【完結】僕らのフェアリーテイル
その日ジェイドが目覚めてから彼女の異変を感じ取るまでのスピードは早かった。毎朝のルーティンが一番に妖精に挨拶することだったので当たり前だったが、それにしても早かった。
「貴女!大丈夫ですか!?」
「んぁ…どったのジェイド…」
「フロイドには事の重大さがわからないんですか!」
「ふぁ…あ?知らねーよ…オレ今起きたばっかりなんだけど?」
「見ればわかるでしょう!」
そう言って指差したのはこの部屋の中で最も大きなテラリウム。すなわち、妖精のお部屋であった。その中にあるふかふかの苔のベッドで苦しそうに息をする妖精を視界に入れて、フロイドも心配そうに声をあげた。
「え…妖精ちゃん病気なの?」
「彼女の種族に病気という概念があるのかはわかりませんが、とても苦しそうでしょう!?」
「オレたちも最初病気ってか風邪っての知った時キツかったもんなぁ」
「アズールなど熱まで出して大変でしたし…妖精さんもきっと…」
「でもオレらに詳しいことわかんなくね?」
その間も「はぁ、はぁ」と熱い息を漏らすその姿に、うっ、と喉を詰まらせるジェイド。しかしこういう時こそ普段の冷静さを取り戻すべきだと深呼吸。すぐに別のケースにふわふわのタオルを敷き詰めてそこに妖精を移動させるとサッと身なりを整えて部屋を出た。
ちなみにフロイドは一方的に話をされるだけで、置き去りにされた。
ジェイドの向かった先は、もちろん寮長室である。
「アズール!アズール!!」
いつもよりも数倍強い力でだんだんだん!と寮長室の扉をノックすれば、数十秒置いて大層薄く扉が開く。
「ジェ、ジェイドか…。こんな時間になんなんですか。非常識でウワァ!?」
「ちょっと中に入れてください」
「だ、だめだ!入ってくるな!今はだ、ちょ、」
「アズールが彼女といることなんてわかっていますからそんなことはどうでもいいです。それよりも重要なことがありますので!」
言い忘れていたが、ツイステッドワンダーランドには一年前に一人の女性が異世界から迷い込み、オンボロ寮の監督生として生活していた。監督生はアズールとお付き合いしており、付き合いもそこそこ長くなっていたので、二人はそれなりのこともしていた。今日はアズールの部屋に監督生がお邪魔していたのだが、そこにジェイドが来たものだから入室拒否した。…とまぁそんな理由があろうがこの状況でジェイドが譲るはずもなかった。
間に捻じ込まれた足によって閉じることを阻止された扉は無情にも開け放たれ、少しして、ベッドの向こう側から最低限の身なりを整えた監督生が真っ赤な顔を覗かせたのである。
「どうにかしてください!妖精さんの命に関わります!」
「わかりました!わかりましたから落ち着きなさい!」
彼女との朝を邪魔されたアズールはもうやけくそだ。とりあえずジェイドを椅子に腰掛けさせて、先に着替えてきますから少し待っていてください!と寮長室にだけ設置されている簡易バスルームへと姿を消した。残された監督生がそっとジェイドに近づき大事に抱えられたケースを覗き込む。
「妖精ちゃん、どうかしたんですか」
「どうしたもこうしたも…朝起きたらすでにこの状態で…。何が原因かわからないのでアズールの見解を聞きに来たのです。アズールは魔法薬学に長けていますし、例えば毒のようなものの影響であれば解毒も可能かと」
監督生と妖精はすでに面識もあったため、苦し気なその様子を見て心配そうに眉を顰めた。汗が浮かぶ額にそっと触れて髪を梳き、ふと髪の生え際に透明の花びらがついているのに気づく。なんで花びらなんかが髪の下に隠れて、と不思議に思ったが、特に深く考えずにそれを取り除こうとした刹那。
「っ…い、痛いっ…!」
「へ!?」
「!」
「はぁっ…ゃ、やめ…は…ゃめて…っ…」
「わ…!ご、ごめんね妖精ちゃん!」
「貴女、彼女になんてことを!」
「えっ、だ、だってこれ!この透明な花びらが髪に巻き込まれていたからっ」
「花びら?」
妖精から上がった声に二人して驚き、さらにジェイドからお咎めが入ってびくついた監督生だったが、それでもジェイドに『ここを見てください!』と訴えた。
「これを取ろうとしたら、痛いって…。もしかしてこれ、額から生えてます?」
「……これは…!」
