序章





「早く外へ出なさい!!」
父が言った。







寝静まっている頃であった。
こんなに脆くも日常が壊れるとは誰も思ってもいなかった。

父の言いつけどおり外へ出ようともたもたしていた。


「ヒヒヒヒ…見つけたぜェ、ガキどもォ!!!!」


人間でない、ソレは私たちを見るなりそう叫んだ。
ソレは父を鋭い爪で切り裂く。父は今まで聞いたこともない叫びをあげて伏せた。

ドクドクと赤黒い血が、床を這う。

何が起きたのか全く理解ができない。




「な、なに、どうしたの?怖いよぅ、怖いよぅ!!」


妹が必死に縋り付いてくる。今にも泣きそうな瞳をしていた。
真紅の瞳がひどく淀んで、苦しそうに見えた。


「2人まとめて喰い散らかしてやるよォ!!キャーハハハ!!」


2人で死を覚悟した。妹を抱き寄せる。
息を呑み、目を閉じる。


















一瞬。















知らない人の声が聞こえた。
「炎の呼吸」と確かに聞こえた。




燃え盛るような橙色の頭髪。
毛先が真紅になっていて。















─────私は、初めて夜に太陽を見た。










(命拾いした、のか……?)


「お、お父さぁん!!」

「ア゛、ァ……?、ぐ、ァ゛…………!!!」

「ひッ……!?」


普段とは違う父の声。爪なんかは鋭く、猫のようである。見た目も普段と比べ一回り大きい気がする。
どう考えても通常の父親ではなかった。だが、一歩ずつ歩み寄る。


「近付くな!彼は鬼だぞ!!」


鬼、おに、オニ……?


「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!」

「やだ、やだ、どうしたの、お父さんっ…!!!」

「咲希ッ………!」

















─────刹那。
















「え」








ごと。
重たい音がした。
聞いたこともない音がした。



「おとう、……さん……?」


床が真っ赤になっている。
苺の液体が床中に広がったかのように、あかく染められている。


「もう鬼はいない!安心しろ。」

「お父さんは……?」


数秒間の沈黙を男の人がやぶる。


「君の父親は鬼になっていた。故に、」

「私の父さんは鬼なんかじゃない!!!」


男の人は怪訝な表情で私を見る。太陽の如く燃える瞳が微かに冷えていた。
きっと、穏やかな人なのだろうけれど今の私にはそう見えた。負けじと私も睨み返してやった。


「確かに、あのときは私達を襲おうとしていたかもしれない!だけど、だけど……。鬼なんて御伽噺じゃないか!!この世には、鬼なんていない!!それに、父さんに失礼だ!」

「鬼は人を喰う生き物だぞ。」

「〜ッ!なんなんだ、さっきから!!鬼なんていないと言っているじゃないか!」

「君達の母親が鬼に喰われたと言っても?」

「嘘だ!!私の母さんは死んでなんかいない!!」






……


………



「おかあ、さん…。なんで、なんで?
なんでこんな血まみれなの?」


ぼろぼろと涙を流して妹は呟いた。
惨たらしくも、私の母は腕を折られ、両脚をぐちゃぐちゃに圧し折られていた。しかも、頭と首は離れ、内臓が所々露出していて、見るに堪えない姿となり果てていた。


「嘘だ、鬼なんて、鬼なんて…」


いるはずがない、と言い出せなかった。こんなものを目の当たりにして言えるはずがなかった。ただ、黙って俯く。


ふと思った。それはあまりにも傲慢で自己防衛に過ぎないものだった。


「もっと早く来てくれれば、咲希に、妹にこんな思いをさせることなんて無かったのに…!!こんなことならいっそ、いっそ……私」

「無くなってもいい命なんて無い。」

「は……」

「それに御両親の遺した大切なものを棒に振る考えをするな。君達が生きていることが彼らにとっての幸せではないのか?」


改めて考えると、自分の考えが自分勝手だったことに気が付いた。浅はかな考えだった。……悔しくて悔しくて、だが受け止めるしかなかった。

頭を下げる。顔色が見えないように深々と。瞼がじんわりと熱い。
乾いた唇で、渇ききった喉で掠れた声を捻り出す。


「……助けて下さりありがとうございました。」


男の人はにっこりと笑ってみせた。いつの間にか水無月の日差しのように情熱を持った瞳に戻っていた。


「柱として当然のことをしたまでだ!」


「当然」だと言った。人を救うことが、「当然」だと。
それは並大抵の人間が言えることではない。私は悟ったのだ。真に強いのはこの人であり、私が為るべき人格者だ、と。




「─────あの。」

「どうした!」

「貴方みたいに強くなりたいです。」







妹を守るために。
これ以上の悲しみをさせないために。

こんなことが、こんなかなしいことが二度と誰にも訪れないように。







「私、強くなりたいんです。」








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