仲人きぶんの山鳥毛にセクハラ発言される女審神者の話(未完・お焚き上げ)
「――妊娠願望、ですか?」
ちょっと何聞かれたのか分からなくて、普段動かないように意識している表情筋が動き、西蔵砂狐の顔で聞き返してしまった。何を言い出すのだろう、この古鳥は。それはこんな酷暑の真昼間に、万屋街の人気のカフェに己が主君を連行して聞くようなことなのか。聞くようなことだろうな、『本丸では話しづらい』って言われて連行されたのだから。
弊本丸の山鳥毛さんは鳥の性が強い。
付喪神としての自覚や刀としての意識がないわけではないようなのだが、それよりもやや、鳥っけが勝る。鳥目線の言動がちらほら目立ち、「それはもしかしてギャグで言っているのか?」と反応に困ることもしばしばだ。加えて、箱入りの無邪気さからくるらしいぴゅあっぴゅあの発想と発言で、私と南泉一文字を宇宙猫にしてしまうこともままある。ちょうど今のように。
山鳥毛さんが神妙な顔で頷いて是を示したところで、彼が頼んでいた「季節の果物特盛パフェ(備前味)」がやってきた。夏の今が盛りの白桃と、葡萄、それからメロンがこんもりと盛られている。特盛というだけあってバケツくらいの、極になるまえに同田貫が抱えていた兜よりやや小さいくらいのサイズだ。果物で味付けしたと思われるアイスやシャーベットやクリームもこれでもかというほど乗っていた。見ているだけで胸やけがして、私は自分のコーヒーを一口飲んだ。弊本丸の山鳥毛さんは、大の甘党だ。
「まあ、私も二十五ですから、政府からさっさと子供を産んで審神者不足解消に役立てとせっつかれてはいますが……こういった職業(さにわ)ですので、出会いやら結婚やらは難しいでしょうね」
主従従の関係で踏み込んでいい領域を超えている質問に、是とも否ともとれない返事を返した。十八歳以上五十歳以下の未婚の審神者には、毎年政府から結婚しろ妊娠しろ審神者を殖やせと催促が来る。審神者になるときに登録した遺伝子情報から、高い霊力を持った子を生産できると判定された男女の審神者は強制的に「繁殖」させられるとも伝え聞くが、今のところそういった話は私のところには来ていない。
山鳥毛さんはパフェの桃の部分をもりっと大きくスプーンで口に運び、もぐもぐと堪能し、しあわせでたまらないといったふうに目じりを下げてから、
「小鳥」
と気づかわしげな表情と声を作ってこちらをたしなめてきた。でもほんのり桜が散っている。おいしかったのか、桃。
「私は、小鳥がどうしたいかを聞いているのだよ」
「すみませんが話の流れがまったくつかめないので、まずどうしてそんな質問に至ったのか聞いてもいいですか?」
「君は昼寝で雛鳥の布人形を抱いているだろう」
お見通しだとでも言わんばかりの態度だが、なるほどわからない。
「えんぺんちゃんですか? 確かに毎日抱いてはいますが」
えんぺんちゃんとは、エンペラーペンギンの赤ちゃんを模したぬいぐるみで、私の昼寝の友だ。一抱えはある大きいサイズで、抱きしめると安心するので抱き枕にしている。
刀剣男士のなかには恋仲の審神者が人形を抱いて寝たり、お気に入りの物を枕元に置いて寝たりすると悋気を起こす物もあると聞いたことがあるが、山鳥毛さんと私はそういう間柄にない。なお、そういう間柄でなくても彼が私の昼寝事情を知りえているのは、私が昼寝するときは午後から出陣予定の刀剣たちといっしょに広間で雑魚寝のことが多く、えんぺんちゃんのことを多くの刀剣たちが認識しているからだと言い添えておこう。
「あれを見て、小鳥は子を孕みたがっていると気づいてね」
「いえ特にそういった願望はありませんが」
即座に否定する。きな臭くなってきた。
「そんな目で私の昼寝を見ていたんですか?」
ここ連日の酷暑から、ただいま弊本丸は午前中と夕方から宵のみ活動し、熱さがいっとう酷い昼間は昼寝をして体力を温存する方針をとっている。体温越えの気温は、人間だけでなく、刀剣にも大きな消耗を強いたからだ。今日も、みんなで(山鳥毛さんほどではないにしろ)早起きして遠征と出陣を済ませ、夕方からの夜戦出陣と内番に備えて昼寝した。
本当なら11時半から15時まで寝て16時から始動するのだが、私は寝付けなくて書類を片付けていた。それを寝ていなかったらしい山鳥毛さんに見つかり話があるからと暑い中カフェに連行され、「小鳥は何か食べたいものはあるのかな? 私はこのぱふぇにするが」「かなり大きいですけど食べきれますか?」「はは、小鳥には一口もあげないぞ」からの妊娠願望はあるのか問答である。まだ一日終わってないのに内容が濃い。
小鳥。と、ため息をつかれた。
山鳥毛さんの手元を見ると、特盛パフェはすでに上層部左側の桃とアイスが消滅しておりメロンと葡萄もずいぶん減っているので、彼の心配そうな態度をどうにも真に受けることができない。ため息に続き、深刻な口調で諭される。
「……布人形は、生きた雛鳥ではないのだよ? 卵ですらない」
「知っていますが」
あんさん何いわはるの。雛を模したぬいぐるみを毎日抱いているから子を孕みたがっているとは論理の飛躍がすぎるのではないか。鳥目線だと私は雛鳥の代替品を抱いて寝ていることになるのか? かなり引いたが、失礼になるかと思い、表情と声にできるだけ変化が出ないように努めた。神様相手の職業なので表情や声音を繕うのには慣れている。
脱力してもう一口コーヒーを口に含んだ。ぬるくなっている。鳥目線になった山鳥毛さんは何をいっているかわからないし、しばらく人間の道理が通じなくなるので、少し、怖い。
山鳥毛さんの緋色の眼が――人類の遺伝子では持ちえぬ赤の色素を虹彩に明確に示し、瞳孔は黒いという、人間にはありえないヤマドリの眼が――色硝子の向こうで悲しく顰められた。発想は鳥目線だけども。
「いくら日ごと温めたところで、あれは君を母鳥にはできないのだ。私は小鳥が、何も宿していない胎で、孵らぬ卵を抱いているのが不憫でならない。死んだ雛を抱く雌鳥を見ているようで。」
「はあ」
「小鳥はあれを、抱きしめたり話しかけたりとずいぶん重用しているが」
「抱きしめたり話しかけたりするとセンサーが反応して台詞をしゃべるからですね」
「茶化さないで聞きなさい、小鳥。腕に抱くのであれば、生きた雛鳥のほうがよいだろう。君は日ごろから遠慮がすぎる。子が欲しいなら欲しいと素直に言ってほしい」
「ですから別に妊娠願望はないわけですが……セクハラですよ、山鳥毛さん」
同じことを万屋の店員さんにしようものなら即座に通報されてしまう事案だ。さすがに自分の持ち刀が通報される未来は避けたい。
「山鳥毛さん。人間は、伴侶でもない相手に対して、普通は妊娠願望の有無なんか聞かないものです。聞いていいことでもありません。あなたは人間ではありませんが、刀剣男士として顕現している間は、どうか人の世の常識のなかで生活してほしいです」
どこまで聞き入れてくれるかはわからない。なにせ目の前の古鳥はパフェ中層のクリームと葡萄に夢中だ。舞っては消える桜の量がすごい。それでも私は彼の審神者だ。言って教える義務があった。人の世で生活しているうちは人の世のきまりにできるだけ……可能な範囲でいいから沿ってもらうのが、人間も刀剣も互いに困らない共存の道だと思う。――――あっ、
「ここ、ついてますよ」
山鳥毛さんの唇の端にクリームがついていた。山鳥毛さんから見て鏡映しになるように自分の唇の端を指で指し示す。指摘すれば自分で拭き取るかと思ったが、にこりと笑ってこちらを見て、パフェの容器を横へ退けた。私は彼の意図を察した。紙ナプキンを手に取る。
「もう、仕方のない古刀ですね。……雛鳥みたいですよ。」
小さく息をつきながら手を伸ばして山鳥毛さんの唇を丁寧に拭く。付け加えたひと言は嫌味のつもりだった。このひとこれでよく南泉に、一文字一家として、なんて高説を垂れたな。
残念ながら嫌味は通じなかったようで、山鳥毛さんはくふくふと可笑しげに笑んで、ありがとう、と言い――私の手を掴んだ。思わずぎょっとして紙ナプキンを取り落とし、手を引こうとしたが動かせない。そのまま、私の手のひらは、彼の両手にくるまれてしまう。私の冷え性の手とは違う、大きい、体温の高い、骨筋張った、おとこのひとの手だ。強く握られているわけではないのに引いても押しても動かせなかった。おとこの白い手に走る黒々とした刺青が、随分とけざやかに目を惹いた。
小鳥。彼が私を呼ぶ。嫌な予感がする。
小鳥。再度、彼がさえずった。やめて、やめろ、嫌だ、私の指を唇に押し当てながらしゃべるんじゃない!