「?ジェイド先輩、心当たりが…?」
「ちょっと彼女を見ておいてもらえますか。僕は早急に資料を持ってきます」
「え、っちょ!」
何が何だかわからないままに、残された妖精を見守りながら、監督生は戻ってきたアズールに事情を説明をすることになった。
一方、出て行ったジェイドは早速自室に戻り、自分が持っている植物図鑑をあれでもないこれでもないとしらみ潰しに探していた。頼りになるのは自分の記憶のみだ。
(どこに載っていたんでしょう…あれに似たものを僕はどこかで…)
ガサガサと、ジェイドにしてはガサツに物を出してはその辺りに散らしているとフロイドが部屋に戻ってくる。
「あージェイド戻ってきたぁ」
「フロイド、今僕はフロイドと話をする暇はありません」
「いつものことだけど言い方な!ていうかオレ、思い出したことがあってさ、それ伝えた方がいいかなってお前のこと探してたんだけど」
「なんですって!?それを先に言いなさい!何か心当たりがあるのですか?」
「いや、心当たりっつーか…」
「なんでも良いです。情報があれば教えてください。お願いします」
「いや、オレ、昨日キャンプ行った時にキノコみたいなの採ってきたなって」
「はい?」
「それで妖精ちゃんに、これ知ってる?って渡したの。そしたらさぁ」
フロイド曰く、昨日ジェイドがいない間にこんなやり取りがあったのだという。
『ハァ~もうクッタクタなんだけど!森ってほんっと疲れるわ』
『フロイドさんお帰りなさい!ええっと、キャンプに行ってたのよね。森は慣れなかった?』
『森よりキャンプの内容がさ~…あっ!そうだった!妖精ちゃんにお土産があんの!』
『お土産?なぁに?』
『えっとねぇ…あったあった!コレ!図鑑にも載ってなかったキノコでぇ~す!』
『まぁ!そんなに真っ白なキノコ、私、初めて見たわ』
『デショデショ~?オレもさ、キメェ!!って思ったんだけど、せっかく来たしジェイドもキノコ好きだし、土産の一つでもないとなってね。それに妖精ちゃんならわかるかなって持って帰ってきたんだけどさぁ。やっぱ知らねぇか~』
『住まうところが違えば生態系が違うものだから。私たちが資料を残す種族ならわかったかもしれないけれど、移動してばかりだとどうしても。自分が見たものしかわからないのよ。ただある程度は本能的にわかったりもするんだけれど』
『フーン?それ、どんな感じで確認すんの?』
『対話ができるかとか、蜜で元気になるかとか』
『あ、たんま、それだけはオレの前でしないでよ?ジェイドに殺されっから』
『そう?一番てっとり早いのだけれど…。そうね、それ以外だと…やっぱり齧らせてもらうのが一番かしら』
『あーそっか。キノコ食べて生きてんだもんね妖精ちゃん。食べたらわかるか。でもさ、キノコって毒性あるやつも多いって図鑑で読んだけど、そういうのは大丈夫なわけ?』
『ええ、ヒトにとって毒でも私たちにとっては栄養だったりするのよ。だから大丈夫。キノコであるならそんなに用心深くしなくても。とにかく齧ってみるわね』
『えっ!?めっちゃ度胸あんな~。見た目こんなんでも食えんの…』
『ええ、案外見た目によらないものよ? んん…味は…不思議。全くしないわ。匂いもないのね。こんなの初めて』
『へぇ〜。なんかわかりそう?』
『残念だけど食べたばかりではあまり…。消化されたらわかるかも』
『ちょっと楽しみなんだけど~』
『ふふ!私も楽しみ。まだまだ知らないことがたくさんあるのねぇ。っ…』
『?どーかした?』
『…い、いえ…なんだか………ううん、気のせいね、きっと』
その翌日が今日に当たるのだと。
話を聞いて、ジェイドの頭にあるものが思い浮かんだ。
「モノトロパストラム・ヒューミレ…」
「は?ものと…?」
「キノコに寄生する腐生植物です。キノコに似ていて真っ白と言われて思い当たるのはそれしかありません」
名称を思い出せたならあとは早い。スマホを操作してその情報ページを開くとフロイドの顔に押し当てるようにして見せる。
「どうですフロイド!これに見覚えは!」
「ちけぇ!見えねぇよそんな近くじゃ!…ッもー……どれ…あっ!これ!これだよジェイド、よくわかったな。キャンプ場の近くに生えててさぁ、ジェイドに貸してもらった図鑑にも載ってなかったし、おもしれぇと思って」
