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妖怪仙人山鳥毛さんが琴の妖精小鳥ちゃんを人界に退治にいく話。

「……それで、ひろってきたのがそのこいぬというわけか」

 友が茶菓子に手もつけずにしみじみというので、山鳥毛は少し気恥ずかしくなった。

「人間に被害はなかった。人界に龍を置いてはおけない。誰かの弟子にして育てる必要があったのだから、私のところでも構わないだろう」

 彼の言い分は、言い訳のように響いた。
 仙界に戻り大包平に復命した山鳥毛は、見聞きしたことと考えたことを余さず報告し、この琴は無害であるが天犬混じりの龍であることに変わりなく、人界には置けぬので仙界で引き取るべきこと、ついては己の弟子にしたいことを隠さず述べた。
 妖仙らのなかでも重鎮である大包平――今は立場から互いに憚りおおっぴらに師匠、弟子と呼び合うことはないが、実は山鳥毛の師でもある――は、鋼色の眼で、山鳥毛の腕の中で喉の奥の弦を震わせ、ぽろろん、ぽろろん、と鳴く尨犬のような蜥蜴のような妖精をじっと見た。人を害していないというなら、殺す理由がない。
 ややもせぬうちに許しを与え、この件はこれまでとしながらも、しかし大包平は山鳥毛に釘を差すことを忘れなかった。

「拾った犬は責任を持って育てろ。……天犬混じりの五爪ニ角の赤龍に成ったら、どうするのかも考えておけ」

 それでその場はお開きとなり、山鳥毛は洞に琴を持ち帰った。
 洞といっても穴蔵ではなく、仙人の住居を慣例的に洞と呼ぶのである。実際には山中の大晶窟に、山鳥毛が構築した結界の中にある邸宅のことだ。ここはどこ、と言いたげに喉の奥の弦を鳴らし、蜥蜴のような尾を後ろ足の間に挟んでしまった琴を抱きかかえると、山鳥毛は洞のなかを案内して、ここが今日から君の家だ、と伝えた。琴は半分もわかっていなかった。
 洞にきた初日は不安そうに喉の奥の弦を鳴らしていた琴だったが、数日した今ではもう洞の暮らしに慣れたようで、山鳥毛の友が客として来ているのも構わず、ひいて、ひいてとねだり鳴りをして山鳥毛の膝によじ登ろうとした。今は山鳥毛の腕の中に抱きかかえられて動きを封じられている。

「それにしても、きみに琴のでしか……拝師のぎしきはすませたのかい?」
「琴が落ち着いてからと思って延ばしていたんだ。今夜にもしようと思う」
「……そのこにぎしきがわかるだろうか?」

 友の視線の先、山鳥毛の腕の中でもぞもぞしている尨犬のような蜥蜴のような妖精は、今の会話の半分だってわかっていない。生まれたての幼い妖精が複雑な思考能力を備えるには時間が必要だ。まだ琴には、弾き手と、それ以外、という二分の世界しかなく、弾き手についても、弾いてくれるときと、そのうち弾いてくれるとき、の二分の判断しかないようだった。幼気なことである。山鳥毛の門下となれば、段々とそんなことは許されなくなる。
 山鳥毛は片手で琴の耳裏を掻いてやる。

「解らなくても、弟子になってもらわなければ」

 琴は龍の幼生だが、頭には角がない。しかしそれは未だ時至らぬからで、耳の裏を掻いてやると、両方の耳の裏から少し上に頭蓋骨にしては奇妙な出っ張りを感じる。時満ちれば、二角の龍になる証だった。前後の足にはそれぞれ五本爪が生え揃っている。琴は五爪二角の、最高位の龍になる未来が定まっていた。ただ問題は……

