だから、新太じゃねぇって! 来るぞ!」
もう先程の店主ではない。片手で軽々と振り上げた長刀を、大きく二人に向かって薙ぎ払う。威力が強く、もし当たればひとたまりもない。手数では石川の方が遥かに多いが、一発の威力は、石川よりも萩原の方が上だ。幸い敵も、石川の方に注力を置くらしい。
「オラオラそんなもんか! 作者サマの喉首はここだぜ、その身に余る刀で狙えるもんなら狙ってみやがれ、勝ち知らずの病弱坊主!!」
『アアァアァアア……!!!』
人のものとは聞こえぬ雄叫びを上げ、侵蝕者は石川の首を刈り取らんとして、片腕で刀を大きく振り、すばしっこく逃げる石川の先へ先へと足を踏んで、先回りをし、逃げ道を塞ぐ。隙と見たところへ下ろす刃は速さも増し、次第に掠める寸前で何とか避けるのが手一杯になる。
「ッと、あっぶねぇ!!」
石川は定期的に、侵蝕者と関係のない方向へも撃った。逃げる先を時折振り向き、刃に掬われかけた足を再び地につける時の爪先の方角を気にした。萩原はそれを遠目に見ながら、侵蝕者の隙を狙い続けたが、時折打っても隆々とした体躯に弾かれる。
「萩原ァ!! よぅく狙っとけ!! トドメは、お前に任せるからよ!!」
「ッ……」
石川の言葉の真意も、萩原にははっきりとは呑み込めない。だが、石川は先が見える目を持っている。それを萩原は、何千回と戦いを共にして、体で知っている。殊更、こういう大詰めの戦いで、あの夕陽を宿した金色の瞳は、強い光を宿すのだ。
石川はなおも、回避を主にし続けた。頻繁に銃を撃つが、やはり何発かに一発は、明後日の方角へ撃つ。刀が石川の頬を掠めて血を流した直後に撃った一発が、付近の壁か何かを傷つけた時に、侵蝕者はいよいよ嘲笑した。
『何処ヲ狙ッテイル!!』
「は。敵を狙ってるに決まってんだろ」
『クッ、ハハハハハ!! ソンナトコロニ幻覚デモ見エタカ、哀レナ奴メ!!』
石川の背が、木の壁にぶつかる。目の前に侵蝕者が立ち塞がり、右も左も行けなくなる。
『引導ヲ渡シテヤロウ!! 先ニ死ヌ者ハ幸福ダ!! オレノ幸セヲ奪イヤガッタ貴様ニコソ相応シイ!!』
銃を握る手を体の横に下げ、力を抜く。息を吐き、吸う間、視線は眼前の鬼と化した者へ――意識は、背後へ向けている。
『享受セヨ、石川啄木!!!』
切っ先が、石川の視界の中央へ、雷の如く降ってきた。
「何しただ、はじめ」
戸が開く。
「何ら騒がしい。盗人でも出たかね」
雷が、石川に届く寸前で止まる。そして震え出す。
『イ ツノ マニ』
「お前が調子に乗ってる間にだよ。お前はまんまと、俺様の掌の上で踊っちまったってわけだ」
そこは、桶屋の裏口。いつか、子どもであった頃の『店主』が、戦いを覗き見るために細く開けていた戸を大きく開けて、のそり、のそりと歩み出てくる、胡麻塩頭の老婆。背中を海老の如く曲げて、目をぎゅっと細めて、すぐ近くの鬼を見ようとした。
『ア、アぁ、』
母親の目の前で、鬼でいられる息子などいない。見る間に盛り上がった体は収縮し、両腕は弱々しく生っ白くなり、刀も取り落とす。いつしか鬼は店主に殆ど還りながら、泣きそうな顔で、
「来ちゃなんね、阿母! 賊だ、輩だ、盗人だ! 来ちゃなんね!」
人らしく叫んだ。老婆は目も耳も悪く、息子がただならぬ様子で胸倉をつかんでいる相手が何者なのかも、じっと見ようとする。それを店主は体で防ごうとし、
「萩原!!」
石川の声で、重い銃声が響く。萩原の銃は、弱々しく戻った店主の身体を、左の二の腕から胴体を貫通し、右の腕から抜け、奥の花を散らした。
「ぐああぁあっ……!!」
店主はもう立っていられない。石川の服に爪を立てながら、ずる、ずるとしゃがみこむ。体を横に貫通しては、唯の人間であれば内臓も傷つく重症だ。開いた穴から血が噴き出す。だが店主は倒れない。口からも血を吐きながら、なおも膝を擦りながら、石川と母親の間に塞がろうとする。