「――さきほどの発言が不適切だったなら詫びよう。我々は人間種に似せた肉の器に降ろされ、君に使役される身の上だ。とはいえ小鳥よ、私は人間の真似事に耽るためだけに、君の手元に降りたわけではない」
「つ…まり、このお話を終了してはくださらないと……でしたらもう平行線ですから、本丸に帰りましょう、私、お会計行ってきますから、手を、」
「聞きなさい、小鳥。私は人間ではないから、どうしても人間としては語らえない。人間としては非常識なことも、言いたくてならなくなるときがある。今がそうだ。」
山鳥毛さんは私の手のひらの上で中指の先を、つぅ、っと滑らせたかと思えば、指の腹でするり、するりと繰り返し、ねっとりと撫でてくる。触られているのは手だけなのに、全身の毛が逆立つのを感じた。まるで山鳥毛さんの刺青が私の肌を這うようだった。悪寒がする。こういうことは、何でもない相手にしてはいけないと教えなければならないのに声がでなかった。再度、指先に山鳥毛さんの息が当たる。小さく笑った呼気だった。怯みかけた。けれど、
――呑まれたら、負ける。
足元見られてなめられる。刀に見くびられては、私は審神者でいられない。古刀が審神者を戯れに玩ぶなどよくあることだ、これしきで怯んでいられない。言霊と符術で縛り上げるつもりで肚に気力を込め、山鳥毛さんの眼を睨みつけ、ようとしたのに、その眼を見た途端、私は口を開きかけたまま停止してしまった。
山鳥毛さんの口元はたしかに笑んでいた。けれど、その眼は、深く深く、憂い――倦んでいた。吐息のように静かにつむがれた彼の言葉もまた、憂い、沈んでいた。
「小鳥。君は人間だ。我々とは違う。人の身は儚く、脆い。少し目を離すとすぐいなくなってしまう。……私を置いて、過去になってしまう」
山鳥毛さんが私の手を、手のひらと手首を掴む形にゆるく握りなおし、捧げ持つように自分の額に押し当てた。祈るようなしぐさに、今度こそ私は怯む。押し当てながら、山鳥毛さんの温かい指が私の手を何度も撫でた。実在を確かめるような動きだった。なんども、なんども、繰り返し、ひとしきり確かめて、名残惜しそうに額から離される。そして彼はちいさくひとつ、私のゆびさきにくちづけた。哀惜のくちづけだった。
「山鳥毛さん?」
「君も例外ではない。よしんば天寿を全うしたとして、四十年もすれば過去になる。たった、たった四十年だ。本当に驚くほど瞬く間に君たち人間は過去になる。肉は腐り骨は朽ちて、何のよすがも残さずいなくなってしまう。私は君に、そんなさびしいことはしてほしくない」
「山鳥毛さん……」
「だから、子が欲しいなら我慢していないで早く孕みなさい」
『黙れ無銘一文字号山鳥毛』
かっとなった勢いのままに言霊を叩きつけた。山鳥毛さんは悪い顔でくつくつと喉で笑う。およそ部下の表情ではない。笑っているということは言霊は効き目がなかったらしい。一文字の長を相手取るとなれば、やはり小手先の術では無理か。言霊の強さに自信があった身としては心が折れそうだ。
「なんで私が妊娠したいのを我慢している前提なんですか。ひどいセクハラです。真面目に聞きそうになった私がばかでした」
もう嫌で嫌でならなくて、どうにか手を離させようともう片方の手で山鳥毛さんを引きはがしにかかるがやはり離してくれない。私はうめいた。山鳥毛さんの大きなため息が降ってくる。被害を受けているのはこちらなのに、なんだか叱られているような気分になって、恐る恐る山鳥毛さんの表情を伺う。色硝子越しに目が合った。
「私は、冗談で言っているわけではないぞ。冗談などではありえぬとも。人間のつながりは血だけに限らないことはよく承知しているつもりだが、それでも、主家の血筋、家筋が続いているというのは慰められるものなのだよ」
その声は聞き分けのないおさなごを撫でで諭すようにやわらかい。けれど、どこか苦しそうだ。その眼は確かに私に焦点を結んでいるはずなのに、決して私がいる「今」を見てはいなかった。悠久を視ていた。
「我々は小鳥の天命が尽きたのちも、この戦が終わったのちも、物として永く世にあるだろう。人の世はめまぐるしく移ろい、少しの転寝のうちに何もかもが過去になっているだろう。古臭い私は、きっとついてゆけずに、独りで現世を眺めているだろう」
ぐっと、掴まれていた手が握りしめられた。痛いほどの力だったのに、縋られているような、引き留められているような心地になった。落ち着かなかった。山鳥毛さんの声は続く。
「だが、小鳥が雛鳥を産んだなら、小鳥に似て、さぞ可愛らしかろう。その雛鳥が長じて子を生せば、さらに小鳥の面影を持ったいとしい者が増えてゆくだろう。小鳥を偲ぶよすがが永く永く人の世につながっていくならば、この先私はどれほど慰められるだろう――。」
永い時に、倦み、疲れた声だった。私の持ち刀はただの鳥などではなかったのだ、永い永い時を人の手を経て在った刀の神様だったのだ。そんなあたりまえのことを、私は愚かしくも今の今になって飲み込んだ。
労わりの気持ちを込めて手を少しだけ握り返す。山鳥毛さんが、意外そうな顔をした。その目がきちんと私を見て、「今」に戻っているのを感じて、少し安堵する。
「……だから子を孕めっていうんですね」
「話が早くて助かる」
「いいえ、今すぐ子供をどうこうという気は一切ないのですが」
「君は子を孕めて、私は慰めを得る。互いに利のある話だろう?」
「今どこに私の利がありました? ……コーヒーの残りを飲みたいので手を放していただけませんか」
「放せば小鳥は逃げるだろう」
私は睨んだが、山鳥毛さんは笑んだ。目に力を入れて睨めば睨むほど、その笑みは深くなる。冷え性で夏場でも冷たいはず私の手は、いつの間にか山鳥毛さんの鳥体温と同じ温度になっていた。あたたかい。ため息をつきたかった。
「……そもそもとして。山鳥毛さんは人間ではないのでわかってらっしゃらないかもしれないのですが、人間は、女ひとりでは子供は産めないんですよ」
「無論、知っているとも」
疑わしい。永く世に在った刀ほど、現世の人間の常識に疎いということはままある。
「では、先ほどから言う『子を孕む』のが、今の私には不可能なのもお判りでしょう。私には相手となる男性がいません。数え十二で本丸に据えられてからずっと、身奇麗なものです。今から探せとおっしゃるかもしれませんが、審神者なる者は己の本丸に籠る職ですから、異性と知り合う機会なんてほとんどありませんし、……私は、このとおりの無愛想な女です。誰も私の相手などしないでしょうし、私は本丸を投げ出して、色恋にうつつを抜かすようなばかではないはずです」
「そこで、だよ。小鳥。ここからが本題だ」
掴まれていた手が、山鳥毛さんと指をからませる形に組み替えられる。刺青に触れてしまった指が思わぬ熱を感じて跳ねた。嫌な予感がする。嫌な予感しかしない。
「気が付いているか? 私が何を言おうとも、私が君の手を、こう――」
するり、と、衣擦れの音すらなく静かに。私の指にくちびるを寄せる。くちびるを開くだけの音が嫌に粘着質に聞こえた気がした。そのまま、指の先をやわらかなくちびるで食まれる。やわらかいものが繰り返し、指先を挟んで上下していて、ときおり、何か固いものに当たる。
前歯だ、と気づくと同時に悲鳴になれない空気が私の喉をかすめたのを、山鳥毛さんはくすくすと見ていた。
手をぱっと離される。
自由を得たと気づくのに一瞬の間が必要だった。が、すぐに正気に返って慌てて手を引っ込める。食まれた指があつい。握られた手があつい。いやなあつさだ。
「ふふ。愛でようとも。この店に入ってからほとんど君の表情は動いていない。睨んだつもりで無表情で見つめてくるのはなかなかに可愛らしかったよ。
……声の調子から感情は伝わるのだが、動揺のたぐいは一切、顔に出ていない。声も、先ほどの『黙れ』以外は可能な限り平淡に抑えようと努力していただろう? 私は君の、そんな胆力と自制心の強さを見込んでいる」
「ありがとう、ございます……?」
「つまり、こう言いたい。我が家においで、小鳥。我が家の鳥たちのうちから君のつがいを選ぶといい。そして多くの子を孕みなさい。私のために。」
いまなんといった。
山鳥毛さんのために? 子を孕む? ……一文字の刀の子を?