「確かに僕の貸した図鑑には載っていなかったですね…その点でフロイドは悪くありませんが…ッですがなんてことしてくれたんですか!」
「は?って待てよジェイド!」
普段では決して見ることができないほどに焦ったジェイドは寮長室へと踵を返した。フロイドの話と今の妖精の状態から考えたジェイドの予想はこうだ。
『妖精は、モノトロパストラム・ヒューミレを食べたことによってそれに寄生された』
その植物は先程ジェイド本人の口から語られたようにキノコに寄生することでその養分を奪って育つ「キノコではない植物」だった。キノコの妖精は自身の身体を「ヒトよりも植物に近いのよ」と言い表していたので、体内にあったキノコの養分に寄生されてしまったのだと考えられる。特に毒性はないと言われているが、それは対ヒトに関する情報。妖精がキノコでないものを体内に取り込んだらどうなるのかを知るものはここにはいなかった。
だけれどそのせいでこのような症状が出ているのにはもはや疑うところがない。それなのに何もできない事実がジェイドの心を騒つかせた。妖精は排泄をしない。となれば、これが完全に身体に回り切るのを待つのか?寄生が完了してしまったら一体どうなってしまうのかと、ジェイドは居ても立っても居られない。予想外の出来事とは言え、自分が責任の一端を担っていることに、情けないと肩を落とす。
アズールのところに戻ってきたジェイドはフロイドにしたのと同じようにスマホの画面をアズールに押し付けて、開口一番に言った。
「モノトロパストラム・ヒューミレです!」
「近い!!」
「彼女は寄生されたんです!他の植物に」
「…!?本当なのかそれは」
ジェイドは急ぎこれまで研究してきた妖精の生態について掻い摘んでアズールに話して聞かせる。一通り聞いた後、言葉を選ぶようにしてアズールが口を開いた。
「彼女の身体は植物に近しいのでしょう?そこから同じ植物を抜くことは至難の技です。同じ構造を持つものから特定のものだけを除けるのですから」
「それは…そうかもしれませんが…。でも、」
「せめて構造が少しでも変わればやりやすくなるんですが。人から毒を抜くような形になりさえすれば、手持ちの魔法薬レシピでなんとかなるかと」
「…形を…変えることは……できるかもしれません」
「本当か?」
「ええ。ただ、彼女にもっと負担をかけるかもしれません。なのでそれをするなら性急に行いたいです。アズール、今すぐ魔法薬を作成することはできますか?」
「寄生した植物が持つ栄養素やどのような構造をしているかの情報は?」
「僕が作ったレポートが少し。それから後は、ネット上にあるかと」
「よし。じゃあそれをください。助けてみせます」
「ありがとうございます…!」
アズールと共に寮長室を出てレポートを渡し、ゲストルームに妖精を寝かせると、その足で海の中の森へ向かったジェイドは、いつぞやのためにと研究・開発を進めていた、妖精が大きくなるための薬を今こそ必要だと手に取った。
「初めての使用がこんな時になるとは思いもよりませんでしたが、ここで助からなければ意味がありません」
かの食虫植物もジェイドの雰囲気を感じ取ってか少し元気がないように見えたので、心配せずとも大丈夫ですから、と声をかけてから部屋を出た。戻ったのはアズール・アーシェングロットの研究室…もとい、寮内魔法薬学室である。
トントンとノックをすると、扉の上の方の小窓が開き『合言葉を』なんて言われたものだから、一刻を争うのに何をと目潰しをくれてやったジェイド。
「あいた!」
「ゴーグルを割られなかったことを光栄に思ってください。馬鹿なことをしていないで」
「す、すみません、つい癖で」
「次はありませんからね。僕の妖精さんに何かあったら」
「もう後少しで出来上がりますから!そんな目を向けるな!」
ジェイドを招き入れたアズールはたった今煮沸が終わったんだと言いながら、鍋の中の不思議な色をした液体を小瓶に流し込んだ。
「お前は間違いなどしないとは思いますが、念だけ押させて貰います。この魔法薬で取り除けるのは、生物に寄生した植物のみです。詳細な説明は省きますが、植物とは別の物体から植物と類似の構造を持つ物体を切り離すような作用を持ちますから、あの妖精本体にそのまま流し込むことだけはやめてください」
