大典太光世は主が小鳥になるのを阻止したい。
名状しがたい冒涜的な粥の一件以降、かの古鳥は己に蹴爪があるという事実を隠すことをやめた。大典太の目があるところでも審神者に囀りを聞かせ彼女の情を願った。これは取りも直さず大典太への挑発を兼ねる。
加賀前田の破魔の刀よ何する物ぞ、とめられるものならばとめてみるといい。
大典太の暗く赤い眼が警戒を強めて山鳥毛を睨んでいるのに気づかないふりをして、彼は熱心に審神者を愛でようとする。
しかしふと、山鳥毛が大典太に視線を僅かに呉れて寄越す瞬間がある。寸前まで審神者への求愛で甘く熱くとろけていた柘榴の眼を、嘲弄と軽侮で軽く歪め、口の端をかすかに上げる。大典太はぎゅうと拳を握って唇を固く固く引き結ぶ。
古鳥がこんな目線を寄越した夜は、必ず審神者は熱を出す。
夜闇。
大典太光世は戦装束にて審神者の寝所に侍る。その本性、魔を滅ぼし邪を払い、病悪を斬り捨てよと願い祈られた宝刀を審神者の枕元に献じる。跪坐。床についた審神者は発熱に苦しみ悪寒に震えていた。額に浮いた脂汗を拭ってやりたいが今はならぬ。大典太は座したまま、暗中の一点を睨んでいる。
ひとひら。白金。綿毛ふる。床に落ちる前に消えたまぼろし。
――――来た。
大典太は血の色の眼を見開き、身構える。審神者の枕元には小さな灯りが置かれている。ゆえに室内は無光ではない。しかし光は闇をより深くする。光届かぬ先で闇がとぐろを巻いていた。そのとぐろから、古鳥はやってくる。
はらり、ほろり。白金の綿羽が降る。さながら牡丹雪。はじめは深き闇より。次第に光を恐れず、審神者の褥へ。白金がやわらかに降り、散り、審神者へ、審神者へ、近づいてくる。眠っている審神者が熱に呻いて声を上げた。
――――小鳥、小鳥、私の小鳥。こちらへおいで。こちらへ来なさい。
音なき声に呼応するように、審神者の寝顔は苦痛に歪んだ。さらに熱が上がっているようだ。熱に赤らんだ肌が痛ましい。
白金の綿羽はどんどん降り、どんどん審神者に近づいてくる。そしてひとひらの羽が審神者に降りかかろうとしたとき、やっと大典太は動いた。手で大きく払う。祓い落とす。祓われたところから歪みが生じて、綿羽は消える。しかし歪みから延び来るものがある。やはり白金。だが秋水と見紛うほどに長く鋭い。
白金に禍々しい緋色が線を描く十三節。
長々しい尾羽根だ。欲深き古鳥の尾羽根。尾羽根はしゅるり、しゅるりと、這うように審神者に迫りくる。這いよるほどに尾羽根は歪みから伸びて長々しさを増していく。おぞましさはさながら毒蛇。古鳥はその尾羽根で審神者の魂を縛り上げて我が物にしようと、繰り返し繰り返し狙い続けてきた。今夜も大典太の破邪の霊力を恐れもせずに尾を延ばす。
――――私の小鳥。
尾羽根が間合いに寄った瞬間を逃さない。
刹那、大典太は腕を伸ばして審神者の枕元から本体を取り、抜刀し一閃する。強烈な、しかし清冽な霊力が迸った。場が強制的に清められる。審神者に害為すものを滅ぼす力。大典太が審神者をひととして在るままに守るための力。
「寝言は寝て言えといったろう。主はあんたの小鳥じゃない」
退けるべき――彼にとっての――魔を前に、大典太は静かながら毅然として言い放つ。
「去れ、禍鳥。ここにあんたの贄はない」
いるのはただ、大典太を蔵から出した女だけだ。その女は、古鳥の欲のために苦しみ喘いで悪夢の中にいる。大典太の暗い目が益々苛烈に鋭利さを増していく。
「去れ」
大典太の手には名高きその本体、三池典太の手になる退魔の刃が低く唸りを上げていた。
しばしの空白。
……やがて、小さく、くすくすと嘲笑う声がして、室の全面に嵐のごとく白金の綿羽が舞った数秒、室からは羽の気配は消えていた。どこにも尾羽根も綿羽もない。大典太はそっと溜息をついて納刀する。
(遊ばれている)
不快な疲労感を覚えつつも本体を審神者の枕元に戻す。音は立てなかったはずだが、気配の動きにか、審神者がうっすらと目を開けた。苦しんだのだろう、目は熱でとけている。
「大典太」
「……寝ていろ。朝は遠い」
水で冷やした巾で額の汗と熱にうかされた涙を拭ってやると、審神者はほっとしたように小さく頷いて、すぐにまた眠りへ帰っていった。……かなり消耗させられているはずだから、今の審神者には眠りが何よりの薬になる。審神者の寝息が苦しげでないことを確かめながら、どうか審神者の今夜の残りが平穏にすぎるようにと願い、大典太は血色――審神者は、いのちいろ、とこの色を愛でる――の眼を静かに、静かに、慈しんで伏せた。
寝ずの番は続く。すべては彼女を小鳥にせぬため、ひととして生きひととして死なせるため、それこそ彼女のためと信じて、大典太光世は破魔の刃を審神者の枕に献じ続ける。