彼の家の鳥たち――といっても、私はたった一振りしか知らない。山鳥毛さんが顕現するまでは、よく私の執務室の縁側で日向ぼっこをしてうとうとしていた、私の持ち刀のうちのひとつ。やわらかな金の猫っ毛のあの刀。
「まさか南泉に手出しをせよと? 私を、自分の刀に手を出すような馬鹿者だと言いたいのですか?」
このうえない侮辱だと思った。声を震わせる私に、山鳥毛さんはひらひらと手を振り、否定で応えた。
「誓ってそのようなことはないとも。さて、君なら君臣の別をわきまえて持ち刀からつがいを選ぶことはないだろうとは思っていた。そして我が家の鳥たちの多くは、未だ政府の顕現要請に応じていない。――これをご覧」
そう言って取り出したのは、彼個人用として与えている携帯型情報端末だった。ただし刀剣男士用なので、アクセスできるウェブサイトにはきつめの制限と検閲がかかっているし、利用できるアプリ類も少ない。もっぱら、出陣時の連絡用に使われるものだった。
何をするのかとみていれば、山鳥毛さんは国宝・重要文化財をまとめた国のオンラインデータベースにアクセスしていた。白い指が端末画面を撫でるように動いて、検索欄に【一文字】と入力する。即座に検索結果には一文字派の刀剣が並んだ。
「我が家の鳥たちはどれも一文字の名を負うにふさわしい出来の刀剣ばかりだ。きっと小鳥と反りの合う物もいくつかあるだろう」
それはひょっとして冗談で言っているのか? まさか、刀剣(刀の姿)を相手に子を生せというのか、嘘だ、嘘だろう。どうやって?
……愚かな私は思わず、子宮に白刃を突き立てられる様を、その苦痛を想像してしまい、おなかをおさえた。
「……私に対物性愛のケはないので、無機物をそういう目で見るのは非常に無理があるのですが」
「そういわずに、見合いの釣り書きだと思って、よく見てごらん」
「ですから無理ですよ……」
うめきながら、画面をのぞき込む。
非生物とのお見合いをすすめられていると思わなければ、山鳥毛さんは良好な音声ガイドだった。端末を繰り、オンラインデータベース上に表示される刀ひとつひとつをこまやかに解説していく。
――これこれの太刀は、どこそこの家に伝来し、現在はどこそこの博物館に在る、福岡一文字らしい華やかな刃紋で、とくに見ごたえがあるのがこの部分、それだけでなく、刀と拵が同時代の作として共に現存する稀有な例で、太刀と拵がともに国宝。
――どれどれの太刀は、記録上は誰々から誰々に贈られたとされているが、どうしたわけか伝来と違う逸話がつき、何々という号で呼ばれることもある、現在は国指定重要文化財。
落ち着いた甘やかな声が耳に心地よい。まなざしだってとろけるように甘い。私に対してというのではなく、一家の刀一振り一振りをいとおしんでの甘さだ。
そんな大切な一家の刀を、こんな小娘とどうこうしようとしてしまっていいのだろうか。もちろん私にはどうこうするつもりは一切ないが。
「我が家の鳥たちには今夜のうちに声をかけておこう。明日の昼から順に訪うだろうから、心づもりをしておきなさい」
「何が来るのどういうことなの怖いんですけど」
うめいたところで山鳥毛さんは教えてくれない。私室の護符を増やし、明日からは昼寝は私室に籠ろうと決める。長く長くためいきをついてコーヒーの残りを飲んだ。すっかり冷めてしまっている。山鳥毛さんもパフェの残りをつついていた。いつの間に食べすすめたのか、すでにスプーンはパフェ下層を掘り進めていた。――――あ、
「……またついてますよ、今度は下唇」
両手を腰の後ろでぎゅっと組んでから告げる。もう同じことはされたくない。
警戒する私を、山鳥毛さんはくつくつと笑って、右手の薬指を唇にすべらせ、まるで紅を指すようにして赤紫色のソースをぬぐい取った。妙に色のある動きに目を奪われたのがいけなかった。山鳥毛さんは白い薬指の腹をてらてらと汚すそれに視線を落として幽かに笑むと、ぐいとその手を伸ばしてきた。へ。間抜けな声をあげて唇を開いたのがなおいけなかった。
山鳥毛さんの薬指が私の口内に押し入った。乱暴ではないけれど有無を言わさぬ強さだった。
何をされたのかわからず身を硬直させているうちに、舌に薬指が塗りつけられた。何度も、何度も。舐めなさい、きれいにしなさいと、言いつけるような動きだった。
「一口だけあげよう」
嫣然と言い放たれた言葉の文字意通りの意味でさえ、理解できたのは何秒後だっただろう。木苺と葡萄と、かすかに汗の味がしたと、理解できたのは何秒後だっただろう。
ゆっくりと口から出て行った山鳥毛さんの指を、茫然と見ていた。腰を抜かさなかったのも涙目にならなかったのも、審神者としての意地でもなんでもなく、ほんとうに、ほんとうに何をされたのかわからなかったからだ。脳が理解を拒絶したからだ。声もでなかった。目の前の刀が怖かった。
小鳥。と、呼ばれる。ゆっくり、ゆっくり、どうにか山鳥毛さんに目の焦点を結ぶと、彼は行儀悪く、舌でぺろりと下唇を舐めた。赤い舌が目に痛い。ひっ、と息が詰まる。
山鳥毛さんの表情が理解できない。
「私が路をつけておこう。明日からの昼寝が楽しみだな?」
ささやかれても理解できない。脳みそがうごかない。路をつけるとは何か、昼寝で何が起こるというのか。怖かった。尋ねなければならないのに、舌がもつれて声にならない。
「我が家の鳥たちとつがえば、君は晴れて合法的に我が家の小鳥というわけだ」
うきうきと告げられたが、合法的とはなんだろう。非合法的手段もあるのだろうか。聞きたくない。もうやだ聞きたくない。古鳥こわい。
「どの鳥も君のお気に召さなかったときは、最終手段として私が孕ませることも考えているのだが」
「……いますぐ、その最終手段を捨ててください、あなた相手も嫌ですからね」
震える喉からなんとか声を絞り出して言い募ったところで、相手にされないのは薄々わかっていた。
「小鳥に私はまだ早いからなあ……今の小鳥では胤を与えただけで焼け死にそうであることだし……」
「いいかげん、いいかげん話を聞いてください、嫌ですよ、絶対に嫌ですからね」
「四十年は短いが、子を孕むには充分に長い。今年のうちにつがえば、十か十一は雛鳥を得られるだろう。私の雛鳥を孕むのは、我が家の鳥たちの何羽かとつがって神気に馴染み、雛鳥を六羽か七羽か生み落として、君の胎がこなれてからでいい」
「ッ、控えろ山鳥毛ッ!」
思わず怒鳴ってしまった。途端、周囲から音が消える。無音になる。店内の客が皆、こちらを見ていた。しまったと思った。周りが見えていなかった。山鳥毛さんに呑まれていた。客の中には知らない本丸の山鳥毛さんもいて、彼の審神者とともに困惑の表情でこちらを見ている。羞恥で顔が焼けた。
すみません、ごめんなさい。頭を下げて、誰に対してともなく、かろうじてそれだけが言えた。死にたくなるほどゆっくりとした速度で、徐々に周囲に音が戻っていく。
「やっと表情が崩れたな。縄張りを踏み荒らされた山犬の顔をしていたぞ」
