すべてを燃やして零に戻る
小夜君に言われて、他のまだ軽傷だった刀の皆を連れた遠征から帰ってきたら、本丸から火の手が上がっていた。
ボク達は何が起こっているのか分からなくて、しばらくゲートの前で立ち尽くしていた。
するといきなり体が勝手に動き出して、ボクも含めてみんな刀を持って走り出した。
いきなりだったから混乱しかけたけど、すぐに主さんが言霊を使ってボク達を操っているのが分かった。
向かった先から主さんの悲鳴が聞こえてくる。
何かから逃げているみたいで、「誰か」「早く」という言葉が切れ切れに聞こえてきて、とうとうこの日が来てしまったんだって思った。
もう、みんな限界だった。
毎日の無理な出陣に、直してもらえない傷の痛みに、仲間が苦しんでいる声に、もうみんな耐えられなかった。
それでも隊長さんが必死に、みんなが主さんを手にかけるのを止めてくれたから、みんなの前に立って頑張ってくれたから、みんなここまで耐えられたんだもの。
いつこうなっていても、おかしくなんてなかった。
そのいつかが、たまたま今日なだけだったんだ。
本丸を走っていくうちに、折れた仲間の破片が落ちている事に気がついた。
主さんは自分自身で持っている刀を持っていない、だから言霊を使って自分を守るために、きっと仲間同士で斬り合わせたんだ。
……なんて酷い事をするんだろう。
ゲートがある場所とは真反対の、本丸の端にある小さな離れが見えた時に、聞いた事も無いような大きな悲鳴が聞こえて、言霊で無理矢理走らされていた身体が急に自由になった。
何が起こったのか分からなくて、止まった場所から動けない。
周りの叫び声と、ごうごう燃える炎の音と、自分の呼吸音が頭の中で混ざり合ってすごく気持ち悪い。
離れの入り口で真っ赤に染まった主さんが、記憶にある姿よりずっと小さくなって地面に転がっていた。
手も足もぐちゃぐちゃになっていて、もう動いていない。
それよりも、その近くで蹲っている何かに目が吸い寄せられた。
黒い穢れを身体中にこびりつかせて、頭をかきむしって何か叫んでいる。
「ぐ……ヴ…あああっ!」
苦しそうな叫び声を上げて思い切り上体を反らしたから、それが誰なのかがようやく分かった。
「た……隊長さん?」
髪も服も全部真っ黒になっていたから、最初は誰か分からなかったけど、叫んでいたのは隊長さんだった。
隊長さんが、主さんを斬った。
だから穢れがこびりついて、真っ黒になっていたんだ。
まだ折れていない本丸の刀と、一緒に遠征に行っていたみんなが必死に隊長さんに声を掛けているけれど、隊長さんには聞こえていないみたいで、苦しそうな声を上げるだけ。
ボク達は付喪神だから、穢れに触れると火傷を負ったような痛みが走るから、本来穢れには触れない。
だからあれだけ穢れが全身にまとわりついていたら、きっと身体中火で焼かれているみたいに痛い筈だ。
穢れに焼かれて苦しんでいるのは、まだ完全には堕ちていない証拠。
だからそうなってしまう前に、隊長さんを折らないと、もし完全に堕ちてしまったら、隊長さんは本霊の元へ二度と還れなくなってしまう。
みんなもそれを分かっているみたいで、みんな隊長さんにずっと声を掛けながらも刀を構えている。
ボクもそれに倣わないといけないのに、まだ主さんの言霊に縛られているみたいに、なぜか手も足も動かせなかった。
ボク達が、隊長さんを、斬らないといけないの?
