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小鳥を見送った山鳥毛の話


 山鳥毛の小鳥が巣から旅立ってから、二か月ほどが経った。
 山鳥毛の生活は、彼の在りようは、何一つ変わらない。
 彼は小鳥の臨終のときに慟哭したきり、その後の葬儀でも本丸の引継ぎでもいつもどおり泰然としたまま、精力的に仕事をこなして、悲しむ様子を見せなかった。
 小鳥が死ぬ前から引き継ぎの審神者は決められていて、山鳥毛たちの主になる。予定調和だ。小鳥が死ぬ前に定めたように、小鳥が死んだ後のことが進められていく。すべては淡々と済まされ淡々と流れていく。
 山鳥毛は引継ぎの審神者と主従の誓約を済ませ、忠誠を誓い、まるで何事もなかったかのように、最初から引継ぎが主だったかのように、ただ、仕えた。
 それを見て本丸の刀たちは何も言えなかった。山鳥毛と先代――そう、八十年の長きに渡って彼らを統べた彼女は、もはや『先代』なのだ――の審神者がどれほど強く結びついていたかは、どの刀もよくよく知っていた。悲しんでみせないなら苦しんでいないなどと、そんな軽薄な勘違いをする刀はひとつもなかった。
 初期刀の歌仙兼定も初鍛刀の五虎退も、元初太刀の同田貫正国も、みな、沈黙を保った。小豆長光がぽつりと言う。いまはかれをそっとしておこう、と。それが刀たちの総意だった。
 だが、引継ぎだけはたまらずに声をかけた。
 引継ぎの齢は数え十一。数え八つで先代の弟子になった子供だ。常なれば長く先代に仕えた近侍を敬って「山鳥毛様」と呼ぶのを、はばかりながらも、こう呼んだ。

「ひいおじいちゃま、」

 やや赤みがかった黒い目を心配そうに細めて、引継ぎは問うた。目のかたちが、細め方が、在りし日の先代にそっくりだった。

「……だいじょうぶ?」

 声色は違う。顔だって随分違う。けれどどこにもかしこにも、山鳥毛が愛した小鳥の面影があった。
 小鳥が人間として生きて、人間のまま死んで、そうすることで残してくれたたくさんの宝のうちのひとつが、山鳥毛の目の前にあった。

 ――――本当は引継ぎは、曾祖父を曾祖父と呼んではいけないのだ。

 君臣の別を保つ大切さは他ならぬ山鳥毛によって厳しく躾けられた。身内だからと特別にしてはいけない、身内であっても武器として部下として扱わなければならない、それができないなら、最初から身内だなどと、曾祖父だなどと思ってはいけない、そう躾けられた。
 いつもなら、「ひいおじいちゃま」と呼ぶと一瞬、桜が散るのに、次の瞬間には厳しい表情を向けられて諫められる。場合によっては、日光おじさままでいっしょになって引継ぎをお説教してくる。いつもなら、そうだ。
 曾孫が審神者としてふさわしくないことをしても叱れないほどに弱っているひいおじいちゃまを放っておくなんて、引継ぎにはできなかった。
 引継ぎも、大好きなひいおばあちゃまがいなくなって、もう二度と会えないなんて、かなしい。さびしい。でも、曾孫よりずっとひいおばあちゃまと一緒にいて、いつもひいおばあちゃまを大切にしていたひいおじいちゃまが、かなしくもさびしくも、ないわけがないのだ。
 曾孫娘が、もう一度おずおずと、大好きな母方の曽祖父に問う。不安で下げ切った眉のかたちは、山鳥毛に少しだけ似ていた。

「……だいじょうぶ、じゃ、ない?」

 このとき山鳥毛の喉に詰まった熱い塊は、果たしてなんだっただろう。
 今際の際に、小鳥は、「大丈夫よ」と鳴いた。小鳥が大丈夫だというなら、大丈夫なのだと、そうありたいと、山鳥毛は努めて平静を保とうとしてきた。
 泣けこそできなかったが、彼は目を伏せ、歯を食いしばって首を横に振った。

