【完結】僕らの思春期に花束を

毎週土曜日の深夜0時。
この日はアズールのスケジュール上、唯一の夜更かしの日となる。
なぜ夜更かしをするのかと言えば。
『皆さん、今日もはぴはぴしてますか?ハピヲの、はぴはぴラジオのお時間ですよ〜♪』
こういうことである。

「はぴはぴ先生のラジオ、独特で面白いんですよね」
『ラジオネームは、一人目のはぴはぴちゃん。』
「一度でいいから僕も読まれてみた」
『………ダズンローズという言葉を知りました。先生ならご存知かと思いますが、先生は、こう言った逸話をどう受け止めますか』
「っ僕のだああああああああああああああああ!!?」

ガタタン!!
海の底のこの寮長室に響き渡ったのは、アズールの声。
慌てて椅子から立ち上がり、あわあわと部屋の中を巡ったのも束の間、誰が見ているはずもないのに当たりを見回してからスッと椅子に座りなおす。
それからコホンと咳ばらいを一つ。

「んんっ…。そうだった…ラジオネームを書いたところで、全員はぴはぴちゃんですからね…僕じゃないかもしれない…」

そんなこんなで眠れぬ夜は更け、次の日がやってきた。
日曜日の午前中はラウンジも閉店。
夜更かしをしたので日曜の朝くらい遅いのかと思いきや、アズールは普段と同じ時刻に起床し、しかし普段よりもラフな恰好をして、そわそわと時を過ごす。
午前十時。
世間の店舗が開店し始めるのに適したこの時刻に合わせてオクタヴィネル寮を抜け出すのが、ここ最近のアズールの日課だ。
もう幾度となく通った商店街。
ここを抜けて海を見やると、恋心が加速する。何時になったら僕はこの海を越えられるのだろうか。…などと、センチメンタルなことを思い浮かべると、自分も小説の主人公になったような錯覚に陥る。
(いけない、急がなくては)
アズールは恋する少年である前に、経営者だ。ラウンジが開店するまでにはきっちり戻らなくてはならないのだから、一分一秒が惜しい。
彼女と一緒にいられる時間を噛みしめなくてはと、海から目を離して花屋へと足を向けた。

「こん、にちはっ!」
「…」
「…あの……?」
「……あっ、あずーるさん、いらっしゃいませ…」

いつもであれば、にこやかに、ときには鼻歌なんかを鳴らしながら花に水をやっている頃合いであろうに、今日、娘は少し前かがみになってレジカウンターの中に籠っていた。
心なしか、顔色が悪いようにも感じる。声にも覇気がない。

「貴女…もしかして体調が悪いんですか?」
「え……あ、あぁ、ごめんなさい、お客様に気を遣わせてしまって。大丈夫なんです、少し、」
「全く大丈夫には見えませんが?そんなにお辛いなら、横になったほうが、」
「大丈夫、です。それに、私が店にいないと、お店を閉めることになるから」

心配いりません、身体は強いんですよ。
そんな風に強がりさえするものだから、アズールの慈悲の精神が疼いてしまった。

「体調が悪いときはきちんと休まなければ長引きますよ」
「でも、仕方ないんです。今は父が配達でいないから……」
「それなら、僕がいますから」
「……へ?」
「僕が、お店に立ちます。これでも接客は得意なんです。任せてください」
「えっ、あの、」
「さあ貴女は横になって。あ、ですがこの辺りにいてもらわないと細かいことがわからないので…そうですね、ああ、あの椅子を持ってきましょう」

少し奥まったところに置いてあった、花がディスプレイされたゆりかご椅子を勝手に運んできて、そこに無理矢理娘を座らせたアズールは満足そうにカウンター内に入って、これまた勝手にその辺にあったエプロンを身に着けた。

「心配はいりません!貴女はそこで休んでいてください。薬は飲みましたか?」
「あ、えと、薬……」
「飲んでいないんですか?市販薬でもいいので手持ちのものはないんですか?クソ…知っていたら作ってきたのに」
「…!アズールさん、お薬の調合もできるんですか?」
「ええ、僕は魔法薬学にも長けていますので」
「わぁ…すごい……エリートなんですね…。さすがナイトレイブンカレッジの生徒さん」
「!?」

突然のほめ殺しに、アズールの思考は一時停止した。
そもそも論、目の前の緊急事態にいろいろ抜け落ちていたが、恋心を寄せる相手にこんな風にしゃべりかけれていたこと自体が予想外の展開だったのだ。
キャパオーバーしてもおかしくはなかった。
「あ」とか「う」とか言葉にならない言葉を発し始めた、その時。

「おーい娘さん、いつものやつを買いに来たんじゃ…が……おや」
「あ、おばあちゃん。こんにちは」
「おやおやおや?」
「!!ごほん…!こんにちはマダム。いらっしゃいませ」
「マダムとな!!娘さん、この人は、もしや、娘さんの…?」