「お、っかぁ、見ちゃ、なんね、家にもどれ、いえ、に」
「何した、はじめ。転んだか。お前昔っからそうだでなぁ、おぉよし、よし……」
老婆が店主を擦ってやろうとする。石川は、唇を噛んで見ているつもりだったが、ふと老婆がぎくりと身を強張らせ、
「あいてッ……」
と膝に手を突いた。すると咄嗟に手が出る。
「無理なことをするな、……っ」
出した手で、老婆の手をとっている。肉がなく、骨がごつごつとして、指先は水仕事で裂けた傷が塞がった痕ばかりの、皺だらけの手だ。布を一枚手に取ったような、軽い手だ。
老婆の顔が、ゆっくりと石川を見る。
「「みるな」」
声は二人分が重なった。だが空しく、老婆の目は大きく見開かれ、濁った水晶の如き瞳に、金髪の青年の、後戻りのできない切羽詰まった表情が映る。
「『一』、でねが」
『其頃父は肺を病んで死んだ。間もなく、母は隣村の実家に帰つた。半年許りして、或事情の下に北海道に行つたとまで知つてゐるが、生きてゐるとも死んだとも、消息を受けた人もなければ、尋ねる的もない。』
だから、母親自体、ここにいるのが、おかしい存在だった。だが、石川に、このような意図があったわけではない。
ただ、店主が『自分と同じ名をしているのであれば』、母の姿を見た時に、ふっと力を失うかもしれない、と思ったまでのことだ。
ただそれだけだった。
「ごふっ」
重ねた手に、血の雫が落ちる。咳をした拍子にせり上がる、痰に混じった血だ。
「ゴホッ、ゴフッ、ウ、ウゥ、」
急激な変容だった。石川は、手から老婆の手が滑り落ちても、掴めずに立ち尽くした。足元に這いつくばり、自分を息子と同じ名前で呼んだ老婆が、悪性の咳に襲われて急に弱っていくのを、見下ろした。
「阿母ァッ!!」
店主が叫ぶ。その喉も内側から裂けて、店主もまた咳をする。その口の端から血が伝う。石川は、無意識に一歩、後退ろうとした。その足首を、きつく掴んだのは店主の手だ。
「おまえの、おまえのせいで、おまえのせいで……!!!」
「……ッ」
「おまえさえ、来なければ、おまえさえ、書かなければ!! おまえ、さえ、ッぐふっ、ぐ、ぅ」
蹴飛ばせば、簡単に振り払える手だった。だが、出来なかった。
「おまえ、さえ、」
「石川君」
ちりり、鳴る、鈴の音。石川は我に帰り振り返った。そちらへ向くために足が動き、手首が離れた。萩原はおずおずと近づいてきて、地面に倒れた二人と石川の表情を交互に見た。銃だけは、手に握ったまま。
「おわっ、たの……?」
「……あ、い、や……」
すると、遠くから、石川と萩原を呼ぶ、泉の声も聞こえてくる。足音が近づいてくる。どうやら戦いは区切りがついたようだ。仲間がまた集まる、それで僅かに心が緩んだのを、復讐の機会を伺う男が見逃すはずもない。
「オマエノセイデ!!!!」
男は、ろくに力も入らない筈の手で、刀を握り、口や腕や胴体から血を噴き出させながら、立ち上がろうとした。刀を支えにし、青白い顔で、よたよたとふらつきながら、石川の腹の辺りへ、切っ先を向けようとし、
「石川さん!」
「啄木!」
北原の銃と、泉の剣で、容易く吹き飛ばされた。
「――……」
石川は、目を見開いたまま、暫時瞬きも忘れていた。はじめと名づけられた男から飛び散った血の幾らかが、石川の頬や手や足にも引っかかった。頬についたものは、生温い。男はどうと倒れた。血を噴き出しすぎたのか、枯れて縮まり、枯れ枝のような、骨と皮ばかりになって動かなくなった。
「殺したね。はじめを」
足元に蹲る老婆が、明瞭に話した。俯いたままで、表情は読めない。淡々と、
「殺したね。一」
「……俺、は」
「なら、『お前が代わりにならなくちゃ、ならないよ』」
先程とった手を、今度は老婆が掴んできた。吐いた血に塗れた赤い手は、夕陽の紅に染まって一層赤。