「心得ています。アズール、ありがとうございます」
「よせ。礼を言うのは彼女が助かってからだろう」
行きなさいと手で示されて、彼女の元へ急ぐ。
ジェイドの思惑はたった一つ。このまま放っておいては助からない命なら、一つの賭けに出よう。妖精を人型にしそこにアズールが精製した魔法薬を飲ませれば助かるのではないかと、そう踏んだのだ。
ゲストルームに戻ると、小さな妖精が大きなベッドの上に寂しげに横たわっているのを見て切なくなるジェイドの胸。いつもならジェイドが現れた瞬間に『ジェイドさん!お帰りなさい!今日は何か面白いことはあった?』と掌の上に飛び乗ってくるのに。
「しっかり治しましょうね…。そして普段みたいに僕に話しかけてください」
そう呟いたとき、薄っすらと妖精の瞳が開いた。
「じぇ…ぃど、さん…?」
「…!はい、僕ですよ…苦しいですよね…遅くなって申し訳ありませんでした。ですがもうすぐ楽になれますから」
「…ん、ん…だぃ、じょぅぶ、なのょ…。ジェイド、さんは、きに、しなくて」
「ああ、もう話さなくて大丈夫です。もう少しだけ、一緒に頑張りましょうね」
「は、ぁ…ぁり、がとぅ…」
妖精の唇を少しだけ開かせると、そこに大きくなるための魔法薬を流し込む。研究を重ねてきたとは言え実際に使うのは初めてのことだったので少し心配はあったのだが、それに反して妖精は驚くほどスムーズに大きさを変えた。
「自分が作ったものですが、やはり結果を見ると一安心ですね」
しかし本日のゴールはそこではないので未だ緊張は解けない。額から透明の花びらが散ることはなくむしろ増えていると言っても過言ではなかった。密かに「これだけで取れてくれるかも」と期待をしていただけに、ジェイドの顔に落胆が滲む。顔もまだ青白いし、呼吸は朝よりもか細くなっている。負担をかけるかもしれないが、縋れるのはこの薬しかないわけで。
アズールを信用していないわけではないが、番の命がかかっていると思うと躊躇う気持ちがあるのも事実だ。
「…ジェ…どさん…」
「ああ、申し訳ありません、」
ピクと動いた指先を取ってキュッと握ったジェイドに、妖精が囁くように言った。
「ゎ、たし、信じ、てるわ…」
「え?」
「ジェイド、さんなら、助けて…くれる、って…。だから、怖く、ない」
力なく笑ってでもジェイドを安心させようとする妖精に勇気を貰って覚悟を決めると、彼女の身体を抱き起こし、その口にもう一つの魔法薬を流し込んだ。先程も思ったが食べるよりも飲むほうが吸収率が高いのか格段に効き目が早く、トクトクトクトクと早鐘を鳴らしていた心臓も次第に落ち着いてきた。そうして五分も経過した頃だろうか。額から透明の花びらがハラリと散っていったのを見て、ジェイドはやっと、安堵の息を吐いたのだった。
「よか…った、です…」
こうして騒動は終わりを迎えた…………のなら良かったのだが、そうは問屋が卸さない。本当ならずっとそばにいてやりたい気持ちをぐっと抑え、静かに眠っている妖精の額に一つキスを落としたジェイドは、ゲストルームを後にした。
自室へ辿り着くと同時にフロイドに詰め寄るジェイドの顔に、今、表情はない。
「あ~ジェイドだ!ってことは妖精ちゃん治ったの?」
「ええ、今やっと落ち着いて眠っているところです」
「は〜よかったねぇ!心配してたんだよオレも」
「フロイド、言いたいことはそれだけですか」
「え?」
「覚悟はできていますね」
「は?」
「貴方のせいで、妖精さんが生死をさまよう大事故に巻き込まれました。責任を取る覚悟はできていますね?と聞いています」
ジェイドがにっこりと、真っ黒な笑みを湛えてフロイドを見たところで、やっと気づいたようだ。
「ちょ、ま、さっき『フロイドは悪くない』って言ったじゃん!オレのせいじゃねーだろ!?」
「おやおや…ここにきて言い逃れでしょうか。我が兄弟ながら恥ずかしいです」
「いや、あの、ほんと、ちょっと待って!ジェイド落ち着け!」
「逃げるなんて往生際が悪いですよフロイド!」
そうして終わらぬ鬼ごっこは始まり、オクタヴィネル寮にフロイドの叫び声が響き渡った。