山鳥毛さんの涼しい声での追い打ちに、ますます恥ずかしくなった。古い刀は言葉遊びが好きなのだ、知っていたのにひっかかってしまった。声をひそめる。
「まるで、私を、山鳥毛さんの一家で共用するみたいな言い方でしたよ」
「そのつもりで言っているが」
耳を疑う。事もなげに言われて、心臓で怒りが燃えた。
「最ッ低です。鳥類には、特にキジ科などで、乱婚を行う種もあるとは聞いています。ですが、人間は、少なくとも現代日本の社会システムはそのようにはできていません。私には到底受け入れられない発想です」
「やれやれ。ヤマドリはキジの仲間ではあるが、一夫一妻のかたちをとる鳥だと小鳥は知らないのだろうか」
「知っていますよ、繁殖期ごとにつがいを変えうる一夫一妻でしたね? 子を産むたびに相手を変えて、代わる代わる嬲り者にしようということですか?」
かろうじて音量は抑えたが、声が尖るのを止められなかった。山鳥毛さんの苦笑いが憎い。
安心しなさい、小鳥。そういわれてもどこに安心要素があるというのか。
「鳥類は、雌が雄を受け入れなければ子を生せない。どんな雄も例外なく、雌に選ばれなければ胤を残せない。我々もそのしくみに倣おう。誓って、君が望まぬうちに無理強いして尊厳を損なうようなことはしない。そんな、人間のような真似はしない。一文字一家の名のかけて誓約しよう」
「つまり、少しでも選んだそぶりを見せれば食い物にされると、そういうことですか」
しばし、にらみ合う。空気が止まる。私は意識して眉根を寄せる。今度はきちんと、睨めているはずだった。なのに、山鳥毛さんが耐えられないというようにして笑い出し、沈黙を破った。朗らかに鏘鏘と響く。こんな話題でなければ聞きほれるような笑い声だった。この古刀は声までうつくしい。
「君は、ほんとうにまっすぐ私を見るのだな」
まぶしそうに眼をほそめられる。何を言い出すのか。揶揄かとも思ったが、その声にははっきりとした賛嘆と痛惜の色があった。
「ほんの数十年後に、君のこの、強くまっすぐな目を……懐かしむ日が来るのだろうな……」
手を伸べられる。思わず身構えたが、彼の手は私の頭をゆるり、ゆるりと撫でただけで離れていった。いつくしまれている。そう信じられる手つきだった。
「山鳥毛さん、」
「だから早く孕んでほしい」
「もう時間ですから本丸に帰りますよ」
相手にしきれないので問答を強制終了して帰り支度をする。払ってきますからその間にパフェをさっさと食べ終えておいてくださいね。お残しはだめですよ。そう言い渡して伝票を持って立ち上がった私の背を、山鳥毛さんの声が追いかけた。
「覚えておいてくれ、小鳥。鳥の涙は人間のそれよりも、濃い」
肌から染み入って心臓を突き殺すような穏やかな声だった。
本丸に帰宅した時点で15時を回っており、多くの刀剣たちは昼寝から目覚めていた。書置きをしていたから心配はされなかったが、山鳥毛さんがパフェを食べたことを短刀たちにうっかりと(本当にうっかりか?)暴露してしまい、乱をはじめとした面々に山鳥毛さんばかりずるいずるいと責められて、次の休みは短刀みんなと審神者でパフェを食べに行こうという話になった。
そのあとの時間は慌ただしく過ぎた。夕方から出陣する部隊を見送り、書類仕事を片付け、夕食の支度を手伝い、帰還した部隊をねぎらい、みんなで遅めの夕食を食べ、私が入浴を済ませて自室に戻ったときには日付が変わる寸前だった。
濃い一日だった。山鳥毛さんにあんなことを言われるとは私は露ほども思っていなかったし、まさか無機物とのお見合いをすすめられるとは夢にも見なかった。
どっと疲れが押し寄せてきて、ぽんと布団に身を投げる。枕元の行燈型のライトを点灯し、リモコンで室内灯を消した。やっと夜が部屋にやってくる。ライトの薄明りの中で、ふと、枕元に置いていたぬいぐるみに目が留まる。エンペラーペンギンのヒナのぬいぐるみだ。私はまるまるとして可愛らしいそれを引き寄せて、腕に抱いた。
「えんぺんちゃん。こんなに可愛いのに、山鳥毛さんには雛鳥の死骸に見えていたのか……」
抱く腕にぎゅうと力をこめれば、ぬいぐるみ内部の加圧センサーが反応してのんきな口調で台詞をしゃべった。
『つかれちゃったのー? げんきになるおまじなーい!』
「ふええ、可愛い。大好きだよえんぺんちゃん~」
それにしても。
――よしんば天寿を全うしたとして、四十年もすれば過去になる。たった、たった四十年だ。
あのときは、死んでから四十年もすればそれは過去にもなるだろうと聞き流していた。しかし思い返してみれば……。
――四十年は短いが、子を孕むには充分に長い。
なぜ山鳥毛さんは、「四十年」と繰り返したのだろう。私は今年25で、2200年代に入ってからのこの国の女性の平均健康寿命は90歳以上をキープしている。四十年後の65歳では年金も下りない。戦争が終わっていなければ、私は年金が下りる80歳までは審神者として働き続けているはずで、それなら山鳥毛さんともあと六十年近くは審神者と刀としてともに暮しているはずだ。私や、山鳥毛さんの身に何事もなければ。
――我々は小鳥の天命が尽きたのちも、この戦が終わったのちも、物として永く世にあるだろう。
(この戦争が終わるより前に私の天命が尽きるのを、疑っていないかのような。)
――たった、たった四十年だ。
……まるで、ほんとうに「残り四十年」だと、知っているような。
そんな、口ぶりだった。嫌な汗がにじんで、背筋が冷える。
「……冷房、強くしすぎたかな。」
ぬいぐるみを抱いたまま夏用の掛布団をのどまでかぶって、私はぎゅっと目を閉じた。
ちょっと何聞かれたのか分からなくて、普段動かないように意識している表情筋が動き、西蔵砂狐の顔で聞き返してしまった。何を言い出すのだろう、この古鳥は。それはこんな酷暑の真昼間に、万屋街の人気のカフェに己が主君を連行して聞くようなことなのか。聞くようなことだろうな、『本丸では話しづらい』って言われて連行されたのだから。
弊本丸の山鳥毛さんは鳥の性が強い。
付喪神としての自覚や刀としての意識がないわけではないようなのだが、それよりもやや、鳥っけが勝る。鳥目線の言動がちらほら目立ち、「それはもしかしてギャグで言っているのか?」と反応に困ることもしばしばだ。加えて、箱入りの無邪気さからくるらしいぴゅあっぴゅあの発想と発言で、私と南泉一文字を宇宙猫にしてしまうこともままある。ちょうど今のように。
山鳥毛さんが神妙な顔で頷いて是を示したところで、彼が頼んでいた「季節の果物特盛パフェ(備前味)」がやってきた。夏の今が盛りの白桃と、葡萄、それからメロンがこんもりと盛られている。特盛というだけあってバケツくらいの、極になるまえに同田貫が抱えていた兜よりやや小さいくらいのサイズだ。果物で味付けしたと思われるアイスやシャーベットやクリームもこれでもかというほど乗っていた。見ているだけで胸やけがして、私は自分のコーヒーを一口飲んだ。弊本丸の山鳥毛さんは、大の甘党だ。
