■2022/5〜の読み切りログ(ルシファー)

『遅くなってごめん!うん、その時間で大丈夫だよ。楽しみにしてるね〜!』
 そんな返事がきたのは、夜も更けた頃だった。明日の約束の確認を、と連絡を入れてからすでに四時間は経過しようというところだ。最近連絡の反応が悪い。彼女に限って浮気はないだろうが物理的に近くにいない以上、心配するくらい仕方ないことだと思う。
 魔界から人間界へ戻ってしばらくは生活基盤を整えるので必死だった彼女も、今では日本企業と契約し、インターネットを通じて業務をこなすのと、現地の短期留学校で母国の子どもたちのサポートをするのとで生計を立てていると聞いた。自由気ままにやっているという言葉を信じて見守っているのは、その声色がどことなく明るくなったからだった。
 基本的に在宅ワークらしく、いつ連絡を入れてもリアルタイムでやり取りできるのが常だったため、この状況はこれまでに無いパターンだ。気にならないといえば嘘になる。が、記念日の前は何かと忙しくしている彼女のことだから、おそらく今回もそういうことなんだろう。問いただすのは簡単だ。でもそれは同時に、彼女の心を疑っていることにもなる。そんなことはできるわけがない。信じてやれず、どうして夫と呼べる立場にいられようか。
「はぁ……全く。そう結論づけるなら何も言うべきじゃない」
 近づきすぎていざというときに離れがたくなったらと、自制していたつもりがこのザマなのだから、いっそスタイルを変えるのもありかもしれないなと考えつつ、俺はベッドに身体を沈めた。
「明日まであと……三時間か」
 日付が変われば彼女に会えるのもあっという間だ。仕事も全て片付けた。疲れた顔で会うのもよくないだろうと、そのまま目を閉じることにした。
 そうして翌朝。
 早めに準備を済ませた俺は、彼女に「おはよう。こちらはいつでもいいから、タイミングのいいときに連絡してくれ」と一報入れた。当日とあって打ち込み終わると同時に既読がついたので、どうやらメッセージを待って画面を見つめていたようだとわかり、頬が緩む。やはりなんの心配もなかった、と。
『おはよ!今から喚んで大丈夫?』
「ああ、もちろんだ……と、」
 カバンを肩にかけると、すぐに召喚術の感覚がした。久しぶりだ。人間界に行く時はバルバトスに頼ることも多々あるが、俺一人であれば契約主の力でどうにかなる----というのも、三年かかってようやくこの術が安定したからではあるのだが。最初のころはグローブだけ持って行かれて笑ったものだった、などと思いを馳せた数秒のうちに、あっという間に空気感が変わる。
「……ついたか?」
「ん!成功したぁっ!るしふぁっ!久しぶり!」
 瞼を開けた刹那、ばっと胸に飛び込んできた肢体をなんなくぎゅうっと抱き止めて、ここが魔界でない実感がわく。
「ただいま」
「っ……おかえり!」
 ひとしきり互いの体温を感じ合ってから声をかければ、ふにゃふにゃな笑顔がそこにあって俺もつられて笑った。
「しばらくぶりだな」
「そうだね、……あいたかった」
「俺もだ」
 俺の言葉に目を見張り、それから、照れるね、などと漏らす。変わらないその様子に少しだけ残っていた疑念も消え去った。同時に記念日にこんなことを考えた自分を恥もする。朝ごはんは食べた?と何気ない日常の話題に切り替わる会話を流しながら、俺が脳内で謝罪をしているなどとはつゆも知らない彼女は、ここを出発するのはお昼すぎでいいから少しゆっくりしていて、と笑って、それから、「あ」と思い出したように声をあげた。
「そうだ、出かける前に、これ」
「かぎ?」
 手渡されたのは鍵、だった。なにを意図するのか咄嗟に読み取れず見返すと、「あはは、わからないよね」と彼女は眉を下げる。
「それね、鍵を渡したかったのはもちろんなんだけど、レザーのオリジナル製品を作りたくて工房に出入りしてたんだぁ」
「……ということは手作りなのか」
「そだよ。中にちゃんとLUCIFERって刻印もあるの」
 手渡されたキーケースを開くと、そこには確かに俺の名が刻まれていた。少し歪なところを見ると、おそらくこれも彼女が掘ったのだろう。
「三年目は、レザーウエディングだから。レザーのように……一緒に過ごす時間が長いほど、素敵な関係になればいいな、ってさ」
「俺たちの関係にマンネリはないがな」
「それはぁ!そうだけど!」
「ありがとう、大切にするよ」
「……ッうんっ!これからも末永くよろしくお願いします……」
 深々と頭を下げて照れ隠しする彼女の身体を引き寄せながら、もらったキーケースを指で撫でているうちに一つの妙案が思いつく。
「そうか、俺が、帰ればいいのか」
「?」
「今までどうして考えつかなかった?ここに帰ればいいんだ、毎日」
「!?そんなことでき……いやいや、できたとして、許されるの?」
「別に問題ないだろう。やるべきことをこなしていれば。俺の書斎にでも入り口を作って……そうだな……そうすれば誰にもわからないだろうし、この鍵も有効活用できる」
「ほ、ほんとに?」
「ああ、こんなことに気がつかないなんて俺もまだまだだな。遠回りしてしまったが共に暮らそう。それがあるべき姿だろう?俺とおまえは夫婦なんだから」
 驚きの表情を見せた彼女は、次の瞬間、俺の首に腕を回して顔を隠した。が、しかし、聞こえたセリフには破顔するほかなかった。
「そんなに嬉しいプレゼント、ないよ……」
「ふ……そうか」
「そうなったら、いいな」
「必ずするさ、待っててくれ」
 髪を撫でると、それに引かれるようにして擡げられた頭。迷わず口付けると離れがたくなり、そのまましばらく互いを貪る始末。
 そんな、三年目の始まり。
 早めに来ておいてよかったな、と二人笑いあってしばらくの休息。
 しかし今日はこれから国内旅行だ。身支度を整えていればすぐにその時間はやってくる。彼女のトランクが閉じられたところを見ると、出掛ける準備は整ったようだ。
「今回もおまえに行き先は任せきりですまなかったな」
「大丈夫!旅行好きだし、これでも資格だってもってるんだから任せといて!」
「頼もしいな。それで、これからどこへ行くんだ?」
「えっとね、パスポートが必要だと怪しまれちゃうから、今回は時間はかかるけど鉄道旅行を計画したよ!行き先は、エディンバラ !」
「おまえらしい、いいチョイスだ」
「へへ!じゃあカバンを持って!忘れ物はない?」
「ああ……あ、いや、待ってくれ」
「へ?なんかあっ、ン!」
 隙をついて唇を奪う。触れた熱が冷めないうちに、もう一度吸って離れれば、突然だったからか、彼女はぽんっと頭から火を出した。
「ふ、出掛ける前に。……三周年ありがとう。また新たな一年をおまえと生きられることを、毎日を積み重ねられることを、幸せに思うよ」
「っ……!も、……それは私も同じ気持ちだよぉ……おめでとう、ありがとう、それから、これからもよろしくね?」
「言われなくとも、もちろんだ」
 肩を引き寄せ、今度は髪に口付ける。
「お祝いは、着いたらホテル近くのレストランで!ディナーの予約はしてありまぁす!」
「それは楽しみだ」
 なんて話しながら扉を開けると、太陽が眩しくお出迎えだ。新しい一年を祝福するかのような青空に、二人の幸せを願わずにはいられなかった。
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