■2022/5〜の読み切りログ(ルシファー)

「去年と同じでいいだろう。現に邪魔されなかった」
 その一言で今年の結婚記念日も人間界で過ごすことに決まり、先にロンドンに帰ってきている私は準備に追われていた。
 今年は午前中に来られる上に二日間いられるというから一緒にご飯を作ったりする予定でいるけど、掃除とか買い出しくらいはしておかないとと大忙し。やっとそれらを終えたころにはもう夜も更けていて、明日に響いたらいけないと眠りについたわけだけど。
 翌朝、何かがおかしいと感じて目が覚めて、ふにゃふにゃと微笑んだのにはわけがある。
 背中に暖かな体温を感じるのにも慣れてはきたけど、小っ恥ずかしくなるのはいつまでも変わらなさそうだ。私より一回り大きな手に包まれて、緩く絡められた指と指。少しだけ動かしてみると、反射でギュッと握り返されたので可愛くてくすくす笑った。
「るしふぁー、いつきたの」
「ん……」
「びっくりしたよ?」
「……明日の仕事も終わらせた……だから夜中に……だがおまえが、呑気に寝ているから……」
 帰ってきた、なんて嬉しいことを言う。この家を自分の家だと思ってくれてるってこと?ゆるゆるの頬が更に緩くなってしまったところ、なんとか声だけは律して会話を続けた。
「来るって知ってたら起きて待ってたのに」
「……」
「……るしふぁー?」
 また眠ってしまったのか、ルシファーからの返事はない。代わりに首筋を熱い吐息が掠めるものだからなんだか無性に恥ずかしくなった。寝ているだけってわかっていても、だ。でもこうやって抱きしめられるのが嫌なわけじゃない。絡められている指にはお揃いのリングがちゃんとはまっていて、今日という日には忘れることなくしっかりと付けてきてくれることにこの上ない幸福を覚える。キュッとこちらからも握り返して、ごく小さな声で「だいすき」と呟いた途端に、がばっと起き上がったのはルシファーで、私に覆い被さってベッドに手をついた。
「ひゃわ!?起きてたの!?」
「あまりかわいいことをするな」
「な、なに、」
「その、すき、と」
「っ聞いてたの!?」
「俺も、愛してるよ」
 何度も聞いたそのセリフなのに今日はいつもよりも心に沁みて、うる、と瞳に涙の幕が張るのがわかった。寝起きのルシファーは少しぽやぽやしていて子どもみたいにあどけない。それがまた、ルシファーの本心ままを表現しているようで嬉しく思った。
「このままいると一日をベッドの上で過ごすことになりそうだ」
「へ……っん、ハ、ふ」
「んん……っ、はぁ……だから今はキスだけ、な」
 そういうキザすぎるところも含めて大好きなんだ、ということは、そのセリフを鑑みて今夜までは黙っておくことにした。
 
 甘いひとときに区切りをつけて朝食を済ませた私は、とある場所へ向けてルシファーを連れて歩いている。
「どこに向かってるんだ?」
「せっかく午前中からこっちに来れるって話だったから、今年は写真を撮りに行こうかと思って予約してたの」
「写真?……なるほど、だから服の色も指定してきたのか」
「うん。二年目はコットンウエディングだから白ね。「まだ二人の関係が綿のように柔らかく、もろい」って意味があるんだって。今回は調べておいたよ」
「契りを交わしてからは二年目だが、俺たちの関係はそれ以前からあるわけだし、そんなものじゃない」
「で!も!きっと……どれだけ長く一緒にいても、気持ちっていう目に見えないものは脆いんだと思う」
 ぽつりと溢してしまった本音に、アッと思っても遅かった。ルシファーの耳に届いていないといいなとチラリ視線を向ければ、キョトンとした顔で私のほうを見て、こう言った。
「そんなものは当たり前だ。だから会える時はいつも伝えているだろう」
「!」
「おまえはあまり言ってはくれないが態度でわかる。それでも、伝えてほしいとは思うさ。だから今朝も嬉しかったよ」
「っ……そ、んなふうに、言うの、反則ぅぅ……」
 柔和な微笑みに心臓がギュンと音を立てて締った。こんなの何度見ても慣れることはないだろうし、こんなことで嬉しそうにしてくれるなら頑張って伝えていこうと改めて決意。そんな私にルシファーは、私から取り上げた紙袋を持ち上げて見せながら聞く。
「ならこの荷物類は小道具か?」
 その袋の中にあるのは私とルシファーの手作りぬいぐるみだ。
「そう!ほら、結婚式のときにルシファー、ぬいぐるみになっちゃったでしょ」
「ああ。あの日のことは俺もよく覚えている」
「そのあともぬいぐるみとは結構縁あったから、作ってみたんだよね」
