二次創作の覚書
このページは、一個人の思想が書かれています。
思想が異なる方には「何言ってんだ?」と感じる表現が含まれることがあります。
あくまで思想でしかないため、これを根拠にルール作りをする意図は一切ございません。
二次創作は個人一人一人の責任に委ねられています。
二次創作の覚書
科学漫画が好きな方が集まるコミュニティならば、
非科学(お気持ち・オカルト)は排除して、
科学的・論理的・技術的・法的・経済学的、に考えるのが筋じゃないかな、
とは思います。
『二次創作はグレーゾーン』
『二次創作はお目潰し』
なんて、愛好者の間で合言葉のように紡がれる言葉ですが、
何故、それが通用するのか。
ちゃんと考えたことはありますか。
『二次創作は版権の許可を得ずに勝手にやるものだから、隠れてコソコソやるべきだ!』←言いたいことはわかる
『(関係者に)見つからないように(全体公開で)投稿しよう』←ワカラナイ
だって、
「見えていない」と
「見えていない"ふりをする"」とは
天と地ほどの差があるということですから。
インターネット上に投稿されたものは、アクセス制限をかけない限り、すべて"後者"です。
検索避け(固有名詞を含めない)なんていう小手先のおまじないはオカルト(非科学)に分類されます。そういう宗教の伝統行事としてやりたい人だけやればいいと思います。
全体公開にするってことは、その瞬間から、全世界に見られている状態になっているわけです。教室のすみっコでラクガキ発表会するのとはそもそも仕組みが違うんです。
投稿する前に、常に「誰に見られているかわからない」という緊張感をもつことがインターネット上での最低限のリテラシーだと学校で教わりませんでしたか。
中の人(がそうと公表せずに)があなたをフォローしていることだってふつうにありうるのが今のSNSじゃないですか?
とくにインターネット老人会を筆頭とする古い価値観のままの人ほど、
最新の技術的落とし穴に気づけていないように思えます。
現在のXのアルゴリズムでは、直接的な文字を含めずとも『おすすめ』や『もっと見る』にピックアップされてしまうんです。
それが意味することは、
能動的な『ワード検索』で見つけるポストより、
受動的な『おすすめ』で目にする(検索避けされたはずの)ポストの方が、
目に入りやすい構造になっているように見えるからです。
2026年7月15日、イーロン・マスク氏が自身の投稿で『数回の「いいね」によって似たようなコンテンツであなたを過剰に埋め尽くさないアルゴリズムもまた、別の修正です』と語っていました。つまり、この修正が実施されなければ、数回のいいねで『似たようなコンテンツ』が(フォローの有無関係なく)表示されまくる自体がふつうにあるということです。
私がインターネットを始めたのは38年の歴史がある某鎧戦士のコミュニティが最初ですが、
オタク黎明期、個人サイト最盛期、SNSインフラ期とで、ファンコミュニティの様相がパラダイムシフトしていくのはまじまじと感じています。
時代によってやり方が変わるのは、ごく自然なことです。環境適合できたものが生き残るのは、歴史が証明しています。
今はどんな時代なのか?
文化庁が、二次創作を定義しやがりました。
誰でも気軽にインターネットに投稿できる時代だということです。
その昔は、ムラのオキテを守らないものは排除できるくらいの小さいコミュニティでした。そもそも入れる人に限りがあったので。
今は違います。誰でも投稿できてしまうのです。
「こうこうこういう失敗の歴史があって、我々はその轍を踏まないように…」って暗黙の了解で進んできたコミュニティに、ある日突然それを守らないやつがポンポン出てくるんです。
誰でも=歴史的文脈を知らない初心者(非オタク含む)でも投稿できるので。
文化庁の出した二次創作の定義、とは?
『例えばいわゆるコミックマーケットにおける同人誌等の二次創作活動については,一般的には,原作のまま著作物等を用いるものではなく,市場において原作と競合せず,権利者の利益を不当に害するものではないこと』
出典:環太平洋パートナーシップ協定の締結に伴う関係法律の整備に関する法律(平成28年法律第108号)及び環太平洋パートナーシップ協定の締結に伴う関係法律の整備に関する法律の一部を改正する法律(平成30年法律第70号)について(文化庁)
>市場において原作と競合せず
>権利者の利益を不当に害するものではない
優先的に守るべきなのは、こっちなんじゃないでしょうか?