「まあ、私も二十五ですから、政府からさっさと子供を産んで審神者不足解消に役立てとせっつかれてはいますが……こういった職業(さにわ)ですので、出会いやら結婚やらは難しいでしょうね」
主従従の関係で踏み込んでいい領域を超えている質問に、是とも否ともとれない返事を返した。十八歳以上五十歳以下の未婚の審神者には、毎年政府から結婚しろ妊娠しろ審神者を殖やせと催促が来る。審神者になるときに登録した遺伝子情報から、高い霊力を持った子を生産できると判定された男女の審神者は強制的に「繁殖」させられるとも伝え聞くが、今のところそういった話は私のところには来ていない。
山鳥毛さんはパフェの桃の部分をもりっと大きくスプーンで口に運び、もぐもぐと堪能し、しあわせでたまらないといったふうに目じりを下げてから、
「小鳥」
と気づかわしげな表情と声を作ってこちらをたしなめてきた。でもほんのり桜が散っている。おいしかったのか、桃。
「私は、小鳥がどうしたいかを聞いているのだよ」
「すみませんが話の流れがまったくつかめないので、まずどうしてそんな質問に至ったのか聞いてもいいですか?」
「君は昼寝で雛鳥の布人形を抱いているだろう」
お見通しだとでも言わんばかりの態度だが、なるほどわからない。
「えんぺんちゃんですか? 確かに毎日抱いてはいますが」
えんぺんちゃんとは、エンペラーペンギンの赤ちゃんを模したぬいぐるみで、私の昼寝の友だ。一抱えはある大きいサイズで、抱きしめると安心するので抱き枕にしている。
刀剣男士のなかには恋仲の審神者が人形を抱いて寝たり、お気に入りの物を枕元に置いて寝たりすると悋気を起こす物もあると聞いたことがあるが、山鳥毛さんと私はそういう間柄にない。なお、そういう間柄でなくても彼が私の昼寝事情を知りえているのは、私が昼寝するときは午後から出陣予定の刀剣たちといっしょに広間で雑魚寝のことが多く、えんぺんちゃんのことを多くの刀剣たちが認識しているからだと言い添えておこう。
「あれを見て、小鳥は子を孕みたがっていると気づいてね」
「いえ特にそういった願望はありませんが」
即座に否定する。きな臭くなってきた。
「そんな目で私の昼寝を見ていたんですか?」
ここ連日の酷暑から、ただいま弊本丸は午前中と夕方から宵のみ活動し、熱さがいっとう酷い昼間は昼寝をして体力を温存する方針をとっている。体温越えの気温は、人間だけでなく、刀剣にも大きな消耗を強いたからだ。今日も、みんなで(山鳥毛さんほどではないにしろ)早起きして遠征と出陣を済ませ、夕方からの夜戦出陣と内番に備えて昼寝した。
本当なら11時半から15時まで寝て16時から始動するのだが、私は寝付けなくて書類を片付けていた。それを寝ていなかったらしい山鳥毛さんに見つかり話があるからと暑い中カフェに連行され、「小鳥は何か食べたいものはあるのかな? 私はこのぱふぇにするが」「かなり大きいですけど食べきれますか?」「はは、小鳥には一口もあげないぞ」からの妊娠願望はあるのか問答である。まだ一日終わってないのに内容が濃い。
小鳥。と、ため息をつかれた。
山鳥毛さんの手元を見ると、特盛パフェはすでに上層部左側の桃とアイスが消滅しておりメロンと葡萄もずいぶん減っているので、彼の心配そうな態度をどうにも真に受けることができない。ため息に続き、深刻な口調で諭される。
「……布人形は、生きた雛鳥ではないのだよ? 卵ですらない」
「知っていますが」
あんさん何いわはるの。雛を模したぬいぐるみを毎日抱いているから子を孕みたがっているとは論理の飛躍がすぎるのではないか。鳥目線だと私は雛鳥の代替品を抱いて寝ていることになるのか? かなり引いたが、失礼になるかと思い、表情と声にできるだけ変化が出ないように努めた。神様相手の職業なので表情や声音を繕うのには慣れている。
脱力してもう一口コーヒーを口に含んだ。ぬるくなっている。鳥目線になった山鳥毛さんは何をいっているかわからないし、しばらく人間の道理が通じなくなるので、少し、怖い。
山鳥毛さんの緋色の眼が――人類の遺伝子では持ちえぬ赤の色素を虹彩に明確に示し、瞳孔は黒いという、人間にはありえないヤマドリの眼が――色硝子の向こうで悲しく顰められた。発想は鳥目線だけども。
「いくら日ごと温めたところで、あれは君を母鳥にはできないのだ。私は小鳥が、何も宿していない胎で、孵らぬ卵を抱いているのが不憫でならない。死んだ雛を抱く雌鳥を見ているようで。」
「はあ」
「小鳥はあれを、抱きしめたり話しかけたりとずいぶん重用しているが」
「抱きしめたり話しかけたりするとセンサーが反応して台詞をしゃべるからですね」
「茶化さないで聞きなさい、小鳥。腕に抱くのであれば、生きた雛鳥のほうがよいだろう。君は日ごろから遠慮がすぎる。子が欲しいなら欲しいと素直に言ってほしい」
「ですから別に妊娠願望はないわけですが……セクハラですよ、山鳥毛さん」
同じことを万屋の店員さんにしようものなら即座に通報されてしまう事案だ。さすがに自分の持ち刀が通報される未来は避けたい。
「山鳥毛さん。人間は、伴侶でもない相手に対して、普通は妊娠願望の有無なんか聞かないものです。聞いていいことでもありません。あなたは人間ではありませんが、刀剣男士として顕現している間は、どうか人の世の常識のなかで生活してほしいです」
どこまで聞き入れてくれるかはわからない。なにせ目の前の古鳥はパフェ中層のクリームと葡萄に夢中だ。舞っては消える桜の量がすごい。それでも私は彼の審神者だ。言って教える義務があった。人の世で生活しているうちは人の世のきまりにできるだけ……可能な範囲でいいから沿ってもらうのが、人間も刀剣も互いに困らない共存の道だと思う。――――あっ、
「ここ、ついてますよ」
山鳥毛さんの唇の端にクリームがついていた。山鳥毛さんから見て鏡映しになるように自分の唇の端を指で指し示す。指摘すれば自分で拭き取るかと思ったが、にこりと笑ってこちらを見て、パフェの容器を横へ退けた。私は彼の意図を察した。紙ナプキンを手に取る。
「もう、仕方のない古刀ですね。……雛鳥みたいですよ。」
小さく息をつきながら手を伸ばして山鳥毛さんの唇を丁寧に拭く。付け加えたひと言は嫌味のつもりだった。このひとこれでよく南泉に、一文字一家として、なんて高説を垂れたな。
残念ながら嫌味は通じなかったようで、山鳥毛さんはくふくふと可笑しげに笑んで、ありがとう、と言い――私の手を掴んだ。思わずぎょっとして紙ナプキンを取り落とし、手を引こうとしたが動かせない。そのまま、私の手のひらは、彼の両手にくるまれてしまう。私の冷え性の手とは違う、大きい、体温の高い、骨筋張った、おとこのひとの手だ。強く握られているわけではないのに引いても押しても動かせなかった。おとこの白い手に走る黒々とした刺青が、随分とけざやかに目を惹いた。
小鳥。彼が私を呼ぶ。嫌な予感がする。
小鳥。再度、彼がさえずった。やめて、やめろ、嫌だ、私の指を唇に押し当てながらしゃべるんじゃない!