その後、身体が元に戻り目覚めた妖精が「フロイドさんは何も悪くないわ!」と叫んだことも、ジェイドの静かな怒りを煽る一因だったという。
「貴女!大丈夫ですか!?」
「んぁ…どったのジェイド…」
「フロイドには事の重大さがわからないんですか!」
「ふぁ…あ?知らねーよ…オレ今起きたばっかりなんだけど?」
「見ればわかるでしょう!」
そう言って指差したのはこの部屋の中で最も大きなテラリウム。すなわち、妖精のお部屋であった。その中にあるふかふかの苔のベッドで苦しそうに息をする妖精を視界に入れて、フロイドも心配そうに声をあげた。
「え…妖精ちゃん病気なの?」
「彼女の種族に病気という概念があるのかはわかりませんが、とても苦しそうでしょう!?」
「オレたちも最初病気ってか風邪っての知った時キツかったもんなぁ」
「アズールなど熱まで出して大変でしたし…妖精さんもきっと…」
「でもオレらに詳しいことわかんなくね?」
その間も「はぁ、はぁ」と熱い息を漏らすその姿に、うっ、と喉を詰まらせるジェイド。しかしこういう時こそ普段の冷静さを取り戻すべきだと深呼吸。すぐに別のケースにふわふわのタオルを敷き詰めてそこに妖精を移動させるとサッと身なりを整えて部屋を出た。
ちなみにフロイドは一方的に話をされるだけで、置き去りにされた。
ジェイドの向かった先は、もちろん寮長室である。
「アズール!アズール!!」
いつもよりも数倍強い力でだんだんだん!と寮長室の扉をノックすれば、数十秒置いて大層薄く扉が開く。
「ジェ、ジェイドか…。こんな時間になんなんですか。非常識でウワァ!?」
「ちょっと中に入れてください」
「だ、だめだ!入ってくるな!今はだ、ちょ、」
「アズールが彼女といることなんてわかっていますからそんなことはどうでもいいです。それよりも重要なことがありますので!」
言い忘れていたが、ツイステッドワンダーランドには一年前に一人の女性が異世界から迷い込み、オンボロ寮の監督生として生活していた。監督生はアズールとお付き合いしており、付き合いもそこそこ長くなっていたので、二人はそれなりのこともしていた。今日はアズールの部屋に監督生がお邪魔していたのだが、そこにジェイドが来たものだから入室拒否した。…とまぁそんな理由があろうがこの状況でジェイドが譲るはずもなかった。
間に捻じ込まれた足によって閉じることを阻止された扉は無情にも開け放たれ、少しして、ベッドの向こう側から最低限の身なりを整えた監督生が真っ赤な顔を覗かせたのである。
「どうにかしてください!妖精さんの命に関わります!」
「わかりました!わかりましたから落ち着きなさい!」
彼女との朝を邪魔されたアズールはもうやけくそだ。とりあえずジェイドを椅子に腰掛けさせて、先に着替えてきますから少し待っていてください!と寮長室にだけ設置されている簡易バスルームへと姿を消した。残された監督生がそっとジェイドに近づき大事に抱えられたケースを覗き込む。
「妖精ちゃん、どうかしたんですか」
「どうしたもこうしたも…朝起きたらすでにこの状態で…。何が原因かわからないのでアズールの見解を聞きに来たのです。アズールは魔法薬学に長けていますし、例えば毒のようなものの影響であれば解毒も可能かと」
監督生と妖精はすでに面識もあったため、苦し気なその様子を見て心配そうに眉を顰めた。汗が浮かぶ額にそっと触れて髪を梳き、ふと髪の生え際に透明の花びらがついているのに気づく。なんで花びらなんかが髪の下に隠れて、と不思議に思ったが、特に深く考えずにそれを取り除こうとした刹那。
「っ…い、痛いっ…!」
「へ!?」
「!」
「はぁっ…ゃ、やめ…は…ゃめて…っ…」
「わ…!ご、ごめんね妖精ちゃん!」
「貴女、彼女になんてことを!」
「えっ、だ、だってこれ!この透明な花びらが髪に巻き込まれていたからっ」
「花びら?」
妖精から上がった声に二人して驚き、さらにジェイドからお咎めが入ってびくついた監督生だったが、それでもジェイドに『ここを見てください!』と訴えた。
「これを取ろうとしたら、痛いって…。もしかしてこれ、額から生えてます?」
「……これは…!」
「?ジェイド先輩、心当たりが…?」
「ちょっと彼女を見ておいてもらえますか。僕は早急に資料を持ってきます」