→公式がネットプリントサービスを正式リリースしました。なので、ネップリは、経済学的に見れば、『市場において原作と競合』してしまいます。それは『権利者の利益を不当に害する』に合致してしまう、と。私はこれを懸念しています。
アクスタや缶バッジ、フレークシールなどの「画像さえ納品すれば業者が作ってくれるもの」も、これに該当すると思っています。既に市場にあるものと同等のクオリティーで作れてしまうので。ひとたび所有者の手を離れてしまえば、『海賊版』として中古市場を汚染してしまいます。これは『市場において原作と競合』しうる危険な存在だという認識でいます。(せめて公式ではないとハッキリ明記するくらいの水際対策はしてほしいナアという気持ち)
「使える」と
「使っていい」は、
別のレイヤーとして考えるべき、だとも。
『二次創作はグレーゾーン』
『二次創作はお目潰し』
なんて、愛好者の間で合言葉のように紡がれる言葉ですが、
それでは何故、それが通用するのか。
二次創作は、それ自体が直接、原作や版権の利益を侵害するものではないから、
が大前提としてあるから、ではないでしょうか。
ファンが作品愛を語ったり、ファンコミュニティのコミニケーションツールとして二次創作が使われている、そういう認識で見られているんだと。
つまり、逆にいえば、
二次創作が直接、原作や版権の利益を侵害する行為と認められれば即アウトの判定をくらうのではないか、という懸念があるわけです。
二次創作で「これはだめ」はいくらでもありますが、「これならいい」は、公式ガイドラインがあれば解決(線引き)できますが、かの出版社にはそれがありません。なのでなんとも言えません。(まじでお気持ち程度のささやき)
しかし、イベント主催が
・公式とは一切関係ない
ことを明示しているので、ファンコミュニティの交流イベントなんだね、で済むんだろうなと思っています。イベント主催は「場を提供しているだけ」なので。
あとは、参加者一人一人の責任でしょう。
著作権侵害はあくまで親告罪なので、何の関係も無い一個人が創作者を非難する資格はありません。私刑なんて愚行の極みですし。嫌だったら『そっ閉じ』で済むことです。
結局のところ、個人の倫理観(モラル)が試されているんだろな、と感じています。
二次創作の著作権
一番大事なことは、
原作者の哀しむような表現はしないことに尽きるんじゃないかな、というのが個人の意見です。
この覚書自体も、10年後には古い価値観と嘲笑れているかもしれません。
2026年8月1日
思想が異なる方には「何言ってんだ?」と感じる表現が含まれることがあります。
あくまで思想でしかないため、これを根拠にルール作りをする意図は一切ございません。
二次創作は個人一人一人の責任に委ねられています。
二次創作の覚書
科学漫画が好きな方が集まるコミュニティならば、
非科学(お気持ち・オカルト)は排除して、
科学的・論理的・技術的・法的・経済学的、に考えるのが筋じゃないかな、
とは思います。
『二次創作はグレーゾーン』
『二次創作はお目潰し』
なんて、愛好者の間で合言葉のように紡がれる言葉ですが、
何故、それが通用するのか。
ちゃんと考えたことはありますか。
『二次創作は版権の許可を得ずに勝手にやるものだから、隠れてコソコソやるべきだ!』←言いたいことはわかる
『(関係者に)見つからないように(全体公開で)投稿しよう』←ワカラナイ
だって、
「見えていない」と
「見えていない"ふりをする"」とは
天と地ほどの差があるということですから。
インターネット上に投稿されたものは、アクセス制限をかけない限り、すべて"後者"です。
検索避け(固有名詞を含めない)なんていう小手先のおまじないはオカルト(非科学)に分類されます。そういう宗教の伝統行事としてやりたい人だけやればいいと思います。
全体公開にするってことは、その瞬間から、全世界に見られている状態になっているわけです。教室のすみっコでラクガキ発表会するのとはそもそも仕組みが違うんです。
投稿する前に、常に「誰に見られているかわからない」という緊張感をもつことがインターネット上での最低限のリテラシーだと学校で教わりませんでしたか。
中の人(がそうと公表せずに)があなたをフォローしていることだってふつうにありうるのが今のSNSじゃないですか?