『お前ガ、代ワリ ニ』
「……ッ」
『イクンダヨ ハジメ オマエハ ワタシノ ヒトツブダネ』
紅い、赤い、一面、アカイ。
石川の意識は、海に落とされて引きずり込まれるように、急速に闇の中へ落ち込んだ。洋墨で一面浸したような漆黒に、前後も左右も分からなくなって、途切れた。
「人気が無い。しかし視線は感じる」
北原は周囲に気を配りながら、小さく言う。萩原が怯えて縮こまるので、すぐに遅れてしまい、泉が背中を支えていた。
「朔太郎さん、鈴を握りなさい。紅葉先生が、貴方の事もお守りくださいます」
「う、うん……。前に来た時は、こんなに針の筵のようなところじゃ、なかったのに……」
歩けど、歩けど、足音と、風の音しかしない。人の生活音や、聞こえていたはずの話し声が、一行が村に来てからぴたりと止んでいる。
「もうここは敵の陣地だってことだ。ようやく、この場所も本当の顔を見せてくれるらしいぜ」
石川も笑いはすれど、気は張り通しだった。もはやなつかしき故郷などではなく、気を抜けば急所を狙ってくる殺気の群れの中だ。今までに二度あった大きな戦いの、どちらよりも静かで、どちらよりも息苦しい。
「……店主は、襲ってくるでしょうか」
「さあな。だが村全体がこの調子なら……」
「襲ってきますか。もしかすると、村の方々も」
かもな、と答えながら、石川は前方を見る。間もなく桶屋に着く頃で、様子に変化がないかと思ったのだが、遠目におかしなところは、まだ起きていないようだ。
「最後に、石もて追はるる……を、体感する羽目になりそうだ」
桶屋の店主は店の中で仕事をしていた。片付けであるから、間もなく店じまいなのだろう。石川たちが近づくと手を止め、じろりと、先頭の石川を視界に入れると、「また来たか」と低く言った。訛りすら消え失せたのは、石川達が立てた仮説が正しいと勘づいての事か。
石川はそれには答えずに、封筒を裏返して見せた。差出人は消え、今やそこには、『はじめ』と書かれてある。
「お前の名だな」
「盗人か。人の手紙を勝手に」
「実際来たのが俺様たちみたいなので残念だったな。本当はどういう友達が来る予定だったんだ? 豊吉か? あいつはこの世界じゃ、どう暮らしてんのか教えてくれよ」
「豊吉? 立派にやっているよ……『お前はそうは書かなかったがな』」
店主の持っていた小刀が、青黒い炎を発し、上下に伸びて長大な刀となる。店主のたれ目がちな目は虹彩が逆転し、怒りに満ち、まだ自らの形すら変わり切らぬうちに、最前にいた石川へ斬りかかった。だが素早いのは石川、それと身構えていた萩原だ。二人の射撃は、まだ半分人である店主の両肩をそれぞれ撃ち抜いた。
『ガァアア!!』
「いきなり襲ってくるなんて狂犬かよ」
封筒を本と同じところに押し込んで、石川は続けざまに何発も、店主を撃った。流石に向こうも三発目まで受けてやるほど間抜けでもなく、店主は刀を振って弾を弾き、次のが来る前に跳び退って距離を取る。泉も石川と、北原は萩原と、背中合わせになり、武器を構えた。
「石川さん」
「村の奴らも来やがったか」
一瞥すれば、村中の人間たちが、着の身着のままに飛び出してきて、真っ直ぐにこちらへ向かってくる。誰も彼も殺気に満ち、走って来るうちに形が溶け崩れて、キィキィと喚く眷属に成り果てる。
「哀れな」
泉は迷わずに斬った。切り捨てられた洋墨瓶がキィと泣く。
『平和を破壊する侵入者は、皆で追い出さなきゃならねえ!!』
店主は衣服のところどころを解れさせて、髪もない頭を振りながら、高らかに全体へ向けて叫んだ。化け物と化した村民たちが鬨の声を上げ、続々とたった四人に襲い掛かってきた。
「こっちは任せたぜ」
「啄木!! くっ」
