氷肌玉骨 ~氷のような君との物語~
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俺は呉服屋の長男として生まれ、何不自由のない裕福な家庭に育てられたが、小さい頃は身体が弱く、入退院を繰り返していた。そんな時に俺の事を心配してくれたのは、大好きな父。
俺が体調が優れた日には、忙しいにもかかわらず、よく遊びに行ってくれたり、結婚前にやっていたタップダンスとか見せてくれた。
4才の時にピアノを習い始め、俺の事を褒めてくれる父の笑顔を見て、「もっと上手くなりたい!」「将来はピアニストになりたい!」と思うようになり、それから、一生懸命、練習に励むようになった。
俺の誕生日になるたびに色々と楽器をプレゼントしてくれて、
多才で行動力があり、趣味の車や日本刀の話をしてくれたり、そんな優しい父が大好きで尊敬してたけど、
俺が小学4年の夏に父が亡くなり、俺は父の死がショックで受け入れられなかった。いつしか、幼くして死のことを考えるようになり、「死んだら楽になれるのだろうか」とずっと思っていた。
けど、母と弟を置いて、死ぬわけにはいかなかった。「俺がしっかりしないと、俺が死んでしまったら、悲しむのは父の方だから。」と思うようになった。
父の死から1年が経ち、俺は行きつけのレコード店で目にしたジャケットに惹かれ、そのバンドが「KISS」だった。
母に頼み連れていってもらったKISSの日本公演がきっかけでロックに魅了され、ドラムを始めた。
当時のロックは「不良の音楽」と言われた時代で、当時の大人はロックを好まなかった。
KISSのファンになった俺だが、当時の同級生とは合わなかったが、幼なじみであるトシはKISSのことを知っていて、俺たちは12才でバンドを結成した。
中学に進学した俺だが、待っていたのは教師達からの屈辱的な校則違反の指摘だった。俺は教師に呼び出され、髪を刈るという今では考えられないことだ。俺は抵抗をしていたが、力の差があったため、俺は丸坊主にされた。
その日から大人達に対する反抗心が芽生え、いつしか学校一の不良になった。
ある日、親戚からの集まりで話を聞いてしまった父の死を、
父の死因が自殺だったってことを思春期だった俺はショックを受け、それが原因で俺の怒りはドラムへと向け、喧嘩に明け暮れる日々だった。
高校を進学した俺は、トシ以外の友達できず、バンド練習に明け暮れる日々で高校2年の時に「X」を結成した。
だが翌年にバンド仲間が進路とかで脱退し、俺もその1人だった。昔、俺が父に言った事を思いだした。
「”僕、将来はピアニストになる!”」
これを機に音大に進学しようと本格的にピアノを打ち込み、音楽理論を学んだ。
そんなある日、ふいに俺の家に訊ねてきたのはトシだった。トシは大学に進学せず東京でバンドを続ける決意を固めたことを告げられ、この呼応を機に俺は音楽大学への推薦入学が決まっていた道を断つ決心をした。
高校卒業後は上京し、当時は珍しい派手なメイクとか衣装、メンバー全員金髪で演奏するバンドが生まれ、後にヴィジュアル系バンドの先駆けの存在となった。
全くの無名バンドだったけど、地道なバンド活動を行い、「ロック界の異端児」と異名がついた。
「必ず成功して、日本一のバンドになる!」とメンバーに告げ、
ワゴンを借りて、全国のライブハウスを回ったり、野宿とかしていた。アルバム費用1000万、母に頼んで借りていた。
他の事務所に所属するのが嫌で21でインディーズのレコード会社を設立し、設立して2年目、1作目のアルバムが1週間で完売となり、
メジャーレーベル・CBS・ソニーと契約を結んだ。
その年に運命の出会いがあった。
ある日、俺はバンドメンバーであるミキからあの有名な少女歌劇団、「帝国歌劇団」の舞台に誘われた。昔、母に連れて行ってもらったことがあり、
女性なのに男の人の役を演じるのが凄いと当時の俺は感動した。
俺は久しぶりに観に行こうと思い、何の断ることもなく行くことにした。当時やっていたのは、「愛ゆえに」という公演があり、
そこで目に入ったのは、
「使命も部下も捨てて、あなたと共に逃げ出す私など・・・、
もはや私ではない。そんな私を、あなたは愛せるのか?」
金髪のボブカットに青みがかってる瞳を持ち、外国の血が入ってる証拠の顔の彫りの深さ、身長が高く、スタイル抜群で兵隊の服が似合う美女だった。
続く