「え、っちょ!」
何が何だかわからないままに、残された妖精を見守りながら、監督生は戻ってきたアズールに事情を説明をすることになった。
一方、出て行ったジェイドは早速自室に戻り、自分が持っている植物図鑑をあれでもないこれでもないとしらみ潰しに探していた。頼りになるのは自分の記憶のみだ。
(どこに載っていたんでしょう…あれに似たものを僕はどこかで…)
ガサガサと、ジェイドにしてはガサツに物を出してはその辺りに散らしているとフロイドが部屋に戻ってくる。
「あージェイド戻ってきたぁ」
「フロイド、今僕はフロイドと話をする暇はありません」
「いつものことだけど言い方な!ていうかオレ、思い出したことがあってさ、それ伝えた方がいいかなってお前のこと探してたんだけど」
「なんですって!?それを先に言いなさい!何か心当たりがあるのですか?」
「いや、心当たりっつーか…」
「なんでも良いです。情報があれば教えてください。お願いします」
「いや、オレ、昨日キャンプ行った時にキノコみたいなの採ってきたなって」
「はい?」
「それで妖精ちゃんに、これ知ってる?って渡したの。そしたらさぁ」
フロイド曰く、昨日ジェイドがいない間にこんなやり取りがあったのだという。
『ハァ~もうクッタクタなんだけど!森ってほんっと疲れるわ』
『フロイドさんお帰りなさい!ええっと、キャンプに行ってたのよね。森は慣れなかった?』
『森よりキャンプの内容がさ~…あっ!そうだった!妖精ちゃんにお土産があんの!』
『お土産?なぁに?』
『えっとねぇ…あったあった!コレ!図鑑にも載ってなかったキノコでぇ~す!』
『まぁ!そんなに真っ白なキノコ、私、初めて見たわ』
『デショデショ~?オレもさ、キメェ!!って思ったんだけど、せっかく来たしジェイドもキノコ好きだし、土産の一つでもないとなってね。それに妖精ちゃんならわかるかなって持って帰ってきたんだけどさぁ。やっぱ知らねぇか~』
『住まうところが違えば生態系が違うものだから。私たちが資料を残す種族ならわかったかもしれないけれど、移動してばかりだとどうしても。自分が見たものしかわからないのよ。ただある程度は本能的にわかったりもするんだけれど』
『フーン?それ、どんな感じで確認すんの?』
『対話ができるかとか、蜜で元気になるかとか』
『あ、たんま、それだけはオレの前でしないでよ?ジェイドに殺されっから』
『そう?一番てっとり早いのだけれど…。そうね、それ以外だと…やっぱり齧らせてもらうのが一番かしら』
『あーそっか。キノコ食べて生きてんだもんね妖精ちゃん。食べたらわかるか。でもさ、キノコって毒性あるやつも多いって図鑑で読んだけど、そういうのは大丈夫なわけ?』
『ええ、ヒトにとって毒でも私たちにとっては栄養だったりするのよ。だから大丈夫。キノコであるならそんなに用心深くしなくても。とにかく齧ってみるわね』
『えっ!?めっちゃ度胸あんな~。見た目こんなんでも食えんの…』
『ええ、案外見た目によらないものよ? んん…味は…不思議。全くしないわ。匂いもないのね。こんなの初めて』
『へぇ〜。なんかわかりそう?』
『残念だけど食べたばかりではあまり…。消化されたらわかるかも』
『ちょっと楽しみなんだけど~』
『ふふ!私も楽しみ。まだまだ知らないことがたくさんあるのねぇ。っ…』
『?どーかした?』
『…い、いえ…なんだか………ううん、気のせいね、きっと』
その翌日が今日に当たるのだと。
話を聞いて、ジェイドの頭にあるものが思い浮かんだ。
「モノトロパストラム・ヒューミレ…」
「は?ものと…?」
「キノコに寄生する腐生植物です。キノコに似ていて真っ白と言われて思い当たるのはそれしかありません」
名称を思い出せたならあとは早い。スマホを操作してその情報ページを開くとフロイドの顔に押し当てるようにして見せる。
「どうですフロイド!これに見覚えは!」
「ちけぇ!見えねぇよそんな近くじゃ!…ッもー……どれ…あっ!これ!これだよジェイド、よくわかったな。キャンプ場の近くに生えててさぁ、ジェイドに貸してもらった図鑑にも載ってなかったし、おもしれぇと思って」