「てんけんまじりだからね。ぜひともきみのかんとくかにおいて、みはっていてほしいものだ」

 天犬、戦乱呼ぶ凶獣が最高位の龍の幼生に混じり合っていることだ。
 琴に天犬が混ざったのは、所有者が琴を火から守ろうと手を尽くしたことを原因とする。偶然の産物だ。もしも、と予想していた禁呪などの忌まわしい業が行われて生じたことではない。だから琴は完全に別種の凶獣が身に混ざってなお健やかで、妖精としてこのかたちで安定していた。今はそれでもよかろうが、将来的、恒久的に、安定し続けているかはわからない。しかも、どうやら琴には火精のきざし――赤龍に成る兆しが見えている。干魃を喚ぶ五爪ニ角の赤龍と、戦乱を招く天犬の混じりモノ。暴走した場合、止められるものは仙界でもほとんどいないだろう。
 大包平が「考えておけ」と言ったのはそこだ……いざとなれば山鳥毛自ら、琴を破壊しなければならない、そうならぬように考えておけ、ということだ。
 山鳥毛に耳裏を掻かれた琴が子犬のように喜ぶので、彼は今度は顎の下を掻いてやる。琴は喜んで鳴った。まだ逆鱗は生えていない。
 琴を撫でてやりながら、山鳥毛は薄く笑った。指で触れる尨犬のような体はやわらかく、あたたかい。人間に愛された証のぬくみだ。これを損なうのは、忍びなかった。

「何、火精に目覚めさせなければいい。そのために私の弟子にする」
「なにを。かげろいのじゅつをつかったんだろう、そのこは」

 山鳥毛は嘯いた。

「この琴には白い尨毛が似合うだろう」

 白は、金精の色。山鳥毛を頭とする一族の色でもある。

「妖孽に成るとき、弟子が師の与えた感覚を頼りにするのはよくあることだ」
「ようげつにあがるときの、せいしつのかくせいをまげる、と?」

 友の問に確と頷く。

「これより後、私がこの琴を弾くときは、指に金精を纏わせて触れよう。金精か、せめて火精混じりの金精に育てよう。五爪ニ角の白龍ならば最高位の聖獣。天犬も白変すれば無害になる。誰も文句は言えまい」

 友は、ふかのうだろう、と、言おうとして、やめた。山鳥毛は一つ身に金精と火精を併せ持つ稀有な妖だ。その彼が精質を枉げて育てるというのだから、枉がるし、育つのだろう。見れば琴の妖精体を撫でるその指先には、すでに僅か微量の金精が帯びられている。彼の『教育』は、すでに始まっているのだ。琴は妖仙ふたりが己のことを話しているのもわからずに、ただ山鳥毛が己を撫でる指の動きが弦をはじく動きに似ているのを喜んだ。喉の奥から、弦が、ぽろろんっ、と機嫌よく鳴る音がする。
 友は話題を変えることにした。

「ぎしきには、きみのいちぞくをよんだのかい?」
「いや。琴が怯えるといけないからな。一家との顔合わせは別の機会にゆっくりとするつもりだ」
「ずいぶんとかんりゃくかするんだね」

 山鳥毛がくすくすと笑う。

「新弟子は人語も話せないのだから格式張っても仕方ないさ。ただ私に一度、頭を下げる素振りさえみせてくれたなら、それで契りとするつもりだよ」

 儀式の見届人も不要というので、友は帰った。
 客がいなくなったのでまた、ひいてほしいとねだり鳴りをはじめた琴の首を、犬の子を叱るように軽く掴む。びゃん! と嫌がって鳴ったので、抱きかかえる形に戻す。門弟としても少しずつ礼儀を躾けねばならない。腕に琴を抱いたまま、山鳥毛は廟へ向かった。儀式は簡単なものにするつもりだったが、一家の他の物から琴が後ろ指を指されぬよう、最低限の形式は守る。
 廟には天地と日月が祀られている。人間から成った仙ならここに祖霊やら神々やらを多く祀るのだが、妖から成った仙が祀る廟は、彼らを妖と成さしめた天地と日月だけを祀る。廟を拝し、天地日月の前で弟子が師を拝せば、拝師、つまり師弟の契りは成ったとされる。本来であれば同門の物らを片端から呼び寄せて、それらにも師叔、師兄への礼をさせるのだが、山鳥毛の一門は数が多い。彼らは山鳥毛の一言さえあれば仙術で瞬く間に馳せ参じるが、そんなことをすればこの小さな妖精は大勢の知らぬ顔を見て怯えてしまうだろう。儀式は儀式で早々に済ませ、それからゆっくりと一門に引き合わせたかった。
 山鳥毛は琴を床におろし、背後でおとなしく見ているようにと言い聞かせてから、まず天を拝し地を拝す。祀詞を捧げ、次いで、日を拝し、月を拝す。さらに祀詞を捧げてから琴の妖精に向き直ると、よくわからない、という顔で山鳥毛のすることを見ていた。その様子がなんだか可笑しい。
 くすり、と少しだけ笑んでしまってから、山鳥毛は琴の前に片膝をついて近づいた。

