ライナスの布
本丸の庭の片隅に、水を汲むための大きな井戸がある。
歌仙がいた門の近くからは、ほぼ死角になっている場所だ。
山姥切がその井戸に目を向けると、その陰から薄汚れた布の塊がひょっこりと頭を出していた。
まるで下手くそなかくれんぼをしている、大きな子供みたいな自分の写しに声を掛ける為に、山姥切は足音を潜めて背後から近づいた。
「おい」
「うわあっ!?……げっ、本歌」
いきなり声を掛けられて驚いた切国は、地面から数センチ浮いたのではないかと思う程飛び上がったが、声を掛けたのが山姥切だと分かると、あからさまに嫌そうな顔をした。
そんな切国の露骨な態度に、山姥切もムッとして眉間に皺を寄せた。
「本歌の俺に向かって「げっ」とは何だよ。歌仙がお前の布を洗う為に探していたぞ、さっさと行ってこい」
「いやだ」
間髪入れずにプイとそっぽを向く切国にイラっとした山姥切は、強硬手段として彼の布を剥がしにかかった。
まさか最初から布を剥がしにかかるとは思っていなかった切国は、慌てて剥がされそうになった布を引っ張り返して、ちょっとした綱引き状態になっていた。
「ちょっ……何をするんだ離せ!」
「往生際が悪いんだよ偽物くん、他の刀に迷惑をかけるんじゃない」
「あんたは俺の母親か!いやだ!」
「我が儘を言うな、とっとと布を差し出せ!」
「首の間違いじゃないだろうな!?絶対嫌だ断る!!」
切国の必死の大声と抵抗に山姥切が僅かに怯むと、手の力が緩んだ隙に布を体に巻き付ける勢いで地面に転がった。
「まったく、お前ときたら……」
そこまでして布を剥がされたくないのかと、山姥切は呆れて今日何度目かの溜息をついた。
力ずくでは無理だと判断した山姥切は、国広の前でしゃがんで、まず理由を聞いてから布を脱がせる作戦に出た。
「別に捨てろと言っている訳じゃないだろう?他の布でも、フードが付いた服でもいいじゃないか」
国広の方も、山姥切が無理矢理布を剥ぐのを止めたので、逃げようとはせず地面に臥したまま、彼の話を聞いていた。
「……予備はない、それにフードがあるからいいと言う訳じゃない。……この布じゃないと駄目なんだ」
「どうしてこれじゃないと駄目なんだ?」
こうしているとまるで悪い事をした幼子に、いたずらした理由を聞いているみたいだなと思いながら、山姥切はなるべく怒った口調にならないように注意しながら、敢えて柔らかい口調で訳を聞いた。
しばらく黙っていた切国だったが、むくりと起き上がって布のフードを被りなおした。
「……だって」
「だって、何だ」
口元をもごもごさせて中々続きを言わない切国に内心焦れながらも、山姥切は辛抱強く彼の言葉を待った。
「この布がないと、落ち着かない。これを被っていたら、本歌が守ってくれる気がして安心するんだ」
「……」
「本歌?」
急に黙り込んだ山姥切を不審に思った切国が顔を上げると、彼は笑顔と怒った顔が混ざった様な形容しがたい表情を浮かべたかと思えば、口元を手で押さえて国広から顔を反らした。
加えて耳まで真っ赤になって、肩まで震わせている。
「どうしたんだ?」
「……いいや何でもない持てる者こそ与えなくてはと思ってねというわけで着いてこい」
「わっ」
山姥切はノンブレスで捲し立てると、様子がおかしい彼の心配をした切国の手首を掴んで、自分の部屋へ大股で足を運んだ。