【完結】僕らの思春期に花束を

「今日は!花の入荷日だ!」

アズールはその日、朝から浮足立っていた。
なぜなら冒頭の通り、本日は花の入荷日だからだったから。
先週、出会ったばかりの花屋の娘に恋をしたのだ。
まごうことなき一目ぼれだった。
それでもアズールは、愛読書である「フラワー・ロード」にあるとおり、自分の初恋が実るもの…というか、すでに実っているものと疑わなかった。
とはいえあのお話の通り、相手に歩み寄ることは必要だったし、そもそもまだ自己紹介もしていないのだから、そこは段階を踏まなければと意気込んでいた。

そうして放課後。
学内カフェ、モストロ・ラウンジの営業開始時刻となると同時に、適当な理由をつけてバックヤードに一人籠ったアズールは、高鳴る胸を押さえながら、今か今かとその時を待っていた。
その時だった。
コンコン、と扉をたたく音がして、はい、とお出迎え。
二度目の逢瀬が叶う…そう思ったのに。

「こんっちわー!!」
「!?」

あの娘とは似ても似つかぬ野太い声に、驚いてアズールの声が消えた。やっとのことで裏扉を開けるだけ開けたら、そこにいたのは熊のように大きな男。なぜ?の二文字がぐるぐる脳内を巡る。

「ご注文いただいてます季節の花束、今週のお届けに参りやしたーっ!」
「あっ、はい…」
「あれー?お兄ちゃん初めて見る顔だねー。新人さん?」
「っし、失礼ですね!僕はここの支配人ですよ!」
「あちゃー、お偉いさんだったのかぁ!そりゃあ失礼しました!トップがバックヤードで何してんですか?」
「そっ…れはっ、」
「まぁいいですわ!この注文書だけご確認いただけますかぁ!」

どこをとっても勢いが良すぎるこの男に気圧されてしまって、言い返すより前に差し出された注文書を受け取ろうとしたその時。

互いの指が、触れて、しまった。

「うわぁあ!!」
「あっはっは!そんなに驚かんでも!」

こんな日に限って、アズールは素手だった。
今日は娘に会えるのだから、また前回みたいに偶然のLOVEが始まったらどうしようと思って、わざわざグローブを外していたせいだ。
結果として触れたのは屈強なおっさんの指だったが。
故にこの驚き。後悔の念も混じっていただろうその叫び声。
少しだけ相手に申し訳ない気持ちもあったが、落胆には敵わなかった。

「っ、もんだい、ありません…」
「そうっすか!またのご注文よろしくおねしゃーす!失礼しますねー!」
「あっ、ちょっと待ってください!」
「はい?」
「あ、あの、…先日、ここにきた女性、」
「先日…ああ!うちの娘のことですかね!いつもは店番を頼んでるんですがね、どうしても手放せない配達が入っちゃって、それでここを任せたんですが…って…もしや娘が何か粗相を!?」

娘?

娘、といったか。
それは、あなたの子供があのという理解で良いのでしょうか。

「お義父さん…」
「はい?」
「ありがとうございます!!」

娘さんを僕と出会わせてくれて!とは言葉にはならなかったが、その表情から、「娘が粗相したわけではなかった」ことを悟って、花屋のゴリラ(仮名)は笑顔で帰っていった。

そんなことにまで運命を感じたアズール・アーシェングロットは、その次の日曜日、行動を起こした。
すなわち、待っているだけじゃダメだと。
フラワー・ロードにもあったシーンだ。
離れていきそうになった女性を引き留めるために彼女の職場まで足を運ぶ男性の姿。
幸いにも花屋の住所は発注書を見れば一目瞭然。こちらは常日頃の取引相手なのだ。躊躇う必要もない。
ほとんどの場合には店番を頼んでいると言っていたから、店に行けば必ず会うことができるだろう。

「よし…あそこだな…」

その立地を見て、アズールは思った。

なんと。僕の生まれ故郷と同じ。海の近くに店があるとは運命か。
潮騒が耳にうるさい。僕の鼓動を代弁しているかのようだ。
風が僕の髪を撫でる。僕に触れる時の彼女はこんな風だろうか。

『んなわけねぇだろ!』、フロイドが聞いていたら、そう一蹴されるだろうポエミーな文章は、アネモネ文庫を読み漁っている時に身につけたお家芸のようなものである。ちなみに一番好きな作家がそのような文体だったので移っただけだ。頭の中ではそんな文章が途切れることなく舞っている。

一歩、また一歩、近づきながら深呼吸。
自分の服装はおかしくないだろうか。
まず一言目にはこの間会ったということを伝える。
それから自分のことを覚えているかの確認をして、そうして自己紹介をしなければ。
扉に手を掛ける。
開いた先には彼女がいるはずだ。花に負けることない優しい笑顔を僕に向け……

どんっ!