 できは粗いかもしれないけど、それでも自分で作ると愛情もひとしお。持ってもらっていた袋から私にそっくりな方を取り出して顔の横に並べて見せ、「これは私。可愛いでしょ?」と茶化すと、至極真面目に返事があった。
「おまえのほうが可愛いな」
「へ、」
「本物には敵わない」
 すり、と伸びてきた指が頬を撫でたところでやっと言われた言葉の意味を脳が理解して、ボンっと頭から湯気が出た。
「っ……な、ぁ、」
「楽しみだな、写真」
「っ、は、ぃ……。あ、でもその、ごめんね勝手に」
「なにがだ?」
「ルシファーは、あんまり手作り品とか好きじゃないでしょ。それに写真だって。アルバムとか……」
 手元に思い出のものは残したくないとの言葉はずっと私の中に残っていて、だから本当はほしくても言わないようにしていたので控えめにお伺いを立てる。すると考えもしなかった答えが戻ってきた。
「いや、それはもういいんだ」
「? でも、」
「おまえはもう、俺の一部みたいなものだからな」
 どこか哀しげで、でも誇らしいような光を携えた視線が私に向けられて、ああ、と何か納得させられる。きっとルシファーは、私がいつかいなくなる事実を受け入れて、それでもなお一生涯添い遂げてくれる覚悟ができたのかもしれない。
「簡単に忘れられないなら、むしろたくさん遺したほうがいいと思い直した」
「そ、っか」
「少し遅くはなったが、これから先の……目標でもある」
「!」
「たくさん残そう。二人で過ごした時間の片鱗を」
 うる、と私の涙腺が緩んだのを察したのか、ルシファーは「ただし、誰にも見られない場所にな」といたずらっ子みたいに笑った。今から写真撮影にいくのにメイクが崩れたら大変だ。ギュッと繋いだ手を握り返すことでなんとか耐えて、笑顔を返す。
「ありがと、ルシファー。私といてくれて」
「それはこちらのセリフだな。おまえが俺を選んだことは必然であれど感謝はしている」
「傲慢なんだぁ!」
「はは!なんとでも言え。現に一瞬たりとも俺以外の誰かに靡かなかったろう」
「それはもちろんそうだけどっ!」
 どれだけ寒くても手袋はしない。ルシファーから体温を分けてもらいながら、心も身体もぽかぽかにしてもらうんだ。
 そんなこんなで仲良くスタジオまで行くと、なんて可愛いカップルなんだと囃されただけでなく、二人のぬいぐるみも大層褒められて恥ずかしい。しかし相手もプロなのでそんなふうに持ち上げられながらも撮影の準備はどんどん進む。
「じゃあ、二人ともそこの窓枠に腰をかけてもらって、それで、記念ということだから最高の笑顔を見せて。合図したら口元をニーッとしてもらえるかな」
 その指示に従って私を足の間に座らせるとルシファーは背中から私を抱きしめる形をとる。ちょっとやりすぎな気がしながらも、せっかくの機会だ、そのくらいでいいかと受け入れ、更なる提案をする。
「ね、ね、ルシファー、ハートつくろ?」
「ハート?」
「そう、こうやってー」
 言いながら両手でハート型を取ると、すぐに理解してくれたようで私の手を包み込むようにハートにしてくれた。手でハートを作るのは色々なパターンがあれど世界中で大流行りなのでチェックしておいて正解だった。
「へへ、ありがと」
「言っておくが」
「わかってる。誰にも見せないよ。でも今日からはお墓用だけじゃなくてアルバム用も作れるから嬉しいな」
 へらりと笑うと、ルシファーはフッと、眩しいものでも見るかのように目を細め愛しみを称えた。
「俺は、おまえのそういうところを愛しているよ」
「、っるし」
「それでは撮りますよー!こちらを向いてください!何枚か撮っていきますからリラックスしてくださいね、さん、にー、いち」
 返事をするまもなくお声がかかって、慌てて前を向いてに〜!と表情を作る。胸がいっぱいで、ともすればワンワン泣いてしまいそうになるところをなんとか堪えられてよかったと思った。けれどそのままこの気持ちを手放してしまうのも惜しいと感じ、隙をついてルシファーのほっぺにキスを。一瞬だったけど、カメラマンさんはさすが。カシャリと音がしたので収められてしまったかもしれない。でもそれも思い出だ。
 ゆっくり瞼を開けると、頬を少し染めたルシファーが「今夜は覚えていろよ」と言ったので返事の代わりにしっかりと口にした、私も愛してるよ、との言葉が届く頃、お返しだと口を塞がれたところまでが、三年目の始まりの、今日の思い出。
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