四話 微笑む郷愁






なぜだろうか。
──もう一人の自分の記憶を有しているような心地がずっとしている。


「もう三匹捕まえたら帰ろうか」


父はいつも通りの笑顔で言った。見慣れているいつもの光景。夕陽が遠くの山かげに隠れそうだった。


「どこに帰るの」

「どこって、家に決まっているだろう」


そうだよね、と水面を視た。ずっと透き通っていて綺麗だった。
反射した自分の顔が、とても憎らしいほどしあわせそうだった。

違う、のに。


「咲希と母さんが待ってるからなぁ」


違う。違うのだ。


(妹がそこにいる?)


そちらにいるのは……。




「どうしたんだ、心陽」




荒い呼吸をしているのが自分でも分かる。肩はゆっくりと上下に動いていた。
銛の刃の先端を、己の父親の首元に充てがうほど接近させたのだ。

細かに震えるそれと顔を交互に見る。


「────……貴方は誰だ」


喉から無理やり出したしゃがれた唸り声を発する。ひどく息がしづらい。


「誰だ、誰なんです。貴方は……」





「俺はおまえの父さんだよ」





────ああ、まっすぐとした、屈託のない笑顔で。ありきたりな人間の、やさしさで。

どこまでも、愛情のこもった眼差しで。心に染み入るような、落ち着く声で。





「心陽。」


たとえ娘がいきものを殺せる道具を持っていたとしても、父は否定しない。

それが、自分を死に至らせた道具だとしても。
そう、心陽が手にしていたものは既に銛ではなかったのだ。




────ああ、そうか。





「……ごめん。」




こんなにも、単純で子供じみたものだったなんて。




「私、ここから出ないと」


うんともすんとも父は言わなかった。それが、少し寂しくて。
……苦しくて。

でも、視界は霞がかかったように見づらいのだ。このとき、父の表情は何も分からなかった。知りたくなかった。


「ごめんなさい。」


肩からだらんとし、力なくそれを地面に置いた。はじめて足元の土が湿っているのが分かった。唇は痙攣しているかのように刻む。喉は既に渇ききっている。


「父さん母さん」



「ずっと元気でいてね。」




なんて、できすぎた作り話なのだろう。
皮肉なほど、綺麗な作り話なのだろう。




「辛くなったら、いつでも戻っておいで。」


(今すぐうちに帰りたいよ。つらいよ。つらい、私ずっとつらいんだよ父さん)


「母さんと二人で待っているから。」


(ずるいよ。私だって、一生母さんのおいしい手料理食べていたかったよ。)


「心陽……」


日輪刀を握りしめ、重たい足を動かす。鉛の靴底で泥沼を歩かされているような気さえした。


(今振り返ったら、しあわせな毎日が続くのかな)


振り返っては、駄目だ。父は間違いなく、鬼になって頸を撥ねられた。母は、自分が見ていない間に鬼に喰われて死んだ!


声にならない発狂をし、脳内を支配する絶望感と懐古感を掻き消して走った。

今はただ、こんな自分に色を与えてくれたあのひとに会いたかった。
もう一度、あの夜のように救われたかったのだ。







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