店主の方へ飛び出していった石川を北原も追おうとしたが、足元に羊がまとわりつくため、銃の掌底で殴りつけた。そこへバケツ持ちの眷属もぬらりと現れ、飛沫を飛ばして目くらましをする。
「小癪な」
頭を大きく傾けて飛沫を避けた北原はなるたけ早く、絶え間なく、撃ち続けるように努めた。萩原は手数が多い方でなく、泉もここまで連戦で、ほとんどずっと活躍し通しだ。まだ北原は、一旦退却して以降は撃った弾数も少ない。
「国民詩人としての矜持を、君たちに見せてあげよう」
眼前まで迫る、元村人たちへ、銃口を向けるのは心苦しかった。だからこそ、苦しまぬように。北原の弾は、一発として急所を外したものはなかった。
「朔太郎さん、石川さんの元へ!」
泉は射程範囲内に入ったものを全て一刀の内に斬り伏せながら、背後の萩原へ言った。
「ここは僕たちで、食い止めます!」
「でも!」
「紅葉先生の弟子として、貴方の戦友として! どうか、頼みましたよ!」
「っ……分かった!」
萩原はこくんと頷き、ともかく目の前の邪魔な眷属共を撃ち、出来た隙間をすり抜けて、石川の駆けて行った方へ向かった。見届けた泉は、ふ、と微笑み、北原と背をつける。
「北原さん。貴方の弟子は、本当に頼もしい方です」
「ふふ。そうだろう」
「ええ。僕も、負けてはいられません。いかがでしょう、すべてが終わった暁には、皆さんでお茶でもしませんか」
「いいね、是非同席させて欲しい。その時には、積もる話をいくらでもしたいものだね」
「そうですね。そのために」
侵蝕者によって書き換えられ、最早人の形さえ失わされた無辜の人々だ。彼等への手向けに、二人は武器を構えた。
「今はこの場を、切り抜けよう」
「チッ、すばしっこいやつ」
『アッハハハハハハハハハ!! 鈍い、鈍い!! おれでも勝てるぞ、これが貴様の実力か!!』
温厚そうな店主の口ぶりは完全に消え失せている。少し手傷を負わせたくらいで調子に乗り、大仰に長刀を振り回す様を見ていると、石川は一周回って哀れに思えて仕方が無かった。店主の動きもぎこちなく、無闇に振った長刀がしばしば地面に弧を描いたり、明らかに身の丈に合っていない。
「俺様も、こんなふうに見えてんのか? なあ、どうなんだよ」
『貴様、昔から嘘ばかりだったものなァ!! 誰も彼も、貴様の嘘に振り回された! 貴様は嘘をつくときは本当のつもりでいるが、実はその嘘を本当にしようなどと努力したことが無い!! これがインテリジェンスの末路だというならば、確かにおれは、学問など要らなかった!!』
切っ先が石川の首を指す。白い眼光が血走る。
『それを、貴様はァ……!!』
唸り声をあげて、長刀を槍の様に使い、石川に向かって突進する。その使い方に、石川はふと思い出す姿があり、噴き出した。
「……ああ、無駄じゃなかったな」
ドン。重い重い、銃声。
『グアアッ!!』
片手が吹き飛び、重い刀を取り落としかけ、店主がぐらりと揺らぐ。石川は見もしないが、
「萩原。あっちは良かったのかよ」
声だけ飛ばせば、返事が来る。
「泉さんと先生に、任されてきたんだ。自分もこっちで、戦うよ」
「そりゃいい。百人力だぜ」
「そうだといいけど、っ……!」
おぉ、おお、と呻いていた店主の様子が変わる。紅の空が乗り移ったような赤い気を纏い、身体をぶるぶると震わせると、身体中の筋肉が無理やり増強されたように見え、シルエットが巨大化する。吹き飛んだ手も、骨から生えるように伸びだし、
「新太は、化け物になってしまったんだ」
「だから、新太じゃねぇって! 来るぞ!」
もう先程の店主ではない。片手で軽々と振り上げた長刀を、大きく二人に向かって薙ぎ払う。威力が強く、もし当たればひとたまりもない。手数では石川の方が遥かに多いが、一発の威力は、石川よりも萩原の方が上だ。幸い敵も、石川の方に注力を置くらしい。