「――さきほどの発言が不適切だったなら詫びよう。我々は人間種に似せた肉の器に降ろされ、君に使役される身の上だ。とはいえ小鳥よ、私は人間の真似事に耽るためだけに、君の手元に降りたわけではない」
「つ…まり、このお話を終了してはくださらないと……でしたらもう平行線ですから、本丸に帰りましょう、私、お会計行ってきますから、手を、」
「聞きなさい、小鳥。私は人間ではないから、どうしても人間としては語らえない。人間としては非常識なことも、言いたくてならなくなるときがある。今がそうだ。」
山鳥毛さんは私の手のひらの上で中指の先を、つぅ、っと滑らせたかと思えば、指の腹でするり、するりと繰り返し、ねっとりと撫でてくる。触られているのは手だけなのに、全身の毛が逆立つのを感じた。まるで山鳥毛さんの刺青が私の肌を這うようだった。悪寒がする。こういうことは、何でもない相手にしてはいけないと教えなければならないのに声がでなかった。再度、指先に山鳥毛さんの息が当たる。小さく笑った呼気だった。怯みかけた。けれど、
――呑まれたら、負ける。
足元見られてなめられる。刀に見くびられては、私は審神者でいられない。古刀が審神者を戯れに玩ぶなどよくあることだ、これしきで怯んでいられない。言霊と符術で縛り上げるつもりで肚に気力を込め、山鳥毛さんの眼を睨みつけ、ようとしたのに、その眼を見た途端、私は口を開きかけたまま停止してしまった。
山鳥毛さんの口元はたしかに笑んでいた。けれど、その眼は、深く深く、憂い――倦んでいた。吐息のように静かにつむがれた彼の言葉もまた、憂い、沈んでいた。
「小鳥。君は人間だ。我々とは違う。人の身は儚く、脆い。少し目を離すとすぐいなくなってしまう。……私を置いて、過去になってしまう」
山鳥毛さんが私の手を、手のひらと手首を掴む形にゆるく握りなおし、捧げ持つように自分の額に押し当てた。祈るようなしぐさに、今度こそ私は怯む。押し当てながら、山鳥毛さんの温かい指が私の手を何度も撫でた。実在を確かめるような動きだった。なんども、なんども、繰り返し、ひとしきり確かめて、名残惜しそうに額から離される。そして彼はちいさくひとつ、私のゆびさきにくちづけた。哀惜のくちづけだった。
「山鳥毛さん?」
「君も例外ではない。よしんば天寿を全うしたとして、四十年もすれば過去になる。たった、たった四十年だ。本当に驚くほど瞬く間に君たち人間は過去になる。肉は腐り骨は朽ちて、何のよすがも残さずいなくなってしまう。私は君に、そんなさびしいことはしてほしくない」
「山鳥毛さん……」
「だから、子が欲しいなら我慢していないで早く孕みなさい」
『黙れ無銘一文字号山鳥毛』
かっとなった勢いのままに言霊を叩きつけた。山鳥毛さんは悪い顔でくつくつと喉で笑う。およそ部下の表情ではない。笑っているということは言霊は効き目がなかったらしい。一文字の長を相手取るとなれば、やはり小手先の術では無理か。言霊の強さに自信があった身としては心が折れそうだ。
「なんで私が妊娠したいのを我慢している前提なんですか。ひどいセクハラです。真面目に聞きそうになった私がばかでした」
もう嫌で嫌でならなくて、どうにか手を離させようともう片方の手で山鳥毛さんを引きはがしにかかるがやはり離してくれない。私はうめいた。山鳥毛さんの大きなため息が降ってくる。被害を受けているのはこちらなのに、なんだか叱られているような気分になって、恐る恐る山鳥毛さんの表情を伺う。色硝子越しに目が合った。
「私は、冗談で言っているわけではないぞ。冗談などではありえぬとも。人間のつながりは血だけに限らないことはよく承知しているつもりだが、それでも、主家の血筋、家筋が続いているというのは慰められるものなのだよ」
その声は聞き分けのないおさなごを撫でで諭すようにやわらかい。けれど、どこか苦しそうだ。その眼は確かに私に焦点を結んでいるはずなのに、決して私がいる「今」を見てはいなかった。悠久を視ていた。
「我々は小鳥の天命が尽きたのちも、この戦が終わったのちも、物として永く世にあるだろう。人の世はめまぐるしく移ろい、少しの転寝のうちに何もかもが過去になっているだろう。古臭い私は、きっとついてゆけずに、独りで現世を眺めているだろう」
ぐっと、掴まれていた手が握りしめられた。痛いほどの力だったのに、縋られているような、引き留められているような心地になった。落ち着かなかった。山鳥毛さんの声は続く。
「だが、小鳥が雛鳥を産んだなら、小鳥に似て、さぞ可愛らしかろう。その雛鳥が長じて子を生せば、さらに小鳥の面影を持ったいとしい者が増えてゆくだろう。小鳥を偲ぶよすがが永く永く人の世につながっていくならば、この先私はどれほど慰められるだろう――。」
永い時に、倦み、疲れた声だった。私の持ち刀はただの鳥などではなかったのだ、永い永い時を人の手を経て在った刀の神様だったのだ。そんなあたりまえのことを、私は愚かしくも今の今になって飲み込んだ。
労わりの気持ちを込めて手を少しだけ握り返す。山鳥毛さんが、意外そうな顔をした。その目がきちんと私を見て、「今」に戻っているのを感じて、少し安堵する。
「……だから子を孕めっていうんですね」
「話が早くて助かる」
「いいえ、今すぐ子供をどうこうという気は一切ないのですが」
「君は子を孕めて、私は慰めを得る。互いに利のある話だろう?」
「今どこに私の利がありました? ……コーヒーの残りを飲みたいので手を放していただけませんか」
「放せば小鳥は逃げるだろう」
私は睨んだが、山鳥毛さんは笑んだ。目に力を入れて睨めば睨むほど、その笑みは深くなる。冷え性で夏場でも冷たいはず私の手は、いつの間にか山鳥毛さんの鳥体温と同じ温度になっていた。あたたかい。ため息をつきたかった。
「……そもそもとして。山鳥毛さんは人間ではないのでわかってらっしゃらないかもしれないのですが、人間は、女ひとりでは子供は産めないんですよ」
「無論、知っているとも」
疑わしい。永く世に在った刀ほど、現世の人間の常識に疎いということはままある。
「では、先ほどから言う『子を孕む』のが、今の私には不可能なのもお判りでしょう。私には相手となる男性がいません。数え十二で本丸に据えられてからずっと、身奇麗なものです。今から探せとおっしゃるかもしれませんが、審神者なる者は己の本丸に籠る職ですから、異性と知り合う機会なんてほとんどありませんし、……私は、このとおりの無愛想な女です。誰も私の相手などしないでしょうし、私は本丸を投げ出して、色恋にうつつを抜かすようなばかではないはずです」
「そこで、だよ。小鳥。ここからが本題だ」
掴まれていた手が、山鳥毛さんと指をからませる形に組み替えられる。刺青に触れてしまった指が思わぬ熱を感じて跳ねた。嫌な予感がする。嫌な予感しかしない。
「気が付いているか? 私が何を言おうとも、私が君の手を、こう――」
するり、と、衣擦れの音すらなく静かに。私の指にくちびるを寄せる。くちびるを開くだけの音が嫌に粘着質に聞こえた気がした。そのまま、指の先をやわらかなくちびるで食まれる。やわらかいものが繰り返し、指先を挟んで上下していて、ときおり、何か固いものに当たる。
前歯だ、と気づくと同時に悲鳴になれない空気が私の喉をかすめたのを、山鳥毛さんはくすくすと見ていた。
手をぱっと離される。
自由を得たと気づくのに一瞬の間が必要だった。が、すぐに正気に返って慌てて手を引っ込める。食まれた指があつい。握られた手があつい。いやなあつさだ。
「ふふ。愛でようとも。この店に入ってからほとんど君の表情は動いていない。睨んだつもりで無表情で見つめてくるのはなかなかに可愛らしかったよ。
……声の調子から感情は伝わるのだが、動揺のたぐいは一切、顔に出ていない。声も、先ほどの『黙れ』以外は可能な限り平淡に抑えようと努力していただろう? 私は君の、そんな胆力と自制心の強さを見込んでいる」
「ありがとう、ございます……?」
「つまり、こう言いたい。我が家においで、小鳥。我が家の鳥たちのうちから君のつがいを選ぶといい。そして多くの子を孕みなさい。私のために。」
いまなんといった。
山鳥毛さんのために? 子を孕む? ……一文字の刀の子を?