「これより君を我らが一門、私の弟子に迎えよう」

 ここで本来は、弟子となるべき妖精に名を答えさせる。しかしこの琴は人語を話せない。これほどの名器であるのだから、人間たちが銘を奉らなかったわけがないのたが、山鳥毛の目の裏にはあの廃墟の焼死体があった。これほど愛された琴、名を持たぬはずのない琴、しかしその名を知っていたであろう人間は、もはや冥府の民である。誰もこの琴の銘を知らないのだ。山鳥毛の胸に、秋風の吹く心地がした。

「君を――」

 人間たちは、何と呼んでいたかな。そう問おうとして、やめる。それは琴には哀しみの問だろうし、今の琴には答えるすべがない。代わりに、琴の本体、琴額に施された傷隠しの白蝶貝の象嵌、琴が人間に長く大切に守られてきた証の鳥花紋様を思う。

「君を、今から私は小鳥と呼ぼう。君の名は小鳥だ」

 君に相応しい名だろう、人に愛された古琴の精よ。そう言われても、琴にはよくわからない。首を傾げて、りゃん、と控えめに喉の奥の弦を鳴らした。それはなに。どうすればいいの。
 山鳥毛の手が琴の尨犬の頭をゆるゆる撫でた。

「小鳥。君は、小鳥だ。返事をしなさい」

 琴はわからないなりに、新しい銘を打たれたらしいと思い当たり――長く人の世にあったから、銘も号も愛称も、いくつかもっていた――、喉の奥の弦をいっぱいに掻き鳴らし、誇らしげな音で、ぽろろん! と鳴った。銘を与えられるのは名琴の証だ。この瞬間から、この琴は山鳥毛の小鳥になった。

「さて、小鳥。次に私を呼んでごらん。君の師の号は、山鳥毛という」

 師匠やら、師父やら、敬称などの概念はまだ琴には難しかろうと思って、とにかく号だけ呼ばせることにした。

「山鳥毛、だ。ほら、呼びなさい」

 琴は困った。その人語は琴曲でも歌詞でもない。
 びゃびゃん、と、こわごわ喉の奥の弦を揺らすが、もちろん師の名にはならなかった。琴の頭を撫でながら、山鳥毛は手がかりを与えた。曲の題の音なら知っているはずと踏んだのだ。

「……『高山流水』の山に、『空山鳥語』の鳥、毛は……」

 ちょうどよい曲名が思い当たらなかったので、書名で茶を濁す。

「『毛詩』の毛、だ。続けると、山鳥毛。わかるかな?」

 琴は、特に最後のがやっぱりよくわからなかったが、先の二つのはなんとなくわかったので、喉の奥の弦を揺らす。ぽろろ、ん、と鳴った音に、人語の意が乗る。
 不意に琴のなかを巡ったのは、いつかの過去の人間との記憶だった。空山鳥語は元々七弦琴の曲ではない。けれどあの曲を好んだ持ち主がいて、曲をうつして琴でも弾いたことがあった。

〈…鳥…〉

 高山流水は古い名曲で、琴も数え切れないほど弾かれてきた。多くの人間が愛した曲だ。琴も好きな曲だった。

〈山、鳥、……〉

 なつかしい。何もかもがなつかしい。なつかしい人間たちを思うと、おと、と、人語、が、不思議と結びついて、目の前の妖仙のかたちに近づいていく。

「そうだ、小鳥。上手だ。もうひとつ、『毛』。言ってごらん」

 最後の一字は知らない言葉で、琴の弦は何度もつっかえ、びょう、びょう、と鳴った。
 何もわからないなりにもなんだか気まずくて、そっと琴が山鳥毛の顔を窺い見ると、なぜだか彼は微笑んでいた。ちいさなものを慈しむ顔だった。緋色の目は焔と同じ色なのに、琴から何も奪わない、優しいいろをしていた。

「山鳥毛。呼んでおくれ」

 その眼を見ているうちに、不思議と、さらり、と弦は鳴った。

〈山鳥毛〉

 五音調和した琴の音に、正しく意を伴って、山鳥毛の名が乗った。子犬のような子蜥蜴のような頼りない妖精体から、紛れもなく無二の名琴としての奏が響く。

〈山鳥毛〉

 琴が繰り返して喉の奥の弦を鳴らすので、山鳥毛は思わず、琴を抱き上げて胸に抱いた。可愛く思った。この幼い妖精が、はじめて、意の通る人語として発したのが、己の号。呼ばせたのは己であるのに、面映ゆく、胸が詰まった。