苦しんでいる隊長さんを見つめたまま、刀を持っていた手が震えて、上手く握れなくて構えられない。
隊長さんは誰よりも傷ついていた、誰よりも苦しんでいたのに、最後にはボク達に斬られないといけないなんて、そんな最後って酷すぎる。
そうやってボクが躊躇っている間に、また隊長さんは叫び声を上げて、今度はみんなに向かって斬りかかって来た。
咄嗟にみんな応戦するけれど、この本丸で一番強いのは隊長さんだ。
仲間を斬らないといけない事で僅かに躊躇いがあるボク達と、相手が誰か分からない状態で何の躊躇いもなく攻撃できる隊長さんとじゃ、この後どうなるかなんて分かり切っている。
どんなに応戦しながら声を掛けても、名前を呼んでも、隊長さんには届かない。
隊長さんにずっと守られていたボク達が、一振り一振り、正気を失った隊長さんの手で折られていく。
一緒に遠征に行っていたみんなも、練度の低い短刀が多かったからあっという間に折られていく。
そんな光景を茫然と見ている内に、気が付けば立っているのはボクと隊長さんしか残っていなかった。
どうしよう
止めないと
隊長さんを止められるのは、もうボクしかいない
隊長さんが堕ちてしまう事だけは、止めないと
せめて、折って本霊に還してあげないと
そう自分を奮い立たせて、ボクは隊長さんに向かって刀を向けた
やっぱり隊長さんは強い
少しでも油断したらすぐにでも折られてしまいそう
ボクが隊長さんを折るには、隙をついて懐に潜り込むしかない
次は横に薙ぎ払うから下にしゃがんでかわす
ボクが下から突き上げたら隊長さんは柄に近い部分で弾いて、ボクを押し返そうとする
堕ちかけて正気を失った状態でも、動きはいつもと同じ
何度も何度も手合わせしたから、互いの動きは分かっている
それがとても悲しかった
一度体勢を立て直すために、隊長さんの腕を蹴ってよろめいた隙をついて距離を取る。
刀を構えて、次の隊長さんの動きに備えたが、隊長さんはまた頭を抱えながら体を丸めて、苦しそうに呻きだした。
次に何が起こるのか分からないから、ボクは警戒しながら隊長さんの動きを注視した。
「ア、アァアア゛アア!!」
「あ……」
血の色みたいに、真っ赤な涙。
ずっと泣く姿を誰にも見せなかった隊長さんが、泣いていた。
隊長さんが泣いている姿は、誰も見た事が無い。隊長さんと一番長く一緒にいたボクでもだ。
どんなに辛くて苦しい時でも、絶対に涙を流さなくて、悔しかったり悲しかったりして泣いているボクの握りしめた手を、いつもあの大きな手で優しく、ボクが握りしめた手の指を剥がしてくれた。
ボクはそんな隊長さんを絶対泣かない強い刀なんだと、ずっとそう思っていた。
けれど、それはボクの勘違いだった。
主さんがおかしくなって、みんなの傷も直してもらえなくなった頃、隊長さんは主さんと部屋でよく説得をしてくれていた。
ボクは部屋の外にいたから詳しい内容はほとんど分からない、けれど大体がみんなの怪我を直して欲しいって事と、無茶な出陣をさせるのは止めて欲しいって事だったと思う。
説得が失敗に終わると、隊長さんは人気のない場所へと消えていった。
その時、ボクは見てしまった。
深く被られた布の下に光る眼が僅かに潤んでいて、血がにじむ程唇を噛みしめながら、とても悲しそうな隊長さんの顔を。
それから隊長さんを見ていると、唇が酷く荒れている時があって、時たま血が滲んでいる事もあった。
隊長さんはずっと泣かなかった訳じゃなくて、ずっと泣くのを我慢していたんだと、ボクはようやくその時気づいたんだ。
だから、隊長さんの泣き顔を見た瞬間、ボクは刀を下ろしてしまった。
ボクでは隊長さんには何もしてやれない、きっと救いにはなってあげられない。
自分の余りの無力さに、涙が溢れて止まらない。
だから、刀を構えてこっちに向かって走ってくる隊長さんに気づいても、ボクは動けなかった。
次の瞬間に襲った胸の大きな衝撃
少ししてから感じる、爆発したような痛み
ああ、隊長さんに胸を貫かれたんだ
ボクは……無力だな
みんなの前に立って隊長さんはずっと頑張ってくれたのに、ボクは何もできなかった
怪我をしているみんなの手当てをして、弱って折れていく仲間のみんなを看取っては、自分の無力さに嘆いているだけ
本当に……どうしようもないくらい何もできなかった
だからせめて、精一杯の「ごめんなさい」を込めて、ボクを貫いた隊長さんを抱きしめた
「ごめんね……隊長さん」
パキン