彼の家の鳥たち――といっても、私はたった一振りしか知らない。山鳥毛さんが顕現するまでは、よく私の執務室の縁側で日向ぼっこをしてうとうとしていた、私の持ち刀のうちのひとつ。やわらかな金の猫っ毛のあの刀。
「まさか南泉に手出しをせよと? 私を、自分の刀に手を出すような馬鹿者だと言いたいのですか?」
このうえない侮辱だと思った。声を震わせる私に、山鳥毛さんはひらひらと手を振り、否定で応えた。
「誓ってそのようなことはないとも。さて、君なら君臣の別をわきまえて持ち刀からつがいを選ぶことはないだろうとは思っていた。そして我が家の鳥たちの多くは、未だ政府の顕現要請に応じていない。――これをご覧」
そう言って取り出したのは、彼個人用として与えている携帯型情報端末だった。ただし刀剣男士用なので、アクセスできるウェブサイトにはきつめの制限と検閲がかかっているし、利用できるアプリ類も少ない。もっぱら、出陣時の連絡用に使われるものだった。
何をするのかとみていれば、山鳥毛さんは国宝・重要文化財をまとめた国のオンラインデータベースにアクセスしていた。白い指が端末画面を撫でるように動いて、検索欄に【一文字】と入力する。即座に検索結果には一文字派の刀剣が並んだ。
「我が家の鳥たちはどれも一文字の名を負うにふさわしい出来の刀剣ばかりだ。きっと小鳥と反りの合う物もいくつかあるだろう」
それはひょっとして冗談で言っているのか? まさか、刀剣(刀の姿)を相手に子を生せというのか、嘘だ、嘘だろう。どうやって?
……愚かな私は思わず、子宮に白刃を突き立てられる様を、その苦痛を想像してしまい、おなかをおさえた。
「……私に対物性愛のケはないので、無機物をそういう目で見るのは非常に無理があるのですが」
「そういわずに、見合いの釣り書きだと思って、よく見てごらん」
「ですから無理ですよ……」
うめきながら、画面をのぞき込む。
非生物とのお見合いをすすめられていると思わなければ、山鳥毛さんは良好な音声ガイドだった。端末を繰り、オンラインデータベース上に表示される刀ひとつひとつをこまやかに解説していく。
――これこれの太刀は、どこそこの家に伝来し、現在はどこそこの博物館に在る、福岡一文字らしい華やかな刃紋で、とくに見ごたえがあるのがこの部分、それだけでなく、刀と拵が同時代の作として共に現存する稀有な例で、太刀と拵がともに国宝。
――どれどれの太刀は、記録上は誰々から誰々に贈られたとされているが、どうしたわけか伝来と違う逸話がつき、何々という号で呼ばれることもある、現在は国指定重要文化財。
落ち着いた甘やかな声が耳に心地よい。まなざしだってとろけるように甘い。私に対してというのではなく、一家の刀一振り一振りをいとおしんでの甘さだ。
そんな大切な一家の刀を、こんな小娘とどうこうしようとしてしまっていいのだろうか。もちろん私にはどうこうするつもりは一切ないが。
「我が家の鳥たちには今夜のうちに声をかけておこう。明日の昼から順に訪うだろうから、心づもりをしておきなさい」
「何が来るのどういうことなの怖いんですけど」
うめいたところで山鳥毛さんは教えてくれない。私室の護符を増やし、明日からは昼寝は私室に籠ろうと決める。長く長くためいきをついてコーヒーの残りを飲んだ。すっかり冷めてしまっている。山鳥毛さんもパフェの残りをつついていた。いつの間に食べすすめたのか、すでにスプーンはパフェ下層を掘り進めていた。――――あ、
「……またついてますよ、今度は下唇」
両手を腰の後ろでぎゅっと組んでから告げる。もう同じことはされたくない。
警戒する私を、山鳥毛さんはくつくつと笑って、右手の薬指を唇にすべらせ、まるで紅を指すようにして赤紫色のソースをぬぐい取った。妙に色のある動きに目を奪われたのがいけなかった。山鳥毛さんは白い薬指の腹をてらてらと汚すそれに視線を落として幽かに笑むと、ぐいとその手を伸ばしてきた。へ。間抜けな声をあげて唇を開いたのがなおいけなかった。
山鳥毛さんの薬指が私の口内に押し入った。乱暴ではないけれど有無を言わさぬ強さだった。
何をされたのかわからず身を硬直させているうちに、舌に薬指が塗りつけられた。何度も、何度も。舐めなさい、きれいにしなさいと、言いつけるような動きだった。
「一口だけあげよう」
嫣然と言い放たれた言葉の文字意通りの意味でさえ、理解できたのは何秒後だっただろう。木苺と葡萄と、かすかに汗の味がしたと、理解できたのは何秒後だっただろう。
ゆっくりと口から出て行った山鳥毛さんの指を、茫然と見ていた。腰を抜かさなかったのも涙目にならなかったのも、審神者としての意地でもなんでもなく、ほんとうに、ほんとうに何をされたのかわからなかったからだ。脳が理解を拒絶したからだ。声もでなかった。目の前の刀が怖かった。
小鳥。と、呼ばれる。ゆっくり、ゆっくり、どうにか山鳥毛さんに目の焦点を結ぶと、彼は行儀悪く、舌でぺろりと下唇を舐めた。赤い舌が目に痛い。ひっ、と息が詰まる。
山鳥毛さんの表情が理解できない。
「私が路をつけておこう。明日からの昼寝が楽しみだな?」
ささやかれても理解できない。脳みそがうごかない。路をつけるとは何か、昼寝で何が起こるというのか。怖かった。尋ねなければならないのに、舌がもつれて声にならない。
「我が家の鳥たちとつがえば、君は晴れて合法的に我が家の小鳥というわけだ」
うきうきと告げられたが、合法的とはなんだろう。非合法的手段もあるのだろうか。聞きたくない。もうやだ聞きたくない。古鳥こわい。
「どの鳥も君のお気に召さなかったときは、最終手段として私が孕ませることも考えているのだが」
「……いますぐ、その最終手段を捨ててください、あなた相手も嫌ですからね」
震える喉からなんとか声を絞り出して言い募ったところで、相手にされないのは薄々わかっていた。
「小鳥に私はまだ早いからなあ……今の小鳥では胤を与えただけで焼け死にそうであることだし……」
「いいかげん、いいかげん話を聞いてください、嫌ですよ、絶対に嫌ですからね」
「四十年は短いが、子を孕むには充分に長い。今年のうちにつがえば、十か十一は雛鳥を得られるだろう。私の雛鳥を孕むのは、我が家の鳥たちの何羽かとつがって神気に馴染み、雛鳥を六羽か七羽か生み落として、君の胎がこなれてからでいい」