「よくできた。これで君は、私の弟子、私の小鳥だ」

 腕の中でもぞもぞしている妖精の後頭部を撫で、撫で、としてやる。これで一通りの儀式は終わりだ。師弟の縁と契は結ばれた。
 これから山鳥毛はこの琴に対し、いついかなるときも師として目をかけ、心を配り、我が子のように慈しみ守る義務を負う。琴も、師を親同然に仰いで教えを受けねばならないのだが、きっと今はわかるまい。まずは、弾いてほしいときのねだり鳴りと膝への飛びつきをやめさせる躾から始めねばならぬ。
 儀式の一通りは済んだ。最後に山鳥毛の一門での作法として、仙桃から得た仙酒を用いて盃を交わす。師も弟子も盃を乾かしてのち、弟子が師を拝し、師が弟子を祝いで、儀式は終わりとなる。ただ、山鳥毛はこの、妖精に成りたての琴には仙酒はまだまだ早いと思っていた。琴を抱いたまま袖のうちに忍ばせていた仙桃を取り出す。抽出前の仙桃そのものであれば、妖精体を壊すほど酔いはしないだろうと、それを食べさせる算段でいたのだ。盃の順をなぞって、まず山鳥毛が仙桃を一口、かじってみせる。仙境の気を吸って育った仙桃はただの人間には霞としか思えないが、妖には格別の味がする。わかるのか、琴も尨犬の鼻をひくつかせた。

「仙桃だ。齧って、食べなさい」

 琴の口吻の先に差し出すのだが、食べる、という行為に拒否感があるようだった。いやいやと喉の奥の弦を鳴らす。琴は楽器だ。楽器はものを食べたりしない。ものを食べるのは人間や鳥獣だ。器物はものを食べたりしない。ぐいぐいと身をよじって逃げようとするので、山鳥毛は片腕に抱えた琴も片手に持った仙桃も落とさぬように注意しなければならなかった。

「こら、小鳥」

 たしなめても琴の意識は未だ器物、食べ物で汚れては大変、と暴れるのだ。仕方なしに山鳥毛は餌で釣って食べさせることにした。

「一口、仙桃を食べたなら。明日は君が満足するまで弾いてあげよう」

 たった一口だ、汚れてもすぐに拭き清めよう、と山鳥毛が誘惑するので、琴は迷った。山鳥毛が琴を弾くときのすばらしさを思い出したのだ。昨日も琴を膝に載せて、琴が満足して眠ってしまうまで、よくよく弾いて、楽器としての性を満たしてくれた。
 うっとりするほど上手に弾いてくれる山鳥毛の指を、琴はすでに好ましく思っていた。ひいてくれる、あした、たくさん。琴の心が揺らいで、つられた喉の奥の弦も漣を打った。食べるというのは器物のすることではない、けれど食べたなら器物としてのしあわせをくれるという。
 しかしいま一歩というところて、琴は仙桃に口をつけなかった。長く人間に愛されて裏打ちされた器物としての意識と矜持が、知り合って数日の山鳥毛が与えるしあわせに勝ったのである。申し訳なさそうに、ぽろろ……と鳴って、仙桃の表面だけを舐めて見せはするのだが、齧り付く気配はなかった。
 ふむ、と山鳥毛は思案する。琴の器物としての在り方を甘く見ていたと気づいたのだ。が、一口でいいから仙桃を飲み込んでくれなければ、一門に新たな弟子だと紹介できない。紹介しても盃(の代替品の仙桃)すら交わさなかった新弟子など、一門のほうが拒むだろう。それは避けたい。