「確かに僕の貸した図鑑には載っていなかったですね…その点でフロイドは悪くありませんが…ッですがなんてことしてくれたんですか!」
「は?って待てよジェイド!」
普段では決して見ることができないほどに焦ったジェイドは寮長室へと踵を返した。フロイドの話と今の妖精の状態から考えたジェイドの予想はこうだ。
『妖精は、モノトロパストラム・ヒューミレを食べたことによってそれに寄生された』
その植物は先程ジェイド本人の口から語られたようにキノコに寄生することでその養分を奪って育つ「キノコではない植物」だった。キノコの妖精は自身の身体を「ヒトよりも植物に近いのよ」と言い表していたので、体内にあったキノコの養分に寄生されてしまったのだと考えられる。特に毒性はないと言われているが、それは対ヒトに関する情報。妖精がキノコでないものを体内に取り込んだらどうなるのかを知るものはここにはいなかった。
だけれどそのせいでこのような症状が出ているのにはもはや疑うところがない。それなのに何もできない事実がジェイドの心を騒つかせた。妖精は排泄をしない。となれば、これが完全に身体に回り切るのを待つのか?寄生が完了してしまったら一体どうなってしまうのかと、ジェイドは居ても立っても居られない。予想外の出来事とは言え、自分が責任の一端を担っていることに、情けないと肩を落とす。
アズールのところに戻ってきたジェイドはフロイドにしたのと同じようにスマホの画面をアズールに押し付けて、開口一番に言った。
「モノトロパストラム・ヒューミレです!」
「近い!!」
「彼女は寄生されたんです!他の植物に」
「…!?本当なのかそれは」
ジェイドは急ぎこれまで研究してきた妖精の生態について掻い摘んでアズールに話して聞かせる。一通り聞いた後、言葉を選ぶようにしてアズールが口を開いた。
「彼女の身体は植物に近しいのでしょう?そこから同じ植物を抜くことは至難の技です。同じ構造を持つものから特定のものだけを除けるのですから」
「それは…そうかもしれませんが…。でも、」
「せめて構造が少しでも変わればやりやすくなるんですが。人から毒を抜くような形になりさえすれば、手持ちの魔法薬レシピでなんとかなるかと」
「…形を…変えることは……できるかもしれません」
「本当か?」
「ええ。ただ、彼女にもっと負担をかけるかもしれません。なのでそれをするなら性急に行いたいです。アズール、今すぐ魔法薬を作成することはできますか?」
「寄生した植物が持つ栄養素やどのような構造をしているかの情報は?」
「僕が作ったレポートが少し。それから後は、ネット上にあるかと」
「よし。じゃあそれをください。助けてみせます」
「ありがとうございます…!」
アズールと共に寮長室を出てレポートを渡し、ゲストルームに妖精を寝かせると、その足で海の中の森へ向かったジェイドは、いつぞやのためにと研究・開発を進めていた、妖精が大きくなるための薬を今こそ必要だと手に取った。
「初めての使用がこんな時になるとは思いもよりませんでしたが、ここで助からなければ意味がありません」
かの食虫植物もジェイドの雰囲気を感じ取ってか少し元気がないように見えたので、心配せずとも大丈夫ですから、と声をかけてから部屋を出た。戻ったのはアズール・アーシェングロットの研究室…もとい、寮内魔法薬学室である。
トントンとノックをすると、扉の上の方の小窓が開き『合言葉を』なんて言われたものだから、一刻を争うのに何をと目潰しをくれてやったジェイド。
「あいた!」
「ゴーグルを割られなかったことを光栄に思ってください。馬鹿なことをしていないで」
「す、すみません、つい癖で」
「次はありませんからね。僕の妖精さんに何かあったら」
「もう後少しで出来上がりますから!そんな目を向けるな!」
ジェイドを招き入れたアズールはたった今煮沸が終わったんだと言いながら、鍋の中の不思議な色をした液体を小瓶に流し込んだ。
「お前は間違いなどしないとは思いますが、念だけ押させて貰います。この魔法薬で取り除けるのは、生物に寄生した植物のみです。詳細な説明は省きますが、植物とは別の物体から植物と類似の構造を持つ物体を切り離すような作用を持ちますから、あの妖精本体にそのまま流し込むことだけはやめてください」