やってきたのはパン屋のおばあちゃんであった。そう、ジェイドとメイドの関係を吹聴して歩く例のおばあちゃんである。
おばあちゃんは、小指を立てて、お前のこれかね!、とニヤニヤ…いや、にこにこと笑うが、年代の差もあって二人には意味が通じなかった。

「小指…?」
「カァーッ!男はこれだからいやだねぇ!かれぴだよ、かれぴ!」
「かっ!?」
「やだもうおばあちゃんったら。アズールさんはそんなのじゃないよ」
「な!?」

絶望。アズールの頭の中は一気に大嵐が吹きすさぶ海原に早変わりである。
今の今まで、ちょっと夫婦っぽいんじゃないか?なんて思って南国のお花畑にいたのに。
この仕打ち……やっぱり僕じゃだめなんだ……と落ち込んだがしかし。

「アズールさんみたいな凄い人がこんな花屋の娘を本気で相手にするわけないでしょう、おばあちゃん」
「は?」
「アズールさんはね、あの名門、ナイトレイブンカレッジの生徒なの!それにカフェを経営してるのよ。凄いでしょ?なのにお花を大切にしてくれて、優しいのよ。あとね、とっても面白い人なの。きっとおばあちゃんもお友達になれるわ」
「!?」
「おやおや…。この二人もそう言うことかの!?こうしちゃおれん!商店街シスターズに連絡せにゃならん!!」

キリリと背筋を伸ばしたおばあちゃんは『いつもの花を!!』と、もう一度叫び、それを引っ掴んで立ち去った。

「なんだったんだ…?」
「ふふっ、あのおばあちゃん、いつも忙しいの」
「マダムとはあまり会話をする機会がないのですが、本当にお元気だ」

あの元気の秘訣は何なんだろう、と小首を傾げるアズールを見て、ふわりと微笑んだ娘は、その服の裾をくいくいと引っ張った。

「ん?」
「アズールさん、」
「どうしました?」
「ありがとうございます、力を貸していただいて」

グローブをしていないアズールの指を取りきゅっと握る、柔らかい手。
ちっ、ちっ、ちっ ボン!
どこからどうみても漫画のヒトコマのような反応をしたアズールを見て、娘がクスクスと笑う。

「あ」
「はい?」
「今日はお花、いただけないんですか?」
「へ、」
「実は最初こそ、なんでお買い上げいただいたお花を返されるんだろうって悩んでたんですけど」
「んなっ!?」
「最近は、大切に保管してるんですよ。だからたくさんドライフラワーとか栞ができました」
「!」

『ああ、今日この日、僕は再び恋に堕ちた』(フラワーロード263頁14行)

同じ相手に何度恋をすればいいのか。
そんなことがあるのか。
なんて、思っていた自分が恥ずかしい。
かけられる一言一言が花びらとなって、心の地面に降り積もる。

「僕の心は一面、花びらの絨毯でおおわれてしまった…」
「え?なんて?」
「あ、いえ!なんでも!」
「?」
「ゴホン!え、ええと、今日は、そうですね…こちらを一輪、買わせていただきます」

たくさんの花の中から選ばれたのは、ピンク色が可憐なガーベラ。
先程よりは顔色が良くなった娘の手にそれを握らせて、それから。
片足を床につき、掌をそっと取ったと思えば、アズールは娘の手の甲に唇を寄せた。
ちゅ、と小さく鳴った音は、二人の耳にしか届かない。
ふわりと春の香りを運んできた海風が髪を撫でて。
ゆっくりと開かれた青い瞳が娘を捉えた瞬間。
時が、止まった。

「、ぁ」
「……もう、行かなければ。閉店までお手伝いできず申し訳ありません」
「っ、」
「今のは、…その、…まじない、です。貴女の体調が少しでもよくなりますように。…では、また」
「あ!待っ……っ…行っちゃった……」

残されたガーベラの花に顔を寄せた娘は、その手の甲を撫でながら瞳を閉じた。
その頬は手にした花とお揃いの、桃色。

「…もう、海なんて干からびちゃってるかもね…」

口にされた言葉は、駆け出していったアズールには届かなかった。

(僕は、何をっ……!)

逸る鼓動は、走っているせいではない。
心臓が煩い。顔から火が出そうだ。
勢いに任せて、おかしな行動を取ってしまった。
嫌われなかっただろうか。嫌がられなかっただろうか。

(こんなはずじゃなかった。もっと、場を整えて、それで、フラワーロードのあのシーンのように、スマートにっ)

瞳をぎゅっと瞑ったまま、辿り着いたオクタヴィネル寮。
そのまま自室のベッドにダイブして、さながら蛸壺の中にいるように布団にくるまった。

(今度は、どんな顔をして会いに行けば、いいんだ)

アズールの悩みは尽きない。
けれど、実際のところ、そんな悩みは小さな小さなものだった。
なにせその日から、商店街を歩けば皆の注目を浴びるような存在になってしまったのだから。

「ほら!あれが花屋のとこのフィアンセじゃよ!」

商店街シスターズの皆さんには、誰も敵わないのだ。
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