「オラオラそんなもんか! 作者サマの喉首はここだぜ、その身に余る刀で狙えるもんなら狙ってみやがれ、勝ち知らずの病弱坊主!!」
『アアァアァアア……!!!』
人のものとは聞こえぬ雄叫びを上げ、侵蝕者は石川の首を刈り取らんとして、片腕で刀を大きく振り、すばしっこく逃げる石川の先へ先へと足を踏んで、先回りをし、逃げ道を塞ぐ。隙と見たところへ下ろす刃は速さも増し、次第に掠める寸前で何とか避けるのが手一杯になる。
「ッと、あっぶねぇ!!」
石川は定期的に、侵蝕者と関係のない方向へも撃った。逃げる先を時折振り向き、刃に掬われかけた足を再び地につける時の爪先の方角を気にした。萩原はそれを遠目に見ながら、侵蝕者の隙を狙い続けたが、時折打っても隆々とした体躯に弾かれる。
「萩原ァ!! よぅく狙っとけ!! トドメは、お前に任せるからよ!!」
「ッ……」
石川の言葉の真意も、萩原にははっきりとは呑み込めない。だが、石川は先が見える目を持っている。それを萩原は、何千回と戦いを共にして、体で知っている。殊更、こういう大詰めの戦いで、あの夕陽を宿した金色の瞳は、強い光を宿すのだ。
石川はなおも、回避を主にし続けた。頻繁に銃を撃つが、やはり何発かに一発は、明後日の方角へ撃つ。刀が石川の頬を掠めて血を流した直後に撃った一発が、付近の壁か何かを傷つけた時に、侵蝕者はいよいよ嘲笑した。
『何処ヲ狙ッテイル!!』
「は。敵を狙ってるに決まってんだろ」
『クッ、ハハハハハ!! ソンナトコロニ幻覚デモ見エタカ、哀レナ奴メ!!』
石川の背が、木の壁にぶつかる。目の前に侵蝕者が立ち塞がり、右も左も行けなくなる。
『引導ヲ渡シテヤロウ!! 先ニ死ヌ者ハ幸福ダ!! オレノ幸セヲ奪イヤガッタ貴様ニコソ相応シイ!!』
銃を握る手を体の横に下げ、力を抜く。息を吐き、吸う間、視線は眼前の鬼と化した者へ――意識は、背後へ向けている。
『享受セヨ、石川啄木!!!』
切っ先が、石川の視界の中央へ、雷の如く降ってきた。
「何しただ、はじめ」
戸が開く。
「何ら騒がしい。盗人でも出たかね」
雷が、石川に届く寸前で止まる。そして震え出す。
『イ ツノ マニ』
「お前が調子に乗ってる間にだよ。お前はまんまと、俺様の掌の上で踊っちまったってわけだ」
そこは、桶屋の裏口。いつか、子どもであった頃の『店主』が、戦いを覗き見るために細く開けていた戸を大きく開けて、のそり、のそりと歩み出てくる、胡麻塩頭の老婆。背中を海老の如く曲げて、目をぎゅっと細めて、すぐ近くの鬼を見ようとした。
『ア、アぁ、』
母親の目の前で、鬼でいられる息子などいない。見る間に盛り上がった体は収縮し、両腕は弱々しく生っ白くなり、刀も取り落とす。いつしか鬼は店主に殆ど還りながら、泣きそうな顔で、
「来ちゃなんね、阿母! 賊だ、輩だ、盗人だ! 来ちゃなんね!」
人らしく叫んだ。老婆は目も耳も悪く、息子がただならぬ様子で胸倉をつかんでいる相手が何者なのかも、じっと見ようとする。それを店主は体で防ごうとし、
「萩原!!」
石川の声で、重い銃声が響く。萩原の銃は、弱々しく戻った店主の身体を、左の二の腕から胴体を貫通し、右の腕から抜け、奥の花を散らした。
「ぐああぁあっ……!!」
店主はもう立っていられない。石川の服に爪を立てながら、ずる、ずるとしゃがみこむ。体を横に貫通しては、唯の人間であれば内臓も傷つく重症だ。開いた穴から血が噴き出す。だが店主は倒れない。口からも血を吐きながら、なおも膝を擦りながら、石川と母親の間に塞がろうとする。
「お、っかぁ、見ちゃ、なんね、家にもどれ、いえ、に」
「何した、はじめ。転んだか。お前昔っからそうだでなぁ、おぉよし、よし……」
老婆が店主を擦ってやろうとする。石川は、唇を噛んで見ているつもりだったが、ふと老婆がぎくりと身を強張らせ、
「あいてッ……」