「いや……大丈夫だ。すまない、雛鳥に心配をかけてしまったな」

 本当は何一つ大丈夫ではなかった。
 小鳥を人間のまま死なせたことを悔い、早々にヒトの輪から外しておけばよかったと悔い、ヒトとして最期までありたいという小鳥の望みを守ることを誓約していたことを悔い、そんな欲を持った己を心から恥じた。日々悔いては恥じた。小鳥は人間として美事に生き抜いたというのに、残った己はこのざまで、山鳥毛を信じて託してくれた小鳥に申し訳なかった。

「本当?ひいおじいちゃま、とても苦しそう」
「……今はまだ、大丈夫ではない。だが、大丈夫なんだ」
「どうして?」

 今はまだ苦しい。今はまだ寂しい。今はまだ、小鳥がもう亡いことが、たまらなく苦しくて寂しい。
 けれど、山鳥毛は「大丈夫」だった。
 小鳥は、「大丈夫よ」と鳴いた。あれは山鳥毛なら小鳥が死んでも平気だと言ったのではない。そんなことは山鳥毛が一番よくわかっていた。
 小鳥は、山鳥毛を、小鳥が人として生きた証の数々が支え守るから、「大丈夫」だと言ったのだ。
 山鳥毛は引継ぎの雛鳥に、幼かったころの先代にしたのと同様に微笑んだ。

「君のひいおばあちゃまが、立派に生きてくれたから。私は大丈夫なんだよ」

 今はまだ苦しい。今はまだ寂しい。けれど、最期まで人として生きた小鳥の足跡に芽吹いたものたちを思うと、山鳥毛の心――小鳥が山鳥毛に与えた肉の器に付随する、不可思議なはたらき――は温かくなる。
 一家の鳥たちと、小鳥以外のものを、愛おしく慈しむ日が来るなどと、数十年前の山鳥毛には想像ができなかった。
数十年後の今、頼りなげに立つ引継ぎ審神者を、心から愛おしく、守りたいと思っている。

(私はきっと、「大丈夫」だ)

 この先を征くための力は小鳥が遺してくれた。
 弱った曾祖父の言うことが信じられないのだろう、まだ心配そうにしている曾孫娘の黒銀の髪を、山鳥毛は優しく、ゆっくりと撫でた。
 まだ幼い、羽毛のようにふわふわと柔らかな髪。この手触りだって、数年もすればしなやかな女の髪になり、数十年もすれば山鳥毛に似た銀灰になる。
 ああ、この子供はヒトなのだ。
 絶えず生まれ老いて消えていく、流転のいきもの、身も心も一瞬たりとて同じかたちでいられない、儚く脆弱で移り気な、ゆえに尊いもの、鋼とは何ひとつ、在り方の重ならぬもの。ひとたび触れ合っても、二度と道の通わぬもの。これまでの永い時のなかで、山鳥毛の前をずっと通り過ぎていった無数のもののうちのひとつ。
 そして、小鳥の血によって生まれ、小鳥とは何一つ同じではない道を征くもの。
 小鳥ではないのに、山鳥毛の痛みを分かち合おうとするもの。小鳥の血と山鳥毛の鋼を継ぐもの。家族であるもの。
 こころからいとおしい。

「私は大丈夫だよ。だから……君も、どうか健やかに、人として生きてくれ」

 咲くように笑う。久方ぶりに、緋色の眼の神炎が、きらきらとあたたかく燃えた。
 よくわからないなりにも、大好きなひいおじいちゃまの眼に気力が戻ったのを察知した引継ぎの子供は、怪訝な表情ではあったがこくりと頷いた。




 ――――どうか健やかに、人として生きて、人として営み、人として死んでくれ。君の足跡にもまたその証が芽吹くだろう。私はこの先ずっと、君たちの証を愛して、世に在ろう。
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