夜が明けたなら、何食わぬ顔で古鳥がやってくる。その古鳥が献じる名状しがたい冒涜的な食物を祓ってやらねばなるまい。そこまで終えてやっと、審神者が熱を出したときの大典太光世のしごとは果てるのである。
加賀前田の破魔の刀よ何する物ぞ、とめられるものならばとめてみるといい。
大典太の暗く赤い眼が警戒を強めて山鳥毛を睨んでいるのに気づかないふりをして、彼は熱心に審神者を愛でようとする。
しかしふと、山鳥毛が大典太に視線を僅かに呉れて寄越す瞬間がある。寸前まで審神者への求愛で甘く熱くとろけていた柘榴の眼を、嘲弄と軽侮で軽く歪め、口の端をかすかに上げる。大典太はぎゅうと拳を握って唇を固く固く引き結ぶ。
古鳥がこんな目線を寄越した夜は、必ず審神者は熱を出す。
夜闇。
大典太光世は戦装束にて審神者の寝所に侍る。その本性、魔を滅ぼし邪を払い、病悪を斬り捨てよと願い祈られた宝刀を審神者の枕元に献じる。跪坐。床についた審神者は発熱に苦しみ悪寒に震えていた。額に浮いた脂汗を拭ってやりたいが今はならぬ。大典太は座したまま、暗中の一点を睨んでいる。
ひとひら。白金。綿毛ふる。床に落ちる前に消えたまぼろし。
――――来た。
大典太は血の色の眼を見開き、身構える。審神者の枕元には小さな灯りが置かれている。ゆえに室内は無光ではない。しかし光は闇をより深くする。光届かぬ先で闇がとぐろを巻いていた。そのとぐろから、古鳥はやってくる。
はらり、ほろり。白金の綿羽が降る。さながら牡丹雪。はじめは深き闇より。次第に光を恐れず、審神者の褥へ。白金がやわらかに降り、散り、審神者へ、審神者へ、近づいてくる。眠っている審神者が熱に呻いて声を上げた。
――――小鳥、小鳥、私の小鳥。こちらへおいで。こちらへ来なさい。
音なき声に呼応するように、審神者の寝顔は苦痛に歪んだ。さらに熱が上がっているようだ。熱に赤らんだ肌が痛ましい。
白金の綿羽はどんどん降り、どんどん審神者に近づいてくる。そしてひとひらの羽が審神者に降りかかろうとしたとき、やっと大典太は動いた。手で大きく払う。祓い落とす。祓われたところから歪みが生じて、綿羽は消える。しかし歪みから延び来るものがある。やはり白金。だが秋水と見紛うほどに長く鋭い。
白金に禍々しい緋色が線を描く十三節。
長々しい尾羽根だ。欲深き古鳥の尾羽根。尾羽根はしゅるり、しゅるりと、這うように審神者に迫りくる。這いよるほどに尾羽根は歪みから伸びて長々しさを増していく。おぞましさはさながら毒蛇。古鳥はその尾羽根で審神者の魂を縛り上げて我が物にしようと、繰り返し繰り返し狙い続けてきた。今夜も大典太の破邪の霊力を恐れもせずに尾を延ばす。
――――私の小鳥。
尾羽根が間合いに寄った瞬間を逃さない。
刹那、大典太は腕を伸ばして審神者の枕元から本体を取り、抜刀し一閃する。強烈な、しかし清冽な霊力が迸った。場が強制的に清められる。審神者に害為すものを滅ぼす力。大典太が審神者をひととして在るままに守るための力。
「寝言は寝て言えといったろう。主はあんたの小鳥じゃない」
退けるべき――彼にとっての――魔を前に、大典太は静かながら毅然として言い放つ。
「去れ、禍鳥。ここにあんたの贄はない」
いるのはただ、大典太を蔵から出した女だけだ。その女は、古鳥の欲のために苦しみ喘いで悪夢の中にいる。大典太の暗い目が益々苛烈に鋭利さを増していく。
「去れ」
大典太の手には名高きその本体、三池典太の手になる退魔の刃が低く唸りを上げていた。
しばしの空白。
……やがて、小さく、くすくすと嘲笑う声がして、室の全面に嵐のごとく白金の綿羽が舞った数秒、室からは羽の気配は消えていた。どこにも尾羽根も綿羽もない。大典太はそっと溜息をついて納刀する。
(遊ばれている)
不快な疲労感を覚えつつも本体を審神者の枕元に戻す。音は立てなかったはずだが、気配の動きにか、審神者がうっすらと目を開けた。苦しんだのだろう、目は熱でとけている。
「大典太」
「……寝ていろ。朝は遠い」
水で冷やした巾で額の汗と熱にうかされた涙を拭ってやると、審神者はほっとしたように小さく頷いて、すぐにまた眠りへ帰っていった。……かなり消耗させられているはずだから、今の審神者には眠りが何よりの薬になる。審神者の寝息が苦しげでないことを確かめながら、どうか審神者の今夜の残りが平穏にすぎるようにと願い、大典太は血色――審神者は、いのちいろ、とこの色を愛でる――の眼を静かに、静かに、慈しんで伏せた。
寝ずの番は続く。すべては彼女を小鳥にせぬため、ひととして生きひととして死なせるため、それこそ彼女のためと信じて、大典太光世は破魔の刃を審神者の枕に献じ続ける。
夜が明けたなら、何食わぬ顔で古鳥がやってくる。その古鳥が献じる名状しがたい冒涜的な食物を祓ってやらねばなるまい。そこまで終えてやっと、審神者が熱を出したときの大典太光世のしごとは果てるのである。