「仕方のない子だ」

 表情を苦くして、山鳥毛はもう一口、小さめに桃を齧る。要は、琴が仙桃を飲み下しさえすればよい。ぽろろ……と喉を鳴らし、つまりは薄く口を開けて山鳥毛を見上げる琴の口に、山鳥毛は仙桃の破片を含んだ己の口を押し付けた。
 仙桃を床に棄てる。果汁が床に散って豊穣を香らせた。驚愕した琴が暴れる前に咥内に仙桃の一口を押し込むと、山鳥毛は間髪入れずに尨犬の口吻を掴んで口を閉ざさせ、上を向かせて喉の動きを注視する。強制閉口のうえに、喉とその奥をまっすぐにしてしまうと、犬の喉のつくりから、飲み下さずにはいられない。
 尨犬の喉が、ごくり、と、動く。器物でありながら、「食べる」という行為をした。仙桃を飲み下したのだ。口吻を掴んでいた手を離して、よしよし頑張った、と撫でてやる。琴は思わず怒って唸り鳴りをしようとして、しかしそんな余裕もなく山鳥毛の腕に身を任せることになった。仙桃の気が巡ったのだ。
 仙桃の気、仙境の妖気と霊気で育まれた芳醇な気。琴のなかの人界の塵を洗い流して、人界の器物、人界の妖から、仙界の器物、仙界の妖、に染め替えていく。仙界でいきていくのに相応しいように、その身を清める。彼の一門が拝師の儀式で、必ず仙桃から得た酒を用いて盃を交わす理由がこれだ。
 仙界と人界は在り方が違う。人界の塵が残ったままでは仙界の空気のなかで生きていけない。だから仙桃を用いて塵を払う。……仙桃は仙酒ほど強くないはずだが、魂のうちを洗われる刺激が琴には強すぎたようで、くたり、と山鳥毛の腕に頭を預けた。

〈山鳥毛っ〉

 覚えたばかりの師の名を呼び鳴きする。
 体のどこもかしこもが不定形になったようで落ち着かなかった。

〈山鳥…毛……〉

 再度、喉の弦をどうにか揺らして呼び鳴きすると、師のやわらかな声が降りた。

「よしよし、いい子だ。よく食べた」
〈…山、鳥……〉
「約束は守る。明日は君を弾こう。もう今日はお休み」

 腕に抱いて、とん、とん、と、背を軽く叩いてやると、琴は安心したように眠りについた。騙し討ちで物を喰わされたというのに、明日の約束、器物としてのしあわせを思ってか、寝顔はぽやぽやとして安らかだった。
 ……師への拝礼がまだ済んでいないのだが、腕に頭を預けたときに頭の位置がさがったのを、あれがそうだ、とこじつけることにする。よし、よし、と撫でてやる。類稀なる名琴の妖精、天犬混じりの五爪の龍の幼生。人間が業を尽くして生み出した名器だからこそ龍宿しとなり、人間に心を注がれ愛されたからこそ天犬混じりの妖精となった琴。
 同じ弦の楽器でも、箏はその形状から多く三爪の龍を宿すが、琴は賢者と聖王の楽器であるから、龍宿し、則ち高位の妖の卵になることはまずない。龍宿しの琴は珍しい。けれど、人に尽くされた業と、人に尽くされた情が、この琴を、彼の小鳥を天犬混じりの龍にした。山鳥毛は感歎する。
 そしてあの夜、あの焼跡で、鳳求凰の熱烈な調べで以て片割れを、弾き手を求めた琴の姿を思い出す。たよりない四肢で地を踏んで、か弱い喉をそらして天を仰ぎ、激情のままに弾き手を求めた琴の姿を思う。あれほど弾き手を、人間を求めるほど、人間に愛され、人間を愛してきたのだろう。琴と人間の間に通っていた――今は仙桃に、塵、として洗い流されている――ものを思うと、山鳥毛はこの琴を、火精にだけはしてはならぬと強く念じた。

「――――小鳥、小鳥。君は二つと得難い龍の琴。人が守り伝えた名器中の名器。だからこそ、君には白い尨毛が似合うだろう。金精になりなさい。白変天犬混じりの白龍、天地に唯一の聖獣にこそ育ちなさい。何があろうと君だけは、妖として仙の道を行き、聖に至らねばならないよ」

 この幼い妖精を育てよう。この幼い龍を慈しもう。必ずや金精の、五爪二角の白龍、最高位の聖獣に導いてみせる。天犬の混じりの赤龍、戦乱の凶兆などにさせはしない。そのために己は、この幼生と行きあったのだと、山鳥毛は思った。

(それにしても)

 もう一度、鳳求凰を奏でたときの琴を思う。熱烈な、心からの求めうただった。
 くすり、と笑みが出た。この琴を拾ってから、笑うことが増えた気がする。琴は曲のこころはわかっても語句の意味は理解していないようだった、ならば、あの、心に定めたつがいの凰を得られぬならば、それは滅びだという苛烈な鳳の情をうたいきったという事実を、この琴は知るまい。
 小鳥や、小鳥や、幼い小鳥。器物の君は知るべくもないが、君の奏でたうたは、こう続くのだ。琴をやさしく腕に抱いたまま、山鳥毛は口ずさむ。

「凰や、凰や。我に従いてここに棲(やど)れ……」

 そうするなれば、永く君を妃と為さん、と。
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