「心得ています。アズール、ありがとうございます」
「よせ。礼を言うのは彼女が助かってからだろう」
行きなさいと手で示されて、彼女の元へ急ぐ。
ジェイドの思惑はたった一つ。このまま放っておいては助からない命なら、一つの賭けに出よう。妖精を人型にしそこにアズールが精製した魔法薬を飲ませれば助かるのではないかと、そう踏んだのだ。
ゲストルームに戻ると、小さな妖精が大きなベッドの上に寂しげに横たわっているのを見て切なくなるジェイドの胸。いつもならジェイドが現れた瞬間に『ジェイドさん!お帰りなさい!今日は何か面白いことはあった?』と掌の上に飛び乗ってくるのに。
「しっかり治しましょうね…。そして普段みたいに僕に話しかけてください」
そう呟いたとき、薄っすらと妖精の瞳が開いた。
「じぇ…ぃど、さん…?」
「…!はい、僕ですよ…苦しいですよね…遅くなって申し訳ありませんでした。ですがもうすぐ楽になれますから」
「…ん、ん…だぃ、じょぅぶ、なのょ…。ジェイド、さんは、きに、しなくて」
「ああ、もう話さなくて大丈夫です。もう少しだけ、一緒に頑張りましょうね」
「は、ぁ…ぁり、がとぅ…」
妖精の唇を少しだけ開かせると、そこに大きくなるための魔法薬を流し込む。研究を重ねてきたとは言え実際に使うのは初めてのことだったので少し心配はあったのだが、それに反して妖精は驚くほどスムーズに大きさを変えた。
「自分が作ったものですが、やはり結果を見ると一安心ですね」
しかし本日のゴールはそこではないので未だ緊張は解けない。額から透明の花びらが散ることはなくむしろ増えていると言っても過言ではなかった。密かに「これだけで取れてくれるかも」と期待をしていただけに、ジェイドの顔に落胆が滲む。顔もまだ青白いし、呼吸は朝よりもか細くなっている。負担をかけるかもしれないが、縋れるのはこの薬しかないわけで。
アズールを信用していないわけではないが、番の命がかかっていると思うと躊躇う気持ちがあるのも事実だ。
「…ジェ…どさん…」
「ああ、申し訳ありません、」
ピクと動いた指先を取ってキュッと握ったジェイドに、妖精が囁くように言った。
「ゎ、たし、信じ、てるわ…」
「え?」
「ジェイド、さんなら、助けて…くれる、って…。だから、怖く、ない」
力なく笑ってでもジェイドを安心させようとする妖精に勇気を貰って覚悟を決めると、彼女の身体を抱き起こし、その口にもう一つの魔法薬を流し込んだ。先程も思ったが食べるよりも飲むほうが吸収率が高いのか格段に効き目が早く、トクトクトクトクと早鐘を鳴らしていた心臓も次第に落ち着いてきた。そうして五分も経過した頃だろうか。額から透明の花びらがハラリと散っていったのを見て、ジェイドはやっと、安堵の息を吐いたのだった。
「よか…った、です…」
こうして騒動は終わりを迎えた…………のなら良かったのだが、そうは問屋が卸さない。本当ならずっとそばにいてやりたい気持ちをぐっと抑え、静かに眠っている妖精の額に一つキスを落としたジェイドは、ゲストルームを後にした。
自室へ辿り着くと同時にフロイドに詰め寄るジェイドの顔に、今、表情はない。
「あ~ジェイドだ!ってことは妖精ちゃん治ったの?」
「ええ、今やっと落ち着いて眠っているところです」
「は〜よかったねぇ!心配してたんだよオレも」
「フロイド、言いたいことはそれだけですか」
「え?」
「覚悟はできていますね」
「は?」
「貴方のせいで、妖精さんが生死をさまよう大事故に巻き込まれました。責任を取る覚悟はできていますね?と聞いています」
ジェイドがにっこりと、真っ黒な笑みを湛えてフロイドを見たところで、やっと気づいたようだ。
「ちょ、ま、さっき『フロイドは悪くない』って言ったじゃん!オレのせいじゃねーだろ!?」
「おやおや…ここにきて言い逃れでしょうか。我が兄弟ながら恥ずかしいです」
「いや、あの、ほんと、ちょっと待って!ジェイド落ち着け!」
「逃げるなんて往生際が悪いですよフロイド!」
そうして終わらぬ鬼ごっこは始まり、オクタヴィネル寮にフロイドの叫び声が響き渡った。
その後、身体が元に戻り目覚めた妖精が「フロイドさんは何も悪くないわ!」と叫んだことも、ジェイドの静かな怒りを煽る一因だったという。