とくにインターネット老人会を筆頭とする古い価値観のままの人ほど、
最新の技術的落とし穴に気づけていないように思えます。
現在のXのアルゴリズムでは、直接的な文字を含めずとも『おすすめ』や『もっと見る』にピックアップされてしまうんです。
それが意味することは、
能動的な『ワード検索』で見つけるポストより、
受動的な『おすすめ』で目にする(検索避けされたはずの)ポストの方が、
目に入りやすい構造になっているように見えるからです。
2026年7月15日、イーロン・マスク氏が自身の投稿で『数回の「いいね」によって似たようなコンテンツであなたを過剰に埋め尽くさないアルゴリズムもまた、別の修正です』と語っていました。つまり、この修正が実施されなければ、数回のいいねで『似たようなコンテンツ』が(フォローの有無関係なく)表示されまくる自体がふつうにあるということです。
私がインターネットを始めたのは38年の歴史がある某鎧戦士のコミュニティが最初ですが、
オタク黎明期、個人サイト最盛期、SNSインフラ期とで、ファンコミュニティの様相がパラダイムシフトしていくのはまじまじと感じています。
時代によってやり方が変わるのは、ごく自然なことです。環境適合できたものが生き残るのは、歴史が証明しています。
今はどんな時代なのか?
文化庁が、二次創作を定義しやがりました。
誰でも気軽にインターネットに投稿できる時代だということです。
その昔は、ムラのオキテを守らないものは排除できるくらいの小さいコミュニティでした。そもそも入れる人に限りがあったので。
今は違います。誰でも投稿できてしまうのです。
「こうこうこういう失敗の歴史があって、我々はその轍を踏まないように…」って暗黙の了解で進んできたコミュニティに、ある日突然それを守らないやつがポンポン出てくるんです。
誰でも=歴史的文脈を知らない初心者(非オタク含む)でも投稿できるので。
文化庁の出した二次創作の定義、とは?
『例えばいわゆるコミックマーケットにおける同人誌等の二次創作活動については,一般的には,原作のまま著作物等を用いるものではなく,市場において原作と競合せず,権利者の利益を不当に害するものではないこと』
出典:環太平洋パートナーシップ協定の締結に伴う関係法律の整備に関する法律(平成28年法律第108号)及び環太平洋パートナーシップ協定の締結に伴う関係法律の整備に関する法律の一部を改正する法律(平成30年法律第70号)について(文化庁)
>市場において原作と競合せず
>権利者の利益を不当に害するものではない
優先的に守るべきなのは、こっちなんじゃないでしょうか?
→公式がネットプリントサービスを正式リリースしました。なので、ネップリは、経済学的に見れば、『市場において原作と競合』してしまいます。それは『権利者の利益を不当に害する』に合致してしまう、と。私はこれを懸念しています。
アクスタや缶バッジ、フレークシールなどの「画像さえ納品すれば業者が作ってくれるもの」も、これに該当すると思っています。既に市場にあるものと同等のクオリティーで作れてしまうので。ひとたび所有者の手を離れてしまえば、『海賊版』として中古市場を汚染してしまいます。これは『市場において原作と競合』しうる危険な存在だという認識でいます。(せめて公式ではないとハッキリ明記するくらいの水際対策はしてほしいナアという気持ち)
「使える」と
「使っていい」は、
別のレイヤーとして考えるべき、だとも。
『二次創作はグレーゾーン』
『二次創作はお目潰し』
なんて、愛好者の間で合言葉のように紡がれる言葉ですが、
それでは何故、それが通用するのか。
二次創作は、それ自体が直接、原作や版権の利益を侵害するものではないから、
が大前提としてあるから、ではないでしょうか。
ファンが作品愛を語ったり、ファンコミュニティのコミニケーションツールとして二次創作が使われている、そういう認識で見られているんだと。
つまり、逆にいえば、
二次創作が直接、原作や版権の利益を侵害する行為と認められれば即アウトの判定をくらうのではないか、という懸念があるわけです。
二次創作で「これはだめ」はいくらでもありますが、「これならいい」は、公式ガイドラインがあれば解決(線引き)できますが、かの出版社にはそれがありません。なのでなんとも言えません。(まじでお気持ち程度のささやき)
しかし、イベント主催が
・公式とは一切関係ない
ことを明示しているので、ファンコミュニティの交流イベントなんだね、で済むんだろうなと思っています。イベント主催は「場を提供しているだけ」なので。
あとは、参加者一人一人の責任でしょう。
著作権侵害はあくまで親告罪なので、何の関係も無い一個人が創作者を非難する資格はありません。私刑なんて愚行の極みですし。嫌だったら『そっ閉じ』で済むことです。
結局のところ、個人の倫理観(モラル)が試されているんだろな、と感じています。
二次創作の著作権
一番大事なことは、
原作者の哀しむような表現はしないことに尽きるんじゃないかな、というのが個人の意見です。
この覚書自体も、10年後には古い価値観と嘲笑れているかもしれません。
2026年8月1日