と膝に手を突いた。すると咄嗟に手が出る。
「無理なことをするな、……っ」
出した手で、老婆の手をとっている。肉がなく、骨がごつごつとして、指先は水仕事で裂けた傷が塞がった痕ばかりの、皺だらけの手だ。布を一枚手に取ったような、軽い手だ。
老婆の顔が、ゆっくりと石川を見る。
「「みるな」」
声は二人分が重なった。だが空しく、老婆の目は大きく見開かれ、濁った水晶の如き瞳に、金髪の青年の、後戻りのできない切羽詰まった表情が映る。
「『一』、でねが」
『其頃父は肺を病んで死んだ。間もなく、母は隣村の実家に帰つた。半年許りして、或事情の下に北海道に行つたとまで知つてゐるが、生きてゐるとも死んだとも、消息を受けた人もなければ、尋ねる的もない。』
だから、母親自体、ここにいるのが、おかしい存在だった。だが、石川に、このような意図があったわけではない。
ただ、店主が『自分と同じ名をしているのであれば』、母の姿を見た時に、ふっと力を失うかもしれない、と思ったまでのことだ。
ただそれだけだった。
「ごふっ」
重ねた手に、血の雫が落ちる。咳をした拍子にせり上がる、痰に混じった血だ。
「ゴホッ、ゴフッ、ウ、ウゥ、」
急激な変容だった。石川は、手から老婆の手が滑り落ちても、掴めずに立ち尽くした。足元に這いつくばり、自分を息子と同じ名前で呼んだ老婆が、悪性の咳に襲われて急に弱っていくのを、見下ろした。
「阿母ァッ!!」
店主が叫ぶ。その喉も内側から裂けて、店主もまた咳をする。その口の端から血が伝う。石川は、無意識に一歩、後退ろうとした。その足首を、きつく掴んだのは店主の手だ。
「おまえの、おまえのせいで、おまえのせいで……!!!」
「……ッ」
「おまえさえ、来なければ、おまえさえ、書かなければ!! おまえ、さえ、ッぐふっ、ぐ、ぅ」
蹴飛ばせば、簡単に振り払える手だった。だが、出来なかった。
「おまえ、さえ、」
「石川君」
ちりり、鳴る、鈴の音。石川は我に帰り振り返った。そちらへ向くために足が動き、手首が離れた。萩原はおずおずと近づいてきて、地面に倒れた二人と石川の表情を交互に見た。銃だけは、手に握ったまま。
「おわっ、たの……?」
「……あ、い、や……」
すると、遠くから、石川と萩原を呼ぶ、泉の声も聞こえてくる。足音が近づいてくる。どうやら戦いは区切りがついたようだ。仲間がまた集まる、それで僅かに心が緩んだのを、復讐の機会を伺う男が見逃すはずもない。
「オマエノセイデ!!!!」
男は、ろくに力も入らない筈の手で、刀を握り、口や腕や胴体から血を噴き出させながら、立ち上がろうとした。刀を支えにし、青白い顔で、よたよたとふらつきながら、石川の腹の辺りへ、切っ先を向けようとし、
「石川さん!」
「啄木!」
北原の銃と、泉の剣で、容易く吹き飛ばされた。
「――……」
石川は、目を見開いたまま、暫時瞬きも忘れていた。はじめと名づけられた男から飛び散った血の幾らかが、石川の頬や手や足にも引っかかった。頬についたものは、生温い。男はどうと倒れた。血を噴き出しすぎたのか、枯れて縮まり、枯れ枝のような、骨と皮ばかりになって動かなくなった。
「殺したね。はじめを」
足元に蹲る老婆が、明瞭に話した。俯いたままで、表情は読めない。淡々と、
「殺したね。一」
「……俺、は」
「なら、『お前が代わりにならなくちゃ、ならないよ』」
先程とった手を、今度は老婆が掴んできた。吐いた血に塗れた赤い手は、夕陽の紅に染まって一層赤。
『お前ガ、代ワリ ニ』
「……ッ」
『イクンダヨ ハジメ オマエハ ワタシノ ヒトツブダネ』
紅い、赤い、一面、アカイ。
石川の意識は、海に落とされて引きずり込まれるように、急速に闇の中へ落ち込んだ。洋墨で一面浸したような漆黒に、前後も左右も分からなくなって、途切れた。
