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桜は何で色づくか

「山姥切、起きているか」

 手入れ部屋の前で、国広が声を掛けてみても反応は無く、襖の向こうは静かだ。
先程起きたという話だったが、また眠ってしまったのかもしれない。
しかし燭台切がせっかく作ったおにぎりを、厨に持って帰るのは、彼に申し訳ない気がする。
枕元におにぎりを置いて、何か書置きでもしておこうと判断した国広は、「入るぞ」と一言断って部屋の中に入った。
 手入れ部屋の真ん中で、山姥切は目を開けたまま、一人布団で横たわっていた。
まだ回復しきっていないのだろう、顔がいつもより青白い。
国広に気づいた山姥切は、僅かに眉を歪めた。

「何の用かな、偽物くん」
「燭台切がおにぎりを作ってくれたから、持ってきた。……食べられそうか?」

国広が持ってきた皿に視線を向けた山姥切は、燭台切が作ったと聞いて、少し表情を和らげた。

「……少しなら、いただこうかな」

 覇気のない声で返した山姥切は、後ろに手をついて、上体を起こした。
補助が必要かと思っていた国広だったが、さすがにそこまで弱ってはいない様で、彼の予想より安定した動作を見て、何もせずおにぎりを差し出した。
 おにぎりを一つ手に取った山姥切は、しばらくそれを見つめていたが、小さく口を開けて、もそもそとおにぎりを食べ始めた。
しばらくその様子を眺めていた国広だったが、これから言う事を僅かに躊躇いながら、静かに口を開いた。

「なあ」
「何かな?」
「……その。刀身を、見てもいいだろうか?変な事はしない。ただ見たいだけなんだ」

 その言葉を聞いて、山姥切は国広に訝しげな視線を向けたが、これから手合わせでも始めるのかと思う程、彼が真剣な目で言うものだったので、結果として山姥切の方が先に折れて、溜息をついて了承した。

「減るものでなし、別に構わないよ。好きに見ればいい」
「ありがとう」

 枕元の刀掛けに置かれている彼の本体の刀は、既に手入れが終わっている。
緊張で落としてしまうような事にならないように、慎重に彼の刀を手に取った。
少し手が震えてしまっているが、意を決して鞘から刀身を引き抜いた。

 その美しさに、息が止まった。
磨り上げられたと言うのに、均整の取れた刀身。
山姥を筆頭に、様々な物を斬って、色んな戦場を駆け抜けてきたのだろう。
刀自身がまとっている空気も、山姥切同様鋭く、静かでどこか冷たさも感じる。
 そして、燭台切が言っていた桜にも例えられる刃文。
部屋の明かりに当てて眺めると、それはとても華やかで、先ほど戦っていた時の山姥切の姿を連想させて、国広は思わず感嘆の息を漏らした。

「見せろと言っておいて、溜息とは何だよ」
「あ、す、すまない。余りにも綺麗で、溜息しか出なかった」

 山姥切が眉をひそめると、国広はどもりながら刀を丁寧に鞘に戻して、元の位置に戻した。
その間におにぎりを一つ、ようやく完食した山姥切は、国広に向かって片膝を立てて座り直した。

「で?いきなり刀身を見せろと言った理由は?」
「歌仙達から、桜は血を吸って色づいているのと、山姥切の刃文は、桜に例えられていると言う話を聞いて……どうしても、見たくなったんだ」
「……へえ?俺の刃文が桜だから、戦闘時での桜の色だけが濃くなると……面白い話だね。で?その話を聞いて、改めて偽物くんが俺を見た感想は?」

 これでいつもみたいに何も言わず、もじもじとしていたり、ろくでもない事でも言ったら、嫌みの一つでも言ってやろうかと、山姥切は皮肉めいた笑みを浮かべた。
 対して国広は、少し考えこむ素振りを見せたと思うと、力が抜けたように小さく笑った。

「あんたは、やっぱり綺麗だな。戦っているあんたの姿そのものだ」
「何だそれだけか。お前の本歌なのだから、当然だろう?」
「ああ。俺の言葉では、あんたの事を上手く表せられないな。桜の下で戦うあんたは、荒々しい戦い方でも踊っているみたいで……」

 山姥切が戦っている姿を思い返して、国広は数枚の桜を舞わせた。
金糸の間から覗く翡翠は、きらきらと輝いている。

「山姥切、またあんたの桜が見たい。遠くからじゃなくて、もっと近くで。……また一緒に戦いたい」
「それは俺が決める事じゃない。主にでも頼む事だな」
「そうだな。主に今度頼んでみる事にしよう」

 普段自分と接する時は、俯きがちで視線が泳ぐ事が多いというのに、今日に限って真っすぐに思いを伝えてくる。
気が付けば、自分の頬が赤くなっている事を自覚した山姥切は、それを本人に気づかれないように顔を逸らした。

「そら。俺は眠いから、これを下げて行ってくれ。燭台切殿には悪いけど、もうこれ以上は食べられそうにないから」

 国広の視線から逃れる為に、山姥切は渡された皿を返した。
返された皿には、おにぎりが二つ乗っている、どうやら一つしか食べる事が出来なかった様だ。

「すまないな、まだ疲れているだろう。おやすみ、山姥切。ゆっくり休んでくれ」

 そう言って国広は皿を持って、部屋から出ていった。
国広が出ていって、襖が閉まってからしばらくすると、山姥切は長い溜息をついて、布団に倒れかかった。

「何なんだよあいつ……昔と全然変わらない」

枕に顔を埋めた山姥切は、ふてくされるように独り言ちた。


 思い出すのは、遥か昔のかつての小田原。
出来上がったばかりで、付喪神としてまだまだ不安定な存在だった国広は、幼い体の姿で、己の本歌である山姥切に、よくついて回っていた。
 山姥切に手を引かれながら、国広は初めて見たり聞いたりする物に、「あれはなんだ?」「これはなに?」と、指をさしては山姥切に尋ねた。
そして山姥切がそれを教えると、国広は目をきらきらさせて、それを見つめるのだ。

 そんな幼い国広の目が最も輝くのは、山姥切の刀を見ている時だった。
当時の国広は、よく山姥切の刀を見たいとせがんだ。
自分の膝に国広を乗せて、刀を見せてやると、国広は子供特有の丸くて大きな目を輝かせてそれを見つめては、「ほんかはきれいだな!」と山姥切を見上げるのだ。
 あの頃の国広はまだ幼かったから、あの時の記憶はほとんどないだろう。
それでも、先程山姥切の本体を見つめている時の顔には、憧憬や羨望の色が浮かび、感嘆の息を漏らして、目を輝かせて刀を見つめる様子は、ちっとも変わっていなかった。
 
 何百年も経って、青年の姿を取れる程立派な付喪神に成長しても、あの頃と同じ目で、同じ言葉で綺麗だと言う、先程の自分の写しを思い出すと、胸がむず痒い気がした。

「~~っ、ああもう!これで眠れなかったら偽物くんのせいだ」

とっとと寝てしまおうと、布団を被りなおした山姥切だったが、隠しきれていないその顔は、戦っている時の彼の桜よりも赤く染まっていた。
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