「へ?」

何かにぶつかってよろけたアズールは、素っ頓狂な声を出した。

「あン?」
「ウワァアアアアア!!!!」
「君は、あの時の…」
「ひぃっ!」
「お父さん!早く配達行かないと遅れちゃうよ?」
「ああ、そうだな!君!ゆっくりしていってくれ!」
「は…」

男の背中を見送りながら、アズールはその一言に心を奪われていた。
『ゆっくりしていって』
(お義父さんに、ゆっくりしていけと言われた。つまりは、僕らは公認の仲!)
そうして変な自信を持って彼女にこう言ったのである。

「アズール・アーシェングロットですよ!」

プラン通りではなかったが、そこまで間違えたつもりもなかった。
けれど娘の反応は全く思いもよらず、ポカン、と口を開けて固まったままだ。
カッチコッチと、壁の時計の秒針の音が妙に大きく店内に木霊した。
運悪く時計は12時を告げ、カッコー鳥まで飛び出す始末。
物凄く空気が重かった。
それはもう、ここは深海なんじゃないかというくらい重圧がかかっていた。
胸元に当てた手が酷く滑稽に思える。
次は何を言うんだっけ?
いつもはここぞとばかりにペラペラと回る舌が石になったかのように固まっている。

「あ、あの…?」
「あ、」
「貴方、この前、配達先にいた方、ですよね?」
「!は、そ、」
「アーシェングロットさん…名前、ですよね。…あの、いつもご贔屓にしてくださってありがとうございます」

ぶわ
今年二度目の春一番(脳内)であった。
その春一番は香り高い……

「これが…光の香り…」
「はい?」

愛読書のワンフレーズだ。
『その春一番は、光の香りがした。その風は、私の心の扉を叩き、恋心を目覚めさせたの』(フラワー・ロード p36 12行目)
アズールは一言一句違わずその言葉を思い出した。
これは、もう両思いなのでは?
そんな気持ちさえしてきて、しかしその次の言葉が出てこずまごついていると、入口のほうから別の声がした。

「こんにちは」
「!?」
「あっ、ジェイドさん、お久しぶりです」
「ジェイドさん!?」
「おや、お客さんですか?…ってアズールじゃないですか」

このタイミングで、同郷出身のジェイドが、この店を訪ねてくるなど、想定外も想定外だった。
事態を飲み込むのに時間がかかっているアズールの口からは、もはや息の音しか漏れない。顔を真っ赤にしながら二人の様子を見つめるので精一杯だ。
二人がどんな繋がりかと思えば、何やら「アレ」「大きい」「入り口が」などと、卑猥に聞こえるような単語がツラツラと口から飛び出してくるではないか。
二人の関係は、まさか。
自分と彼女は運命の番のはずなのに!
破廉恥だ!!

「また!来ますっ!」
「あっ…」

その空気に耐えられず店を飛び出したアズールは、その背後でジェイドがいやらしい笑みを浮かべているとはよもや知る由もなかった。

そのままある程度走った後、商店街をトボトボと俯きながら歩いていたアズールだったが、とある店から飛び出してきた小さな物体とぶつかって、ハッと意識を取り戻す。

「きゃっ!」
「あっ!すみません、少し考え事をしていたもので!」
「こちらこそすみませ…ってアズールさんじゃないですか」
「貴女はジェイドのメイドさん…?お久しぶりです」
「あの!ジェイド坊ちゃん見ませんでした!?また何処かに行ってしまって!」
「ジェイドなら花屋に…」

そこまで言ってふと、メイドならあの二人の関係を知っているかもしれないと閃いたアズールは、恐々と会話を切り出した。
真実を聞くのは怖いが、あれこれ考えてしまうよりもハッキリしておいたほうが対策が練れるというものだ。

「一つお伺いしたいことが!」
「私にですか?なんでしょう?」
「じぇ、ジェイドのことなんですが、」
「坊ちゃんの?」
「はい…その、先ほど、ジェイドをここの突き当たりにある花屋で見かけたんですが…」
「あっ!坊ちゃんったらまた勝手に花屋さんに!」
「また?ということは、よく出かけているんですね」

絶望的だと思った。
きっとジェイドはメイドの目を盗んでまで娘に会いに行っていたんだ。
そうして逢瀬を重ねて、いつのまにかいい雰囲気に。
(くそっ…僕がもう少し早く彼女に出会ってさえいれば)
そんなことを考えても時間が巻き戻ることはない。
芽生えたばかりの恋は、この瞬間をもって花弁を閉じてしまったのだ。
春の陽を見る前に。

「坊ちゃんはテラリウムの材料を見繕いにあの店に行くんですよ」
「…てら、りうむ?」
「はい、そうです。この辺でテラリウムの材料を扱うお店がなくて」
「…あの二人は、愛し合っているのでは…?」
「嫌だわアズールさん!あの二人、そんなふうに見えたんですか?坊ちゃんはああ見えて女の子に興味が全くないんですよ。いつかお伺いしたこともあるんですが、『僕が花屋の娘に興味を持つわけないでしょう。あんなちんちくりん眼中にありません』と一蹴されてしまいました。ひどいですよねぇ、女性をちんちくりんだなんて!坊ちゃんにもそろそろ恋人の一人や二人できたら私もちょっと安心できるんですけど」

一人でマシンガンのように語り始めた小さなメイドのことは、もはやアズールの眼中にはなかった。
(そうか、二人は別に、恋仲ではないのか…)
安心して呆けたアズールを、あっもう行かないと、と置き去りにして、メイドは店のほうに駆け出した。
アズールは、その背中を見送って、ポツリと独り言を吐く。

「恋に障害はつきものですが、それを乗り越えてこそ愛になるというもの…!」

その瞳には、また新たな恋愛プランがいくつも浮かんでさえいるのだった。
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