「ッ、控えろ山鳥毛ッ!」
思わず怒鳴ってしまった。途端、周囲から音が消える。無音になる。店内の客が皆、こちらを見ていた。しまったと思った。周りが見えていなかった。山鳥毛さんに呑まれていた。客の中には知らない本丸の山鳥毛さんもいて、彼の審神者とともに困惑の表情でこちらを見ている。羞恥で顔が焼けた。
すみません、ごめんなさい。頭を下げて、誰に対してともなく、かろうじてそれだけが言えた。死にたくなるほどゆっくりとした速度で、徐々に周囲に音が戻っていく。
「やっと表情が崩れたな。縄張りを踏み荒らされた山犬の顔をしていたぞ」
山鳥毛さんの涼しい声での追い打ちに、ますます恥ずかしくなった。古い刀は言葉遊びが好きなのだ、知っていたのにひっかかってしまった。声をひそめる。
「まるで、私を、山鳥毛さんの一家で共用するみたいな言い方でしたよ」
「そのつもりで言っているが」
耳を疑う。事もなげに言われて、心臓で怒りが燃えた。
「最ッ低です。鳥類には、特にキジ科などで、乱婚を行う種もあるとは聞いています。ですが、人間は、少なくとも現代日本の社会システムはそのようにはできていません。私には到底受け入れられない発想です」
「やれやれ。ヤマドリはキジの仲間ではあるが、一夫一妻のかたちをとる鳥だと小鳥は知らないのだろうか」
「知っていますよ、繁殖期ごとにつがいを変えうる一夫一妻でしたね? 子を産むたびに相手を変えて、代わる代わる嬲り者にしようということですか?」
かろうじて音量は抑えたが、声が尖るのを止められなかった。山鳥毛さんの苦笑いが憎い。
安心しなさい、小鳥。そういわれてもどこに安心要素があるというのか。
「鳥類は、雌が雄を受け入れなければ子を生せない。どんな雄も例外なく、雌に選ばれなければ胤を残せない。我々もそのしくみに倣おう。誓って、君が望まぬうちに無理強いして尊厳を損なうようなことはしない。そんな、人間のような真似はしない。一文字一家の名のかけて誓約しよう」
「つまり、少しでも選んだそぶりを見せれば食い物にされると、そういうことですか」
しばし、にらみ合う。空気が止まる。私は意識して眉根を寄せる。今度はきちんと、睨めているはずだった。なのに、山鳥毛さんが耐えられないというようにして笑い出し、沈黙を破った。朗らかに鏘鏘と響く。こんな話題でなければ聞きほれるような笑い声だった。この古刀は声までうつくしい。
「君は、ほんとうにまっすぐ私を見るのだな」
まぶしそうに眼をほそめられる。何を言い出すのか。揶揄かとも思ったが、その声にははっきりとした賛嘆と痛惜の色があった。
「ほんの数十年後に、君のこの、強くまっすぐな目を……懐かしむ日が来るのだろうな……」
手を伸べられる。思わず身構えたが、彼の手は私の頭をゆるり、ゆるりと撫でただけで離れていった。いつくしまれている。そう信じられる手つきだった。
「山鳥毛さん、」
「だから早く孕んでほしい」
「もう時間ですから本丸に帰りますよ」
相手にしきれないので問答を強制終了して帰り支度をする。払ってきますからその間にパフェをさっさと食べ終えておいてくださいね。お残しはだめですよ。そう言い渡して伝票を持って立ち上がった私の背を、山鳥毛さんの声が追いかけた。
「覚えておいてくれ、小鳥。鳥の涙は人間のそれよりも、濃い」
肌から染み入って心臓を突き殺すような穏やかな声だった。
本丸に帰宅した時点で15時を回っており、多くの刀剣たちは昼寝から目覚めていた。書置きをしていたから心配はされなかったが、山鳥毛さんがパフェを食べたことを短刀たちにうっかりと(本当にうっかりか?)暴露してしまい、乱をはじめとした面々に山鳥毛さんばかりずるいずるいと責められて、次の休みは短刀みんなと審神者でパフェを食べに行こうという話になった。
そのあとの時間は慌ただしく過ぎた。夕方から出陣する部隊を見送り、書類仕事を片付け、夕食の支度を手伝い、帰還した部隊をねぎらい、みんなで遅めの夕食を食べ、私が入浴を済ませて自室に戻ったときには日付が変わる寸前だった。
濃い一日だった。山鳥毛さんにあんなことを言われるとは私は露ほども思っていなかったし、まさか無機物とのお見合いをすすめられるとは夢にも見なかった。
どっと疲れが押し寄せてきて、ぽんと布団に身を投げる。枕元の行燈型のライトを点灯し、リモコンで室内灯を消した。やっと夜が部屋にやってくる。ライトの薄明りの中で、ふと、枕元に置いていたぬいぐるみに目が留まる。エンペラーペンギンのヒナのぬいぐるみだ。私はまるまるとして可愛らしいそれを引き寄せて、腕に抱いた。
「えんぺんちゃん。こんなに可愛いのに、山鳥毛さんには雛鳥の死骸に見えていたのか……」
抱く腕にぎゅうと力をこめれば、ぬいぐるみ内部の加圧センサーが反応してのんきな口調で台詞をしゃべった。
『つかれちゃったのー? げんきになるおまじなーい!』
「ふええ、可愛い。大好きだよえんぺんちゃん~」
それにしても。
――よしんば天寿を全うしたとして、四十年もすれば過去になる。たった、たった四十年だ。
あのときは、死んでから四十年もすればそれは過去にもなるだろうと聞き流していた。しかし思い返してみれば……。
――四十年は短いが、子を孕むには充分に長い。
なぜ山鳥毛さんは、「四十年」と繰り返したのだろう。私は今年25で、2200年代に入ってからのこの国の女性の平均健康寿命は90歳以上をキープしている。四十年後の65歳では年金も下りない。戦争が終わっていなければ、私は年金が下りる80歳までは審神者として働き続けているはずで、それなら山鳥毛さんともあと六十年近くは審神者と刀としてともに暮しているはずだ。私や、山鳥毛さんの身に何事もなければ。
――我々は小鳥の天命が尽きたのちも、この戦が終わったのちも、物として永く世にあるだろう。
(この戦争が終わるより前に私の天命が尽きるのを、疑っていないかのような。)
――たった、たった四十年だ。
……まるで、ほんとうに「残り四十年」だと、知っているような。
そんな、口ぶりだった。嫌な汗がにじんで、背筋が冷える。
「……冷房、強くしすぎたかな。」
ぬいぐるみを抱いたまま夏用の掛布団をのどまでかぶって、私はぎゅっと目を閉じた。
